ザツな旅   作:クリス

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土岐綾乃(3)

 

 

 

 

 

 ポツポツを通り越して、ザーザーと降りしきる雨。

 

 7月、梅雨真っ盛りのこの時期は毎日のように雨が降る。

 

「雨、やまないね」

 

 わたしの隣に座る双葉が、窓の向こうに広がる灰色の雨雲を眺めてそう言った。

 

「やまないねー」

 

 わたしはそう返しながらいつものように双葉の肩に頭を乗せようとして、すんでのところで我にかえった。

 

「綾乃?」

 

 首をかしげる双葉。湿気でちょっとボサっとしている髪がふわふわと揺れる。

 

「なんでもないよー あはは」

 

 いけないいけない。もうそういうことはしないって決めたんだ。

 

 あの夜から1週間がたった。今のところわたしと双葉の関係はなにも変わっていない、少なくとも表面上は。

 

 大学に通って、ご飯を食べて、なんてことない話をして、お風呂上がりの双葉の髪を乾かして、また次の日を迎える。

 

 そんないつも通りの平和な毎日。

 

 ただ一つ変わったことがあるとすれば、双葉に対する過剰なスキンシップをやめたことだろうか。

 

 今までさんざん好き勝手やってきたのに、なにを今さらと思わなくもない。

 

 けど、あれだけのことをしておいてなんのためらいもなく抱きつけるほどわたしの面の皮は厚くなかった。

 

 少しだけ開けた窓から入ってくる雨風の涼しさを肌で感じながらテレビに映ったホラー映画をぼんやりと眺める。

 

 今日は週末。本当だったらどこかに遊びに行きたい気分だけど、この大雨の中外に繰り出す勇気はわたしにはなかった。

 

「早く雨止まないかなー」

 

「来週いっぱいまで止まないみたいだよ」

 

「マジかー バイク乗れないじゃん」

 

 こんな憂鬱な気分のときはバイクに乗ってその辺を走るにかぎるんだけど、それすらできない。

 

 土砂降りの中を走ったことがないわけじゃないけど、そういうのはしかたなくやるものであって好き好んでやるようなことじゃない。

 

「あーあ、ビーちゃん錆びちゃってるだろうなあ」

 

 液晶を眺めながら双葉が憂鬱そうにぼやく。

 

「そういえばこの前もミラー磨いてたよね。古いんだから交換しちゃえばいいじゃん」

 

「あの角度が気に入ってるの」

 

「そういや自分で曲げたって言ってたっけ」

 

 ミラーなんて後ろが見えればいいじゃんって思うけど、相変わらずこの子のこだわりはよくわからない。

 

「ていうか、もう1人もちゃんと面倒見てあげないと拗ねちゃうんじゃない?」

 

 わたしはビーちゃんの隣で眠っているだろうもう一台のバイクを脳裏に描きながら言った。

 

「あの子はいいの。どうせ新しいし」

 

「ふぅん、まあなんでもいいけど」

 

 肩を並べてテレビを見ながらなんてことない話をする。雨ばっかりで憂鬱だけど、これはこれで悪くない。

 

 そんなことを考えながら2人でぼんやりとテレビを眺める。いつの間にか映画は主人公が襲われているシーンに入っていた。

 

「おー、CG気合い入ってるねー すごくない双葉……双葉?」

 

「……へっ? あ、う、うん、そだねー」

 

 わたしの言葉が耳にはいってないのか、しどろももどろな返答をする双葉。

 

 大きな音がなるたびにちっこい身体を縮こませて小さく悲鳴をあげている。

 

「ふぅーん……もしかして、怖い?」

 

「べ、べべつにそんなことないっ!?」

 

 怪物が飛びかかるシーンにびくりと飛び跳ねる。やっぱ怖がってるじゃん。

 

 強がっちゃって、かわいいなあ。

 

「手、握ってあげよっか?」

 

 ニヤニヤしながら双葉に聞く。

 

 わたしの提案に双葉はなにも言わずに膝の上で握りしめていた手をそっとソファのクッションに置いた。

 

 白くて綺麗な指。

 

 短く切り揃えられた爪はやすりで丁寧に磨かれていてツルンとした光沢を放っている。

 

 双葉の指、けっこう長いなあ。わたしの指を絡めたら、どんな感触なんだろう。

 

 高鳴る心臓の鼓動を感じながら自分の手を近づける。

 

「あはは、やっぱやめとくよ」

 

 伸ばしていた手をすっと差し戻す。そうだ。もう自分勝手なことしないって決めたんだ。

 

