これは完結済みのウマ娘プリティダービー《Unusual world line》の番外編です

設定は当作品の物を流用しています

よく分からない、という人は前作を見てください

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https://syosetu.org/novel/264649/
(間違ってたらスイマセン)

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テンノホウオウ物語

 

トレセン学園中央の図書館室。

人気も少ない夕暮れ、もうじき部屋にも鍵が掛けられる時間、一人の老婆が座りながらじっくりと新聞のコピーを捲っていた。

 

名をシンザン。

日本競走バ史上に残る、伝説の五冠ウマ娘である。

色々な人々の思惑、事情が絡み合い、今では学園の臨時トレーナーとして参加させてもらっている。

年寄りの冷や水と本人は言うが、実際はベテラントレーナーが頭が上がらない程卓越した指導理論を持っており、若いウマ娘からの信頼も高い。

「…………」

 

「失礼します。おや……」

ドアを開けて入ってきたのはトレセン学園会長を務めるシンボリルドルフ。こちらも伝説の七冠ウマ娘である。

傍には副会長を務めるエアグルーヴもいる。

 

「シンザン殿、何を見てたのですか?」

「おやおや、もう閉錠時刻かい。時間が経つのは早いねえ」

「新聞のコピー……ですか。随分昔のものですね」

エアグルーヴが拾って拡げる。

「まあ私の現役時代に近い時のだからね。古いっちゃ古いが……」

 

「テンノホウオウ。有馬記念優勝……有名な方なのですか?」

「私の馬鹿弟子だよ。同時に、私の心に大きなしこりを残したウマ娘でもある」

「ほう、それは興味深い。シンザン殿の現役時代のお弟子さんとなればさぞ速いウマ娘だったのですか」

シンボリルドルフも興味津々という表情で聞く。

 

「聞きたいのかい? 長いよ?」

 

 

 

~『Unusual world line』外伝~

テンノホウオウ物語

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

19XX年。関西地方の、今でいうドヤ街に近いボロ長屋で一人のウマ娘が生まれる。

美しい尻尾がまるで火の鳥の様だ、という理由で彼女は空を舞う天の使いという想いを込めて『テンノホウオウ』と名付けられる。

 

だが、神や仏は彼女を祝福するわけではなかった。

ホウオウは筆舌し難い貧しい生活を送る。

父親は戦争で亡くなり、母親と二人暮らし。屋根は敷き詰める板すらなく雨が降ると家の中なのに傘が必要で、

食事は、雨水、海水、雑草、藻、粟、蛙肉、等。仕事で分けてもらったメザシがご馳走という有様だった。

 

そして唯一の肉親である母親も、極貧生活の無理が祟って栄養失調で倒れ、そのまま息を引き取ってしまう。

 

「かーちゃん……とーちゃん……わたし競走バになるよ。競走バになって、活躍して、手当もらって、天国のとーちゃんとかーちゃんを楽させてやるんだ!」

育ててくれた恩を返すため、ホウオウは競走バを目指すようになる。

たまたま休みの日、入場無料デーの競バ場に行き、そこで皆がしのぎを削りながら走り、1着の選手が観客の声援を受け、輝いているように見えたのがきっかけだった。

目指すは関東。最大規模の中央トレセン学園だった。

 

しかしここでも問題が起こる。ホウオウは貧しく、日銭を稼ぐのがやっと。中央までの片道切符すら買えない状況だった。

時は高度経済成長期。オリンピックが開かれ、新幹線が開通する、日本中が活気に満ち溢れていた時代。

……しかし貧富の差はまだまだ激しく、ホウオウは粗大ごみ置き場から使えそうなゴミを拾って売り、家計の足しにしていたのだ。

 

 

転機が訪れたのはシンザン現役時代。

この年、シンザンは皐月賞、日本優駿、菊花賞を制し戦後初の三冠ウマ娘として日本中のヒーローとなっていた。

そして関西のトレセン近辺に大きな平屋建てを褒賞として貰ったのである。

「めでたいことではあるが、針小棒大にあれやこれやと住まいの周りを騒がれるのは嫌だね……」

見事な住まいを貰ったものの、本人は浮かれる事無く至って冷静であった。

シンザンはとにかく無駄な事は何一つ喋らないメディア泣かせのウマ娘で、メディアは彼女のコメントを取るのに苦労したという。

 

