視察ゥ──……ですか。
『ええ。理事長はいつでもウマ娘たちのことを考えておられます。本当なら毎日でも見守っていたいそうなのですが、あまりトレセンを離れるわけにはいかないので』
……。
『そういうことなので、明日あたりに。周知と準備をしておいてください。とは言っても、普段のトレーニングの様子などを見るのが目的ですので、あまり大したことではありません』
おれはここ2年でファイアー大魔神の声を聞くと反射的に背筋が伸びるようになっている。電話越しでもそれは変わらない。世のサラリーマンも似たようなものだろう。
『言葉にするまでのことではないですが、万が一理事長、あるいはウマ娘たちに"何か"あったなら──今度は反省文では済ましませんよ』
何か起きたら全部おれの責任になるらしい。横暴だと叫びたい。権力者によるパワハラを許すなと叫びたい。
『最も、私も同行するので、大したことは起こらないとは思いますが。それでは明日、よろしくお願いしますね?』
だいたいなんで話を持ってくるのがおれなんだ。もっと年長者のおっさんに持っていけよ。おれなんてまだトレーナー3年目の若造だぞ、と言いたい。言いたいがダメだ。なぜならおれには前科が多すぎる。大魔王への奏上など畏れ多いわけだ。
要約する。まずいことになった。
-
「え、理事長来るの? たづなさんも?」
……いいか、ガキども。今日は真剣にやる。
「視察って……見るだけでしょう? 何をそんなに……」
よく聞け。おれは大魔王閣下との相性が非常に悪い。あのお方の前に立つと、おれはふざけずにはいられないんだ。
「縛って海に流しとく?」
「……そうね。海に流しましょう。それなら問題も起こらないわ」
担当に殺害計画を立てられている。死んだら海の一部になるというのは、考えようによってはそこまで悪くない話だ……じゃなくてやめてくれ。
「えっと、普段のトレーニング風景を見ていくだけなんですよね? 別に何も問題ないと思いますけど……」
問題ないわけないだろ。おれが合宿所の裏で猫飼ってるのがバレるだろうが!!
「えっ! せんせー猫飼ってるの!? ちょ、写真──いや、見に行こ。今から!!」
「……見るだけ。いや、触るだけだから……ちょっとくらい撫でるくらい、別に……」
「その子の名前は? まだ無いなら──私が名前をつけても構わないのよね?」
「勝手に生き物を拾ってくるなんて、普通なら怒らないといけないですが……見逃します!! 今回だけは!!」
幸いにもみんな猫大好きだった。
呼び止める暇もなくガキどもが歩き出した。場所は言うまでもない。ミーティングそっちのけだ。おれは慌てて後を追った。にゃんこを取られてたまるか。
ということで合宿所裏にやってきたアルファード一同が目にしたものとは……。
「……! め、目つきがすっごく悪い……!」
「か、かわ……かわ、かわぁ……」
にゃんこはダンボールハウスで寝っ転がっているところだった。さっき朝飯をやったところだったが、不機嫌そうにおれを睨んでいる。
「……触っても?」
どうぞ。
アドマイヤ先生がゆっくりと猫に手を伸ばすと、特に嫌がる様子もなく撫でられるままだ。あれ……おれが触ろうとすると抵抗するんだが、そいつ。おれは不可解な思いを抱えつつ、猫に群がる小娘どもを見守っていた。
「せんせー、この子って野良なの?」
まあ間違い無いだろう。保護した当時はかなり痩せてたし小汚かった。警戒心も強かったしな。なんだったらおれはいまだに噛まれる。食いもんやってる恩人には心は開かないくせに、ぽっと出のガキどもにはされるままだ。
「……まだ少し汚れてるわね。お風呂には入れているの?」
無理に決まってんだろ。流石にバレるわ。
「そう──じゃあ、私が引き取るわ」
アドマイヤ先生にはふわふわしたものを見ると思考までふわふわしてくる数少ない弱点がある。決意は固いらしいが、それはダメだ。ゴローはおれが飼う。だいたい学生寮でペットが飼えるか。
「トレーナー寮もペットは禁止ですよ。犬や猫を飼おうとした方はこれまでにもいらっしゃいましたが、問題に発展するケースが多かったために禁止になりました。一度説明したと思うのですが、もう一度必要でしょうか?」
……分かってる。だからバレないように……あれ? あずきバー師匠の声が聞こえたような。
「ふふ。可愛らしい猫ちゃんですね。それと……おはようございます、トレーナーさん。予定通り到着しました。本日はよろしくお願いしますね?」
怖気の走る営業用の笑顔で、あずきバー師匠がそこにいた。
は……早くないですか、その……あ、いえ……到着時刻はその、伺っておりませんでしたが。
「スケジュールはメールでお送りしておいたはずですが?」
うそん。そんなわけがない。慌ててスマホを開いて確認してみたら書いてあった。"理事長の早起き具合によってスケジュールが前倒しになる可能性があります"…………。
は、嵌めやがったな!?
