12月25日 クリスマス 中山レース場
まだレースも始まっていないというのに抑えきれない高揚感を語り合う人々で開門前の正門はごった返していた。推しのウマ娘がいかに可愛く速いかについて語っていたり、レース展開の予想をいっぱしの識者気取りで解説していたり、あるいはパンフレットに載っているレーシングプログラムや中山レース場の案内図を黙々と熟読していたりする者もいる。
一般客のなかにもちらほらとウマ娘がいた。集団のなかでウマ耳がぴこぴこ。しっぽがそわそわ。ウマ娘たちは一人で来ている者もいれば、友達同士だったり親子連れだったりと様々な顔ぶれだった。
「おかーさん、まだはじまらないのー?」
「もうちょっとだから、ね?」
待ちくたびれて、ぐずる幼女のウマ娘を母親が宥めていたりする。もしかすると今日の有馬記念を見たあと、この小さなウマ娘も大レースに憧れを抱き、将来トゥインクルシリーズを走ったりするのかもしれない。
人々は今日のレースではどんな伝説が見られるのだろうか、という期待感に満ち満ちていた。有馬記念とは毎年のようにドラマが生まれるそんな偉大なレースなのだ。
レース場の壁や柱などには有馬記念のポスターが貼られている。そこには出走予定のウマ娘たちが描かれていた。
ファン投票の結果や最近の競走成績を反映してか、構図のなかではマーベラスサンデーが主人公のようにもっとも大きな扱いをされていた。マヤノトップガンやヒシアマゾンといった少女も目立つ位置でポーズをとっている。ナイスネイチャは端っこに小さく載っているだけで、どう見ても脇役として扱われていた。
人々の頭上は青く澄んで晴れ渡っており、その上空をテレビ局のヘリコプターが通過してゆく。
『ただ今、私たちは中山レース場の上空を飛んでおります! ごらんください! 早くもここから見てもわかるほどの大行列ができています! さきほど入ってきました情報によりますとすでに十万人近い観客が集まっているとのことです! また、近隣の駐車場は満車状態ですので、これからご来場される方は公共の交通機関をご利用ください!』
高周波にも似たノイズ音が響く機内。席に座る興奮気味のリポーターの声に合わせて、カメラが中山レース場の正門付近をフレーム内に収めた。まるで大河のごとき人の群れが何百メートルも続いていて、到着したバスや近隣の駅舎などから次から次へと人が吐き出されてはその最後尾に合流してゆく。ブレードを回転させるヘリコプターの影が彼らの頭上を羽根虫のように飛び越えていった。
トゥインクルシリーズは日本中の関心を集める一大エンターテイメント、といわれているがまさにそれを象徴するかのような光景だ。中山レース場に来れなかった人々もまた、テレビやスマートフォン、パソコンやラジオといった各媒体を通して、この日の有馬記念に注目していた。
カメラは次に中山レース場を撮影してゆく。芝コース、ゴール前の急坂や310メートルの直線。第2コーナー付近で内回りと外回りに分岐するコースなど、幾多のウマ娘たちが駆け抜けて夢を叶えた――もしくは夢破れた中山レース場をじっくりと映像に収めてゆく。
やがて、収録を終えたスタッフを乗せたヘリコプターは機体をゆっくりと傾けると彼方へと飛んでゆき、地上の中山レース場からは見えなくなった。
「走らないでくださーい! 走らないでー!」
開門の時間とともに人々が雪崩れ込んでくる。売店ではウマ娘のグッズが売れに売れてゆく。商品のラインナップは「足りるだろうか」と書かれたどんぶりやURAのロゴが入ったサーモボトルなど色々あるのだが、中でもスターウマ娘をモデルにしたヌイグルミのぱかプチが特に売れ筋のようで、どんどんウマ娘ファンたちの手に渡ってゆく。
さきほど並んでいた親子もぱかプチを買おうとしていたのだが、まごまごしているうちに人気のあるマーベラスサンデーやマヤノトップガンが買えずじまいになってしまった。
「困ったわねえ。マーベラスちゃんもマヤノちゃんも売り切れだって」