 

そんなある日の事だ。いつものように早朝のロードワークに出かけようとしたところ、家の前で待ち構えていたホウオウと出会う。

これが二人の初めての出会いだった。

 

「なんだい、嬢ちゃん。サインなら悪いが後にしてくれないか? 日課の走り込みがあるんだが……」

しかしシンザンは身なりもボロなのに年不相応の鋭い眼付きを持ったその小さな娘に興味を惹かれた。

そして、こう言われた。

 

「お願いだ、シンザンさん! わたし、東京のトレセン学園に行きたいんだ! 力を貸してくれ!」

「……」

事情を聞くと既に両親を亡くし、ドン底の生活を続けながら彼女は競走バになりたいと考えていたが、行きの切符すら買えないということだ。

 

「……ちょっと待ってな」

シンザンは家にUターンし、下駄箱の辺りをごそごそと探ると、一足のシューズを持ってきた。

 

「これを、わたしに……?」

「あげるよ、それ」

「でもわたし、欲しいのはこれじゃないんだけど」

「いいかい、嬢ちゃん。競走バの世界はとてつもなく厳しい道だ。憧れだけで慣れるような甘い道じゃない。だから宿題をやろう。

そのシューズを履いて、毎日30km走り込みをしな。そうしたら、推薦状を書いてやろう」

 

シンザンは彼女の本気の目が偽りでないものか確かめたかった。

周りから見たら、体よく追い返しただけのように見えただろう。

 

 

それから数か月後。

もうじき、中央のトレセン学園で入学式が始まる時期……。

 

テンノホウオウは、シンザンの前に現れた。

 

脚は素足で、擦り傷切り傷だらけ、爪は割れて剥がれていた。

そして底が抜け、紐は切れ、装飾と皮はボロボロに剥がれ落ちた、あの時貰ったシューズを小脇に抱えて。

「あれから毎日。走り込んだ。お願いだ。わたしを学園にいれてくれ」

 

(……本当にやってくるとは……大した奴だねぇ……!)

「どうやら本気のようだね。じゃあ明日にでも私と中央に行こう。手続き諸々は通してあげるから」

彼女の本気の想いに、シンザンも心動かされ、彼女を導いてやりたいと思った。

 

そして学園に電話。中央もシンザンの注文となればさすがに断りにくかったのだろう。承諾はさせた。

「あっちで一応実技試験を受けてもらうことで承諾を得た。気合いれなよ」

「はい!」

 

そしてその日は前祝いという事で飯屋で好きなだけ注文させて、夜はシンザンの家に泊まらせた。

 

翌日、生まれて初めて乗る新幹線移動に緊張したホウオウだったが、すぐ疲れて眠ってしまった。

「すぅ……くかー……」

「こういうところは、年相応だね……」

 

 

そして行われた実技試験。これに落ちたら全てが終わる。そんな緊張感の中迎えた芝の実践を想定したレースで、シンザンは、学園関係者は、度肝を抜かれた。

 

直線は風のように走り、コーナーは全く上半身が無駄に動かないコーナリングで駆け抜ける。

たまたま見に来た学園所属のベテラントレーナーは、「入学前の時点でいじる所がどこにもない完璧なフォーム」と絶賛した。

 

 

こうしてテンノホウホウは実力で学園の人間を唸らせ、試験は見事合格。中央トレセン学園入りを果たすのである。

 

 

シンザンが帰りの新幹線に乗る前、二人は会話をした。

「シンザンさん、色々骨を折ってもらってありがとうございます」

「これが終わりじゃないよ。これからが、本当の始まりなんだ」

「はい。頑張ります。ところで、質問何ですが……」

「なんだい?」

「やはり、競走バとなったからには、目標はGⅠなんでしょうか?」

 

幼い身でありながら、食うため、稼ぐため、表彰を受けるために求めた競走バの立場である。

この世界で認められるには、ホウオウはどうすればいいか知りたかった。

 

