銀河英雄伝説 ファニー・ウォー   作:ブッカーP

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外伝第三話 Sugar Sweet Nightmare(上)

 宇宙歴790年1月

 惑星マスジット内のとある基地にて──

 

 軍用車がメイン棟の駐車場に停止した。そこから降り立ったのは我らがヤン・ウェンリー憲兵中尉である。彼はトランクから大きな箱を取り出すと、これまたトランクに積み込んでいた台車の上に乗せ、メイン棟に入っていった。

 

 既にメイン棟には数名の人間が待ち受けていた。ヤンは彼らと二言三言交わすと、箱を開けて中から紙の束を取り出した。それは印刷したポスターの束であり、そこにはこう書いてあった。

 

「薬物、ダメ、ゼッタイ」

 

 ヤンの仕事は、薬物防止キャンペーンのポスターを配って歩くことだった。掲示板に貼って歩く仕事も手伝う。

 

 

 

 憲兵隊の仇敵を三つあげろ、と言えば、恐らく返答は「脱走、喧嘩、薬物」となるであろう。脱走は、兵力の低減に繋がるからもちろんダメ。喧嘩は、参加者が負傷するからダメ。薬物は摂取者を高い確率で廃人にし、さらに摂取者が摂取者を勧誘して増大させる側面があるからダメ。まぁ、これら三つについて、特に前者二つについてその原因を対処しなければ意味がないという意見もあり、それはそれで傾聴に値するが、この話の本題ではないのでそこまで。いや、話し出したら本一冊じゃすまないからね。

 

 で、このお話の本題である「薬物」についてであるが、現在憲兵隊が特に神経を尖らせている。いや、尖らせているどころではない。最近、中毒患者が増加している傾向があり、一般社会でも最近急に中毒患者が増えているとあれば、何とかして食い止めなければならないわけだ。そして誰がその仕事をするかといえば、憲兵隊が旗振りをしなければならないのである。経済規模の大きな星域であれば、衛生部配下の軍医本部が支部を置いていてそこが対策の指揮を執ることになるだろうが、生憎タナトス星域にはそんなものはない。宣伝活動(冒頭でヤンがやっていたやつ)、所持品検査、巡回等いろいろな防止対策が取られ、それに駆り出されるヤン含め下っ端はへとへとになっていた。

 

 そして上層部を含め憲兵隊全体が憂慮する、ある一つの噂があった。今回、中毒患者が増加している背景には、サイオキシン麻薬の新型、通称「サイオキシン・スーパー・ノヴァ」が流通しているという情報があるのである。既にバーラト星域では警戒情報が発令されている。曰く、副作用も依存性も今までのサイオキシン麻薬の一段も二段も上をいくそうだ。そんなものは是非食い止めなければならない。

 

「それならもっと本腰入れて流通経路を叩けよ」

 

 そう言う意見は根強く、ヤンもそれに全面的に同意するのだが、薬物は流通拠点を叩くのがすごく難しい。生産している事実があれば即刻治安警察が踏み込んでいくのだから、生産は普通の宇宙船が滅多に近づかない宙域でこっそりやっていることが多い。さらに、薬物にしてしまえば極めて小型であるから、人類社会に持ち込むこともそう難しくはない(あくまで比較的、の話である。当然ながら、持ち込む際に警察だの軍だのが行う妨害を乗り越えなければならない)。流通拠点の一つであるフェザーンでは、フェザーン当局と南北の帝国、同盟の大使館がタッグを組んで取り締まりにあたるという、一体戦争とは何だったのかと言いたくなりそうな事態となっている。もちろん、取り締まりの最大の敵は「組織同士の縄張り争い」だからである。

 

 それにしても、通常のサイオキシン麻薬ですら中毒性の極めて高い麻薬なのに、それよりもさらに中毒性の高い麻薬など、人間に扱えるものなのだろうか。ヤンは、治療施設に収容された麻薬中毒患者を見たことはあるし、資料でもっと状態のひどい患者を見たこともある。ああはなりたくないな、と常に思うし、一体何故麻薬に手を染めてしまうのだろうか、とも思ってしまうのである。当然、手を出してしまう要因は人それぞれだろうが、納得はいかない。

 

 ヤンが(通常の業務に加えて)薬物防止キャンペーンに汗を流していたその頃、直属の上司であるブルックリン少佐に呼び出され、意外なことを言われたのである。

 

 

 

「依存症治療施設……でありますか」

 

「そうだ。軍は全く新しい薬物治療プログラムを、このマスジット星系で試験的に実施するそうだ。資料によると、既にハイネセンでは試験運用が行われて、成果は上々ということだ。もしうまくいけば、我々も枕を高くして眠れるというものだ。軍病院を増築して、治療用施設とする。もう機材はこちらに移動中とのことだ」

 

「なるほど。では、自分とは関わり合いが……」

 

「そうはいかん」

 ブルックリン少佐はヤンをさえぎった。

 

「刑事局第三課は、治療チームと打ち合わせて薬物治療プログラム、および蔓延防止プログラムの運営にあたることになる。もちろん我々第三課も総力を挙げて対応することになるが、いろいろな用事は君が担当することになる」

 ヤンはげんなりした。結局、事務仕事を押し付けられるのは下っ端の役目か。

 

「施設の方は、設備課が担当する。まず君は、このプログラムのリーダーを出迎えてほしい。明日の昼に到着する予定だ」

 ヤンは表向き分かりましたと頭を下げた。もちろん心の中では、まさか前回のあのようなことになることはないだろうな、と思いながらも。

 

 

 

「刑事局第三課のヤン中尉であります。惑星マスジットへようこそ、大佐」

 マスジットの宇宙港でヤンは来客を出迎えた。大佐と呼んでいるが、呼ばれた方は階級章を着けているわけでもなく、そもそも軍服すら着ていない。

 

「ありがとう中尉。でもその大佐というのは……ちょっと困るかな。僕は軍人でも何でもないから、反応できないんだ」

 

「ははぁ。ご心中お察しいたしますが、我々と致しましては大佐は大佐ですので。フランソワ大佐」

 ヤンはほんの少し気まずそうに言った。目の前に居る男は、見た目は40前後。中背で痩せ型、猫背で黒髪は整髪料で撫でつけている。柔らかな表情で身なりにもう少し気を付ければ人気が出るだろう。グレーのスーツにスカイブルーのシャツと紺色のネクタイといった出で立ちだが、スーツにはよれがある(こういうところに気が付いてしまうのは、憲兵ならではの職業病と言うべきか)。名前はアルフォンス・フランソワ。ハイネセンの医科大学と軍医科大学に籍を置いているエリートなのである。大佐待遇の軍属というのも分かるというものである。

