夏合宿も終わりかけだ。今年の夏も暑かった。地球温暖化は留まるところを知らんし、綺麗な砂浜も少し歩けばゴミが流れ着いてる。
寝苦しいばかりの夜が長かった。しかし、夏の未明の温度は嫌いじゃない。夜明け前の、太陽が上り切る前の一瞬、少しだけ肌寒くなる瞬間がおれは実に嫌いではない。
夏の未明は釣り日和だな。
「釣れてる?」
ああ。ちょうど嫌なのが釣れちまったとこだ。
夏合宿上の近くに堤防があって、ボロい竿を垂らすには絶好の場所なのだ。全く最高のロケーションだってのに、会いたくないヤツが来ちまった。
どうも嫌なジンクスだ。夏の終わり際にはロクな思い出がない。人生で初めて風邪やって花火大会を逃したのも、友達と喧嘩してカーチャンにゲンコツ落とされたのも、夏の終わりだったし、八海山先生に初めて会ったのもこの季節だ。
それと、おめーに出合っちまったのもな。クソガキ1号。
「うーん? 単なるバイアスだと思うな。それとも──もっとひどい思い出があるから、そう思うんじゃない? ね、"お兄ちゃん"?」
言っとくが、おれは長話する気はない。ゴローのために一匹釣ったらすぐに帰る。トレーニングの準備があるんでな。
「うん、分かってるよ。でもそれって、釣れたらって話だよね? カレン、あんまり釣りとか分からないけど、そんな竿で釣れるの?」
少なくともおまえは釣れたな。朝っぱらからご苦労なこった。精が出るね。
「もー。素直じゃないなぁ。どうしてカレンにはそんな態度を取るのかな。傷ついちゃうっ」
……。
やめろ、それ。
「それって? やめるってなにを?」
そのもったいぶった演技だ。言いたいことがあるならはっきり言え。おれァ遠回しなのはキライでね。
「うーん、なんのことか分かんない。カレンはただ、窓から歩いてく"お兄ちゃん"が見えたから、後を追っただけだよ? 何してるのかなって気になっちゃって」
そうかよ。
釣り糸が海面に揺れている……どうも竿の長さが足りないと見た。しかし釣竿も高く付く。万年金欠であるおれには手の届かない代物だ。
「欲しいの? 釣竿」
ああ。だが、くれるって言われてもいらんがな。
芥川の芋粥って読んだことあるか?
「うん? 知らない、昔の小説?」
ああ。
小学校の頃、遠足があってな。前日なんかは楽しみで寝れなかった。すげーワクワクしてな。
それでいざ行ってみたら、別に面白くはあったんだが、想像してたほどじゃなかった。前の日の想像の中の方が面白かったよ。どんなところに行くんだろうってワクワクしてた時の方が面白かった。
欲しいのに手に入らない。だから余計に期待する。すげーものを欲しがってるんだって、期待を自分で補強する。
そうしている時の方が、いざそれをやった時より楽しいってこともある。
「ふーん。でも、ちょっとわかる気がするなぁ。小さな頃の憧れたものって、いざ手に入れてみると案外大したものじゃなかったりするよね。それでがっかりするの」
そうだろ。
だったら手に入らず、ただ欲しがってた頃の方が幸せなんだよ。
芋粥ってのはそんな話でな。主人公の下男は賢いヤツだ。憧れの芋粥を山盛り食わせてやるって言われても断った。その味を想像している方が幸せだと気づいたんだ。
おれの釣竿も同じだ。手作りのボロ竿を使って、いつか憧れの竿が欲しいって思ってるくらいがちょうどいいんだよ。
「それはお金がないだけじゃない?」
そんなことない。
「だって買うお金あったら買うでしょ、"お兄ちゃん"は。女の子のデートで散財してるからだよ」
デートではない。お出かけと言え。大体連中はおれのことを歩く財布だと思ってる節がある。まったく、女ってのは悪魔より強欲だ。特に名前にカレンってついてるヤツはな。
「ひどーい。カレン、傷つくなぁー。お金は大事に使うんだよ、カレンは。それにー、"お兄ちゃん"にデートに誘ってもらったことないもーん」
大した狐だ。強欲であることは否定しないんだぜ、この女は。
「あっ、見て。何かかかってない?」
おっと。どうやら海の恵みが来たみたいだ──そおい!!
