「どうしてここに居るんだ!!」
死んでしまったはずの三雲が、傘をさしたままこちらに歩いてくる。
おかしい。何故だ。俺達が呼ばれた理由も“三雲を殺した犯人を見つける為”だったはずだ。
その殺されたはずの男が、どうしてここに?
「どうして? どうしてって……今までぼくの事で喧嘩したりしてたじゃないですか」
「違う。そういう事じゃない。俺達が聞きたいのは、どうしてお前が
「……?
見当違いな回答をする三雲はひとつため息をついた。しかし、七人からしたら見当違いな事を言っているのは三雲だった。
「この七人ですよ? すぐに分かると思ったんですけど」
まあでも半年以上も前の事ですしね、なんて軽口を叩く三雲。確か似たような事をあの薄暗い空間に閉じ込められる前、迅からも言われていた。
「なんで! お前は俺が殺してしまったはずなのに……!」
三輪はそんな軽口を無視し、目の前に立つ三雲をこの世の物では無い物を見るような顔で見ていた。――死んだ三雲が蘇った。俺が突き落とした筈なのに。どうして?
「ある物を使えば、ぼく達って銃で撃たれても爆発に巻き込まれても、高い所から落ちても死ななくなりますよね?」
心の中で浮かんだ問いの答え合わせをするように、にこにこ笑いながらそう質問を投げかけてくる三雲。
「……トリオン体か」
風間が僅かに考えた後に答えれば、作ったような満面の笑みを崩すこと無く「大正解」と喜びを露わにした。が、その笑顔は次の言葉を発すると同時に、さあっと引いていった。
「ぼくはあなた方の秘密を知っています。あなた方が何をしようとしていたのかも。浅はかで短絡的、なんて愚かなのか。人は見た目で判断してはいけない……まさにその通りですよね」
三雲は訳も分からず突然そんな事を言ってきた。
「秘密? 何を言って……」
「去年の冬。十二月二十四日、クリスマスイヴの夜に起きた七件の殺人事件」
喋ろうとした嵐山の言葉を遮りながら言われた発言に、その場に居た七人全員が目を大きく見開く。
「犯人はあなたがたですよね?」
何も知らない第三者から見れば三雲の言った事は突飛で、意味不明なものに思えるだろう。……いや、当事者である七人でさえも、今、何故この話題が掘り起こされたのか、誰一人として分かっていなかった。
――ただし、一人を除いてだが。
「どうしてそれを!?」荒船の叫び声が辺りにこだまする。
全員がそれぞれ顔を見合わせながら疑問に思っている中、ただ一人――風間蒼也のみが納得の表情を浮かべていた。
「……やっぱりか」
風間の呟き声に二宮がそちらを振り向く。
「やっぱり? どういう事だ」
「一番最初……俺が迅に“三雲を殺したのは誰か”と聞かれた際に言われた」
『え〜、風間さんって結構涼しい顔して嘘つくんだねえ。殺したくせに』
「だから自殺だと……」
『おれは知ってるよ』
「……だから薄々は気付いていた。俺達の秘密を知っている事は」
あの時の迅が言う「殺した」は三雲修を殺したという意味では無く、あの事件の事を言っていたのだ。
つまり、最初から――
「そう。最初から迅さんは、ぼくを殺した犯人探しなんてしてなかったんですよ」
勿論ぼくも、などと笑いながら言う。本人からしたらジョークのつもりなのだろうが、七人からしたら全くと言っていいほど笑えるものでは無い。
男達は頬を引き攣らせ、笑っているとも怒っているとも、なんとも言えないような表情になる。
「ちなみに、あなた方だけしか知らない秘密を何故ぼくが知っていたか、ですが……」だが元凶である少年は喋るのを止めない。「ぼくが自力で調べて知った訳では無くて……教えてもらったんです、あなた達の中の誰かに」
指された人差し指がこちらに向けられる。
「
ハキハキと明確に、そしていとも容易く、その存在は公にされた。
「『裏切り者は要らない』…………皆さんがいつも言っていた言葉ですね」衝撃的な言葉が三雲の口から出てくる。目眩がしそうな程の急展開に誰もが追い付けないでいた。
「裏切り者は誰でしょうか! あはははは!」
絶句する七人に追い討ちをかけるように、声高々に嗤う声が襲う。
最初からこれが目的だった。お互いがお互いを疑い合う疑心暗鬼の状況に、俺達を巻き込む――その為にわざと自身が嫌われるように仕向け、そしてトリオン体に換装してまで自身を死んだように見せかけた……!