「えー! ほしかったのにー!」
幼女のウマ娘が地団駄を踏む。母親が困ったように指をさす。
「この娘のぱかプチならまだあるみたいよ。えーと、ナイスネイチャ?」
「ないすねーちゃん? かわいい名前ー! しらないこだけど速いの?」
「速いかはわからないけれど、頑張ってはいるわよ」
「じゃあ、あたし、ないすねーちゃんのぱかプチにするー。おうえんしてあげるんだー」
「あらあらまあまあ」
がこん、というスターティングゲートの開閉音。
レースが始まった。
メインレースである有馬記念は午後からなので、いま走っているのはメイクデビュー戦をむかえたウマ娘たちである。
レース場を走り慣れていないせいか真っ直ぐ走れずフラフラしていたり、隣の娘にぶつかりそうになっていたりするが、誰もが必死にゴールを目指している。そうなのだ。この日のためにたくさん練習してきた。夢を叶える第一歩を踏みだした少女たちに人々は暖かい声援を送っている。
ゴール板を通りすぎたあと、嬉しいという涙や、悔しいという涙を流すウマ娘たち。勝利者の少女が笑顔で手を振ると拍手が起きる。走った結果として、友情が生まれたり、ライバルが出来たり、ウマ娘ひとりひとりの人生に彩りが添えられて、今日もターフやダートには青春の足跡が刻まれてゆくのだった。
そんな華やかな舞台の裏で――。
中山レース場の選手控え室。
ゴール板前のホームスタンドの喧騒もここまでは殆ど届かない。歓声がほんのわずかにピリピリとした振動となって伝わってくるぐらいだった。
室内の空気は張り詰めていた。
ナイスネイチャは椅子に座って、じっと集中している。トレーナーは脱いだコートを腕に持ったまま壁に背を預けていた。時おり、閉じられた扉を隔てて廊下を行き来するウマ娘の足音や話し声が聞こえてくる。
「もうすぐ、だね」
ナイスネイチャがぽつりと呟いた。
「……そうだな」
「トレーナーさんは緊張してる?」
ナイスネイチャはちらりとこちらを見つめてくる。トレーナーは頷いた。彼の瞳には少女が認めたくない類いの感情の色が宿っているように見えた。
「……どんな結果になっても受け入れる覚悟はできているよ」
その言葉を聞いた少女は、
「……そっか」
寄る辺ない街の真ん中に取り残された小さな迷い猫のような寂しい気持ちになった。震える指先を押さえ付けて、目を閉じて、首を振る。
「アタシ、頑張らないとね」
不安に揺れる心を隠して、笑った。
ノックの音がした。
URAの係員が入ってきて告げる。
「時間です。有馬記念に出走するウマ娘さんたちはパドックまで移動をお願いします」
ナイスネイチャは首肯した。URAの係員は頷き返すと次の選手の控え室へと足早に去っていった。
「じゃあ、行ってくるね」
「ああ……無事に帰ってこい」
と、トレーナーが応える。ナイスネイチャはうつむくと足元を蹴るような仕草を見せる。
「……どうした?」
「ん……なんでもないよ。自分でもよくわかんない」
少女は顔をあげた。弱々しく笑う。
「今日も商店街の人たち来てるだろうし、元気な姿を見せてあげないとね。アタシ頑張るよ」
ナイスネイチャはドアノブに手をかけると「またね、トレーナーさん」と言い残して控え室をあとにした。
トレーナーは迷っていた。
自らの運命をあの愛しい少女に背負わせるべきじゃないんだ。たとえ、自分が死んだとしても彼女には幸せになってほしい。本当は身を引くべきなんだ。わかっていた。
だが、彼女はいま戦っているのだ。こんな自分なんかと一緒にいるために。なにかしてやれることはあるだろうか、と考える。――答えは決まっていた。
いいや、自分に出来ることなんて、きっとない。
「……パドック、か」
自分が見にいったところで彼女の助けになんてなれない。邪魔なだけに違いない。それよりもホームスタンドの関係者席にいって彼女が走り出すのを待とう。
トレーナーは扉を開けて廊下に出た。
