ウマ娘の頭悪いサイド   作:パクパクですわ!

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勝ちですわ!

 

「……出来たよ、ドクター」

 

そいつが扉を開いて、そう言い放った。

 

春の風に吹かれて、爽やかな風が吹き込んでくる。だというのに部室は重厚な重苦しさに満ちていた。それもそのはず……。

 

……本当なんだな。本当に、完成したというのか……。

 

「ああ、私も同感だよ。正直、信じられないさ」

 

……医学はまた一歩進化した。だがこれは、新しい争いの火種になるだろう……。

 

「それは学問の常じゃないか、ドクター。ノーベルやベクレルに限らず、あまねく科学者の歴史は血で汚れている。生臭くない純粋な科学など、紀元前を遡ったって存在しないよ。悲しいことに、ね」

 

……そうだったな。

 

それよりさあ、早く見せてくれ。おれは正直、今でも疑っているぞ……。実物が見たい、実験がしたい。早くおれに、それが本物なのかどうかを確かめさせてくれ。

 

「もっともだね。それで、本日のモルモットくんはどちらに?」

 

くくく……。いるじゃあないか、君のすぐ横に……。

 

「なんだって? ふむ……おや? おやおやおや?」

 

そいつはゆっくりと横に振り向いた。薄暗い部室の隅に、麻縄で簀巻きにされた一匹の哀れな実験動物が転がっている……。

 

「むぐーッ、むぐぐーッ、むぐううううッ!」

 

「おやおや、実験動物(モルモット)にしては随分とまぁ……高貴なお方を連れてきたものだねぇ。こんな贅沢な実験があっていいものだろうか、不安になってしまいそうだよ」

 

ふっ……。われわれの実験にふさわしい被験体を連れてきただけのこと……。

 

「むぐっ、むぐぐぐごぐぐっ、むごごーッ!」

 

「そう怯えないでくれよ……。ドクター、猿轡を外しても?」

 

ああ、構わない。

 

「ありがとう。さあ、じっとしてくれるかな? ……そう、いい子だ」

 

「ぶはっ、あなたたち……一体なんなんですの!? わたくしをメジロマックイーンだと分かっていての狼藉ですの!? いますぐ縄を解きなさい、そうすれば半殺しで済ませて差し上げますわッ!」

 

「そう怒らないでくれたまえよ。危害を加える気はない……」

 

「そんな言葉が信じられるとでもお思いで!? トレーナーさん、いえトレーナー! 見損ないましたわ! まさかこんな真似をする方だとは思いませんでした。軽蔑しますわよ……ッ!」

 

存分に軽蔑していたまえ。今にきみは、紅茶の飲み方も忘れることになるのだ……。

 

「な、なんですって……!? 意味がわかりませんわッ! 一体何をするつもりですの!」

 

くくく……。アグネスタキオン、地獄の研究者よ。説明をしていただけますかな?

 

「私は地獄の研究者ではないんだが……まあ、了解したよ。ふふふ……しかし困ったな。これの説明とは、そっくりそのまま私の自慢話になってしまうが、構わないかな?」

 

ああ、是非とも……聞かせて欲しい。それが聞きたいんだよ、おれは……!

 

「なんですの!?(一回目) なんですの!!??(二回目) なんですの!!!???(三回目) 意味がわかりませんわ!!! どうしてわたくしがこんな目に遭わなければならないのですか!? もはや神など居ないのですわ!!!!!!!!! もう救いなどどこにもないのですわーっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!(クソデカボイス)」

 

「静かに──────…………」

 

アグネスタキオン、地獄から蘇った悪魔の研究者は人差し指をそっとマックイーンの唇に当てて、深海のような色に染まった瞳で怯えるマックイーンを覗き込んだ。邪神さながらだ……。

 

「して……くれるかな?」

 

ゾッとするような静寂を纏って、そう言った。

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ…………!」

 

