邪神さまがみてる   作:原 太

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9.3 ネーブル畑でつかまえてⅡ

 

 

「エレファント。まもなく3人がここへ、あなたを殺しに来ます。今すぐに選びなさい。ワタシの下につくなら、守ってあげます」

「……嫌だといったら?」

()対1で、()って(たか)って、あなたは(バラ)されます」

 

 

 そこで、時間切れ。

 予想の倍、速かった。

 

 

 正面の出入り口が外から蹴破られ、窓をブチ破りつつなにかが突入し、天井を砕きながら誰かが落ちて来た。

 最後の1つは、ちょっとだけ彼女も驚いた。

 いつの間にか、外壁を駆け上がり2階に侵入されていた。

 おそらく、最も脅威度が高いのはこいつ。

 たった今上から落ちて来て、姿勢を低く地を這うように着地し、瞬時に室内を見渡すその途中で目に入った彼女を『最も脅威度の高い相手』として捉えたのか、ばっちりと目が合った赤茶けた髪の女。

 格好は彼女と同じ、軍からの横流し品である標準訓練着。

 なるほど、どこも同じような状況だったらしい。

 

 と思いきや、残りの2人はそうでもないようだった。

 

 

 正面から扉を蹴破った金髪の女は、貴族の子女が乗馬の際に着るような仕立ての良いパンツスタイルに片手持ちの細剣を携えている。……きっとこいつが『武闘派貴族のお嬢さん』だ。

 

 窓から飛び込み、半回転しつつ自然に身を起こした隻腕の女は、光沢のない特殊な生地でできた真っ黒なつなぎを着用している。……あのぴっちり感には見覚えがある。あれは『人寄形(ひとよりかた)』の防刃戦闘服。ならばこいつが元番号持ち(ナンバーズ)

 

 

 彼女には『他』を確認する余裕があった。

 いきなり問答無用で殺し合いとはならなかった。

 なぜなら、他の3人も全く同じことをしていたからだ。

 

 なんとなく予想はしていた。

 外へ逃げたペニーの手下どもは彼女の予想に反して全滅していなかった。

 3人の『狩り』には連携も役割分担もなかった。掃討の網は穴だらけで、ただ目に映る『見覚えのあるゴミ』を掃除しつつそれぞれが独自に白い塔(ここ)を目指していただけ、としか思えなかった。

 

 つまりこの3人は、べつに仲間でもチームでもなんでもなく、最低限の情報共有すらない赤の他人同士。

 ただやべえやつらが偶然にも同じタイミングでここへ来た。

 そこにいきなり、予想だにしていなかった『他の女たち』が登場し、ほんの一瞬だけ空白が生まれたのだ。

 

 

 

 先に動けたのは、その『外側』にいた2人。

 来ると知っていて、事前に考える数秒があった彼女とエレファントは、ほぼ同じ行動に出た。

 

 

「――やべえぞボス! 囲まれた!」「皆でこいつを殺りましょう」

 

 

 ほんの一瞬だけエレファントの方が早く、声がデカかった。

 結局最後まで「彼女の下につく」といわなかったエレファントは、もはや彼女にとって死人だ。庇い立てする理由はない。

 

 ……だが。

 

 

「――ヒデェよボスそりゃねえよ! 俺だけ切り捨てるとかあんまりだぁ!!」

 

 

 エレファントの方が素早く追加の台詞を絞り出し、さらには声量も演技力も抜群だった。

 

 いや、さすがにそれは通らないでしょう。

 そう常識的に思う彼女だったが、今この場にはいくつかの『例外』が渦巻いていた。

 

 彼女に対する切り札として、長々と力をチャージをしていたであろうエレファント。

 きっと彼女と同じく、長期間エレファントの力の影響下にあったであろう3人の女。

 

 その2つがなんらかの相互作用を引き起こしたのか、あるいは、とっさの場面では『ただ声の大きなやつ』の言が通るという実にアホらしい現実がいつも通りに作用したのか、はたまた、3人の女の頭が底なしにくそどあほうだったか。

 

 いずれにせよ、通った。

 3人は誰が味方で誰が敵か、どうしてか迷うことなく判断した。

 

 好き勝手やってくれたクソカスとそのボスをぶっ殺す。

 

 3つの視線と殺意が一致した。

 

 先の『掃討速度』から、彼女はこの3人を侵蝕深度(フェーズ)5以上だと断定している。

 もはやここから先、言葉の挟まる余地はない。

 その1呼吸で2回は殺せる3人が今、こちらを敵視し、手の届く範囲内にいる。

 行動以外で息を吐くのは「殺してください」の合図に他ならない。

 

 

 ――よりにもよって、こんな時に。

 

 

 すでにエレファントの『切り札』対策を()()()()()()今の彼女は、万全とはいい難いコンディションにある。

 打撃の類は頼りにできない。

 掴んで固定する必要がある。

 

 先手、分断。

 

 一切の予備動作なく、完全な無拍子で。

 彼女は目の前のテーブルを蹴った。

 対面にいるエレファントごと、入り口ドアまでぶっ飛ばすつもりで全力を込めて蹴り抜いた。テーブルと一緒に冗談みたいに吹き飛ぶエレファント。

 とりあえず『武闘派貴族のお嬢さん』があのクソカスを殺している間に残りの2人を片付ける。

 まずは最も近くにいる、彼女と同じ標準訓練着姿の赤茶けた髪の女から。

 

 低く構えている為はっきりとはしないが、それでも彼女より大柄ということはない。

 ならば基本通りに。

 床を抜くつもりで踏み込む。実際にばきゃりと、耐えかねた床板がへし折れる。

 

 1歩。

 2歩で彼我の距離が死ぬ。

 

 予想に反して、相手は武器を出さなかった。

 低く沈んだ姿勢のまま、徒手で彼女の喉笛を潰しにきた。最短最速、素晴らしい判断。

 しかしそれでも彼女の方が速かった。

 相手の両手を掴み、一切の減速なしで額を鼻先にぶつける。

 

 止まることなく3歩。

 

 そのまま勢いと全体重を乗せて押し倒す。

 自分より大柄な者にこれをされると、基本的になにもできない。

 床と挟むように、もう1発頭突きを入れたところで――ばしゃりと弾けた。

 

 いいや、(ほど)けた。

 

 闇で編まれた、本人と同質の移し身。

 

 考えてみれば、道理でもある。

 彼女と同じ症状で同じようなことになっていたのだ。同じことができたとしても、なんら不思議はない。

 

 

 死。

 

 

 真後ろから来た一撃を――触れれば死ぬという直感に従い、飛び退き転がり振り向く。

 隻腕だった筈の元番号持ち(ナンバーズ)に、なぜか新しい腕が生えていた。

 しかもなんだか妙に長い。元々あった左腕の倍はある。なのに太さはそのままの、関節だけが2つ増えたかのような歪な追加部品。まるで人体を使った人形遊び。

 

 端から端まで黒一色で構成されていることから、きっとあれは『闇』を加工した義手であると断定。

 分類としては『武器形成』の範疇。だが生体のように自在に動いてもいる。初めて見るタイプ。まともに付き合ってはいけない。

 

 彼女は足下に転がる小奇麗なズタ袋を蹴り飛ばした。

 回収した現金やら金目の物を片っ端から詰め込んだだけあって、これはもはや立派な重量物。

 それを敵の頭部へ目掛け、ごく自然な動作で蹴り飛ばした。

 

 と、同時に踏み込む。

 向こうが避けようが当たろうが、やることは同じ。その隙をとる。

 

