溶鉄のマルフーシャの二次創作です。フェリセット編。ネタバレやフェリセットの過去に関する妄想設定あるのでご注意ください。

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第1話

 とある時代のとある世界で、長い長い戦争があった。いつ終わるとも知れない戦いの中で、パン屋の少女マルフーシャは義妹から引き離され、国の内と外を隔てる外門の衛兵となった。

 

 この国は孤独だ。周りの全ての国と戦争状態にあり、国民は十の等級に区別され、内でも外でも争ってばかりいる。五等級国民のマルフーシャにとって、衛兵の仕事はその争いが外に向けられる物にすり変わっただけだった。義妹さえ守れればいい。そう低級民の少女は思った。

 

 国から与えられる給与は多くなかった。税や諸々で控除され、そのうえ自腹で武器や人員を買わなければならなかった。この国は命を懸けてまで守る価値があるのだろうか。多分なかった。義妹さえ守れればいいのだ。

 

 マルフーシャは戦った。敵は人間ではなかった。多分、無いはずだ。ガチャガチャと耳障りな音を立てて、機械の『兵士』が日夜この国の門に突撃してきた。話によると前線から抜けてきた残党をここで処理するだけらしい。それにしても門の前で戦うのが自分だけというのは、本当にこの国は勝つ気があるのだろうか。自分が知らないだけでとっくにこの国は負けているのかもしれない。お偉いさんの逃げる時間稼ぎをさせられているだけなのでは? 

 

 いっそのこと、通してしまおうか。そう思いそうになった時だった。時折訪れる静寂の時間。マルフーシャが雇用候補リストになんとなく目を通していると、一人気になる人物を見つけた。

 

 フェリセット、狙撃手。女性。そこまではいい。目を引いたのは「二等級国民」の文字だ。どんなエリートなのだろう。ほとんど天上人、雲の上の存在だ。気が付くとマルフーシャは電話を手に取っていた。

 

 翌日、件の人物がマルフーシャの宿舎に現れた。長く緩やかに波打つ銀髪、若々しい肌。長いまつ毛に挟まれたアメジスト色の目。こんなお人形さんみたいな少女が本当に戦えるのだろうか。正直、どきどきした。

 

「狙撃手、フェリセットですわ。お見知り置きを」

「えっと、マルフーシャです。よろしく」

 

 間を持たせる手段に乏しいマルフーシャはおずおずと握手を試みた。が、フェリセットは目の前に居なかった。その御令嬢は突然床にうつ伏せになっていたのだ。

 

「ど、どうしたんですか。具合悪いとか?」

 

 慌ててマルフーシャが傍にしゃがむと、猫のように身体を丸めたフェリセットから安らかな寝息が聞こえた。

 

「・・・・・・」

「すや・・・・・・」

「あの、今からたぶん戦いになりますよ」

「そしたら、起こしてください・・・・・・」

 

 マルフーシャは立ち上がり、銀色の毛玉と化した少女を見下ろした。

 

(この国は、やっぱりダメかもしれない)

 

 数刻後、警報が鳴る。マルフーシャは安っぽい短機関銃を掴み、門の外に駆け出た。平原の向こうから例のブリキの兵隊がのこのこと歩いてくるのが見える。

 

「小さいの三、大きいの一、飛んでるのが四。いつもより多い・・・・・・」

 

 マルフーシャにとって幸運だったのが、あのブリキ共は門を壊すことしか頭に無いということだ。単純な命令を実行しているだけなのだろう。おかげで今も死なずに済んでいる。ただ、あの量をこんなちっぽけな短機関銃だけで壊しきれるだろうか。ぎゅっと銃把を握りしめると、ぎしりと安っぽい銃が軋む。

 

 もし任務に失敗すれば、自分の等級が下げられることも有り得る。最下層である十等級国民は人間とみなされず、強制的に『更生施設』行きになる。更生施設とは名ばかりの物で、ただ人間が好き勝手されるだけのおもちゃ箱だ。マルフーシャが背水の陣とばかりに突撃しようとした時だった。

 

 雷鳴。突然そうとしか言いようがない轟音がした。それはマルフーシャの背後からで、どうやら銃の音らしいと気付くのに少しかかった。振り返ると、例の毛玉・・・・・・もとい、フェリセットが門のすぐ前に居た。伏せ撃ちの姿勢で、大きな長い銃を構えている。あれが狙撃銃というものらしい。連続でフェリセットが銃を撃つ。短機関銃が届かないような遥か遠くで、ブリキ達は全ておしゃかになった。

