平塚先生と結婚する話   作:Asarijp

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4 平塚先生と修学旅行に行く話

 2-Jの教室は過去最高と言っていいほどに活気づいている。そんな中、俺は黒板の横に椅子を置いて修学旅行の班決めの様子を眺めつつ、この後のスケジュールを思い浮かべていた。

 

 そう、修学旅行だ。早いもので、文化祭が終わったと思ったらあっという間にもう修学旅行の時期になってしまった。

 

「あ、あのっ、雪ノ下さん!」

「……なにか?」

「よ、よかったら、私たちと修学旅行回ってくれませんか!」

 

 俺の目の前の自席に座って泰然と「じゃらん」を眺めていた雪ノ下を、女子3人のグループが誘いに来た。いつもの「雪ノ下ファンクラブ」の面々だ。ファンクラブの人数はもっと多いが全員が雪ノ下と同じ班にはなれないので、さっきまでその選抜をやっていたのだろう。

 雪ノ下は少しホッとしたような笑みを浮かべた。

 

「ええ、構わないわ。……誘ってくれてありがとう」

「やったっ! こっちこそありがと雪ノ下さん!」

「ねね、雪ノ下さんはどっか行きたいとこある? あたしたちは太秦映画村とか渡月橋とか考えてたんだけど」

「そうね、やはり鹿苑寺・慈照寺あたりの有名どころは押さえておきたいかしら」

 

 雪ノ下は無事に班に入れたようだ。

 あとは男子だが、2-Jには全40人中男子が4人しかいないため男子4人で固まったらしい。でも班行動せずにバラバラになりそうだから後で釘刺しとこう。2-Jの男子4人は他が全員女子だから固まっているだけで、特に仲がいいわけではない。

 

 班決めは決まらないときは本当に決まらないものだが、今回は無事にLHRの時間内で終わることができた。

 少し時間が余ったので、班長を集めて連絡手段の確認や夜の班長会議など必要事項を周知し、一足先に帰りのSHRもやって解散とした。

 

「あれ、早いですね逸見(へみ)先生」

 

 職員室に戻ると、平塚先生がカップラーメンを食べながら声をかけてきた。

 

「班決めが早く終わったんですよ」

 

 ノートPCを立ち上げ、先ほど決まった班の構成を打ち込んでいく。

 この後は他の2学年の担任の先生方から班構成を取りまとめ、修学旅行の責任者である学年主任と旅行中の先生方の配置を打ち合わせることになっている。

 

 修学旅行というと生徒側は楽しい旅行だが、教員側にとっては年間最大の大事業だ。なにしろ2学年の生徒およそ400人の移動手段と宿泊先と観光先を手配し(とはいえここは旅行会社にお任せなのでそれほどでもない)、生徒たちが自由に動き回る自由行動中の安全を確保しなければならない。400人もいるから当然具合が悪くなったりケガをしてしまう生徒が出ることもあるし、旅行先でトラブルに巻き込まれることもある。旅行には大きい現金を持ってくる生徒が多いため、生徒間での金銭トラブルにも注意が必要だ。

 その一大イベントの事実上の主担当に、俺は学年主任から指名されていた。そのせいで夏休み中から忙しかったが、もうすぐその本番がやってくる。

 

 文化祭ではモーレツな仕事ぶりを見せていた平塚先生はと言えば、修学旅行では担任も持たない単なる随伴教員なので、カップラーメンを食べながらのんきに旅行雑誌をチェックしている。文化祭のときに暇していた俺とは立場が逆だ。

 

 何事もなく無事に終わりますように……!