「こいつ……頭イカレてんのか」
「ふざけんなよ」
七人全員が彼の目的に気付き顔を真っ青にしながら後ずさる。
「何とでも言って下さい。こちらには証拠があります」
どこから取り出したのか三雲は分厚い写真の束を取り出し、それをばら撒くように空へと投げた。
ひらひらと舞い落ちる写真を手に取ると、そこに写っていたのは、どれもこれも自分達があの日殺した被害者の死体写真だった。
「どうしてこんなものを……」
「……です」
小声で聞こえなかった言葉。
何と言ったのか分からず静かに耳を澄ますと彼は、憎悪を包み隠さず、はっきりとした声で――
「あの日殺されたのは、ぼくの母ですよ」
――そう、言った。
淡々と……それでいて怒りのこもった冷たい声音に、指先から血の気が引いていくのが分かる。――あの日殺したのが、三雲修の母親だって?
全員が呆然と、一人饒舌に話す三雲を眺めることしか出来なくなった。
「でもどうしてここまで酷い事を、なんて思ってるかも知れませんね」
「よくマンガとかであるでしょ。家族を殺した奴を絶対に許さない! 復讐してやる! って」
「あれと同じですよ」
少年は、今もまだ唖然としている七人をもっと置き去りにするかのように、話し続ける。
「ぼくの母親が殺された。それって、立派な復讐理由ですもんね」
今までに見た事もないような、清々しい程の笑顔。
手に持っていた写真を落とす程、その憎悪に満ち満ちて輝きを放つ三雲の顔から目が離せなかった。
「でも、まだ終わりじゃないですから」
「え……」
心身共に崖っぷちである七人を貶めようと、三雲は殊更に復讐の炎で表情に輝きを増していく。
「当たり前じゃないですか。こんなもんで終わりません。ていうか終わらせません。もっと苦しんでもっともっと怯えてもっともっともっと人間不信になるまでお互いが疑心暗鬼で信じられなくなってたった独りで孤独のまま罪悪感と後悔に埋もれて死んでくれなきゃ許せません。許しませんから」
息継ぎすらせずに、もはや呪詛にも近い恨みつらみを叫んだ三雲は、そのまま後ろを振り返って早足で立ち去っていく。
空閑と雨取もそれに続くようにさっさと三雲の後をついて行ってしまった。
その場に残ったのは――傷だらけの七人と迅のみ。
「……迅、お前は全部知ってたのか」
「うん」
雨の降る中、淡々と会話が続く。
「知っててこれを」
「これを考えたのは全部三雲くんだよ。おれはそれを三雲くんの言う通りに実行しただけ」
「最低だな」
「それあんたらが言う? あんたらがあんな事しなければ、今こうならずに済んだかもしれないのに」
七人を見下す事も嘲笑う事もせず、ただ淡々と話す迅。
彼の真顔を通り越して無表情な顔からは何も感じられなかった。
「裏切り者は誰でしょうか」
そうぽつりと言い放ち、迅は駆け足で三人の元へと向かっていった。
「……化け物め」
歩く四人の後ろ姿を見ながら誰かが小さくそう呟いた。
十二月二十四日、街はクリスマスイヴという事でかなり賑わいを見せていた。
街の至る所にクリスマスツリーとイルミネーションが飾られていて、誰もが浮き足立っている。
玉狛支部でもクリスマスパーティを行っていた最中だった。
三雲くんの携帯が鳴って、彼が電話に出た後、神妙な面持ちをしていた彼は「すぐ向かいます」と突然言った。
「何かあったの」そう聞けば焦った様子の三雲くんは「母が」と不安げな表情を浮かべた。いや、不安げというよりも、絶望だ。
