平塚先生と結婚する話   作:Asarijp

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7 平塚先生が三たびフラれる話

逸見(へみ)先生……」

「平塚先生……」

 

 しばらく平塚先生と見つめ合う。

 よりにもよって結婚式で平塚先生と出くわしてしまうとは。

 

「平塚先生はどうしてここに?」

「え? ああ、新婦が大学時代の友人で……。逸見先生は?」

「僕も新郎が大学院のとき同じ研究室で……。こんなことあるんですね」

「いやホントに……世間は狭いですね」

 

 今回だけは広くあってほしかったな……。

 

 平塚先生は黒いパーティードレス姿が非常によく似合っている。俺が知っているのはいつもの黒いパンツスーツ姿だけなので、こうしたフォーマルな格好をした平塚先生を見るのは初めてだ。

 平塚先生はもともと美人だが、盛装した姿ではさらに磨きがかかっている。

 

 しかしジロジロ見たり言及するといろいろあるので、意識をそらすべく適当な話を切り出す。

 

「そうだ、平塚先生は結婚式の受付って経験おありですか? 僕、今回が初めてなので勝手があんまりよくわからなくて」

「ええ。もう両手の指では足りないくらいやってますから、任せてください」

「そ、そんなに……いや助かりました。新婦側の受付の方もなにもわからなかったらどうしようかと心配してたんです」

 

 一応事前に調べては来たし、さっき式場の人に簡単なレクチャーも受けたが、知人が経験者として居てくれるとずいぶん心強い。

 平塚先生からも簡単にレクチャーを受け、どうにか大過なく結婚式の受付を務められそうだと安心できた。お金が絡むことだし、結婚する二人のせっかくの門出なのだ。こうしたことでトラブルを起こしたくない。

 

 平塚先生のレクチャーが終わると、なんとなくそのまま会話が途切れた。

 気まずい。

 

 平塚先生がこの気まずい空間から逃れようと飲み物を買いに席を立ち、平塚先生が戻ってきたあと今度は俺がお手洗いに席を立ったが、いろいろ理屈をつけても席を外す口実というのはそんなにない。結局は受付に二人並んで座り、気まずい時間を過ごすことになった。

 

 チラリと横目で平塚先生を見ると、平塚先生も同じようにこちらを横目で見ていたらしく、目が合ってしまった。

 変な空気を変えようと、わざとらしく大きくせき払いする。

 

「そう言えば、新生徒会はどうですか? いろいろありましたけど」

 

 ここは仕事の話で場をつなごう。招待客が来て忙しくなるまでの辛抱だ。

 

「そ、そうですね……隣の海浜総合から共同でクリスマスイベントをやらないかというお誘いがあったので、まずはそれをやらせてます。まぁ、初仕事でよそと共同作業というのもちょっと大変だとは思いましたが……」

「そうなんですか……」

 

 もうすぐ結婚式の出席者も来るだろうし、これでとりあえず気まずい中で座ってなくてよさそうだ……と思っていると。

 

「静ー! 久しぶりー!」

(はるか)! 日本に帰ってきてたのか!」

 

 俺や平塚先生と同年代の出席者らしい夫婦が姿を現した。平塚先生が親しげに話をしているところを見ると、この二人も新婦の大学時代の友人なのだろう。

 ハイソサエティ向けの雑誌でモデルとして出てきそうな感じの、目の覚めるような美男美女のカップルだ。しかもどうやら夫婦で海外勤務の人たちらしい。なんだかいろいろすごい。俺の知らない「世間」がある。

 

 美男美女カップルが立ち話を終えて会場に入るのを見送り、なんとなく平塚先生を見やる。平塚先生は俺に向かって苦笑いした。

 

「すみませんうるさくしてしまって。久しぶりに会ったのでつい」

「あ、いえ」

「……大学でよくツルんでた二人の親友が結婚してキツい失恋をしたって話、前にしたでしょう? さっきの二人がそれです」

「はぁーさっきのが……」

 

 確かに平塚先生があのカップルと話をしている姿はとても自然だった。リアルに美男美女で三角関係というのもすごい話だな。ドラマの世界じゃないか。

 