 ばっとズタ袋が破れ、中のコインや貴金属が飛び散った。

 向こうが選んだのは、長い義手による迎撃。

 正面から、続く彼女ごと打ち抜かんと放たれた異形の正突き。

 

 触れてはいけない。

 その前提で、十分な安全マージンを取って避ける。

 ズタ袋からこぼれた抜き身の刀を落下前に逆手でキャッチし、横薙ぎで迫る義手の張り手に切っ先を合わせる。

 

 ずるりと、溶けた。

 義手に触れた端から、刀身はまるで飴細工のようにどろりと液状化した。

 やはり、手の平か。

 彼女もそうであるように、大体こういうのは『手の平』が作用点となりがちだ。

 その証拠に、伸びた腕部に偶然乗ったコインは溶けていないし、手の甲に当たった宝石は弾かれた。

 つまり、作用点(手の平)以外なら問題なく触れる。

 

 さらに1歩踏み込み、張り手の内側に入りつつ手首を掴み飛びつく。両足で長い義手に絡みつくようにして自重を乗せる。

 この細さと長さ。伸び切った状態では、彼女の体重を支えることはできない。

 

 元番号持ち(ナンバーズ)ごと引きずり倒す。

 材質としては固めだが、やはり関節を模した部分は人体とそう大差ない。

 要するに、曲げれば壊れる。

 

 ごりばきぶちっ。

 

 根こそぎ機能を破壊した手応え。

 彼女と共に片膝をついた元番号持ち(ナンバーズ)が、いつの間にか残る生身の左手に持った短刀でこちらを突く。

 しかし義手は倍の長さ。その先端を掴む彼女を刺すにはおよそ半歩の踏み込みが必要。

 無理な姿勢からの刺突。直線の動き。

 

 来るとわかっているタイミングで来るとわかっている場所に来る攻撃は、どちらかというともう演舞といった方がいい。

 

 がしっと掴み、可動域を越えるまで一気に全力で回す。外れる左手首。落ちるナイフ。続けてぼとりと肩から外れて落下する義手。彼女はなにもしていない。向こうが()()()()破壊された右義手を落とした。

 彼女には、次になにが起きるか予想がついた。

 

 そりゃ壊れたなら、新調しますよね。

 

 ずるっと、彼女へ向け一直線に新たな義手が生えてくる。再構築と突きを同時に行うびっくり1発芸だが……速度自体は凡庸な上にこれまた直線の動き。

 

 念の為、足先に引っ掛けた『古い方の義手』をぶつけて軌道を逸らす。

 双方ともに同じデザイン。ぶつかった箇所は溶けてない。

 さらに念を入れて、拾ったコインをざばっと全部投げつける。

 手の平に入った1枚だけが消えて他は全て無事。やはり手の平以外は大丈夫。

 見た目も同一なことから、闇でつくる武器は1人につき1種類という原則上にあると断定。 

 

 掴み、引き寄せ、腰を入れ、背負い投げる。

 こいつは上背はあるが華奢だ。軽い。

 だから背中から叩きつけた後、さらにそのまま振り回すことができる。

 手の平に触れないよう、手の甲側から手首を掴む。

 砕くつもりで握り締め、そして、

 

 1回転。

 2回転。

 

 図体で、侵蝕深度(フェーズ)で勝る彼女と真正面から組み合えばこうなる。

 体格に恵まれた侵蝕深度(フェーズ)7にとって、近接戦とはすなわち『いつもの勝利』への筋道だ。

 

 義手の先に付く『重り』を振り回し、このまま『武闘派貴族のお嬢さん』へぶつけてやろうとしたところで――ぶちっと掴んだ手首が千切れた。

 

 明後日の方向――バーカウンターの向こうへすっ飛んで行く元番号持ち(ナンバーズ)。がらがらがっしゃーんとビンやグラスが砕ける音を背に、彼女は次へ向かう。

 

 まだ生きているのは明白だが、彼女は手負いよりもまだ無傷であろう方を優先した。

 もうそろそろ、さくっとエレファントをぶち殺した武闘派貴族のお嬢さんが「次はお前だ」とこちらに向かい攻撃を仕掛けてくる頃に違いないと思ったからだ。

 

 

「……あら?」

 

 

 しかし、その予想は外れた。

 いくらかの出血こそ認められるものの、まだエレファントは生きていた。

 それどころか、床に転がりつつも背後から両腕でお嬢さんの首を極め、もはや勝ったといっても過言ではない状態になっていた。

 ああも完璧に極まってしまえば独力での脱出は不可能だ。

 それこそ彼女のような頭抜けたフィジカルでもなければどうしようもない。

 後はそのまま絞め殺すのみ。

 普通に、勝利していた。

 

 意外な結果に驚く彼女だったが、よくよく考えればそうおかしな話でもなかった。

 

 エレファントの力は平常な状態の者には効力を発揮しない。

 きっとあれは、相手をぼこぼこにして心をへし折り『勝った』後にこそ輝く力だ。

 つまり戦闘時において、なに1つプラスはない。頼れるのは自力のみ。

 

 にもかかわらず彼は、暴力が幅を利かせるチンピラ社会で頭角を現し、旧市街有数の富豪に腹心として取り立てられた上に、今日まで五体満足で生き残った。しかも絶対に素顔は見せないという、信頼関係構築における絶大なハンデを抱えたままでだ。

 

 ……どう考えても、弱いわけがない。

 

 能力がレアで便利だから一目置かれていたわけではない。

 元々素で強いやつがたまたま便利な力を持っていた、といった方が正確か。

 少なくとも、戦闘に関する正規教育を受けたであろう『武闘派貴族のお嬢さん』を無手で制圧できるレベルにはある。

 

 

 面白い。

 

 

 彼女の中で1度は死人(ゼロ)となったエレファントに対する関心が少しだけ復活する。

 

 エレファントは微塵の油断もなく『お嬢さん』を絞め続けている。

 もうこちらは放っておいていいと判断し、残る2人にかかろうと踵を返した彼女の背にぶつけられた、声。

 

 

 ――溢れて、満ちろ。

 

 

 女の声。

 首を絞められ、声を出せない筈の『お嬢さん』の声。

 

 

 ――我が内なる銀の河よ。しろがねの潮騒よ。

 

 

 いけない。

 こういった条理に合わない現象は、本気でダメなことが始まる合図だ。

 

「――エレファント! 今すぐ首をへし折りなさい!」

 

 いわれるより早く、エレファントは全力でへし折りにいった。重心バランスが偏り逃げられるリスクを無視してでも仕留めなければと、瞬時に判断したのだ。

 勘が良い。やはり今日まで旧市街(ここ)で生き延びただけはある。

 

 しかし。

 首がへし折れるより先に。

 

 ころん、と。

 お嬢さんの目玉が転がり落ちた。

 

 いや違う。神経が繋がっていない。

 これは本物の眼球ではない。

 つるりとまん丸な作り物。義眼だ。

 

 

 ――水銀のいさおしを、今ここへ。

 

 

 その元々収まっていた箇所。

 ぽっかりと空いた眼窩から。

 

 

 ――籠の、って、あ、あ、ちょっと待って! それは次の節のやつでまだっ!!

 

 

 どばっと黒い濁流が溢れ出した。

 

 なんかやたらと『銀』を連呼してたくせに、実際に出てきたのは真っ黒な闇。

 いやそもそも人の頭蓋からそんなものが出てくる時点で特大の異常事態。

 まずい。始まってしまう。

 

「エレファント! 早く!」

「やってる! けど曲がるだけで折れねえ! 黒いのでコーティングしてやがる!」

 

 ならば自分がと、踏み出す1歩はしかし、どぷんと沈んだ。

 ……いつの間にか膝上までかさを増した闇に足を取られ動けない。

 

 

 ――ああもう! いいから全要素行進(おーるえれめんとまーち)! 同じ結末に至れ(ざぷろだずまた)!!

