オレこと綾小路清隆にとって、二月の間——具体的には上旬から月末にかけての時期は、″噂″というものの脅威を思い知るイベントがあった。
Bクラスの一之瀬帆波。
成績優秀で素行も抜群に良く、一年生の中では最も優等生であると誰もが口を揃えて言うだろう。
自分のクラスだけでなく他クラスの生徒からも厚い人望があり、まさに善人の象徴とも言える存在。
そんな彼女を、誹謗中傷が襲ったのだ。
誹謗中傷——街談巷説、道聴塗説、流言飛語。
そのどれにも当てはまるデマゴギーが学校中に蔓延し、まるで人から人へ伝染するウイルスのように爆発的な広がりを見せた。その出元が坂柳有栖であることは、説明する必要はないだろう。
そして、噂は一之瀬だけではなく他クラスの生徒たちにも牙を向く。そういう風に策を講じたのは、他でもないオレ自身なのだが。
一之瀬に対する中傷のみならず——あのクラスのあの生徒が誰かを嫌っている、アイツはあの女子に恋をしている、過去に非行を働いた生徒がいる、など。
人の口に戸は立てられない。
人の噂も七十五日と言うが、被害者が増えてしまえばもはや収拾はつかなくなる。
誰が誰を、と生徒たちは警戒心を剥き出しにし、互いに疑惑の目を向け合う。こうなると、この学校の敷地内など狭いもの。あっという間に事態が大きくなる。
結末としては、オレの手によって事態を深刻にしたおかげで学校が重い腰を上げ、噂の蔓延を禁止させた。
こうして坂柳や生徒会長である南雲雅の企みも阻止され、一之瀬も過去の罪を乗り越えることができた。
——だが、オレは新たに学ぶべきだった。
流言飛語は、とても人の手で止められるものではない。人の口から生まれる実態のないソレは、まるで都市伝説のように人々の耳を侵し、広く拡散する。
デマゴギーが肥大化するさまは、まさに怪異じみた現象なのだと。
◆
一之瀬が過去の罪を告白し、学校が噂の蔓延を禁止したのが木曜日。
その翌日、つまりは金曜日に学年末試験が行われた。
今回の筆記試験は、これまで1年間の筆記試験と比べれば難易度が高かった。仮テストを元に各生徒が必死に様々な対策を立て、試験当日を迎えたことだろう。
坂柳が企てた誹謗中傷による攻撃があったとは言え、一之瀬を含めたBクラスはオレたちCクラスよりも遥かに連携をとって、テスト対策をしたことは想像するまでもない。数日間学校を休んでいた一之瀬も、勉強面には何一つ不安要素は無いように思えた。
Cクラスも堀北の報告によれば、須藤や池、山内達の方もかなり万全を期していたようで、ここ一週間は徹底してテスト対策を頭に叩き込んだらしい。
オレたちのグループの三宅や波瑠加に愛理、そして恵などオレの周辺も充分に学力の底上げができた。
その他の生徒も全て平田がカバーしていたようで、問題のある生徒がいたとの報告も無かった。そのため、あとは体調面にだけ気をつけてテストに臨めば、赤点を出さず乗り切ることができるだろうと思われた。
実際、試験当日は滞りなく進行した。
——問題があったのは、試験結果の発表日。
土日を過ぎた三月一日の月曜日。
朝のホームルーム前のCクラスでは、異様な光景が広がっていた。
「おはよう綾小路くん」
「ああ…………これ、どういうことなんだ堀北」
「私も驚いているわ。先週末にはこんな兆候なんて微塵も感じられなかったもの」
隣人である堀北に話を聞くが、首を横に振るのみ。
普段通り冷静な振る舞いを見せる堀北だったが、オレからすれば動揺の色が顕著に見てとれる。それだけ堀北にとっても予想外の事態ってことなんだろう。そりゃそうだ、オレもこれは想定していなかった。
チラリと教室中を見渡してみると——ざっと
この場合、単に登校が遅れている、ということではない。今までの筆記試験を振り返ってみると、結果発表のある日はクラスのほとんどの生徒が、少なくともホームルームが始まる五分前には席に座っていた。
それほどまでに、試験結果の発表は重大だ。
余裕を持って早めにクラスに来るのが常だった。
しかし、今日はいつもと違い、クラスの四分の一ほどの生徒が登校していない。それも、一部のグループの生徒達がこぞって来ていないわけじゃなく、見た感じ共通点のないバラバラな生徒達だ。
