憧憬と模倣に魂と生涯を捧げた、ありふれた少年の話。

特殊・捏造設定てんこ盛り、キャラ崩壊、オリキャラ注意。
ハッピーエンドではありません。
「空隙の町の物語」(https://syosetu.org/novel/206790/)と設定を共有していますが、直接的な繋がりはありません。
pixivにも投稿しています。

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ある曲を聴いてすぐに手が動いていました。タイトルはその曲名を英訳した物です。


Common Replicant

 ——その姿を見た時に、ぼくの道筋は決まったのです。

 

***

 

 ぼくは物心ついた時から、生気の感じられない程白い部屋の中で過ごして来ました。意図の分からない検査、苦くて飲む度に戻しそうになる服薬、体力を限界まで上げようとするのが分かるリハビリ。毎日が、その行動の繰り返しでした。

 何のために、ぼくはこんな事をしているのでしょうか。いや、理屈では知っていました。

 ——神様を顕現させる為の媒体。それがぼくの存在意義。そうは言っても、納得した訳ではなかったのです。

 だって、この体が誰かに譲り渡されるという事でしょう? そんなの、死にも等しいじゃないですか。納得できるまで、ぼくはそんなの認めません。

 大人達は「その内分かるさ」と笑うばかりで、ぼくの言う事を真剣に聞こうとはしませんでした。

 ……結局のところ、ぼくは拗ねていたのです。

 そんな幼い反抗は許される段階ではなく、媒体になるのは確定事項。それを知っていたぼくは死ぬ事に悔いはなくても、納得できる理由が欲しかったのです。

 そして、拗ね続けて何ヶ月経った頃でしょうか——その存在が、ぼくの前に現れたのは。

 

 その日の朝。白衣の男の人は、いつも通りベッドで不貞腐れるぼくに呆れた息を吐いていました。けれど咳払いをして居住まいを正し、真面目な顔でドアの外に意識を向けました。

 

「今日は実際に、刀剣男士という存在を見てもらおう。山姥切長義殿、入ってくれ」

「ああ」

 

 部屋のドアを、カラカラと開く音と共に現れたそのひとは——余りにも、美しかったのです。

 部屋の中の光が、銀色の髪を照らすために集まっていました。

 その青い瞳はまるで、空の色素をそのまま映しとったようでした。

 コツ、と鳴る靴の音すら、天の福音があるという事を教えてくれました。

 なびく高価なマントは風を纏い、その姿を軽やかに鮮やかに見せていました。

 こちらに向ける視線一つで、ぼくはベッドで横たわっている事を忘れて、頭を垂れたくなりました。

 けれど、そんなどうしようもないぼくに、そのひとは優しく誇り高く微笑んだのです。

 

「横になっていていいよ。ヨシナ君、だったかな? ……辛い入院生活を送って、こうして病を退けているんだ。胸を張るといい。君のその辛抱強さは、必ず力になるだろう」

 

 ……ぼくは、こうして耐え忍んでいた事を見抜かれた上に受け止められて、涙が止まりませんでした。涙を止められない無様なぼくに、そのひとは困ったように眉の角度を変えてぼくの目を拭ってくれて、嗚呼——

 こんな美しいひとに認めてもらえたのなら、ぼくの生涯はきっと意味のある物だと、心から思えたのです。

 

「元気になったか。流石は刀剣男士殿だなあ」

「いや、この子の力が強かったからだと思うよ。この子は俺が何もしなくても、自力で立っていたさ。でもまあ、俺の力が必要とされたんだ。持てるものこそ与えなければ、ね」

 

 いいえ、いいえ。あなたが来たからこそ、ぼくは生涯の意味を見出せたのです。

 ぼくはもどかしさのまま、ベッドの外へと足を下ろしました。そしてそのひとのマントを恐る恐る握り、青い瞳とぼくの澱んだ目を合わせたのです。

 

「あの、山姥切、長義さん。……ぼくは、あなたのように、なれますか? あなたのような、気高く、美しく、寛容なひとに」

 

 そのひとは見上げているぼくに目を丸くしてから、また誇り高く目を細めて、言いました。

 