「実はさっきから手汗すごいんだよねー 双葉もやでしょ?」

 

「え? あ……うん」

 

 わたしがおちゃらけて言うと、双葉はどこか暗い表情で小さく返事し、膝を抱えてテレビを見始めた。

 

 眼鏡の奥のにある感情の読めない瞳の奥ではいったいどんなことを考えているんだろう。

 

 どうせ考えてもわからない。いいかげんテレビを見よう。

 

「……ないのに」

 

 視線をテレビに戻す瞬間、双葉がなにかつぶやいたような気がしたけど、雨の音とテレビの音でけっきょく何を言ってるのか聞き取ることはできなかった。

 

 

 

 

 

「ふぁぁ、寝よ」

 

 壁のスイッチを切る。電灯の灯りが消えてカーテンの隙間から差し込む街灯の灯りが部屋を薄暗く照らす。

 

 ブランケットを被りベッドに横になる。少しだけ開けた窓から聞こえる虫の鳴き声と、夜のひんやりした風が火照ったわたしの身体を涼しくしてくれた。

 

「明日バイトかぁー めんどいなぁ」

 

 どうせ明日も雨なんだから双葉と一緒にだらだらしたかった。あ、でも双葉もバイトだっけ。ダメじゃん。

 

「まぁ、いいや。寝よ」

 

 目を瞑る。一日中部屋でだらだらしてたせいか、正直全然眠くない。

 

 けど眠れないからって調子に乗って夜更かしとかすると明日が辛くなる。

 

「……双葉、あのときなんて言ってたのかな」

 

 昼間映画を見ていたときのことを思い出す。手を握ろうとしてやめたとき、双葉はなにかつぶやいていた。

 

 雨と映画の音で聞きとることはできなかったけど、なにか言っていたのだけははっきりと覚えている。

 

「やっぱ、気使わせちゃってるのかな」

 

 鈍い双葉だってここまでされればいい加減気づいていたっておかしくない。

 

「どうすればいいのかな……」

 

 考えを巡らしてもそれらしい答えは一向に見つからない。

 

「やっぱちゃんと言わないとダメだよね……」

 

 あのときなんでなあなあにしちゃったんだろう。

 

 わたしのバカ。あそこできっぱり言ってればこんなことにならなかったのに。

 

「はぁ……」

 

 ため息が漏れ出る。

 

 人を好きになるって、こんなに大変なことなんだなあ。わたしのお父さんとお母さんもこんなふうに悩んだりしたんだろうか。

 

「指、綺麗だったなぁ」

 

 バイクとかよく素手で整備してるせいかちょっと荒れてたけど、それでも白くて長くて綺麗な指だった。

 

 あの指で触られたり撫でられたりしたら、どんな気持ちになるのかな……

 

「……双葉、もう寝たかな?」

 

 耳を澄まして隣の部屋の物音を探る。とくに物音はしない。たぶん寝たんだろう。

 

「ちょっとだけ、ちょっとだけだから……」

 

 意を決して手を下に伸ばそうとした、その時だった。

 

 コンコン、突然ドアがノックされる。

 

「ひゃぁ!?」

 

『だ、大丈夫!?』

 

 間抜けな叫び声をあげてベッドから跳ね起きると、ドアの向こうで双葉の焦った声が聞こえた。

 

 お、起きてたんだ。危なかった……

 

『なんか叫び声聞こえたけど、なにかあった?』

 

「だ、大丈夫大丈夫。うとうとしててびっくりしただけだから」

 

『そっか……えっと、入ってもいい?』

 

「い、いいけど……」

 

 わたしが了承すると、ドアがゆっくりと開いて双葉が入ってきた。

 

 暗くてあまり見えないけど、顔を赤くしてモジモジした様子でわたしを見ている。

 

「ど、どうしたの?」

 

 わたしが聞くと、双葉はなにも答えずにこっちに歩いてきた。え、なにどういうこと?

