ここは生徒会室。
今日はルドルフの機嫌がすごぶる悪い。
『調子』ではなく『機嫌』が悪いのだ。
「あー、ルドルフ?」
「……」
いくら担当トレーナーだったとしても鬼気森然の如きオーラを放っている彼女に近寄る度胸は流石にない。
だからこうやって手を振ったりこうやって声をかけているんだけど、彼女は耳を固く絞り頬杖をつきながら虚な眼差しで書面を見ていて、僕の呼びかけに反応してくれない。
「おーいるーどーるー…」
「なぁトレーナー君」
やっとこっちを向いてくれたと思ったら、その綺麗な目がものすごい怒りで染まってて少し萎縮してしまった。
「…少し黙っていてくれないか?私はURAファイナルズの調整で忙しいんだ」
目を逸らしてぶつぶつと小言を言い始めたルドルフに僕は異常なくらいの違和感を感じた。普段の生徒会長、シンボリルドルフは明朗快活で何事にも毅然とした態度で取り組む子だから。
…それが副会長のエアグルーブが担当トレーナーの自宅を掃除をしてる(なんで?)時と似た感じで小言を言ってるんだから担当としては困ってしまう。
「機嫌悪いのはタキオンに変な薬でも飲まされたから?」
「いや、君が邪魔をするからさ」
「んー…なんかあった?」
「君が私の邪魔をした」
あれー?おかしい。タキオンについてはさっきカフェから白と連絡があったし…となると本当に僕のせい?
「ご、ごめんルドルフ。なんか悪いことしちゃったかな」
「ああ、そうだね。君が私の機嫌が悪いことを察して退出してたら作業効率ももっと上がっていただろう」
「え?…あ、うん。じゃあ退出するね。放課後のトレーニングも軽めにするから」
そこからルドルフは一言も返事をしてくれなくなったので、広げた書類ををまとめて生徒会室から退出した。
***
「おい、トレーナー」
意気消沈しながらトレーナー室に向かっていると、ブライアンから声をかけられた。
「君から声をかけてくれるなんて珍しいね」
「当たり前だ。それよりアンタ、まさかそんな顔で広場に行くつもりじゃないだろうな」
「へ?…うわ、やっば」
広場には行かないけど…と思いながらガラスに反射した自分の顔を見ると、まぁひどい顔してました。
「気づいてなかったのか?」
「ここ最近はURAのことで…あれ?」
「おい!大丈夫か!?」
笑って誤魔化そうとしたら膝から力が抜けて立てなくなってしまった…こりゃ重症かなぁ?
「大丈夫…じゃないかも。ごめん肩貸してくれる?」
「ああ。行き先は保健室でいいか?」
「トレーナー室でいいよ」
「…保健室直行だな」
呆れたようなため息をついたブライアンは僕を担いで保健室に連れて行ってしまった。
「おい、入るぞ」
「あら?ブライアンちゃん…その方は?」
「会長のトレーナー」
「はは…ども」
女子高校生に担がれて保健室に行くなんて元気だったら羨ましい展開なんだろうけど…ほら、先生もびっくりしちゃってるじゃんか。
「ちょっとすごい隈じゃない!ここのベット使っていいから寝てなさいよ!」
あ、僕の容態を見てびっくりしてたんですね…
「ちょっと待ってなさい。会長ちゃん呼びますから」
「あ!ストップストップ!」
先生がルドルフを呼ぼうとしてたので慌てて止める。
「ルドルフはURAの事で多忙なんで」
「トレーナーのあなたがこんな状態だって後から知ったら会長ちゃん後悔するでしょ?」
「うーん。でも、ルドルフ機嫌が悪いみたいで…」
「おい、会長は生徒会室か?」
ルドルフの機嫌が悪いと言った瞬間、ブライアンが何かピンときたような表情で尋ねてきたので思わず頷いてしまった。
「呼ばなくていいからね!?」
「いや、1発殴ってくるだけだ」
「それもっとダメだからぁ!…行ってしまった」