「そうだね……。やはりGⅠ勝利は誰もが認める栄誉だ。競バ場に訪れた全観客から祝福を受け、今までの努力が認められた証。誰もが求める夢の舞台での勝利だからね……」

「……分かりました! わたし、必ずGⅠで勝利するウマ娘になります!」

GⅠ勝利。それがテンノホウオウが求める目標となった。

 

 

そして入学後、ホウオウは寮に入る。

学園での暮らしは天国だった。

練習する場所は幾らでもあり、食事には困ることがなく、毎日ベッドで寝られる。貧しい生活を続けていたホウオウは幸せを噛み締めていた。

 

そして、模擬レース、選抜レースを終えたホウオウ。彼女の素質に惚れた一人のトレーナーが付く。

そのチームでは新人ながら、新人離れした走りを見せるホウオウは期待の星となった。

 

迎えたトゥインクルシリーズメイクデビュー戦。無名ながらこれまでの活躍が期待されたホウオウは一番人気に推される。

「一番人気か。いい響きだな。これは期待に答えなきゃな」

そしてデビュー戦、見事1着で勝利し、まずは順調なスタートを切る。

 

「ようし、これからどんどん勝ち続けていくぞ!」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「新人離れした走り。華麗なデビュー戦勝利。まるでテイオーのようですね」

「……会長は本当にテイオーに甘いですね」

「まあ素質はあったんだろう。トレーナーが言っていたんだが、あいつは非常に生真面目なやつだった。もう1周と言えばもう1周走り、10km走り込めと言われれば本当にやる。

ハングリー精神に溢れ、練習は糞真面目。とにかく手を抜くと言う事を知らない娘だったそうだ」

「そんな彼女なら、デビュー戦後も勝ち続けたんですか?」

「……いや、素質や実力だけで勝てるほど競走バの世界は甘くない。あいつもすぐ壁にぶつかるようになる」

 

 

「くそっ! なんでだ! なんでだ!? あと一人、たったあと一人抜くだけで1着になれたのに、情けない……!」

その日、ホウオウは競バ場の壁を殴りながら、悔しさを噛み締めていた。

着順は2着。しかしこれはオープン戦である。1着でなければほぼ意味はない。

足踏みしている間に、どんどん靴底は擦り減っていく。ホウオウはその焦りを自分で制御できていなかった。

 

その後も健闘するものの、2着、3着、2着と、惜敗するレースが続く。

1着に固執するあまり、掛かる癖がホウオウにはあった。

そのため最後の直線で抜かれたり追いつけずに終わるレースが多々あり、その力を発揮できないまま終わってしまう。

メンタルの弱さを露呈してしまうのである。

 

負けた日は寮のベッドでうなされて眠れないことがあった。うるさいと同居人に廊下に蹴飛ばされ涙を滲ませながら横になる。

「こんなんじゃ、とーちゃんとかーちゃんと、シンザンさんに顔向けできない。勝たなきゃ、勝たなきゃいけないのに……」

 

確かに練習では完璧でもいざ本番となると脆い、そんなウマ娘は過去にも山ほどいただろう。

ホウオウはその典型例だった。

チーム一、いや、下手すれば学園一の練習の鬼なのに、心の余裕がないため、練習の成果を上手く発揮できない。

 

トレーナーもほとほと困っていた。

 

 

結局、テンノホウオウはその年、皐月、日本優駿、菊花のクラシック三戦に一つも出られないままシーズンを終える。

GⅠレースに出るにはオープン戦や重賞などで結果を出し、出場権利を貰う必要があった。それだけ狭き門だった。

ホウオウはその門をくぐる事すら出来ず敗北してしまったのである。

 

 

そんなある日、シンザンの元へ電話が掛かってきた。

「お願いします。シンザンさん、なんとかホウオウのやつを助けてやってくれませんか?」

「……私に?」

「私では力不足で、あいつの力になってあげられないんです。シンザンさんならそれができるかも、と……」

 

シンザンはそれを承諾した。

そしてホウオウを一度レースから引き離すことを決める。

 

久しぶりに見たホウオウは懺悔しきっているというほど憔悴しており、ギラギラした眼はなりを潜めていた。

シンザンは、これは時間が掛かりそうだ、と思った。

 