 

「双葉?」

 

 するするとブランケットの中になにか暖かいものが入り込んできた。微かに香るシャンプーの匂いがわたしの鼻をくすぐった。

 

 薄暗いベッドの上で、あどけない表情を浮かべた双葉が下からわたしを見つめる。

 

「……一緒に寝ていい?」

 

「へっ? べ、べつにいいけど」

 

「そっか……えへへ、ありがと」

 

 しどろもどろになりながらも答えると、双葉はにへらと笑ってベッドに横になった。 

 

 本当にいきなりどうしたんだろう。ここ一週間別々に寝てたのに。なにか怖い夢でも……

 

 あっ、もしかして。

 

「昼間見た映画で怖くなっちゃった?」

 

 思い当たる節をぶつけてみる。というかそれしか考えられない。

 

「……ノーコメントで」

 

 やっぱ怖かったんだ。

 

「ふぅーん、そっかー あれけっこう怖かったもんねえ」

 

 普段あれだけボクのほうが年上だ年上だなんて言うくせに、こういうところはほんとに子供っぽいんだから。

 

「あたしらもうすぐ20歳だぞー お子ちゃまだなー双葉は」

 

「……うるさい」

 

 わたしがからかって言うと、双葉は拗ねたように寝返りを打ってわたしに背を向けた。

 

「ていうかいつも血が出るゲームでやってるのに、映画は怖いんだ」

 

 荒れ狂う心臓と動揺を悟られないように平静さを装ってたずねる。実際気になるっちゃ気になる。

 

 あんな気持ち悪い敵と戦えるのに映画は怖いっていうのが理解できない。

 

「やるのと見るのは違うんだよー」

 

「そんなもん?」

 

「そんなもん」

 

「ふぅーん」

 

 適当に相槌を打ちながらわたしも横になる。

 

 ちょっと下を向けば肩やうなじが目に入って正直気が気じゃない。

 

 しかもついさっきまであんなことをしようとしていたばかりだ。はっきり言って今のわたしには劇薬にひとしい。

 

 一週間前までは毎日のようにしていたのに心臓がバクバクと脈打って苦しくてしかたがない。

 

「やっぱり一緒に寝ると安心するね……」

 

「そ、そう? 暑苦しかったりしない?」

 

「べつに、大丈夫だよ。それにボク、綾乃と一緒に寝るの好きだから……」

 

 背中を向けているから顔は見えないけど、声を聞けば本心から言っているのがわかった。

 

 またそうやって……

 

 勘違いさせるようなことばっかり言ってると、いつか本当に後悔しちゃうよ?

 

「子供のころからいつも1人で寝てたからかな? 誰かがいてくれるだけで、すごくうれしいんだ……」

 

 だからその……双葉はそう言いながら寝返りを打ってわたしの胸元に顔を埋めた。

 

「また、前みたいに一緒に寝たいなって……」

 

「……いいに決まってるじゃん」

 

 わたしはそれだけ言って双葉の頭を優しく撫でた。断ることなんてできなかった。

 

 嘘ばっかりのわたしだけど、これだけは嘘偽りのない本心だった。

 

「そっか……えへへ、ありがと……」

 

 どこか舌足らずな笑い声。もう眠いのかな。寂しい思いさせちゃってごめんね。ゆっくりおやすみ。

 

「だいすき、だよ……あやの……」

 

 声が尻すぼみなっていく。やがて聞こえる小さな寝息。安心して寝ちゃったみたいだ。ほんと、子供なんだから。

 

「わたしも、好きだよ……」

 

 頭を抱きしめながらつぶやく。きっと聞いちゃいないだろう。

 

 試しに肩を少し揺すってみても返ってくるのは小さな寝息ばかり。好きな人がわたしの腕の中にいて、無防備に寝ている。

 

「好きだよ。双葉」

 

 起こさないように小さくつぶやく。

 

 シャンプーの匂いと少しばかりの汗の匂いを嗅ぐと、静まりかけていた欲望が再び鎌首をもたげるのがわかった。

 

「好きだよ……大好きだよ……ずっとずっと、好きだったんだよ?」

 

 溢れ出る感情に身体のコントロールがきかない。肩を押して仰向けに寝かせ、覆いかぶさるように抱きつく。

 

 素足を絡ませ、白い首筋に吸い付く。ボディソープと汗の味、好きな人の味……

 

「ごめん、ごめんね双葉」

 

 謝りながら頬や瞼に口付けする。

 

 そのたびにビリビリとした電流のような気持ちよさが身体を突き抜けていく。

 

 起きて、起きてよ双葉。起きてわたしのこと止めてよ。

 

 今、酷いことしてるんだよ? なんでそんなに安心した顔で寝てるの?

 

 ねえ、起きなきゃダメだよ。じゃないと、もっと酷いことしちゃうよ?