「何かがあった、と見るべきか」
「恐らくそうでしょうね。大事な試験結果の発表日に学校を休むほど、Cクラスも馬鹿じゃないわ」
そして気になるのは——と、堀北は指をさす。
その先にいるのは平田だ。Cクラスをまとめる爽やかな男子生徒であり、いつも物腰柔らかく接している。
しかし、今日の平田はいつもと違い覇気がない様子だ。元気がないとも言える。否、明らかに具合が悪そうに見えた。
「平田くんだけじゃない。クラスの数人は明らかに体調不良を起こしているわ。一度平田くんには話を聞いてみたけれど……」
「何て言ってたんだ?」
「大丈夫、少し調子が悪いだけ、って」
そりゃまた対応に困る返し方だな。
確かに、平田のような生徒が数人見られる。
そういった者には仲の良いクラスメイトが心配そうに様子を窺っているが、何も聞き出せてはいないだろう。
もう一度教室の中を見渡してみる。
見たところ須藤や池は学校に来ているが、山内の席は空いている。オレの見知った生徒で言えば、愛里もだ。
「おい寛治、春樹は大丈夫なのかよ」
「いやなんかさー、今日の朝に連絡入ってて。ずっと眠れなくて体調崩したから、今日は休むらしいぜ」
この状況の異様さに当然須藤たちも気づいているため、それに関する会話が聞こえてくる。
恵の方は大丈夫かとそちらを見てみると、登校はしていたようで、仲の良いグループの生徒と心配そうな様子で話し込んでいた。
「他のクラスはどうなんだろうな」
「……確かに、Cクラスと同じ状況が他でも起こっている可能性はあるわね。でも、だとしたら本当に異常事態よ」
「病気か何かが流行り始めた、にしては急すぎるよな。今日一斉に生徒たちが学校を休み出すのは、タイミングが良すぎて不自然だ」
「誰かの仕業、っていう線は勿論ないわよね」
「バイオテロってことか? ……流石にそんなことができる奴はいないと思うぞ」
「言ってみただけよ」
ジロリと睨んでくる堀北にオレは口を閉ざす。
頭をよぎるのは、オレの退学を目論むあの男の存在だ。しかしこの状況を何らかの方法で人為的に作り出したとしても、あまりにも度が過ぎている。法律違反ギリギリどころではなく、完璧な犯罪だ。そもそもこんなリスクのある策に打って出るような男じゃない。
この異変は、何かそれ以外の要因から生まれたものなのか——と考えていた時だった。
教室に茶柱がやって来た。
筆記試験の結果が記載されている大きな紙を持って、グルリと教室中を見渡す。
その表情は遠目から見ても分かるほど険しい。事前に大量欠席の旨を知っていたのか、驚くことはなく試験結果の紙を教卓の上に置き、足を動かした。
向かう先は平田のような、見るからに体調不良の生徒のもとだ。小さな声で茶柱が話しかけ、生徒たちは力無く頷くばかり。
すると、そういった生徒たちは鞄を持って席から立ち上がり、フラフラと教室から去って行った。その後ろ姿を見守っていた茶柱は、やがて教壇の上に立ち、オレたちCクラスの顔ぶれを見渡した。
「——この学校が始まって以来の異常事態だ」
と、出し抜けにそう言った。
いつもよりも格段に険しい表情で、茶柱は重苦しそうに言葉を続ける。
「お前たちも既に気づいていると思うが、本日Cクラスは十二人の欠席者が出た。それに加えて数名の体調不良者にも先ほど声をかけ、早退して寮で休養するよう伝えた」
平田たちには学校を休ませ、寮に帰したらしい。
「この異様な状況は、AもBも関係なく全てのクラスで起こっている。他の学年にも数名の欠席者がいるようだが、お前たち一年の学年はより顕著だ」
やはりそうだったか。
オレと堀北はほぼ同時に視線を合わせる。
AクラスにBクラス、Dクラスでも謎の欠席者が続出している。二年や三年の学年ではあまり見られないが、オレたちの学年が特に酷いという事実。
「現在学校は流行り病の可能性を考慮して、欠席した生徒や早退した生徒には、病院で診療を受けさせることになっている。体調不良の度合いによってはオンラインでの診療を行うことにし、処方薬に関しても各生徒の部屋へ届けるといった見通しだ」
