隙間に埃の溜まった木のタイル。カラフルな粉の降り積もった粉受。足の高さが揃わずがたつく椅子。廊下と室内の見通しを悪くする白い曇りガラス。
傾いた日差しが照らす年季の入った教室。黒板の日付はもう随分と更新されていないのか、まだ暑いというのに三月の下旬を示している。
打ち捨てられたように無造作に並ぶ生徒用の机と椅子には、誰も座らなくなって久しい。けれども珍しいことに、そのうちの一脚に男が座っていた。成人済みの体格には手狭な大きさ。膝から下が机の下に収まることなくやる気なさげに投げ出されている。
男は何かをするでなく、教室後方の座席からぼうっと教室内へと視線を向けているだけだった。
何かが起こるわけでもない廃教室。ただただ静かな教室。その静寂は唐突に終わりを告げる。がたがたと錆びたレールに引っかかりながら、教室の扉がスライドする。
「やぁ、久しぶり」
開いた扉の先からやってきた男が気さくに声をかける。室内にいた男は呼びかけに気が付き、一瞬あっけに取られたあとに軽く手を上げて応える。
「誰かに聞いたのか?」
「帰省しているなら声かけてくれればよかったのに」
「そういうまめな性格してない」
「そう?」
「そう」
「ふぅん?」
「含みがあるな」
「そうかな」
楽しそうに笑いながら、男は一つの席に腰掛けた。
「まめだと思うけどね、僕は。だってその席、当時の君の席でしょ。出席番号六番、黒田くん。あ、結婚して名字変わったんだっけ?」
「そういう当てこすりみたいな真似しながら言うところ、ほんと昔から性格悪いよな。出席番号二九番、若槻。別に黒田で良いよ、あの頃の教室だしな」
黒田と反対側、廊下側最後尾の席に座りながら若槻は楽しそうに笑っていた。
「そういえば次の同窓会いつにしようか」
「さぁ。いつでも良いんじゃねぇの」
「連れないなぁ。相談に乗ってくれてもいいじゃないか。同級生なんだし」
「どうせ全員は来ないんだから適当でいいじゃねぇか」
「え? 前回も出席率百パーセントだったじゃないか」
若槻が以外そうな表情をすれば、黒田は少しだけ不機嫌そうな顔をした。
「全員じゃないだろ」
その返答に思うところがあったのか、若槻が教室内を見渡した。
「だから君はまめだって言ったんだよ」
視線の先には花瓶の置かれた机が三つ。中にはまだ新しい花が生けてある。
「墓参りの代わりかい?」
「実家の墓で県外のやつもいたからな。一纏めで悪いと思っちゃいるが、俺としてはこれが一番しっくりきたからな」
「あぁ、遠藤さんの墓でしょ。浜田くんと白木くんのお墓は地元だから僕もお参りしてきたよ。ほら、お盆だしね」
「お前も大概まめなやつだよ」
「似たもの同士ってことかな。案外気があったかもね、僕ら」
「そうか?」
「どうだろう。割と適当に言ってるから、僕」
若槻がからからと笑いながら軽い口調で応える。やれやれと言いたげに黒田がため息を付くと、またそれが楽しいのか若槻は笑った。
「もう十年ちょっとくらいだっけ」
「浜田はそうだな。十四年だな」
「まめだね」
「うるせぇよ」
「遠藤さんは七年くらいだっけ?」
「そうだな。白木は三年だな」
「そっか。長いね」
「ああ、長いな」
しばしの沈黙。短い沈黙を破ったのは若槻からだった。
「来年やろうか、同窓会。前は四年前だったから、前回からちょうど五年目だ。白木くんの命日からも四年経ってるし、その喪に服するためにも集まろうか。どう思う?」
「まぁ、悪くない時期だろうな」
「でしょ」
今度はどの店にしようかなと若槻は手元の携帯で候補を探し始める。その姿を黒田はなんとなしに眺めていた。互いに歳をとっているが、当時の面影が顔立ちから伺える。