「人聞きの悪いことを言わないでください。理事長がお待ちです──案内をお願いできますか、トレーナーさん?」
おれは連行されていった。
……午前は主には基礎トレが中心っす。いつもみたいに授業やらがなくて、一日中フルに時間を使えるんで……走り込みや遠泳とかやってます。
「安全管理については?」
もちろん、細心の注意を……あれ見えます? 救助用のボートとか、いろいろ置いてあります……。水分補給の呼びかけとかも、はい……。
「結構。安全管理責任者としての務めはきちんとされているようですね」
おれにこれ以上責任とか背負わせると潰れちゃいますよ。轢かれたカエルみたいに……。責任ばっかじゃなくて、もっとこう……権力とかも欲しいなーとか思ったり、思わなかったり……。
「何か言いましたか?」
いーえ、なんにも。
満足そうにトレーニングの風景を眺める理事長の後ろでゴッド神は満足そうだった。
……。
「合宿も中盤に差し掛かっています。何か問題等があれば、すぐに報告してくださいね」
トレーナーの労働環境は大いなる問題です。おれも夏休みが欲しいです。
「今はまさに夏休みだと思いますよ? 野良猫まで拾ってきて……ふふ、可愛いらしい猫ちゃんでしたね?」
やばい。人質ならぬ猫質だ。だからバレるわけにはいかなかったのに……。
「安心してください。トレーナーさんが真面目に仕事をしている限り、どうこうすることもありませんよ」
それなら安心だ。ところでバーン様、一つ伺いたいのだが、ゴローのことは……。
「トレーナー寮で飼って頂いても構いませんよ? もちろん、きちんと責任を持っていただけるなら、の話ですが」
えっ。でもさっき、トレーナー寮はペット禁止だ、って……。
「ええ。ですがトレーナーさんのトレセンに対する大きな貢献を鑑みて、特例として認めてもいいでしょう──ただし、一つ条件があります」
出たよ。こうやって面倒ごとを押し付けるのがバーン様のやり方なのだ。おれも学んでいる──今度はおれにレースに出ろとか言い出すんじゃないかと戦々恐々としていると。
「──本当の意味でのトレーナーになって頂きます」
どういうこっちゃ。
「意味が分からないほど鈍くはないでしょう。それに、優秀な人材に成果を期待するのは当然ですから」
……仕方ない。おれも真面目に答えますが、仕事の量がほんとに終わってるんできついっす。普通にどっかの病院とかと提携した方がいいと思うっす。一人で出来ることには限界があるます。
「なるほど。そうでしょうね、一人なら──ですが、トレーナーさんは一人ではありません」
冗談じゃない。ガキどもを頼れっていうのか。そんなことをしたら見返りに何を要求されるか分かったもんじゃない。最悪の場合ゴローを持っていかれる。ゴローだけは守らないといけない。おれは猫を守らないといけないんだ……。
「猫より先に守るものがあるでしょう。海に叩き込みますよ」
やめてください、しんでしまいます。
「まったく……。ふざけていないと死ぬんですか?」
よくご存知で。
おれは真面目なのは嫌いだ。人生は余白ばっかりでいい。それに特にふざけているつもりはない……猫は守らないといけない。わかるでしょう、バーン様。
「確かに、猫ちゃんは可愛いですけど……あと、誰がバーン様ですか? 言っておきますが、トレーナーさんにやってもらいたい仕事なんて山ほどあるんですからね?」
新手の脅しが過ぎる。もうやだ。休暇とって北海道に行きたい……。
「……はぁ、そんなの私もですよ。今度私の仕事を増やしたら東京湾に沈めますからね。くれぐれも、よろしくお願いします」
新年も働いていたお方が言うと重みが違う。秘書もいろいろ大変なのだろう。おれは少し同情した。走ることばっかり考えてるガキどもと違って、大人は大変なのだ。やっぱつれえわ。
ということでおれの生活に猫が加わることが認められたわけだ。猫の名前はゴローという。
「いやいや、ここは一つミケで行きましょう。ね? ミケ」
「あたしは、その! アマギがいいと思うんです!」
「……ポラリス。決めたわ、この子の名前はポラリスよ」
うそだろ。ゴローだって言っているのが聞こえていないのか? タイシンだけは唯一それに構わずにゴローを撫でている。