 

「今日の仕事、終わっちゃった・・・・・・」

 

 恐怖が安堵に変わり、マルフーシャが門に戻る。フェリセットは既にうつらうつらとしていた。

 

「あの、助かりました」

「いえいえ、私の仕事ですから。ふわぁ」

「じゃあ、取り敢えず戻りましょうか」

 

 引き上げようとするマルフーシャは、座り込んで動かないフェリセットを振り返る。

 

「どうかしましたか。帰りますよ」

「お姉さん、私をおぶっていってくださぁい」

「・・・・・・」

「後生ですからぁ」

(この国は、こんなのでも守れるならまだ大丈夫かもしれない)

 

 数十分後。マルフーシャは背負ってきたフェリセットをベッドに捨てた。

 

「おふとん、何日ぶりかしら」

「寝てないのですか?」

「いつも床で寝てしまうから・・・・・・」

 

 マルフーシャはもう何も言わなかった。優秀と自堕落は不幸にも両立してしまうらしい。取り敢えずシャワーを浴びようとした時だった。

 

「私も連れてってくださぁい」

「さすがにそれは自分で」

「トイレもしたいです」

「逆に私にどうしろと」

「後生ですから」

「・・・・・・」

「漏れちゃいます。あっ、もう・・・・・・だめ」

「勘弁してぇ」

 

 マルフーシャはお人形さんのように美しく動かない少女の服を剥ぎ、トイレのあるユニットバスまで運んだ──

 

 

 それからというもの、戦いが終わるとフェリセットの世話を焼くのがマルフーシャの日課となった。宿舎に戻るなり玄関にへたりこむ毛玉をベッドまで引っ張り込み、服を着替えさせ、ご飯を食べさせるのだ。配給機から吐き出される食事は当たり外れがある。今日のメニューはコッペパンと成型肉、ベジペースト、よく分からない薬が二錠。

 

「はい、フェリセット。今日は当たりだったよ。ほら口開けて」

「ありがとうございます。あーん」

 

 いつの間にか二人はそれなりに打ち解けていた。フェリセットの口に成型肉を運んでやる。フェリセットの唇がスプーンを挟むのを確認して、そっと引き抜く。

 

「美味しい?」

「ええ。お姉さんがくれるご飯ですから」

「作ったのは私じゃないけどね。というか、ちょっと楽しんでない?」

「ふふ、さあどうでしょう」

「たまには私にも食べさせてよ」

 

 マルフーシャが軽口を叩くと、フェリセットが少し考えるように動きを止め、マルフーシャの分のトレーを手に取った。スプーンで成型肉を掬い、差し出してくる。

 

「はい。あーんしてください」

 

 マルフーシャが目を丸くする。それなら自分で食べればいいのに、と思うのは無粋だろうか。だがマルフーシャは素直に口を開けた。普段と違うフェリセットの行動を楽しんでみたくなった。

 

「あーん」

「どうぞ」

 

 当たりとはいえ、配給食は美味しいとは言えない。もそもそした食感のしょっぱい成型肉を咀嚼する。だけど誰かが食べさせてくれるそれは、なんだかくすぐったいような心地よい満足感をマルフーシャに与えてくれた。

 

「美味しいですか?」

「なんだか、フェリセットが言ってた事が分かった気がするよ」

「あらあら。癖になってしまいますよ?」

「そうなったら責任取ってもらうだけだよ」

 

 そうして食べさせあいっこをしていると、フェリセットが呟く。

 

「でも、あまり良くないですよ。お互いいつ死んでもおかしくないのですから」

 

 その言葉にマルフーシャはぎくりとする。自分が死ぬことは当然想像していた。だけど、仲間を失うことについては考えたことがなかった。少なくとも、経験したことなんてない。いま自分は一人では無いのだ。良くも悪くも。

 

「そっか、自分が死ぬのは一回だけしか経験しないけど、仲間が死ぬのは生き残れば何度でも味わうもんね」

「・・・・・・お姉さん、もしかして戦争に参加したことあります?」

「ないない。ただのパン屋だったもん。なんで?」

「いえ、妙に理解が早いなって」

「そうかな。普通にそう思っただけだけど。それも言われて始めて気付いた感じだし」

「向いてるかもしれませんね。兵士」

「ええ・・・・・・二度とごめんだよこんなの」

「みんなそう言いますよ」

「確かに。フェリセットも?」

 

