おれの話をしよう──天才は生まれた時から天才だ。この国じゃ出る杭は打たれるなんてくだらん諺もあるようだが、突き抜ければ本物だ。おれがカリフォルニアに飛んだのは高校に入って1年経たないうちの頃だった。
約2年間で大学課程をすっ飛ばし、メディカルスクールの門を叩いたおれにとって、最も難しかったのは進学資金の調達だった。平凡な家に生まれたおれにとって、それはバカみたいな金額だった。医者になるには金がかかる。
それはつまり、人を救うには金がかかるということだった。
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「もっと……えっと、そう! ちゃんとしてもらいますからね! トレーナーさんには!!」
ふむ。無茶を言う。
「あたしがついてる以上、もう好き勝手なことはさせませんから! 見張ります! 責任を持って!」
遠慮します。
「……いい機会ね。正式なチームになった以上、メディアへの露出も避けては通れないもの。私も協力させてもらおうかしら」
大丈夫です。
「ふーん、確かに一理あるね。まぁいい薬か、アタシもやるよ。また変なことしたら蹴っ飛ばしてやる」
やめてください。
「来るべき時が来たって感じかぁ〜。アタシは別にこのままでもいいと思うけど、せんせーがちゃんとするようになったらどうなるのか見てみたい気もするかなぁ〜」
冗談ではありません。
アメリカザリガニは清流では生きられない。つまり人には適した環境ってもんがあるわけだが、と言うことはその逆もあり得るってことだ。おれはこの環境に適応した結果こうなったわけで……。
「それで、具体的にどうするのかしら?」
「まずは一日、トレーナーさんの生活を追いかけて問題点を探ります。その上で、それを解決していこうかと思っています!」
「……悪くないわね」
おいおいおいおい。ちょっと待ってくれ、ネコの1日を追いかけようじゃないんだ。小娘に一日中引っ付き回されてたまるか。
「やましいことでも?」
あるから言ってんだろ。あっ違う。別にないけどね。ないけど……。
「それで──誰がやんの?」
タイシンの言葉で場に緊張が生まれた。
「言い出しっぺとして、ここはあたしが!」
「面倒を押し付ける気はないわ。私に任せて頂戴」
「それ言ったら一応アタシ、元々アルファードに居たし。コイツのことも結構分かってるから、やるけど」
「いやいや〜、このナイスネイチャ、汚れ仕事ならお任せとのもっぱらの評判だよ? せんせーとの付き合いも古いしね〜」
誰が汚れ仕事だ。誰が……おれ泣いていいか? ぐすん……。
「……」
沈黙が続いた。
場を伺うような小娘どもの視線はやがておれへと向けられる。ぐすん……えっ、なんだよ。
「トレーナさんはどう思いますか!?」
えっ、普通に誰でも嫌だけど。遊んでないで走ってこいよ。
「その言葉、そのままそっくり返そうかしら──遊んでないで仕事をしなさい」
……おまえは正論しか言わないから苦手だ。
冷ややかな目で見られると言葉に詰まる。おれもどうやら年貢の納め時らしい……。
分かったよ。分かった……キタっち! いいだろう……おれの粗探しをするとか言ってたな、見つけられるもんなら見つけてみやがれ。
「……トレーナーさんのこと、絶対真人間にして見せますから!」
おれの評価が留まることなく下がり続けている。
「ねーせんせー、キタサンにしたのは騙しやすそうだからとか思ってないよね?」
よく分かってるじゃないか。そうだよ。
「……!! 後悔したってもう遅いですからね!!!」
小娘がキレた。
ふむ──ラウンド2と行こう。この機会だ、どっちが上かを教えといてやらないとな。
────プロフェッショナル────
────仕事の流儀────
『追いつけもしないのに、追いかける──』
トレーナーってのは教える者──まぁ教えるとは言うが、おれたちトレーナーは人間の場合が多い。あんな速度で走れるわけじゃないってのに、何を教えられるんだとは思う。だから、そうだな。ウマ娘にとって必要なことを、必要なだけ行う者。おそらく、だけどな。
『レースとは?』
競争──そりゃもう、どこまで行っても……競争だ。あらゆるスポーツの中で、最も単純で……陸上競技と似ているけど、決定的に違う点がある。レースは興行だという点が、個人的に1番大きなポイントだと考えている。年齢層の若さはフィギュアスケートとかとも似てるが、それと比べてもやっぱり異質なスポーツだとは思うよ。
『夢のために、ただ夢のために』
まぁ……なんのために、と言われれば、それのため……ってことになるんだろうな。勝つために、勝つためにって……なんとしてでも。それこそ、前に潰れていく背中を踏んづけてでも。ただただ勝つために、勝つために。
(音楽が流れ出す)
僕らは位置について〜……チャチャチャ〜。
んよこ一列でスタートを切ったぁ〜……チャチャチャ〜。
「えっと……何してるんですか?」
見て分からんか。そろそろNHKからの取材が来ると思って予行練習してたんだろうが。
「マイクまで用意してる……。トレーナーさんは朝からこんなことしてるんですか?」
ふむ。おれの名が轟けば取材もそう遠くはない。おれテレビとか出たことないからな、結構緊張してるんだ。
「来ないから大丈夫ですっ!」
あっ、何をする! おれの原稿を返せ!