シンザンはホウオウを連れ、近所の道場に連れていく。

「ホウオウ。今日からおまえは道場通いをしてもらう。まずは空手から始めようか」

 

武道。現役時代、シンザンを支えていたものの一つである。

 

当時、選手を鍛えるのはまだまだ精神論、根性論が全てだった。

しかしシンザンは、それは大事だがアプローチに問題がある、と指摘する。

 

シンザンは暇さえあれば近所の道場に通っていた。空手、柔道、剣道、合気道、等……。

 

力は練習で身に着けられるが、心を鍛えるには古くから日本に伝わる修練が必要、それがシンザンの持論だった。

 

こうして心身ともに鍛えたからこそ、シンザンは大一番で極めて自然体のままレースを行う事が出来た。

それが五冠ウマ娘となった動力源であるという事はメディアを経て、日本中に伝わっていたのである。

 

 

修行が始まった。

早朝のロードワークから始まり、即朝稽古。練習をし、飯を食い、また練習。寝る前まで一時も欠かすことのない辛く苦しい日々だった。

瓦割、投げ、竹刀の素振り、瞑想、できることはなんでもやった。

 

「ホウオウ、おまえは走りの型は持っているが、心の型は未完成だ。心技体、それが一つになった時、お前の走りは完成する」

「はいっ!」

 

ホウオウは糞真面目に修行を続けた。日曜日も祭日も、大晦日も正月も、修行は続いた。

その様は、競争バというより、刀を振り続け、境地を目指す剣豪に近かった。

 

 

数ヵ月が経過し、ホウオウは修行を終え、トレセン学園に帰って来た。

トレーナーは震えた。周りのチームメイトも。

その醸し出す雰囲気は、ウマ娘というより、幾千の修行の果てに全てを極めた仙人に近かったという。

 

 

「長かった……随分遠回りをしたな……でも大丈夫。わたしの快進撃はここから始まるんだ」

そして久々のレースに出た際、ホウオウの走りは圧巻だった。

師テンザンばりの抜群のスタートダッシュやレース運びもさることながら、この頃のホウオウの走りは他の娘とは明らかに違っていた。

普通、レースの勝負所は最後の直線である。しかしホウオウはすぐには仕掛けず、周りの状況を見て好位置を取りながら、ここ、という距離を見て初めてスパートを決める。

そして周りを抜いて、あっさり勝ってしまう。そしてゴールした時も息を乱していない。つまり本気で走っていないのだ。

 

シンザンも3200mを走って平然としているウマ娘だったが、この頃のテンノホウオウもそれに似たペース配分で走っていた。

 

何よりも恐ろしいのは、レースにおける、抜きんでた『感性』だった。

この頃、ホウオウは先頭でレースを走ることが多かった。

 

逃げているのではない。インタビューで、「ここなら走っているウマ娘全てが見える。足音も鼓動も聞こえる」と豪語したのだ。

 

そして後ろのウマ娘が何処にいるか、距離は何バ身差か、スタミナはどれだけ残っているか、何処で抜け出すのを狙っているかが完璧に把握できたらしい。

このウマ娘は最後の直線のこの位置でスパートをかけるが伸びずに落ちる、このウマ娘は大外から回って最後に伸びるが残り200mでスパートをかければ抜ける、それが瞬時に分かったという。

 

別のレースではこんなこともあった。

1着でゴール板を走り、後ろを振り返る。2着と3着のウマ娘がいる。

「ふう……2着か」

「くそー、3着か……」

電光掲示板にもそう表示される。

「…………」

しかしホウオウは係員のところに赴き、

「すいません、今のレース結果だけど、3着のウマ娘は3cmほど早くゴール板に届いてましたよ。修正してください」とのたまい、後ろのウマ娘を絶句させたという……。

 

「今の私はお天道様の位置でレースが出来てる」「今の私は仏の手のひらの上からレースが見えている」

いずれもインタビュー時のテンノホウオウの言葉である。

記者はみな「何言ってるんだこいつ」と思ったが、彼女の走りの結果を見れば信じそうであった。

 

こうして負けなしのまま破竹の連勝を重ね、遂に出場権利を手にし迎えたGⅠレース。天皇賞・秋3200m。(当時は2000mではなかった)

当時は天皇賞は勝ち抜け制度があり、一度勝ったら二度と出場できなかった。

しかし前日のインタビューで、ホウオウは「わたしは師匠のシンザンさんと同じ、3:22.7のタイムで優勝する」と言ってのけ、

 

「テンノホウオウ、テンノホウオウ飛翔だ! 今一着でゴールイン! 長きに渡って苦しんできたウマ娘が、夢のGⅠレースで、遂に鳳凰となって空に飛びあがり、栄光を手にしましたー!」

結果、その通りにする。しかもタイムも寸分狂わぬものだった。

 

ワアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!