思うと、彼はあの時点で電話越しに伝えられ、もう知っていたのだろう。おれ達は急いで警察署へと向かった。
案内されたのは地下の遺体安置室。独特の空気が漂うその空間の真ん中に、女性が安らかな顔で眠っていた。本当に眠っているだけのような表情。しかし肌は青白く、生気を感じられない。
彼は泣き叫びながらくずおれる。大粒の涙が頬を伝い、そして床を濡らす。
スーツ姿の刑事が、三雲くんに向かって一枚の二つに折り畳まれた紙を手渡した。
「お母様のポケットに入っていた物です」紙は少し分厚い画用紙に似た素材で、シロツメクサの刺繍が施されている。
彼は血が滲んでいて、くすんだ赤色になっている部分を触ってからその紙を開く。そして、しばらく経って再び泣き叫んだ。
胸が締め付けられ、息苦しくなるほど痛い。
「大丈夫?」とかそんな陳腐な言葉を言う事が出来ないほど、彼は悲痛な叫びをあげていたのだ。
それからしばらくの間、家にはひっきりなしに警察とマスコミが押し寄せていた。
魂が抜けて、抜け殻状態の三雲くんはずっとソファに座っていて、おれや遊真達が代わる
――けれど、廃人同然だった彼が、ある日突然笑顔を取り戻した。
聞けば、“誰か”から自身の母親を殺害した犯人を証拠付きで聞かされたという。
彼が復讐をすると決めた時の、その瞳は、どんな高級な宝石にも変え難いような煌めきと美しさを持っていた。
絶望と狂気を孕んだ強い瞳。なのに、触れるだけでヒビが入って砕けてしまいそうな繊細な雰囲気。
断崖絶壁に張られた細い紐の上をギリギリで渡っているかのように、風が吹けばすぐに落ちてしまいそうな。
光に隠れて世間一般的には目立たないような風貌であった彼が、爛々と、生き生きしていくのを見て、次第におれは彼に惹かれていった。
それほどまでに魅力的で、壊れていた。
魂の抜けた人形が復讐の炎によって蘇ったのだ。死神として。
どこかで聞いた事がある。世間を賑わせる凶悪殺人犯は時に人を惑わすほどの魅力がある、と。
彼もそれに近い空気を纏い、そしておれだけではなくいつも一緒に居た二人――遊真と千佳――をもすぐさま惹き付け、魅了した。
まさか犯人がおれらの知ってる七人だったとは
イエス・キリストは最後の晩餐の際、弟子達にパンを「自らの身体」、杯に入ったワインを「自らの血」として与えたそうだ。
それと同じ。
同じ秘密と目的を共有したおれ達と三雲くんは一心同体。
一心同体になったのだ――
昼だった。
カーテンの隙間から射し込む光で気が付くと俺は自分の部屋のベッドに寝転んでいた。
「…………」
自分はなぜここに居るのか。ついさっきまでの記憶が蘇る。
あれは夢だったのか?
だとしたら妙に生々しい夢――
「……ッ!」
身体を動かした途端、ズキ、と全身に鋭い痛みが走った。
見ると、足首に包帯が巻かれており、その他怪我をしていた部分にもガーゼが貼られていた。
――夢なんかじゃない。
あれはちゃんとした現実だったのだ。
『十二月二十四日、クリスマスイヴの夜に起きた七件の殺人事件……犯人はあなたがたですよね?』
秘密を――秘密にしていたかった事を呆気なくバラされ、更には殺した人達の内の一人が、あの生々しい悪夢と思いたい地獄のような数時間を引き起こした三雲修の母親だったとは。
そりゃあ俺が悪い。だって殺したのは俺だ。自首もせずに今ものうのうと日常を過ごしている。
でも駄目なんだよ……!
自首しようとすれば、必ずあの男の言葉がちらついてしまう!