 

 

 ならばこれだと、足下に転がる元番号持ち(ナンバーズ)が落としたナイフを拾い全力で投げる。

 正直、今の状況で当てる自信は全くなかったが……幸運にも理想的なコースで飛んでくれた。

 エレファントが固定するお嬢さんの顔面へと吸い込まれるように直撃し、

 

 ――がぎっ。

 

 噛みつくようにして、止められた。

 

 とはいえ、鉄でできた鋭利な重量物が勢いよく飛来してきたのだ。当然、無事で済むわけがない。

 頬と口と歯が、切れて潰れてぐちゃぐちゃの血まみれになっているが……それでも止められた。止めやがった。やってくれる。仕留め損ねた。ならば次は向こうの手番。

 

 

 ――追加! 我が血に歯に舌! 闇鬼! 水銀!! 野良犬!!! ぶちまけろォぉおオオおオお!!!!

 

 

 どぷんと全方位が飽和して。

 瞬く間に視界が黒一色に染められた。

 反射的に息を止める。

 彼女は『この手の現象』に対して、いくらかの知識があった。

 知る限り最悪の最低。

 現実を思う様に塗り替えるという、アホの極みのような理外の秘儀。

 基本的に『されたらお終い』な無法の類なのだが……まだ諦めるのは早い。

 これには大きく分けて『上』と『下』の2パターンが存在する。

 

 まずは上。

 なにもいわずぽんと始まり、そのまますっと終わるのが上。説明なしの理不尽。事態を把握する頃にはもう死んでいるという笑うしかないクソの塊。

 

 次に下。

 前口上があり、その内容が『あらすじ』になっているのが下。予めほんのちょっとだけヒントをくれる、少しだけ柔らかいクソ。今始まったのはこれ。

 

 なにやら向こうにもトラブルがあったようだったが……聞こえた水銀という言葉から連想される『毒』は無視できない要素だったので、彼女は反射的に息を止めた。

 

 

 黒い。

 静寂。

 見渡す限りどこまでも――いや、すぐ目の前でわだかまっているだけなのかもしれないが、それすらも判断できない暗黒。つまり視界はゼロ。

 暗視を得て以来の久しい感覚。

 足下は変わらず沈んだまま、動けそうにない。力でどうにかなるものではないと、おぼろげながらも理解できた。

 

 ……ならば、襲いかかかって来るところを迎撃してやる。

 

 そう構えてからおよそ20秒。なにも起きない。そうこうしている内に息が苦しくなってくる。なにもわからない暗闇と漂う死の臭いが、知らず鼓動を早めてムダに酸素を消費させるような気がする。

 

 

 ――ああこれ、そういうやつですか。

 

 

 彼女は『これ』の性質を理解した。

 もし彼女の予想通りに、この闇には毒が満ちているのだとしたら……息を吸い込んだ瞬間に死ぬ。

 その上で、目を塞ぎ足を固め動くのを阻止した状態からスタートする。3分も逃げ回ればそれでオッケー。息を止めるのはそこらが限度。無理をせずとも勝手に終わる。ああなるほど闇鬼。闇の中での鬼ごっこ。ただしルールはこっちが決めるね。ペナルティも課すね。ヒントはあげるね。よっしゃ死ね! ……ちょっとクソ過ぎて戸惑うレベルである。

 

 もしやと思い、彼女はポケットからコインを1枚取り出し手を離す。いくら待っても床を叩く音はしない。やはり『これ』は音も完全に封鎖している。他の者(エレファント)と連携もできない。独力を強制される。目隠し拘束済みだけど1人で頑張れ。できるものならな。

 

 いや、ふざけんな。

 こんなの基本、された時点でもうほとんど死んでる。

 ちょっと正気を疑うレベルで酷すぎる。相変わらず最悪にタチの悪い、いかにも貴族がやりそうな手管である。やはりその名を聞いた瞬間に逃げを打つのがベストだと、改めて彼女は実感した。

 そもそも、望外の奇跡による全快についついテンションが上がってしまっていた。なんか妙に強気になってた。

 よし、次からは貴族の『き』を聞いた瞬間に撤退する。絶対にそうする。

 

 こんな幸運は2度と続かないと知っている彼女は、そう強く決意した。

 

 そう。

 幸運だ。

 幸運としかいい様がない。

 

 彼女には、既に『接続』が済んでいるエレファントの位置がわかる。

 やつは逃げ出すこともせず、ただ寝転がったままじっとしている。

 なぜか?

 きっとまだ手を緩めていないからだ。

 殺られる前に殺るしかないと、今もまだ絞め続けているに違いないからだ。

 

 なら当然、彼が絞めている『お嬢さん』の位置もそこだ。

 狙うはそこだ。

 

 

 ……うわあ。本当に悪辣ですねえ。

 

 

 よく見れば、最後に見た場所から微妙にズレた位置にいた。

 ……ゆっくりと少しずつ移動していた。

 今エレファントには動く理由も余力もない。

 ならこの移動はお嬢さんの手によるものだ。

 おそらくは、床面をスライドさせるようにして移動が可能。

 そうでもなければ、あの完璧に拘束された状態で動くことはできない。

 つまり向こうは、現状でもある程度は動ける。逃げられる。最悪である。

 

 しかしこれは、仮説の証明でもある。

 

 まだエレファントは諦めず、絞める手を緩めてはいない。

 拘束を続けているからこそ、彼ごと居場所が移動している。

 思ったよりも根性がある。とっさに息を止める機転もある。

 

 

 彼女の中で1度は死人(ゼロ)まで落ちたエレファントに対する評価が「やっぱり欲しいですね」まで回復した。

 

 

 と、そこでさらにエレファントの位置がずずず、と移動する。彼女から遠ざかる。

 ……どうやら『こちらが仕組みを理解したこと』を悟られたらしい。あからさまに逃げに入った。

 

 向こうも余裕綽々でふんぞり返っているわけではない。彼女とエレファントの息が限界を迎えるまで、絶対に逃げ延びてやると必死になっている。こうも有利な状況になってなお、彼女からの攻撃を警戒している。油断がない。攻め気がない。今すぐに動かなければ、追いつけなくなる。

 

 彼女は自身の影――真っ暗闇なので『まあここら辺でしょう』という大体の感覚――からずるりと闇で構成された写し身を立ち上がらせる。

 そう。本人が動けなくとも、こっちが動ける。

 

 ゆらりと顔を上げる、のっぺらぼう。顔も髪も服も色も全身の肉付きもない、極限までムダを削ぎ落としたコストカット版。

 おかげでロクにバランスも取れず、きっと走るのがくっそ遅いであろう劣化版。

 

 

 ……まずい。

 そういえば、長持ちさせる為にあれこれと『削った』のだった。

 

 

 写し身(これ)の形はそう簡単に変えられるものではない。

 1度壊れ全て抜け落ちるという破格の経験があったからこそ、さくっと『削る』ことができた。

 再びいつも通りのバランスに『肉付け』するにはとてつもない手間がかかる。

 当然、今そんなヒマはない。これで行くしかない。

 

 ……彼女はポジティブな要素――2つ目の幸運――へ目を向けることにした。

 

 

 濃密な闇を敷き詰めた閉鎖空間。

 この環境は研究所にあった第3実験場に近い。

 なら闇で構成された写し身(これ)が問題なく動けるのは既に実証済みだ。

 