「俺の真価を理解したのか。うん、君も心を律して励めば、足下くらいには行けるんじゃないか? だがそれは至難の道だ。この長義の打った本歌、山姥切に追いつこうというのだからね。……それに俺はあの偽物君から、認識を取り戻し切れてない。そんな苦しみまで、背負う事はないよ」

 

 偽物君、と言うそのひとの目には、少し昏い光が宿っていました。

 怒り、悔しさ、奪還欲求、愛情、誇り、許容。それらが混ざった瞳は、どんな空を描いた絵画よりも美しいでしょう。

 ……不思議な事に、昏い感情があると分かってもなお、ぼくはそのひとへの憧憬を失くす事はありませんでした。

 澱んだ感情に囚われる彼もまた、美しく。ぼくも、そうなりたいのだと思ったのです。

 

「……ああ、もうこんな時間か」

「山姥切殿、時間を取らせてしまってすまない。それから礼の品を渡すので、応接室で待っていてくれ」

「分かった。それじゃあね、ヨシナ君」

 

 ひらり、とマントを揺らすその姿は地上を泳ぐ熱帯魚のようで。その姿を目に焼き付けていると、一人の女性が中に入ってきました。……夢から覚める時間です。

 薬を渡してくる女性に、ぼくは引き戻された不快感のまま睨み付けようとしました。

 しかし、脳裏に焼き付いた言葉が、今は辛抱の時だと告げています。ぼくは目を閉じてから不平不満をこらえて、薬を飲み下しました。女性は肩を跳ねさせて驚き、偉いね、とぼくを褒めました。

 

***

 

 それからのぼくは、努めてあのひとのようになろうと振る舞い始めました。

 情報を集めて、あのひとの性格をなぞり、あのひとの一挙一動を模倣しました。

 故意ではない失敗をした女性には、寛容な心で許し。リハビリにも、真剣に取り組んで。検査技師の人達には笑顔で接しました。

 とは言え、そうすぐにあのひとのようになれるとは思っていません。今は、辛抱の時なのです。

 服薬も、検査も、リハビリも、力の限り取り組みました。そうすれば、あのひとのように——()()()()()なれると思ったのです。

 

***

 

 そうして、運命の日。

 ぼくは意識を失くす薬を打たれて、揺蕩うような心のままに、その時を待ちました。

 ——この体を、あのひとに捧げる。それが、今日まで生きてきた意味。

 きっとぼくの魂は、天国へと行っている事でしょう。残った体が、あのひとの目に敵うといいのだけれど。

 そう思いながら眠りにつき、自然と目が開く時を待とうと思考を閉ざしたぼくは——即座に、その意識を浮上させられました。

 ざぶん、と沈んでいた体を引き上げられ、培養槽横の床に下ろされます。何が何だか分からないまま呆然としていたぼくは、目の前にいる白衣の男の人達の言葉に、体温が引いていく感覚を覚えました。

 

「……おいおい、肉体増強しかされてないっぽいぞ?」

「あー、本当だ……確か山姥切長義だろ? 降ろしたの」

「そうそう。……まあなんだかんだ言っても、あいつは傲慢だからなあ」

「結局は人間を見下しているんだ、降りてこないのも納得だわな」

「この被験者が嫌で来なかったんだろうなあ、ははは!」

 

 ……この人達は。自分の失敗を、あのひとに押し付けようとしているのでしょうか。

 あのひとが誇り高く、致命的な物以外の誤解を恐れない性質なのを、自分の過失の理由にするのに都合がいいと、そう見做して。

 

 ——決して、許せる物ではありませんでした。

 ——決して、見過ごせる物ではありませんでした。

 

「……どうやら、貴殿らの目は曇っているらしい」

 

 白衣の男の人達が、強張った顔でこちらを向きました。ぼくは心の中で強く念じます。

 ——喉を引き攣らせるな。目を伏せるな。

 

「この、長義の打った本歌、山姥切を。人間を見下しているから、などという下らない理由で降りないと?」

 

 ——目を逸らすな、声量を上げろ。

 

「随分とこちらを見誤っているようだ。そもそも、俺は人間を見下した覚えはないんだけどね」

 

 ——立ち上がって背筋を伸ばせ、不安を顔に乗せるな。

 

「人に請われたら、従うのが我等刀のあり方だ。それをしない不良品だと看做されるのは、俺への侮辱だと分からなかったか?」

 

 ——口角を上げろ、勝気さを全面に出せ。

 ——愕然としている彼等に「山姥切長義」を、穢れの一つも見せずに突きつけろ!