「あの男……?」
あれ。
あの男の顔が思い出せない。
いや、思い出せないのではなく、思い出そうとするのを自分の頭が拒否しているようだ。
どうして拒否してしまう。俺はあいつの言葉を鵜呑みにしてしまったからこそ人を殺した。――殺して、しまった。
思い出せ、思い出せ。
身近に居たはずのあの男を――
「太刀川さん、どうしたんですか?」
いつの間にか自分は本部に訪れていたらしい。自分が隊長を務める隊のメンバーである出水公平の言葉に、今まで働いていた思考が切断される。
「……何が」鬱陶しげにそう返事すれば、いつもと変わらない調子のまま出水が更に返事をする。
「いや、今日はやけに太刀川さん静かだなーって」
珍しいっすね〜、なんてけらけら笑いながら言うもんだから、つい怒り口調で問いただしてしまう。
「……お前、さっきの事忘れたのかよ」
お前死にかけてたんだぞ、と付け加えて言おうとしたが止めた。
出水はとぼけたような顔で「さっき? 何の事ですか?」と言ってくる。
まるで全て無かったかのように。
「それよりも太刀川さん」
しかし、彼の言ってきた次の一言が、太刀川の全身を――指先も内臓もくまなく――氷点下まで凍らせる。
ゆっくりと近寄ってきた出水。
そして耳元に口を近付け、囁いた。
「裏切り者は見つかりました?」
「裏切り者……」
騒がしいラウンジで、風間蒼也はずっと考えていた。
頭の中に先程までの記憶の明確なビジョンが映し出される。
あまりにも生々し過ぎる記憶に周りの空気が淀んだように感じられ、肩に出来た傷の痛みがぶり返し、身体に巻かれている包帯――正確に言うと、包帯の巻かれた傷口――をさすった。
トリオン体を自らの死を偽装する為に使うだと? ふざけてる。
そこまでして俺達を騙したかったのか。
「…………いや」
それを言う資格は俺には無い。人を殺してしまった俺には。
心の中が自分に対する憤りで埋まっていく。
どうして殺したのか。それを考えるうちに、あの男のせいではないかという考えに辿り着く。
あの男は、上手い具合に俺達の懐に入り込んで、人を殺すように言った。
断ろうにもあらかじめ逃げ道を全てぐちゃぐちゃに潰された後で。逃げ道を消されていた俺達はその方法しか無かったんだ。
――あの男は、自らの手を煩わせずに、自らの目標を達成した。
そう思うとあいつの言うことを意地でも聞いていなければ、今、こんな事にはなっていなかったのかもしれないと思ってしまう。
「あれ、風間さん」
聞き慣れた声が耳に入ってくると同時に視界に飛び込んできたのは、自身が率いる隊のメンバーである歌川と菊地原だった。
「顔真っ青じゃないですか……どうしたんですか?」
二人が驚いた顔をして、俺の向かい側の席に座る。
「気にするな」
眉間を指で押さえて俯いたままそう言うと、二人は食い気味に異論を唱えた。
「いや気にしますよ……」
「ていうか、そんないかにも具合悪いですーみたいな顔色してて気にするなって……」
「おい菊地原」
歌川に
「もしかして顔色が悪いのって……」
「風間さんが人を殺した事と関係してたりします?」
声は抑えめではあるが、それでも向かい側に居る自分にははっきりと聞こえた。
「……どうして、お前がそれを」
自分でも驚く程に震えた声が出たのが分かる。
すると二人はお互いに顔を見合わせてから、軽く吹き出すようにして笑う。
「あのですね風間さん」
こっちを向いた二人がいつもとは違う、どこか楽しげな、それでいて見下したみたいな笑顔を浮かべ、そして再びはっきりと言葉を言い放った。
「裏切り者は意外と近くに居るんですよ」
――今日の彼はずっとこんな調子だ。
椅子に座ってテーブルに突っ伏したままピクリともしない。たまに顔を上げたかと思えば、木虎藍の顔を見てから悲しげな表情を浮かべて、再び顔を突っ伏すのだ。