 よし。行ける。

 

 向こうは目視が可能だと仮定して、最初から全力で駆け出す。

 多少の抵抗は感じるものの、移動自体は可能。……ではあるのだが、悲しいほどに遅い。エレファント対策の弊害もあって、どうにもフラフラした走りになってしまう。

 

 しかも予想よりも遥かに消耗が激しい。

 

 あり得ない早さで息が苦しくなっていく。すぐさま頭がぼうっとし始める。いくらなんでもおかしいと思うが足を止めるわけにもいかない。

 まずい。意識が飛びそうになってる。

 

 そこで、向こうが気付いた。

 エレファントの位置が、す、す、すと休みなく彼女から遠ざかって行く。露骨なペースアップ。やっぱり見えるのか、くそったれめ。

 少しずつ、つっかえつっかえの不恰好な逃走ではあったが、今の彼女にとっては悪夢のような動きである。

 

 このペースはまずい。追いつけない。

 

 彼女(本体)はポケットに押し込んでいた『千切れた元番号持ち(ナンバーズ)の義手』を取り出し振りかぶる。上半身の捻りと腕の振りを駆使した投法で狙いをつける。

 果たして、千切れた手の部分だけで『融解』が発動するかは微妙ではあるが……というか発動したらしたでエレファントごとじゅわっと汚ねえスープになってしまうが……こうなったらもうやるしかない。

 エレファントの反応が次に移動する予測ポイントへ向け投擲。

 

 ――するものの、彼女の手から離れた瞬間、どぷんと闇に沈んで消えた。飛び道具対策は完璧。抜かりなし。まさに貴族の仕事。1周回ってもはや清々しい。しかし諦めるわけにもいかない。

 移し身の制御に集中し、どうにかトップスピードを更新してやろうと力を尽くす彼女。そこでさらに追加される一手。すすすすすすっ! と遠ざかるスピードがさらに上がる。向こうもまた死力を尽くす。当然だ。もう彼女の息は続かない。追いつけない。死ぬ。これもまた当然だ。

 

 ならば当然、残るもう1人も死力を尽くす。

 

 不意に、移動し続けるエレファントの位置が停止した。

 

 彼女はあれこれ考えるより先に『コストカット版』を飛び込ませた。

 とにかく頭からつっ込み、ぶつかる。掴む。

 硬く筋張った男の身体。これは違う。お嬢さんではない。エレファントだ。

 がん、と肘が頬に当たる。

 これは彼女(写し身)を狙った攻撃ではない。浅い。打撃と呼ぶには不十分。

 この角度と位置関係は……。

 

 

 ――まったく、このバカは。

 

 

 彼女は理解する。

 今のは、下に向けて殴打を繰り返す為に振りかぶった肘が、たまたま当たっただけ。

 

 つまり、もう息が続かないと判断したエレファントは、それまで絞め続けていた手を離し――どうせ死ぬなら気が済むまでぶん殴ってやると、開き直ったのだ。

 

 実に旧市街のチンピラらしい、暴力的で破滅的なやけっぱちである。

 殴ったところで人はすぐには死なない。どう考えても息が尽きる方が先。

 ゆえにこれはちょっと気持ち良いだけの、消極的な自殺。

 

 しかしそのおかげで、逃げる動きは止まった。

 

 彼女(写し身)がエレファントの下敷きになっているそいつに触れる。

 柔らかい。女の身体だ。

 その胴の真ん中、胸の中心あたりに手を乗せる。

 しかしその間も、絶えずエレファントの殴打は降り注ぎ続ける。いくらかは彼女(写し身)にも当たる。逆流反動が凄まじい。危うく息を吐き出しそうになる。なにせ死力を尽くした全力の悪あがきだ。普通にめちゃくちゃ痛いし、こんな無茶な乱打はすぐに息が上がる。

 

 

 ――まったくもう! このバカは!

 

 

 エレファントの口があると思しき部分を片手で塞ぎ、そのまま後へ押し倒す。じっとしてろ。

 

 そこで5秒が経過した。

 

 女の胸の中心あたりに手を乗せてから、きっちり5秒。

 

 無音の中にあっても手触りは同じ。ただ淡々と、静寂ごと削り取るかのように。

 消失した。

 心臓や肺を含む15センチ四方が消えた。

 普通なら即死だ。

 だが手は緩めない。

 馬乗りになり、両手でがしっとお嬢さんの頭部を挟み込む。

 視界は変わらず真っ暗。

 しかし向こうが真っ直ぐにコストカット版(こちら)を見ているのが、どうしてかわかった。

 

「……不恰好な術。優雅じゃないわ」

 

 お前がいうな。

 そう思うと共に5秒が経過し、消失する。

 左右から挟まれていた頭部は完全に消滅した。

 

 

 同時に、ばしゃりと周囲を覆っていた闇が飛び散り視界が戻る。

 彼女は素早く、闇で構成された写し身を(ほど)いた。隠せるものを隠しておくのはもはや染み付いた習慣だ。

 

 咳き込みつつも呼吸を繰り返し、どうにか息を整える。

 やった。

 なんとかなった。

 だが一息つくにはまだ早い。

 まず確認すべきは――バーカウンターの向こうに飛んで行った元番号持ち(ナンバーズ)

 現状、最も速く彼女を殺せるのはあいつだ。

 

 一息でバーカウンターを飛び越え、着地と同時に発見。

 目と鼻と口から血を垂れ流し、事切れていた。

 どうやら、あの暗闇で息を吸ってしまうと、こうなるらしい。

 

 なら残るは2階にいるであろう『移し身を使う山岳の民の戦士』だけかと思えば、どがぱりんと窓がぶち破られる音。続いてずざっと着地してから走り去る足音。

 

 

「どうやら、上にいたハンナも生き残ったみたいだな」

 

 まるで当然のようにエレファントが立ち上がる。

 なかなかに際どいタイミングだった筈だが、悪運の強いやつである。

 彼女は少し考えてから……しばらく時間を置くことにした。

 

「今日はもう疲れました。続きはまたあらためて、後日にしましょう」

 

 お互いに、少し頭を冷やした方がいいだろう。

 

「他の3つのアジトにいた連中も全員始末されてます。ペニーの一派はもうお終いです。ワタシの下に来る話、よく考えておいてください」

「なんだ? 返事を待ってくれんのか? 随分と買ってくれてんじゃねえか」

「2度死線を越えたご褒美ですよ」

 

 彼女は破れて半分ほどの大きさになった小奇麗なズタ袋を拾い上げ中を見る。よし、利権所の類は無事だ。紙幣もほどほどにある。散らばった小銭を拾うのは格好悪いので諦めた。

 

 まずは……やはり正確な情報が欲しい。行くなら暗部共有のセーフハウスかな、と入り口ドアへ向け歩く彼女の背に、

 

「なあネーブル。さっきいってた『2つ持ち』のやつが、もしまだ生きてたら……俺と仲良くできるかな?」

 

 振り返らず、声だけを返す。

 

「ムリでしょうね。あの子は性格が悪いです。叩かれすぎてもうぐにゃんぐにゃんですから」

「嫌なリアリティがありやがるな。まじで同類じゃねえか」

 

 とはいえ、仲間にはなれると思う。

 決して善人ではない者同士、ほどほどにやって行くのは十二分に可能だと思う。なんなら、意外と相性が良いパターンもあり得るかもしれない。

 

 

 だから。

 

 

「なあ、ネーブル」

 

 

 だから、本当に。

 

 

「――――(ひざまず)け」

 