「こんなものォ!」
原稿は破られて捨てられた。
おいひどいぞ! どんなのがかっこいいか、ずっと考えてたのに! このために早起きして準備してたんだ!
「トレーニングの準備をしてください! それにもうラジオ体操の時間です! 行きますよ!」
くそっ。力で勝てない以上逆らっても無駄だ……大人しくおれはラジオ体操に行った。
なーキタっち。おれの人生には余白が必要なんだ。かっかするなって。
「あたしの人生にはいらないです。はぁ……こんなので次のレース勝てるのかなぁ」
こんなのって言うな。それに安心しろ、おれがつくからには半端な結果は出さん。
「ほんとに大丈夫なのかなぁ……はぁ。トレーナー選び、間違えたかも」
おいそこぉ! 聞こえてるぞ!
それからというもの、ヤツは暇さえあればおれに付きまとい、邪魔をしてきたわけだ。
「おはようございます!!!! いつまで寝てるつもりですか!!!」
……今日はオフの日だろ。勘弁してください……。
「ダメです。真人間になる道は規則正しい生活から! っていうかまたカップ麺食べてましたね!? 私たちにはダメって言うくせに!」
おれはいいんだよ……。おれが日々進化するように、カップ麺も日々進化してんだから……気になったんだよ……。
「適当言って。というか、トレーナーさんは机で寝るのが趣味なんですか?」
んなわけあるかい。体が痛い……寝落ちしたらしい。あー……昨日もお仕事頑張ってた証拠だぜ? 定時って概念ないの普通に問題だろ。
「……ほんとですか?」
疑いの目が晴れない。
純真で優しかったあの頃のキタサンブラックは、この数ヶ月ですっかりと姿を変えてしまった。月日は人を変えるとは言うが、悲しいもんだぜ。親御さんにも申し訳が立たんな。
「誰のせいだと……」
おれへの悪態が板についてきた。随分アルファードに馴染んだらしい。
「……なんですか? その机の上の……紙束?」
資料だよ、資料。技術は日々進化するからな。置いてけぼりにならないためには、こっちも成長しないといけない。
「珍しくトレーナーさんがまともなことを言ってる……って、その割には関係ない雑誌とか混ざってますけど。これなんですか? 音楽誌とか絶対関係ないじゃないですか」
うるへーな。文字ばっか読んでると疲れるんだよ。
「あれ……プラモデルとかまである! やっぱり遊んでるんじゃないですか!」
い……いいだろうが! おれにだって趣味くらいあるわ! 見ろこのハングドマン、完全再現と言ってもいい! ゴツい二脚は男のロマンなんだよ!