「女性のほうもお綺麗な方でしたけど、男性のほうもすごく、こう……美男子でしたね。俳優かと思いました」

 

 あんないい男なら平塚先生が諦めきれないのもわかる気がする。

 

「いやぁ、実際話してみると、いろいろとどうしようもないやつですけどね」

 

 外面だけはいいんですよあいつは……とぼやく平塚先生の表情は、とても柔らかなものだった。

 

 

 

 

 

 結婚式、結婚披露宴とつつがなく終わり、新郎新婦と親しい出席者一同は披露宴と同じホテルの二次会会場に移った。

 二次会は立食パーティー形式で、大学で同じ研究室だった同期と久しぶりにゆっくり話ができた。同期は俺と同じように高校教員になったのもいれば、公務員や会社員になったのもいるし、音信不通になってしまったのもいれば、新郎のように数学者になったのもいる。

 

 その数学者になった新郎と、俺は会場の隅っこで立ち話をしていた。

 

「逸見、お前、結婚は……まだみたいだけど、いい人いねぇの?」

 

 新郎が俺に話を振る。

 

「いないな」

「あーそう……」

「正確に言えばできそうになったことはあったんだけど」

 

 俺がそう言うと新郎は食いついてきた。

 

「ほう。どんな人?」

「ほら、ステージに立ってる背の高い美人いるだろ? あの人」

 

 俺があごで指した先には、ステージの上でビンゴの景品としてディスティニーランドのペアチケットをもらっている平塚先生がいた。司会役の二次会幹事に「一人で二回行けるね!」と言われて苦笑いしている。

 

「マジか。え? どういう関係?」

「職場の同僚」

「あんな美人とオフィスラブか。いいじゃん。なんでダメだったの?」

「いろいろあったんだけどさ。まぁ、結局俺じゃ釣り合わないなって」

「なんだよそれー。もったいねぇなぁ」

 

 新郎は既に酔っているのか、俺の肩をばしばしと叩いてくる。

 

「あの人、お前の奥さんと同じ大学出身なんだよ」

「へー。……え、それだけ?」

「あと実家が金持ち」

「ほー。……え、それだけ?」

「あとすげぇ美人」

「うんまぁ確かに。……え、それだけ? それだけで諦めたの?」

 

 新郎のこういう能天気なところが、俺はたまにうらやましくなる。

 

「……なんかこう、やっぱり住む世界が違うなって思って」

「考えすぎだって。俺の嫁さんだってあの美人と同じ大学出身だし綺麗だろ? でも俺、結婚したじゃん」

「お前はお前、俺は俺だよ」

「……逸見。お前、まだ研究者にならなかったの後悔してるの?」

 

 こいつにそういう話をしたことはなかったと思ったが……。

 

「……やっぱりはたから見ててわかってた?」

「まぁそりゃね」

 

 そういうのはあまり知られたくなかったし、知られないようにしていたつもりだった。

 

「でもならなかったんじゃなくて()()()()()()んだよ。同期で頭ひとつ抜きん出てるってわけでもなかったし、あそこからもう3年か4年学生やれるかって言ったらやっぱり難しかったし」

「でも納得できてないんだろ」

「納得、するしかないだろ。今からどうにかできるもんでもなし。でも……たぶん後悔はしてる」

 

 新郎は、ふん、と鼻で笑った。

 

「で、あの美人のことも『納得するしかない』とか思いながら後悔するわけ?」

「……たぶん」

「お前はなんていうかさぁ、自信がなさすぎるっていうか。今で言う『自尊感情が低い』っていうか……大学の学生でもそういうのが多いって話が出たりするんだけど、お前も昔っからそうだったよな」

「そうかな……そうかも」

 

 二次会のビンゴ大会が終わり、一番いい賞品を当てた出席者が拍手される。俺と新郎もテーブルにグラスを置いて拍手した。

 

「逸見。俺、大学院では俺よりお前のほうが研究者向きだと思ってたよ」

 

 拍手が鳴り響く中で、新郎はそんなことを言った。

 

 俺だって数学者になれるものならなりたかったが、もう既に過去のことだ。今さら言ってもどうにもならない。

 拍手が終わって、胸のわだかまりを飲み下すようにテーブルに置いていた飲み物を一気に飲み干した。

 ……が、味がおかしい。

 