 

 本当に、残念だった。

 

 

 跳躍。

 最悪のケースに備えて、先に物理的に身体を運んでおく。

 こいつは物理法則までは操れない。だからこれで、なにがどうなろうとも手の届く範囲には近づける。

 

 エレファントは――硬直していた。予想外の事態に対する驚愕だろうか。

 彼女が跳んだのは命じた後。

 勝利を確信していたエレファント()の切り札は、事前準備によって紙屑となった。

 

 対策があるというのはハッタリではない。

 なんの為に、飲みたくもない強い酒を2杯も飲んだと思っているのか。

 

 

 身体ごとぶつかるようにして、組みつく。

 

 

 今の彼女に立ち技の応酬などできない。

 顔にこそ出ないが『酔って』いる今の彼女にできるのは、来るとわかっている直線的な攻撃に対処したり、フラつく前に勢いで2、3歩踏み込んだり、身体ごと纏わりついての組み技寝技固技勝負くらいなものである。

 

 もつれるように2人して転がる。

 即座に身体を持ち上げマウント()を取ろうとするが、踏ん張りが利かずべしゃっと上に乗っかるかたちとなった。

 

 ……足が思うように動かない。

 

 先の「(ひざまず)け」の効果が出ているのだ。

 アルコールや薬物による酩酊は、外部からの『強制入力』を打ち消す。一見アホみたいだがちゃんと実用レベルで有効な現場御用達のゴリ押し対抗策だったのだが……それでもゼロにはできなかったらしい。

 

 やはり彼女に対してエレファントの力は有効。どういった理屈かは知らないが、あり得ないほどのブーストがかかっている。

 だがこうして組みつき揉み合いになってしまえば、言葉を喋る余裕などない。

 

 なら後は、抑え込み締め上げるだけなのだが。

 

 

 ――あらら?

 

 

 どうしてか、上手くいかない。

 

 関節を取りにいけば抜けられ、逆に伸ばした腕が極められそうになる。

 体格差を押しつけようとすれば重心をズラしつつぬるりとかわされる。

 頭突きをカマそうとすれば首を抱えられ、これといった有効打を与えられないまま、じわりじわりと体力だけがすり減っていく。

 

 彼女はすぐさま理解した。こと暴力において、彼女はどこまでも誠実かつ真摯だ。誤魔化しはしない。

 

 

 寝技の応酬ではエレファント(こいつ)の方が上手(うわて)

 伏せ札を『複数』用意していたのは、こちらだけではなかった。

 

 

 全く想定外の事態である。彼女は汎用近接格闘術でマスタークラスまで行った数少ない1人だ。当然、グラウンドワーク(寝技)の技量も余人の及ぶところではない。

 

 しかしエレファントは、それをさらに押さえ込む域にある。

 たとえ足が万全だったとしても、きっとこの差は覆せないという確かな力量差を感じた。

 

 なぜ旧市街のチンピラが、こんな技を持っているのか。

 独力ではムリだ。きっと『大元』がいる。

 この技術を伝授した、陸軍武術師範をも上回る『何者か』がいる。

 

 

 ……まあそれはそれとして、さくっと彼女は次の手を打った。

 

 

 彼女は特別行動隊(なんでもありの殺し屋)だ。

 決して武術家や武人と呼ばれる人種ではない。

 べつに自分が最強じゃなきゃ我慢できないわけではないし、寝てる時やトイレに入っている時にさくっと殺るのが1番楽でいいと本気で思うワリとアレなタイプだ。

 

 だからなんの躊躇いもなく、ずるりと影から立ち上がらせる。

 総身真っ黒なのっぺらぼう。削ぎ落とした己が写し身。シンプルゆえに最強のやり方。誰でも知ってる強い方法。

 

 2対1でやっちまおう。

 袋叩きだ。

 

 のっぺらぼうが敵の顔面を踏み潰そうとする。首の振りだけでかわすエレファント。

 さして動揺のない冷静な反応。そういえば暗闇の中で肘が接触していた。見えずとも、もう1つ『なにか』がいると当たりはつけていたか。

 

 彼女は全身を使いがしっとエレファントの身体を固定する。のっぺらぼうが首を刈り取る勢いで足を振り抜く。避けられない。エレファントは両手で頭部をガード。ごすっと響く衝撃に反して彼女の固定はびくともしない。

 蹴りが軽い。彼女(本体)なら今ので腕を折り肩を砕けた。やはり全体バランスの調整は急務だ。

 

 不足を補おうと彼女が動く。

 頭部をガードしたということは胴が空く。心肺蘇生でもするかのように、胸の中心に両手の平を押し当て一気に押し込む!

 肋骨が折れる前に逃げられる。すぽんと彼女の下から飛び出す不自然な挙動。そんな逃げ方は通常できない。手品のタネを探るより早くのっぺらぼうが蹴りで迎え撃つ。

 

 ごぎっ、と今度こそ直撃。蹴飛ばされ逆方向にごろごろ転がるエレファント。

 その手に握られている『黒い』なにか。

 転がるにつれて、長く長く伸びていく、上方からエレファントの手に繋がっている『黒く長く柔らかい』なにか。

 

 これは……紐? いやあの太さならロープと呼ぶべきか。

 エレファントの手から伸びるそれは、天井のファン(扇風機)(超高級品)を経由して、のっぺらぼうの蹴り抜いた足に繋がっており――なぜかその足は折り畳まれていた。一筆書きに結われた2つの輪が正座のかたちに折り畳まれた蹴り足を締め上げている。

 

 一瞬で()()()、端から端まで真っ黒。闇色。

 逆算から解を出す。

 おそらくこれは、エレファントの『武器』だ。

 剣でも槍でもなく、闇で形成されたロープ。

 おそらくは、これまでの歴史上、最も人を()()()()()()()武器。

 

 すっかり抜け落ちていた。

 そういえばあの子も、珍しいタイプではあったが武器を形成していた。

 ならばこいつもできて当然か。

 

 転がる勢いが止まると同時に、黒いロープの延長も止まる。

 膝立ちになったエレファントがぐいいい、とロープを引くと、片足を吊り上げられたのっぺらぼうはそのまま天井へと吸い込まれていく。

 

 チャンスと見た彼女は、足を引きずりながらも駆け出す。

 今エレファントは動けない。

 逃げられない(まと)なら、多少酔っていようが殴れる。いける。

 

 そう思ったのだが、むしろ前に出たのはエレファントの方だった。

 肩にロープを背負い、のっぺらぼうを吊り上げたまま彼女へ向けて大きく1歩踏み込んだ。

 振り抜く前に拳が当たる。実に浅い不十分な1撃。

 しかもこいつ、殴られる方へと顔を捻りやがった。

 続く2撃目を放つ為腰を捻る彼女の首元に、ふわりと形成される黒いロープ。

 重ねて交差した輪っか部分が彼女の首を捕らえる。

 その先端を見ると、エレファントの引くロープの上流から支流のように分かれた1本だった。

 

 エレファントがぱっとロープから手を離す。

 

 このままでは、のっぺらぼう(自分の写し身)と彼女の首で、不毛極まる綱引きが始まってしまう。

 

 

 ――追加で『形成』することで、いきなりぽんと現れる。イカサマもいいところですね。

 

 

 自分の重量(ウェイト)で首を吊るなんてまっぴらごめんだったので、すぐさま写し身を(ほど)いた。

 重石が消えたので、首吊りの危機は去った。

 しかし首に巻きついたロープはそのまま。

 