 その言葉に、フェリセットは答えなかった。ただいつものようにあくびをして、ベッドで隣に腰かけるマルフーシャの膝に頭を乗せる。そのまま寝息を立て始めた。マルフーシャはやれやれとため息をつき、手慰みにフェリセットの髪を撫でながら、ただつまらないテレビを眺め続けた。義妹は元気だろうか──

 

 

 衛兵となってから、マルフーシャ達は何日も門を守り続けた。戦い続ける日常に慣れ切った頃、二人は国の外に出る外門の防衛から、上級民の居住区と下級民の居住区を隔てる内門の防衛に回された。戦闘の頻度は減り、たまにあっても飛行型の機械兵を少し撃ち落とすだけで済んだ。破壊された機械兵が下級民の命や財産に損害を与えても気にしないでいいらしい。

 

 まさに義妹を下級民の居住区に残しているマルフーシャは、上級民のねぐらまでアイツらを案内してやりたい気持ちを抑えるのに苦労した。しかし、下級民といってもマルフーシャは中流階級である五等級だ。比較的危険な、四つある外門からこの内門にかけての大通りから自宅は離れている。そういう意味では、誰かにとって自分も妬みの的かもしれなかった。

 

 内門防衛部隊の宿舎はまだ平和の雰囲気を保っていた。自由に外出できず、部屋がぼろくさいのも変わらなかったが、マルフーシャとフェリセットはそれなりにのんびりと過ごしていた。

 

「ねえお姉さん。どうして私を雇ったんですか?」

 

 ある日のこと。マルフーシャがバスタブに湯が溜まるのを待っていると、ベッドに転がっているフェリセットが突然そんなことを尋ねてくる。そういえばどうしてだろう。もしかしたら、自分はフェリセットを妬んだのかもしれない。二等級なんてさぞかしやんごとない生活を送っていたであろう人間を戦場に引っ張りこもうとしたのか。あるいは誰かお偉いさんに口利きしてもらってここから逃げようとしたのか。どれもありそうで、どれも違う気がした。

 

「分からないよ。なんか強そうだったからかな」

 

 割と本音でもある。狙撃手が居れば遠くのうちに敵を倒してくれる。事実、フェリセットの腕は確かだった。結局それが理由な気もした。

 

「そうですか。お役に立ててますか?」

「びっくりするくらい。それに、世話を焼くのも暇つぶしになっていいかなと今は思ってるよ」

「なんだかペットみたいですねぇ」

「なるほど・・・・・・」

 

 腑に落ちたような、腑に落ちないような。というかやっぱり不公平な気もする。なんだかイタズラしてやりたい気持ちになったマルフーシャは、悪い顔をしながらベッドに近寄る。

 

「ねえ、フェリセット。お風呂入りたい?」

「あら、珍しいですね。いつもならしぶしぶ連れてって下さるのに」

「飼い主はちゃんと面倒見ないとね」

「あの、お姉さん。なんか怖いですよ?」

 

 マルフーシャに服を脱がされるまま、フェリセットが首を傾げる。

 

「身体、洗ったげる」

「えっ」

「ねえ、いいでしょ? フェリセットの髪とか肌とか、凄く綺麗だからずっと触ってみたかったの。隅々まで・・・・・・」

「じ、自分で行きますので! お構いなく」

 

 気圧されたように自ら服を脱ぎ始めたフェリセットを見て、マルフーシャはふむ、と鼻息を漏らした。

 

「冗談だよ。いつもそうだと助かるけどね」

 

 フェリセットは目を白黒させたあと、顔を赤くして抗議する。

 

「そ、そんな。謀りましたねお姉さん。私の純情を弄ぶだなんて」

「警戒心と自立心は大事だよ。私が男だったらどうするつもりだったの」

「うぅ。お姉さんにはかないません」

 

 お詫びの意味も込めてマルフーシャは先風呂を譲り、やれやれとため息をついた。

 

「ほんと、銃の腕は凄いんだけどね。昔に何かあったのかなぁ」

 

 入浴や夕食を済ませ、二人が寝床に潜り込んでしばらくした時。遠くから雷鳴が聞こえた。いつもならむにゃむにゃと寝言を言っているフェリセットが素早く寝床から立ち上がり、二段ベッドの下から狙撃銃を手に取る。フェリセットが素早く動くのを初めて見たせいで、マルフーシャは夢の続きなのではないかと一瞬思った。しかし、直後に外から響いた銃声で我に返る。フェリセットが窓の外を伺いながら告げた。