廊下の向こう側に「マーベラース!」と機嫌よさそうにしっぽを踊らせながら歩いているマーベラスサンデーの後ろ姿が見えた。ツインテールがなびく。ぴょこぴょことウマ耳を揺らしながら、廊下の曲がり角をゆっくりと綺麗に右旋回していった。右のウマ耳の下に結んだ赤いリボンが印象に残る――。
今からマーベラスサンデーもパドックのレッドカーペットでのお披露目をしにいくのだろう。
トレーナーは廊下の真ん中で立ち尽くす。やっぱりナイスネイチャのパドックを見に行こうかと悩む。
首を振る。やめておこう。
マーベラスサンデーが歩いていった廊下の角に背中を向けて、トレーナーは歩きだす。その距離はどんどん離れてゆく。
ナイスネイチャのレース結果がどんなものでも受け入れようと思いながら。みっともなく足掻くべきなんかじゃない。それが正しい大人の在り方に違いないのだ。
『四枠六番ナイスネイチャ! ファン投票では十番人気の支持を集めています!』
ナイスネイチャはパドックに立っていた。集まっているファンに向けて手を振り、ポーズを取る。まばらな拍手が起きた。その灰色の瞳は不安に揺れている。周囲を見渡す。大好きなあの人は――いない。心細さを押し隠して、少女は孤独な戦いへと赴く決意を新たにした。
時は進んでゆく――そして、有馬記念のファンファーレが鳴り響いた。
ゲートインは完了した。
ウマ娘たちはスタートの瞬間を待った。
『係員が離れまして……今!』
スターティングゲートが開いた。一気にトップスピードへと加速した十五人の乙女たちが大地を一斉に蹴りあげ、身体を傾け、飛び出してゆく。
『スタートしました!』
ナイスネイチャは好スタートを切ると周囲の様子を伺いながら、ポジションを少しずつ下げてゆく。
『さあ、飛び出してゆきます。内からは――』
ナイスネイチャの横をすっと伸びてゆくのは模擬レースでも逃げの戦法を打ったウマ娘だった。短い鹿毛の髪、右のウマ耳に耳飾りをつけている。目の下から頬にかけて白い入れ墨の戦化粧をしていた。今回はG1の有馬記念という大レースなので、模擬レースのときとは装いも新たにしている。赤と白を基調とした勝負服に身を包んでいた。
(たしか、この娘は……模擬レースでマヤノに牽制戦術を仕掛けた娘だったっけ)
ナイスネイチャはそのウマ娘の様子をうかがいながら、ベストポジションをすかさず確保した。
『やはり行きました――模擬レースでも見せたその逃げ脚を見せて先頭を狙っていったのは――』
(宝塚記念は……六着だったよね。たぶん、地力勝負は不利と見て、相手に力を発揮させない戦法、かな?)
逃げ牽制、逃げ駆け引き。
相手の仕掛けるタイミングを読み切り加速し、相手が減速すると同時に自分も減速する。時おりわざと隙を作り、挑発する。
ウマ娘の本能に刻まれる追い抜きたい、負けたくない、という情動を刺激して、掛かり状態を誘発させる。
言ってしまえばそれだけなのだが、言うは易く行うは難しとはよく言ったもので、相手が加速すると踏んで加速したら自分だけがオーバーペースで走ってしまう。相手が減速すると判断してスピードを落とせば、自分だけが置いていかれる。
必要なのは相手のリズムや気配を読み取る力。おそらく、牽制戦術を完璧に習得するためにあのウマ娘は並々ならぬ努力を重ねてきたはずだ。
その甲斐もあって模擬レースではマヤノトップガンを翻弄することに成功している。だけど――。
(ダメだよ、それ。仕掛けるなら今日という本番の日まで隠しておくべきだったんだ。だって、マヤノには――)
ナイスネイチャはこのあとの展開が容易に予想できた。あの逃げウマ娘はもう――。
『それに続いてマヤノトップガンが負けじと上がってゆきます――!』
マヤノトップガンが外から上がってくる気配をその逃げウマ娘はレーダーで捉えるように正確に察知した。
ぴたり、と横につけられた。見なくてもわかる。
マヤノトップガンはこちらを間も無く交わそうとしているはずだ、と予想した。その仕掛けのタイミングを計るべく、逃げウマ娘は集中力を研ぎ澄ませる。
まだか、まだ来ないのか?