「嵐山先輩?」
そんな彼を心配してか、木虎がコップに飲み物を注いで心配そうな顔で、コップを脇に置いた。
「……すまない木虎。巻き込んでしまって」
懺悔の言葉を呟く。
彼女の顔を見る度に数時間前の出来事を思い出してしまうのだ。
そういえば、俺はなんで人を殺したんだっただろうか。
確かに殺したのは事実だ。でも、普通だったら俺も他の六人も、絶対にそんな事はしなかったはずなんだ。
なのになんで……どうして、あんな事を……
「巻き込んだ? 何にですか?」
「……え?」
自責の念に駆られていると、木虎の口から衝撃的な言葉が放たれる。
「先輩。私、思うんです」
「裏切り者……それって、自分自身なんじゃないかな、って」
続けざまにそう話す木虎を嵐山は目を見開いて見詰めていた。何を言っている? 何故、裏切り者の事を……
「なんて! ふざけてすみません。でも……」
恍惚の表情を浮かべていた彼女は、一瞬だけ笑顔を見せ、そして無表情に戻る。
「嵐山先輩から見た裏切り者は一人じゃない、って事です」
「おい秀次!」
本部の廊下を早足で歩いていれば、後ろから慌てて陽介の引き留めようとする声が聞こえてくる。
「……なんだ」
「どうしたんだよ! 突然「三輪隊は解散」って!」
叫び声を上げた陽介に辺りの視線が集まってしまう。そして、ひそひそと小声で会話をし始めるのが見えた。
「煩い。言葉の通りだ。もう話し掛けるな」
一方的に分厚い壁のような拒絶の言葉を言えば、陽介はかなり不本意だという表情をして、俺の腕を掴む。
「何かあったのか?」
「何も無い」陽介の問いに間髪入れず返答する。
足首に走る鈍い痛み。
意識しないように歩いていたのだが、一度足を止めると、鼓動と同じリズムで再び足首がズキズキと痛み始めてしまう。
そうしているうちに、忘れよう忘れようとしていたあの出来事が頭の中に蘇ってきたのだ。
このままだと陽介にも――他の三人にも迷惑がかかってしまう。
そうなる前に、俺はボーダーを辞める。
俺だって本当は人を殺したくなんてなかった。だけどあの男が殺すように言葉巧みに仕掛けて来た……!
気付かないうちにじわじわと周りから固められていて、気付いた時には既に手遅れだった。“人を殺す”という方法を取らなければ、逆に自分が殺されていた。
「まあでもお前が言いたい事も分かるよ」
うんうん、と数回わざとらしく頷いた陽介は、次の瞬間、珍しいくらいに静かな声で――
「『人殺しが隊長やってる隊なんて後ろ指さされるだけ』……だろ?」
その言葉に慌てて振り返る。
今こいつなんて言った? 人殺し?
「は? え……」
どうしてそれを。
顔を引き攣らせれば、陽介はくつくつと笑って更に言葉を続ける。
「いや、どっちかというと『それがバレたらオレらに迷惑がかかるから』か? 秀次って意外と優しいもんな?」
目の前には、いつもと変わらない笑顔を浮かべる陽介が立っていた。
「な? 人殺しの三輪秀次くん?」
二宮匡貴は、作戦室に一人佇んでいた。
数時間前に起きた
そもそも、何故自分が人を殺すに至ったのか。それが鮮明に思い出せない。
“何か”があって、気が付けば目の前には死体があった。思い出そうとしても、まるで記憶に靄がかかったかのように、その
男のシルエットがぼんやりと脳裏に浮かぶ。しかしその男の正体は分からない。
思考があらゆる事で埋め尽くされ、作戦室の扉が開いた音にも気が付かなかった。
「二宮さん」
いつもよりも低い犬飼の声が背後から聞こえ、振り返ると、そこにはこちらを見詰める二人――辻と犬飼の姿があった。
「大変そうですね」
「ていうか、その傷どうしたんですか」
いつもよりも淡白……というよりも、どうでもよさげにそう聞いてくる二人。
「少しミスをしただけだ」痛みに顔を僅かに歪めながら呟く。