 

「お姉さん、外門が破られたようです。宿舎周辺と内門が囲まれています」

「どうしよう。ここから脱出しないと」

「かなりの数で囲まれています。この宿舎の戦力だけでは無理かもしれません」

「じゃあどうすれば」

「応戦しつつ救援を待ちましょう。一応本部に救援の連絡をお願いします」

「わ、分かった」

 

 二人は宿舎に居る他の兵士達と懸命に応戦する。敵は内門を突破して本部に向かう部隊と、この宿舎の包囲をしている部隊に別れていた。本部に連絡はしたものの不通だった。それはそうだ。こういう場合は大抵、通信手段からやられる。敵は周到に準備した上で各個撃破に乗り出しているのだ。

 

 戦いながらマルフーシャは気付いた。機械兵達が直接人間を狙っていることに。そう理解した途端、マルフーシャは死の恐怖を実感した。死にたくない。苦しみたくない。義妹を守れないかもしれない。いや、既に義妹は奴らの餌食になっているかもしれない。そうでなくても、この国の誰かに酷い目に遭わされてるかもしれない。

 

(スネジンカ・・・・・・)

 

 肩を震わせるマルフーシャを柔らかな感触が包む。フェリセットに抱きしめられたのだと気付くのに少しかかった。

 

「お姉さん、心配しないで。私も一緒ですから」

 

 俯くマルフーシャに、フェリセットは優しく語りかける。

 

「今はとにかく生き延びましょう。いつだって私達は明日を迎えてきたでしょう」

「うん。大丈夫。死ぬのが怖いというより、スネジンカが心配だっただけ」

 

 その言葉にフェリセットは少し驚いたようだった。

 

「ふむ。やっぱりお姉さんは兵士に向いていると思いますよ。もしかして、私の方が頼りないですか?」

 

 こんな時だと言うのにマルフーシャは思わず笑ってしまう。

 

「ふふっ、少しね」

「もう」

 

 フェリセットは頬を少し膨らませてから、ふわりと微笑んだ。そして再び二人は、窓から銃を構える。

 

 撃って撃って撃ちまくって。一体どれほどの時が経ったのだろうか。何分、何時間、何日。戦局は小康状態にあった。二人は最上階の部屋に閉じこもり、玄関を塞ぐようにバリケードを作っていた。もう弾も食料もほとんど残っていない。このままずっと攻め込まれなかったとしても、いずれにせよ餓死することになるだろう。

 

 敵の攻撃が止み、続く不気味な静寂の中。二人はバリケードの後ろで背を預けあって座り込んでいた。初めて気付いたことだが、フェリセットはぐっすり眠らない。ずっと夢の中に居るように、覚醒とまどろみを繰り返している。まるで、眠るのを恐れているように。

 

「フェリセット、いつもみたいに眠らないんだね。私でもちょっと眠いのに」

「ええ、実は私はよく眠れないたちなのです」

「えっそうなの? でも確かに狙撃手ってちゃんと眠れなさそうだね」

「たぶん、ご想像の通りかと」

 

 そういえば、フェリセットの過去について何も聞けていないな、とマルフーシャは思う。だが、聞き出す気にはなれなかった。マルフーシャは代わりに自分のことを話すことにした。

 

「あのね、私、スネジンカっていう義妹がいるの。でも唯一の家族で、まだ小さくて、世話はかかるけどいい子で。優秀だったみたいで軍学校に入ることになってるの。私がヘマしたらあの子の将来まで閉ざされてしまうかもしれないって、逃げずに戦ってた理由なんてそれしかないの」

 

 フェリセットが頷く気配が背中に伝わる。マルフーシャが続けた。

 

「フェリセットと過ごしてると、何だかあの時を思い出して楽しかった。この戦いが終わったらうちに来てもいいよ。今度はスネジンカにフェリセットのお世話をしてもらうのもいいかもね」

「ふふ、お言葉に甘えるかもしれません」

 

 フェリセットが楽しそうに笑った。絶望的な状況の中で、そのささやかな空想はマルフーシャを支えていた。

 

「お姉さんは優しいのですね。人のために生きて、人のために戦って。私は・・・・・・何の役にも立たない人間でした」

 