 

 それでも起きないっていうなら……

 

「もう、どうなっても知らないよ?」

 

 白い首筋にキスをする。

 

 明日のバイト遅刻しないといいけど……わたしは双葉に覆いかぶさりながらそんなことを考えるのであった。

 

 

 

 

 

 

「雨、止まないなぁ……」

 

 相も変わらず降り続けている雨をソファーに座りながらぼんやりと眺める。

 

 あれからまた一週間が過ぎた。高校と違って、大学の夏休みは始まるのがちょっと早い。

 

 うちの大学もその例に漏れず、今日から夏休みだ。

 

「やっと夏休みだー!」

 

 解放感に包まれ思わず手足を伸ばす。これから約ひと月半の長いおやすみが始める。

 

 それだけでもテンションが上がるのに、8月になれば待ちに待った沖縄旅行が待っているのだ。

 

 好きな子と旅行。テンションが上がらないわけがない。

 

「しかも双葉と2人きり……」

 

 空気を読んでくれたのか、それとも本当に用事があるのか、リンちゃんは沖縄旅行の話を断った。

 

 今ごろはなでしこと仲良くキャンプの話でもしてるんだろうか。

 

 双葉は残念そうだったけど、わたしとしては好都合だ。我ながら性格悪いなって思うけど、そういうふうに生まれてきちゃったんだからしかたない。

 

「なんか嬉しそうだねー」

 

 台所から戻ってきた双葉が両手にコーヒーの注がれたマグカップを持ちながらわたしの隣に座った。

 

「はいどーぞ」

 

「ありがと」

 

 淹れたてのコーヒーを受け取り匂いを嗅いでからひと口。

 

 爽やかな苦味と香りが口の中に広がる。やっぱ双葉の淹れるコーヒーが一番おいしい。

 

「おいしいコーヒーを片手に優雅な夏休み……これを幸せと呼ばずしてなんと呼ぼー!」

 

「あはは」

 

 ふざけるわたしに双葉も楽しそうに笑う。

 

「これで雨さえ止んでくれれば最高なんだけどなあ」

 

「ほんとになー」

 

 恨めしげに窓の外を眺める双葉にうなずく。

 

 今年の梅雨はちょっと長いみたいで、去年の今ごろなら気持ちのいい青空が広がっていただろう。

 

 暑いのは嫌いだけど、こうも雨が続くとさすがにうんざりしてくる。

 

「でも、ボクけっこう好きだけどね。こうやって雨の日にのんびりするのも。いつかテントの中で雨眺めてみたいなあ」

 

「それ片付け絶対地獄じゃん」

 

「だよねー」

 

 二人で笑いあう。こうして二人で過ごす時間がすごく幸せで、だからこそ切ない。

 

「ふぁぁ、ちょっと眠くなってきちゃったなあ」

 

 コーヒーを飲みながら大きなあくびをする双葉。瞬きの回数も心なしかいつもより増えている。

 

「まーた夜中までゲームやってたでしょ。健康に悪いぞー」

 

「だって全然いい装備手に入らなかったんだもん」

 

「はいはい、残念残念」

 

「うわ、めっちゃ他人事」

 

「そりゃそーでしょ」

 

 なんてことない世間話。5分もすればなにを話していたのか忘れるような、そんな無益な会話。

 

 でもそれが楽しい。きっと一人で上京していたらこんな充実した生活は送れなかっただろう。

 

 コーヒーをすする。そうだ。せっかくだしお菓子でも食べよっと。

 

「ちょっとお菓子取ってくる」

 

「……ふぁーい」

 

 眠そうにあくびする双葉にそう言って台所に向かう。

 

 そして、戸棚にしまってあるお菓子の袋を適当に取ってソファーに戻った。

 

「取ってきたよー……って、あれ?」

 

「……すぅ……すぅ」

 

 もう寝てるし。ほんの数十秒前まで起きてたのに。双葉ってほんと寝るの早いよなあ。

 

 ソファーに横になって気持ちよさそうに眠る双葉。雑に寝たせいか、Tシャツの裾が捲れて白いお腹が丸見えになってしまっている。

 

「そんなところで寝たら風邪引くぞー」

 

 顔の前にしゃがみこんで頬をつつく。やっぱ全然起きない。わずかに開いた口から小さな寝息が漏れる。

 

「ほんと……警戒心なさすぎでしょ」

 

 無防備に眠りこけているこの子を見ていると、ゾクゾクとした欲望が湧き起こってくるのを感じた。

 

「もうちょっとさ、人を見る目養ったほうがいいよー」

 

 だからわたしみたいな悪い奴にいいようにされちゃうんだよ? 