それを聞いた彼らは、自分から聞いたにも関わらず更に興味無さそうに「ふーん」と頷いていた。そして数秒間こちらをじっと見た後、唐突に会話をし始めた。
「おれ達知ってるんですよ」
「ええ、知ってますね」
アルカイックスマイルを浮かべる二人に戸惑いを浮かべつつ、何を言っているのかと聞こうとした瞬間。
二人の口からとんでもない言葉が放たれる。
「「裏切り者」」
「……!」
揃って言われたその言葉は、数時間前に言われたばかりで記憶にも新しいものだった。
ぞわ、と背筋を何かが這うような感覚がする。
「あのトリガー窃盗事件、まさかあんなに上手くいくとは思ってませんでしたね」
「ああ。もしかしたらバレるかもって思ってたけど……信じてくれて助かった」
二人の会話が意味不明な方向へと進んでいく。頭の中が混乱しつつも、彼らの会話を噛み砕きまくってようやく理解した時には、既に次の会話へと進んでいた。
「二宮さんは怒ってて忘れてたかもしれないですけど、おれらのトリガー、ロックされたロッカーの中にそれぞれ入れていましたよね?」
「鳩原先輩が遺していったトリガーは特に厳重に保管されてましたしね。パスワードを知っているのは俺達だけ」
不気味な笑顔を見せながらこちらに歩いてくる二人。
「三雲くんがパスワードを知る方法は無い。つまり、彼はトリガーを盗む事なんて出来ない。なら……」
犬飼がいきなりかがみ込み、顔を目と鼻の先まで近付けてきた。
目に映るのは愉しげに嗤う犬飼と、その後ろでこちらを蔑むような視線を向けてくる辻。
「あの日、トリガーを盗んだのは誰だと思います?」
「……チッ」
一つの強い舌打ちが、作戦室内に響き渡る。
同じ室内に居た影浦隊の面々は、彼が今、非常に不機嫌極まりない状態にある事を悟っていた。
だからこそ敢えて話し掛けず、自分らも最低限の会話以外をしないようにしていたが、その沈黙は不機嫌な筈の影浦本人によって打ち破られる。
「ゾエ」
「えっ、何!?」
突然自分の名前を呼ばれたゾエこと北添尋は、怒られるのかと、怯える子犬のようなリアクションを取る。
「どしたのどしたの」
「昨日、お前……」
「? 昨日? 昨日ってなんかあったっけ?」視線を上に向けながら自らの記憶を探っている様子の北添。
「昨日って言うか……今日の夜中」
悍ましい記憶を思い出し、顔が自然と苦虫を噛み潰したようになる。
「夜中って?」
しかし当の本人は覚えていないらしく、すっとぼけた顔をしていた。
いやいやそんな訳ないだろ、と盛大なツッコミを入れたかったが、自分が話すよりも前に彼が話をし始めようと口を開いた。
「でもさ……」
その時、感じた事も無いような不快極まりない感情が彼から――彼
――いや。似たような感覚は体験した事がある。ただ、今のそれは今までの比ではないくらいに濃く煮詰まった悪意と敵意の塊。
吐き気すらしてしまうほどのそれに、作戦室の気温が数度下がったような錯覚に陥る。
「……何だよ」
途中まで言いかけて黙りこくってしまったゾエを急かせば、のほほんとした表情からはとても考えられないような爆弾発言が、空間に投下された。
「まさかカゲが本当に人を殺してたなんてね〜」
心臓が跳ね上がり、握り潰されるような感覚に襲われる。
「は? え、いや、違、なんで」
普段の自分らしからぬ話し方。口内が急速に渇いていくのが分かる。
本当に違うのだ。
いや。人を殺したのは事実だ。それは否定出来ないし、しようともしてない。ただ、あれを――殺人を“自分の意思で行った訳ではない”というのだけは確実だった。
あの野郎は俺達に疑う事もさせず上手い具合に言いくるめて、自分は何もせずに俺達が人を殺していくのを見ていただけ。
元はと言えばアイツのせいだ。
よく見れば、北添の背後に居た絵馬もこちらを不審そうにじっと見ていた。