 哀しげな声に、マルフーシャは思わず訊いてしまう。きっと彼女が隠したがっているであろう古傷に触れると分かっていながら。

 

「ねえ、フェリセットは昔なにがあったの?」

 

 それでもマルフーシャは言葉を続ける。口を動かしてないと眠ってしまいそうで、なにより、フェリセットの事をもっと知りたかった。

 

「二等級国民で狙撃手で、今はこんなクソみたいな戦場に放り込まれて。おまけに酷い不眠症で」

「その話は──」

 

 フェリセットが口を開いた時、どこかから銃声が響き始めた。ついに敵の突入が始まったようだ。二人は素早くバリケード越しに銃を構える。突然フェリセットが明るい調子で「お姉さん、場所を変えましょうか」と微笑みかけてくる。

 

「どういうこと?」

「ここだとゆっくり話せませんから」

 

 そしてフェリセットが真剣な口調になり、作戦について話し始めた。

 

「もう弾も食料もないのはご存知の通り。救援も期待できない。ここを脱出するならもう今しかありません。よく聞いてください」

「・・・・・・うん」

「この数日の戦いで気付いたのですが、あの機械兵は敵の数名の兵士が直接命令して動いているようです。現場で柔軟に動かすにはやはり人間が必要なのでしょう。私がそれを狙撃すれば、しばらく敵の動きに乱れが出る。そこで一気にここから移動します」

「行先はどうする?」

「本部はむしろやめた方がいいでしょうね。スネジンカさんはいまご自宅ですか?」

「うん。一人で生活出来るように手配はされてるよ。でもここから少し遠い」

「ふむ。逆に言えば居住区まで襲われているなら、もうどこにも逃げ場はないでしょう。本部も遅かれ早かれ殲滅されそうですし、ご自宅に向かいますか」

「分かった」

 

 戦術的に重要ではない地域まで攻撃されているなら、確かにどうしようもない。マルフーシャはフェリセットの提案に同意し、自宅の位置を伝えた。そして二人は屋上に移動した。ラペリング降下用のロープを柵に括り付ける。道具はフェリセットが持っていた。かつての装備だろうか。この建物は三階建てだから、さほど降りるのに時間はかからないだろう。イヤホン式の無線を身に付け、チェックする。通信範囲の短いオンボロだが無いよりマシだ。

 

「私が合図したら降下して走ってください。進路上の敵は私が狙撃します」

「分かった。ちゃんとフェリセットも逃げ切ってよ?」

「もちろん。すぐに追いつきますから。山狩りからも逃げ切った事があるんですよ?」

「そっか、そっちはプロだもんね」

 

 フェリセットが狙撃銃を構える。マルフーシャは双眼鏡を持ち、観測手を務めた。

 

「赤い車の影、バーの前、建物の真下」

「近い順に倒します。最初の銃声で走ってください」

「了解!」

 

 ドン、何度聞いたか分からない雷鳴の如き轟音。この音が響く時、いつもマルフーシャは救われてきた。きっとフェリセットはそうやって、狙撃で何度も仲間を救ってきたのだろう。

 

「今です、走って!」

 

 マルフーシャは双眼鏡を置き、一気に降下した。下腹部が締まるような恐怖を噛み殺し、着地。ハーネスを外して走り出す。遠雷が何度も響く。目の前の敵が砕け、あるいは指揮者を失って右往左往している。

 

「すごい、本当に敵が来ない・・・・・・。進路上クリア。合流して」

 

 返事が無い。電波が届かなくなったのだろうか。その時マルフーシャは怪訝に思った。彼女はいつまで援護を続ける気なのだろう。狙撃銃の音が止まない。

 

「フェリセット・・・・・・? 早く来てよ。フェリセット!」

 

 立ち止まろうかと思った時、音声が入った。

 

『お姉さん、止まらないで。走って!』

「何言ってんの、そんな事なら行かないよ。絶対嫌だから!」

『すぐ下まで奴らが来ています。私はもう間に合いません。早くしないとスネジンカさんも間に合わなくなりますよ』

「なにそれ脅しのつもり!? ダメもとでもこっちに走りなさいフェリセット!」

『ふふっ。そんなふうに誰かから叱られるの、本当に久しぶりです。私は・・・・・・居なくても同じ存在でしたから』

 

 空気を切り裂く音がして、マルフーシャの後ろにいた機械兵が何メートルも吹っ飛んだ。気付いていなかった。そして、フェリセットはまだ戦っている。

 