 

「車を用意してありますので、どうぞお越しください。設備はまだ建設途中ですが、軍病院に大佐を受け入れることになっています。大佐が持ち込む予定の設備も、到着し次第運び込みます」

 

「ありがとう、中尉。何から何まで痛み入ります」

 

「いえ、これも仕事ですので」

 ヤンは大佐を案内しながら、どうも調子が狂うなと思った。同時に自分も軍隊に染まったかもしれない、とも思う。軍隊では階級の上下が絶対だし(例外もあるが)、上の階級から下の階級に何かを要請する時、どうしても上から目線というのが出てしまう。まぁ、階級が下の相手にへいこら頭を下げがちな人間は、かえってその資質を疑われてしまうから、そういうものだと納得するしかないのだ。

 

 今のヤンの仕事は、このフランソワ大佐のメッセンジャー・ボーイというところだった。マスジットの軍病院では空きスペースに薬物対策・更生センターが立ち上げられ、その総指揮を執るのがフランソワ大佐というわけである。ヤンは、大佐についていって、あれこれ足りないものがあればそれを調達する(手続きをする)という役割なのであった。

 

「中尉。こちらは薬物の被害はどうなんですか」

 地上車の中でフランソワが聞いてきた。

 

「軍病院も憲兵隊も相当神経を尖らせていますが、今のところはさほどでもありません。ですが、薬物は一度広まってしまうと抑えがきかなくなりますからね」

 ヤンは当たり障りのない表現で対応した。つまりは、その、サイオキシン・スーパー・ノヴァとやらが来襲したとしたら為すすべ無し、ということである。

 

「確かに。薬物の蔓延を防止するには、対処療法も重要ですが、日頃からの蔓延防止策もそれに劣らず重要です。あまり理解してくれる人は少ないですが」

 

「ハイネセンでは、大佐の指揮で目覚ましい効果があがったと聞いておりますが」

 だから、このマスジットでもっと大々的な治療対策実験を行うことになったわけなのだが。

 

「軍は効果があると認めていますが、激流のほんの一部に堤防を作っても意味がありません。薬物の防止には、小さなプロセスを少しずつ積み重ねていくこと、そして社会の意識を変えることが必要です。中尉、貴方にも期待していますよ」

 

「微力を尽くします」

 ヤンは恐縮した。同時に、何とも言えない違和感をフランソワに感じたのだが、それは心の奥底に押し込めておくことにした。まずは仕事である。

 

 それから一か月、ヤンはもとより刑事第三課はそれこそ目の回るような忙しさだった。軍病院に隣接した空き地に仮設の施設を建て、そこに薬物治療センターの設備を搬入していく。必要な機材、物資は宇宙港からどんどん送られてくるので、それを受け入れ、必要な部署に渡し、さらにこちらで用意した物資機材を加えて設備を立ち上げていく。

 

 設備は立ち上がった順から稼働を開始し、治療が必要な薬物依存症患者を順次収容していった。上層部からは、とにかく早く立ち上げるようにと催促が続くので、ヤン達は連日残業の休日出勤という有様であった。だが、上には上がおり、フランソワ大佐はじめ薬物治療センターに勤務する軍医や看護師その他は、残業どころか徹夜作業も当たり前というデスマーチぶりであった。ヤンが朝出勤してきた時、深夜のタイムスタンプがついたメッセージがどっさり溜まっているのを見て、最初はうへぇと思ったものだったが、それもいつしか日常になっていた。だが、各員のハードワークは報われ、一か月という短期間で薬物医療センターは概ねできあがったのである。

 

 

 

それから一か月後──

 

「随分と効果が上がっているじゃないか。私も鼻が高いよ」

 ヤンが提出した書類に目を通したブルックリン少佐は、鼻息も荒くそう言った。確かに、フランソワ大佐が立ち上げた薬物治療センターは目覚ましい効果をあげていた。薬物事件の発生数が同盟全体の平均、その半分以下まで減少したとなれば、当事者としては祝杯の一つもあげたくなるというものだ。

 

 そんなブルックリン少佐の前で、ヤンは、はぁそうですね、とそれだけ言って、書類の承認をお願いしますと付け加えた。もちろんだ、と少佐は答えて、書類の署名欄にさらさらとサインをして突き返した。書類の中身は、治療センターに納入する設備の決済申請書で、マスジット憲兵隊としては目の玉が飛び出るような高額のものだった。それでも少佐がさっさと署名しているのは、憲兵隊の予算と関係がないからだった。治療センターの立ち上げや運営にかかる経費は、同盟軍トップグループの軍医本部に申請すれば支払われることになっていたからだ。これはフランソワ大佐がそういう風に取り計らってくれたのである。

 

 現在の刑事第三課の業務といえば、課全体がフランソワ大佐のメッセンジャー・ボーイをやっているようなもので、ペンを持つ手ぐらいしか動かすものがない。だが、ブルックリン少佐としては、他人のカネと頭脳で自分の功績を稼げるわけで、これが面白くないはずがないのである。確かに立ち上げ時はずいぶんと苦労したが、その作業が終われば後はフランソワ大佐と医療センターのチームが勝手に業務をやってくれるし、自分たちのやることと言えば費用処理のサインをすることぐらい。笑いが止まらないとはこのことか。

 

「そうだ。中尉は治療センターが行っているカウンセリングを受けたことがあるかね」

 

「いえ。行ったことはありませんが」

 治療センターは、薬物患者の治療の他に、薬物の使用に悩む(これはパートナーのそれを含む)人に対してカウンセリングを行っているのである。フランソワ大佐と部下の医療チームがカウンセリングを行っているのだが、対面での実施に限定しているため、予約が殺到しているのだった。ヤンもそれを知っているので、カウンセリングを受けようとは思わなかったのである。幸運なことに、ヤンの近辺には薬物をどうこうと言い出すような人間はいなかった。

 

「いや、特に薬物に悩んでいるとか、そういうことがなくても受診はできるそうだ。むしろ、そのような悩みがなくとも受診は大歓迎と言われている。私もね、試しに受けてみたのだが、非常に有意義だったよ」

 ほぅ。ヤンは意外に思った。金の使い道にはやたらと細かいが、それ以外は女房の尻に敷かれっぱなしの石部金吉なブルックリン少佐が、そんなものに興味を示すとは思わなかったのである。

 

「考えてみます」

 ヤンはそれだけ言って、書類を持って退出した。

 

 

 