昔はどんなやつだったか。面影から垣間見える昔の風景に、自らの記憶を懐古する。クラスの騒がしい集団の中には必ずいたような騒がしいやつだった。当時の若槻と特に仲が良かったやつは誰だったか。二、三人の名前がぽつぽつと思い浮かぶ。
じゃあ亡くなった奴らとはどうだったか。遠藤とはクラスメイト程度の付き合い。浜田と白木とは、まぁ普通に仲が良かった程度だったはず。休み時間に一緒に遊ぶが、休日に遊ぶほどではないって程度の仲。
「どうしたのさ、そんな熱い視線くれちゃって。君はもう相手がいるだろう」
「薄ら寒いボケかましてんじゃねぇ、気色悪い」
「だね。自分で言ってて僕も気持ち悪かったよ。君の奥さんにも申し訳ないしね」
若槻の冗談めかした謝罪。それに対して黒田は、視線を若槻から教室内の花へと移動させる。
「謝りにくるか?」
「奥さんに?」
「そうだ」
黒田の返答にくつくつと若槻が笑った。黒田の冗談が面白かったのだ。もう暗くなり始めていることを考えると、食事の誘いをしているのかもしれないとも考えた。少しだけ早い同窓会も良いかもなと頭のどこかで考える。
「いいね。奥さん、料理上手?」
「何を食っても美味い」
「そうかい。それはいいね。一緒に帰省してるんだ」
「あぁ。嫁の実家もここなんだよ」
「ふぅん? 僕の知ってる人だったりして」
「まぁ、知ってるっちゃ知ってるかもな」
「へぇ」
誰だろうかと若槻が少しの間思案する。その後適当に何人かの名前を上げるが、黒田は違うと否定していった。五人目の名前が上がったあとに、ようやく若槻は降参だと手を上げた。
「さっぱりだ。で、答えは誰なのさ」
「白木の姉だよ」
意外な名前が出たと、若槻は一瞬虚をつかれた表情をした。二度ほど瞬く間に持ち直し、苦笑を浮かべた。
「そりゃ分からんわ」
白木は知っているが、姉がいたことなど昔のことで覚えていなかった。言われてみれば、姉がいると言っていた気がするな程度の記憶。それでも知らない家ではなかった。
「そうか。そういえばこの学校の話が一個あるんだが知っているか、若槻」
「どんな話かな。おばけでも出るとかかな?」
「取り壊しの話」
ガタりと長さの異なる椅子の脚が床にぶつかった。
「へぇ、初耳だな。廃校舎になってから資料館やもしものときの緊急避難所として、ずっと残してきたのに今更壊すってこと?」
「流石に老朽化が進んでるからな」
「修理するなり補強するなりしたら良いじゃないか」
「費用対効果が良くないらしいぞ」
「そうなんだ」
「実はここにきたのもその査定関係なんだよ、正式なものじゃないけどな。一応建築関係の仕事してるからな」
「そんな仕事してたんだ。それで、結果はどう。僕としては思い出深いから残してほしいんだけどね」
「取り壊しだろうな。今日の見立てを話せば正式な話として話が進むだろ」
「そっか」
ととん、ととん。机を指で叩く音が教室内に響く。陽は傾き、もうすぐ夜が来る。
「工事の際に、グランドから掘り起こされなかったタイムカプセルとか出てきたりするんだろうな」
「ありそうな話だね」
ととん、ととん。音が少しだけ強くなる。
「お前もなにか埋めてたりするか」
「なんでそんなこと聞くのかな?」
「たまたまお前がここにいたからだ」
「たまたま、ね」
「もしかしてわざわざ来たのか、お前は」
「どう思う?」
「さてな。そういえば、最初の質問に答えてもらってなかったな。誰に聞いてここにきた?」
「あぁ、なるほど。本当にまめな性格をしているね、君は」
若槻が静かに席を立つ。
「そういえば今度送る同窓会の手紙、何枚用意すればいいと思う?」
「二十四だろうな」
「この前より一枚少ないね」
「だろうな。用意しても無駄になるだろうからな」
若槻に返答を返し、黒田も席を立つ。陽は完全に落ち、廃校舎は夜に飲みこまれた。
翌年の同窓会、また参加人数が一人、減っていた。