『お姉さん、私はもう疲れたのです。私を邪魔者にしなかったのは、猫とフルートとあなただけ。せめて、あなたに恩を返してから全てを終わりにしたい』

「・・・・・・足りないよ。そんなの全然足りないから。だから、私と来て。ずっと一緒に居て」

『・・・・・・』

「フェリセット?」

『・・・・・・ありがとう』

 

 バン。狙撃銃ではない乾いた音がイヤホンからした。その音にマルフーシャの全身が粟立った。

 

「フェリセット、返事して」

 

 何も音がしない。マルフーシャは走り出していた。宿舎の方に。

 

「フェリセット。ねえ、フェリセット、フェリセット・・・・・・!!」

 

 

 初めてのはずのラペリング降下をこなし、駆け出していくマルフーシャにフェリセットは微笑む。

 

「やはり、あなたは優秀な兵士になってしまうでしょうね」

 

 機械的に敵を撃ちながら、フェリセットはマルフーシャの言葉を思い出す。

 

(過去に何があったか、か)

 

 フェリセットの過去は、そう面白いものでは無い。代々高級将校を輩出している良家の末娘として生まれ、優秀な兄や姉を見ながらただぼんやりと過ごしていた。この国では軍が最も力を持っている。優秀な軍人になること自体が、そのまま個人や一族の立場を保証するのだ。フェリセットも命じられるがままに女子学院に入り、たまたま受けた狙撃のテストの成績が極めて優秀であったため、卒業を待たず陸軍の特殊作戦群にスカウトされた。

 

 この国ではまだ子供の兵士がわんさか居る。フェリセットも当時十四歳だった。二年間の訓練を積み、十六で初めて人を殺した。そこに特別な感慨はなかった。人並みの罪悪感と、生き延びられたという安堵。そして、エリートとしての道を歩み始めたことに対する家族からの賞賛だった。家族に認められるのはとても嬉しかった。嬉しかったから、敵を撃ち続けた。そして、仲間を殺した。たった一回のミスによって。

 

 フェリセットはとある作戦で、観測手と共に敵指揮官の狙撃を実行した。山間部からの離脱中に観測手が撃たれ、フェリセットだけが逃げ延びた。フェリセットは潜伏し、観測手を連れて敵の追撃部隊が退却していく所を再び狙撃した。狙いはその観測手の少女だった。尋問によって情報を漏らされる可能性を考えると、それしかなかった。

 

 この国の兵士は子供が多い。つまり、兵士として未成熟だ。教えこまれた特定の技術はあっても、本質的に脆弱で、不安定だった。観測手が出来るだけのいたいけな少女が『洗礼』を受けたならば、恐らく耐えることは出来ないだろう。

 

 帰還したフェリセットは観測手について戦死したとだけ報告した。フェリセットはこの国を疑った。なぜ子供が戦っているのだろう。そして、今まで疑問にすら思わず、認められたいと言うだけで無邪気に人を撃っていた自分を憎んだ。怒りは次第にやるせなさへと変わり、無気力で怠惰な今のフェリセットが生まれた。

 

 それからというもの、フェリセットは戦闘に参加しなくなった。そうしてどんどん後方の部隊へ追いやられ、ただ書類の山をだらだらと整理する日々を過ごしていた。ある日、門を守るためだけの『捨て駒』部隊が作られるという話を小耳に挟んだ。気が付くとフェリセットはその部隊に志願していた。そうして、今に至る。

 

 愛国心などなかった。ただ、死ぬならやりたい事をやって、あるいはやるべき事をやって死にたかった。どちらにせよ頭にあったのは死ぬ事だ。だから、最後の最後にこうやって、誰かのために死ぬという最期を選べた僥倖に感謝している。

 

 マルフーシャがフェリセットを呼ぶ声がする。フェリセットは狙撃を続けながら微笑んだ。もう、弾が無い。そして屋上まで敵の部隊が迫っているのは音で分かっていた。屋上に機械兵がなだれこみ、人間の兵士が一人現れた。拳銃を構えている。

 

『私と来て。ずっと一緒に居て、フェリセット』

 

 なんて悲痛な声で私を呼ぶのだろう。フェリセットは苦笑した。半ば嫌われるためにやっていた事が、なぜか彼女からの親愛を賜る羽目になった。最後になんといえばいいのか。何も思い浮かばない。人は得てしてこういう時、月並みな言葉しか残せないのだと知った。