「あ、馬鹿! それ俺のグラス! 酒だぞ!」

 

 新郎が叫ぶ。

 

 喉と胃が熱くなり、1分もしないうちに気分が悪くなってきた。

 やってしまった……。

 

 すぐに立っているのもつらくなり、テーブルに突っ伏す。がちゃがちゃとテーブルに積まれた皿が音を立てた。

 

「きゅ、救急車は呼ぶな」

「いや、そんなこと言ってもお前……」

「気分が悪くなって眠くなるだけだから……二次会、台無しになっちゃうし」

「逸見先生? どうしたんですか?」

 

 聞き慣れた声がするほうを向くと、平塚先生が心配そうな顔をして立っていた。

 

「平塚先生……いえ、大したことでは……」

「なにがあったんです?」

 

 平塚先生が新郎に尋ねる。

 

「逸見がグラスを取り違えて酒を飲んでしまって……」

「お水はありませんか? ソフトドリンクでも構いません」

 

 平塚先生が周囲の出席者にそう尋ねながら、俺のネクタイを緩めてワイシャツの首元のボタンを外す。

 新郎が大声を出したこともあって、会場内はざわつき始めてしまっていた。

 

「平塚先生、本当にちょっと休めば大丈夫ですから……あまり事を大きくしないでもらえると」

「ええ」

「あとお手数ですが、会場の外まで連れ出してもらえますか。このままだと……」

 

 と、視線をこちらに向けている出席者たちを目で示す。

 

「わかりました。行きましょう」

「すみません、ご迷惑をおかけします。……騒ぎにしてしまってすまん」

 

 新郎に謝り、俺は平塚先生に肩を貸してもらってどうにか会場を出た。

 

 心配してついてきてくれたウェイターさんにホテルの部屋をとってもらい、平塚先生と一緒に部屋に担ぎこんでもらう。

 

「逸見先生、本当に大丈夫ですか? やっぱり救急車……」

「だいじょうぶ……ありがとうございました、平塚先生。もう、もどっていただいて……」

「いやいや、酔って倒れた人を一人にはできないですよ」

「でも……もう……ねむくなってきました……」

「ああ、仰向けに寝ると……」

 

 吐いたら喉に詰まっちゃいますからと、平塚先生は俺の腕と足を引っ張って横向きに寝かせる。もう寝返りを打つのすら億劫なくらい眠い。

 

「逸見先生はそのまま寝てしまってください。私、しばらくいますから。ね?」

「すみません……」

 

 平塚先生に謝ったところで、俺の意識は完全に途絶えた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 結婚披露宴で私は(はるか)やその旦那と同じテーブルを囲んでいた。

 披露宴は新婦の晴れ舞台だ。新婦とはこの後の二次会や三次会でゆっくり話せばいい。そう思って、披露宴ではこの大学時代の親友二人と話に花を咲かせていた。

 

「静。それはあんたが悪いわ」

 

 そして、ここ最近の逸見(へみ)先生との話をして真っ先に遥に言われたのがこれだ。

 

「確かにさ、相手も悪いところはあると思うよ。静のこと『好きだ』って言っときながらやっぱ釣り合わないから断るとか、はっきりせいって思うし。でも静はそれ以前だよ」

 

 遥が持っていたフォークで私を指す。

 

「私がそれ以前って、どこが」

「だって、静はその人のこと『キープ』してたわけでしょ」

「キ、キープって……」

「静からは好きとも嫌いとも言わないまま、手も出させずに思わせぶりな態度をずっととってたってことでしょ? そりゃあねぇ、男は嫌になるよ。ねぇ?」

 

 と、遥は食事に集中していた隣の旦那に話を振る。

 

「え? あ、おう、まぁそうかもしらんな」

「聞いてないし……」

「いや、遥。私は『キープ』なんてしてないぞ。だいたい、逸見先生と仲よくしてた間は婚活だってしてなかったわけだし」

 

 めぼしい婚活イベントがなかったし、仕事が忙しかったというのもあるが……。

 

「それ、その逸見先生には言ったの?」

「……言ってない」

「ほら!」

 