 その日の夜、ヤンは自分の部屋に戻ると、鞄から何冊かの本を取り出した。それは同盟の軍医本部が出している、薬物対策キャンペーンのための本であった。本の代金は軍が出しているので、ヤンの財布が痛むことはない。その中には、フランソワ大佐の書いている一節もあった。薬物と薬はどう違うのか。薬物に立ち向かうには何が必要か、という題材に関するエッセイだった。

 

 前半はフランソワがマスジットで行っているものとほぼ同じ、薬物対策と治療、それに関する話だった。依存の度合によって異なる治療方法を適用する。軽症の患者に対しては、対抗薬に頼らない治療を行う。精神的に不安定な人がいれば、先行してカウンセリングを行い、薬物に手を染める前に先回りする。いずれもヤンが内容を知っているものばかりなので適当に読み飛ばした。

 

 後半になると、そもそも薬物依存とは何なのか、という話になってきた。

 

「皆さん、(medicine)薬物(drug)を分かつものは何だと思いますか。まず最初に、この二つの言葉の起源を考えてみようと思います。薬については、【治す】という言葉が変化してできたそうです。薬という言葉は、医学と切っても切れないのです。」

 

「方や、薬物という言葉は【乾燥した草】という意味の言葉から転じたそうです。薬草という言葉がある通り、古代の人々は薬効のある草を使って病気や怪我を治してきました。しかし同時に、古代から存在する宗教的儀式、呪術等にも草木は使用されてきました。薬物はこの二つを分別することはないのです」

 ヤンは居住まいを正した。興味を惹かれた証拠である。

 

「現在の同盟において、薬物というのは随分と限られた対象のものを指します。薬物に関する法令はいろいろあるのですが、まとめると、禁止リストにある化学成分を一定数含む物質であること、あるいは、服用した際に、これらの禁止化学物質と同じような反応を惹起させるもの、ということになります。サイオキシンという通称でよく知られている一連の薬物は、前者に当てはまります。後者については、法規制の枠組みに入るか不明確なグレー・ドラッグという名前があります。グレーというのは、この中に、薬物治療を目的とした治療薬も含まれるからです。一概に禁止薬物の範囲を広げるわけにはいかないのです」

 薬物治療の話については、ヤンも講習を受けたことがあった。依存症に苦しむサイオキシン中毒者を治療するためには、途中段階で中毒性、依存性を低減させたサイオキシンに似た治療薬を服用するのだそうだ。そして、少しずつ薬物に頼らない身体を取り戻していくのである。

 

「社会で生きるにおいて、薬物を必要とすることは【通常は】ありません。何故なら、薬物が提供するのは、人間の精神を過剰に昂揚させる機能が主であり、通常の人間にはそのようなものは必要ないからです。もちろん、人を薬物から遠ざけるような様々な法律、規制も大きく貢献していますが」

 

「では、何故人は薬物を求めてしまうのか。原因の一つに、医療の限界というものがあると思います。俗に、いかなる名医でも、いかなる妙薬でも、恋の病は治せないと言います。これは医療の限界を端的に表していると言えるでしょう。人間が直面する困難に、医療は全て対応できているわけではないのです。これが貧困、就職難であるなら医療の出番ではないですが、人間の脳、精神の問題となると話は複雑です。積極的に医療が介入すべきという意見もあり、私も大体同意しますが、社会的にはそうなっていません」

 

「薬物に対抗するために、何が必要でしょうか。それはやはり心身共に健康を保つということにつきます。心だけでは駄目なのです。身体の不健康は、精神を蝕みます。そして精神を蝕まれないようにするためには、他人とのコミュニケーション、共存の意識、困難を抱えている他人への援助が必要なのではないでしょうか。身体の病と同じように、精神の病も予防が重要なのです」

 

「なるほどなぁ」

 エッセイを読み終えたヤンは満足そうに息を吐いた。フランソワ大佐の文章は、ヤンの好みにぴったり合うものである。薬物の成り立ちについて故事を元に説明し、薬物規制の難しさを説明し、最後に究極的な目標を示す。確かに、これならカウンセリングとやらが重要なのも分かる。ものの試しに一度カウンセリングを受けてみようか。そういう気にさせられる文章であった。残念ながらそれは実施に至らなかったのであるが。

 

 

 

 一週間後──

 

 ヤンはマスクをしながら休憩室で紅茶を飲んでいた。いつもならティーセットを展開するところであるが、それもせずに紙パックのミルクティーを飲んでいる。どうしてそうなったかというと──

 

「インフルエンザとは我ながら不覚──」

 インフルエンザが惑星マスジット駐留の軍内部で流行しているのは事実であったが、ヤンもそれに巻き込まれてしまったのである。診断が下ってから三日も休まざるを得なかったのは、本心はともかくヤンにとっては痛恨だった。おかげで方々に貸しを作ってしまった。

 

 流行している風邪に罹ってしまうのは自己責任に非ず、基本的にはそうだが例外というのは存在する。人員不足に苦しむ、経営状況のよろしくない企業の正社員は例外に含まれるだろう。つまり、軍の士官は例外である。

 

 ヤンはあのだらしない生活態度からは想像できないが、病気に対する耐性はなかなかのものがあった。士官学校からこのかた、病気になりそうでならないと言われてきたものだが、何故そうなのかは本人にも分からない。最初、診断結果を聞いた時、一瞬冗談でしょうと思ったほどだ。ヤン・ウェンリーにも思い込み、固定観念というのは存在したのだった。

 

 というわけで快癒を確認した後、早速勤務を再開してたまった仕事を片づけていたのであった。病気がぶり返すこともあるのだから、と言ってきた人はいたが、ヤンはそれを社交辞令の一つと見做していた。

 

「ヤン・ウェンリー中尉ですか」

 そう呼ばれたヤンは振り返った。声の主は、中年の女性士官だった。顔を見る。どっかで見た記憶はあるが思い出せない……ネームプレートを見て、ヤンはその既視感の正体に気が付いた。

 

「ああ、これは失礼しました。マルティネス少尉」

 目の前の女性は、マスジット同盟軍本部の人事部に勤務するミラグロス・マルティネス少尉であった。外見は中年の太ったおばさんであるが、知名度はヤンとは比べ物にならないぐらい高い。15歳で軍に志願し、勤務年数は四十年近くになる。マスジットでの勤務一筋でたたき上げ(マスタング)の少尉になっているのだから、能力も高く評価されているということだ。およそマスジットの同盟軍について知らないものはない、とすら言われている。夫とはかなり前に死別したそうだが、二人の娘を独力で育て上げ、初孫が産まれた時はマスジットの基地内でちょっとしたニュースになったということである。

 