 

観客から大歓声が上がる。それに答えるホウオウ。ここまで苦しみ続けてきた分、感動もひとしおだった。

(やった……やったよ……とーちゃん、かーちゃん、見てる? 聞こえてる? わたし、遂にGⅠウマ娘になったよ……)

天を見上げる。きっとあそこで両親は見てくれてる。喜びを噛み締めながら、ホウオウは涙した。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「こうして鳳凰は天に羽ばたいたのですね」

「そうだね。デビューから実に16戦目、あの娘はようやく悲願を達成した。早熟なウマ娘が多い昨今だけど、あの娘は晩成な方だったね」

「武道を調教代わりにするというのは、シンザンさんの得意技だと聞きました」

「ああ。私はGⅠこそ5勝だが、その本番では一度も負けなかった。私の修練は、一つ先の時代を行っていたと言っていい。真似するウマ娘は少なかったけどね」

シンザンは手元から水筒を取り出し、ブラックコーヒーを一口飲んだ。

本が汚れる可能性があるため図書室は基本飲食禁止なのだが。

「だが、私は不安でいっぱいだった」

「何故です。強い事はいい事なのでは?」

「絶好調の時、あいつは私に電話を掛けてきたんだ」

 

『シンザンさん、わたし、遂に開眼しました。今のわたしは神の領域にいるんです!』

 

「神の領域……ですか」

「今でいう、ゾーンと呼ばれている状態ですね」

「それを聞いて私は複雑だった。古来より、神を目指した人が行く道は破滅しかないからね」

 

 

その日、ホウオウは関西の方に戻っていた。

やってきたのは墓園。そこに両親が安心して眠れる墓を建てたのだ。

これもGⅠウマ娘となり、賞金を手にしたからだった。当時からウマ娘のレースはギャンブルではないが、勝てばスポンサーから莫大な賞金が手に入る。

遺骨は頼んで預かっててもらっていた。それをそっと墓に入れた。そして花を生け、静かに手を合わせる。

「……とーちゃん、かーちゃん、安らかに眠ってくれ。わたしなら大丈夫。今のわたしは神の領域にいるんだ。負ける気がしないよ」

 

この時既にホウオウは間近に迎えた年末の有馬記念で勝利を確信していた。

 

 

しかし、やはり人もウマ娘も、神の領域などに永遠に留まることはできないのかもしれない……。

 

ある日、いつものように学園の練習場でダッシュをやっていた時。

ホウオウはついよそ見をしながら走ってしまった。そして……、

 

ドガアッ!!

 

「ぐあっ……!」

「うあっ……!」

なんと前方を走っていたウマ娘に気付かず衝突してしまったのだ。

車のような重量こそないものの、ウマ娘の走りは優に60kmを超える。その状態での衝突である。

走っていたウマ娘は出血し、立ち上がれない状態だった。

 

「あ……ああ……あああ……わ、わたしは、なんて……ことを……してしまったんだ……」

 

そのウマ娘のチームメイトが駆け寄り、保健室に連れていく。幸いホウオウの方は軽症だったが、とてもそれを喜べる状態ではなかった。

ホウオウは顔面蒼白、瞳孔は開き、ガタガタと震え、立つことも出来ないまま頭を抱えて半狂乱。

トレーナーに言われながら、ようやく立ち上れたものの、心ここに在らず、という状態である。

そこにはあれだけ修練を積み、精神を鍛え、自身に満ち溢れていたウマ娘はいなかった。あまりにも、あまりにもうすっぺらなウマ娘がいた。

 