「違くないでしょ。ね、ユズル」
北添が後ろを振り返って絵馬の方を見れば、彼はこくりと静かに頷く。
「オレ達が何も知らないと思ってます?」
いつもとは違う雰囲気と、ナイフで酷く全身を刺されるような重く鋭い感情が放たれる。
全てを見透かされているかのようなその目に、よろよろとその場から後ずさった。
二人はそんな俺を見てくすくすと嗤い、そして絵馬が前に一歩だけ踏み出してたった一言ぽつりと呟いた。
「裏切り者、見つかるといいですね」
突然トイレに走っていった荒船を見て何事かと穂刈と半崎が後をつけると、苦しげに呻く声がトイレに響いていた。
脳にこびり付いた数時間前の記憶と、忘れようとしていた自分の
瞬きする度に眼前に真っ赤な血が増えていくような気がして、後悔と自分自身への憎悪がどんどん増してゆく。
気持ち悪い。気持ち悪い。全部気持ち悪い。
「うっ……」
「おい大丈夫かよ」
心配そうな顔をした二人がこちらに近寄ってくる。
「何があった?」
「別に……何も……」
言えるわけない。人を殺してしまったなんて。
口を閉ざせば、穂刈が溜め息を一つついて、優しく荒船の肩を叩く。
「まあ……抱え込むなよ、あんまり」
「……っ」
その言葉に胸がチク、と痛くなる。無理だ。だって自分は人を殺した最低な男なのだから。
心身共に罪悪感でぐちゃぐちゃに押し潰されそうだった。
どうして自分は人を殺してしまったんだ? どうして俺は、自ら進んで犯罪者になったのか。
今となってはもう分からない。誰かに言われてそうせざるを得なかった。
人を殺した時は何故か妙に高揚していて、思い出せと言われても、その瞬間だけ頭からすっぽ抜けているかのように思い出す事が出来ない。
気が付いたら目の前には死体があって。気が付いたら殺していた。
露骨に不快感を露わにした表情を浮かべていれば、こちらを見た穂刈がふ、と笑う。
「分かりやすいよなあ、お前って実は」
それまでオロオロとしていた半崎も、打って変わって楽しげな顔をして話す。
「ああ分かります! 嫌な事があると結構すぐ顔に出ますしね!」
「い、いきなり何だよ」
「別に? ただ言いたかっただけだよ。お前は大変だな、って」
「本当に何だよそれ…………」
さっきまでの重苦しい空気は吹っ飛び、釣られて自分も笑顔に……は、ならなかった。
彼らの楽しそうな笑顔は一変し、どこか空虚なものを含むものへと変化する。
得体の知れない恐怖にびく、と身体を震わせると、再び穂刈が――今度はかなり強く――荒船の肩を叩く。
そして怯える俺を、笑顔のまま見ていた。
「裏切り者探し、頑張れよ」
始まりの小さな歪みはやがて大きな溝となり、やがて崩壊していく。それら全てが仕組まれていたものだとしても。
壊れた物を元に戻す事は不可能。それが“絆”や“友情”など、目に見えないものなら尚更。
彼――三雲修は、全てを壊し尽くし、そしてボーダー本部の屋上に居た。
“復讐”という生きる理由を無くした彼は、最早生きる事に意味を見い出せなくなっていた。すぐさま修はスマートフォンの液晶を数回タップする。途端、本部内には大音量で音声が流れ始めた。
『十二月二十四日、クリスマスイヴの夜に起きた七件の殺人事件……犯人はあなたがたですよね?』
――今度はお前らが嫌われる番だ。
――絶対に許さない。
――死ぬまで呪ってやる。いや、死んでもずっと呪ってやる。地獄へと引き摺りこんでやる。
「……本当にやるの?」
本部の屋上に立つ修の背後に、寂しそうな笑顔を浮かべた迅はやって来た。
「ええ、当たり前です。ここまで来た以上、後戻りは出来ません」
修の瞳には固い意思が存在している。これはどれだけ説得しようとも決して揺らぐことは無いだろう。
「……そっか」
「じゃあ、また」
「……うん」