おれは釣竿を力一杯振り上げた。釣り針の先には長靴がかかっていた。
「……あは。お兄ちゃん、ついてないみたい。今日は無理だよ、カレンと一緒に帰ろ?」
仕方あるまい。おれは長靴を回収した。あとでゴミに出しとかなきゃな。
ゴローには謝らなきゃな。きっと楽しみにしてたろうに。恨むならカレンを恨んでくれ。
帰り際の会話はほとんどなかったが、クソガキ13号は意味深なことを言った。
「──さっきの話だけどさ」
あんだよ。
「本当に欲しいものを手に入れられないけど、手に入れたいって願ってる状況が幸せなんだよね」
そう言えなくもない。
「でもさ、もう何をしても絶対に手に入れられないーって状況にもなるかもしれないよね?」
そういうこともあるかもな。
「そうだよね。だからカレンは、欲しいものがあったら我慢しないよ。誰に譲る気もない。戦わないと手に入らないなら、カレンは戦う。賢くなって失うくらいなら、馬鹿になって手に入れる」
そうだな。それがいいだろうな、実際のところ。世の中失ってからじゃ遅いってこともある。
「カレンね。賢いバカのフリをしてる"お兄ちゃん"のこと、大っ嫌いだから」
ケッ。言ってろ、クソガキ。
-
「──メイクデビュー?」
うむ。組んどいてやったぞ、感謝しろ。
予定表の紙ベラを渡してやると、キタサンブラックはちょっと呆けて資料に目を落とした。
「お〜。やったねキタサン! えーっと、なになに〜? お〜、1ヶ月後かぁ〜。トレーナーさんにしては珍しく、早めに予定を組みましたね〜」
レースに出たいってうるさいかったからな。感謝するがいい。
さて、夏合宿も終わりだ。さっさと荷物まとめて撤収しろって言われている。だがゴローが来たことで、おれの部屋の散らかりようも酷いことになってる。とても数時間でまとめ切れる量ではないだろうな。
ふむ。ということで、片付けを手伝ってくれ。
「は? 自分でやれよ」
「右に同じで〜す」
ということで誰も手伝ってくれそうにない。まあダメ元で言ってみただけだ。ゴローを愛でながらのんびり片付けるとしよう……。
「──カレンが手伝ってあげよっか?」
いらん。帰れ。
どっから現れたんだ。トレーナーんとこ帰れよ。
「素直じゃないなぁ〜、"お兄ちゃん"は。だいたいゴローに嫌われてるよねー。カ・レ・ンは撫で撫でさせてくれるんだけどなぁ〜。それとも、カレンを可愛がるっていうのは?」
いえ、結構です……。
何考えてんのかさっぱり分からん。こいつには躊躇ってもんがないのか?
「ごめんなさい、カレンチャン。今はミーティングの途中なの」
「うん、知ってるよ。アヤベさん──でも、もうお話も終わった頃でしょ? この人、いらないならカレンが借りていっていいよね?」
おいおいおい。あのな、大事な話が残ってるかもしれんでしょうが。
それにおれはアルファードのマスタートレーナーだぞ。大黒柱なんだぞ。
「いらないから持ってっていいよ、それ。うるさいから」
タイシンがため息をついた。
……あれ? おれ、もしかしてあんま好かれてない? そんなことないよな? 期待を込めてガキどもを見渡してみた。
「……メイクデビュー、私も、ついに……!」
「あらあら〜。キタサンってば気合いが入ってんじゃん。若いってのはいいねえ〜、アタシにもそんな時代があったよ〜」
「本番に向けたトレーニング計画を立てましょう。シューズも買い換えた方がいいわ。模擬レースを体験しておくのも大きいから、他のチームと相談してスケジュールを組んでおくわね」
「並走やるんなら、アタシも付き合うよ」
……あれ?