 

「俺は、山姥切長義。その名を貶めるのなら——例え政府の人間だとしても容赦はしない」

 

 刀を突きつけると、二人の白衣は慌てて部屋の外へと転がり出て行きました。

 改めて大きいガラスの破片から自分の姿を見てみると、やはりそこには変わらず美しい()()()()()姿()がありました。

 ……実験は部分的に成功。つまり、あのひとの魂はここになく、ぼくの体だけが変化しただけに終わったと。

 これからどうしよう。手にしていた刀を見つめながら、ぼくは少し考えました。

 ……「ぼく」は死にました。あの実験をした時には、もうそうなる運命でした。

 ならば。

 これからは、あのひとになって生きてもいいんじゃないでしょうか?

 強く惹かれて、ああなりたいと思った、理想そのもののひとに——

 

「……うん、悪くないな」

 

 背筋を毅然と伸ばし、高貴に靴を鳴らして、悠然とした足取りで部屋を出る。

 こうしてぼくは予定通り死んで——()が生まれる事となった。

 

***

 

 その本丸に「山姥切長義」が配属された日、鯰尾藤四郎は真っ先に彼の所へと走った。

 旧知の仲である刀が来たのだ。話をしたかったのもそうだし、どんな姿をしているのかも気になって、鯰尾は長義を探し回った。

 果たして、審神者の部屋の前に彼はいた。審神者に一礼して部屋を去ろうとしている長義に向かって叫びながら、鯰尾は突進した。

 

「山姥切さーんっ!」

「うわっ!?」

 

 突進されて多少驚いたらしいが、長義は衝撃の発生源をみると穏やかな笑みを浮かべる。

 

「……鯰尾か、会えて嬉しいよ。でも、あまり走り回ると危ないんじゃないか?」

「ヘマはしませんよ! 俺も、山姥切さんに会いたか——」

 

 そこまで言って、違和感を覚える。鯰尾は不自然にならぬよう長義を見上げた。

 プライドの高そうな笑みは、なるほど「山姥切長義」なのだと一瞬で理解させられる物だ。凛とした姿勢も、自信に満ちた声音も、彼が彼たらしめているのだと思う。

 それなのに、この()()()()()()()感覚は何だ。

 笑顔も、姿勢も、声も、全てが偽りのように見えてしまう。それはまだいいのだ、内に秘めている物は誰にだってある。

 ちぐはぐ——その単語を咄嗟に思い浮かべて、鯰尾は自分の思考を疑った。だが振り切ろうとすればする程、その単語が明瞭になっていく。

 まるで高価な布切れを、荒々しく乱雑に縫い合わせたようだ。一つ一つは魅力的なのに、繋ぎ合わせる技術の拙さのせいで、途端に安っぽく、欠けが目立ってしまう。

 こんな事を考える事自体、長義に対する侮辱だ。だがズレた感覚は消えてくれず、強い疑念が募っていく。どうして旧知とはいえ人の姿では初対面の相手に、ここまで失礼な事を考えられるのか——

 

「鯰尾? どうしたのかな、そんなまじまじと見て」

 

 訝しげにそう問われ、はっと我に返る。不躾に見過ぎたらしい。鯰尾は先程までの思考を決して悟られないように明るい笑顔を貼り付けた。

 

「いやあ、山姥切さんは人の姿をとったらこんななんだなーって思って。あっ、後藤と物吉に山姥切さんが来たって伝えないと! 南泉さんにはさっき会いましたよね?」

「ああ。開口一番『うげっ』と言った猫殺し君に、後で口の利き方を教えないと、と思っていた所だよ」

「本丸内では非常時以外の抜刀は禁止ですからねー?」

「勿論、弁えているさ」

 

 仲間に吉報を知らせる為、長義を連れて廊下を歩き出す。

 和やかに交わされる会話の間、鯰尾は何とか雑念を振り払おうと、違和感を意識の底に押し込め続けていた。

 