ぬぉ〜ん……
わかりにくいと思うがゴローの鳴き声だ。この猫はぬぉーんって鳴く。ゴローは目つきも悪いし態度も悪い。なんだったら少しブサイクな猫だ。しかしそんなことはまったく問題にはならない。おれはゴローが可愛くて仕方なかった。
「「「……!」」」
なんか睨み合ってる。おいおい勘弁してくれよ。言っとくがゴローに出会ったのは1週間くらい前だからな。その頃からもうゴローはゴローなんだよ、なんで後から名前変えられなきゃいけないんだよ。
「──黙って。大切なことよ」
こんな真剣なアドマイヤ先生見たことない。おれはもう口を挟めそうになかった。
ぬぉ〜ん……。
なんでもいいよと言いたげなゴローの鳴き声が響いた。まったくその通りだ。もう好きにしてくれ、なぁゴロー……伸ばしたおれの手は普通に噛まれて血が出た。おれは泣いた。
そしてゴローは夏合宿所に住み着くことになった──当初は当然、飼い主であるおれの部屋に住み着くもんだと思っていたが、猫を制御することはできない。いつの間にかガキどもやトレーナーたちを骨抜きにしていたのである。末恐ろしい存在だ。おれでさえゴローの足取りは追えない。
「にゃーこ、こっちだよ〜! ほ〜らきたきた、かわいいね〜」
「あっ、ザブトン! かにかまあるよ〜、食べる?」
「ぼたん、おはよ〜。今日は一緒に走る? なんてね〜」
そしてなんと名前が統一されていないので、各々が好きな名前で呼ぶことになっている。ゴローは無愛想な猫だが、撫でられてもさして抵抗しない。おれが撫でると全力で噛んだりひっ掻いたりするのに……。
「おいでー。猫じゃらしで遊ぼ、みずなー!」
「サドンデスは今日も可愛いね! 癒されるー……」
もうだめだ。こんな癖の強い名前を付ける連中にゴローを任せてられるか。猫はおれが守る。ゴロー、散歩に行こう。ここは危険だ……いてっ!
「せんせーだけだよ、ミケに噛まれるの。逆に特別なんじゃない?」
おかしいな。エサやったり世話してるのおれのはずなのに、懐かれる気配がない。心が折れそうだ。つらいよ……。
「うーん、よしよし。せんせーは頑張ってますよ〜? アタシは分かってるからね〜」
うぅ……おまえだけだ、おれを分かってくれるのは……。
フリッツ王家のおっさんみたいな感じでネイチャに縋り付くおれをゴローが無愛想な目つきで眺めていた。ちらっと目があった。
可愛い〜! 猫可愛い〜! 最高〜!!
「……泥棒猫め。おりゃ」
あっ! 待てネイチャ、ゴローをどこに連れて行く! っていうかおれもまだ抱っこは許されていないのに……ずるい。ずるいぞ……!
ネイチャが猫を連れて行くのをおれは黙って見ていることしかできなかったのだ。ぬぉ〜ん……。
「お昼休みに何をしてるんですか? いい加減、アマギのことは諦めればいいのに」
キタサンは日に日におれへの当たりが強くなっていく。どうやら今のトレーニング体制に不満があるらしい。
「……トレーナーさん。最近のトレーニングですけど、正直少し足りてないと思います」
珍しく真面目な話が始まりそうだ。
ふむ……。
「あの大きなタイヤを引きずるヤツ、あたしもやりたいです」
ダメだ。
「どうしてですか?」
おまえがあんなのやったら膝が壊れちゃうよ。
人間がやるんなら別にいい。どうせ動かせないからな。ただおまえの場合動かせちゃうからな。
「……レースの予定を教えてください。あたしのメイクデビューは……いつになるんですか?」
そう焦るなよ、ひよっこ。おまえの体はまだ戦えるようにはなっていない。走り込みで十分効果はあるさ。ちゃんとトレーニングして、メシ食って寝てりゃ、いつの間にか身体が出来上がってるってもんよ。
「珍しくトレーナーさんがそれっぽいことを言ってる……じゃなくて、本当なんですね?」
曲で例えるなら、今はまだ
「……イントロ?」
そう──おまえは強くなるよ。目標が明確で、モチベーションもあり、毎日コツコツ努力できる。だからまだイントロだ。Aメロは少し我慢しろ。大丈夫だ、問題ないさ。
「えっ、急に真面目になった……い、違和感が……違和感がすごい……」
おまえほんと失礼だな! 人が真面目にやってるってのによ!