お、おれ……と、トレーナー……なのに…………。トレーナーなのに…………ぐずっ…………。
「ふふっ、みんなにはお兄ちゃんは必要ないみたいだよ? じゃあ、さ──行こっか。"お兄ちゃん"?」
おれは泣きながらカレンチャンに連れて行かれた。
-
ことここに至っては、カレンチャンというクソガキ1号について語らねばなるまい。
思い返すのも嫌なトレーナー1年目。ヤツは……おれが最初に担当したウマ娘だ。半年ほど担当して、その後別のトレーナーに預けた。もっとも、おれは返してもらうつもりなどなかったし、今に至るまで返品はされていない。というか断った。
トレーナー1年目、おれは失敗したのだと言わざるを得ないだろう。失敗から反省し、おれはレーストレーナーとして自分が向いていないことを自覚した。その後はアルファードを設立し、学内のケアチームとして怪我したガキどもの面倒を見ることにしたわけだ。
担当を増やせと言われた時、おれはたづな・オブ・エンドに言ったんだぜ。おれには向いてないですよって、ちゃんと過去の経験まで、赤裸々に語ってやった。恥ずかしかったがな。
そしたら自分の担当を5人くらい持てって命令されたのだ。あのアマ! 挙句、ケア活動も両立しろだと? あのアマ!
たづな・オブ・エンドに対し、認めよう。おれは恐怖心を抱いている。しかし同時に復讐する気持ちも忘れちゃいないんだぜ。いつか頭ぁ下げさせてやるからな……。
カレンという女について、話を戻そう。
ふむ。クソガキ1号が何を考えているかなどおれにわかるはずがない。分かるのは……奴がおれを腹の底から恨んでいるという、その事実だけだ。
-
ゴローが窓際のサッシに座って砂浜を見下ろしているのを横目に、おれは部屋の片付けを行なっていた……あ〜〜〜〜、かわいい〜〜〜〜……。
猫は人類の最初の友だ。かつてエジプトでは、猫は神として崇められていたというのは有名な話だ。パステト神は猫だしな。
しかし、頭は猫で体は人間だ。人の傲慢さを感じるね。おれに言わせれば、キャットはそのフォルムこそが完成品だ。なーんって鳴けば人間も頭を下げる他にない。ゴローはあんまり鳴かないヤツなんだけどね。
「も〜。猫ちゃん見てないで片付けしなさーい。こんなペースじゃ終わらないよ?」
まさか本当に手伝ってくれるとはな。余計にこいつが怖いね。
カレンチャンは甘い顔と腹黒い本性を併せ持つ……。段ボールに次々と荷物を放り込んでくれるおかげで早く終わりそうだ……っておい! ホワイトグリントを雑に扱うな! アークの英雄だぞ!?