***

 

 物吉貞宗は、隣で箸を動かす山姥切長義を横目で見る。賑やかに戦法の事を話す和泉守に、長義は笑顔で相槌を打っていた。

 あの鯰尾が、僅かに長義と距離を置いている。それは気の知れた仲のものにしか分からない距離だったが、鯰尾がそうしている事自体が驚愕に値する。それを察しているのだろう、長義も鯰尾と積極的に会話しようとはしなかった。

 何があったというのだろう。……いや、何となく予想は出来る。十中八九、長義の歪さだ。

 性質を切り貼りしたようなこの長義は、こちらに気味の悪さを感じさせる。鯰尾はそれを悟られないように、長義と距離を置いているのだろう。

 出来る限り周囲と不和を生じさせないように気にかけつつも、内心に踏み込めない。それは、当然の事のように思えた。

 長義はプライドが高い。それを悪い方向に刺激すれば、彼は心を閉ざすだろう。

 物吉は、静観する姿勢を見せている。誰だって歪な部分はあるのだ。それを闇雲に正そうとすれば、また新たな歪みが生まれる。幸運を運ぶ刀としては、そこを見極めてからでないと動けなかった。

 

「……でよ、その時の相手側の動きが良くて……山姥切、茄子食わねえのか?」

「え? ……ああ、食べるよ」

「食欲ねえなら無理すんなよ。そういう時に無理に食っても、戻すだけだからな」

 

 ありがとう、と言いつつ山姥切は茄子を摘む。少し顔を顰めている事から察するに、この長義は茄子が苦手なのかもしれない。

 少し接しやすさを垣間見せた事に、物吉は安堵する。ああ、この長義にもそんな好みがあったのだ、と。

 好みすらも繋ぎ合わせたようだったのだ。鯰尾が気味悪がるのも無理はないのかもしれない。けれど、少しずつでもこの長義らしさが表に出せるのならいい。

 そんな事を物吉が考えていると、和泉守が茄子を見つめながら呟いた。

 

「そういえばこの茄子持ってきたの、あの本丸の山姥切だったんだよな」

「そうなんですか?」

「おう。何でも茄子が大量に生ったらしくてな、あちこちの本丸に持って行ってるんだと」

 

 安堵した気の緩みか、思わず会話に入る。和泉守は頷いて、茄子を口に運ぶ。

 しばらくして口の中の物を飲み下した後に、何気なく和泉守は言った。

 

「あの山姥切も『茄子は好物だけど、流石に食べ切れないからね』って言ってたからな。まあ大量にあっても腐らせるだけだろうし、こっちは茄子を食えるしで悪い事は——あ、おい、山姥切!?」

 

 突如目を丸くし声を裏返らせた和泉守の視線を追う。そこには口の中に茄子を詰め込み小さく咳き込む長義の姿があった。ぎょっとして物吉は長義の背を支える。

 

「山姥切様、体調が悪いなら無理をしないで下さい!」

「咳き込む程苦しいならもう食うな! おい、薬研はどこだ!?」

「——心配はしなくていい」

 

 全てを胃に流しけほ、と一つ咳を漏らした長義は頭を上げると、和泉守と物吉に微笑んだ。

 その笑みを見て、物吉の体は強張る。

 

「少しむせただけだよ。何も医務室に行く程の事じゃない」

「……ならいいけどよ。本当に無理はすんなよ?」

「当然だよ。……ごちそうさま、俺はこれで失礼するよ」

 

 食器を持って立ち上がり去っていく長義におう、と言って和泉守は少し心配そうに見送る。そんな中で、物吉はやはり動けなかった。

 ——あそこまで……あそこまで「完璧」な笑顔を、何故この状況で……。

 和泉守は、気付かなかったのだろう。ただ「少し強がっている笑顔」に、身内でもない自分が気にする方こそ失礼だと思ったのかもしれない。

 だが物吉には、その強がりすらも作られた物に思えてならないのだ。

 少しの不調を見せ、心配されても一回断れば引き下がらざるを得ない状態に持ち込み、そして自分の中に踏み込ませない。

 他の長義だって、そんな芸当は可能だろう。しかしそれは、「本質のままに」という但し書きが付く。

 あの長義は、サイズの合わない仮面を無理矢理着けているようにしか見えない。——近しい自分に、大きな無理と不調を感じさせてしまった事が証明だ。

 遠くない内に、何か大きな破綻が訪れるかもしれない。それを思う物吉の心は、暗雲が立ち込めたように重かった。

 

***

 

 後藤藤四郎はある日の夜中に、空腹を感じて目を覚ました。

 厨に出向いて軽食でも作ろうと廊下を進む。体にまとわりつく湿気に辟易しながら角を曲がると、荒く濁った咳の音が聞こえて来た。

 ——山姥切!?