尋常ならざる雰囲気に当てられ、恐怖に顔を引き攣らせるマックイーン。一気に気力が削がれたようだ。

 

「うん。いい子だ、これで静かになった……。メジロマックイーン、メジロの最高傑作。僭越ながら、私から説明をして差し上げようじゃないか」

 

「な、なんですの…………?」

 

「うんうんいい表情だ、そそるなぁ……ああ、違う違う。今は私個人の短絡的な欲望は必要ないんだ」

 

口ではそう言いながらも、口元の笑みは全く抑えきれていない地獄の研究者。懐から取り出したのは──錠剤の入った小さなビンと、糸を結んである五円玉。

 

「これを見てほしい。これは、私とドクターで開発したある薬剤だ。そしてこっちはなんの変哲もない五円玉……。今朝方、コンビニに寄った時のお釣りでね。つまり、本当にただの硬貨だ」

 

「そ……それが、一体……なんだというん……ですの……?」

 

「ああ、いい質問だ。実にいい、簡潔で本質的で、美しい質問だ……」

 

いや……別に、普通の質問なんじゃないかな。おれはそう思ったが口には出さない。

 

「お答えしよう。これはね」

 

催眠薬さ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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春が来た。

 

春が来たということは、新入生が入ってきたということだ。卒業してく連中もいた。一ヶ月ほど前のことだ。これは当然のサイクル……。春夏秋冬、変わる環境……。

 

新入生が入ってきたということは?

 

「……ああ。スカウトだ」

 

当然の帰結である。

 

「それで、どうするつもりなんだ。先生」

 

どうするもこうするも、やるしかない。沖野さんだってそうだろ、後がないのはお互い様なんだ。

 

「……ああ。酔った勢いとはいえ、自分で蒔いた種だ。自分で始末をつける。……チームを解散させるわけにはいかない。確実に2人以上はスカウトする」

 

──だいぶ前の話だ。おれが勝手にあけおめ事件と呼んでいる出来事があった。酔っ払ったトレーナーたちが普段の仕事の忙しさを発散させるために、校内に保管してあった結構大切な鐘を屋上に持ち出して叩きまくった。

 

まあ近所迷惑にはならなかったそうだ。除夜の鐘に文句を言う近隣住民はいなかった、が。

 

熟睡していたたづな大明神様がそれで起きて、ブチギレた。年末だというのに家に帰らず職場で寝ているあたりにトレセン学園の闇が垣間見えるが、それは一旦置いておく。トレセン学園の闇など数えていけばキリがない。

 

で、新年度からペナルティが課された。わざわざ新年度になるまで待つ辺り、逆に相当なお冠であることが窺える。

ペナルティは単純だ。担当するウマ娘をもっと増やせ──と、そういうもの。ちくわ大明神はその慧眼を持ってして、トレーナーたちの能力、担当の数の限界値を見抜き、余力を残しているトレーナーにその分の数だけ担当の数を増やさせた。すでに限界まで仕事してるトレーナーは反省文とトイレ掃除一ヶ月で済んだそうだ。

 

直接的な罰ではなく、より多くのウマ娘たちのためになるようなペナルティを選ぶあたりちくわ大明神の優しさが窺える。

 

で、おれだ。

 

……とんだとばっちりだ。なんでおれまで……。

 

「そりゃあ先生は去年散々怒られてきたからだろ? 当然としか言えないな」

 

ついでに一年間の決算とばかりに今までの罪状を読み上げられ、元旦から正座させられたのだ。信じられなかった。

 

で、言われた。ちゃんと自分でスカウトしろって。

 

おれが唯一スカウトした……というか、拾ってきたのはタイシンだけだ。道端に転がってたタイシンを拾ってきて以来、他のトレーナーやウマ娘に頼まれてケアをする以外にアルファードのメンバーは増えない。

 

ほぼ保健室兼ウマ娘の溜まり場と化しているアルファードは、チームというよりクラスのような有様だ。メンバーの数で言えば、一時期20人を越したこともある。怪我が治ったのですぐ減ったけど。