「カレンは〜、そういうのわかんないから〜。お兄ちゃんの趣味を否定するつもりはないよ〜? でもー、ほどほどにしないとダメだと思うな〜」
お前まで正論を言うなよ。そういうのはアドマイヤ先生だけで十分だ。
「──昔みたいに、アヤベって呼ばないの?」
やめろ。
マジでやめろ。
「ふーん。本当に、お兄ちゃんは臆病だよね。ま、カレンには関係ないけど」
そう思うなら抉ンなよ。
ユングによれば、思春期の傷は一生引きずるらしい。おれも同感だ。外傷は治らない。元には戻らない。それも、心に残ったやつは特にな。見えないからって、そこにないってわけじゃないんだぜ。
「お喋りの
……突っかかるな、こいつ。
このクソガキは──信じられないと思うが、おれのことを嫌っているわけではない。ただ恨んでいるだけだ、心の底から。それ違うか? 一緒じゃないの? とは思うが、本人に言わせれば違うらしい。
「カレンはね、"お兄ちゃん"のこと、大好きだよ〜。だ・か・ら〜……お兄ちゃんも、カレンに夢中になって欲しいな〜?」
怖い怖い。何考えてるか分からないやつが1番怖い。何が怖いって、はっ付けた笑顔で近づいてくるのが怖い。
ふむ。もう少しこの怖いって感情を深掘りしてみることにしよう。
相手が何を考えているのか分からないというのは、相手の行動原理、損得勘定が分からないということだ。つまり予測が立てられない。予測ができなければ対策のしようもない。つまりこいつが、おれに何をするもりなのか、何をさせるつもりなのかが分からないということ。
経験上、そういうヤツには近寄らないのが1番だ。君子危きに近寄らずってね。
「もう。お兄ちゃんったらとぼけるフリばっかり上手くなって。カレンの気持ち、分かってるくせに〜」
ああ、よく知ってるぜ。
腹ン中にドス黒い本音を隠してる連中ってのは、およそ2タイプに分類できると思う。相手を信用していないから何も教えないってヤツと、相手を殺したいほど恨んでるが、それを相手に気づかせたくないために嘘をつくヤツだ。
ヒソカも言ってたっけな。意味のある嘘しかつかないタイプと、意味のない嘘もつくタイプがいるってよ。
おまえは天邪鬼って感じでもない。おまえには目的があるはずだ。それにしては、どうも遠回し過ぎるのが気にかかるがな。
ふむ。それはなぜか?
「ふーん、カレン気になるなぁ〜。ねえねえ、教えてよ〜」
おまえの行動は……どうにもちぐはぐだ。釘を刺しに来ているようで、その実何の要求も出してはいない。それを誤魔化すために、カレンチャンというキャラクターを演じている。
おまえはおれに言いたいことがあるはずだ。それを言わないのは……それを言うことで起こるであろう出来事を恐れているからだ。
「えー! カレンが怖がってるものって〜? カレン、気になっちゃうな〜!」
おまえの仮面も大概だな。ほとほと参るね。おまえはおれに一つでも、自分のことを悟られたくないと考えてるな。どうしてそんなことになるんだか。
「乙女には秘密が多いの! 秘密って、気になるでしょ? そしたら、カレンのことをもっと知りたいって思ってくれるでしょ?」
だが、結局教えないのでは、おまえは誰にも知られないままだ。おまえは情報化社会のアイドルを気取りつつ、本当のおまえは誰にも教えたくないんだよ。
ふむ。それがおまえのやりたいことなのか?
「ん〜? 事実として、お兄ちゃんは私のことを考えてるよね? 私が何を考えてるのか、考えてるよね? ね。"お兄ちゃん"? だったら〜、カレンの作戦勝ちってことだと思うな〜」
口より手を動かしてくれ。おまえに手伝う気があるんならな。
「イヤだなー。カレン、これでも仕事はちゃんとする方だよ? 取材もファンサービスも、ぜーんぶ笑顔で答えるし、イメージから違ったことは、ホントは違うことを思っていても、ちゃんと"カレンチャン"として期待に応えてるの。今だって、お兄ちゃんの散らかった部屋を掃除してあげてるんだからね〜?」
どうしようもないクソガキである。
性根が腐ってるか、心がぶっ壊れているのだ、このクソガキは。普段のファンに対する振る舞いを見ていると、おれに対する態度はいっそ二重人格なんじゃないかと思う。
はぁ、もう勘弁してくれ。どうしてこんなに気を張らなきゃいけないんだ。なぁ、ゴロー……いてっ!