 彼女は――これ以上まともに付き合ってやる必要はないと判断。

 目の前のエレファントを、がしっと抱き締める。

 彼女の首の後で、エレファントがロープの両端を握り締める。

 そしてそのまま交差し、全力で引いた。

 

 めちゃくちゃ苦しい。

 きっとここから、彼女がこう動けばこう。ああ動けばこれ。といったいくつもの定石があるのだろう。

 こいつは今日まで、この武器で生き残ってきた。

 だから当然、これまで積み上げてきた幾多のノウハウがあるだろうし、もしかしたら彼女が知らないだけで、そういった『絞め』を専門に扱うマニアックな流派でも修めているのかもしれない。

 

 ただ。

 

 彼女は特別行動隊(なんでもありの殺し屋)だ。

 決して武術家や武人と呼ばれる人種ではない。

 だからもうこれ以上、まともに付き合ってやるつもりはなかった。

 

 

 ――5。

 

 

 そこで5秒が経過した。

 エレファントの背に『五指を含む手の平で触れて』から5秒が経過した。

 

 音もなく、ただ静かに。

 

 彼女の両手に抱き締められていた彼の胴体部分が、削り取られるように『消失』した。

 

 もう支える箇所がなくなった彼の下半分が、どしゃっと床に倒れる。

 続いて首に巻きつくロープを絞める力も弱まり、残りもべしゃっと落っこちた。

 

 

「……なんだよそれ、ズルじゃねーか」

 

 

 いってエレファントは、器用に肘を使いごろんと仰向けになる。

 逆さ向きに見下ろす彼女と目を合わせる。

 

 

「あなたも大概でしたよ。なんですかあの、伸びて分かれて好きな所で形成できるロープは」

「触るだけで殺れるやつが、ナマいってんじゃねえよ。殴る必要すらねーとか、エグすぎんだろ」

 

 もう彼は完全に上と下に断たれている。

 たぶん、あと数秒だ。

 

「どうして、こんな短慮を? 話を蹴るなら蹴るで、ワタシが行ってから雲隠れすればよかったのに」

 

「あのなあ、だったら最初からここには、」

 

 そこで不意に1度、エレファントは黙ってから、

 

 

「……誰がおしえるかよ、ばあか」

 

 

 それでお終い。

 

 彼女が仲間にと望み、もしかしたら上手くやれたかもしれなかった彼は静かになった。

 

 ……過ぎたことはもうしょうがない。

 こいつは予想よりも遥かに強かった。

 残念ながら、飼い慣らせる相手ではなかった。

 

 彼女は残る最後の1人に向かおうとして……ふと最後にエレファントの顔を見ておこうと思い立った。

 

 べつに辱めたいわけではない。

 ただ、覚えておこうと思ったのだ。

 おそらくは偽名で素顔を隠し、誰にも胸襟を開くことなくそのまま死んだロクでもないチンピラにして、ある意味命の恩人といえなくもないこのクソカスのことを……せめて彼女だけは知っておこうと思ったのだ。

 きっと見ても、良い気分になることはないだろう。

 だがそれでも……誰も知らない、記憶にも残らない、完全なゼロでは、あまりにも寂しい。

 

 彼女はこれまで先に死んでいった戦友の顔は全て覚えている。

 ユートピア小隊のみんなも、過去の特別行動隊のメンバーも、1人1人全部覚えている。

 そこにこのクソカスを並べてやるのは、ちょっとサービスが過ぎるような気もするが……まあ全快記念の特別大恩赦祭だ。

 

 マスクの紐を解き緩める。

 そういえば、あの子の素顔も見たことがなかった。

 見せてくれと頼んだこともない。本気で嫌がるものを暴くほど、彼女は悪趣味ではない。

 一瞬だけ止まりそうになった手をえいやっと動かす。

 そうしてずりずりっ、とマスクを脱がせた下には。

 

 

「……いや、普通じゃないですか」

 

 

 多少垢じみてはいたものの、そこにあったのは、まだ少年の面影が残る若い男の顔だった。

 べつに美形ではないが、ことさら醜いというわけでもない。どうやらヒゲは薄いらしく、ほんの少ししか生えていない。それ以外は特に言及するところがない、どこにでもいそうなありふれた顔立ちだった。

 

 ……マスクを被っていたのはブラフだった?

 すぐさま違うと思い直す。

 顔やマスクの内側に付着した垢は本物だ。

 きっとこいつは、このマスクをほぼ外すことなく生活していた。それは紛れもない事実だ。

 

 そこで彼女は気づく。

 エレファントの顔に、垢が付着している部分とそうでない部分があった。

 その差は顕著で、肌の色が違って見えるレベルでつるりと綺麗な一帯が、顔面全体の半分ほどの割合で点在していた。

 

 まるで、そこだけがつい最近、()()()()()()かのように。

 

 

「……もしかして、治った……?」

 

 

 自分と同じ様に。

 治る筈のないものが、なんの脈絡もなくぽんと治った。

 それこそ、本人がそうだと気づかない次元であっさりと。

 

 やはり情報がいる。

 確認する必要がある。

 

 ならまずは、ここを出る前に。

 彼女は、ぶち破られた天井の穴に向かって呼びかける。

 

 

「まだいるのでしょう? たしかハンナ、でしたっけ? エレファントは殺しました。もうワタシとやり合うつもりがないのなら、下りて来てください。10秒待って下りて来ないのなら、ワタシから殺しに行きます。その時はどちらかが死ぬまで、やりましょう」

 

 

 ジャスト5秒で下りて来た。

 やっぱりいた。

 実は彼女も半信半疑だったが、いうだけいっておいてよかった。

 

「……なぜわかった?」

 

 彼女と同じ、軍からの横流し品である標準訓練着姿の赤茶けた髪の女が、こちらを見据える。

 相対して、あらためて理解した。

 やはり最も脅威度が高いのはこいつ。

 山岳の民の戦士で、彼女と同じく『多重身体』を使う廃棄型番の残り物。

 頭が壊れるまで全力で回せる、実際にやるタイプの気狂い。

 

 

「写し身だけ行かせるとか、まあ常套手段じゃないですか。みんな1度はやりますよ、それ」

エレファント(あいつ)を、何に使うつもりだった?」

「昔の部下に、ワタシやあなたと同じことができる子たちがいまして。その子たちがダメになった場合の世話係にと考えたのですが、失敗しちゃいました」

 

 いいながら、彼女は散らばったコインを拾い集める。

 

「ほらあなたも。拾って拾って」

「……なぜ?」

「山分けするからですよ。どうせ無一文なのでしょう? やっぱりお金はあった方がいいですから」

 

 そう諭すと、ハンナは大人しくコインを拾うのを手伝ってくれた。

 素直に下りて来たことから大丈夫な気はしていたが、どうやらこれ以上ムダな争いはせずに済みそうだった。

 

「そうだ。どうせならお風呂に入ってから出ようと思うのですが、ご一緒にどうです?」

 ここにはペニーが金に物を言わせてつくった最高級のバスルームが存在する。返り血や返りモツの汚れは気になるし、使わない手はない。

 

「……お前、自分で殺した死体がある家の風呂に入るとか、イカれすぎじゃないか?」

「あら、意外と繊細。じゃ、先に分けちゃいましょうか」

「いや、実は富豪のバスルームに興味がある」

 結局入るんですね、とはいわないでおいた。

 

 そうして風呂から上がった後、利権書の類は換金の伝手がないとのことなので、紙幣とコインを多めに渡して「それじゃあお元気でー」と何事もなく別れることができた。

 

 今日初めての、すんなりと話が通じる相手だった。

 おかげで、下り坂だった彼女の気分も幾分かは上向きになった。

 