 

 でもしょうがないよね。双葉が無防備すぎるのがいけないんだよ。

 

 顔をゆっくりと近づける。今日はどうしよっかな……

 

「そういえば、まだキスしたことなかったっけ……」

 

 寝ている双葉にあれこれするようになってからも、唇にだけはキスはしなかった。

 

 わたしのつまらない意地が唇にキスをすることを拒んでいた。もっと酷いことだってしているのに、今さらなにをためらってるんだろ。

 

 でも、もういっかな。

 

「……ごめんね、双葉」

 

 謝りながら唇に顔を近づける。

 

 ほんのり桜色に色づいた綺麗な唇。そんな唇にわたしの唇が触れたら、いったいどんな気持ちになるんだろう。

 

 あと少し、あとちょっと……

 

 目を瞑る。

 

 

 

 

 

「……やっぱ、そうだったんだ」

 

 聞こえるはずのない声がした。

 

 慌てて目を開く。両目をしっかりと開いた双葉が、わたしをはっきりと見つめていた。

 

 全身の血の気が一気に引くのを感じた。

 

 え、嘘、なんで起きてるの……もしかして、寝たふり?

 

「綾乃、今なにしようとしてたの?」

 

 起き上がった双葉がどこか悲しそうな目でわたしを見る。

 

「ふ、双葉!? えっと、その、こ、これは! そ、そう! ゴミ取ろうとしてたの!」

 

 慌てて後退り、必死に言い訳を考える。そんなわたしの姿に双葉がさらに悲しそうな目をした。

 

「ボクの勘違いじゃなかったらさ、キスしようとしてたよね?」

 

「ち、ちがっ」

 

 言葉がでない。頭の中が真っ白になる。やばいやばいやばい! なにか、なにか言わないと!

 

「最近、なんかおかしいなって思ってたんだ。ボクが寝たあと、いつもこうしてたの?」

 

「そ、それは、その……」

 

「……綾乃?」

 

 怒っているわけでも、軽蔑しているわけでもなく、ただただ悲しそうに、それでいて寂しそうにわたしを見つめる。

 

 こんなとき、どうすればいいんだろう。

 

「ごめん!」

 

「あっ、綾乃!?」

 

 悩んだ末にわたしが選んだ選択は、逃走だった。

 

 引き止めようとする双葉を振り切って、部屋着のままサンダルだけ履いて玄関の外に飛び出す。

 

 ザーザーと降りしきる雨の中、濡れるのも気にせず走り続ける。

 

 ぐっしょりと濡れたシャツが肌に張り付く。

 

 見られた。ついに見られてしまった。わたしが双葉に酷いことをしてるのがバレてしまった。

 

 なんでわたしあんなことしちゃったんだろう。一緒にいられればそれだけでよかったのに!

 

 わたしが余計にほしがったから、全部台無しになっちゃじゃん!  

 

 双葉に嫌われる。大好きな人に嫌われれる。軽蔑される。

 

 大雨の中立ち止まり、膝を抱えてしゃがみ込む。

 

 大雨のせいなのか、それともわたしが泣いているせいなのか、視界が滲んでなにも見えない。

 

「もうやだよぉ……」

 

 誰もいない街の中で、ただ一人泣きづつける。終わっていく。わたしの恋が終わっていく。

 

 そう思ったそのときだった。

 

「綾乃!!」

 

 大雨の中、聞こえるはずのない声が聞こえた。

 

 ゆっくりと振り返る。

 

「よかった……いた……」

 

 肩で息をした双葉がわたしのうしろに立っていた。

 

「ふた、ば?」

 

 ゆっくりと立ち上がり双葉と対面する。

 

 もしかして、ここまで走って追いかけてきてくれたんだろうか。よっぽど必死だったのか、こんな大雨なのに傘もさしてないせいで髪も服もびしょ濡れだ。

 

「帰ろう? こんなところにいたら風邪引いちゃうよ?」

 

 荒みきった心に双葉の優しい言葉が染み渡る。 

 

「……帰れ、ないよ」

 

「どうして?」

 

「だって、双葉にあんなひどいことしてたのに……」

  

「気にしてないよ。えへへ、まあ、ちょっとびっくりしたけど」

 

 そう言って笑いながら頬をかく。なんでそんな平気でいられるの? わたし、あなたに酷いことしてたんだよ?