「もしよろしければ、お話をよろしいでしょうか」

 そう言われて、ヤンはがくがくと首を縦に振った。もちろん艶っぽい話ではない。軍における人間の価値において、ヤンはマルティネス少尉に遠く及ばない。今のところは。

 

「ヤン中尉は刑事局第三課に勤務しているとのことですが、間違いありませんか」

 

「間違いありません」

 ヤンはそう答えたが、同時に何故そんなことを聞くのかと不審に思った。

 

「刑事局第三課は、あの薬物対策・治療センターの業務に携わっているはずですよね」

 

「はい、その通りです」

 

「……単刀直入に聞きます」

 マルティネス少尉は周囲を見まわして、他に誰もいないことを確認し、声をひそめて話し出した。あのセンターに関して、何か噂を聞いたことはありませんか。それも良くない噂です。

 

「うーん……残念ですが、そのようなものを聞いた覚えはありません」

 ヤンは答えた。もちろん、噂を聞いたことが無いからそう答えたのだが、わざわざ憲兵隊まで来て、それもヤンに話を振ってきたということは、何かある。そう思った。

 

「第三課ということは、課長はブルックリン少佐ですね。課長から何かを聞いたとか、第三課の間で話題になったことはありませんか」

 

「ありません。強いて言えば、課長からセンターのカウンセリングを受けてはどうかと言われました」

 

「受診したのですか」

 マルティネス少尉の顔がこわばった。

 

「いや、してみようかと思ったのですが、この通り風邪をひいてしまいまして。まだです」

 

「よかった」

 マルティネス少尉は胸をなでおろした。

 

「何か……あったんですか。あまり言いたくないことですが、あのセンターは相当お金がかかっています。金銭に関わる何かがあったとか」

 ヤンはそう言った。確かに刑事局第三課は、センターの金銭出し入れに関わっている。会計で手続きの間違いがあったとか、さらに悪い話といえば汚職問題に巻き込まれたとか、そういう問題をヤンは想像した。

 

 だが、マルティネス少尉の話はそれとは別のものであった。

 

「軍宇宙港の管制部に勤務している、ある女性の上等兵がいるんですけどね。年は確か19になったばかりでしょうか。名前は仮にG上等兵としておいてください」

 

「うん」

 

「彼女は、体力は少々足りないところはありますが、仕事を覚えてしまえば真面目にこなす方です。ですが、極端なあがり症で引っ込み思案、いや、そんなレベルじゃないんです。教育隊の時はまともに相手の目を見て喋れないレベルで、何をやっても治らないので教官の方が音を上げたという伝説があるぐらいでした」

 

「よくそんなので教育課程をパスできましたね」

 軍においてコミュニケーション能力は、兵士としての能力よりも高く評価される。情報が正しく伝達されなければ、命令の下しようがないからだ。

 

「体力検定は何とか合格しましたし、専門教育はそれなりにできるので、そんな人材を軍は手放すほど余裕はありません。それはおいといて、そのG上等兵がですね。最近急にコミュニケーションを取り出すようになって」

 

「ほほう」

 何か心境の変化があったのだろうか。

 

「最初周囲は気味悪がって、会話が全く嚙み合わないこともあったんですが、それでも彼女は諦めずにチャレンジし続けて、次第に周囲も協力することになって。今では普通に仕事ができるようになったんですよ。人前でギターの弾き語りまで披露するようになって」

 

「いい話ではないのですか」

 ヤンは訝った。少尉は一体何を言いたいのだろう。

 

「これだけ聞けばその通りです。その通りなんですが、最近急にそういう人格が急に変わるというか、豹変するというか、そういう話を立て続けに聞きまして。それで、これは世間話のレベルなんですが──皆、治療センターのカウンセリングを受けていると」

 

「なるほど」

 ヤンは納得した。だから刑事局第三課に話を聞きにいったというわけか。だけど──

 

「お話は了解しましたが、それは偶然の一致ではないのですか。あのカウンセリングは予約さえ取れれば、誰でも受診可能なはずです。受診した人が沢山いる中で偶然の一致を探してもしょうがないのでは」

 

「単なるカウンセリングならそうです。ですが、私、G上等兵に話を聞いたんですけど、カウンセリングの最後にサプリメントを処方されたと」

 

「本当ですか」

 ヤンは目を瞠った。カウンセリングについては事前に計画書が出されていたはずだが、そんな話はあっただろうか。もしあったとしたら、軍病院からチェックが入っているはずなのだが。

 

「確かにおかしな話ですが、市販のサプリメントを薦める程度なら、問題と言い切れるかどうか分かりません。調べてみましょうか」

 

「あ、いえ。それはちょっと止めた方がいいです」

 

「どうしてですか」

 

「中尉殿。よく聞いてください」

 マルティネス少尉はさらに一段声をひそめた。

 

「私の想像が正しければ、あの『カウンセリング』は憲兵隊のほとんどが受診しているはずです。私が中尉にお願いしたいのは、気を付けて周りを観察してほしいということなのです。この意味が分かりますよね」

 

「そうか──」

 ヤンの中で何かが繋がった。こういう医療行為については、軍の上層部が受診を行い、その後下流へと進んでいくことになる。もし、そこに何かがあれば、上層部というか軍というシステムを信用してはいけないことになるのだ。

 

「あと、これはなるべくなのですが、カウンセリングをむやみに否定しないでください」

 

「それはどうして──」

 

「工兵隊にやたらと逆張りが好きな下士官が居まして。上官がカウンセリングを薦めたそうですが、突き返したそうです。ですが、ある日突然別人のようになって、ということがあったそうです。自分もいつ目をつけられるか、わかりません」

 つまり、カウンセリングを拒否する人間に対して、何かしら強制力を持っているということである。

 

「少尉。確認しておきたいのですが」

 

「何でしょうか」

 

「この話、他にしていないでしょうね」

 

「していません」

 ヤンはマルティネスの表情を凝視するなどということはしなかった。軍に人生を捧げた兵士、甲羅に苔がむすような経験の塊である叩き上げ士官を疑うわけにはいかなかった。

 

「では、このことは心に留めます。もし安全な連絡先があれば──」

 ヤンのその言葉に、マルティネス少尉はさっと紙片を差し出した。ヤンもそれを一瞬眺めた後にポケットにしまった。

 

「では、中尉。お体おだいじに」

 マルティネス少尉は、今までのそれとは全く違った明朗な声でそう言い、びしっと敬礼をしてみせた。

 

「ああ。少尉。あなたも」

 ヤンも立ち上がって答礼した。

 

 

 

 数日後──

 