 眠りについているものの迷惑を考えずに、廊下を駆ける。音のする方向は洗面所。厨を通り過ぎて、苦しんでいるであろう山姥切長義の下へ向かう。

 洗面所に辿り着くと、長義は洗面台にもたれてぐったりと意識をなくしていた。

 

「山姥切っ!」

 

 思わず叫んでから、後藤は長義に駆け寄る。何度呼びかけても長義は苦し気な声を漏らすだけで、意識を取り戻す気配はない。洗面台から下ろしつつ、大きな刀を呼ばなければと焦りを感じた直後。

 

「おい後藤、どうした!?」

 

 後藤の悲鳴を聞きつけた南泉が、息を切らせて洗面所に顔を出した。そして長義の側ておろおろとしている後藤の涙に潤んだ目を見てすぐに状況を察し、すぐに長義の肩を支えて立ち上がる。

 

「後藤、とりあえず医務室に運ぶぞ! 先に布団を整えてくれ、その前に薬研が帰還したらすぐに呼んでこい、にゃ!」

「わ、分かった!」

 

 脇目も降らず全速力で医務室へと走り、ベッドの空きを確認してドアを開け放つ。直後に南泉は現れ、よいしょ、と長義の体を持ち上げてベッドに横たえる。

 長義は掛け布団を掛けられても魘され続けており、後藤はただ悲しみを視線に乗せて見つめる事しか出来ない。

 

「……後藤。薬研はまだ、だよな」

「うん。……俺達に出来る事って、もうないよな」

「目を覚ましたら間違いなく強がるだろうしにゃあ……少なくともオレはいねえ方がいいか。後藤、薬研が来るまで番を頼めるか?」

「勿論。他にしておくべき事ってあった——」

「……と」

 

 小さな声が耳に入る。目を覚ましたか、と安堵しつつ長義の顔を見ると、まだ目を閉ざしていた。だが、その後に並ぶ言葉の羅列に、後藤は背筋を凍らせる事となった。

 

「不調は絶対に見せない事。どんなに苦しくても常に笑顔でいる事。ただし山姥切国広は例外、常に敵だと思って対峙する事。『山姥切』については決して譲ってはならない事。『山姥切長義』は誇るべき物だと自覚し、それに恥じない高貴な振る舞いをする事。南泉一文字、鯰尾藤四郎、後藤藤四郎、物吉貞宗には気安い態度でいる事。特に南泉一文字には揶揄う態度を崩さない事。手伝いを頼まれたらどんな時であっても手伝う事。茄子は一つ残さず食べる事。左手は決して普段使わない事。歩幅は常に七十七センチを心掛ける事。就寝は十一時、起床は六時を決して過ぎない事……」

 

 ——何だよ、これ。

 後藤は地から這い寄る寒気に体を震わせる。隣に立つ南泉も、愕然と目を剥いていた。

 その言葉達はまるで、自身に言い聞かせている——いや、それでは足りない。

 まるで、()()()()()()()()()()()()()かのようだ。焼きごてで自身に性格や性質を刻み込み、それに忠実に振る舞う。自身の本来の性格など、掃いて捨てる程度の物だと思っているのだろう。

 絶対に傷付いているだろうし——絶対に、どこかが狂っている。

 こんな姿を見られたとなったら、長義はどうなるのだろうか。仮面を外すだけならマシな方で、もしかしたら仮面をつけた自分を守る為に口を封じにかかるかもしれない。

 南泉を見上げる。南泉も困惑しているのが一目でわかる顔で後藤を見返した。しばらく無言での会議が続いたが、それは帰城を示す開門の音で中断となった。

 

