「《双葉の祈り》、《黒白の境》、《玻璃鏡》、《鉛と蜂蜜》……何なら納得しますか、キングスカラー先輩」
イデア・シュラウドと言う女は、二人のオルト・シュラウドの連続性を証明しようとはしなかった。自分の琥珀金の瞳と同じものを見るヒトが、この地上にはいないだろうことを彼女は知っている。その代わりにイデアは、燃える青髪の少年が、自分の兄弟であることを示してみせた。たとえそれがオルト・シュラウドの胸元で燃える魂の故ではなく、その身に巡らされた
「……それだけ聞けりゃ十分だよ。お前の執念もな」
そう言ってレオナ・キングスカラーは目を閉じた。目の前の後輩は、いつでも薄く鉄錆の匂いのする女だった。後ろに連れたその弟共々、レオナの知らない金気と薬品の匂いを染みつかせた女。レオナの故郷、レオナの王国では生きられない文明の子。その気になれば、もしかしたらこの学園の誰より世界に血を流させることのできる電脳の女王。それと同じくらい、神秘の世界の奥底に浸かっている娘。その執着の向く先さえ確認できたなら、サバナクロー寮長としての用件は終わりだ。
この女の
イデア・シュラウドからは、夜の匂いがする。
「わざわざ建物壊させるのも趣味じゃねえ。精々その
不気味の谷の底で藻掻くその
天界山の麓、夕焼けの草原、茨の谷、珊瑚の海、水晶の氷原。広域精神干渉術式《鉛と蜂蜜》が今も伝わる土地は、ヒトの少ない土地が多い。嘆きの島はその最たるものだ。真実の愛を持つ二人でなければ発動しないというそれは、三親等以内の血族であることを同時に要求する。地下の王が姪御を娶ったように、天の主人が
肉の器持つオルト・シュラウドが実姉イデアの婚約者だったことを、草原の王の子は知っていた。嘆きの島では死者との婚姻が可能であることも、レオナ・キングスカラーは知っている。
ケイト・ダイヤモンドが三年秋の統一試験の相方をクラスメイトの弟に頼んだ理由の半分は、そうでなくてはオルト・シュラウドには参加権がないからだった。
「オルトくん、試験付き合ってくれてありがとうね!」
試験会場であるNRCマジックシフト・スタジアムを裏口から出てすぐのところで、ケイト・ダイヤモンドはそう言った。思ったよりもずっと──具体的に言うと次回成績を落とさない自信がないくらい──よい成績で記録された確信がケイトにはあった。とにもかくにもサポートに入るタイミングが完璧で、更に言えばオルトには成績を気にする必要がないので、完全にサポートに回って評価の高い部分を丸ごとケイトに任せてくれたのだ。連続で同一人物と組めない縛りがなければ、次回の統一試験も是非お願いしたところだった。
ナイトレイブン・カレッジで毎学期の初め頃に行われる学内統一試験は、魔力操作とイマジネーションの構築能力という魔法士の基礎素養を単純な属性依存型放出魔法の出力から測るものだ。基本的には一人で挑むことも二人以上で挑むこともできるが、複数人で組む場合は最も単純な
おかげでオルトは兄と組むことができず、不参加で済まそうか迷っていたところをケイトに誘われた、という次第だった。
「ケイト・ダイヤモンドさんもお疲れ様!」
口元が隠れても分かるくらいににこにこ笑う少年は、しかしこの三分の間に全校でも五指に入るだろう超火力の
「オルトくんに頼んで正解だったな-。めっちゃ
