お別れと煌めきのお話です。

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スパンコール/カーテンコール

 扉が開くと、微かに雨の匂いがした。

 じきに降り出すなと他人事のように思って、去りゆく列車を眺める。取り残されたような小さなベンチに座って、ポケットの中でぬるくなってしまった缶コーヒーを開けた。ブラックなんか買うんじゃなかったと即座に後悔して、だらんと腕を垂らした。

 

 次の列車が来るまでは五時間ほどある。今去っていったそれが最終電車だった。宿など取っていないし、近隣に知己もいない。僕は、ここで朝を待つ。

 

 崖沿いに作られた無人駅の周りには、見所も人気も余りなく、ホームに点々と置かれた豆電球と、遥か遠くに住宅地の明かりが見えるだけだ。晴れていればさぞ綺麗に星が見えたんだろうと思う。面する海はぽっかりと浮かんだ黒い大穴のようで、飲み込まれそうな錯覚を覚える。そうしようかと逡巡した。夜明けまでの時間を潰そうと本を持ち込んでいたのだけれど、この分じゃ読むのは難しそうだ。

 

 去り逃した蝉の鳴き声と、徐々に勢力を拡大し始めた鈴虫の鳴き声が同居していて、夏の終わりを告げるようである。駅舎の外に出ると、小さなロータリーの脇に、大きな桜の木が鎮座していた。春には花見の名所になると彼女が言っていたことを思い出す。ぼんやりと、首を吊るならここがいいかと考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先日、幼馴染が死んだ。事故だった。

 ただ梅雨の高架橋で、足を滑らせて階段から落ちただけ。当たりどころが悪かった、その一言で終わり。

『だから雨の日は気をつけようね』と、近隣の小学生の教訓にされてしまうくらいには事件性の欠片もないそれに、恨む対象すらくれなかった彼女を、心底恨んだ。

 

「人生、何があるか分からないんだから」

 

 彼女の口癖。発言と裏腹に、底抜けに明るく笑いながらいつも言っていた。だから私はしたいことだけする! と。高校では帰宅部で、ひたすらバイトをして、そのしたいことのためにお金を貯めていた。その癖運動部の助っ人なんかして、ちゃっかり勝利の功労者になったりするんだから、()()()()奴は違うなあ、と密かに僻んだりもした。

 

 今思えば、自分の死期を悟っていたのかもしれない。

 

 

 

 四十九日も過ぎて、みんなが前を向こうとしているというのに、僕が追うのは彼女のいない明日ではなく、彼女のいた昨日だった。気がつけば首を吊る場所を、身を投げるところを探していた。別に、アイツが好きだった訳ではない。アイツ以外に大事な人間がいないわけでもない。それでも、あんなイイヤツですら簡単に死ぬ世界で、自分がのうのうと生きていることに耐えられなかったのだ。

 

 

 暗くした部屋の隅で木彫りの熊を眺めていると、来客の報せがあった。彼女の母親だという。体調が悪いから出られない、とだけ伝えた。数分して、階段を上がる足音。騒がしい我が家と違い、静かで少しお上品なそれは、彼女の物と似ていた。それだけで何だか懐かしくなってしまって、余計に死にたくなった。

 

良夜(りょうや)くん。これ、波留香(はるか)から」

 

 端的にそれだけ言うと、ドアの隙間から何かが差し込まれた。足音はすぐに遠くなっていって、置いていかれたような心持になる。学習机の明かりだけ点けて、物品を確認する。『良夜へ』と端的に記された、動物柄の可愛らしい手紙だった。中には似た柄の紙が二枚入っていた。一枚目を開く。それは手紙と呼ぶにはあまりにもお粗末な走り書きだった。

 

『死ぬまでにやってほしい五つのこと

 一、鳳々亭の満漢全席を一人で食べきること

 二、フルマラソンを走りきること

 三、二日酔いすること

 四、私がオススメしていた場所を巡ること

 五、あの駅で夜を明かして朝陽を見ること』

 

 六行のそれが手紙のすべてだった。肩透かしを食らったような気持ちになって、身構えていた自分が馬鹿らしくなる。とりあえずジャケットを羽織って、部屋を出た。久々に見た空は、夕暮れだっていうのに何だか目に刺さって、少しだけ目を瞑った。

 

 住宅街を抜けて、騒がしい商店街の脇の、静かな中華料理屋に入る。それが鳳々亭だった。客足の伸びそうな時間帯だというのに、店内はほとんど客がいない貸し切り状態である。片言の店員に促されて、窓際の席に座った。満漢全席を注文した。

 

 

 正直味は普通だが、安くて空いていて何だか居心地のいいここは、彼女のお気に入りだった。学校帰りに頻繁に連れてこられたものである。

 

「満漢全席、いつか食べてみたいね」

 

「いや、二人とも小食なんだから無理だろう」

 

 いつかのぼくらがそう話していた。今は、もう。

 オマタセシマシタ、とお皿の群れが次々運ばれてくる。中華料理特有の濃い香りが鼻孔を突く。水ばかり飲んでいたから、久々にまともなものを食べるように思う。手を合わせ、炒め物からつまみ始める。

 

 気づけば机上の皿はほとんど空になっていた。自分で思っていたよりも空腹だったらしい。会計を済ませて、腹ごなしに走ることにした。街を回って、学校に向かって、家に帰れば丁度くらいだろう。