 

おれももうトレセンに来て三年目だ。確かにいつまでもこのままじゃいられんとは思う。だがそうなると、今までのように他のウマ娘たちの面倒は見れない──と、言った。だがちくわ大明神は優しい笑顔で封じ込めた。

 

天才なのですから、これまで通りのリハビリ業務とトレーナー業、両立できますよね? (訳:ごちゃごちゃうるさい。黙ってやれ)

 

月に一回は説教を食らっていたおれである。流石に発言権など残っているはずもなく……。

 

「まあ、先生にはうちの連中も随分世話になったし助けられた。サポートできる部分は俺にも手伝わせてくれ」

 

ありがたい話である。

 

……春。

 

沖野さん、もうすぐだっけ?

 

「ああ! もうすぐ始まるぞ、模擬レースが!」

 

──模擬レース。或いは彼女たちの新しい人生の始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よォ──ッてらッしゃい見てらっしゃァ──い! こちとらチームアルファード、有マ6着でお馴染みのアルファードだよぉ──ッ!

 

「黙れこのクソバカトレーナーッ! こんなところでなにやってんの!?」

 

ぐあッ!

 

「あんたねぇ、あんたねぇ……ッ! 今日という今日はぶっ殺してやるッ! 誰が有マ6着だ、大声で叫びやがってッ!」

 

死ぬ死ぬ死ぬ。締まってる締まってる……ッ! 悪かった、すまん、でもいい宣伝材料なんだよ……。有マに出るって十分すごいことだからさぁ……。

 

「……。てか、なに? チーム? スカウト? 新しく採るとか聞いてないんだけど……!」

 

ふむ、当然だ。言ってないからな。

 

「そんな大事なことはちゃんと言えよッ、このッ!」

 

痛い!

 

「なんでなにも言わなかったんだよ!」

 

だってタイシン怒るじゃん! 今も怒ってるじゃん!

 

「ッざけんな! このッ、くそッ、くそッ!」

 

ちょ、待て、やめろ! 新入生が見てるんだぞ! 暴力チームだと思われたらどうする!

 

「んなことアタシが知るか!」

 

ちょちょちょちょ、この暴れん坊は全くもう、仕方がな、痛い! ちょ、喋ってる途中に蹴るのやめろ!

 

「アタシ、認めないから」

 

おれを蹴り飛ばしてタイシンは去っていった。尻尾や耳の動き具合から察するに、かなり怒っている。

 

やばい。想像以上に怒ってる……。どうしよ。

 

「……ねえ、そこの倒れてるトレーナー!」

 

はいなんでございましょう!

 

おれは飛び起きた。間違いない、新入生の気配……!

 

「正式メンバー募集ってことはさ、ボクが入ってもいいってこと!?」

 

だめです。

 

──トウカイテイオー。有マの王が得意げに胸を張っていた。

 

「なんでだよ〜! ボクは無敗の二冠ウマ娘なんだぞ〜!?」

 

沖野さんへの不義理になるからだ。

 

「……え、そのへんはちゃんとしてるんだ」

 

うむ。おれはあの人とこれからも仲良くやっていきたいんだ。酒飲み仲間を失うのはつらいし、おれがスカウトするのはジュニア級の連中に限ってる。

 

「ふーん。で、本当は?」

 

おまえのようなクソガキの面倒など見たくもない。

 

「ふーーーーん、本音が出たねー」

 

はっ、しまった。つい口が滑った。

 

まあまあ。だがアルファードの宣伝は歓迎だ。ここで叫んでくれればアイスを買ってやろう。

 

「やだよ。なんでボクがそんなことしなきゃいけないわけ」

 

だよなー……。

 

はぁ。ずっと未来の三冠ウマ娘に声をかけ続けているんだが、どうにもおれには悪い噂でも流れているらしい。

 

「悪い噂?」

 