 

 修学旅行について、俺にはそれしか考えられなかった。

 

 

 

 

 

 修学旅行1日目。

 集合は東京駅に8時半と生徒たちには伝えられているが、教員は6時半には東京駅に集合している。そこで生徒を新幹線に乗せ、京都で下車させ、一旦宿にチェックインさせるまでの手順を再確認する。

 

 頼むから今日だけは遅刻しないでくれ……。特に2-Fは遅刻常習者がいたから心配だ。

 

 そうして気を揉んでいるうちに、見慣れた総武高校の制服が次第に集まり始めた。

 定刻になり、各クラスの担任が点呼を行って新幹線ホームに誘導する。俺も2-Jの生徒を誘導し、あらかじめ決められた車両に乗せていく。乗った後も念のため班長に点呼を取らせ、生徒たちの乗車は完了した。遅刻者はいなかったようだ。

 まずは第一関門クリア。

 

「逸見先生。お疲れさまです」

 

 教員用の席でぐったりしていると、平塚先生がコーヒーを買ってきてくれた。

 

「すみません、ありがとうございます」

 

 平塚先生はそのまま俺の隣に座ってカツサンドを開けた。それを見る俺に気づいて、平塚先生は苦笑いを浮かべた。

 

「早かったので朝ごはんを食べそびれてしまって」

「起きるの5時とか5時半とかでしたもんね。僕がそういうスケジュール組んどいて言うのもなんですけど」

「逸見先生は朝食べてきたんですか?」

「ええ、昨日の夜のうちに作り置きしておいたので」

「逸見先生、自炊してるんですか。ああ、そういえばいつもお昼は手作り弁当ですよね」

「半分くらい冷凍食品ですけどね。料理するのけっこう好きなんですよ」

 

 平塚先生の手が止まる。

 

「そ、そうなんですか……」

「冷蔵庫の食材と買ってきた食材をうまく組み合わせるパズルみたいな感じで楽しいんですよね。食材を綺麗に使い切って冷蔵庫が空になるとちょっとうれしかったり。平塚先生は料理されます?」

「ま、まぁ、たしなみ程度に……?」

 

 目をそらしながらそんなことを言う平塚先生を見て、思わず噴き出してしまった。絶対料理しないなこの人。

 

「なんですかそれ……」

「いや、私、全然料理ダメってわけじゃないんですよ本当に。ただ手の込んだものは作らないってだけで」

「じゃあ得意料理は?」

「に、肉野菜炒め……?」

「なんで疑問形……味付けは焼肉のタレですか」

「なんでわかるんですか?」

「僕も大学生の頃はそうでしたからね」

「だ、大学生……」

 

 平塚先生は悔しそうに眉をピクつかせたかと思うと、一瞬の間を置いて急にいたずらを思いついた子供のような笑顔になった。

 

「逸見先生、今度手料理ご馳走してください。材料費は私が持ちますから」

 

 平塚先生が急に顔を近づけて内緒話のように小声でそんなことを言うので、年甲斐もなくドキドキしてしまった。平塚先生からはシャンプーなのかリンスなのかコンディショナーなのか知らないが、なにかそんなような淡い香りがした。

 

「え、ええ。構いませんが」

 

 俺の返事を聞いて、平塚先生は小さくガッツポーズをするように拳を握った。

 

「まぁでも私のおごりで食事に行くのが先ですね。修学旅行終わったら打ち上げってことでどうですか?」

「ええ」

 

 お盆前のサシ飲みで平塚先生からの交際の申し込みは断ったはずなのだが、気づいたら平塚先生からの食事のお誘いをついつい承諾してしまっている。なにしろ平塚先生は美人だし、スタイルもいいし、頭もいいし、話も合う……というか俺に合わせてくれているのだろう。そんな相手と一緒に食事をして同じ時間を過ごすのはとても楽しい。

 きっと平塚先生としては男と付き合う練習台みたいなものというつもりなんだろう。それならそれで、俺は楽しいし、平塚先生も練習になるし、Win-Winというやつだ……と考えることにしている。

 