「……」
じーっと見られているのを感じた。
逃げウマ娘は気になって視線を向ける。
自分より一回りは小柄な身体、空軍パイロットのフライトジャケットを模した勝負服に身を包み、栗毛の長い髪をツーサイドアップにした少女。
やはり、マヤノトップガンだった。その少女がクチナシ色の真ん丸な瞳でこちらを見つめていた。
あきらかに観察されていた。
――五秒ほど経った。マヤノトップガンが不敵な笑みを溢す。
「うん……マヤ、わかっちゃった! へっへーん! もうマヤにはその作戦は通用しないよー!」
逃げウマ娘は内心で苛立ちを覚える。
そう簡単に見破られてたまるか! たった一度見ただけの戦術を把握できるわけがない! ……ブラフだ!
マヤノトップガンが仕掛け始める気配を読み取った。
抜かせるか……!
逃げウマ娘も加速するが――気付けば、加速しているのは自分ひとりだけだった。相手の仕掛ける気配を見誤ったのだ。
『ここで――――が、大きくリードを広げました! これは作戦でしょうかっ!?』
読み間違えた!? そんなバカな!
ちらりと後ろを見た。マヤノトップガンは楽な様子で追走していた。差は二バ身ほど。逃げウマ娘は前を向いた。
落ち着け……! レースはまだ序盤! 冷静に……冷静にペースを落とすのだ……!
「マヤはね。一度見た戦術は忘れないよ?」
ほんのわずかの意識の空白に入り込むように、マヤノトップガンがすぐ隣にまでポジションを上げてきていた。
「なっ!?」
加速する気配を感じられなかった……!
「でも面白い作戦だね? マヤも真似しちゃおー」
本当に一瞬でコピーしたというのか。見ただけで覚えたというのか。……逃げウマ娘の心に恐怖が生まれる。
「な、く、来るな……!」
逃げウマ娘が加速した。ウマ耳をぺたりと伏せ、逃れられない現実から逃げようとするかのように。
「ユーコピー?」
マヤノトップガンはその気配を完璧に読み取り、横にぴったりつける。少女の栗毛の髪がなびく。
ターフという戦場を前傾姿勢で加速するその様子はさながら死角から接近してくる戦闘機。
もはや完全に追い詰められ、潰されようとしているのは逃げウマ娘のほうだった。
――引き離せないっ!? 地力が違いすぎる!!
「アイコピー!」
逃げウマ娘が加速と減速をいかに繰り返そうとも、どこまでもその軌道を模倣し、寸分の狂いなく着いてくる。機体性能もパイロットの腕も完全に負けていた。
空戦に例えるなら、すでに背後を取られている完全に詰みの状態――。
そう、天才少女と称されたエースパイロットのロックオンはすでに終わっているのだ。その指先は操縦桿に備え付けられた誘導弾の発射ボタンにそえられている。
――私は、この娘に勝てない。
逃げウマ娘は――悟ってしまった。
「追撃ちゅーいっ!」
かくして彼女の心は粉々に撃墜されたのである。
『各ウマ娘が中山レース場の第一コーナーに入っていきます! 先頭がここで入れ替わりました! 先頭はマヤノトップガン! 鮮やかに交わしてゆきました! リードは三バ身ほど!』
有馬記念は外回りのコースからスタートし、最初はある程度真っ直ぐ走り、次にゆるやかにコーナーを曲がって、観客席のあるホームスタンド前を通過するレースだ。
十五人の乙女たちがその美しい髪ときらびやかな衣装を風になびかせながら、走ってくる。
ゴール板の辺りから眺めていれば、坂を登る少女たちのウマ耳と必死な表情が見えてくることだろう。
ホームスタンドでは十万人以上の大観衆が興奮の雄叫びをあげて、びりびりと彼女たちを包み込む。万雷の拍手がわき起こる。推しのウマ娘を応援する声や雄叫びに近いエールが少女たちの背中を押してゆく。
『ホームストレッチを過ぎてレースは第二コーナーに差し掛かろうというところ!』
冷静さを失って練習通りの成果を発揮できず、リズムを崩し掛かってしまうウマ娘は少なくない。経験が浅いならなおさらである。何人かのクラシック級のウマ娘たちが坂を加速してゆく。その険しい視線の先にあるのは――。