「帰ってきたな。薬研を呼びにいかねえと……後藤、山姥切の番は頼んだぜ」

「任せてくれ」

 

 走って正門まで向かう南泉の背を見送りつつ、後藤はちらりと背後に目を向ける。

 長義はまだ眠っている。しかしうわ言のように並ぶ自分を定義する言葉達に、後藤の心は締め付けられた。

 無理は、間違いなくしているだろう。見ていて苦しいくらいに。もしかしたら以前いた政府で酷い事を言われたから、こうして無理を重ねているのかもしれない。

 何とかしてやりたいと思いながらも、後藤に出来る事など思いつかなかった。だって後藤には、長義のやっている事が間違いだとは断言出来ないのだ。

 噂話を聞いた事がある。——人格のない人形を、刀剣男士に仕立て上げようとしている研究所がある、と。

 人形は刀剣男士に変わる時、初めて「自分らしさ」を手に入れられるのだという。もし長義が元人形ならば、自分らしさを大切にする事自体は、間違いではない。けれど、説明出来ない不安が胸の中で渦を巻く。

 何か、大切な事を見誤っているのではないか。まだ眠り続ける長義は、後藤の不安に何も答えなかった。

 

***

 

 敵を切り刻み、踏み付け、奥へと進んでいく。南泉はあまり動かせなくなった左脚に舌を打ちながら、敵の大将がいるであろう最奥——審神者の部屋へと向かっていた。

 敵がこの本丸を襲撃してきたのは、あまりにも突然だった。襲い来た膨大な数の敵は統率も取れているようで、本丸にいた仲間達も奮戦しながらも次々と折れていった。

 本丸に今残っているのは、少し前に遠征から帰還した南泉だけだ。同じく遠征に出た山姥切長義は、あと少しで帰ってくる。それ以外は全員、破壊されるまで追い込まれてしまっていた。

 

「くっ……そ! 主は無事か、にゃ!」

 

 敵を斬り飛ばし、奥まで何とか進む。その度に体の傷は増えてしまっていたが——これくらいで止まっていては、主を守れない。

 審神者の部屋が見えて来た辺りで、空気が変わり始めた。澱んだ血の匂いが、更に強く辺りに立ち込める。周囲の物という物に飛ばされた血飛沫は、ここで激しい戦闘が行われた事を察するには充分だった。

 行く先を阻もうとする敵を斬りながら、審神者の部屋の前に立つ。障子には鮮やかな赤い飛沫が描かれている。

 望み薄だと感じていても、それでも南泉は障子を開けた。

 

「……物吉、鯰尾、後藤……!」

 

 部屋の入り口には、折れた三振りの刀が落ちていた。それが旧知のものであると理解すると、その三振りの守ろうとした存在に顔を向ける。

 横たわるその人間は、首と頭が離れてしまっていた。胴体にも斬られた形跡があり、最早生きている事なとあり得ないと嫌でも理解させられる。

 

「……くそ、主……!」

 

 苦い敗北の味を噛み締めている最中、背後から忍び寄る巨大な気配に振り向く。

 敵の大太刀は、手負の南泉を見てニタリ、と歪に嘲笑する。言外にお前などすぐに潰せる、と告げられたと察した南泉は、頭に血を上らせて叫んだ。

 

「——舐めてんじゃねえよ、デカブツ! ……にゃあ!」

 

 鋼がぶつかり合い、高らかに鳴り響く。南泉の最期の戦いが、幕を開けた。

 

 

「……ろしくん、猫殺し君! ……南泉、目を覚ませ!」

 

 強い口調で呼び起こされる。けれど南泉には、最早目を開ける事すら困難だった。

 体に力が入らない。何かが流れ出ている。途切れそうな意識を何とか繋ぎ合わせ、瞼を動かした。

 

「こんな所で惰眠を貪るな! まさかあの大太刀にやられたとでも言うんじゃないだろうね!? まだ戦えないと寝ぼけるようなら、ここで俺が折ってもいいんだからね!」

 