「……トレーナー、……もし、これで彼女が学園を辞めることになったらわたしも学園を辞める。そして生涯をかけて償うよ……」

「何言ってるんだ! おまえは誰もが認めるGⅠウマ娘なんだぞ!」

「…………」

 

幸い、ぶつかったウマ娘は怪我こそしたものの、重症ではなく、一か月後に復帰する。だが学園にいる以上、一か月はあまりにも貴重な一か月である。

ホウオウは何度も土下座して彼女に謝った。

 

そして自身の戒めの意味も込めて、有馬記念を自ら辞退したのである。

 

問題はそれだけではなかった。

「……だめだ。あの感覚が……わたしを包んでいた感覚が、湧いてこない……」

走っても後ろのウマ娘の気配がまったく見えない。聞こえない。天から見上げているとまで周囲に言っていたあの感覚が、消失していた。

あの事件の時、ホウオウは神の領域から足を踏み外し、転落してしまったのだ。

 

翌年も、ホウオウは現役を続行する。

有馬を勝つまでは辞められない、そう思っていたからだ。

 

しかし成績は安定しなかった。

神の領域から足を踏み外したホウオウは、経験と鍛錬の成果で勝っていくが、惜敗も多かった。

 

競争バになって以来、GⅠウマ娘になることが彼女の目標だった。それが達成できた今、もう一つ何か目標が欲しい。

それが有馬記念であることは分かっている。だが成績の安定しない今の状態で有馬に勝てるのか?

ならば、目指すものは一つしかない。

 

「もう一度、神の領域に入るしかない……!」

師であるシンザンが引退し、次世代のヒーローを欲している現在の日本競バ界。その中に選ばれるにはもはやそれしかなかった。

 

妥協なき修練の日々が始まった。

早朝誰よりも早く起きロードワーク。放課後は道場に通いひたすら稽古。門限ギリギリまで走り込んで就寝。日曜日はレースに出場せず一日中鍛錬に励む。

ただひたすらに、ひたすらに、ひたすらに、練習を繰り返した。

春のレース後半を欠場し、サマーシーズンのレースにも出なかった。

 

そしてその修練の日々の成果が遂に実る時がやってくる。

秋シーズン。満を持して活動を開始したテンノホウオウは9月、GⅡオールカマ―に出場する。

 

そこでホウオウは不思議な体験をしたという……。

各ウマ娘がゲートインしていく。全ての態勢完了し、ガコン!という音と共にゲートが開いた瞬間、

 

ぷつん……

 

ホウオウの意識がブラックアウトした。

そして意識を取り戻すと、自分はゴール板を駆け抜けており、観客が歓声を上げ、他のウマ娘が呆気にとられている姿が見えたという。

 

ホウオウは、確信した。

「どうやら、再び昇り詰めたみたいだな……」

 

そこから常軌を逸したような成績を残していく。

毎日王冠、富士ステークス、アルゼンチン共和国杯を連続優勝。そのうち2つはレコード記録という活躍だった。

その時、ホウオウは自身の状態をこう語っている。

 

「お天道様の位置から自分の姿が見えるようになったんです。自分がどう腕を動かし、どう脚を使えばいいか一目で分かった。

後ろのウマ娘の位置も息遣いも走り方も全部把握できた。だからゴール板までの未来まで見えちゃってました。

それまでは、とにかく1着になればいいと思ってたんだけど、その時は1着までのレールが全部見えてましたね。だから動揺することも掛かることもなかったんです」

 

つまり走り始める前から既に自分の領域でレースを運ぶことができたというのだ。

まさに神業である。

 

 

そしてその好調をひっさげ、満を持して有馬記念に出場。文句なしの一番人気だった。

 

(もう全てのウマ娘のレールは見えた。後は目の前のレールを走るだけだ)

 

最初のホームストレッチも、向こう正面も、第3コーナーから第4コーナーも、最後の直線に至るまで、終始ホウオウのペースだった。

 

しかし、残り200mに近づいたところで、ホウオウは自身の体の異変に気付く。

(うっ……なんだ、どうしたっていうんだ!? レールが、消えていく……!)

後ろから猛烈な勢いで差してくるウマ娘の差も分からない。息遣いも聞こえない。心臓がバクバク言っている。焦りが募っていく。

「くそっ!」

慌ててラストスパートを掛ける。間に合うか……?

