「……あっつい」
茹だる様な暑さとはこの事を言うのだろう。
ノーホープはマフラータオルを絞って出てきた水滴を眺めながら、溜息を吐いた。
未だ五月とはいえ、グランドで練習しているとカンカン照りの直撃を喰らう。
日焼け止めのべた付く感覚もあり、吹き抜ける風も何のそのとばかりに、彼女の頬には大粒の汗が伝っていた。
練習着、ジャージの色が汗で滲んでいるところを見ると、更に吐いた息が深くなる。
「オイ!クレープ屋で激辛タイヤキが売ってるらしいぜ!食いに行こう!」
「もう何目的で売ってるか分かりませんし練習に行きますわよ!」
「やだー!釣ったマンボウを売った金でタイヤキ食べるんだー!」
授業があった後なのに、元気なものだ。葦毛のウマ娘が喚きながら引き摺られていく。
もはやあの漫才の様な出来事もここ――ウマ娘養成機関、日本ウマ娘トレーニングセンター学園では日常茶飯事となっている。
ノーホープは木陰に置いておいたペットボトルと替えのタオルを手に取ると、木に背中を預けて座り込んだ。
澄み渡る景色の先へ――青いパッケージに書かれた謳い文句を見て苦笑する。
「これを飲んで脚が速くなれば……いう事無いのになぁ」
憧れの先輩が飲んでいる飲料。彼女は願掛けの意味を込めて同じ商品を愛用していた。
中身は少しレモンの効いた清水飲料である。
最初は薬っぽさもあり慣れなかったが、一年近く飲んでいれば舌が慣れてしまう。今では普通のスポーツドリンクが若干濃く思えている程だ。
「ふむふむ、今日もその飲料か。ルーティーンとしては悪くないが、日常の変化は新たな芽を育むものだ。どうだい、この液体を一滴――」
「やめて下さい、タキオン先輩。カフェ先輩呼びますよ?」
毒々しい液体の入った試験管を嬉々とした表情で両手持ちしている白衣を着たウマ娘――アグネスタキオン。
もはや日常的に背後を取って来る先輩へ冷静に対処しながら、ノーホープは飲料に蓋をする。
実は一回薬液を飲料に混入され、ド豪い事に巻き込まれた事があったのだ。それが無くとも彼女、タキオンの専属トレーナーは週に少なくとも三日眩く発光し、四日は薄緑色に微発光している。
警戒心を露わにし、若干冷たい態度を取るのも仕方がない事である。
「待ちたまえ待ちたまえ。警備員呼ぶ感覚でカフェを呼ぶんじゃない。そもそも今日は試薬目的では無いのだよ……あぁいや、君が飲んでくれるのなら是非もなし――」
「飲みません」
「……むぅ」
拗ねている。試験管をくるくると回しながら拗ねている。まるでお菓子を買ってと駄々をこねる子供のよう。
「今日の要件はだね、君の装備の改良品を持ってきたのだよ。さぁ、喜んで薬品と共に受け取りたまえ」
「ありがとうございます薬品はお返しします」
「……むぅ、自信作なのに」
装備と薬品のどっちが自信作なのだろう、ノーホープは頼る先輩を間違えてるような気がしてならなかった。
秒で返品されたフラスコ入りの液体を太陽に晒しながら、タキオンはうっとりとしている。
そして手渡された黒い装備、ウレタンマスクの両頬部分に小型のファンが取り付けられた特注製。以前よりも重量感の減ったそれに、彼女は目を見張った。
「凄い、もう出来上がったんですね……」
「誰が手掛けたと思っているんだい?まぁ尊い被験者の犠牲はあったが、この通り軽量化と機能性の上昇を図れているよ」
尊い犠牲とは、疑問に思った瞬間、先程まで静かだったグラウンドの生徒達がざわつき始めた。
「何あれ、鳥?」
「いや緑色に光ってんだから違うだろ。ありゃあれだ、UFOだな」
「いやUFOがプロペラ付けて空飛ぶ訳ないじゃない!バカねアンタ!」
「んだとお前!じゃぁなんだよ!あのタキオン先輩のトレーナーっぽい姿の緑色に発光しながら頭にプロペラ着けて飛ぶ物体は!」
「あたしが知るわけないじゃない!」
「いや我ながら良い仕事だった。モルモットくんの頭に着いてる、あのプロペラを小型化して君の装備のファンに取り入れたんだ。是非試してくれたまえ。さてわたしは風紀委員から逃げるので、失敬するよ」
悪魔かお前は。その言葉の相手は言うが早いか一目散に脱兎の勢いで校舎へ駆けていった。流石光速の粒子という名は伊達ではない。
その後を竹刀所持の風紀委員軍団が怒涛の猛追跡。校舎に雪崩れ込んでいった。まるでサザ〇さんのエンディングのような光景。
「……もしかして、着けたら僕も飛んじゃったりするのかな」
やっぱり頼る先輩間違えてる気がする。
渡された怪しく黒光りするマスクを、思わず摘んで自身の体から離しながら、そう思うノーホープであった。