そう言って茶柱はこれからの行程を説明する。
「感染症——伝染病の類の場合、お前たちも症状が出ていないだけで何らかの病気にかかっている恐れもある。今日の授業は全て中止にし、外部から要請した医療機関のもとで簡易的な健康診断を受けてもらう」
すると、茶柱は黒板に書き出し始めた。
今日の日付、詳細な時間帯。それらに付随して、各自の出席番号や学校敷地内の場所などの情報を付け加えていく。
その後説明を聞くに、オレたちはそれぞれ違う時間帯で違う場所にて診断を行うことになった。
夏休みの船上試験では、その特別試験の内容をそれぞれのグループ、クラス毎に時間帯や部屋を分けて説明していた。それと同じようなものだ。
「綾小路くんは最初の方の時間帯ね」
「お前は夕方あたりか」
「私自身は体調も悪くないし、何か病気の症状が現れているわけでもない。ただ先生の言うように、無症状で感染しているケースも勿論あると思う」
「結局、今回の大量欠席の原因が重要だ」
インフルエンザに肺炎など、その類ならどこの学校でも流行ることはあるだろう。
しかし今回の場合——
不自然であり、きな臭い。
あまりにもタイミングが良すぎるせいか、作為的なものを疑ってしまう。
「お互い、健康体だといいわね」
「そうだな」
互いに前を向きながら、そう話を締めくくった。
少し経って、Cクラスの全員が健康診断の概要をメモし終えたことを確認すると、茶柱は教卓にあった大きな紙を黒板に貼り出した。
「それから、先週の学年末試験の結果だが——」
欠席者には学校から後ほど結果が伝えられると言う。
果たして幸いと言うべきか、退学者はいなかった。
◆
その日は午前中に解散となり、オレたちは一度寮へと帰ることになった。
その帰り道に携帯のチェックをすると、綾小路グループのグループチャットでは今日のことに関する会話が進んでいた。
『愛里の容態はどうなんだ?』
『日曜日に一回、愛里の部屋に行ったんだけどね。その時はもう既に具合は悪そうだったよ。フラフラっていうか、見るからにしんどそうだったし』
『いつから体調崩してたんだろうな。テストの時は普通そうに見えたけど』
『私もそう思ってたんだけどね。愛里曰く、金曜日の夜からずっと寝れてなかったみたいよ』
『金曜日の夜? ということはテストが終わった後から、三日間も満足に眠れていないのか。……深刻だな』
波瑠加曰く、今日休んでいる愛里は日曜日の時点で体調を崩していたらしく、心配になった波瑠加は部屋へお見舞いに行っていたそうだ。
熱や咳もないのだが、体が非常にダルく食欲もない。本人から話を聞いてみると『金曜日の夜から三日、ずっと眠れていない』のだと言う。
チャットで愛里を労わるメッセージを送っておき、オレは携帯を閉じた。
須藤と池の会話にあった内容と、愛里の現状。その二つに存在する共通点を見つけ、考える。
——とにかくその日の午前中は、指定された場所で簡易的な診断を受け、早々に帰宅した。診断結果は翌日の朝、各生徒のポストに郵送されることになっている。
ホームルームでの茶柱の話によると、明日はひとまず通常通り授業を再開するのだそうだ。だがこの状況が続く様であれば、三月八日に控えている特別試験を延期させる方針だという。いくら実力至上主義の学校でも、この異常事態に特別試験を優先させるほど鬼ではないらしい。
しかし逆に考えてみれば、学校がそういう判断をせざるを得ないほど今の状況は切迫していると言える。茶柱はこの学校が始まって以来の異常事態、と言っていた。まさに未曾有の危機的状況というやつだ。
これがもし何かの流行り病なのだとすれば、オレたち生徒にできることなど何もない。この学校の教師や更に上の立場にある人間にさえ、だ。医療機関の手腕を信じて事態の収束、患者は自身の回復に努める他ないだろう。
そんな風に考えながら、オレは寮の外へ出かけた。
時間帯は夕方の5時頃。
寮から少し離れた人気のない場所。
間もなくして、呼び出していた人物がやって来る。
「——何回も言ってるけどさ、寒いんだって。何でわざわざ外で待ち合わせんのよ」