「え、ええ……なにこれ、もしかして一から切り出して作ってるんですか……? な、なにこれ……な、なんでそんな器用なんですか……?」
ACのプラモはかっこいいんだが値段が高いのでこうやってる。結局道具代が高くついたことは内緒だ。
「……じゃなくて! もしかしてその資料とか、トレーニングと全然関係ないことなんじゃないですよね?」
どんだけ疑われてるんだよ。
「なになに……ウマ娘の身体能力に関する基礎研究……? うわ、すっごい文字数……」
まーな。おまえらの身体能力にはまだ謎が多い。クマとかシカとか、そう言われたほうがまだ納得できる。そうだな……フォルムはこう、四足歩行で、かなりの筋肉質で……持久性から考えて、おそらくは草食……。
「なぜだかよく分からないんですが、余計なことを考えてる気がします……っていうか誰がクマですか! 締め落としますよ!?」
ええい、どうどう。どうどう。怒りっぽさには甘いのが効くぞ。チョコをやろう。
「だらしなさにはムチが効きそうですねッ!」
マジで勘弁してくれ。
分かった分かった、おまえのおれに対する不信感はどうにかしなきゃいけないらしい。
「ということで始まりました、査問会・オブ・アルファード、イン夏合宿〜!」
なにが査問会だよ。
「この査問会ではここ数日のトレーナーさんの罪を並べ、精算していただきまーす。それじゃあキタサン?」
「はい! じゃあ早速報告していきますね。トレーナーさんの悪行、ロクでもないのばっかりなんですから! まず夜更かし、それに夜食──ひどいんですよ!? 夜な夜なキッチンに忍び込んでは冷蔵庫を漁って……やたらといい手際で、すぐにいい匂いがしてきて……ッ」
キタサンが机をぶっ叩いた。
「私の目の前で美味しそうに食べるんですよッ! これ見よがしに……わ、私が一体、どんな気持ちで、それを見ていたか……!」
食いたきゃ食えば良かったんだ。別に独り占めしようとしたわけじゃない。ただそいつがおれに頭を下げたくなかっただけだ。
「……っ! これだけじゃありませんよ!? トレーナーさんがあたしに何をしたか──自分の口から話してもらいます……」
別にいいけどさ、この縄解いてくんない? 痛いんだけど。
「嫌ですよ。反省してくれないんですもん」
とりあえずおれは周りの連中に助けを求める視線を送ってみた。
「あーあ、新人にも嫌われちゃいましたね〜?」
この調子だ。面白いものを見る目で見たり、指で突かれたりしている。くだらん……この程度の縄、おれにかかれば脱出など容易い。しかし思ったよりしっかり縛られていたので脱出はできなかった。
まあ大目に見てくれよ。別に人様に迷惑かけてるわけじゃないんだ。遊んでるように見えて、実は仕事してましたってパターンも残ってるぜ。
「え……うそっ! そ、そうだったんですか!? 全然分からなかった……ごめんなさい、あたし疑っちゃいました!」
分かってくれたならいいんだ。まあ仕事はしてなかったんだけどさ。
スパーン! ハリセンで叩かれた。
……冗談だ。今日のトレーニングとて、おれが一生懸命考えてたんだぞ。
「……ホントに?」
そーだよ。体力に体調、ローテに得手不得手……おまえにだって、気づいてないだけで苦手な部分がある。そういうのを全て見抜いた上で、最適なトレーニングを考えているんだ。
「ウソだったらどつきますよ」
ウマ娘にどつかれたらおれ死んじゃうよ。貧弱だからね。謝るからやめてね。
「……ねぇ。コイツにも運動させればいいんじゃない? フラフラになれば、余計なことする気も起きなくなるでしょ」
「いいアイデアね──採用」
意義あり!
「却下〜。それじゃ、トレーナーさんも明日から夏合宿ってことで」
そういうことになった。
ということで砂浜を走る羽目になった。太陽が眩しい。
「いっちに、いっちにー! ファイトー!」
おー! ……じゃない。思わず乗ってしまった。
「いやー、トレーナーさんと一緒にトレーニングってのも新鮮ですね〜。ほらほら、ペース落ちてません?」
ぜえっ、ぜえっ……おまえが……ぜえっ、おれの……ぜえっ、ぜえっ……ペースに……ぜえっ……合わせたら……ぜえっ……。
「え? なんて? 全然聞き取れないでーす。さ、張り切ってこー!」
言いたいことも言えない。おれのペースとか、ネイチャにとっては早歩きぐらいだろう。楽しそうに走っている。
ぜぇっ、ぜえっ……ムリぃ〜……ぜえっ……。
「おやおやぁ? 普段偉そうにトレーニングの指示出してるくせに、随分辛そうですね〜? 口だけなんですかぁ〜?」