 本気でアプローチされていると受け取ってしまうと平塚先生のことを好きになってしまいそうだが、好きだからというだけで付き合ったりできないのが高校生と大人の違うところだ。仮に平塚先生が本気でアプローチしてくれているのだとしても、俺には平塚先生とお付き合いした先の責任を取ることができない。平塚先生が結婚を考えているなら、30代前半の今の時間は貴重だ。先のない相手と交際する時間的余裕はない。

 だから、平塚先生のこういうお誘いはあくまで練習台なのだと受け取っておく。そうすれば俺は平塚先生を好きにならずに済む。

 

 もし俺がもっと稼げる人間だったなら、胸を張って平塚先生と交際できる可能性もあったのかもしれない。

 

「逸見先生、詳しくは改めてご連絡します」

「はい。お待ちしてます」

 

 いや、そうすると今度は平塚先生と知り合わなかった可能性のほうが高いか。

 

 いずれにしろ、平塚先生はおそらく俺とはご縁のない人なのだ。そう思うことにした。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 手料理だ。

 

 逸見(へみ)先生が私に手料理を作ってくれるって、これはもうほぼ付き合ってるのでは? だって、なんとも思ってない相手に手料理を振る舞うことなんてあるだろうか? いや、ない。

 あそこでお誘いができたのは本当にファインプレーだった。風は私に吹いている。完全に結婚へのマジック点灯じゃあ!

 

 そう調子に乗ったのがよくなかった。

 

「……ほら、こんなに修学旅行の学生さんが並んでるのわかるでしょう。あなたも大人なんですから、もう少し周りのことを考えてください」

「はい……すみません……」

 

 音羽の滝で恋愛成就の水を汲もうとして、私は係員さんに怒られていた。

 我ながら焼酎の4Lペットボトルに汲んで帰ろうというのは欲張りすぎだな……。だいたい4Lも持って宿まで帰るの大変だし……。そんなに汲んでどうするつもりだったんだ私は。

 

 謝り倒してふと顔を上げると、並んでいた由比ヶ浜と目が合った。が、すぐに目をそらされた。隣には比企谷もいたが、やはり目を合わせようとしない。見なかったことにしてくれているらしい。生徒からの優しさが身にしみる……。

 しかしこいつら、どうせこのあと由比ヶ浜が飲んだ柄杓を比企谷に渡して「か、間接キスとか恥ずかしいし……」みたいな青春グラフィティをやるんだろなぁ……私もやりたかったなぁー! もう三十路だけど!

 

 私もやはり高校生の頃の甘酸っぱい思い出というやつに憧れがある。もはや私には手に入らないものだと考えるとなんだか泣けてくるが、私の生徒たちには後悔しないよう存分に思い出を作ってほしいものだ。

 

 

 

 

 

「私はコンビニで酒盛り用の酒を買ってくる。ではな。気を付けて戻れよ」

 

 修学旅行1日目の夜、ホテルのロビーでバッタリ出くわした比企谷と雪ノ下を連れてラーメン屋に繰り出し、気分よくなんだか教師らしいことを言って帰ってきたところで、私は比企谷たちと別れた。コートは雪ノ下に着せたままだが、まぁ彼女なら忘れずに返しに来るだろう。

 あの二人、雪ノ下の性格からしてこの後「一緒に帰るところを友達に見られると恥ずかしいし……」というときメモのワンシーンみたいなことやるんだろうなぁ……私もやりたかったなぁー! もう三十路だけど! もう三十路だけど……。

 

 しかし比企谷のやつ、修学旅行で由比ヶ浜と雪ノ下という美少女二人とイベントがあるなんて、ラブコメ主人公かあいつは? おまけに人からの好意に鈍感……というか気づかないフリをしている節まである。由比ヶ浜が見ててちょっと気の毒だ。

 

 そうして奉仕部の3人のことを考えながらコンビニに入ると。

 

「あ」「え」

 

 逸見先生がいた。

 

「平塚先生も酒盛りの買い出しですか?」

「え、ええ。ということは逸見先生も?」

「はい。厚木先生がどうしてもやろうというので……」

「あーなるほど……」

 