追加の課題が出ない程度で十分、と思って気楽に撃った魔法が、自身の想定より三倍も膨れあがった時には、さしものケイトも驚いたものだ。確かに自寮の寮長であるリドル・ローズハートが主導し、自身がサポートに入れば同等以上の火力を出すこともできるだろう。けれどそれは前もって打ち合わせを重ねて、お互いがコントロールの効くめいっぱいまで魔力を込め、女王の号令の下発されるという
オルト・シュラウドが魔法士よりも魔法を上手く使うのは、ケイトの知るだけでも初めてではない。魔法を技術から機能へ堕とした女、と
そのことをよく思わない生徒は多い。なにせこの学校には、魔法の得手なことを自意識の第一にしてきた類の人間が多すぎる。ケイトだって、似たようなものだ。ただ、魔法が上手くてもどうにもならないものがあるのを知っているだけ。姉たちの我儘とか。天体運行の計算とか。
「えへへ。姉さんの調整の賜物だよ、すごいでしょ」
心底嬉しそうに笑った後、オルト・シュラウドは蜂蜜色の瞳から温度を欠いて続けた。
「高難度の
「ちょっとけーくんには真似できないやつが来たなあ。
そのユニーク魔法が示すように、ケイト・ダイヤモンドが得意とするのはむしろ分散の方だ。理想的な側面を切り出して投射することだ。ケイトの人生に必要だったのは皆とほどほどに仲良くなることであって、
でも、きっと。オルトのそれだって、誰もと
ブロット排出に魔法石を用いることのなかった古式魔法は、複数人の魔力を用いてブロットを分散させるものが非常に多い。中には「大儀式級」と呼ばれる、百人以上の魔法士が協力しなければならない魔法もある。数百語に渡る詠唱の暗記や土地や星辰に合わせた魔力加工が要求されるようなものもあれば、単なる難易度の問題に留まらず特定の関係性が要求される
DNA鑑定が一般化する前、ほんの二十年ほど前まで、その類の
きぃ、と蝶番を軋ませてドアが開いた。校舎に行くにせよ鏡舎に行くにせよ裏口からではスタジアムの周りを態々半周する羽目になるので、こちらを利用する生徒はまずいない。どうしても人目を避けたかったり、あるいは待ち合わせでもしていない限りは。
「オルト、……ケイト氏もいたんだ」
ケイトの予想していたとおり、扉の影から姿を現したのは青く燃える髪のクラスメイトだった。嫌そうに顔を顰めて呟きを落としたことはいつものことと流して(彼女はそこにいたのがケイトでなくても同じ様な、あるいはもっと大仰な反応をしただろう)、隣で「姉さん!」と目を輝かす少年のために道を空ける。
「うんうん、けーくんもいるよー。今ね、オルトくんと
「……そうだね。一番大変だったのは《夢追い》とかかな」
あれ、とケイトは思った。随分静かな反応だ。いつものイデアなら、もっと調子に乗るか、ぐるっと半周回ってそんなことはないのだと言い募るかのどちらかなのに、疲れているのだろうか。──《夢追い》?
ケイトは、それが旧い占術の一種であることを知っていた。相手の見ている夢を知覚し、その中に入り込む呪文。同時に唱えることも、顔を合わせて発動することもないのに共鳴する精神呼応魔法。確かにそれは、下手な大規模破壊魔法より余程難易度の高いものだったはずだ。けれど《夢追い》は、その難易度とは不釣り合いに有名な呪文でもある。世界で五指に入るほど有名な薔薇の王国の
ケイトの直感は当たる。伊達にこの名門校で占術に才があると評されていない。うん。たぶんそういうことだ。そっか。今二人っきりで個室だよね、いや実家でもそうなら今更か……?