 ぐうの音も出ない。

 

「そもそもなにがきっかけでそんなにこじれて決裂しちゃったの? それまではいい感じだったんでしょ?」

「うぐ……」

 

 逸見先生との決裂の発端は私の大学時代の失恋の話、つまり遥とその旦那が付き合いだした話をしたことだ。そんなことを本人に言えるわけがなく、そこは適当にごまかしていた。

 

「だからそのへんはいろいろあってだな……」

「なーにボカしてんのよ。30過ぎの()()()()女が今さら恥じらうことなんかないでしょ」

「……おい遥。それを言ったら後は命のやり取りしか残らんのだぞ」

「おっやるかぁ? 一児の母なめんな?」

「よし、表出ろ」

 

 遥に親指で会場の扉を指してみせる。

 遥はキョロキョロと周囲を見回して席を外してもよさそうなのを確認し、旦那に「あたしと静、お手洗い行ってくるから」と言い残して私とともに席を立った。

 

 お手洗いとは逆方向にあるホワイエで、私たちは並んでソファに掛ける。

 

「それで静、なにがあったの?」

「うん……まぁ、なんだ……ちょっと、というかだいぶ言いづらいんだが」

「静が言いづらいこととなると……エッチなこと?」

「違う」

 

 確かに人前でする話ではないが、もう30も過ぎたのに下ネタが言いづらいわけあるか。

 

「じゃあ、政治とか宗教とか?」

「それも違う。同僚とそんな話しないだろ普通」

「……じゃあ、あたしとうちの旦那とのこと?」

 

 私は答えに窮した。しかしそれで答えを言ってしまったようなものだ。

 

「……もしかして、気づいてたか? その、大学時代から」

「うん、あたしはね。旦那はあたしに言われるまで気づいてなかったけど。静はあいつのこと、まだ好きなの?」

 

 また私が黙り込むと、遥は「そっかぁ……」とソファの背もたれに身を預けた。

 

「一途だね、静は」

「そうでもないさ。あのあと彼氏いたことあるしな」

「あー言ってた言ってた。家財道具持ち逃げされたんだっけ」

「それそれ。でもそれはもういいんだ。思い出したくもない。……お前の旦那のこと、吹っ切れたと思ってたんだけどなぁ。逸見先生に、お前とお前の旦那と三人で大学時代にツルんでて、3年のときにお前たちが付き合い始めてショックを受けたって話をしたら、『まだお好きなんですか』って言われてな」

「それで否定できなかったってわけだ」

 

 私はうなずいた。

 

 この10年ほど隠し続けてきたつもりだったことなのに、こんなにすんなりこのことについて話ができてしまったことに驚いた。

 

「その逸見先生の立場に立ってみたらさ、昔好きだった男を吹っ切れてないのに思わせぶりな態度とられて振り回されたあげくに『あなたのことは別に好きじゃない』って言われたことになるわけじゃん?」

「う」

 

 そう言われると確かにそりゃ「なんだこの女」ってことになるな……。

 

「静はどうしたいの? その逸見先生とのこと」

「どうしたい……んだろうな……」

 

 改めて考えてみるが、やっぱりたぶん逸見先生のことは好きではないんだろう。逸見先生のことを考えるとドキドキするとかときめくとか、そういうことはないのだ。そういう恋愛的な好意がないのは間違いない。

 しかし、一緒にいて落ち着くし、安心する。同じ時間を過ごすのが楽しくもある。

 

「じゃあ友達でいいんじゃないの?」

 

 そういう話をすると、遥は呆れたような顔をした。

 

「いや、それはなんか違うんだよなぁ……。他の人に取られたくないっていうか」

「独占したい?」

「……うん」

「……わかった、それはあれだね。静はその逸見先生に『ママ』になってほしいってことだね」

「……本気で言ってる?」

「本気本気」

 

 言うに事欠いて「ママ」って……。

 

「だって『彼氏にしたい』ってわけじゃないんでしょ? ドキドキするとか、キスしたりセックスしたりしたいわけでもないんでしょ?」

「うん、まぁ」

 

 修学旅行で上着を貸してもらってドキッと来たのはあったが、まぁあれくらいはよくあることだろう。

 

「でも一緒にいたいし、他の人に取られたくないんでしょ?」

「そうだな」

「じゃあそれ『ママ』じゃん。『パパ』でもいいけど。うちの子、あたしとか旦那に対してだいたいそんな感じだよ。あたしがよその子と話してると怒るし」

「ええー……」

 

 30過ぎの大人が幼児と同じものを求めているなんて認めたくねぇー!