『大本命のマーベラスサンデーはここにいました! 虎視眈々と前を狙える位置につけているぞ!』
マーベラスサンデーは先頭から五、六番手の位置につけていた。栃栗毛(とちくりげ)の二対の長い黒髪を風の中で泳がせている。模擬レースの時よりはやや後ろではあるが、先行集団の一角を形成していた。
マーベラスサンデーはマヤノトップガンが逃げウマ娘をことも無げに競り潰したのを見て、眼を輝かせていた。
ライバルが強いとわくわくする。あの天才少女を捕まえにいくのが今から楽しみだった。
(マヤノ、すっごくマーベラース☆)
有馬記念というG1の舞台。彼女もまた専用の勝負服姿であった。黒いドレス風の衣装に身を包み、走っている。
二週間前の模擬レースでもその卓越したレースセンスを発揮したマーベラスサンデー。なにかと騒がしい印象のある彼女だが、レースをしている最中は大人しい。集中力の高いウマ娘なのだが、マイペースな部分もある。それら二つの要素が加わった結果、周りは気にせず自分のやりたいようにレースに徹するというスタイルが彼女の中で確立していた。
(今日はマーベラスな景色、見れるかな?)
彼女にとって「マーベラス」という言葉は祖母から教えてもらった素晴らしさ、驚きを表現する魔法の言葉である。
マーベラスサンデーの脳裏に浮かび上がる想い出――それはまだ幼かったころ、祖母に手を引かれて、初めて連れていってもらったレース場の景色。
息をするのも忘れ、眼を見開き、うるうるきらきらと瞳と輝かせるマーベラスサンデーの視界の先には、遥かな夢のゴールを目指し競いあうウマ娘たちの姿があった。
――それは大切な記憶。原点だった。
その日の帰り道、興奮でいまだに落ち着かない様子の彼女は大好きな祖母と手を繋ぎながら、たどたどしい言葉で自分の想いを表現しようとする。
――あのねあのねあのね! すごかったのー! みんなキラキラしててね! なんというか! あのね! うー! うまくいえないよー! ねえねえ! おばあちゃん! こんなときなんていうの!?
――マーベラス、かしらねえ。
――マーベラス? それってアタシのなまえだよ?
――あら、あなたのマーベラスサンデーという名前にはちゃんと意味があるのよ? それはウマ娘の神さまがね、マーベラスちゃんが驚くほど素晴らしい景色を見れますように、ってつけてくれた名前なの。
――わあ、すごい! ほんと!? あのね! おばあちゃん! アタシもね! あのレースではしっていたおねえちゃんたちみたいにマーベラスなけしき、みられるかなー!?
――きっと見られるわ。でもね、忘れないで。マーベラスちゃん。ステキな景色はね。決してひとりでは見られないものなの。
――ひとりで、みられない?
――そうよ。一緒に走ってくれる人がいないと、その先を決して見ることはできないの。
――だから、お友だちやライバル、ううん。それだけじゃないわ。レースを見にきてくれた人や支えてくれる人たちも大切にしてあげてほしいの。あなたはだれかを愛する優しさと、与えることを惜しまない心を持った素晴らしいウマ娘なのよ。きっとできるはずだわ。
マーベラスちゃん、約束よ。もし大切な人たちが困っていたら、その手をとって助けてあげてね。
そうしたら、きっと。
見られるわ、あなただけの夢。
出会えるわ、あなただけのステキなライバル。
そして届けてあげることができるはずよ。皆にとってもマーベラスな景色を、きっと――。
『ファン投票一番人気のマーベラスサンデー! 現在六番手! 前のウマ娘たちを射程圏に捕らえたまま!』
『第三コーナーを過ぎて、レースは中盤戦!』
『マヤノトップガン依然先頭!』
『大本命マーベラスサンデーはどこで仕掛けてゆくのか! 遅れてきた大器は再び黒い嵐となって中山レース場を駆け抜けるのか! 多くのファンが注目しています!』
レースはどんどん進行してゆく。
『――を見るようにしてナイスネイチャが追走! その後ろから行きますのは――』
(アタシね! ずっとネイチャと走りたかったの! マーベラスなレース! その先の景色が見たいから!)