「屋内だと場所は限られるだろ。それに、今も他の生徒が敷地内で簡易診断を受けている真っ最中だ。人目につかない場所といえば、外しかない」
「じゃあ別に電話でよくない?」
「直接会って話がしたかったからな」
「ふーん?」
オレの言葉に恵は流し目で返事をする。
とは言え、流行り病の可能性がある以上二次感染の恐れもあるため、オレと恵が長い間話し込むのは好ましくないだろう。
「それで、用件は?」
「今回の大量欠席の件についてだ。Cクラスの女子の欠席者の状況を、お前なら把握してるだろうと思ってな」
「今日学校を休んだ子たちがどんな感じだったか、ってことよね。えっと、ちょっと待ってね……」
そう言って恵はおもむろに携帯を取り出し、画面を何やら操作し始める。
「昨日とか一昨日から連絡はきてたのよね。何かずっと寝付けなくて気分が悪いとか何とか。多分テストが終わった反動で疲れが一気にきた、っていう風に思ってたんだけど、そんな連絡が数人以上からきてたから、私もちょっと心配になってて」
「寝付けない、か。いつから寝れなくなったのかは聞いてみたのか?」
「それも聞いた。人によって違うみたいよ。金曜日からの子もいれば土曜日からの子もいるし。そう言えば、今日早退した子は昨日から寝れてなかったみたい」
恵の話をオレは分析し、状況を整理する。
察するに、欠席者や早退者を襲っている症状としての共通点は『不眠』だ。全く眠りにつくことができなくなり、朝を迎えてしまう。
不眠症というのはひとえに厄介な病だ。
眠れないということは脳や身体を休ませられないことに繋がり、それが一日だけならまだやりようはあるものの、二日三日と続けば人体に及ぶ悪影響は甚大だ。
激しい倦怠感や食欲不振、抑うつにめまい、頭重など様々な不調が現れるようになり、まだまだ若い学生であろうと耐えられるものじゃない。
そして不眠症の特に厄介な点は、患者それぞれに原因があり対処法も異なるということにある。
周りの環境やストレス、体の病気や心の病気、薬や刺激物に加えて生活リズムの乱れなど、考えられる限りでも原因は多岐に渡る。
——しかし、だからこそ今回の件は妙なのだ。
原因が多岐に渡るのだとするならば、一斉に多くの生徒が不眠症にかかるものだろうか。
まるで、全て同じ原因によって不特定多数の生徒が不眠症に襲われているというような現象。現実的に考えてあり得ないことだ。
「お前は体調に関して問題はないのか?」
「私は全然平気。清隆も大丈夫……そうね」
「心配するな。体は強い方なんだ」
「まあアンタの体の強さを疑ったことはないけど」
心配なんかするだけ損でしょ——と、中々に酷いことを言われるオレだったが、そんなオレに恵は探るような目つきで口を開いた。
「やっぱ今回の件、何かあるって睨んでるんだ?」
「流行り病にしては状況が不自然すぎるからな。それに、まだ全員の症状を知っているわけじゃないが、欠席者の共通点が『不眠』だということも違和感がある」
今回の大量欠席を人為的だとするのは現実的ではないが、作為的なものはいやでも感じる。
——すると、恵は何やら言い出しづらそうにしながら、恐る恐る口を開いた。
「その…………清隆は『おまじない』って知ってる?」
「おまじない?」
耳馴染みのない言葉だ。
「夏休みの間だけケヤキモールに来てた、めちゃくちゃ当たる占い師の話は?」
「ああ、それなら知ってる」
「その占い師にさ、おまじないを教えてもらった子が何人か居たのよ。恋愛成就に成績向上とか、あとは足が速くなるおまじないとかがあったかな」
「そんなの教えてもらったか……? オレが行った時は何も教えてもらわなかったぞ」
「…………え? アンタ占ってもらってたの? 誰と?」
目を見開いて驚愕する恵。
確か、占いを受けるには二人一組である必要があったんだったか。周りがカップルだらけで肩身が狭かったのを覚えている。あれは結局何の縁なのか、あの時は伊吹を同伴して占ってもらった。
「オレが誰と行こうと恵に関係はないだろ」
「ま、まあ……そうね。知ったこっちゃないけど」
何やら動揺した様子の恵に対して、オレは「それで?」と話の続きを視線で促した。