 適当に走り出して十分ほどで息が上がった。ひと月以上もまともに動いていなかったのだから、当然だった。時折歩いたり、コンビニに寄って給水して、家に帰る頃にはすっかり朝になっていた。翌朝は筋肉痛と二日酔いで身体が終わっていた。給水のペースが早かったのが悪かったのだろう、それこそ死んだ方がマシな辛さであった。ベッドに倒れ込んで、窓際のピサの斜塔を見つめた。

 

 

 彼女は旅行が好きで、週末になる度にふらっと何処かへ消え、帰ってくる度に律儀にお土産を買って、僕の部屋に不法投棄していた。シーサーの置物、木彫りの熊、モアイ像、エッフェル塔のレプリカなど、お前そんなもん何に使うんだよと言いたくなるようなガラクタばかり。

 

「自分の部屋に飾って思い出にひたるならまだしも、なんでわざわざうちに置くんだよ」

 

「私の部屋にあったって多分埋もれちゃうからさ、良夜なら大切にしてくれるじゃん」

 

「邪魔になったら捨てるからな」

 

 それでいいよ、と波留香は嬉しそうに笑っていた。大事なところはいつも人に委ねる奴らしかった。

 

 

 少しして、沖縄、桜島、厳島、津軽、北海道。奴が特に思い出深く語っていて僕が行っていなかった場所をすべて巡った。確かに感動はあったし、波留香が気に入るのもわかった。出不精な僕は彼女の旅に一度も着いていかなかったけれど、これを彼女が僕に見せたかったということは、痛いほど伝わってきた。だから死ぬんだ、と後半は足早に巡った。

 

 そして今、彼女が例の駅と呼んだ無人駅に着いた。春は桜の名所となり、冬は日の出の名所になるというここは、彼女のお気に入りだった。度々誘われて、その度断った。日の出なんてどこで見たって変わらんだろう、と。僕の目には、毎年近所の高架橋から見る初日の出だって綺麗だったし、それだけで十分だった。決まって彼女は「わかってないなあ」と小馬鹿にするように笑う。「カップ麺と同じだよ。三分待った後は違うんだよ」

 

 

「わかんねえよ」

 

 手の中で、紙がくしゃくしゃになった。それはすぐに湿り出して、水性の字体が歪み出す。雨だった。

 

「ついてねえ」

 

 ゲリラ豪雨と呼ぶべき凄まじき風雨だった。傘も着替えも持ってはいない。ただ空を仰いで、晴れを待つ。

アイツは、雨が好きだった。黄色い雨合羽にピンクの長靴で、やけに統一感のない恰好でいつもはしゃいでいた。ほら見て雨だよ、と。珍しくも何にもないだろうに、その反応がやけに楽しそうなもんだから、見てて何だか羨ましくなった。憧憬だった。

 

 線路脇に寝そべって、空を見た。闇夜の中降り注ぐ雨粒が、線路沿いの照明で煌めいて見えて、光を浴びているような錯覚を受けた。

 

 ぼーっと眺めて数時間、雨はいつの間にか止んでいて、空は少しだけ白んできていた。ゆっくり起き上がる。水平線は赤と橙のコントラストで、主役の登場を待つような出で立ちだった。あんなに黒かった海は藍色で、波が静かに揺らめいている。

 

 やがて、陽は昇った。金色のそれを見て僕は、しかし微塵も感動しない。夏休みの宿題を終えたような、小さな達成感があるだけだった。文字が滲んだ封筒の中から、手紙を一枚取り出す。『終わったあとに読むこと』と題されたそれを開いた。

 

 

『良夜へ。この手紙を読んでいるということは、律儀なあなたは私の無茶振りを終え、無人駅で首を吊ろうか崖から身を投げようかと大いに悩んでいる頃合いでしょう。まずはお疲れ様でした』

 

 

『で、旅はどうでしたか? 楽しかったですか? 多分、いや間違いなくあなたは──』

 

 

「────つまらなかった」

 

 

『と、そう答えるでしょう。私は心の底から楽しかったけれど、あなたはたぶん、同じ程には楽しめない。それを分かっていても、私はそれを要求した。それなりに感動してくれたなら何よりだけれど、もしも満足いっていないのなら────』

 

 

『────あなたが、満足する場所を見つけてください』

 

 

『遊んで、学んで、旅をして、この世界の素敵なところをいっぱい教えてください。私なんて目じゃないくらいに自由に生きてください。そうしていつか、その思い出を私に聞かせてくれれば、それだけで十分です。リタイアなんてしたら絶対許さないからね?』

 

 

『それじゃ、またね』

 

 

 

 

 

 

「言いたいことだけ言いやがって──まったく」

 

 こっちには好き勝手言っておいて早々に逝ったことだとか、分かってる癖していくつも無駄なことをやらせたことだとか、文句を言いたいことは沢山あったけれど。

 

 駅を出て、古びた民家の間の細い階段を降りて、小さな砂浜に出た。とりあえず、夜明けの海岸を占有して寝るところから、自由ってやつを味わおうと思う。優等生のあいつは、柔らかいホテルのベッドの感触しか知るまい。

 

 

「いつか教えてやるよ、きっと」

 

 

 さざ波を揺籃に目を瞑る。潮風に混じって、少しだけ雨の残り香がした。



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