 

「……うちの子さ、あたしたちが仕事で忙しいから寂しいんだろうね」

「仕事でいない間どうしてるんだ?」

「シッターさん頼んでる」

「高給取りめ」

「幸福につなげられなきゃ、いくらお金あってもしょうがないでしょ」

「それはそうだな」

「静、結局のところ、あんたも寂しいんじゃない? 気軽に飲みに行ったりする友達いる?」

「逸見先生、とか……」

「それはなんか違うって言ったのあんたでしょ。ほかに」

「い、いない」

 

 今日の結婚式で友人と思える相手はみんな結婚してしまった。それでなくても、みんな仕事やら彼氏やらなんだかんだで忙しくしているものだ。陽乃も元教え子だから、飲みにこそ行くが一線を引いている。

 

「じゃあ単純に寂しいだけなのかもね。そうすると相手は静のことを女として好きなわけだから、静にその気がないなら……」

「いや、そういうわけでも……」

「静」

 

 遥の顔には真面目に答えろと書いてあった。

 

「ほ、ほら、積極的にそういうことをしたいなって思うわけじゃないんだけど、でもまぁその、求められればまんざらでもない、かもしれないというか……」

「めんどくさ」

「ひどい!?」

「じゃあもうその逸見先生と一発ヤってから考えたらいいじゃん。さっき言ってたけど、どうせ今年で転勤なんでしょ? ダメでも後腐れないし、それでイケると思ったら結婚すれば」

「私と逸見先生はそういうのじゃないんだよ。もっとこう……」

「静」

 

 遥の顔は、今度はいたく真剣なものになっていた。

 

「結婚するときに聞いたんだけどさ、うちの旦那、最初は静のことが好きだったんだって」

「……なに?」

 

 え、マジで? そんな素振り全然なかったのに?

 

「でもいろいろアプローチしても全然反応よくないから、これは脈なしなんだって諦めたって言ってたよ」

「アプローチ……? 待て、心当たりがないぞ。だいたいそんなものがあったら飛びついてるし」

「二人でドライブ行ったりしたって聞いたけど?」

「確かに行ったな。でもずっと車の話してたから、てっきり車オタクの同好の士と扱われてると……」

 

 些細な意見の相違による殴り合い(比喩表現)からの和解ということもあったので、完全に女として見られていないと思っていた。

 

「……静だけじゃなくてうちの旦那もアホだったか」

「アホ!?」

「まぁそれであたしは結婚できてるからよかったけど。……あたしが言いたいのはさ、付き合うにしろ別れるにしろ、静がどう思ってるのかはっきり表したほうがいいよってこと。うちの旦那のときだって、あんたがはっきりしなかったからあたしに取られてるんだよ?」

「そうだな……」

「静、そこで提案なんだけどさ」

 

 遥は悪い顔をしていた。

 

「うちの旦那にちゃんとフラれてみない?」

 

 

 

 

 

 披露宴が終わり、私と遥夫婦は二次会会場に移動していた。

 開始までにはまだ30分ほどあり、会場内に人はあまり多くない。

 

「……で、なんで俺呼ばれたの?」

「静から話があんのよ。いいから聞いてあげて」

 

 会場の隅で飲み物を片手に、かつての想い人と相対する。

 遥はいつの間にかどこかにいなくなっていた。

 

「あー、その……」

 

 照れ隠しに何度もせき払いをし、何度も深呼吸をする。

 

「今さら言われても困ると思うんだが……」

「……おう」

 

 どういう話をされるのか、彼も察しがついたようだ。

 

「大学の頃、私はお前が好きだった」

「ああ」

「今も、まだ好きなんだ。ちゃんと吹っ切れていないんだ」

 

 彼は無言のまま頭をかき、そしてため息をついた。

 

