平塚先生と結婚する話   作:Asarijp

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3 平塚先生が奉仕部を作った理由の話

 一般公開日である文化祭2日目ももう終盤。

 

 心配していた雪ノ下の不調は、平塚先生によれば実行委員会内部の化学反応によって無事に改善し、実行委員会の仕事の遅れも解消され、晴れて文化祭本番を迎えることができた。

 2-Jの出し物も盛況で、ほっと一安心。大きなトラブルもなく、今年の文化祭もこのまま行くと無事に終了できそうだった。

 

 俺は人影がほとんどなくなった校内を見回る。客や生徒のほとんどは体育館のステージを見に行っているのだろうが、そういうものに興味がないのか暇そうにたむろしている生徒たちもいて、そうした生徒には一応声をかけていく。

 

 そろそろ俺もステージ見に行くかと階段を下っていると、2学年のフロアからなんだかものすごい絶叫が聞こえ、直後に階段を駆け上がってくる目が特徴的な男子生徒とすれ違った。トラブルだろうか。

 小走りで2学年の教室が並ぶ廊下に出ると、2-Fの前の長机で青みがかった長い黒髪の女子生徒が突っ伏して悶えている。

 

「きみ、大丈夫か?」

「……え、あ、はい」

 

 声をかけると女子生徒はすぐに顔を上げた。頬が赤い。

 

「さっき男子が走って行ったけど、なんかあった?」

「あ……い、いや、特には」

 

 こういうとき女子生徒は素直に話すことが難しい場合があるが、彼女はなにか嫌なことがあったという顔ではなさそうだ。心配しすぎか。

 

「もうあと少しでエンディングセレモニーだから、遅れないようにな」

「は、はい」

 

 見回りの最後に体育館に入ると、有志団体のパフォーマンスが行われていた。ちょうど前の団体が終わって次の団体に代わるところだったようだ。

 俺は体育館の扉のすぐ近くに陣取り、生徒たちの「青春の1ページ」を見せてもらうことにした。

 

「平塚先生……?」

 

 有志団体のバンドの中に雪ノ下がいることにも驚いたが、その中に混じって平塚先生がベースを抱えて出てきたのを見て、思わず独り言が出た。よく見ると卒業生の雪ノ下の姉もいた。キーボードは3年の生徒会長だが、ボーカルの女子生徒は……。

 

「みなさん、こんにちはー! あたしたちは、えーと……ほ、奉仕部とゆかいな仲間たちです!」

 

 体育館が笑いに包まれる。

 どうやら奉仕部員だったらしい。3人いると聞いているが、ステージ上には奉仕部員は2人しかいないようだ。

 

 いやに長くメンバーの紹介をした後、ようやく演奏が始まった。演目は2年前、雪ノ下姉が3年のときにやっていた曲だ。

 俺にとっては2年前なんて「ついこの前」の話だが、生徒たちにとっては遠い昔のことだ。その間に俺は雪ノ下姉の学年の卒業を見送り、雪ノ下妹の学年の高校入試から今までを見てきた。俺にとってはあっという間に過ぎた2年だったが、彼女たちにとっては多くのことがあった2年だろう。

 

 演奏が始まると同時に体育館の扉が少し開き、先ほど階段ですれ違った特徴的な目の男子生徒が入ってきて、俺と少し離れたところに陣取った。

 

 ステージ上で演奏する雪ノ下たちはこの年頃特有のきらめきをまとっている。今このときは彼女たちが「主人公」だ。

 彼女たちは若く、美しく、才能がある。どの学校、どの学年にもこういう「物語の登場人物」みたいな生徒が必ずいる。こういう生徒を見ると、高校生の頃は「モブキャラ」もいいとこだった我が身を顧みてしまう。

 平塚先生も一人だけ年は大きく離れているのに、彼女たちの中にいることにまったく遜色がない。俺と同い年だから若くはないが、平塚先生もやはり美しく、才能がある人なのだ。今もそうだが、平塚先生は高校時代も「物語の登場人物」みたいな生徒だったに違いない。同じ職場にならなければ俺とは一生縁のなかった人だろう。まぁ、今でもなんで同じ職場に勤めてるのかよくわからない人だけど。

 

 平塚先生、なんで俺にあんなこと言ったんだろう。どう考えても釣り合わないし、普通あり得んだろ。もしかしてなにか特大の爆弾を抱えた人なんだろうか。隠し子がいるとか。

 ……いやいや、そういう失礼なことを考えたらいかんな。

 

 俺は雪ノ下たちのステージを最後まで見ずに体育館を出た。

 これが終わったらエンディングセレモニーだが、これは全員出席なのでもう一度見回りに向かう。校内には文化祭に乗り気ではない生徒がまだ残っているかもしれない。高校時代の俺みたいに。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 文化祭の翌日の代休の日に、私と逸見(へみ)先生は文化祭の打ち上げ兼婚活相談の名目で寿司屋に来ていた。もちろん回らないほうの寿司屋だ。

 