 

「テンノホウオウ、今ゴールイン! 鳳凰旋風ここに結実! 舞い上がった火の鳥は遂に夢のグランプリを手にして、天空に羽ばたいていきましたぁぁっ!!」

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!

 

観客から歓声が上がる。勝った。勝ちはした。しかし観客の声に答えている間も、ホウオウは自身に起きた異変のせいで気が気でならなかった。

「…………。はは、駄目だ。もう何も見えないし、何も聞こえないや……」

 

ホウオウの脚は折れていた。軽度の骨折。医者からはそう言われた。それがラストの異変の正体だった。

すぐに治る。だが、分かっていた。自分が、もはや神の領域にいないことを……。

 

「…………」

有馬記念優勝という栄光を手にしたホウオウだったが、喪失感の方が大きかった。

確かに人もウマ娘も、何かを得れば何かを失うものかもしれない。

だがこの神の領域は、自分が執念ともいえる努力の果てに辿り着いた境地である。それを失ったという現実は、ホウオウにとってあまりに、あまりに大きすぎた。

 

 

だがここで引退をすればいい話である。天皇賞を勝ち、有馬にも勝った。もう走れるレースはない筈だ。

ここまでの功労も大きい。後は悠々自適な学園生活を送って、卒業後故郷に戻ればいい。

 

だが、テンノホウオウは現役を続行する。

 

それは、レースしか自分の居場所がないウマ娘の悲しい選択だった。

自分から競争バを取ったら、もう何も残らないから……。ホウオウはトレーナーに下を向きながら、そう言った。説得をしたものの、彼女は応じなかった。

 

糞真面目に生きてきたホウオウは、セカンドキャリアという道が自分にはないことを知っていたのである。

(大丈夫……もう一度練習し続けて神の領域に昇ることができれば、やっていける筈だ)

 

だが、その選択は後に悲惨な結末を迎える。

 

 

まず、ホウオウの体に衰えが始まる。

「……! どうなってんだ!?」

これまでのように体に力が入らなくなっていた。スタミナも続かなくなっていた。走るのが苦しくなっていた。

ならば鍛錬を重ねればと普段以上の練習量をこなすが、返って自分を痛めつけ、衰えのスピードが上がる悪循環。

この頃のホウオウはもはや神の領域などと言っている場合ではなくなっていた。あれは心技体全てが一つになって初めて辿り着ける境地だ。なのにそこからどんどん遠ざかっていく。

(神の領域……神の領域にさえ辿り着ければ……くそっ! くそっ! くそっ!)

焦りは焦りを生み、徐々に精神をも蝕んでいく。神の領域という人には過ぎた味を堪能してしまったホウオウは、麻薬に溺れた人間のようにそれを求め彷徨うようになってしまった。

 

精神の安定を欠き、心の余裕を無くしたホウオウは、奇行に走るようになる。

競バ場の外ラチを蹴破る、観客席で正座しながら手を合わせ涙を流す、ゲートを破壊してスタート前に走り出して競争中止を食らう、

遂にはヤジを飛ばした観客と大喧嘩を始め重傷者を多数出す始末。

 

これには警察も駆けつけ、ホウオウを取り押さえようとするが、ホウオウはウマ娘特有の腕力で警察をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、余計に重傷者を増やしてしまう。

逃げるホウホウ、追いかけるパトカー。そして彼女が向かったのは、よりにもよってトレセン学園の寮室だった。

「やめろ! 来るな! 誰も入ってくるな! わたしを一人にしてくれ!」

そのまま立てこもるという大事件を起こしてしまう。

 

後にトレセン学園最大の不祥事となる『テンノホウオウ立てこもり事件』である。

 

その状況はテレビ中継され、全国区で有名人となっていたGⅠウマ娘テンノホウホウはその面影がない堕ちた異常人となっていた。

 

「どうします? 突入しますか?」

「いや、被害を考えればゴーサインは出せない」

 

だが、ここで偶然関東の方に用事があったシンザンが現場に駆け付ける。そして説得をしてみるので待っていてほしい、と。

 