 

「わたしね……双葉のことが、好きだったんだ」

 

 摩耗しきった心が、覆い隠してい本音をこぼす。これ以上隠すことなんてわたしにはもう無理だった。

 

「それって……」

 

「……うん、そういう好き、だよ」

 

 わたしの告白に双葉の目が見開く。

 

「はじめてあったときからずっと……双葉にね、恋してたんだ」

 

 旅の話をするあなたが好きだった。

 

 ヘタレなくせに友だちのためならどこまでも優しくなれるあなたが好きだった。

 

 からかうと顔を真っ赤にして恥ずかしがるあなたが好きだった。

 

 ちっちゃいのに必死にバイクにしがみついて走る後ろ姿が好きだった。

 

 おいしそうにご飯を食べるあなたが好きだった。

 

 コーヒーを淹れる後ろ姿が好きだった。

 

 ずっとずっと、好きだった。大好きだった。

 

「……そっか」

 

「怒らないの?」

 

「なんで?」

 

「だって、ずっと騙してたんだよ? 本当は好きなのに、友だちのふりして一緒の部屋に住んで……騙してひどいことして……」

 

 謝ったところで到底許されることじゃない。だけど、謝らずにはいられなかった。

 

「毎日毎日、なにしてたか知ってる? 双葉ってば、全然起きないんだもん。もっとさ、警戒しないとダメだよ……」

 

 そうしないと心が本当にどうにかなってしまいそうだったから。

 

「ほんと、最低だよね……軽蔑したよね」

 

 視界が涙で滲んでいく。なにも見たくなくて目をぎゅっと閉じる。

 

 こんなに辛いなら恋なんてしなければよかった。出会わなければよかった。

 

 なんでもっと違う形で出会えなかったんだろう……

 

「でも大丈夫だよ? 2度と双葉の前に──」

 

 言おうとした言葉は、唇に当たる柔らかいなにかによって塞がれた。

 

 ……えっ、なにこれ? 

 

 恐る恐る目を開く。目の前に双葉がいた。唇に感じる柔らかく、甘い感触。

 

「……ん」

 

 これってもしかして……

 

 わたし……双葉にキス、されてるの? でも、どうして?

 

 予想だにしてなかった展開に頭がさっきまでとはまたべつの意味で真っ白になる。

 

 わけわかんないけど……でも、なんかこれ……

 

「……ふたっ、ん」

 

「あや、の……ん」

 

 すごい幸せ……

 

 大雨の中、抱き合ってキスをする。すごい、わたし本当に双葉とキスしちゃってるんだ。

 

 舌を絡ませ、吐息を混ぜ合いただひたすらキスに夢中になる。

 

 数十秒か、それとも数分か、時間の感覚すら忘れてしまうほどキスをしあったのち、双葉はわたしから離れた。

 

「えへへ……キス、しちゃったね」

 

 顔を真っ赤にした双葉が口元に指を当てながら嬉しそうに笑う。

 

 いつのまにか雨は止んでいて、雲の隙間からのぞいた太陽が雨に濡れた双葉の髪をキラキラと輝かせていた。

 

「ど、どういうこと?」

 

 恐る恐るたずねる。今のキスの意味はいったい。

 

 もしかして……双葉もわたしのことが……

 

 頭によぎった考えを振り払う。あんな酷いことしたのに、そんな都合のいい話があってたまるか。

 

「どっか行っちゃったら、やだよ……ずっと一緒にいてよぉ……」

 

 目尻に涙を滲ませ、懇願する姿はまるで縋り付いているようだった。

 

「ボクね、すっごい嬉しかったんだよ? 綾乃と一緒に暮らせて。一緒にお風呂入ってくれたり、髪乾かしてくれたり、添い寝してくれたり……まるで家族みたいで……」

 

 違う。わたしはそんなつもりでやったんだじゃない。

 

「だから、2度と会わないなんて……そんな、そんな悲しいこと言わないでよぉ……」

 

「でも……」

 

 わたしは友だちを騙した悪い奴で、そんな悪い奴がどんな顔して隣に居座るっていうんだろうか。

 

「ボクもね、綾乃に言わなきゃいけないことがあったんだ」

 

 姿勢を正し、わたしを正面から見据える双葉。

 

「好きです。付き合ってください」

 

 ゆっくりと、はっきりと、そして、大きな声でそう言った。

 

 ……ん? 今双葉なんて言ったんだろう。たしかこう言ったよね。

 

 好きです。付き合ってくださいって。

 

 好きです、付き合ってください。好きです、好きです……

 

「ええっ!?」

 

 事実を理解したと同時にわたしは驚きのあまり大声で叫んでしまった。

 

「ちょっ、声大きいよー!」

 

「で、でも! 好きって! 双葉が好きって! 付き合ってって!」

 