 なんと今日の逸見先生は自家用車を車検に出しているということで、私の車で逸見先生の家まで迎えに行くことができた。天は私に味方している! 酒が飲めないのは残念だが、今の私には酒よりも逸見先生のほうが重要だ。

 

 席はカウンターではなく個室で、私と逸見先生は差し向かいになるように掛けている。やはりカウンターでは人目もあるし、雰囲気がない。

 

「……やっぱりチョーク使ってるとスーツに着きますもんね。白衣あったほうがクリーニングとか楽ですよね」

「ええ、恥ずかしながらファッションにはあまり興味がなくて、同じスーツを3着買ってそれを着回してるもので……」

 

 そんな雑談をしながら待っていると、待望の寿司がゲタに載って運ばれてきた。

 

「じゃあ逸見先生。改めて、文化祭お疲れさまでしたということで、かんぱーい!」

「乾杯!」

 

 逸見先生はウーロン茶、私はジンジャーエールなのが締まらないところだが、仕事の山を越えた後の一杯は酒でなくともやはりうまい。まぁ、昨日文化祭の後に生活指導部の教員で打ち上げをやったのだが。

 

「平塚先生。文化祭の担当、本当にお疲れさまでした。すごくいい文化祭でしたね!」

「ありがとうございます! 正直なところ文実には最後までヒヤヒヤさせられましたが……。無事に終わって本当によかった……」

 

 本当に無事に終わってよかった。最後の最後で実行委員長が失踪って。本当に肝が冷えたぞ相模……。

 比企谷のやつはいろいろ言いたいこともあるが、本当によくやってくれたな。今度ラーメンをおごってやろう。

 

「全部は見れなかったんですが、最後のステージも素敵でした。平塚先生、高校生に混じっても全然違和感なかったですね」

「いやーお恥ずかしいものを……。実を言うとアレ、エンディングセレモニー開始直前にトラブルがあって急遽決まったステージだったんですよ。ベースなんて2年前の文化祭からほとんど触ってなかったので、何度もトチってしまって」

「でも会場の人たち、誰も気づいてなかったと思いますよ。他のメンバーもボーカルの二人もすごくうまかったですし。あのボーカルの茶髪の生徒、奉仕部の部員ですよね?」

「ええ。2-Fの由比ヶ浜です。奉仕部のムードメーカーみたいな生徒なんですよ」

 

 由比ヶ浜と雪ノ下も本当によくやってくれた。ラーメンをおごってやりたいが、彼女たちはあまり好まなそうだな……。

 

 逸見先生も雪ノ下の変化を感じているだろうが、雪ノ下はいい方向に向かいつつあるように思う。ただ、ここに来て今度は雪ノ下より比企谷が気がかりになってきた。どうにか自己犠牲から路線変更させたいところだ。

 

「平塚先生?」

「はい?」

「なにか心残りでもありましたか」

「ああ、いえ。……奉仕部の連中もずいぶん変わったなと思いまして」

「ずいぶん気に入ってらっしゃるんですね、奉仕部」

「そうですね。手のかかる子はかわいいと言いますし」

 

 逸見先生と互いに笑い合う。教員なら誰もが実感することだ。

 

「実は前から気になっていたんですが、平塚先生はどうして奉仕部を作ろうと思ったんですか?」

「奉仕部を作った理由ですか……」

 

 もちろんお題目としては「奉仕活動を通じて生徒の社会性を涵養する」とかなんとかそういうのはあるが……。

 

「雪ノ下が高校生の頃の自分に見えたから……ですかね」

 

 思わず自嘲するように笑ってしまう。

 

「雪ノ下が? 高校生の頃の平塚先生に似てるんですか?」

「似ているかというと……どうでしょう。でも、雪ノ下に自分をダブらせたというのが一番大きい理由だったように思います」

 

 ネタが乾いてしまうので残りの寿司を食べきり、ジンジャーエールで口を潤した。

 

「逸見先生も覚えておられると思いますが、ほら、2年に上がったばかりの頃の雪ノ下は孤高というか孤独というか、そういう感じだったでしょう?」

「ええ」

「私も高校生の頃はああいう感じだったんですよ。私の場合は中学生の頃にいろいろ嫌がらせをされていたので、周りの人間が全部敵に見えていました。雪ノ下も高校に入るまでになにか日常的に強いストレスのかかる経験があったんだと思います。姉とのこともあるでしょうしね」

 

 逸見先生は意外そうな顔をした。

 

「そうだったんですか。平塚先生はむしろクラスの中心人物みたいなポジションのイメージがありましたが……」

「小学校のときはそうだったと自分では思ってるんですけどね。中学では上級生に『生意気な下級生』と思われていろいろありました。上靴を隠されたり、ロッカーを荒らされたり、机の中にゴミを入れられたり」

 

 自分で手を下しにくる手合いはまだマシなほうだったな。同級生をそそのかして間接的に嫌がらせしてくる上級生が一番厄介だった。

 

