平塚先生と結婚する話   作:Asarijp

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2 平塚先生が仕事をする話

 平塚先生とのサシ飲みから1か月。

 既に夏休みは終わり、文化祭準備期間に入っていた。

 

「……ええ、今年もお騒がせしますが、どうぞよろしくお願いいたします。……はい……」

 

 平塚先生は生活指導部の領分である生徒会の担当教員だが、そこからスライドして文化祭実行委員会の副担当にもなっている。主担当は生活指導部長である体育の厚木先生だが、平塚先生も相当仕事を割り振られているらしく、関係各所と電話で頻繁にやり取りをしていた。

 ……というのをなんで知っているかと言えば、職員室での俺の席は平塚先生の隣だからだ。平塚先生は普段から大変な仕事ぶりだが、文化祭は学校を挙げての一大イベントなのでそれはもうえらいことになっている。

 一方、俺はと言えば、文化祭についてはなにも特別な仕事がない。

 

「厚木先生、PA業者の方から打ち合わせについて連絡がありましたが」

「あー逸見(へみ)先生。悪いんだけどその日別の打ち合わせが入っちまったんだわ。ちょっと先方の事情で日程動かせなくてさ、悪いんだけど逸見先生お願いできる?」

 

 とはいえ、このように厚木先生にはちょこちょこ仕事を振られている。同じ2学年担当教員で平塚先生と並んで一番若手だから頼みやすいのだろう。

 

「わかりました。この後のことも僕のほうで進めてしまっていいですか? 要所要所で厚木先生に報告上げますんで」

「おお、助かるわ。去年の資料は後で先生の机に置いとくから。……ところで」

 

 厚木先生に肩に手を回され、職員室の隅に誘導される。

 

「なんか進展あったんか?」

「進展?」

「ほれ……」

 

 と、厚木先生は電話している平塚先生のほうをアゴで指す。

 

「お盆前の飲み会で、なぁ?」

「なぁ?って言われても……いつもどおり送っただけですよ」

 

 変な噂を立てられたくないのでしらばっくれておく。

 

「ほーん。平塚先生と二人で飲みに行ったんじゃないんか?」

「え?」

 

 平塚先生がしゃべったのかと顔に出してしまったのが運の尽きだった。厚木先生がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。

 

「その様子じゃホントになんかあったみたいだなぁ」

「……カマかけたんですか」

「黙っといてやるからPAの件、よろしくな」

「それはいいですけど、本当になんにもないですからね。誤解です」

「わかっとるわかっとる。いやぁ、やっと平塚先生にも春が来たけぇ」

 

 厚木先生は手をヒラヒラさせて職員室を出て行った。

 なにもないことを祈るしかない。厚木先生は悪い人ではないのだが、あんまり口が堅いタイプとは思えないし……。

 

 給湯室でコーヒーを淹れて自席に戻ると、平塚先生のところに雪ノ下が来ていた。部室の鍵を返しに来たところらしい。

 

「文化祭が終わるまでは奉仕部は中止ということにしました」

「うん……うん? 文化祭実行委員長の相模はどうした? 来なかったのかね?」

「相模さんからの依頼は私個人として、実行委員の範囲で手伝います」

「ふむ……」

 

 平塚先生は長い脚と腕を組んで唸った。その様子をコーヒーを啜りながら横目で見ていると、不意に雪ノ下と目が合ってしまった。愛想笑いと会釈でごまかしておく。

 

「比企谷と由比ヶ浜はなんと言っていた?」

「いえ、特には……」

 

 雪ノ下はなにか言い淀むような様子だった。

 

「まぁ、きみがそう決めたならよかろう。好きにやってみたまえ」

「はい」

「無理はしないようにな」

「失礼します」

 

 職員室を出ていく雪ノ下の後姿を見送ると、平塚先生はため息をついた。

 

「雪ノ下、なんかありそうですね」

「逸見先生……聞いてらしたんですか」

「すみません」

「……雪ノ下のあの調子だと、たぶんなにか起こると思います。逸見先生も教室で注意して見ててやってもらえますか?」

「ええ、もちろん。いつもありがとうございます。本当に助かってます」

「いえ、いいんです。……自分のためですから」

 