「ご、ごめんなさい。なんかトレーナーさんがトレーナーっぽいことをしていると、違和感でゾワってしちゃいます」
これも日頃の行いか。
「……普段から真面目にしてればいいのに」
おれはいつも真面目にやってるんだがな。なかなか信じてもらえないんだ、これが……。ま、話は分かったろ。余白はあるうちに楽しんでおくもんだ。無くなってからじゃ遅いんでな。
ということで落とし穴を作る。おまえも手伝うがいい。
「はぁ……そのままお墓にしましょうか? トレーナーさんの」
やめろ!
-
まあ遊んでばっかと思われがちなおれではあるが、あくまでそれは一側面に過ぎない。
「あ、先生ー。ちょっといいですか?」
なんだ。
「これ、午後のトレーニング表なんですけど……」
見せてみるがいい。どれどれ……そうだな。このぐらいなら問題ないだろう。明日あたりに近場の病院に行って検査だな。結果次第じゃ復帰も見えてくるだろう。
「! ほ、本当ですか?」
おれは嘘は吐かん。ただ、午後のトレーニングには十分な注意をしとけよ。メニュー見た感じ、軽く流す程度だが……些細なことで悪化する場合もある。
病院の予約はこっちで入れておく。細かいとこはおまえんとこのトレーナーと話しておくんで……まぁ行ってこい。
「は、はい。その……ありがとうございます」
いいってことよ。なに、もう少しの辛抱だ。ちゃんとやれば、すぐに走れるようになるさ。おれが保証する。
安心した表情でそいつは頭を下げて去っていった。
実際のとこ、アルファードの保健室は接骨院みたいなもんだ。おれの専門は小児科なんですと八千回くらい魔王様に言ったのだが、関係ありませんやれって感じでやっている。
まあ怪我なり病気なりになれば病院へ行けばいいのだ。しかし学内にそういう保健室があるってのは手軽さが違うし、サポートの幅もかなり違うわけだ。事実こうやって夏合宿に出張して様子を見るってのもできる。普通の治療機関ではここまで手厚いケアは難しい。トレーナーの資格まで持ってる医者ってのは、実際かなり贅沢なんじゃないかと思ったりもする。
──現代医学には明確な限界が存在する。
それはサイエンスの限界であったり、制度的な問題であったり、あるいは医師たちの過密な労働環境によるものであったりする。
おれが抱えているウマ娘の数はおよそ15名ほどになる──その一人一人に事情があり、生来の体質的な特徴なり問題なりがあり……とかやっているとどうなるか。答えは簡単で、おれの負担が天元突破する。
だからチームなんて作りたくなかったのに……おれじゃなきゃとっくに倒れてるぞ、ほんとに。入院中も働いてたからね。どうなってんだよ。
海を眺めていると足音が近づいてきた。
「っ、はぁ……っ、はぁ……っ……、ふぅ──」
タイシンちゃんである。小さくてかわいいね。
「水」
はいよ。
アクエリアスを放り投げてやると、タイシンはそれを一息で飲み干した。ワイルド……。
「っ、ぷー……ねぇ、暑すぎ。どうにかして」
そこに海があるだろ?
「ベタつくから嫌だ。他のやつはないの?」
落とし穴の中は案外ひんやりしてるぜ。
「ざけんな」
空のペットボトルをおれに放り投げて、タイシンはビーチパラソルの日陰に座り込んだ。
「……あんたさ。マジでチームとしてやってくの?」
仕方ねーだろ。大人ってのはな、上司には逆らえないんだよ。
「本気で断ればいいじゃん。嫌なんでしょ?」
本気で断ったらおれほんとに殺されるよ。それに……まあ正直言うと迷ってたんだよ。このままでいいのかって。おれはもう少しレースってもんに踏み込むべきなんじゃないかってな。
「……相談してくれれば、アタシだって」
おまえはおれにワガママ言ってるぐらいがちょうどいいんだっての。
「気ぃ遣うな。ウザい」
はいはいウザくないウザくない。今度一緒にゲゲゲの謎見に行こうな。
「一人で行ってろ! だいたい、しばらくアタシを放っといたの、まだ忘れてないから」
悪かったよ。ま、チームも出来たことだし、ひとりぼっちはおしまいってこった。猫もいるしな。
「……あんたの家で飼うの?」
上司のお許しが出たんでね。おれもようやく猫のいる生活を迎えられる。部室で寝落ちする日々にはサヨナラ、帰って猫と寝る生活にこんにちは。待ち遠しいぜ。
「あんた一人に任せとけない。アタシも世話するから」
猫と一緒に過ごしたい気持ちは理解できる。しかしおれにもプライベートってもんがある。猫の顔見たら帰れよ。
「は? ふざけんな」
ぬぉ〜ん……。
トレーナーが怪我してる設定は次週になったので治ったんだよ
普通に忘れてた