「……言うのが10年遅いっての」

「すまん」

「平塚。気持ちはうれしいが、お前の気持ちには応えられん。俺にはもう家族がいる」

「そうか。……ありがとう、ちゃんとフってくれて」

 

 10年越しの恋心の最後はあっけないものだった。

 もっと感情がこみ上げてくるものかと思ったが、なんと言ったらいいのか、卒業式のようなひとつの儀式が終わったかのような気分だ。溜まっていた仕事を片付けた後のすっきりしたような感覚すらある。

 

「どういたしまして。……平塚。さっきの話の人とうまくいくといいな」

「ああ。頑張るよ」

 

 彼は握手をするように私に右手を差し出し、私はその手を強く握る。

 それで、私と彼はようやく「大学時代の友人」になった。

 

 

 

 

 

 あっけない終わりと思っていたが、あれは嘘だ。

 

 フってもらった後10分くらいしてから自分でも引くくらい泣き始めてしまい、トイレの個室でわんわん泣いてたら何人かが心配して声をかけてくれてめっちゃ恥ずかしかった……。メイク直しやなんやで二次会には遅刻した。

 

 二次会のビンゴ大会でディスティニーランドの無料券二人分を当ててしまい、腫れぼったいまぶたのまま壇上に上げられたのも恥ずかしかった。司会の幹事がなにかを察したのか「一人で2回行けるね!」と言っていたが、「一人で2回行けるね!」じゃないんだよ。それ言われるの2回目だし。

 

「静、よかったじゃん。ディスティニーランド、誘ってみたら?」

 

 壇上から遥の下に戻ると、遥がそんなことを言った。

 

「その前に逸見先生とプライベートでもまともに話せるようにならなきゃならないけどな……」

「そこはあんたの頑張り次第だね」

「……遥、ありがとう。さっきの」

「別にいいよ。……あたしさ、あんたを出し抜いたみたいにあいつと付き合い始めちゃったから、ずっと罪悪感みたいなのがあったんだ」

「そんなこと考えてたのか」

「だから、こっちこそちゃんとうちの旦那にフラれてくれてありがと!」

「なに言ってるんだバカもの……」

 

 壇上では一等の温泉旅行を当てた出席者が拍手をされていた。私たちもそれに合わせて拍手する。

 

「遥、結婚おめでとう。今なら心からお前たちを祝福できるよ」

「うん、ありがと。次は静の番だね。頑張んな」

「ああ」

 

 拍手が収まってすぐに、会場の一角から大声と食器のぶつかるような音が響いた。

 

 野次馬のように様子を見に行くと、逸見先生がテーブルに突っ伏していた。喧嘩か?

 手刀を切りながら人の隙間を縫って逸見先生に駆け寄る。

 

「逸見先生? どうしたんですか?」

 

 一番近くにいた新郎に話を聞くと、逸見先生がグラスを取り違えてお酒を飲んでしまったという。

 逸見先生が会場の外に連れ出してくれと言うので、肩を貸して会場を出る。会場を出るときに、逸見先生は騒ぎになってしまったことを新郎に謝っていた。

 

 心配してついてきてくれたウェイターさんにホテルの部屋をとってもらい、ウェイターさんに手伝ってもらって逸見先生を部屋に担ぎ込んだ。

 

「逸見先生、本当に大丈夫ですか? やっぱり救急車……」

「だいじょうぶ……ありがとうございました、平塚先生。もう、もどっていただいて……」

「いやいや、酔って倒れた人を一人にはできませんよ」

「でも……もう……ねむくなってきました……」

「ああ、仰向けに寝ると、吐いたら喉に詰まっちゃいますから」

 

 逸見先生を横向きに寝かせ、寝ゲロに備えてビニール袋をサイドテーブルに用意しておく。

 

「逸見先生はそのまま寝てしまってください。私、しばらくいますから。ね?」

「すみません……」

 

 逸見先生はそれきり完全に眠ってしまった。

 

「あー疲れた」

 

 ウェイターさんに手伝ってもらったが、やはり大人の男性を運ぶのは大変だった。

 

 逸見先生は顔をしかめたまま眠っている。特におかしな様子はない。本人が言うように、本当にひと眠りすれば大丈夫なのかもしれない。

 でも目を離した隙に吐いたりしたらやっぱりアレだしな……。

 

