異世界迷宮で縁壱を目指そう 作:異世界TS奨励委員会
――相川渦波。
私たちの兄であるが、私が陽滝に体調を治され、本格的に陽滝との争いを始めてから、部屋に閉じこもるようになった。
理由は理解できる。
相川渦波は痣にやられる私を憐んでいたのだから。その憐んでいた存在が、自分を追い落としてしまったとき、兄の精神は限界を迎えた。
ただでさえ、下の妹である陽滝と争い、一度も勝てなかったのだ。そこに、いままで病でまともに動けないと思っていた相手が加わる。それにも勝てない。
相川家は強者を尊ぶ方針だった。勝つことが全てだと教育を受ける。だからこそ、勝つことでしか自分を保つことができない。
負け続けた相川渦波は、自我をすり減らし、もはやまともに対話することは不可能だった。
本当に労しい姿だった。
「兄さん……少しいいですか……?」
そんな兄に、妹、相川陽滝はにじり寄った。
「ひ……っ、……陽滝……!? や、やめろ……来ないでくれ……! ぼ、僕はもうお前たちには挑まないんだ……! 最初から……最初から敵わなかった……。勝とうとしたことが間違いだった……! これ以上……あぁ……これ以上は……!!」
陽滝が近づくなり、兄の相川渦波は恐慌状態となる。尻餅をついて後ずさった。
「話になりませんね……はぁ……」
ため息をつく陽滝の表情に、辛さが滲むのを感じる。陽滝の言う『目に見えない神経』の複製は、痛みが伴うのだと想像がついた。
「陽滝……大丈夫か……?」
「お姉ちゃん……」
遅れて後ろから声をかけた私に、陽滝は甘えるように寄りかかる。
「ぼ、僕には関係ない……。お前たちのことは関係ないんだ……!」
一人、叫び、相川渦波は逃げていく。
まともに歩くことさえできていない無様な格好のまま、部屋へと這いずって行った。
「そうだ、お姉ちゃん……。もう一回、言ってもらっていい……?」
「……なにを?」
いなくなった相川渦波を、まるで最初からいなかったものかのように扱い、陽滝は言った。
「いつだって、私のことを助けてくれるって……」
「……もちろんだ……。辛かったら言え。そうすればいつでも駆けつける。姉さんがなんとかしてみせるぞ?」
「えへへ……」
陽滝は照れたように、幸せそうに笑った。
その理由はわからなかったが、陽滝が私にそう言わせたかはすぐに理解できる。
「……!?」
陽滝にだけ見えるモヤが引き出され、私の周りを漂った。『透き通る世界』でそれが感知できる。
そして、それは、陽滝のときと同じように『輝き』を放つ。
「あぁ……」
反射の光だった。
まるで『太陽』の光を反射してようやく輝ける『月』のように、そのモヤは反射の現象を起こす。
「……『月』……。ふふ、お姉ちゃんは『月』で、私は『太陽』……!!」
「…………」
まるで前世の焼き直しだった。
陽滝はその起こった現象を見て、喜んでいるとわかる。もちろん、そこに私を貶める意図はないのだろう。
――『月』と『太陽』。
並んで称される。対をなすことが多いだろう。
どちらもともに、空に浮かび、人間の生活に大きく影響を与えてきた。
だが、『月』は人類の手が届くほどの距離に……『太陽』は遥か彼方に。
陽滝へと、醜い感情が込み上げてくることがわかった。
「『反転』……? あぁ……そうなんだ……」
陽滝は何かを理解していた。
私は込み上げる憎しみを抑えつけることだけで手一杯になり、陽滝の言葉に意識を割く余裕がなかった。不甲斐ないばかりだった。
「『一緒』『一緒』『ずっと一緒』『ずっと、ずっと、ずっと一緒』」
陽滝が私に抱きつきながら言葉を口ずさむ。
熱い光が溢れる。心に沸いた憎しみが焼き尽くされるような、そんな光だった。二人、燃えて灰になってしまいそうな、そんな光だった。
「『お前のことは絶対に助ける』『いつでも、どんなときも』」
苦しげな陽滝の顔に、私はそう約束をした。しなければならない。溢れる憎しみの感情を必死に堪える。相川陽滝の姉として、私はそうあらねばならなかった。
「……あぁ」
光が朧に
なにもかもを、自分ごと燃やし尽くしてしまうという意思さえ感じる煌めきが、反射し弱まることにより、共に生きていくための心強さをもらえる暖かい光となる。