ああ。サボってばっかで面倒見の悪いトレーナーなんだとさ。根も葉もない中傷だよ。

 

「事実じゃん……あー、最近はそうでもないんだっけ?」

 

ああ。タイシンのやつに限るが、きっちり見てやってるよ。まあ毎日とはいかないが……おれも反省したんだよ。ほったらかし気味だったのは、悪かったと思ってさ。

 

「へー。なんか意外ー。ボクに負けたの、そんなに悔しかったんだ?」

 

うむ。というか、誰だって悔しいだろう。こんなクソガキに負ければ……。

 

「あー、この最強無敵のテイオー様にクソガキとか言っちゃうんだー。へー、ほー、ふーん」

 

あ。嫌な予感する。

 

「新入生のみんなー! アルファードのトレーナーは変態でチビで性格最悪だから絶対入らないほうがいいよーっ!」

 

ざわ……ざわ……!

 

は!? おま、お前! ちょ、おまえ!? て、テイオーくん!? テイオーくん!!?? テイオーくん!!!???

 

ざわめきが広がっていくのが肌でわかる。

 

新環境に胸を躍らせているはずの新入生たちが、おれを引いたような、怯えたような視線で見ている……! まずい、こんなはずでは……!

 

「トウカイテイオーさんが言ってるんだし、絶対そうだよ……」「た、確かに……背が小さいし、なんなら同世代くらいに見える……」「本当にトレーナーなの……?」「アルファードなんて聞いたことないし、本当に有マに出たのかも怪しいかも……」

 

はー!? ふ、ふざけんな! 誰がチビだって!? おいクソガキども、そこに直れや! ぶっ殺してやる!

 

「さ、叫んでる……早く行こ? ぶっ殺してやるとか言ってるよ……」「やばい人だ……絶対頭おかしい人だ……」

 

はっ!? し、しまった。ついカッとなって叫んでしまった……いや、まさか……。

 

「へへーん。計画通りー! トレーナーのことなんて、ボクはなんでもお見通しなのだー!」

 

……やられた。

 

それと一つ訂正するが、おれはもうお前のトレーナーではない。

 

「え。じゃあなんて呼べばいいのさ」

 

先生(ドクター)と……そう呼ぶがいい。ふっ。

 

「え。やだ」

 

だがトレーナーってお前、固有代名詞じゃないじゃん。いっぱいいるぜ、トレーナーなんて。

 

「だって今更呼び方なんて変えるのめんどくさいじゃん」

 

沖野さんは。

 

「沖野T」

 

……まあ、トレーナーをどう呼ぶかはそれぞれだ。お兄さまと呼ぶクソガキもいるし、姉御とかマスターとか呼ぶヤツもいる。苗字で呼ぶのは多分、わりかし普通の感覚なのだろう。

 

「っていうか、ボクは知ってるんだよー。たづなさんに怒られて、ちゃんとしたチームを作らなきゃいけないんでしょ? ボクをチームに入れれば解決じゃん! ほらほら、今ならはちみーも一緒についてくるよー?」

 

飲みかけじゃねえか。こんなもので釣れるようなバカだと思われているのか、おれ。

 

はぁ、もうアホらしくなってきた。今日は撤収するわ……。

 

「ちょっと、ボクのはちみーを受け取らないっていうの? このボクのだよ?」

 

んなもんで釣れるやつがいるなら見てみたいところだ。食べ物で釣られる奴なんて、小学生の中から探したって見つからないだろう。

 

「……あ、あの……その、は、はちみー……頂けませんこと? 今……もう、なんでもいいから……甘いものが食べたいんですの……」

 

……見つかっちゃったよ……飲みかけのはちみーに釣られるメジロの令嬢……。

 

「……ふーん? ふーーーーーん????? マックイーンじゃん、偶然だねー! こんなところでなにしてるの?」

 

「テイオー、あなた分かってやっているでしょう……!?」

 

「なんのことかなぁー? ボク、全然わかんないやー!」

 

何かしているようだ。でも何かあったっけ……。また減量してるのか?