「ねえ、もしかして《白鳥の波紋》、とか」
髪先を薄紅に染めたイデアが、なんとか誤魔化そうと口開く、その一瞬だけ前にオルト・シュラウドは、元気いっぱいケイトの問いに肯定を返した。
「使えるよ!」
ケイトはクラスメイトが弟の言葉に大いに慌てるのを見て、少しだけイデアに同情した。それから少ししてオルトが確信を持ってそう言えるだけの能力を与えたのが他ならぬ彼女であることを思いだし、先の同情心は忘れることにした。──《白鳥の波紋》は、将来を誓った恋人同士でないと発動しないことで有名な
「……。いいなー。けーくんもそういう相手欲しい」
ケイトには、彼女というものがいたためしがない。その前に引っ越してしまうからだ。彼氏もない。ヘテロなので。姉みたいなタイプはお断り(なぜなら姉みたいなタイプは姉たちで十分なので)だが、一般的な男子高校生として、ケイトだって彼女は欲しい。婚約者という響きにロマンも感じる(そこまでの関係の相手が欲しいかどうかはまた別の話)。それが、まあ三割くらいだろうか。ケイトはオルトと仲がいいし、イデアともそこそこ仲がいい(※イデア比)と自認しているので、残りの七割はケイト式の祝福のつもりだ。おめでとう末永く幸せに、誰も(特にけーくんを)巻き込まずに幸せに暮らしてください。
「
イデアのその静かな沈んだ声から察するに、どうやら自分の祝福の気持ちはこれっぽっちもイデアに伝わっていないらしい。残念だなあ、と思いながらこちらにはしっかり伝わったらしく嬉しそうなオルトの頭を撫でる。空間付与型の耐熱術式越しに漏れる湯船のような熱が、ケイトは嫌いでない。
「そっか。ケチ付けられたってことだもんね」
それは、オルト・シュラウドがイデアの恋人であることにだったのだろうか。弟であることにだったのだろうか。両方だろうな、とケイトは思う。
他人事だからなんとでも言える。どうでもいいから受け入れられる。イデアとオルトが姉弟であっても恋人であっても、ケイトはなにも困らない。勿論そうじゃなくても困らないけど、だったら肯定した方が喧嘩にならなくていい。そのくらいの距離がお互い楽だ。卒業/転校したら二度と会わないクラスメイト、
「うん。……ほんと、あいつら馬に蹴られて頭爆散したらいいのに」
「爆散までは中々しないと思うけど」
ケイトだって馬に詳しいわけではないけど、吹き飛んだり骨折することまではあっても、いくら何でも爆散はないだろう。ないよね?馬術部に所属する
「うちの馬ならできますぞ」
ゆっくりオルトの方を向くと、当然だとばかりに頷かれた。いや怖。凄いだろうとばかりの表情で頷くオルト・シュラウドは可愛らしいが、頼まれてもイデアたちの故郷には行かないとケイトは心に決めた。そんな機会があるとも思えないし、そもそもオルトからだって出身地の話を聞いたことはないのだが。
「イデアちゃんち、何がいるの……」
「ナイトメア」
ケイトの知る
「それ、馬じゃなくて魔獣じゃない?」
一瞬だけイデアの言葉が詰まったことを、ケイト・ダイヤモンドは見過ごさなかった。当然のことだけれど、オルト・シュラウドも。
「ちょっと鬣燃えてるだけじゃん。馬だよ」
どうしよう、とオルトの顔に書いてあったので、大丈夫だよ、とケイトはオルトの頭を二つ、叩くように撫でた。
「まあイデアちゃんたちも髪燃えてるもんね」
ケイトは、イデアの髪が燃えている理由を知らない。オルトの髪は姉とお揃いにして貰ったらしいけれど、並んだ歯の形状がお揃いでない理由も知らない。聞こうとも思わない。そんなこと聞かなくても、友達にはなれる。
「そうそう。……ありがとね、ケイト氏」
寮生の誰が人魚なのか、クラスメイトの誰が獣人なのか、イデアが一体何なのか。そういうことは、話の種にしたそうな相手の分だけ知っていれば十分だ。
「なにがー?けーくん何にもしてないよ。……ま、お幸せにね」
「ふひ、そゆとこだよ」
「ふふ。ありがとう、ケイト・ダイヤモンドさん」
真実の愛として定義されるものが、もはやそう呼ばれるだけの正統性を持たないことを、イデア・シュラウドは誰より知っている。ただ最適化された回路によって真なる愛が再現されうることを、この世でただ一人知っている。
それでも、神宿る星々でさえ永遠でないこの宇宙で、形而上の永劫を信じることができるように。