「……私は結局あのときの雪ノ下のような状態のまま高校を卒業して、大学でサークルに入って、そこで今の友人たちとの出会いがありました」

 

 今となってはなにもかも懐かしい。私にとって最大の出会いだった二人の親友と出会ったのも大学だった。

 

「私は大学までかかりましたが、雪ノ下にはもっと早くそういう出会いを経験してほしかったんです。もちろん、あのままでもきっといずれ誰かが雪ノ下に踏み込んでいったり、あるいは雪ノ下から手を伸ばすことがあったかもしれません。でもそれはできるなら早いほうがいい」

「それで『奉仕部』という器を作って、生徒同士の化学反応を期待したということですか」

「はい。……でも、もしかすると出会いなんてどうでもよくて、ただ学校に彼女の居場所を作ってやりたいと思っただけなのかもしれません。とにかく私は雪ノ下に救われてほしかったんですね」

 

 私はなんとなく箸置きをもてあそび、その手元に目線を落とした。

 

「私の中では、やっぱり雪ノ下は高校時代の私なんですよ。そして、私と同じようになにもかも拒絶した高校生活を過ごしてほしくはなかった。仕事にこんな私情を挟むべきではないんでしょうけど」

「救われていますよ、雪ノ下は」

 

 やや強い語気に、私はハッと視線を上げて逸見先生を見た。

 

「半年前の雪ノ下と比べて、今の彼女はずっと表情豊かになりました。今ではクラスに雪ノ下のファンクラブみたいなものもあるくらいです。すべては平塚先生のご指導の賜物ですよ。それに、文化祭のステージで歌っていた雪ノ下の姿が表面上のものだとはとても思えません。そもそも半年前の彼女なら、文化祭のステージで歌うことなんて考えられなかった。雪ノ下はきっと、奉仕部と平塚先生に救われています」

「そう……でしょうか」

「間違いありません」

 

 逸見先生の断固としたその言葉に、思わず涙ぐんでしまった。年を取ると涙腺が緩くなっていかんな……いやまだ若手だけど。

 

「ついでと言ってはなんですが、僕も平塚先生に救われている一人ですよ。雪ノ下のこと、面倒見ていただいてありがとうございます。僕一人では雪ノ下をあんなふうに指導することはできなかったと思います。いつも言ってますけど、本当に助かっています」

「いえ……」

 

 自分の仕事を誰かが認めて評価してくれるというのはうれしいものだ。ましてやその仕事が自分の感情が乗ったものならば……。

 私は照れ隠しに何度もジンジャーエールのジョッキを口に運んだ。

 

「平塚先生の私情から来たことだとしても、僕が助けられているのは事実ですし……それに、雪ノ下もきっと奉仕部でいい高校生活を送れるでしょう」

「……ええ。そうなってくれることを願っています」

 

 

 

 

 

 そろそろ出ようということになり、店を出る前に私はトイレに行くために席を立ったが、戻ってくると既に会計は済んでいた。

 

「あの、お会計は……?」

「今日は平塚先生に送っていただけるわけですし、なにより普段お世話になっているのは僕のほうですから……まぁ、なんといいますか、格好をつけさせてください」

「そ、そうですか」

 

 この店、二人で数万円は行くはずだが、逸見先生におごらせてよかったのか? 金のかかる女だと思われてまずいのでは? 出してもらって当然うれしいが、私は気軽に払える額でも逸見先生にとってみればつらい額だったんじゃ……。

 

「いや、やっぱり割り勘にしましょう。ここに誘ったのは私ですし」

 

 金のない逸見先生に金のかかる女と思われたら、プライベートな付き合いは難しくならざるを得ないだろう。ここは当初の予定とは少し違うが、せめて割り勘に……。

 

「いえいえ、今言ったように普段お世話になっているのは僕のほうですから。お寿司おいしかったですし、いいお店に連れてきていただいてありがとうございました」

「お口に合ったようでよかったです……じゃなくて! レシート……は出ないし、領収書……ももらってないですよね」

「平塚先生、本当にいいですよ。お気になさらないでください。車出してもらっていいお店に連れてきていただいて割り勘なんて、そのほうが僕としては心苦しいので」

「いやしかし……」

 

 逸見先生にさらに抗弁しようとしたそのとき、私の脳裏に恋愛の神が降りてきた。

 

「……わかりました。今回は逸見先生にご馳走になります」

「はい」

「ただし! 次は私のおごりでまたどこか行きましょう。いいですよね?」

「は、はあ……」

 

 これこそイイ女のおごられ方。「今回はご馳走になるけど、次は私が出すね?」と切り出すことで、相手の顔を立てつつ「おごられてばかりじゃないぞ」とアピールし、さらに次回の予定もさりげなく入れるこの(わざ)は、今はアメリカでエリート証券マンの駐妻となっている大学時代の友人から教えてもらったものだ。

 

 今までむしられるばかりだった結婚式のご祝儀を取り返す日も近い! 私からご祝儀をむしった友人どもよ、ピン札を用意して待っているがいい!


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