 

「あっ、トレーナーにも伝えておかなくちゃ! マックイーンね、重度の砂糖中毒って言われたんだって。それで一ヶ月くらい甘味断ちしろって言われたって」

 

砂糖中毒? ……あっ、ふーん。

 

あまり知られていないが、砂糖にもニコチンみたいな中毒症状はある。というか現代人は大なり小なり砂糖に脳みそを侵されてる。急に甘いものが食べたくなるアレは、もしかしたらそういうことかもしれませんよ……?

 

というか、重度だと診断されたのか? 素晴らしい食い意地だ……。

 

「うぅぅ……。どうしてわたくしだけですの……? それこそ、オグリキャップさんはあんなに食べても全く太らないのにぃ……」

 

小動物のようにぷるぷる震えている……。

 

ふむ……。こんなに惨めなマックイーンを見ているのは、一人のトレーナーとして忍びない。どれ、力を貸してやろう。

 

「な、なにをするつもりですの……?」

 

テイオー。

 

「なに?」

 

ひっ捕らえろ!

 

「分かった!」

 

「分からないでくださいまし! ひっ、なにをするつもりですの!? わたくしに乱暴するつもりですの!? わたくしに乱暴するつもりなのでしょう!? エロ同人みたいに、エロ同人みたいに!」

 

やめろ、卑猥な言葉を叫ぶな。だいたい、公式からエロが禁止されてるんだから、エロ同人なんて出ているわけがないだろう。誤解を招く言葉は慎め……。

 

どこからともなく出現した人一人をすっぽりと覆えるズタ袋がマックイーンを襲う。テイオーは熟練しているのだ。逃げられるはずもない──。

 

で、冒頭に戻るというわけだ。

 

そう、催眠──呪われた単語。エロ同人における必要悪である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ! 飲みたまえ!」

 

「嫌ですわ! 嫌ですわ!! 嫌ですわぁーっ!!! なにをするつもりですの!!??」

 

さっきから言ってるだろう。お前に催眠をかけて、甘いものが嫌いになるようにするのだよ。

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!! 鬼! 悪魔!! たづな!!! なんて残酷なんですの!? 人の心がありませんわ! あなたたちは自分がなにをしているのか分かっていませんわーっ!」

 

だが考えてもみろ。もし甘いものが嫌いになれば、おまえが抱えている全ての問題は解決するのだ。これほどいいものはあるまい。

 

「それはもうわたくしではありません!!」

 

うそだろ。お前のアイデンティティーは食べ物に依存してんの?

 

「そうですわ!!」

 

堂々としている。とても縛られているとは思えないほどはっきりとした言葉だった。

 

「困ったねぇ、これほど協力的でないとは……。ドクター、なんとかしてくれたまえ。とにかく薬を飲まないことには始まらないんだ」

 

分かってるさ。対策は用意してある……。

 

テイオー!

 

「はーい、待ってましたー!」

 

ドアが開いてテイオーが入ってくる。引っ提げたビニール袋には大きめの箱。

 

「マックイーン? ケーキ、食べたくない? モンブラン、シフォン、マフィン……え、マカロンまであるの? ……あ、シュークリームもあるじゃん。セブンセレクトは外れないよねー。作った人はまさに悪魔の頭脳の持ち主だよー。まあとりあえず、紅茶と一緒にどう? ボク、淹れてあげるよ?」

 

「なにを企んでいますの……!?」

 

マックイーンに戦慄が走っている。どことなく血走った眼差しをしている。よだれが止まらないだけかもしれないが。

 

「あのさ、あのさ? やっぱり最後に踏ん切りをつけることが大切だと思うんだよねー、ボク。いっぱい食べて、それでいっぱい我慢すればいいんだよ! 今日だけは許してあげるよ、チートデイだって。ねえ、タキオンもそう思うでしょ?」

 