自身が手を伸ばすべき大切なものが、失われてしまった気がした。
***
この世界に漂う靄を『透き通る世界』で認識した日から、私は新しい鍛錬を始めた。
血鬼術を用いた『月の呼吸』。前世に修得した技の数々を、再び扱うための修練だった。
ホオオオという独特な呼吸音が漏れる。模擬刀を振り、同時に月の刃を生成する。
この月の形の刃は、力場だ。その刃に当たってしまえば、『月』の力により、歪められ、『反転』され、引きちぎられる。防御不可の攻撃だった。
あぁ、今生も『月の呼吸』だ。『日の呼吸』を前世の弟の見様見真似で試してみたが、口惜しや、やはり、この身体では『日の呼吸』はできない。
身体が変わったならばと思った、微かな期待は裏切られる。都合よく物事がいくわけがないことは承知の上だ。
――むしろ。
「あぁ、やっぱり……お姉ちゃんは、すごい……」
私の『月の呼吸』で陽滝はバラバラにされる。妹が、『日の呼吸』を使わずに戦っていることが予想外だった。
「戦略眼……そして陽動、牽制の数々……この上なきものだ……」
とはいえど、常人とは一線を画する陽滝だ。私が身体が透けて見えるとわかっているゆえ、筋肉や臓物の動きはもちろん、神経の伝達や些細な血流のながれでも、陽滝は私を惑わそうと紛いの動きを見せる。
それに対応こそできるが、着々と一手一手、差せる手が削られていく。そんな感覚の戦いになる。
「身体能力じゃ……お姉ちゃんには敵わない……。ふふふ」
私には敵わないと認めながら、嬉しそうに笑う陽滝だった。
斬られた腕に脚を陽滝は繋ぐ。陽滝の身体の切断面からは、『白い糸』が生え、触手のように蠢き、切り落とされた部位が拾われていく。『白い糸』は編み物のように紡がれ、断面が、欠けた肉が補修される。
陽滝はかつての鬼舞辻無惨と同じように、どんなに怪我を負わせようと、たちまちに治る身体を手に入れていた。
そしてその『白い糸』は『目に見えない神経』を外界に伸ばしたもの。体の修復以外にも、他人に繋ぎ、意思や行動を誘導することもできるという。
私にも繋がれていた。陽滝が新しい力に喜び、初めて繋いだ相手は私だった。
当然ながら、それを見てすぐ、私も同じく『糸』を作る真似をした。強くなれる方法があるのならば、試さぬ道理はなかった。
――『朱い糸』。
結果として、『目に見えない細胞』をこねくり回し、出来上がったのは陽滝とは違うものだった。
血脈が通う、循環器官。『呼吸』により傷つきながらのたうち回る死にゆく細胞。その色は悲鳴の『朱』。繋いだものに『呼吸』の『代償』を肩代わりさせる悪辣なる糸。
私は、陽滝に『白い糸』を繋がれてすぐ、試した自身の『朱い糸』を、その『白い糸』の上を這わせ、伝い、陽滝まで辿り着かせた。私からも陽滝へと繋がりを作る。
流石に『呼吸』の『代償』を肩代わりさせるわけにはいかぬゆえに、緩い繋がりとなる。
陽滝は驚き、涙目で腰砕けに座り込む。『白い糸』は神経であるゆえに、その『朱い糸』を這わせる外的な刺激に過敏に反応したのだろう。
神経だということはわかっていた。だからこそ、優しく、撫でるように伝わせたが、ふるふると震えて、陽滝は何もできなくなっていた。抱きしめて、慰めることになった。
だが、目に見える反応があったのはその一度だけだ。
克服をしたのか、今では互いの糸を撚り合わせて、なにかできないかやってみようと、よく陽滝の方から誘ってくるほどだ。
「陽滝……手加減は要らぬぞ?」
陽滝ならば、私の『呼吸』を真似できるのではないか。それどころか、『日の呼吸』まで辿り着いてみせるのではないかという疑念がある。
「お姉ちゃん……今日はもう、汗とか血でべとべとだし……。お風呂入ろう?」
「……む。それもそうか……」
一度私に切り刻まれて、陽滝は血まみれだった。治るとはいえ、流れ出た血液がなくなるわけではない。
私は『朱い糸』を伸ばし、流れ落ちた陽滝の血を吸い上げる。ここは相川家の私有地であるが、管理の者もいる。平成の世で血だまりができたままはまずかった。
血は『朱い糸』の中で分解され、その血の成分は繋がりを通して陽滝へと返される。