 ヤンが勤務する憲兵隊の雰囲気は、いつもと変わっていないように見えた。一見すると、である。ただ、マルティネス少尉からあのようなことを聞いてしまった後では、何ともいえない違和感を感じるようになっていた。ただ、考えすぎなのかもしれないというのはある。色眼鏡で見るなと言われても無理があるというものだ。

 

 和気あいあいとした雰囲気──

 おかしいところは何もない──

 

 それはその通り。いや、そうだろうか。

 

 言っては悪いが、かつての刑事第三課はそんな和やかな雰囲気ではなかったはずだ。十分からはほど遠い予算と人員、兵との軋轢(憲兵というのはそういうものだけど)、憲兵内での地位(一課、二課と比べて重要度の低い犯罪を扱う故に)そういうものが組み合わさって、雰囲気は良好とは言い難かったはずだ。今、何かしら明るい雰囲気なのは、薬物対策で成果が上がっていること(実際に業務をやっているのはフランソワ大佐とそのチームなのだが)、予算に余裕があるように見えること(これまたフランソワ大佐にいくつかツケを回しているからなのだが)、その二つがあると思っていたのだが、本当にそうだろうか。

 

「中尉!」

 課長のブルックリン少佐がヤンを呼んでいた。ヤンは慌てて少佐の席に駆け寄る。少佐はヤンが来るなり書類を突き出した。

 

「この予算書類は何だ。科捜研の要求項目が全部抜けてるじゃないか」

 ヤンは受け取った書類を見て、あっと声を漏らした。確かに、科捜研からあがってきた予算の要求項目が無くなっていた。提出する前にミスで削ってしまったのだろうか。頭をかく。冷や汗が流れていた。

 

「まぁいい。気を付けたまえ。修正は午前中に出してくれ」

 それだけ言うと、ブルックリン少佐はしっしっと手を振って、ヤンに退出をうながした。

 

 ヤンは自分の席にもどりつつ、やはりおかしいのではないかと考えていた。ブルックリン少佐はミスに対して鷹揚な性格ではない。それが単純ミスであれば尚更である。「大事は小事より起こる」が口癖で、ネチネチお小言をするものだから、部下としては苦労する。家に帰って女房にいびられているのを、そのまま職場でやってるんだという噂すらあった。それがこの変わりようである。いくら業務が順調だからといって、ここまで変わるものだろうか。いやいや。自分の見る目が歪んでいないとは言い切れない。マルティネス少尉はああ言っていたが、少尉が自分を誘導しようとしている可能性が無いとは言い切れない。相手は確かに信頼のおける少尉だが、妄信するわけにはいかないのだ。

 

 

 

 ヤンはどうにも表現しがたい違和感を心に抱きつつも、これといった行動を起こすことができず、数日が経過した。ヤンはあれこれ言い訳をしながら、基地内のいろいろな部署を見て回っていた。雰囲気としては、刑事第三課のように部署全体が春の陽気のような雰囲気になっているところもあれば、以前の記憶と変わらない部署もあった。それとなくカウンセリングを受けたかどうかを聞いてみたが、憲兵隊や司令部、経理のような所謂バックオフィスの部署は高い受診率だったものの、戦闘部隊や教育隊ではそうではなかったことが分かった。

 

 妙だな──ヤンは思った。薬物が蔓延するのは、むしろ後者の方であるからだ。いろいろな事務仕事に振り回されるバックオフィスと違って、基地の中で生活しなければならない人数が多い。外出も制限されている。当然ストレスは溜まるのである。本来ならそういう部署を中心に診療を進めなければならないはずだ。

 

 いやいやそうだろうか──今はまだ試験的な段階なのかもしれない。確かに、今の設備では基地の人間全員をカウンセリングするにはとても足りない。もっと設備を増強しなくてはならない。だが、いかに薬物対策とはいえ、そこまで大がかりな設備・人員を投入することが可能なのだろうか。

 

 

 

 それから数日後──

 

「はいこちら刑事第三課です」

 刑事第三課の代表回線に着信が入ったので、ヤンがそれを取った。今日は各員いろいろ用事があって、ヤンより上位の面々は全員出払っている。

 

「すいません。ブルックリン少佐はおられますか」

 ヤンは発信者を見直した。なんとハイネセンからFTL回線でかけてきている。どうりでコミュニケータに直接発信しなかったわけだ。統合作戦本部の経理部から直接かけてきている。女性にしては低く、ハスキーボイスという言葉が似合う声だった。

 

「いえ。課長は外出しております。伝言なら承りますが」

 ヤンはメモとペンを手に取った。どうせ会話は録音されており、AIが会話内容を自動編集して保存しているはずなのだが、外の偉いさんの発言は自分の頭で把握しておかねばならない。時は移れどもそこは変わらないのだ。

 

「そうね。こちらは経理部のマックイーン大尉ですが、ブルックリン少佐にお伝え願えますか。フランソワ大佐の薬物防止・更生事業、このままだとあとひと月も経たないうちに予算を使い切るので、マスジットの憲兵隊内で今後の事業についてよく考えるようにと。あと、軍以外の啓蒙活動について経費の処理はできないことも伝えて頂戴」

 

「ちょっとお待ちください」

 ヤンは困惑した。確かにあの事業は予算をふんだんに使っているが、そこまで資金に余裕がないとは聞いていない。第一、誰もそんなふうに考えていないのではないか。

 

「貴方は?」

 

「刑事第三課のヤン・ウェンリー中尉です。ブルックリン少佐から薬物防止・更生事業の経費処理を命じられています。ですが、今まで予算がそのような状態であったこと、聞いたことがありません。というか、今まで軍医本部の予算で処理していたと認識していましたが、その予算に余裕がない、ということでしょうか」

 

「その通りです」

 

「フランソワ大佐はご存じなのですか?」

 

「予算については軍医本部から伝えられているはずです。フランソワ大佐は憲兵隊と共同して運営していくと、計画書にはそう書いてあるはずです。まさか憲兵隊は、軍医本部と費用のすり合わせを行っていないと?」

 

「……」

 ヤンは黙らざるを得なかった。今まで予算のことを考えることなくどんどん金を使っていったのは、基本的にこちら側(あるいはフランソワ大佐)の責任なのだが、それをヤンが知らないのは置いておくとして、そのような認識はブルックリン少佐にも全くないはずだ。少佐が金の話を曖昧にするはずなどないはずだ。それに、軍以外の啓蒙活動だって?