 ハンナの背を見送った後、ゆっくりと彼女も正面ドアを潜る。

 実に1年ぶりの外であるが、彼女の体感的には1週間ほどでしかなかったので、これといった感慨はない。

 そこに早速、まだ昇ったばかりの朝日が「久しぶり」と目潰しを仕掛けてくる。……相変わらず鬱陶しいやつだ。

 

 

 ――テメぇのボスは死んで、特別行動隊も全滅したんだよ。

 

 

 エレファントの言葉を鵜呑みにするつもりはないが、完全にデタラメだと切り捨てるのも危険だった。

 もし事実だった場合、きっと彼女は全ての責任を(なす)り付けられて処刑される。

 書面に名前が残らない秘密部隊の元隊長の扱いなど、そんなものだ。

 

 この、望外の奇跡により賜った第2の生を、そんなくだらない些事に使うつもりはない。

 どうせ使うなら。

 

 彼女は空を見上げる。

 昨日と同じ場所に、青空を裂く黒い傷跡がないか探してみるが……もはやどこにもなかった。

 前借りされた夜の闇は、次の晩に正しく使われたのだろう。

 

 

 ……やはりまずは事実の確認が必須。

 

 

 最初に考えていた通りに彼女は暗部――特別行動隊を始めとする、書面に残らないタイプの戦闘員や工作員たち――共用のセーフハウスを目指した。

 

 本来、こういった暗部と呼ばれる者たちは、他セクションと連携することを禁じられている。

 機密の保持。裏切り逃亡の阻止。ぶっちゃけ団結されると色々面倒だから個別でバラバラでいろ。……まあクソみたいな話ではあるが、いわんとすることはわからないでもない。

 

 ただ、それでは死ぬ。

 

 個別でバラバラに活動していると、ちょっとしたミス1つであっさりと死んでしまう。他のフォローというものは誇張抜きで命を救う。

 

 だからできた。

 

 暗部同士の相互扶助を目的とした、ゆるやかなコミュニティ。

 本気の裏切りと致命的な機密の漏洩以外は許容する『大らか』なやつしか入れない、日陰者のさらに影に潜む小さな輪。自身の生存を第1の目標に掲げる、意外と真面目な目的で集った不真面目なやつらの小さな群れ。

 

 その集合場所の1つにして、やばくなった時の隠れ家。または情報交換の為のサロンでもあり、表に出せない(ぶつ)の保管場所でもあり、限界を感じた時にだらけてサボる場所でもある。

 そんな共用セーフハウスの1つは、年単位で時が経っても、変わらぬ姿のままでそこにあった。

 

 一見すると朽ちた住宅密集地の中に埋もれる1軒の空き家でしかない。

 しかしそのドアを開けるには決められた手順があり、それ以外の方法でムリにこじ開けようものなら……ノブから飛び出す毒針によって今後の人生に大きなハンデを負うことになる。

 

 最悪、手順そのものが変更されている可能性も考慮して、いつでも手を引けるよう警戒しながら上上下下――と知っている手順通りにやれば……かちゃり、と開いた。

 どうやら、そのままだったらしい。

 楽ができるのはありがたいが、年単位で同じとかセキュリティとしてはどうなの? と思いつつ中に入る。

 

 人気(ひとけ)はない。

 一応、全ての部屋を確認してみたが誰もいない。

 

 まあ、そう都合よく誰かがいたりはしないか。

 

 だが清掃は行き届いており、人の出入りがないわけでもない。

 ……とりあえず彼女はひと眠りすることにした。

 ひとっ風呂浴びたとはいえ、まだ酔いは抜け切っていない。

 ならばコンディションを戻すのが最優先。

 1番奥の部屋のベッドに入り、秒で就寝する。

 彼女が保有する能力の中で最も優れていると、かつての部下たちからの嫉妬と賞賛を欲しいままにした、どこでも一瞬で眠れる神技である。

 

 

 

※※※

 

 

 

 かちゃり、と鍵の開く音で目覚める。

 小さなはめ殺し窓の外は真っ暗。どうやら夜までぐっすりだったらしい。

 きい、とかすかに聞こえるドアが開閉する音。

 扉を破壊せず入って来るのは手順を知っているから。つまり不審者ではない。

 なので彼女は気負うことなく出迎えに行った。

 

 が、そこにいたのは見知らぬ若い男だった。

 どことなく貴族風の整った顔立ちをした、金髪を短く切りそろえた神経質そうな男。

 

 ……思えば1年も経っているのだ。新しいメンツの1人や2人いたところで、なにも不思議はない。

 閉めるドアを見ていた彼が、前方――彼女へと向き直った。

 

「え? ……デッ」

 

 あ、こいつ今「デッカ!」っていおうとしやがった。

 彼女はそんなことおくびにも出さず、にこやかに自己紹介。

 

「初めましてですね。ワタシはネーブル。王族直下の便利な影法師(非合法戦闘員)です」

 

 元ですけどね、とはいわないでおいた。

 あと彼の視線が7割方彼女の胸に固定されているのもいわないでおいた。

 

「あ、ああ。僕はデュルケム。君と同じ王族系統の潜入調査員(スパイ)だ」

 

 よろしくねと握手する。

 ふむふむ。ちゃんと武器を取る者の手だ。実によろしい。

 さらにいうなら、見知らぬデカい女といきなり鉢合わせても「使えるものは使おう」となり、とりあえず手を取るその姿勢も素晴らしい。

 

 誰の紹介で入ったかは知らないが、確かにここでやって行けるタイプの男である。

 と、そこに。

 

「ええー!! ウソ! ネーブルさんじゃん! え? なんで? 本物? いやこんなサイズはそうそう用意できないし、ええ!? 処分されたよね? それも結構前に!?」

 

 聞き覚えのある声と顔の女が、彼の後から割り込んできた。

 

「お久しぶりです、リーゼ。けど死んだ筈のやつが生きてるの、この業界あるあるじゃないですか?」

「あ、言われてみればそだね。とりあえずおかえりーネーブルさん。で、さっそくだけどイロイロ聞かせてよ。たぶんそれすっごいタイムリーなネタな気がするし」

 

 この娘はリーゼといい、さっき聞いたデュルケムと同じ王族系統の潜入調査員(スパイ)の1人だ。

 その性質上、潜入場所が変わるたびに名前が変わるのだが。

 

「まだリーゼということは、ずっと同じ場所に?」

「ええ。まだいますよ、ファルネウスに。しかもちょっと前に出世して、今やお嬢様のお側付きまで駆け上がりましたとも」

「……うわあ。未来を読むヤクザの中心部とか、リーゼあなた、もうすぐ死にますよそれ」

 

 なにせあの魔女が匙を投げるような連中だ。生きて帰れると思う方が間違ってる。

 

「いやいや、私は暗殺とか企てたりしないから大丈夫だって。私のことよりネーブルさんの――」

 

 

 とりあえず椅子とテーブルのある部屋へと移動し、あれこれと情報交換をした。

 彼女の方からは全放出、隠し事はなしでいった。

 なんとなくだが、その方が上手く行きそうな気がしたからだ。

 

「隊は全滅でローゼガルドさまが死んで、ヒルデガルドさまの妹のアマリリスさまですか」

「そ。隊の方は昨日の内にアンジーの掃除屋が死体を片付けたって。まだ確認できてないのは、マナナとノエミとグリゼルダ、あとマリアンジェラだけだって」

 

 ……隊のメンバーがまともに死ねるとは思っていなかったが、まさかボスに埋め込まれた爆弾で死ぬとは予想外すぎる。

 