 厚木先生、そういうとこあるもんな……。

 酒盛りと言っても翌日も修学旅行の引率があるので、同室の先生方と缶ビール飲みながら乾物をつまむくらいのささやかなものだ。それは逸見先生のところも同じらしく、缶ビールのロング缶が数本とさきいかやカルパスがかごに入っていた。

 しかし下戸の人に酒盛りの買い出しに行かせるってどうなんだそれは……。

 

 逸見先生は私の会計が終わるのを待っていてくれて、二人並んでコンビニを出た。

 

 逸見先生がチラチラと私を見てくるが、なんだ? もしかしてラーメンの臭いついてる?

 

「あーっとその……それ、持ちましょうか」

 

 逸見先生が突然そんなことを言い出したので、私は安心すると同時に噴き出してしまった。初めて彼女ができた中学生男子か。

 

「わ、笑わなくたっていいじゃないですか。ひどいなぁ」

「いや……すみません……くく……」

「もういいですよ」

 

 逸見先生は冗談っぽくそう言ってむくれて見せた。なんだこの強面三十路男、かわいいな。

 

「いやほんとすみません、ぜひお願いします」

 

 コンビニの袋を差し出し、逸見先生に持ってもらう。

 人に荷物持ってもらうなんて何年ぶりだ? ヒモ野郎と付き合ってた時以来じゃないだろうか。あいつも最初は優しかったんだよな、最初は……いや、やめよう。いずれにしろ最後には家財道具を持ち逃げした男なのだ。本当に警察に突き出してやればよかった。

 

 しかし言い出すまでにソワソワしていたところを見ると、逸見先生は私のことを女として意識してくれているということなんだろうか。同僚の荷物を持つならいつもの調子で言い出すだろうし……。

 

「くしゅん!」

 

 互いに無言で歩いているところで、くしゃみが出た。

 そう言えばコートは雪ノ下に着せたままなんだったな。寒い……。

 

「平塚先生、上着貸しますよ。それじゃ寒いでしょう」

「え? いや……」

「袋持っててもらえます?」

「あ、はい」

 

 私がコンビニ袋を預かると、逸見先生は着ていた丈の短いコートを脱いで私の肩に掛けてくれた。あったかい。そして逸見先生のにおいがする。

 え、なにこれ。めちゃくちゃときめくな……。少女漫画なら「トクン……」って効果音ついてる。

 

「あ、ありがとうございます……」

「いいえ」

 

 さっきは初めて彼女ができた中学生男子みたいな感じだったのに、やればできるじゃないか逸見先生……。そしてさっき雪ノ下にコート貸しっぱなしのまま帰した私、よくやった! 怪我の功名とはまさにこのことだ。

 

 あれ、でも今回はいつもの調子で「上着貸しますよ」って言ってたな。私のことを女として意識してくれているのではなかったのか……?

 そう思って逸見先生を見やると、今になって恥ずかしくなってきたかのように顔を赤くして複雑な表情をしていた。

 

「逸見先生、顔赤いですよ」

「ま、まぁ、出てくる前にお風呂入ってきたんで実は暑かったんですよ。コート脱いでちょうどいいくらいです」

「へぇー……」

 

 逸見先生の素直じゃない返答に思わずニヤついてしまう。

 

「白状するとですね……我ながら変にキザなことをやっちゃったなと思って今すごく恥ずかしいです」

 

 逸見先生は赤い顔のまま照れ笑いした。

 

「そうなんだろうなと思ってました」

「いい年して似合わないことはやるもんじゃないですね。忘れてください」

「忘れませんし、別に似合わないことじゃなかったですよ。逸見先生にドキッと来ました」

「それはどうも……でも忘れてください。あー恥ずかしい」

 

 両手にコンビニ袋を提げていなければ両手で顔を覆って恥ずかしがっていそうな逸見先生をからかいながら、私たちは肩を並べてホテルに戻った。

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