 

「・・・・・・ありがとう」

 

 悔いはなかった。これはもしかしたら、愛というものなのかもしれない。

 

 

 マルフーシャが宿舎に駆け戻っていると、装甲車が目に留まった。友軍のものであることは国旗のペイントで分かった。援軍だ。マルフーシャは装甲車に駆け寄る。

 

「援軍ですかっ。宿舎に私も連れて行ってください」

「君は・・・・・・衛兵か。なぜこんな所に」

「まさに援軍を呼びに行く所だったのです。あと、武器をください」

 

 マルフーシャは嘘をついた。だが、どうでもいい。今はフェリセットを助けに行くのが先だ。

 

「いま君に渡せるのはこれだけだ。持っていた奴が死んだ。短機関銃は扱えるか?」

「人が持てるものならなんでも使えます。感謝します」

 

 マルフーシャが渡されたのは見たことも無い形状の短機関銃だった。なにやら、高温の弾丸を発射する最新型ということらしい。これを早く回してくれれば今頃勝っていたかもしれないのに、援軍がもっと早く来ていればこんなことにはならなかったのに。マルフーシャの中にやり場のない怒りが滾る。

 

 装甲車が宿舎に着くなり、マルフーシャは宿舎内に突撃した。最新型の銃の威力は流石だった。機械兵の弱点を戦いの中で知り尽くした彼女は、熱弾を以て機械兵を溶けた鉄クズへと変えていく。途中、弾けた鉄片か瓦礫かが顔を掠めた。右目が急に見えなくなる。痛みは感じなかった。ただ、熱いだけだ。

 

 屋上へと駆け上がると、何かを調べていた人間の兵士がこちらに気付いた。まだ階下では援軍の兵士達が機械兵と戦っていた。だが、マルフーシャはもうそんな事どうでもよくなった。兵士のそばに転がる毛玉。赤く汚れた銀色の塊。まるで眠っているようだ。それは、フェリセット──。

 

「うあああああああッ!!」

 

 全身が燃えるように熱くなる。兵士が拳銃で狙いを定めるより先に、マルフーシャは弾切れの短機関銃を投げ付ける。一気に接近し、ナイフで相手の腹を思いっきり突き刺した。何度も刺した。人を殺したことなんて、撃ったことなんて一度も無かった少女が、ナイフという原始的な暴力を以て人を殺した。

 

 事切れた兵士を地面に捨て、フェリセットの亡骸のそばに跪く。どうして、フェリセットは柔らかく微笑んでいるのだろう。満ち足りた笑顔で、眠るように横たわっている。

 

「うそつき・・・・・・」

 

 まだ何も聞いてないのに。フェリセットの話をしてもらってないのに。これが『死』だ。仲間に先立たれるということだ。今、いまさら、やっと理解した。マルフーシャがフェリセットの狙撃銃を抱え上げると、屋上に援軍の兵士達が到着した。奪還が終わったらしい。倒れているフェリセットと、マルフーシャの表情に、援軍の兵士は何も言わなかった。ただ、黙って敬礼をした──。

 

 

 救出されたマルフーシャは最高指導者に呼び出された。なんでも、マルフーシャを新設予定の精鋭部隊『溶鉄』に配置するらしい。国内に侵入した機械兵を何とか撃退し、次は新兵器と精鋭部隊を以て反撃に出るそうだ。マルフーシャは自宅に送り届けられ、束の間の休息を取る事となった。ドアを開けると、義妹のスネジンカが抱きついてくる。

 

「お姉ちゃん・・・・・・!! よかった、無事だったんだね」

 

 マルフーシャは小さい義妹を抱き締め返し、ひどく懐かしい気持ちを覚えた。

 

(お姉さぁん、ごはんください・・・・・・)

(お姉さぁん、シャワー浴びたいです)

 

 美しくて、自分では何もしなくて、戦いでは滅法頼りになる銀髪の狙撃手。猫とフルートが好きで、仁愛によって塵へと還った戦士。

 

 マルフーシャは泣いた。初めて泣き叫んだ。スネジンカは驚き、やがて全てを察した様に、ただ姉の背中をさすり続けた。

 

 これは、後に電熱砲と呼ばれる兵器を携え、数多の機械兵を焼き尽くす伝説の兵士、『溶鉄のマルフーシャ』の誕生の物語である。

 

 

 

 



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