 

「そのお気楽な課長に伝えていただけるかしら。そうでなければ、来月にも予算の執行を停止せざるを得ないわ。あるいは費用をマスジットの憲兵隊で持っていただけるならまだ分かるけど。ともかく、伝達内容は以上です。それでは」

 通信は唐突に切れた。

 

 ブルックリン少佐が戻ってきたのはその日の夜だった。課員がほとんど帰ってしまった中で、ヤンだけが残っていたのを見て、少佐は不思議そうに、どうした?そんなに仕事がたまっているのかと訊ねてきた。

 

「いえ。そうではないのですが」

 ヤンはそう前置きして、マックイーン大尉からの伝言を伝えた。そして、予算をこのまま使っていて残額が無くなったら事業を中止せざるを得なくなる。規模を縮小すべきではないかと伝えた。およそ中尉が考えることではないことは分かっていたが。

 

「それは君が考える問題ではない」

 ブルックリン少佐の回答は予想通りだった。しかし、予想外だったのはその後だった。

 

「この事業の規模が縮小されることはあり得ない。今後もっと、ずっと大きな規模に拡大されるだろう」

 その発言に驚いたヤンは、予算はどこから出てくるのですかと聞いた。

 

「まぁ明日になれば分かることだ。その時に説明する。楽しみに待っていたまえ」

 そう言われてはヤンも引き下がるしかなかった。そして翌日、朝食の紅茶をすすりながら新聞を読んでいたヤンは、とある記事を見てあっと声をあげた。

 

 

マスジット行政府、軍と協定締結──薬物撲滅の第一歩

 

 〇日、マスジット行政府は、サイオキシン麻薬の撲滅運動の一環として、軍と協定を締結したことを発表した。現在、軍ではハイネセンの軍医本部ならびに協力企業と共同で薬物追放運動を実施しており、これを行政府でも実施していく考えだ。協定の内容は、予算および人員の共同運用、治療薬製造企業の誘致、PR活動の実施等から成り──

 

 

「なるほど、少佐が言っていたのはこれか」

 そうヤンがつぶやいている中、コミュニケータに着信が入った。マルティネス少尉だった。

 

「中尉、朝早くすいません。新聞を読みましたか」

 少尉はあわてているようだった。

 

「マルティネスさん。落ち着いて。軍と行政府の協定の件ですか」

 少尉は、そうですそうですと答えた。よほど気が急いているようだった。

 

「実は私も今知ったところです。昨日の夜に少佐から今日になれば分かると言われましたが、こんなことが起きていたとは……まさかマスジットでは軍が行政府の予算を使い込むなんてことが大っぴらに行われるわけではないですよね」

 

「そんなことあるわけがありません。聞いたこともありません」

 マルティネス少尉に聞くまでもなかったな。ヤンは思った。

 

「確かに昨日基地司令が行政府庁舎に出かけて行ったと聞きました。最近足しげく通っていたようですが、司令が行政府庁舎に出かけるのは珍しいことではありませんから。ですがこんなことになっているとは」

 

「そうですね少尉。統合作戦本部がこのことを知っているのか、知っていての行動なのか、私も気になります」

 ヤンはこんな時にキャゼルヌ少佐が居れば、と思った。生憎、アレックス・キャゼルヌ少佐は後方支援本部の一員として、エル・ファシル星域に出張中である。何でも演習に帯同して補給システムの試験をするとか聞いていたが、要はしばらくの間連絡はできないということである。そういえば、仕事人間のキャゼルヌにしては珍しく、夫人の出産に間に合うかどうか、その心配ばかりしていたな。ヤンは思い出した。

 

「ですが少尉。今はまだ動くべき時ではありません。何か、軍の中枢で妙な動きがないかどうか、そこを聞き耳立てて調べてください。私と違って、少尉なら可能なはずです」

 マルティネス少尉は分かりました、と答え、中尉も気を付けてくださいと言って通信を切った。

 

 ヤンは紅茶も放置して着替えに入った。とにかく、今までの支出について再度把握をしなければならなかった。マスジットの基地内が何かおかしい雰囲気である、という違和感は、薬物治療・更生プロジェクトがおかしい方向に進みつつある、というより強い違和感に変化しつつある。この行き先を見極めつつ、自分の身の振り方も考えなければならない。

 

 だがしかし、ヤンは思った。マルティネス少尉はそんなことを気にしていたのだろうか?現在のマスジット軍基地を覆っている奇妙な雰囲気について最初に警告してくれたのは彼女である。だが、彼女はさすがに予算、それも軍医本部の予算についてまでは守備範囲外のはずだ。となると、彼女は一体何に気づいたのであろうか?

 

 

 

 その日の夜、ヤンは自宅で端末を動かして調べものをしていた。所謂、軍の端末では憚られる類の調べものである。昼間は勤務の合間に、過去決済した記録を再度確認していたのだが、それほど不審な点があるわけではなかった。例えば、発注先が特定の企業に集中している、あるいは代理店に集中しているとかである。マルティネス少尉が問題視していたサプリメントについては確かにまとまった量を購入していて、それを少量ずつ配布していたようだった。刑事第三課でも、服用している人がいることは確認している。皆、カウンセリングを受けた人だった。それでも金額的には大したことがなく、フランソワ大佐の事業におかしい箇所があると主張するには力不足であった。

 

 今ヤンが調べているのは、フランソワ大佐の過去、特に大学時代何をしていたかであった。もちろん、表向きの歴史は調べればすぐ出てくる。もともとは医学とは関係のない学問を学んでいたようだが、大学時代に交際していた女性がサイオキシン麻薬の中毒となり、急遽、薬学を学ぶようになった、ということである。そこからの動きを、世間の噂話、あまり確実とは言えないような噂話も含めて調べるということである。流石にそういう調査は職場ではできないので、自宅でこっそりやるしかなかった。

 

 検索の結果については、AIがまとめてくれていたのでそれを読むだけでよかった。まずは、学術界でのフランソワ大佐の動きである。

 

「……おや?」

 ヤンはとある検索結果に目を止めた。どうも、フランソワ大佐の交際していた女性が麻薬中毒になったのではなく、中毒になったのはフランソワ大佐の方である、という噂が流れていたようなのである。破局の原因は女性ではなくフランソワ大佐本人というわけである。となると、突然襲い掛かってきた悲劇に苦しみつつも、大変な努力の末に薬学の大家となるという「ストーリー」も修正が必要ということになるであろう。この噂が正しければ、という条件付きであるが。

 

 そして、学者としてのキャリアも、言うほど順風満帆ではなかったようである。フランソワ大佐が専攻していたのは、当然のようにサイオキシン麻薬の治療薬の研究であったが、治験を行う際に、何かトラブルが起きていたようである。これは公式の情報には書いていなかった。また、借金を抱えているだの、会社を立ち上げているだの、そういう噂もあった。確かにそうだとすると、ここ惑星マスジットで大々的な薬物治療・更生プロジェクトを推進していることも分かる。ここで、自分のキャリアを逆転したいのであろう。だが、それはヤンやマルティネス少尉が感じている「違和感」を説明してはいないのである。