「ゴローはちゃんと分かってるんだよね。"お兄ちゃん"の本性。ねー?」
ゴローがぬおーんって鳴いた。おれ以外には結構愛想のいい猫だ。
……おまえ、いつになったら懐くんだよ、ゴロー。おれの膝下で寝てくれるんじゃなかったのか? 猫はおれに寄り添ってくれない……。
「猫ちゃんと仲良くしたいんだよね。ホント単純だなぁ、だったらぁ──」
カレンチャンが作業の手を止めて、ぐいっとおれに顔を寄せてきた。思わず後ずさるが、その分の距離をまた詰めてくる。おれは怖くなったので距離を取ったが、以下は無限ループだ。壁際まで追い詰められる。
「"わたしが"、お兄ちゃんの猫ちゃんになってあげよっか?」
遠慮します。
「またまた〜。お兄ちゃん、妹みたいな子、好きでしょ?」
冗談じゃない。
ガキどもに好きだの嫌いだの思ったこともない。ウマ娘に必要なのは、まっすぐ走るだけの道だ。他には何もいらない。どうせほっといたって走り出すんだ、構うだけ損だぜ。
「それ、単なる思い込みだよ。ねえ、お兄ちゃん──」
それ以上近づくな。おれは実はウマ娘アレルギーでね、じんましんが止まらなくなる。
「カレンのこと、好きにしていいんだよ?」
ガラ、とドアが開いた。ノックもせずに入ってくるのは、間違いなくアルファードのメンバーに他あるまい。おれは近づいてこようとするクソガキ1号の顔を押さえつけつつ、そちらに目を向けた。
「──何をしているの?」
ちょうどいいところに。助けてくれ、アドマイヤ先生。こいつが面倒なんだ。ルームメイトだろ、引き取ってくれ。
「あ、アヤベさん! 聞いてよ、この人の部屋! 掘れば掘るほどいらないガラクタがいっぱい出てくるの! アヤベさんも手伝ってくれない〜?」
アドマイヤ先生は部屋を冷たい瞳で一瞥し、猫を見て口元を緩めた後、もう一度おれに冷たい視線をくれたあと、ため息をついて足を踏み入れた。
「……仕方ないわね」
アドマイヤ先生の仕方ないわねが飛び出した。今日の仕方ないわねだ。聞いたかクソガキ1号、ついに出たぞ。
「う〜ん、出るんだね〜。ほんと、アヤベさんは可愛いなぁ〜」
アドマイヤ先生はやはりというか、心底くだらないという表情を浮かべた。冷たい目をおれに向けたのち、ふっとクソガキ1号を見た。対応が違う……対応が違うぞ……。
ふむ。アルファードの連中からおれに対する好感度がヤバい。おかしいな、こんなはずでは。
「……いつまでもふざけてないで片付けなさい。カレンさんに手伝わせないで」
「カレンなら平気だよ、この人がどーしようもないのは知ってるもん」
「甘やかさないで頂戴。この人はすぐ調子に乗るんだから……」
やれやれだ。おれを甘やかすヤツなんぞ、トレセンに一人だっているかよ。
「あはっ。ほんとだよね──でも、結局口だけなんだよね、"せんせー"は」
「……」
憎まれ口ばかり叩くクソガキである。意味深なことばかりいってからに……。情緒不安定なのか?
ふむ。試してみるか……。
>うるさい口だね。塞いであげようか?
>愛してやるよ、子猫ちゃん
久しぶりに出てきた割にめちゃくちゃな脳内選択肢である。どうなってんだ。これ大丈夫なんか。
>可愛い子猫ちゃんだ。オレのモノにしてやるよ(顎をクイッとやる)。
なんで全体的に乙女ゲーみたいになってるんだ? まあいいや、1番マシそうなので行こう。
>可愛い子猫ちゃんだ。オレのモノにしてやるよ(顎をクイっとやる)。
ふむ。押し間違えた……。
「……お兄ちゃんってばだいたーん。あはっ、でもぉ〜……ダメだよ? カレンに近づきすぎたら。どうなっちゃっても知らないよ? カレンは子猫ちゃんじゃないんだから、甘噛みなんかじゃ満足できないの」
クソガキの目がヤバいんだけど。目の光はどうやって消してんの? 教えて欲しい、普通に気になる。
「……」
アドマイヤ先生が腕を組んで冷たい目でおれを見ている。え、なんか言ってよ。なんか怖いんだけど。え、止めてよ。やめなさいって言ってぇ? 止めてぇ?