マーベラスサンデーの心にはURAファイナルズの中距離戦決勝で走るナイスネイチャの姿が焼き付いている。
まだマーベラスサンデーがその脚部不安のせいでデビューできずにいた頃、レースを観戦しにいったのだ。
優勝を決めたクリスマスカラーの勝負服の少女。大外からターフを駆け抜けてくる彼女の姿は、まるで太陽のようで――誰よりも眩しかった!
あの日、マーベラスサンデーは新しい夢を見つけた。
大好きな親友でもあり、最高のライバルでもあるナイスネイチャというウマ娘とともにレースを走り、輝く太陽のようなマーベラスな景色を一緒に見る! そんな夢を叶えることを心に誓ったのだ!
――名付けて、世界☆マーベラス計画!!
風が唸っていた。
ウマ娘たちの吐息。
蹄鉄がターフをえぐる。
内ラチが視界の右側を流れてゆく。
冬の空。雲が浮かぶ。遠くに見えるは大観衆が詰め寄せる中山レース場のホームスタンド。
(すごいペース……想像していた以上に速い)
ナイスネイチャは中段につけていた。
事前にわかっていたつもりではあった。
本来、ハイペースというのは後ろからレースを進めるウマ娘にとって有利に働くことが多い。
それが何故有利なのかといえば、体力を温存することによっていわゆる脚を溜める、ことができるからだ。
だが、前が速い流れになって、全体が釣られるように速くなり、息をつくタイミングも得られないような底力を問われるレースになってしまった場合はその限りではない。
たとえ、後ろにいようが消耗戦に巻き込まれてしまい、最後の切れ味を活かすことが出来なくなるのだ。
全員がバテているなら、単純に前にいるウマ娘がそのリードを保ったままゴールするだけなのである。
(仕掛ける? いや、でも――?)
ポジションを上げてゆくべきか。
判断に迷ったのは一瞬。前を走っているマーベラスサンデーを見た。なぜか、彼女が追いかけてきてほしいと背中で語ってきたような気がした。
(マーベラス……アタシの大親友で最強のライバル。越えなくちゃいけない壁……)
――勝ちたい。勝ちたい勝ちたい勝ちたい!!
マーベラスサンデーは笑っていた。
背後から燃えるような圧が迫ってくるのを感じていた。
(ネイチャ……アタシにはネイチャが何を考えて、このレースに挑んでいるのかはわからないよ? でも……アタシやマヤノのために正々堂々と勝負することを選んでくれたんだよね)
黒髪の乙女は走っている。
(……ありがとう。ネイチャ)
勝負服のドレスのスカートを螺旋のようにひるがえらせて、その小さな身体に無限のエナジーを封じ込め、世界に革命の嵐を巻き起こすために――駆け抜けてゆく。
(アタシはネイチャと走れてすっごく嬉しい! いますっごくマーベラスだよ! でもまだまだ! もっともっともーっとマーベラスなレースにしようね!)
マーベラスサンデーは足に力を入れた。
大本命の加速を察知した観衆から大歓声が沸き起こる。
(追いかけてきて! ネイチャ!)
『マーベラスサンデーが仕掛けてゆきます! マーベラスサンデーが上がってゆくぞ!』
(うん、捕まえにいこう!)
加速のタイミングとしては少し早いかもしれないが、直線に入ってからでは周りがごちゃついて抜け出すチャンスを失うかもしれない。
前のウマ娘を交わしてゆくマーベラスサンデーを追いかける。風の音が変わった。スピードが上がる。
――そのまま、レースは終盤に向かってゆく。
(最後の直線――内から行くべきなのかな? それとも外から?)
いまの自分では差しても届かないかもしれない。
昔のような走りはできない。有利な内を突くべきだ。
ナイスネイチャはそう結論づける。
これが運命の分岐点。