「それで……ちょっと気になってるんだけど、教えてもらったおまじないの中には——他人に『呪い』をかける、みたいなのがあったらしいの」
「呪い、か」
思わず声のトーンが下がってしまう。
何というか、随分と霊的かつスピリチュアルな話になってきたな。占いよりも非科学的で胡散臭い。元々占い自体に懐疑的な立場であったオレとしては、あまり考えられない話だ。
「馬鹿みたいな話でしょ? でも半信半疑っていうか、面白半分で誰かに呪いをかけてる子は結構いたわ」
「……ちなみに聞くが、結果は?」
「何にもなかった。当然でしょ? 呪いなんてあるわけないし、呪いの効果が出なくても皆『そりゃそーだ』って感じだったわよ」
呆れ半分で答える恵。
まあ聞くまでもなかったか。呪いなんてものをオレたち生徒が手軽に扱えるのだとすれば、クラス間の争いなんて簡単に崩壊するだろう。
「ならどうしてこの話をしたんだ?」
「……あり得ないって分かってるけど、何かどうしても引っかかったのよ」
少し居心地悪そうに言いながら、恵は身を捩る。
恵自身も、今回の件の原因としておまじないの話を候補に上げたいわけじゃなかったらしい。
気にかかるというか、引っかかる。
とっかかりが無い今回の異常事態だからこそ、荒唐無稽な話だと分かっていても懸念してしまう。
確かにこういった状況に見舞われた場合、人間は非科学的な要素を信じてしまいがちだ。思考停止とも言う。
自分の理解を超えた現象が起きると、それを神や妖怪変化の仕業と考え、災いを鎮める様に祈りを捧げる。昔の人々は皆、心の中に存在しない敵を作り上げていたのだ。
だが、その論法は現代では通用しない。
科学的な考え方によって構築された今のこの日本では、オカルトの類を本気で信じている者など少数だろう。
ひとまず——恵の話に収穫はあった。
Dクラスの欠席している女子生徒たちがもれなく不眠に襲われていること。
いつから眠れていないのかは個人差があること。
そして全員、学年末試験が終わった後から症状が出始めていること。
この少ない材料から推測できることは何か、というのはまだ分からないが、これらの情報が得られただけでも幸いだ。勿論恵だけではなく、他の生徒からも何かしら情報収集をする必要がある。
そんな風にオレは、この先すべきことを考えていた。
あとはこのまま恵と別れて寮に戻るだけ。夜には誰に電話をかけようかと頭を悩ませるつもりだった。
しかし、オレは寮へ帰ることができなかった。
——何故ならば、寮から離れた人気のない場所なのにも関わらず、人が来てしまったからだ。
この場合、オレと恵は人の気配を感じた瞬間に直ぐ別れるべきだった。オレと恵の関係性をそこまで神経質に隠そうとするつもりないが、わざわざ話している光景を見せる必要もない。
人が来たのなら、この場を離れればいい。
だが、離れられなかった。
声をかけられ、引き止められてしまったからだ。
「そこの二人、ちょっといいか」
——不吉な男、という印象を受けた。
葬式の帰りのような喪服の如き漆黒のスーツに、色の濃い黒ネクタイを締めた壮年の男。
髭面のオールバックに、銀縁眼鏡。
この場に突然姿を現したことからして、明らかに怪しい雰囲気を感じる人物だった。
オレと恵が口をつぐんで視線を向けると、黒スーツの男はオレたちの警戒に気づいたかのように眉を上げ、しかし堂々とこちらに近づいてくる。
「ああすまない、いきなり声をかけて悪かった。見ず知らずの人間に対するその警戒は酷く正しい。見ず知らずの人間にも優しくしなさいという理屈もこの世に存在するが、あれは世間の怖さを知らない馬鹿がほざいた寝言だ」
「えっと…………」
別段表情を変えることなく、何やら一種悟ったように話す黒スーツの男に対して、恵は理解し難いとばかりに眉根を寄せて声を漏らした。
「名乗るのが遅れたな。俺は貝木という。貝塚の貝に、枯れ木の木だ」
オレたちの反応も構わずといった様子で、貝木という男は不吉な雰囲気を隠そうともせず、言葉を続ける。
「——さっきの『おまじない』に関しての話、詳しく聞かせてもらおう」