顎クイした手首にクソガキは手を添えた。とりあえず振り解こうと思ったが万力のような力でびくともしない。クソガキはニコニコしている。
一歩、クソガキが前に出てずいっとおれの顔をしたから覗き込んだ。おれは掴んでいるクソガキの手をもう片方の手で優しく外そうとして、全く動かなかったので全力で解こうと試みたがダメだった。このチビのどこにそんな力が……。
「あは! お兄ちゃん、わたしと身長変わらないの、実は気にしてるんだよね? でも、おんなじ目線で話せるの、カレンは嬉しいな〜」
やめろ! 放せ、どうする気だ!?
「どうする気だ〜、なんて──カレンの方が聞きたいんだよ? カレンをその気にさせるのはお兄ちゃんの方なんだから。──そうでしょ、アヤベさん? わたし、間違ったこと言ってるかな?」
「……」
【悲報】アドマイヤ先生、まさかの静観【微動だにせず】
クソガキ1号は渋川剛気みたいな感じでおれの手首をクイっと捻るとおれは膝から崩れ落ちた。
どういうつもりだ! このおれに"技"で勝とうってのか!? 馬鹿にしやがってよぉ!!
「お兄ちゃんこそ。──本気で抵抗してよ、わざとらしいのはどっちなの? なんだか馬鹿らしくなっちゃうなぁ。カレンは本気なのに、どうしてお兄ちゃんは本気になってくれないの?」
……分かった。おれの本気を見せてやる。おれは本気で抵抗したが、掴まれてるのが手首だけなのにおれは全く動けなかった。
さっきからクソガキの目がやべえな。どうやってんのか知らんがハイライトが消えてる上に、妙に湿った目をしてる。
「どうしてかなぁ。どうしてカレンのことを見てくれないの? カレンはずぅ──っと、お兄ちゃんを見てるんだよ。これまでも、これからも。ずっと──見ていたんだよ。わたしはずっと、見ているだけだったんだよ、アヤベさん?」
「……」
「今度は──アヤベさんが見ているだけだね。いいの? カレンが取っちゃうよ? アヤベさんの大事な大事な、"トレーナーさん"」
ふむ、アドマイヤ先生がそんなタマかよ。見ろ、あの胡蝶さんみたいな目ン玉。童磨戦みたいになってるぞ。
「はぁ。お兄ちゃんは本当にジャンプが大好きだよね」
誤解するなよ。ジャンプ以外も大好きなだけだ。ジャンプ+は才能の宝庫だな。いや結局ジャンプなのかよ。個人的には月刊アフターヌーンも尖ったのが多くて好きだね。
「……」
……あっ! アドマイヤ先生が……ま──まさかのガン無視からの……部屋の片付けを再開した!
まさかの。まさかの……まさかの……えぇぇぇ……。
「えぇ……」
マジでか。ま……マジでか。一言も喋ってないぞ……。
これにはもうカレンチャンも脱力である。圧が完全に消えた。
……。
「……」
「……」
……。
ど、どうすんの、この雰囲気……。気まずいなんてモノではない。アヤベさんは黙々と床に散らばった資料とかマンガとかを段ボールに放り込んでいる……あぁ、NARUTOを雑に扱うのはやめてくれ……。
ぬぉ〜ん、とゴローがひと鳴きして伸びをしたのち、空いてたドアからのそのそと出ていった。
……ね、猫可愛い〜! 最高〜!
「……お兄ちゃんのバカ。もう最悪。死んじゃえ」
うぐぉ!! な、なに、しや……がる……ぐは……。
クソガキのエルボーを鳩尾に食らっておれは死んだ。