「何やってるんだおまえは! さっさと部屋から出てこないか!」

「来るな! 入ってきたら例えお師さんであろうともぶっ飛ばす!」

聞く耳は持たない、ならば実力行使しかないね、シンザンはそう呟いた。

「鍵、開けてくれ。私が入って止める」

「そんな、危険です!」

寮長が言う。

「構わん。やってくれ」

「……。分かりました」

寮長が鍵を開ける。カチャンと音がした。シンザンは意を決して歩を進める。ドアが開かれる。

瞬間、ホウオウが襲い掛かってくる。

「うああああああっ!!」

「……!」

だが、その凶行はシンザンの体に届かなかった。シンザンは一瞬でホウオウの懐に飛び込み、投げを決める。バァァァンッ!という音と共に床に組み伏せられるホウオウ。

「うっ……ああ……あああああ……」

緊張の糸が切れたのか、我を取り戻したのか、それは分からないが、ホウオウはいきなり子供のようにわんわんと泣き出した。

「この……馬鹿者がっ……!」

 

テンノホウオウは逮捕された。暴行、傷害、公務執行妨害、それも複数となればさすがに庇い建てはできなかった。

懲役4年が言い渡された。

 

 

刑務所に入ったテンノホウホウの元に、シンザンは足繁く通った。

ホウオウは廃人の目をしたまま、ただポツリと、

「……GⅠウマ娘のテンノホウホウは死んだんです」

とだけ答えた。

「……覆水盆に返らず。零れた水を必死に盆に返そうとした結果がこれだよ。反省するんだね」

「……シンザンさん、わたし、ここを出所したら、トレーナーになりたいです」

「神の領域を他人に伝授する気かい? 止めときな。あれは人に伝搬させちゃいけない過ぎた力なんだ。若いウマ娘潰す気かい!?」

「……じゃあ、どうすればいいんでしょうか?」

「故郷に帰って、静かに暮らしな。職なら私が斡旋してやるから」

「…………」

 

そして数年後、出所したテンノホウオウは、関西行きの新幹線に乗ったところで、完全に行方が途絶えてしまう。

シンザンは彼女が建てたという墓に向かった。確かにそこには、ホウオウが立ち寄ったと思われる形跡があった。花が生けられていたからだ。

「…………」

だが、そこまでだった。彼女の行方は完全に途絶えた。

 

 

それから数年後、登山家が山中で偶然白骨死体を見つける。

警察の調べで、それが行方不明中だったテンノホウホウであることが判明した。

 

その知らせを聞いたとき、シンザンは何も言えなかった。ただ、無言のまま部屋に立ち尽くしたという……。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「そんなことが、かつてここであったのですか。知りませんでした……」

「中央トレセン最大の黒歴史だからね。揉み消されたんだろう」

シンザンは新聞をぱんぱんと叩きながら言った。おそらくその類の資料は残っていないだろう。残ったのは彼女の栄光の記事だけだ。

「しかし、GⅠウマ娘がそんな事に……末路とは恐ろしいものですね」

エアグルーヴが答える。

「そうだね。お涙頂戴の与太話にもならないネタだよ。けど……あの娘に、道を指し示してやれなかったのは、今でもしこりとして残っている……」

シンザンの不安は当たった。ホウオウは破滅した。それは今でも後悔の種なのだろう。

「ここに来て、若いウマ娘を指導するようになってから、私ゃ決めたことがある」

「何をです?」

「……今度は、間違えないつもりだとね」

「期待しています」

「ルドルフ、あの不良娘、いつ道を踏み外してもおかしくない危うさがある。きっちり見ておくんだよ」

「……承知しています」

 

(……ホウオウ、おまえさん、今何処にいるんだい? 天国で両親と会えたのかい? ……いや、違うね、地獄の底で神の領域目指して走り込みでもやってるんじゃないかい?)

 

 

 

~『Unusual world line』外伝~

テンノホウオウ物語

 

 




前作を書き終えた時、もう続編は作らないだろうと決めていたのですが、ある書物を読んで、これを軸に番外編作れたらいいな、と思い、筆がノッたので書きました。

出来は酷い物ですが、こういうウマ娘もありかな、と思います。
しかし相変わらず私の考えるオリジナルウマ娘はキワモノばっかりですね……


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