 そう考えて、二次会幹事に戻らないことを連絡する。新婦には悪いが、出席者でまた会いたいやつは後日改めて会えばいいんだしな。

 

 ベッド横の一人用ソファに座って逸見先生を見つめる。

 

 別に「私にはこの人しかいない!」と思っているわけではないし、やっぱり恋愛的な意味で逸見先生のことが好きでたまらないというわけではまったくない。その点に関しては、私は完全に冷静だ。

 

 しかし、このままこの人と疎遠になってしまうのは嫌だと、今やはっきり思っている。

 

 でもなぁ……求めてるのが「ママ」って……。まぁそうなのかもしれないが、もっとこう、あるだろ。言い方が。

 とはいえ、私が逸見先生に求めているのはそうとしか言いようがない気もする。ほかならぬ逸見先生に、私の世話を焼いてほしいと思っている。

 

 考えてみると、生徒の前でタバコを吸っているといつも逸見先生に注意されていたのがこういう気持ちの発端かもしれない。

 誰よりもうまく、誰よりも大量に仕事をこなして自席でタバコを吸ってもなにも言われない状態を作ったのに、それを空気を読まずにぶち壊してくれたのが逸見先生だった。

 

「平塚先生、生徒の前でタバコはちょっと」

 

 生徒の前で吸っているのを見かけると、逸見先生は私よりも後に総武高校にやってきたにもかかわらず、いつもこう言って私を注意した。

 はじめはもちろん「なんだこいつ」と反発したし、舌打ちをしたことすらあったかもしれないが、逸見先生はどうやら本当に生徒のことを思ってそういうことを言う人らしいということが一緒に仕事をしていてだんだんわかり、また私に対抗するように逸見先生も大量に仕事を引き受けるようになって、注意されることに対する敵意は徐々になくなっていった。仕事をこなしまくることと引き換えに、もともと道理に合わないことを周囲に認めさせていたのは私だった。

 お盆休み前の飲み会の帰りに逸見先生に「女として私はどうですか」なんて言ったのは、これが始まりだったと思う。

 

 そうだ。私はたぶん、自分が馬鹿をやったときに逸見先生に叱ってほしいんだな……。

 

 そう考えると、遥が言ったように、私が逸見先生に求めているのは確かに「ママ」かもしれない。あるいは昔の少年漫画でよくいた、毎朝起こしに来てくれる世話焼きの幼なじみや不良を更生させようとする風紀委員長か。

 いずれにせよ、私はそういう「甘えさせてくれる」相手として逸見先生を求めている。

 

 なんてかっこ悪いことか……。

 思わず苦笑いが浮かんだ。我ながら呆れてしまう。

 

 しかし、私は紛れもなくこのかっこ悪い欲望を逸見先生に受け入れてほしいと思っている。そして、逸見先生が私に対してなにか求めてくれることがあるなら、それを受け入れてあげたいとも思っている。

 逸見先生のことをまだ諦めたくない。「私にはこの人しかいない!」とは思わないが、「結婚するならこの人がいい」とは思う。

 

 完全に縁が切れてしまうまで、私は逸見先生との関係を諦めるべきじゃない。

 

 両手で頬を叩き、気を引き締める。

 

「よし!」

 

 2回フラれたくらいで諦めちゃいかん。逸見先生に初めてフラれたあの夜に、ハングリー精神を持ってやっていくと決めたのだ。平塚静の婚活はまだこれからだ!




 打ち切りエンドのようなラストですが、まだ続きます。

 今回出てきた平塚先生の友人の遥は、原作小説4巻の千葉村でのボランティアの中で行われた怪談話のエピソード(アニメでは省略)で「私には親友とも呼ぶべき存在がいた。木下遥という」という平塚先生のセリフから作っていますが、この木下遥は突然フルネームが出てきたにもかかわらずその後まったく触れられない謎の人物です。
 作者の渡航先生のほかの作品のキャラクターというわけでもなさそうですし、怪談話で「木下遥はいなくなった(結婚して苗字が変わった)」という話をするためだけに出てきた名前ということなのでしょうか。
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