 平塚先生は一瞬遠い目をし、次の瞬間には文化祭実行委員会があるからと席を立った。

 

 

 

 

 

 文化祭の準備がいよいよ本格化してきたある日の朝、雪ノ下から欠席の連絡があった。

 

『……そういうことなので、今日はお休みさせていただきます』

「わかった。雪ノ下は一人暮らしだったと思うけど、おうちの人には連絡したか?」

『いえ。一日休めば問題ありませんので』

「……雪ノ下。平塚先生から文実あんまり余裕ないって聞いてるけど、仕事持ち帰ってやってたりしないよな?」

 

 雪ノ下が文化祭実行委員会副委員長をやっていることや、仕事が彼女に集中していることは、平塚先生から聞いていた。雪ノ下の今までの行状を考えると、人にうまく仕事を振れておらず、自分で抱えているのではなかろうか。

 

『それは……』

 

 どうやら当たりだったようだ。

 と言っても、俺からできることはなにもない。厚木先生と平塚先生に言づてすることくらいだ。

 

「まぁ雪ノ下のことだからまずいことにはならないとは思ってるけど、無理はしないようにな」

『はい。ありがとうございます』

「じゃあお大事に」

 

 受話器を置く。

 平塚先生に「注意して見てやってくれ」と言われていたのに、結局俺も忙しさにかまけている間にこうなってしまった。とはいえ、教室での雪ノ下に特におかしなところはなかったし、こちらから変に心配するのもそれはそれで生徒にはプレッシャーになる。どうしたものだったのだろうか……。

 

「雪ノ下は欠席ですか」

 

 隣から平塚先生に声をかけられる。

 

「ええ。体調不良ということでしたが、文実の仕事を持ち帰ってやっているようです」

「そうですか……」

「文実、大丈夫そうですか?」

「実を言うと、ケツ……お尻に火がついてるんですよね。主戦力の雪ノ下が今抜けるのはなかなか厳しいです。ただ、教員側から尻を叩いて仕事をやらせるのは最後の最後にしたいと思ってます」

「それは実行委員長が奉仕部に依頼をしたからですか?」

「生徒の自主性を重んじて、と言いたいところですが、根っこのところではそうかもしれませんね。雪ノ下のやつ、最初は厚木先生に『実行委員長やらないか』と水を向けられて断ってたんですよ。それなのに結局は依頼を受けて副委員長として仕事を切り回している。相模から依頼があったのがきっかけなのかはわかりませんが、本人の中でなにか心境の変化があったんでしょう」

「それを尊重したいと」

「ええ。それに相模も今のままではよくない。生徒同士でうまく化学反応が起こってほしいと思います。最悪私から説教しますが、ほら、教師からなにか言われても生徒は聞かないでしょう?」

「確かに、そうですね」

 

 本当にそのとおり、生徒たちは本当に驚くほど教師の言うことを聞かないものだ。だいたい俺だって高校生の頃は教師になんか言われるのがうっとうしく感じていたわけで、それは今の生徒たちだって同じだ。

 

「聞くところでは陽乃……雪ノ下の姉が変に相模を焚き付けたらしいんですよ」

「卒業生のですか?」

「文化祭の有志団体として出ないかと生徒会長の城廻が声をかけていたようで、学校に来ていたそうです。まったく、後輩に対してなにをやっているのやら……」

 

 一昨年卒業した雪ノ下姉と言えば、かつて文化祭実行委員長として大活躍をした生徒だった。あの年はちょうど俺が今の平塚先生の立場で、最終的にうまくいったのはよかったが、準備中はずっと胃がキリキリしていたのを覚えている。胃潰瘍にもなったし……。

 

「雪ノ下、姉妹でなにかあるんですかね? 平塚先生ご存知です?」

「まぁ……あんまりうまくいっているわけではないようですね。姉のほうとはたまに飲みに行くようになったんですが、妹をからかった話を聞くことがちょくちょくあります」

「あー……」

 