 

 そして最後、AIは信頼性極めて低、と判定していたが、とんでもない噂をヤンは目にすることになった。それは、サイオキシン・スーパー・ノヴァを開発したのはフランソワ大佐だというものである。

 

 いやまさか──さすがにヤンも眉に唾をつけざるを得なかった。もしそんなことができるなら、薬学など研究せずに麻薬の製造と密売に精を出していればいいだけのことである。そちらの方が人生よっぽど楽しく過ごせるだろう。麻薬の製造と治療双方に手を出すマッチポンプという説もないわけではないが、話が壮大に過ぎる。人間一人でコントロールができるわけがない。

 

 結局分かったのは、フランソワ大佐は一筋縄ではない──それだけだった。結局フランソワ大佐が目指すものは何か、それが掴めないと捜査のやりようもない。

 

 ここは覚悟を決めるしかないか──ヤンは決意した。

 

 

 

「ヤン中尉。今日はわざわざ来ていただいてありがとうございます。三か月ぶりですか」

 フランソワのオフィスを訪れたヤンは、フランソワの盛大な歓迎を受けた。オフィスといっても、大した広さではない。奥に個人の作業机があり、側には薬棚が立ち並んでいる。手前には簡素な応対スペースがあるだけだ。ここで、結構な数の人間のカウンセリングをしているらしい。フランソワが右手を差し出す。ヤンは恐縮しながら同じく右手を差し出し、握手をした。

 

「あー。多分それぐらいですね」

 ヤンの言葉にフランソワは笑いながら、ソファーをすすめた。流石、カウンセリングの専門家だけあって、話しやすい雰囲気を作ってくれていることがヤンにも分かった。

 

「もっと、中尉とは早く話をしたかったですね。刑事三課の皆さんとはお話させてもらったんですけど、中尉は居なかったんですよね」

 

「申し訳ありません。大佐。ちょっと風邪をひいておりました」

 

「ああ。風邪は大変ですな、治ってよかった」

 カウンセリングというお題目ではあるが、内容はほとんどが世間話であった。そのことをヤンがフランソワに聞いたところ、精神的なケアというのは、とにかく患者に話させるというのが重要なのだそうだ。人によっては話す前の言語化する所でつっかえることもあり、それをサポートするのもカウンセラーの役割だ、とのことだった。ああ、もしよろしければこのクッキーを食べながらでもいいですよ。

 

「会話の重要な要素って、共感なんですよ。相手の考え方と自分のそれをある程度共有させることによって、会話を成立させる可能性が高まります。何故怒るのか、何故笑うのか、他人の感情のメカニズムを理解するわけです。でも、相手のコピーになってはいけません。それは問題の解決になりませんから。ヤン中尉の場合は……ちょっと難しいかな。悩み事がない人をカウンセリングするのは難しいんです。カウンセリングの必要がないからですね。でも、カウンセリングの門を閉ざしてはいけませんよ。いつ何時、その必要が出てくるか分かりませんからね。たとえば……そう……ご趣味は?」

 

「うーん。読書……とかでしょうか」

 さすがにほぼ初対面の人に、趣味は飲酒と答える度胸はなかった。

 

「差し支えなければ、ジャンルとか、作家とか教えていただけますか」

 フランソワの言葉にヤンはいくつかのジャンルと作家の名前をあげた。

 

「なるほど。歴史系がお好き、と。これも差し支えなければでいいですが、嫌いなジャンルとかどうでしょう?下世話な話ですけど、会話をはずませる時にいいんですよね。やりすぎは良くないですが」

 

「うーん……嫌いなジャンルはないと言いたいところですが、歴史の顔をして著者の妄想を語るような、そういう本は嫌いですね。陰謀論、って言うんですかね」

 

「ほう。陰謀論ですか。僕は好きですね。陰謀論」

 ヤンの表情が険しくなった。フランソワは楽しそうにペンを回している。

 

「そうですか。理由をお聞かせ願えますか」

 

「登場人物が理性的ですね。損得を計算して動いている。感情が入り込む余地がありません。あるとしたら、他人を操っているときぐらいですか。まぁ、大体の陰謀論は登場人物が理性的に見えている『だけ』というケースだとは思いますが。なかなか僕を満足させてくれる陰謀論は、ないですね」

 

「そういうお答えは初めてです」

 

「まぁ、冗談の類です。でも、人が理性的判断で歴史を作ってきた、というのは間違いであるというのは僕も同意します。人にはいろんな感情があって、それは時折損得を超える。たとえ、行き着く先が貧困や自らの破滅であっても、そのアクションに踏み込んでしまうということはあり得る。大昔、それは二千年以上前ですが、とある宗教ではそういう感情の爆発を罪と表現したそうですね。憤怒、嫉妬、強欲、怠惰、色欲、暴食、傲慢。いずれも感情の爆発です」

 

「暴食もですか」

 

「脳神経学の見地から言わせてもらえば、感情の発露と、人体の反応は密接にリンクしています。人体が感情に対応する備えをすることによって、感情はある程度の期間維持できるのです。人が必要を超える食欲を有する時、それは感情と、それに伴う体内物質の分泌があるのですよ」

 フランソワの言葉には澱みがない。

 

「確かに、大衆の感情によって、組織が良くない行動を取ってしまう例は歴史に数多くあります。ですが、だからといって感情そのものが問題というのは言い過ぎではないでしょうか。感情のない人間は、人間とは思えません」

 

「確かに。中尉の言うことはもっともです。ですが、古来、この感情をコントロールすることが社会的に試みられてきたことも事実です。例えば、憤怒に対しては忍耐の重要性が説かれる。嫉妬に対しては感謝の尊さが喧伝されるのです。小さな親切、大きな感謝ですよ。実際、感情のコントロール無き社会は成立しないのではないでしょうか」

 

「それはそうですね」

 ヤンは素直に感心した。

 

「例えば、誰の目にも必要性が見られない、奇怪なルールがあるとしますね。現実にそのようなルールは沢山あるわけですが。そのルールが何故出来たのか。それを追及すると、とある異常人──うーん、これは言い過ぎだなぁ。ある人の、ある意味道を踏み外した行為によるものなのです。まさに感情が成し得ることだ」

 

「確かに。そういうものは沢山ありますね」

 

