ーー悪徳記者の、朝は早い。

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プロフェッショナル〜悪徳記者の流儀〜

そこには、今巷で話題の新興芸能事務所を見つめる彼の姿があった。

 

ーー早いんですね

 

「ええ、はい。やはり『悪い』記事と言うのは、油断してる時間のスクープからが多いですから」

 

そう言って顔を上げた彼は、いかにも悪そうな顔で笑った。

 

ーー自分の記事が『悪い』ものであるとは自覚してるんですね

 

「そりゃあそうですよ。意図してますから」

 

ーー悪徳記者であることに、何かこだわりが?

 

「いわゆる良い記事というのは、人の目を曇らせます。都合の良い記事と言い換えていいでしょう。それによって曇った大衆を夢から覚ますのが悪徳記者の仕事です」

 

悪徳というレッテルを貼られ、後ろ指を刺されても信念を曲げない。そんな、強い志を持つ男の姿があった。

 

しかし彼は、不意に自嘲的な笑みを浮かべた。

 

「まぁ、かっこつけてはみましたけど、私がやってることといえば他人の揚げ足を取ってるだけですからね。あいにくと、誇りみたいな高尚なものは持ち合わせてないですね」

 

「あ、ここはオフレコでお願いしますね。なんせ私のような『悪徳』はそんな弱みを他人に見せてはいけませんので。……あ、見てください。アイドルが来ましたよ。くく、こんな早くから働いて大丈夫ですかねぇ。労働基準に引っ掛かってたら、誰かに悪い記事書かれてしまいますよぉ!」

 

人の悪そうな顔でほくそ笑む、悪徳記者。

その理念が誰からも理解されなくとも、彼は信念を曲げないのだろう。

我々は、そこに風評やレッテルに覆われてしまった彼の孤独を垣間見た。

 

 

 

 

彼はその後、芸能事務所からほどよく離れた喫茶店に腰をおろすと、おもむろにパソコンを取り出した。

 

「ああ、これですか。今から取材の許可を取ろうと思いましてね。その文書を書いてるんですよ」

 

ーーなるほど。随分と丁寧ですね

 

「もちろんですよ。相手に『いい記事になりそうだ!』と思って貰わないと困りますからね」

 

ーーしかしプライベートを取材するなら、隠したいことを隠されてしまうのでは?

 

「逆ですよ。これで正々堂々とプライベートを取材できるんです。あと、もしプライベート以外のことでも看過できない事態が発覚したら躊躇なく記事にしますしね」

 

ーーよく考えてるんですね

 

「こんなのはただの浅知恵ですよ。……あ、返事が来ましたよ。くくく、それじゃ、隅から隅まで取材させていただくんで、どうぞよろしく」

 

そう言うと彼はそそくさと喫茶店を後にした。今から『悪い』記事を書くための取材に行くであろう彼の背中からは、どこか歴戦の戦士のような風格が滲み出ていた。

 

 

 

 

 

午後11時、我々が指定された場所で待っていると、男は現れた。

 

ーーお疲れ様です。どうでしたか?

 

「ええ、上々ですよ。良い記事、いや、実に悪い記事が書けそうです」

 

ーーということは、やはりあの事務所は後ろめたいことがあったのですか?

 

「いえいえ、実に明るく、今の時代には珍しい非常に健全な事務所でしたよ。アイドルたちも労働基準に違反しないように労働時間外の活動はあくまで自主練でしたし、何より誰も不満を抱えていなかった」

 

ーーでは、なぜ悪い記事が書けそうなんですか?

 

「あの事務所は新進気鋭というイメージを気にして、一般的な事務所のスキャンダルになりそうなことは徹底しているようでした。例えばアイドルの精神状態の悪化や時間外労働、低賃金などの問題点はほとんど無かったです。もし私が善村記者なら、例の事務所は実に健全で素晴らしいと、手放しに賞賛するでしょう。……しかし、逆に言うと通常ならスキャンダルにならないところで大きな欠陥がありましてね。おっと、これ以上は言えませんよ。企業秘密というやつです」

 

ーーあくまでデマは書くつもりはない、と

 

「ええ、デマを書く悪徳は、長続きしませんので。私は芸能界とは末長く付き合いたいのでね」

 

ニヒルに笑う彼に、一つの質問を投じた

 

ーー悪徳であることを、辛いと感じることはありますか?

 

「辛いとは感じないですね。むしろ生き生きとしていますよ。少なくとも、良い記事書いてた頃よりはずっと健康的ですねぇ」

 

彼は少し懐かしいものを見るように目を細めた。それは本日の取材では初めて見せる表情であった。

 

ーーあなたにとって、悪徳記者とはどんな存在ですか?

 

「芸能界などの揚げ足を取り、なんてことない事をスキャンダルとして騒ぎ立て、時にはデマを使って世間を惑わせる。私自身、世間一般の認識と同じですよ。なんせ事実ですからね。……ですから、今から言うことも、ただの悪徳記者の言い訳です」

 

そう前置きをすると彼は一度目を瞑り、何かを思い出すように呟いた。

 

「765プロから始まったアイドル戦国時代。その影響は大きく、今や日本中を巻き込んだ一大産業です。しかし、我々消費者は、何も疑わずにただ享受するのが正しいのでしょうか。……私は、そうは思いません」

 

「世間では、アイドル戦国時代は765プロから始まった、と言われていますが、それは違います。真にアイドル戦国時代を創ったのはもっと以前の一人のアイドルと、一人のプロデューサーでした。彼らは瞬く間に知名度を上げ、デビューして一年ほどで海外ツアーの話も上がりました。……恥ずかしながら、今やこんな肩書きの私も当時はファンでした。彼女には、時折本当に翼が生えているかのように感じました。……彼女の所属する事務所の名に恥じないような……ね?」

 

ーーつばさ……ですか……。

 

「ええ。……しかし、何もかも上手くいっているように見えた彼らは、突然姿を消しました。当時はまだ若く、『悪い記事』なんて書いてなかった私は、色々考えたわけですよ。彼女はステージ上の笑顔の裏で何を思っていたのだろう。そして、我々はなぜ彼女のことを全く考えなかったのだろう……と。それで、思ったわけです。この業界は想像以上に繊細で、嘘にまみれていて、私たちはそのことを何も知らないのだと」

 

「だから、私にとっての悪徳記者とは、警鐘者です。輝きを前にして盲目になる大衆を現実に戻し、時にくだらないスキャンダルを起こす彼女たちは、アイドルという偶像ではなく、一人の人間であるということを思い出させるための、ね」

 

ーーなるほど、志が高いんですね

 

「いえいえ、最初に言った通りこれは言い訳ですよ。私はそんな大した人間じゃない。……少し話すぎましたね。それじゃ、私はこの辺で。なにせ、明日の朝も早いのでね……くくくく」

 

そう言って笑った彼は、静かに夜の闇へと姿を消した。

 

 

悪徳記者。

 

我々が容易く貼ったそのレッテルの向こう側で、彼は何を思うのだろう。

しかし、確実に言えるのは我々が何を考えようと、彼の成すべきことは変わらないということだ。

 

孤独を貫き、『悪い記事』を書き続け、警鐘を鳴らす。その心意気に、信念に、生き様に、彼の職業魂を見たのだった。

 

制作 NHK




徳次郎様をすこれ


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