 目の前にいたのは、遠征から帰還した長義だった。鬼気迫る様子で、南泉を冥府から連れ戻そうと怒鳴り声を上げている。

 強気な言い方はいつも通り。だが、こちらを案じているのは伝わる。……そう簡単に()()()事自体が普通ではないのだが。

 南泉は残っている力をかき集め、長義に言い返した。

 

「……残ってた、敵は、全部叩っ斬ってやったんだ。讃えられはせど、貶される覚えはねえ、にゃあ」

「生き延びてこその勝利だろう! 全ての敵を屠ったとしても、相打ちになっていたら世話がないよ! 主に合わせる顔だって——」

「……その主も、もう彼岸の住人だ。分かってんだろう、お前も」

 

 ひく、と長義が顔を引き攣らせる。何とか宥めたいが、南泉の方も時間があまりない。

 気力を振り絞って声を張り上げる。最期に、彼には言っておきたい事があった。

 

「……山姥切、主はもういない。オレもじきに折れる。だけどこれだけは覚えておけ——自由に生きろ。お前は、そんなタマじゃねえだろ。何を気にしてんのかは、知らねえし、知りたくもねえが……三振り共、お前が苦しそうだって、滅茶苦茶心配してたんだからな。何かに縛られてんなら、振り解く努力をしろ。お前が自由に動かねえのは、見ていて苛々する、にゃ」

 

 目を丸くした長義に、南泉は溜飲を下げる。こちらは何も知らないとでも思っていたのだろう。

 後藤が噂に聞いた、刀剣男士の元となった人形の事。南泉達は独自に調べ、それが事実であると突き止めた。真実は、更に胸糞悪い物だったが。

 長義が()()であるのなら、こうして振る舞う事自体が苦痛であるはずだ。それでもそうしているのは、上からの命令か、強い暗示か。

 例え厳密には違う存在だとしても、彼は昔馴染みだ。少しでも苦しそうなのを見ると落ち着かないのは当たり前である。

 

「あー、そろそろ限界だ……じゃあな、化物切り。精々移った先で浮かねーように祈っててやるよ」

 

 南泉は目を閉じる。最期に長義の表情を見たかったが、ぼやけてよく分からなかった。

 

***

 

 南泉の体が粒子になって消えていく。そして残ったのは、無惨に折れた刀が一振り。

 その残骸の前で、長義は目を剥いて顔を押さえた。

 

「……見透かされ、てた?」

 

 呆然と呟き、体を震わせる。その目は刀の残骸達を映しているようで、どこも見ていない。ぶつぶつと並べられる言葉達は、どこか薄暗かった。

 

「何が駄目だった? もっと言い方を近づけないといけなかった? 歩き方が良くなかった? 態度に出てしまってた? 好みが違ってた? ……もっと、もっと近付けないと。そうじゃなきゃ、『山姥切長義』じゃないと、こんな命、価値などないんだ」

 

 ふらりと立ち上がり、長義——「彼」は歩き出す。この姿を見たら、旧知達はこう思って嘆いただろう。

 

「ああ、何一つ届かなかった」——と。

 

***

 

 ある本丸の山姥切長義は、かつて所属していた政府に書類を持って訪れていた。

 彼の主である審神者は、少しばかりお人好しの気がある。頼りにされてしまっては断る事が出来ず、厄介事に首を突っ込む事も珍しくないのだ。

 今回政府に出向く事になったのも、その厄介事の煽りを受けたからだった。

 

「全く、人がいいのも結構だけどね。悲鳴を上げる程に追い詰められるのなら、少しは冷淡になってもいい物だけど」

 

 そう一人ぼやきつつ、書類を出す為に窓口へと向かう。受付から番号札を貰い、近くの椅子に座って順番を待つ。

 ぼんやりと窓口を眺めていると、近くに知っている気配を感じた。自分の本丸から誰か来たのか、そう思い周囲を見渡すと——そこにいたのは「自分」。山姥切長義の同位体だった。こちらが見ていたのに気づいて、相手が笑って話しかけてくる。

 

「おや、『山姥切長義』。君もここに用が?」

「ああ、ちょっと野暮用でね。……?」

 

 何だろう、と思う。そうか君も、と頷くこの長義にどこか違和感を感じる。

 見た事がある、と思う。脳内で警鐘が鳴っている。引っかかる事があるはずだ、そうでなければこんなに全身が強張らない。

 すると。ふと、目の前で話を続ける長義の姿が()()()

