文明の光が消えた世界で、生き残った男が咲かせた花の話。

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企画参加作品です。


君に散華の花束を

 風に乗って肌を切り裂くような冷気が服の隙間から入り込む。昔は冬の空気の方が脳が冴えて好きなんだ、などと気取った事を言っていたがこんなものクソくらえだ。痛くてならねぇ。

 

 

 この国でオーロラが見えるようになったのは、いつの頃からだったろうか。

 

 

 見上げた先でゆらゆらと色彩を変える神秘のベールに、いつか部屋で寝転がりながら仰ぎ見たレースのカーテンが重なった。生ぬるい風に吹かれて膨らんだ白い布の向こう側。そこに見えた真っ青な空は、時の地層に埋もれて久しい。

 白く降り積もった雪に似た欠片にざくざくと足跡を残しながら、俺は小高い丘を登る。地理的には都会のど真ん中のはずなんだが、見渡しても文明の光はチラとも見えない。

 ……だが少しでも灯せば、"奴ら"がやってきてその全てを薙ぎ払うだろう。

 

 

 氷鬼。

 

 俺はあいつらをそう呼んでいる。

 

 

 SF映画のように宇宙から派手に侵略に来たわけでも、大地を切り裂いて地中世界から出てきたのでも、大波を起こして深海世界から現れたのでもない。本当に「ある日突然」としか言いようがないほど前触れなく、奴らはぬるりと生えてきた。……気づけば、そこに立っていたのだ。

 見た目は巨人。体中が氷のようなクリスタル質の何かで出来ていて、高層ビルほどの馬鹿みたいな身の丈。頭部にはそれこそ鬼のように角に似た突起が一本から三本生えている。それが数えるのも馬鹿らしいくらいに、わんさか現れた。しかもこれが全世界同時刻ってんだから笑っちまう。

 異常事態を前にしてもSNSに画像を上げることに余念がない奴らのおかげで、これが日本だけの出来事ではないと知ることが出来た。

 ……ああ、懐かしいな文明の利器。使えなくなってから、どれくらい経つ?

 

 奴らが現れた途端、世界は異常気象に見舞われた。

 まるで黒いビロードで地球が丸ごと包まれたように太陽の光は遮られ、星明りすら見えやしない。だってのにオーロラは見えるんだからおかしなものだ。もしかすると、あれはオーロラではないのかもしれないが。

 

 人の文明はよく抵抗したと思う。

 しかし……出来る限りの抵抗をした後、半数の氷鬼を残して人が築き上げた文明は静かに息を引き取った。今は砕けて降り積もった氷鬼の欠片の下に眠っている。

 よく戦ったと、賛辞を贈るべきなのだろうな。俺は研修所のシェルターの中で、その抵抗をずっと見ていたから。……けど、その抵抗がほとんど意味をなさなかったことも知っている。

 半数の氷鬼が消失したのは人類が倒したからではなく、自壊したからだ。

 

「……ふぅ」

 

 目的の場所に到着し霧のような息を吐き出す。これを見ると、まだ自分にも体温があるらしいと実感できて少し笑えた。

 身をかがめ、目印を探す。……あった。

 目印として立てていた鉄の棒はほとんど埋まっていた。

 氷鬼の体は見た目に反して軽いらしく、砕けた体は風に吹かれてくるくる舞い飛ぶ迷惑な循環を繰り返している。スノードームみたいだが、俺は一度もそれを綺麗だと思ったことはない。

 降り積もった欠片をかき分けていく。そして目当てのものを見つけると、引き結んでいた唇が綻んだ。

 

 

陽花(ほのか)

 

 

 名前を呼ぶ。厚い結晶の下で、長い黒髪を扇のように広げて横たわる女性の名を。

 

 ライトがぼんやり浮かび上がらせる彼女は、未だ美しいままだった。この時ばかりは純度が高く透明な結晶に、ほんの少しだけ感謝する。

 

 この場所に居るのは彼女だけではない。下にも、周りにも沢山の人間が結晶に包まれ埋もれている。ここは人間で出来た丘なのだ。

 

 氷鬼は人を食う。だがあの図体だってのに小食で、一度に食べる量は非常に少ない。だったら襲うなと言いたいが、そんな言い分が通用する相手でもなく……奴らは食べ切れない食料を結晶で覆って保存した。

 この場所は奴らの食糧庫。ここの縄張りの主は現在こうして砕け、降り積もっている有様なのですぐに食われることは無いだろう。だがいつ別の個体がやってくるか分からない。

 ……俺に残された時間は、あとどれくらいだろうか。

 

「助けるからな」

 

 我ながら愚かなセリフを吐く。けど俺をこの世に縫い留めてくれている(よすが)はもう、陽花だけなのだ。

 縋るように結晶越しに口付けた。唇が張り付き、引き剥がす時は血だらけだがこの寒さだ。それもすぐ凍る。

 

 

 

 

『私は夏が好きだよ』

『俺は冬が好きだ。澄んだ空気が脳を洗ってくれる』

『うわ、ま~た変な言い回しするー。気取っても逆にかっこ悪いよ?』

『何とでも言え』

 

 群青の空。白い雲。盛りの緑。濃い影。燃え盛る夕日、祭囃子に蝉の声。艶々のりんご飴をかじる白い歯と……暗い夜空に咲いた、無数の火の花。

 

 君を見ると、夏の記憶が残照のように蘇る。

 

『夏で一番好きなのはね、花火! ほら、私の名前もひっくりかえせば花陽。はなひ。はなびって読めるでしょ! だから好き!』

『単純』

『単純で結構! でも、出来たらロマンチストと言ってもらいたいわ』

『ロマンチストは誉め言葉なのか?』

『リアリストよりは好きな響きよ、リアリストの(かおる)くん!』

『は? 貶してる?』

『そのご立派な頭で考えてみてはどうでしょうか。は・か・せ』

 