「あの子にも何か策があるんじゃないの?」
先生の言う通りブライアンは無策で突っ込むことはしないので何かあるんだろう。
「怪我はしないでくれよ…」ガクッ
「あ、限界みたいね。…もしもし、中央トレセンです。はい、救急車一台お願いします。えっと過労に疲労と睡眠不足のトリプルパンチです。はい、お願いします」
***
高等部に上がってから月に一度、体に異常が来る。
ある日、普段よりも身体が冷たく感じた。
特に気にしなかったが、次の日には肌や髪の調子が良くなり、ついにはテイオーをギャグで笑わすことができた。
そして今日、酷い日だ。
朝からずっと頭痛に腹痛と倦怠感がある。
身体を壊したのかと思ってトレーナー君に休みの連絡をしようとしたがやめた。
…なぜかトレーナー君に心配されるのが癪に感じたからだ。
学校に来て授業はなんとか受けれたものの、身体の異常は未だに治らない。
『URA開催期間と予算について』
その状態で生徒会室で苛立ちを感じながらこの終わってるはずの問題に向き合っているのだから苛立ってしまう。
この問題はトレセンに資金提供している者達が煮え切らないせいで中々実行に移らないのが原因だ。
ああ、いらいらする。
「—ル?おーい?」
ふと、トレーナー君が私を呼んでいることに気づいた。私の様子がおかしいのを察したようだ。でも反応はしない。
「おーいるーどーる…」
「なあトレーナー君」
本当にやかましいな君は。
「…少し黙っていてくれないか?私はURAファイナルズの調整で忙しいんだ」
私の反応に驚いたのか、トレーナー君は少し慄いていた。彼の顔をよく見ると目元は隈で真っ青だ。全く眠れてないんだろう…私の体調よりも慢性的な問題だ。
ふと、スマホを見ていたトレーナー君が顔をあげだ。
「機嫌悪いのはタキオンに変な薬でも飲まされたから?」
…は?
私は、君の心配をしているんだよ?
それなのにあの科学者に私が何かされただって?ふざけないでくれ。
—いや、君が邪魔をするからさ
気づけばそう返していた。もっと柔らかい言い回しがあっただろうに、苛立った私は彼にきつい言い方をしてしまった。
こうなると、もう止まれない。
「んー…なんかあった?」
—君が私の邪魔をした
「ご、ごめんルドルフ。なんか悪いことしちゃったかな」
—ああ、そうだね。君が私の機嫌が悪いことを察して退出してたら作業効率ももっと上がっていただろう」
「え?…あ、うん。じゃあ退出するね。放課後のトレーニングも軽めにするから」
そう言って彼は広げていた書類をまとめて出て行ってしまった。
「…はぁ」
だらしなく生徒会長の椅子に寄りかかり、左手を眉間に当てる。
今日は本当にどうしたんだろう。
頭痛や腹痛は治らないし、いらいらする。それに、心配してくれたトレーナー君にきつく当たってしまった。
後で謝らないといけないな…
それから少しした後、生徒会室の扉が荒々しく開けられた。
「おい。バカ会長」
来たのはブライアンだった。
「どうしたんだい?ブライアン」
努めて普段通りの口調で問うたが、ブライアンは何も言わずに水と2錠の薬を渡してきた。
「飲め。体調悪いんだろ?」
「薬を飲むほどでもないよ」
「だからだ」
そもそもブライアンが薬を飲めと言ってくること自体稀なので、不思議に思いながらも大人しく飲むことにした。
「よし、今日は休め」
「…は?」
何を言っているんだ?
「休むほどでもないよ?」
「だからだ」
「ブライアン…何を隠してる?」
収まってきていた苛立ちが再燃した。
目の前の副会長は会長に休めと、理由も話さずに言ってきたのだ。
「それは…アンタが正気に戻ってからだ」
「私は正気だ!!」
バン!と机を叩きながら主張する。
本当に何を言っているんだ?