「逆に、ルールがないように見えて、不文律(アンリトン・ルール)がその代わりをしていることもあります。ルールに穴があるのに、それを突くことを社会が認めない例ですね。法学の立場からすると、それはルールに問題があるのかもしれませんが、そういうのをいちいちルールで制限していくと、世間が窮屈になってしまう。一種の極論ですけどね」

 ヤンはうんうんとうなずいた。

 

「とするとですね。もし、世間が感情を抑制し、理性的に行動すれば、ルールの大部分は必要ないことになってしまうんですね。これは中尉、どう思います?」

 

「……そのようなことが可能とは思えませんが」

 ヤンは少し首をかしげつつ答えた。

 

「思考実験の一種であることは認めます」

 

「大佐。お言葉ではありますが、それは理性がルールに代替すると言っているのと一緒です。そして、理性という言語にし難い存在がルールに取って代わることは、権威主義の台頭に直結します。ルールに違反する個体に対して暴力を持ってこれにあたる、それが秩序ですが、『理性』は如何様にでも解釈できますからね。暴力を持つ人間が、掣肘されることなく暴力を振るい放題になる」

 

「いいですね。いいですね」

 フランソワはもう満面の笑みであった。

 

「アーレ・ハイネセンが遺した言葉に『自由・自主・自律・自尊』とあって、これはこれでいい言葉ですが、なかなかね。現実にするのは難しい。この四つの言葉ですが、結構人によって解釈がまちまちなんですよね。だから、これだけあれば社会が成り立つかというとそうならない。中尉なら分かると思いますが」

 

「そうですね。人によって解釈が違う」

 

「私は思うんですよ。解釈が違うのはどうしようもない。でも、解釈の幅がほんの少し狭くなるだけでも、社会はずっと生きやすくなるんじゃないかって」

 

「それは同質の集団による社会形成ということですか?なんか話が帝国の肯定になっていませんか?」

 ヤンは内心で身構えた。フランソワの本性が見えたような気がした。

 

「まさか。私はそんな極端な目的を持っているわけではありませんよ中尉」

 フランソワは笑みを絶やさない。

 

「世の中、0と1の二項で形成されているものは多分ありません。0から100、あるいは0から1000の間のどこか一点、それが山のように組み合わさった複雑系が社会です。だからこそ、ほんの少し寄り添うことが必要だと思うのですよ。ああ、遠慮なさらずともクッキーはどうですか?」

 フランソワは盆に盛られているクッキーを指し示した。

 

「いえ、ちょっと最近減量しないとな、と思ってまして」

 ヤンは断った。ある意味嘘は言っていない。兵士はもちろん、士官も対象となる定期的な身体能力測定をクリアするのは、ヤンにとってなかなかの困難なのであった。そのためには無意味に体重を増やすわけにはいかない。

 

「でも美味しそうなクッキーを目の前にしているのに食べないのは、つらいです。持ち帰って家で頂くのは、いいですか」

 ヤンの質問に、どうぞどうぞとフランソワは答えた。

 

 

 

「よく無事に帰ってこられましたね」

 マルティネス少尉は半ばあきれたように言った。ヤンとはコミュニケータで連絡を取り合っている。人の目を少しでも避けるためにそうしている。独り身であるヤンはそうでなくとも、マルティネス少尉には家族もいるし、あまりに有名人すぎるのだ。

 

「そうかもしれない。でも、フランソワ大佐は会ってみると意外といい人だった。笑顔も絶やさないし」

 上は政治家から下は詐欺師まで、そういう人間が世に溢れていることをヤンは知っている。「意外にいい人」は作れる。本人に慎重さが備わっていれば。

 

「どうしますか。大佐に感化されましたか」

 

「うーん」

 ヤンはうなった。考えてみれば、フランソワ大佐とはお喋りをするだけで終わってしまった。他人のカウンセリングで何をしているのか。あのサプリメントは何なのか。核心に触れることもできず終わってしまった。

 

「カリスマ性があることは認めます」

 ヤンはつぶやいた。

 

「人間的魅力もあるでしょう。ハードワーカーでもある。そして実績も挙げている。そもそもフランソワ大佐を疑わしいと言っているのは、自分を除けば私の知る限り、少尉だけなのです」

 

「中尉は私を信じられないのですか」

 

「事は信じる……信じない……の問題ではないと思います」

 

「というと?」

 

「フランソワ大佐は、私を試している。そんな気がするのです」

 ヤンは思い出すように話し出した。

 

「いろいろ自分もフランソワ大佐のことを調べてみたんです。それこそ、信じるに足らない噂話についてもです。いろいろありました。金銭のトラブルについてもいろいろ、いろいろありました。そこで思いついたのです。フランソワ大佐は、何故私を放っておくのだろう、と」

 

「どういうことでしょうか」

 

「噂はいろいろありました。その全てを話していると、時間がいくらあっても足りないんですが、とにかく底知れない人物であることは確かなのです。そして危ない橋もたくさん渡っているだろうことも。そしてそういう人物が辺境のマスジットにやって来た。そして基地中枢、憲兵隊を掌握した……かもしれない。自分を除いて、です」

 

「中尉はそれを偶然だと思っておられない」と、マルティネス少尉。

 

「偶然かもしれません。ですが、大佐がもし資金のことを問題だと思っているなら、何故自分を放っておくのでしょうか?大佐が何か事を成し遂げたいとするならば、そのために必要なことをするはずです。実際、刑事第三課では『何かが』起こっている。そして、費用の手続きをしているのが自分であることをフランソワ大佐は知っているはずです。なら、自分に何もしないはずがないのです」

 ヤンは手のひらに汗が滲んできていることがわかった。

 

「それは確かにそうです」

 

「となると、別の考えが浮かんでくるのです。フランソワ大佐は、とっくの昔から自分のことを知っているかもしれない。自分に興味を示しているのかもしれない。自分に何かを仕掛けようとしているのかもしれない、と。自分に対する過大評価であればどれほど良いか」

 

「……」

 マルティネス少尉は黙ってしまった。

 

「フランソワ大佐のオフィスから持ち帰ったこのクッキー。正直怖いですね。大佐は自分がこれをどうするか、読み切っていると考えるべきです。戦いは二手三手先を読んで行う、というのは常識ですが、自分はどういう打ち手が最適か、それが読み切れない。そういう意味で、少尉にお伺いしたいのです」

 

「……何でしょうか」

 

「少尉。貴方は大佐に、何を感じているのですか。いや、これは憶測かもしれませんが、貴方と大佐の間に何があったのですか」

 

<つづく>

 




次回で外伝1は最後の予定です。

外伝2があるとしたら3話ぐらい投稿して、このシリーズを締めたいと思います。
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