うんうん、と頷くタキオン。芝居がかった動作だ。

 

「……っ! チートデイは月一限定ですわ! わたくしをバカにしていますの!?」

 

「してないよぉー……? ねえマックイーン、好きなものから離れるのは辛いけど、やらなきゃいけないこともあるって思うんだ。大丈夫、しばらく砂糖断ちできたら、ちゃんと元に戻してあげるからさ」

 

魅惑のささやき(Lv.5)が発動している。メフィストフェレスもびっくりの甘言だ。

 

「だから、これを最期にするんだよ」

 

「最後の漢字が違うような気がしますわ……」

 

少しでも自らの意識をスイーツから離そうとしているらしい。口ではそんなことを言いながらも、視線はテーブルに並べられていく数々の糖分の結晶体に釘付けになっている。

 

「……あなたが食べればいいじゃありませんか、テイオー。いえ、そうしてくださいまし。こんなものは全て……ゴミです。わたくしはこんなもの、全然好きでもなんでもありません!」

 

もう催眠に掛かってんのか? そう思ったが違う。耳がずっとぴこぴこ動いてるし、かなりの葛藤が生まれているようだ。

 

「強情だなぁ、もう……。ねえ、ボクを信じてよマックイーン。ずっと一緒に戦ってきたライバルを信じてほしい。一年前の天皇賞、ボクは絶対に忘れてなんてないよ。マックイーンもそうだよね」

 

テイオーが差しに掛かった。

 

「……ええ。忘れようと思っても、忘れられません。全身が煮えたぎるような熱さと、声援も聞こえないような光の世界。今も、心に刻まれています」

 

マックイーン、これは決まったか?

 

「……だけど、それとこれとは話が別です!」

 

決まらない。粘る。

 

「え、じゃあ食べないの?」

 

「………………」

 

「そっかー。マックイーンのためを思ってのことだったけど、どうしても嫌だって言うのなら仕方ないよね。トレーナー、やっぱりやめよ?」

 

仕方あるまい。タキオン、すまんがまたの機会に。

 

「お気になさらず。被験体の感情を無視した実験は、私だって気乗りしないさ」

 

やれやれと苦笑いしながら、タキオンは撤収の準備を始めた。

 

「じゃあマックイーン、このスイーツたちは食べちゃってよ。別に催眠に掛けようってわけじゃないよ、ボクはお昼ご飯いっぱい食べたからお腹いっぱいだし、そもそもマックイーンのために買ってきたものだからさ」

 

「……チートデイ、ありですの?」

 

「もちろん! アリ寄りのアリだよ!」

 

あまりにもコロッと転がったな。やはり怪しい実験に対する警戒度が高かったのだろう。正解だ。

 

テイオーはマックイーンの縄を解いて、テキパキと紅茶の準備を始めた。

 

ふぅ、と一息ついて、何かへの覚悟を決めたマックイーンはまずシュークリームを選んだようだ。箱から取り出して、ガブっと一口──。

 

かぶりついた。

 

タキオンがそれを後ろから眺めて、ニヤリと口を歪めた。テイオーもニヤリと口を歪めた。おれもニヤリと笑った。

 

「ん〜! 素晴らしいですわ! でも……ちょっと変な味がしますわね。苦いような……あれ、なんだか…………眠く…………なっ……て……………………」

 

ふにゃふにゃとした遺言を残して、マックイーンはゆっくりと目を閉じた。それが永眠になることも知らずに……くくく、バカなやつだ。よもや敵の出した食べ物に手をつけるとはな……。

 

タキオン。

 

「もちろんだよ。さあ、実験を始めようか」

 

「へぇー、本当に眠っちゃった。でもさ、目を閉じてるんなら五円玉とか意味なくない?」

 

「それは言わないお約束、だよ。雰囲気が欲しいじゃあないか……。さて、今ならば刷り込み同然だ。純粋無垢な無意識を、好きなように弄りたまえよ」

 