 思わず顔をしかめてしまう。年上のきょうだいからのからかい、特に子供の頃は本当に嫌なんだよな。俺も姉にやられていたからよくわかる。

 

「雪ノ下妹の調子が悪いのはそのへんの絡みもありそうですかね」

「そうかもしれません」

 

 姉に追い付こうとして無理してるとか、そんなところだろうか。雪ノ下姉は確かに優秀だったが実際にはミスすることもけっこうあったし、そのくせ風呂敷を大きく広げるからフォローが本当に大変だった。逆に言えば、周囲がフォローしてくれる人徳みたいなものがあった。自分でミスなく仕切っていくという今の雪ノ下妹とは方向性が真逆だ。

 

 そのへんのことについてなにか言ってやるべきか……。

 そう思って受話器を取り、リダイヤルボタンを押そうとして、俺は受話器を置いた。

 

「逸見先生?」

「『教師からなにか言われても生徒は聞かない』んだったなと思いまして……」

 

 平塚先生は「はあ」と要領を得ない顔をした。

 

 とはいえ、教師から生徒への言葉がまったくなんの意味も持たないわけではない。結局のところ、適切な相手から適切なタイミングで聞かされることで初めて相手に言葉が響くということだ。担任の教師から家族(それもあまり仲がよくない)に関する話を突然されても困惑するだけだろう。

 

「平塚先生。雪ノ下姉は確かに優秀ではありましたけど――」

 

 今の雪ノ下妹に響く話ができるのは、俺ではなく平塚先生のほうだ。雪ノ下姉が実行委員長をやっていたときどういう仕事ぶりだったか、そして雪ノ下妹は姉と同じようなやり方をする必要はないのではないかということを平塚先生に伝えておけば、平塚先生が適切なタイミングで本人に話してくれるに違いない。そうでなくても、悪いようにはならないはず。

 

「――ですから、雪ノ下妹には彼女なりのやり方があるでしょうし、それを貫かせたほうがいいのではないかと思うんです。まぁ、その、雪ノ下妹が仕事をしている現場を見ていない人間の個人的な考えに過ぎないと言えばそうなのですが」

 

 これはもしかすると平塚先生の雪ノ下や奉仕部に対する指導方針に沿わないことかもしれない。しかし言わないよりは言っておくほうがいいはずだ。余計なお世話なら俺が平塚先生にウザがられるだけで済むしな。

 

「いえ。確かに雪ノ下妹はそのへんで引っかかっているのかもしれませんし……そうですね、必要なら私から雪ノ下にそう説教しておきます」

「いつもお手数をおかけします」

 

 平塚先生は首を横に振った。

 

「前にも言いましたが、自分のためですから。でも説教は必要ないかもしれませんよ」

 

 そう言ってウィンクする平塚先生を見て、俺は「はあ」と要領を得ない顔をした。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「比企谷くん。却っ下」

 

 いい笑顔で比企谷のスローガン案を却下した雪ノ下は、スローガン決めを明日に回し、明日以降は実行委員に全員出席するよう暗に求めて会議を終えた。

 

 雪ノ下は比企谷の言葉で救われたようだが、今度は雪ノ下より比企谷のほうが心配になってきたな。

 自分がヘイトを集めることで雪ノ下を守ろうという自己犠牲には感心するが、それではダメなんだよなぁ……。比企谷ならなにかやってくれるかもしれないと思っていたものの、こういうやり方をするとは予想していなかったし、そうしてほしくもなかった。なんと説教したものか……。

 

 説教と言えば、どうやら逸見先生が話してくれたことは雪ノ下に説教しなくて済みそうだ。今日の雪ノ下の様子では、彼女はわだかまりを吹っ切って自分自身のやり方に自信を持てたように見える。

 

「あーつっかれたぁー。ほら静ちゃん、飲み物でも買いに行こうよ。かわいい教え子におごってほしいなー」

 

 実行委員が三々五々会議室を出ていく中、隣に掛けていた陽乃が凝った肩をほぐすような動作をした。

 

「恩師にタカるのはやめろ。あと静ちゃん呼びもだ」

 