「そ、そんな何回も言わないでよー! ボクだって恥ずかしいんだよー!」

 

 顔を真っ赤にして腕をふりまわしながら恥ずかしがる双葉。

 

「ほ、ほんとにわたしのこと好きなの?」

 

「う、うん……」

 

「ライクじゃなくて?」

 

「……ら、ラブのほう、です」

 

 もじもじと胸元で指をいじりながら耳まで真っ赤にしてぼそりとつぶやく。

 

「い、いつから好きだったの?」

 

「い、一緒に暮らしはじめて、から……」

 

「えっ? それって本当?」

 

 わたしが聞くと双葉は小さく、本当に小さくうなずいた。

 

「さ、最初は、ただのルームシェアのつもりだったんだよ? でも、綾乃が毎日優しくしてくれて、毎日すっごく楽しくて、それがすごい嬉しくて……ずっと一緒にいたいなあって……」

 

 ずっと一緒にいたい……好きな子から言われた言葉に心臓が締め付けられるような感覚に襲われる。

 

「それでね、この前冗談で告白されて、その時気づいたんだ」

 

 目を赤らめ、燃えるように真っ赤な頬を真紅のように赤く染め、双葉がわたしを見つめる。

 

「ボクはこの人が好きなんだなって……」

 

 そして双葉は言った。嘘をついてるわけでも、気を使って言っているわけでもない。

 

 本当の意味で、心の底からわたしのことが好きだと言ってくれている。

 

「本当に、わたしでいいの?」

 

 震える声で聞く。信じられない。というより、信じたくない。こんな都合のいいことがあっていいの?

 

 夢、とかじゃないの?

 

「綾乃でじゃなくて、綾乃がいいの」

 

「わたし、全然なでしこみたいにかわいくないよ? リンちゃんみたいにかっこよくもないよ?」

 

「全然そんなことないよ」

 

「酷いことしたよ?」

 

「気にしてないし、ていうかむしろ……嬉しかったっていうか……」

 

「そ、そっか」

 

 はにかみながら嬉しそうに話す双葉。

 

 気を使っているようには見えない。というか双葉はそんなに器用じゃない。嘘をついたらだいたいわかる。

 

 つまり本当。本心から言ってるってことだ。

 

 じゃあこれまでのわたしの苦悩っていったい……全部取り越し苦労だったってこと?

 

「わたし、双葉と付き合っていいの?」

 

「あ、綾乃がよかったら……」

 

「エッチなことしていいの?」

 

「う、うん……」

 

 わたしのデリカシーのない質問にも顔を真っ赤にして消えそうな声でうなずく。

 

「し、していいけど……で、できれば、やさしく」

 

 あ、かわいい。ごめん、無理。

 

「ほ、ほんとに? ほんとにほんとに!?」

 

「ほんとにほんとー!!」

 

 そっか……わたし、双葉と付き合っていいんだ。好きでいて、いいんだ。 

 

 そっか……そっか。

 

 視界が滲んでいく。でも、その意味はさっきとはまるで違うのは、言うまでもなかった。

 

「ねえ、双葉」

 

 涙を拭い改めて名前を呼ぶ。

 

「なに? 綾乃」

 

「抱っこしていい?」

 

 小さくうなずく双葉。そのままなにも言わずにこっちに歩いてくる。

 

 そのいじらしい仕草に胸の高鳴りを感じながらそっと抱きしめた。

 

 双葉の身体、すっごい熱い……心臓もすごいバクバクしている。そっか、双葉も怖いんだ。

 

 なら、わたしが慰めてあげないとね。

 

「キス、していい?」

 

 わたしが聞くと双葉はなにも言わずに目を閉じた。壊してしまわないようにそっと口付けする。

 

 2回目のキスはコーヒーと雨の匂いがした。

 

「双葉、好きだよ」

 

「ボクも、好きだよ」

 

 見つめ合い、もう一度キスをするために顔を近づける。

 

「……くしゅん」

 

 けど、キスの直前に双葉が横を向いて小さくくしゃみをした。

 

「寒いの?」

 

「だって、びしょ濡れだし」

 

 そうだ。忘れてたけどお互いびしょ濡れだったんだ。

 

 ってよく見たら双葉ブラ透けてるし。ていうかあれわたしがこの前選んであげたやつじゃん。

 

 肌とか全部透けちゃってるし……ほんと、かわいいなあ……

 

 あ、そっか。そういえば、もう我慢しなくていいんだよね。

 