「ねえ、なんでもいいのー?」

 

「もちろんだよ。雛鳥は親の後ろをついていくものさ。たとえ親鳥の行先が断崖絶壁であろうとも、ね。催眠とはそういうものなのだよ、たぶん」

 

正直催眠なんて代物が成功とは思っていない。だがタキオン……こいつは天才だ。やりかねない怖さがあった。だから協力したのだ……。

 

「じゃあ、命令! マックイーン、目が覚めたらボクの命令には絶対従うこと!」

 

初手から鬼が来たな。

 

「トレーナーは?」

 

ふむ。

 

メジロマックイーン。おまえはだんだんスイーツが怖くなる、怖くなる……。

 

「うわぁー、ひっどいことするねー」

 

なに、すぐに解いてやるさ。まあ上手く行く保証もないんだ、ちょっとした悪戯みたいなものだよ。

 

あ、そうだ。もう一つ催眠掛けとこ。後で新入生スカウトを手伝え、マックイーン。

 

「むー。絶対新入生なんて入れたらダメだからね、マックイーン!」

 

「むにゃむにゃ……もう食べられませんわぁ……」

 

さて、タキオン。起こしていいのか?

 

「そうだねぇ……。初験だし、様子を見たいところではあるかな。すぐに自然と目が覚めるはずだよ──ほら、見たまえ」

 

「うぅん……こ、ここは一体……わたくし、眠っていましたの……?」

 

唸りながら目を開けた。眼前にはテーブルに展開されているスイーツの数々を見て……さあ、どうなる?

 

「……へ? え、えええ? スイー、ツ……ひっ、ひぃぃっ! なんですの、怖いですわ!?」

 

がたっと音を立てて、椅子ごと後ずさった。おいおいマジ? 演技だとしても自然な感じがする。嘘だろ、本当に……?

 

「こ、怖いですわぁぁぁ〜!」

 

置いてけぼりになったおれたちを放って、マックイーンは薄暗い部室から逃げ去っていった。

 

……こマ?

 

「成功……した、らしいね? まさか、本当に上手く行くとは……」

 

「えー……。すご、すごい。え、もしかしてすごいことなんじゃない!? これでやりたい放題できるよ、トレーナー! その辺を歩いてるウマ娘に、片っ端から仕込みスイーツを食べさせて行かない!?」

 

ド畜生かな? 落ち着け、モラルを取り戻せ……。

 

……まいった。まさか本当に上手く行くなんて思ってなかったのだ。軽いジョークのつもりだったのに……。おいタキオン。

 

「言いたいことは分かっているとも。危険性に間して聞きたいんだろう? 安心したまえ、私もさっぱりわからない」

 

「えー!? じゃあ一生マックイーンはあのままってこと!?」

 

「一生ってことはないだろうさ。どの程度続くかまでは分からないけど、そのうち解けるんじゃないかな? データが揃ってなくてね、今はとにかくサンプルの数を増やしたいところだ。なあドクター、君は顔が広いだろう? いろんなところに差し入れに行ってきてくれないかな?」

 

やだよ。また怒られるじゃん。おれ、こんなことばっかりしてるから真面目にチーム作れって言われてるのに……。

 

「はぁ、仕方ない。じゃあ彼女のデータの計測は任せたよ、ドクター。私はこれからやることができた」

 

分かったよ。一応念のため、今ある薬だけもらっておくぞ。

 

「念のためって、一体なんのためなの?」

 

なに、防御用だ。いざとなったらこれで全部有耶無耶にする。

 

……そう考えていたのが全ての過ちだった。おれは見誤っていたのだ。エロ同人界のマスターソードとも呼ぶべき催眠というものを……!

 

終わりの始まりが終わろうとしていた。これは崩壊への序曲……。

 

この時はまだ、誰も知らない……。

 

「トレーナーってば、うるさいよー」

 

……。まだ、誰も知らない……。

 




(エロ展開は)ないです

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