 それは、かつて主が持って来た案件で出会った、自分に憧れを示した少年の物で——

 

「……君は——!」

「……? ……ああ、俺の順番だ。それじゃあ失礼するよ」

 

 問い詰めようと身を乗り出そうとした瞬間、アナウンスに反応した彼は涼やかに去っていった。窓口に向かうその姿は、まさに「山姥切長義」そのもの。あの日の少年の面影は、どこにもなかった。

 何があったのだ。いくら憧れたと言えど、あそこまで変化する必要はないだろう。それに真似てるというだけでなく、性質まで変化しているようだ。

 訳も分からず混乱する長義の背後から、パン、と乾いた音が鳴った。

 

「お前さんも気になるか。いやあ、やはり『混ざってしまった』ものはどうしても違和を生じさせてしまうのだな」

「……一文字、則宗。あれを——あの子の事を、知っているのか!?」

 

 扇子を畳んだ一文字則宗に、思わず詰め寄った。顔を強張らせ声を震わせる長義に、則宗もまた苦々しい顔で声を潜めて答える。

 

「あの子、という事はお前さん、少しは事情を知っているのか。それなら話が早い。——あの山姥切の坊主は、研究所で生み出された『被験刀』だ」

 

 え、と声が漏れる。研究所。研究所と言ったか。主に頼まれて自分が訪れたのは、病院のはずなのに——

 

「……研究所の存在までは知らなかったか。まあ知っていたら、場所を取調室に移す所だったが。話を戻すと、あの坊主は使い捨てられる自分の事を大層嘆いていてな。そんな中で出会った——仕組まれた、と言うべきか——『山姥切長義』に、心を奪われたそうだ。それこそ、己の命を使い捨てても構わんと思う位に、な」

 

 普段なら、己を良い物だと思われるのは至上の誉であるはずだった。なのに、今感じている寒気と絶望感は、一体何なのだろう。

 

「坊主は、『山姥切長義』となって消滅するはずだった。だが研究所の人間がポカをしたのだろうな、魂が上書きされる事はなかった。事態を把握した坊主は、『山姥切長義』として生きる事を己の宿命とした。まあさぞ苦しかった事だろうな。何せ全く逆の性質を、己の物としたんだ。魂が傷付き擦り切れるのは目に見えている」

 

 あの少年と話したのは、一度だけ。けれど真摯な目をして憧れを口にした少年を、よく覚えている。

 まさか。

 まさかあの一度だけで、彼は——

 

「以前坊主がいた本丸は、敵の襲撃で壊滅している。襲撃のせいでどこかが狂ったのだというのが上の見解だが——それだけではないだろうというのが僕の考えだ。元から狂っていたのを、本丸の仲間からとどめを刺される出来事があって頑なになってしまったのではないか、とな。本刀から話を聞いて、そう思ったんだが……」

 

 ふむ、と扇子を口に当てる則宗に、嘆き慟哭するように長義は俯く。

 

「……俺のせいで、あの子は……」

「いやいや、そうなる道を選んだのは坊主自身だ。お前さんが気に病む事はない。……だが、坊主のお前さんへの愛を研究所の人間に利用されたのは、忌まわしい事だ」

 

 腹立たしそうに後半の言葉を言い放ち、則宗は扇子を長義に突きつけて告げた。

 

「坊主の憧れを否定してやるなよ。それによって坊主は今まで生き延びて来られたのだからな。それに憧れ自体は否定されるべき事ではない。あくまで非があるのは、それを悪用した研究所だ。お前さんと坊主は悪くない。それをゆめゆめ忘れるな」

 

 力なく頷き、長義は窓口にいる「山姥切長義」を見やった。

 受付と笑顔でやり取りする彼は、誰が見ても完璧な「山姥切長義」だろう。そう仕向けた運命が、これ程呪わしいと思ったのは初めてだった。

 せめて、と思う。

 

 せめて、君が安らげる場所が見つかりますように——

 

 最早祈る事しか出来ない自分が、あまりにも無力だった。

「山姥切長義」は、受付から紙を受け取って微笑んでいる。




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