 そう言いながら私たちは席を立ち、会議室を出た。

 

 やはり比企谷はだいぶ評判を落としていて、ぼそぼそと陰口を言われている。比企谷本人は気にしないようにするだろうが、こういうのはボディブローのように効いてくるし、噂として広まるとさらにキツいものになる。比企谷の心が折れなければいいが……。とりあえず2学年の先生方に情報共有して、なにかあれば情報が集まるようにしておく必要があるか。

 奉仕部の連中は本当に手がかかる。だがそれがいい。

 

 しかし、今はもう一人の手のかかる生徒とも話をしなければならない。

 自販機コーナーで缶コーヒーを2本買い、1本は陽乃に渡す。

 

「陽乃。お前、相模を変に焚き付けたらしいじゃないか」

「えー? 私がー?」

「しらばっくれるんじゃない。おかげで文実が一時大変なことになった。……いや現在進行形で大変なことになっている。どういうつもりなんだ?」

「どういうつもりって言われてもねー……」

「お前のことだ、なにも考えなしにやったわけじゃあるまい?」

「静ちゃん、私のことずいぶん買ってくれてるんだ」

「茶化すな。真面目な話だ」

 

 陽乃は渡した缶コーヒーのプルタブを爪で弾きながら笑顔を引っ込めた。

 

「私もよくわからないんだよね。んー……好きな子に意地悪したくなっちゃう男の子みたいな気持ちっていうのかな」

「ほう。妹のことが好きかね?」

「そりゃあ好きだよ。大好き。いつも言ってるじゃない。……でもさ、雪乃ちゃんは子供の頃からなんでも好きなことやらせてもらってうらやましいなーっていうのもあるんだよね。小さい頃は『お姉ちゃんなんだから我慢しなさい』ってしょっちゅう言われてたしさ。それなのにあの子、私の真似ばっかりしようとするんだよ」

 

 陽乃が無表情のままプルタブを押し込み、缶コーヒーを開ける。

 

「だから、そういうところは嫌いだな」

 

 私も缶コーヒーを開けて一口飲んだ。

 

「なるほど、姉妹の仲は複雑ということか」

「『きょうだいは他人の始まり』って言うでしょ? 血のつながった家族だけど……家族だから、そんなに簡単には割り切れないよね。むしろ小さい頃から一緒だから腹に一物抱えるってこともあるよ。雪乃ちゃんのほうもそうなんじゃないかな」

 

 私は一人っ子だから姉妹がどういうものなのかわからないが、確かに雪ノ下妹も姉に対して思うところがある様子だった。

 

 家族関係がこじれていると、教師がそこに手を突っ込むことは非常に難しい。当然ながら教師は「よその人」だからあれこれ言いにくいというのもあるし、教師には知り得ない、あるいは知られたくない家族の内情というのもある。生徒本人から助けを求められれば教員としてはもちろん解決しようと手を尽くすが、それでもできることは限られるし、そもそも本人が申し出るケースはほとんどない。誰だって家族間の問題に他人を介入させたいとは思わないだろう。

 結局のところ、雪ノ下姉妹の問題は雪ノ下家の人々にしか解決できない。私は彼女たちに関わった大人として通り一遍のことしか言えない立場にすぎないのだ。

 

「陽乃。妹に思うところがあるのはわかるが、今回のようなことはもうよせ……って言って聞くわけないな。だが立場上言わなきゃならん。陽乃、ああいうことはもうやめておけ」

「……うん。ごめんね静ちゃん」

「それはどっちの意味だ? 『あんなことしてごめんなさい』のほうか? 『これからもああいうことやります』の意味か?」

「さぁー……どっちだろうね?」

 

 陽乃はいつもの微笑を浮かべ、私が奢った缶コーヒーを一気に飲み干した。

 

 こういうところは私が担任をやっていた頃からまったく変わっていない。よくも悪くも人の話を聞かない困った生徒だ。

 私の関わる生徒はどうして揃いも揃ってこうなんだ……。まぁ、そんな教師生活も悪くはないが。

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