「……んぅ……」
陽滝はおもむろに服を脱ぎだす。脱いだ服で、体に纏わりついた血を拭う。
一通り拭き終わり、身体から血の色が消えたら、陽滝は『目に見えない靄』を集めた。そのまま『太陽』の力で、手の中にある服を焼き尽くす。
煙は出ず、燃え殻が地にばらまかれるのみ。一瞬で灰となる恐ろしき技だ。
「これでよし……」
同じ服を二度着る必要がないほどに、相川家は裕福だった。燃やした服を惜しむ心は陽滝にはないだろう。
「これを着ろ……」
「ありがとう。お姉ちゃん……」
服を脱いで、陽滝に渡す。
下着姿になってしまうが、このまま陽滝を全裸のままにしてしまうよりはマシだった。
私の服を陽滝は着込む。双子の陽滝は私と丈が同じだ。成長の度合いも同じだ。服はピタリと合う。
私の服を着て、陽滝は満足げな顔をしていた。
こうして斬り合うのは、今日に始まったことではない。血で服が使えなくなるのは初日からの問題だった。本来ならば替えの服を用意するべきなのであろうが、つい忘れてしまう。
ここからならば、人目につかずに帰ることもできる。万が一、誰かが通ったとしても、その視線を躱すことは私と陽滝なら容易いことだ。
問題はないといえば、ないのだが、やはり替えの服はあったほうがいい。そのはずだが、いつも忘れてしまっていた。
「あぁ、お姉ちゃん……。ふふ、私の強くてかっこいいお姉ちゃん……」
恍惚とした表情をしながら、陽滝は私を見つめていた。陽滝の私を見つめる目は、日を追うごとに熱を増していっているような気さえする。
誰の目にもつかず、家の中、さらには浴室まで辿り着いた。
風呂桶は広く、ある程度なら自由に泳ぎ回れそうなほど。そしてこの浴室、浴槽には、あらゆる機能があるようだった。中には滅多に使われずに、把握されていないだろうものさえある。
湯はすでに張られていた。
掃除を挟んで、入浴のできる時間帯は決まっているが、今はその時間だった。
「陽滝……湯の熱さは大丈夫か?」
「うん、ちょうど良いよ?」
シャワーを使い、陽滝の髪を濡らし、洗う。
共に過ごす時間が多くなり、こうして入浴さえも共にするようになってからの習慣だった。
絹のように艶の整う繊細な黒髪を、丁寧に優しく浄める。
洗うついでに、疑問を尋ねる。
「陽滝……お前は私の『呼吸』を真似しないのか……?」
「しないよ? 私には必要ないから」
――辿り着く場所はいつも同じだ。
「…………」
かつての弟の声が聞こえてきたような気がした。かぶりをふり、その幻聴を振り払う。
陽滝は、私には見えていないものが見える妹だった。その人類の域にない頭脳で、なにか一つの答えを見つけているのかもしれない。
私たちの勝負において、なんら手抜きをしない。それが事前の準備であろうとも、陽滝は一つ一つの勝負に全力だった。
「その『呼吸』は、お姉ちゃんの体質に合っているから。私の真似をして、伸ばしたこの『朱い糸』自体が『呼吸』をしているくらい馴染んでる。いえ、馴染んでしまっている。私が真似をしたら、おそらくそれ
――別物になる。
あぁ、そうだ。
私の呼吸は、本来の呼吸――『日の呼吸』とはまるで別物。最も近い場所に居るという自負はあるが、あの『呼吸』は、『剣術』は、
予感がある。
陽滝がもし呼吸を使えるようになるのならば、それは『日の呼吸』なのだろう。
だからといって、『呼吸』を使わないのが、この妹。私を倒すために、最速で、最大効果の過程を選ぶゆえ、『呼吸』を極める選択肢を除外しているというの
前世の、鬼の頃が頭によぎる。技量を極める時間をとらず、その分だけ血鬼術や身体能力そのものを増強することにより、鬼の中で
陽滝の酷く合理的な頭が、『呼吸』を選ばなかったというだけの話だ。
「そうか……」
これでこの話は終わりであろう。
同じ剣を振るという動作でも、勝ち方は一通りではないのだから……。
ただ、もし、この才能あふれる妹が極めた『日の呼吸』と戦うとしたら私は……。
今はまだ良い。いつかこの妹に敗れ、なにをしようとも勝てなくなる日が来るのではないかという不安がある。
かつての弟のように、届かないはるか高みへ
ゆえに、自らを鍛え続ける他に道はなかった。