簡素な会話を終わらせた彼は、あの時以来の清々しいほどの笑顔を見せながら、屋上からゆっくりと落ちていった。
ぐしゃり。
下から、そんな生々しい音が聞こえてくる。
彼は死んだ。
脳漿を硬いアスファルトにぶちまけて、笑顔のまま死んでいった。
恐らく上層部は今回の事を隠蔽する。だからこそ、この事件は広く浅くではなく狭く深く皆の記憶に刻み込まれるだろう。
裏切り者。それはおれ自身。
大丈夫だよメガネくん。キミは、おれらの心の中で永遠に生き続ける。絶対に忘れたりしない。
ドアの開く音。複数の足音からして、恐らく今おれの後ろに居るのは――
「……分かってたよ。あんたらが来る事は」
振り返れば、よく見知った七人が並んで立っていた。
「どういう事だ」
「? どういう事って、どういう事?」
間抜けな声を出してすっとぼけてみるが、七人は相も変わらず真面目な顔でこちらを睨み付けてくる。仕方ない。ならば言おう。
「三雲修は死んだ。たった今、落ちて死んだよ」
笑いながらそう言えば、彼らは目を見開いてこちらに向かって何か言おうとしていたが、それを遮っておれは更に言葉を続けた。
「だからおれはあんたらを糾弾する側になる。大事な仲間である三雲修を失った、可哀想な男になる」
両手で胸を押さえてこの場には相応しくない優しげな微笑みを浮かべれば、普段から鋭い風間さんの目が更にキッ、と鋭くなる。
「お前一人だけ責任逃れか」
「責任逃れだなんて。言い方悪いなあ」
微笑んだままのらりくらりと
「
「……んー? どういう「忘れたとは言わせないぞ。お前が唆したんだ、俺達を」……」
再びすっとぼけようとしたが、それは太刀川さんに遮られて出来なかった。くそ。
ここがチャンスだ、と言わんばかりに風間さんはハッキリとした声で“それ”を言った。
「お前に唆されて、俺達は殺したんだ」
ありゃ。バレたか。
眉を下げて困ったように笑うが、彼らの表情は変わらない。ならばこちらも真剣に話してやろうと、顔から笑みを消す。
「何言ってんの? また他人に責任を擦り付けるつもりなんだ?」
でもやはり、自分の口から出るのはストレートな問いに対する明確な答えを拒否するかのような胡散臭い否定の言葉だった。
こちらにはまだ考えている事がある。
それを完遂するまで彼らに邪魔はさせないし、ここから逃げさせるつもりも無い。
「ふざけ……「それに、今からあんたらは二人殺した事になる」
誰かの怒りの声の上に被せるように言う。
「な……」
予想外の言葉だったのか、七人は一斉に目をぱちくりさせながら静かになった。
「ついさっき、ここで三雲修は死んだ。そして、その現場に居るあんたら」
「「「!!」」」
「ここまで言えば……もう分かるよね?」
全て分かりきったであろう彼らは何も言わない。なら、おれが代弁してあげよう。
「そう。傍から見たら、あんたらは三雲くんも殺したように見える」
全部全部、おれの手のひらの上。
拳を握り締めるみんなの顔を見て、おれは微かに笑う。
「そして…………おれも殺す」
「は……?」
突然言われたそれに、七人は素っ頓狂な顔をしていた。ちょっと面白い。
「おれに三雲くんを殺した瞬間を見られたあんたらが、同じ場所からおれを殺す。既に七人殺してるのにまた罪を重ねるんだね」
あはは、と乾いた笑い声を上げながら、走って屋上の端へと向かう。
「おい何言って」
慌てた声が掛けられるが、もう時すでに遅し。息を吸い込んでから、両手を大きく広げて叫んだ。
「じゃあね、みんな! また逢う日まで!」
ま、もう会う事は無いだろうけど。なんて笑って、三雲の後を追うように落ちていく迅。
そしてその直後、ドアの開く音がした。
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