「はぁ。図星を突かれて声を荒げるヤツがシンボリルドルフなわけないだろう?」
まったくその通りだ。
「だから休め。エアグルーヴに見つかったらトレーナーがやられるぞ」
「…わかった」
急に立ち上がったせいで少し眩暈もする。
察したブライアンに支えられながら私は寮へと戻ったのだった。
***
ブライアンに支えられながら自室に戻り、着替えて横になった時にブライアンが休ませた理由を教えてくれた。
「アンタ、生理って知ってるか?」
「せっ!?…ああ。」
「まさか3年間気づいてなかったのか?」
「…多分」
「はぁ、さっき飲ませたのはそれ用のやつだ」
ブライアンによるとウマ娘は2種類あるらしく、ヒト寄りの体調不良になるものとウマ娘寄りの発情期になるものがあるらしい。
「じゃあブライアンはどっちなんだい?」
「検査は受けてないが、10割ウマ寄りだ」
「そうか…え?」
「だから月末に肉を食ってるんだ」
ブライアンは月末にオグリキャップのような勢いで赤身肉を食べると噂が立っていたが、性欲を食欲に変えるためだったとは…
「見た感じアンタは10割人間寄りだな」
「…たぶん」
「ならトレーナーに助けてもらえ」
「え?」
予想外のところからトレーナー君の名前が出てきた。
「私はウマ寄りだから担当を襲わないと断言できない。だから月末はトレーナーに会わないようにしてる」
「大変だな」
「ヒト寄りならそんな心配はいらない。だからアイツにサポートしてもらえ」
確かにこんな状態ではまともに動くこともできない。
「言い忘れてたが、あの後アンタのトレーナーがぶっ倒れた」
「え!?トレーナー君が?」
思わず身を起こす
「アンタの機嫌が悪いのを心配してた」
「そんな…」
私が追い出してしまったことが、倒れかけの彼が保っていたメンタルにとどめを刺してしまったのだ。
「おい、泣くなよ」
「うっ…すまない…」
「はぁ。アンタも所詮はただのウマ娘だな」
ゆっくりと頭を撫でられ、だんだんと身体の力が抜けていってしまう。
「トレーナーには私から伝えておく。アンタはしっかり寝て、明日ちゃんと話せ」
「わかっ…た。すまな…い」
…どっちもバカだな。
吸い込まれていくような眠気の中でそんな呟きが聞こえた気がした。
***
それからブライアンから貰った薬を飲みつつ生徒会の業務を休み休みこなした。エアグルーヴには心配されたが、彼女もヒト寄りらしいので相談になってくれた。
おかげで頭痛もなくなり、普段通りに戻ってきた。トレーナー君は精神面も壊れかけていたらしく、メンタルケアもかねて2週間ほど入院することになったらしい。
うつ病じゃなくてよかった…
本当は見舞いに行きたかったが、URAの問題を解決しなければいけないのと、安静にさせておきたいという病院の意向を受けて電話もしないでおいた。
そして今日はトレーナー君が帰ってくる日だ。私は放課後のターフで彼が来るのを待っていた。
「おかえり、トレーナー君」
「ただいまぁ…暇だった」
「ふふっ。開口一番がそれかい?」
前よりも優しくなった表情で頷くトレーナー君は少しばかり…可愛くなった。
「いやぁ…ルドルフも大人の階段を上がったようでよかったよ」
「なっ!?人前で言わないでくれ」
「ごめんごめん。体は大丈夫?」
ボケながらも他人のことばかり気にする所…トレーナー君は変わってないなぁ。
「保健の先生に頼んで薬も私専用のものを調合して貰ったから心配ないよ」
「さすが中央。僕も入院している間に色々と調べておいたからできる限りサポートするよ」
「私と君は肝胆相照の中だ。こちらからもよろしく頼むよ」
「よし、それじゃあトレーニング始めますか!」
「わかった!」
そして私はターフを駆け出した。