最アンド悪だ。くそったれ、日頃の不摂生が祟ったか。散々バカにされながら、言い返す気力もない。これ以上醜態を晒すわけにはいかないが、途中で諦めればそれこそ示しがつかない。おれは走るしかなかった。
「ふふん。いい気分〜。それじゃ、お先に失礼〜! 頑張って〜」
ビューンってネイチャが走り去っていった。おれの30倍くらい速かった。
最アンド悪だったのは、汗水ダラダラで走っているおれに絡んでくる連中が大量にいたってことだ。
「あれ? あれあれあれあれあれあれ〜? ねえねえねえねえねえねえ、もしかしてトレーナー? トレーナーじゃない? あれあれあれ? なにやってるのォ〜?」
クソガキにマークされた。
「もしかしてもしかしてェ〜……トレーニング!? トレーナーってば、貧弱なフィジカル引きずって柄にもなくトレーニングしてるのォ〜?」
黄猿みたいな喋り方しやがって。おれはなにか言い返してやりたかったが、肺は息をするので精一杯だったので力一杯睨んでやった。
「へ〜……どうせ普段の行いが悪いからって、根性叩き直すために走らされてるんでしょ? 妥当な判断だと思うなぁ〜。いいじゃんいいじゃん、トレーナーも一緒に走ろうよ!」
もう走ってる。
「まあトレーナーが全力で走っても、ボクにとってはお散歩ぐらいのスピードだけどね! でもこういうのなんか新鮮でいいかも。そうだ! ボクがトレーナーのトレーナーになるって言うのはどう!? ぴっぴー! そこのトレーナー、手を抜かなーい! どう? どう? 今なら付きっきりで指導してあげるけど?」
答える気力もない。
「あはは! まあ真剣にやってるっぽいし、邪魔するのはこのぐらいにしとこうかな〜。頑張ってねー!」
その後もガキどもが来るわ来るわで、ノロノロ走ってるおれの後ろに列が形成されていた。揃いも揃っておれをバカに出来る数少ない機会に浮かれているらしい。おれが朦朧としながら走っている横で、連中は言いたい放題だった。
「お兄さまっ、お兄さまっ! ついにお兄さまも更生する気になったんだねっ! ライス、お兄さまがちゃんとしたお兄さまになろうとしてくれて、すっごく嬉しいっ! そうだ、これから毎日、ライスと一緒にランニングしよ? 起きてすぐ走ると、朝日がすっごく綺麗なのっ! ライス、お兄さまと一緒に見たいなっ!」
ついに更生とか言い出した。このクソガキとは一度腹を割って話す必要があるようだ。
「トレーナーさんっ! おいたわしや、そんなヒョロヒョロになって……! このマックイーン、トレーナーさんがどうしてこんな面白……大変なことをなさっているのか、ええ! 手に取るように分かりますわ! ダイエットですのね? 大丈夫ですわ、わたくしもその苦しさを知る一人──わたくしがついていますわ! しっかりと脂肪を落として、秋に備えるとしましょう!」
パクパク饅頭の頭にはスイーツとダイエットの二文字しかないらしい。何を隠そう妖怪スイーツ祭りはまたリバウンドしたのだ。今度こっそりお菓子を盗み食いしたら海水を飲ませると伝えたのだが、どうやら近いうち現実になりそうだ。
その後もトレーナーとか先生とか言いながらダル絡みしてくる連中を引き連れて、おれはゴールまで辿り着いたのだった……。
「……お疲れ様。アルファードのトレーニングは予定通り終了したわ。特にケガや不調もなし……起きてる?」
死んでる。
「はぁ……どうせこれっきりだと思ってるんでしょうけど。これから毎日、あなたも走るのよ」
【悲報】アドマイヤ先生、冗談が下手【無表情】
「私が冗談を言うように見えるのかしら。それに……賑やかそうで良かったじゃない」
いい訳あるか。おれを走らせてどうするんだよ。おまえらの夏合宿だろ。
「あなたを放っておくわけにはいかないわ。明日は私があなたを見張るから。よろしく」
【悲報】アドマイヤ先生、実は乗り気【僅かな微笑、おれじゃなきゃ見逃しちゃうね】
疲労が限界だ。もう歩けない。運んでくれ〜……。
アドマイヤさんはおれに近づいた。ダメ元で頼んだのだが、どうやら本当に運んでくれる……と思ったら……ぐえっ。背中に先生は腰を下ろした。
おい乗るな、重──
「……」
……すんません。
「はぁ……ちゃんとしなさい。あなたは──トレーナー、なのでしょう?」
砂がジャリジャリする。太陽が赤く染まって水平線へと消えていくのだ。海辺で見ると青春って感じがして非常に眩しい。
そこでは飽きもせず小娘たちが走っていた。
……気づいたんだが──おれが毎日走るのは、トレーナーであることとは別に関係なくない?
「……」
ぐえっ!