 たわいないやり取りだ。しかし頭の中でずっとリフレインするこの声を(しるべ)に……長く、永く歩いてきた。

 

(けど、それもあと少しで終わるな)

 

 

 

 背中を丸め緩慢な動きで帰路を辿った。住処にしているシェルターへ帰りつくも、ほっとするどころかひどく寂しい。

 

「……ッ」

 

 注射痕が隙間もないほど俺の細くなった腕を埋め尽くしている。今もまた、一つ増えた。

 何度も繰り返しているくせに痛みに慣れない自分は虚弱だと思う。

 

 

 ――――山のように降り積もる氷鬼の体が全部、不老の薬だと知ったら滅びていった人類はどう思うだろう。

 

 

 忌々しい害獣の残骸を体に流し込んで生きている俺を滑稽だと笑うだろうか。愚かだと罵るだろうか。……羨ましいと、思うだろうか。

 答えてくれる声はない。

 

 あの鬼どもをどうにか出来やしないかと、思いがけず延びた寿命を費やした。見つけたそれは、本命の副産物。

 ……これがなければ俺はとうの昔に白骨となって、この歪な世界と同化している。

 

 胎児のように体を丸める。この薬を打ち始めてから副作用で眠れたためしはないが、食べなくても活動できる体になったことはありがたい。

 

「明日。明日だ……」

 

 うわごとの様に呟いて瞼を閉じた。

 夢見ることなく脳に刻まれた記憶を反芻する、最後の時間が過ぎていく。

 

 

 

 

 

 

 

 俺は再び陽花が眠る丘を登る。手には液体の入った瓶がひとつ。

 遠くから天と地を鳴動させるような音が聞こえる。これは氷鬼の鳴き声だ。

 

「ふん」

 

 鼻で笑って歩を進める。どうやら新たな縄張りを求めてきたらしいが俺にはもう関係ない。この生活も今日で終わるのだから。……きっと。

 

「ほのか。陽花。遅くなって、ごめんな」

 

 自分でも驚くほどに穏やかな声が出る。話し相手が居なくなった今も、この時ばかりはうめき声以外の音を発することができるのだ。

 再度欠片の粉末をかき分けると、みすぼらしい俺と違って傷一つない君は今日もそこに居た。確認出来た瞬間、毎回安堵する。

 

 

 胸いっぱいに冷えた空気を吸い込んだ。肺も内臓も何もかも、凍てつく刃で切り刻めといわんばかりに、めいっぱい。

 

 俺は手に持っていたちっぽけな瓶を揺らす。中に入っているのは山吹色の液体だ。

 吐き出した白い息を確認する暇もなく、急くように瓶の蓋を開けた。それを振り抜くようにして宙にまく。

 

(ああ、)

 

 液体が一瞬、太陽色に輝いた。久しく見ていなかった光の色。

 俺はそのちっぽけな奇跡を見届けると、どかっと地面に座り込む。一発本番の大勝負だったが、やはり自分は非才の身だったかと落胆して。

 しかし俺は早計だったようだ。

 

「…………え」

 

 パチパチと炎が爆ぜるような音がしたかと思えば、目の前にぶわっと光が乱舞した。その弾けた火花のような、無数の蛍火のような細かに舞う光の粒子を見て口元に笑みが浮かぶ。

 光はたちまち波のように広がっていく。

 それはそうだ。この歪なスノードームの中で舞い飛ぶ雪のような氷鬼の欠片……それ全てに伝播し始めたのだから。

 

 俺はこの氷鬼は、人が作ったものだと思っている。こいつらの体を構成する物質にそれぞれ違った刺激を与えると、ひとつは不死の薬に。もう一つは……それと真逆の性質を持つのだ。

 こんな趣味の悪いもの、作るとしたら人じゃないか?

 そいつにとってこの結果にたどり着いた俺は、手のひらで踊る人形なのかもしれない。でも、知った事か。

 

 

 広がり、舞い、破裂する。

 美しさとは裏腹に、それらが持つ性質は破壊だ。このまま地表に降り積もった欠片と今も動いている氷鬼、全てにこの光が灯ればこの星は消えてしまうかもしれない。

 …………それでいい。

 

 

「陽花。君は夏の花火を好きだと言ったが、寒い方が綺麗に見えるんだぜ」

 

 結晶の下の愛しい人へ語り掛ける。

 

 知ってた。知ってた。知ってた。

 いくら綺麗に残っていようと、もう生きていないことくらい。

 

「あとな、君が花火を好きな理由を聞いてから、実は俺は花火が嫌いになった。だって、花火は綺麗だけど一瞬で消えてしまうじゃないか」

 

 一瞬なんて嫌だ。俺は君とずっと一緒に過ごしたかった。

 

「だけど陽花が好きだと言ったから、これは俺から君への最後の贈り物」

 

 半身は青く凍え、もう半分は爆ぜる光に焼かれて爛れる。だけど俺の目はまっすぐに光の波へと向いていた。

 

 久しぶりに見る光は失われた多くのものを想起させる。

 春の陽光、夏の花火、秋色に輝く穂の波。冬ばかりだったこの世界に他の季節が戻ってきたかのようだ。

 

 だけどやはりここは花束と言い表そう。花弁が散るばかりの花で申し訳ないが、贈り物だからな。

 

 

 

「ああ、綺麗だなぁ」

 

 

 

 爆ぜろ、爆ぜろ、火の花よ。そして宇宙に光の花を咲かせてみせろ。

 

 

 

 

 その日、献花というには荒々しく、終焉と言うには華やかな色どりが……星ひとつを飲み込んで、ぽっと消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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