「……じゃあ、さ」

 

 目をじっと見つめる。潤んだ瞳がわたしの瞳を見つめ返す。

 

「……わたしが暖めてあげよっか?」

 

 耳元でささやく。抱きしめた肩がびくりと震えた。

 

「どうする?」

 

 わたしの提案に、双葉はなにも言わずしばらく考えこむようにうつむいたあと、小さく、ほんとうに小さくうなずいた。

 

「えへへ、そっか……」

 

 そんな恋人が愛おしくて、わたしはまた優しくキスをするのであった。

 

 晴れた空。暖かい日差しが濡れたわたしたちを照らし出す。そんな昼下がりの出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

「「海だぁー!!」」

 

 雲一つない澄み渡る青空の下、どこまでも広がる透き通った海を前に思わず2人で叫ぶ。

 

 かたわらのビーちゃんとエイプもどこか得意気にしているような気がした。

 

「やっとついたぁー!」

 

「疲れたよー! 双葉ー」

 

 そう言いながら恋人の背中に抱きつく。

 

 ずっとバイクに乗ってるからお互いちょっと汗臭かったけど、そんなの気にもならなかった。

 

「ここに来るまでに5日かかったもんね」

 

「双葉が鹿児島からフェリー乗ろうとか言い出さなかったらもっと早くついてたんだよなー」

 

 名古屋からフェリー乗るつもりだったのに、なにを血迷ったのか鹿児島までいく羽目になった。しかも原付で。 

 

「綾乃だってノリノリだったくせに」

 

「聞こえなーい聞こえなーい」

 

「はいはい、あと暑いから離れて」

 

「やだー」

 

 肩から回した手に力をこめて、より強く抱きしめる。

 

「……もう、しょうがないなあ」

 

 そう言って双葉はわたしの上から手をぎゅっと握ってくれた。

 

 大好きな恋人といつもどおりのくだらないやり取り。どこに行ってもわたしたちのやることは変わらないみたいだ。

 

 バイクに乗って、遠くに行って、綺麗な景色を見て、おいしいものを食べる。

 

 最近はそれにいちゃいちゃするのが加わったけど、それはまあ置いておく。

 

「これからどうする?」

 

「そーだなあ、このまま泳ぎたい気分だけど、まずは泊まるとこ決めよっか」

 

「だねー なんかいいキャンプ場ないかなー」

 

「それもいいけどさ……」

 

 肩から回していた手を腰に持っていく。

 

「どうせなら、ホテルにしない?」

 

 ニヤリと笑いながら耳元でささやく。小さな肩がびくりと震える。

 

「久しぶりに双葉成分補充したいなーって」

 

「え、あ……う、うん」

 

 含ませた意味を理解したのか、耳を真っ赤にして小さくうなずく双葉。

 

「……ぃ、ぃぃょ」

 

 あーもう! ほんとわたしの恋人かわいいすぎでしょ。

 

「そーと決まればしゅっぱーつ!」

 

 ヘルメットを被り、シートに跨る。

 

 キックペダルを蹴り飛ばせばイプのエンジンがぶるぶると唸り始めた。

 

 せっかくこんな綺麗なところに来たんだ。のんびり走っていこう。

 

 でも、その前にっと。

 

「あ、双葉、こっち向いて」

 

「うん、なあに?」

 

 シートから降りてバイクに乗った双葉に近づく。

 

「ねえ、ちゅーしよ」

 

「今ヘルメット被ったばっかなんだけど……」

 

 じとっとした目でわたしを見る双葉。そういえばそうだった。

 

「あ、そっか。じゃあ……」

 

 双葉のヘルメットに手を当てて、顔をそっと近づける。

 

 コツン。晴わたる青空の下、青と白のヘルメットがぶつかった。今はこれで我慢。

 

「大好きだよ」

 

「……ふふ、ボクも大好きだよ」

 

「うーん、惜しい! 90点」

 

 残りの10点はなんなんだとぼやく双葉を横目にバイクに跨る。さあ、出発だ! 

 

 クラッチを握りギアを上げる。アクセルを煽り走り出す。

 

 燃え盛るような夏空の下、わたしたちは走り出す。

 

 ここに来るまで本当にいろいろあったけど、わたしは今最高に幸せだった。

 

 ずっと一緒にいようね。双葉。




土岐綾乃編完結です。

抜き取ったページは作品一覧からどうぞ(R18注意)
https://syosetu.org/user/3567/

次回は番外編ではなく、予告していたおまけを本編に投稿します。

ではまた。
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