「というかさ、なんでネーブルさんは弾け飛んでないの? 元とはいえ隊長とか、絶対埋め込まれてたと思うんだけど」

 

 思い当たるとすれば。

 

「ワタシは最後の最後に、自分の足でローゼガルドさまに会いに行ったんです。たぶんあの時に『回収』されていたのだと思います」

 

 ムダを嫌う魔女の性格からして、自身のリソースは厳重に管理するだろう。

 

「……いやほんと、面倒くさがらずに、ちゃんと直に会いに行っといてよかったです。本当の意味で命拾いしていたようです」

 

 まさに幸運だった。

 普段の運は悪いが、ここ1番で豪運を発揮するのは彼女の長所だ。

 

 

「ネーブルさん。僕からも聞きたいことがある。貴女がなぜ『治った』のか、なにか心当たりはあるか?」

 

 それまで黙って聞き役に徹していたデュルケムが、会話の切れ目に挟み込んだ。

 ……おそらくは『これ』が、彼の仕事にとって重要な部分なのだろう。

 全放出を決めている彼女は、惜しみなくいう。

 

「十中八九、そのアマリリスさまでしょうね」

「貴女の他にも、同じ現象は起こり得るだろうか?」

「既に確認しました。ワタシの他にもう1人『治って』いた男がいました」

「その人はどこに?」

「敵対したので、殺しました」

 

 腕を組んでなにやら考え込むデュルケム。

 そんな彼にリーゼがいう。

 

「デュルケム君さ、ここは全つっぱすべきところだよ。わかってるとは思うけどこのネーブルさん、本当に強いよ。きっと君が今まで見てきた誰よりも」

 

 いや今日だけで2回は死にかけましたけど、とはいわないでおいた。

 

「たぶんだけど、私もデュルケム君も、今回の混乱で最低でも1回は死にそうになっちゃうと思うんだ。ワケのわからないことが起こり過ぎてる。こっちで制御なんて絶対にムリ。魔女が死んで空から光が降りて来て再起不能がいきなり完全復活とか、もう意味不明すぎて笑える」

 

 言葉にするとその通りだ。

 現実というより、もはや戯劇の類である。

 

「そんな中で『事情を知ってる味方』がいるかいないかは、生き死にの分水嶺になるよ」

「……わかってる。だから僕もここに来た。僕はこんなところで死ぬわけにはいかないからな。生き残る為なら、なんだってするさ」

 

 まさにこのコミュニティのスローガンを体現するようなやつである。

 

「そういえばリーゼ、他のメンバーはどうしたのですか?」

「たぶん死んじゃったか、いったん身を潜めてるか、このどさくさに紛れて逃げたかのどれかじゃないかな。もし逃げたなら、うまいこと逃げ切って欲しいよね」

「ああ、そういえば、故郷の話をする人も結構いましたね」

 

 それならまあ、触らない方がいいだろう。

 生きていればまた会う日が来るかもしれないね、くらいが丁度良い。

 

「……いや、1人は裏切った。リオナさんは監視対象に組した。心底から、向こうの仲間になった」

 

 知らない名である。

 誰かの改名でなければ、ここ1年の新入りとなるが……。

 

「ネーブルさんは会ったことない子だよ。元詐欺師の『特赦(とくしゃ)組』で、たしか私たちとは違って軍系統だった筈」

 合ってるよね? と確認する視線を受けたデュルケムが頷く。

「そうだ。彼女は軍の情報将校子飼いの潜入調査員(スパイ)で、僕と同じ『予後調査』を担当していた。お互いの業務が同じだったから、それなりに連絡は取り合っていた」

 

 

 予後調査。

 もう()()()()集団が対象となる、残党の制御や監視が目的となる諜報活動。

 頭が消えて枷が外れた『捨て身の残党』による暴発、自爆特攻を防ぐ、ワリと本気で重要な業務である。

 

 

「そのリオナさん、一体どんな連中を探っていたんです?」

「秘匿識別名『英雄残火』……アイルトン・フレデリクセンとそれに組する一派だ」

 

 アイルトン・フレデリクセン。

 当然その悪名は彼女も知っている。

 

「あの怪物、まだ生きてたんですか?」

「もう殆ど身動きも取れない状態だったらしいが、それでも超が付く程のビッグネームだ。軍としても監視を緩めるわけにはいかなかったそうだ」

「いや、動けないなら殺りましょうよ。なにじっと見てるんですか」

「僕だってそう思うが、色々と政治的なあれこれがあったらしい。アイルトン・フレデリクセンには『病死』して貰わないと困るお偉方がいらっしゃったのだろうさ」

「……どこも似たようなものですねえ」

「ねー」

 

 と彼女に同意していたリーゼが、あれ? と不思議そうな顔をする。

 

「あのさデュルケム君。てことはリオナちゃん、アイルトン・フレデリクセンの側に付いたってことだよね?」

「ああ。今から4時間ほど前に、巧妙にカモフラージュされた軍の拠点が襲撃された。そこにいた人員は皆殺しで、リオナさんの上役だった情報将校も死亡。内部を知っている者以外には不可能な手引きの痕跡があり、使用された鍵の型番からリオナさんの裏切りが判明した」

 

 おお凄い。

 畑違いな軍部の事件な上、たった4時間前の話なのに、ほぼ完璧な詳細を得ている。

 このデュルケム君、できる。

 

「うーん、あの妙にドライなところのある元詐欺師なリオナちゃんが、もう動けない元英雄さんに、捨て身で全つっぱするかな? 実は枯れ専で惚れっぽい愛に生きる女だった?」

「……僕もそれが腑に落ちなかった。リオナさんはより良く生きる為に全力を尽くすタイプの人だったからな」

 

 そこでデュルケム君が彼女を見る。

 

「けどここでネーブルさんに会って、ある1つの仮説が浮上した。ちなみに、その情報将校が常駐していた拠点の人員は1人残らず全員『撲殺』されていた。おそらくは素手の拳打による犯行だそうだ」

「うわー。まるで勘を取り戻す為の練習みたいだねえ」

「いや、どう考えても復活してるじゃないですか、アイルトン・フレデリクセン」

 

 殺れる時に殺っておかないから、こんなことになる。

 とはいえ、こんな事態を想定しろというのは無茶な話だが。

 

「いやー、まいったねー。無差別に復活バラまくとか、ホントもう神様の気まぐれって感じ」

「これだけじゃない。まだある。僕が潜入している先もだ」

「お、とうとうゲロっちまうか? いいよいいよ、来い来い。お姉さん2人が抱いてやる」

 

 リーゼのノリには付き合わず、デュルケム君は淡々と語った。

 

「僕の調査対象は、魔術結社闇の薔薇の分派で『プトレマイオス宗派』と名乗る、追放された原理主義者たちの掃き溜めだ」

 

「うわあ。出たよ闇の薔薇」

「出ましたね、闇の薔薇」

 

 絶対に味方ではないのだが、その歴史的背景により王侯貴族からは()()()()()()()()という、こちらとしてはなんとも扱いに困る集団である。

 

「その中核となっているのは『導師』という最高位の称号を持つ破格の魔術師だ。記録上は100年以上も生きている本物の怪物さ」

「なにそれ本当にあった怖い話じゃん」

「するっと生物の限界突破するの、ホント止めて欲しいですね」

 

 彼女たちの率直な感想をスルーしつつデュルケム君は続ける。

 

「見た目は小さな老婆だが、闇の薔薇の盟主と副首領を2人同時に相手して『勝負が成立する』ようなやつだ。加齢による衰えは考慮に値しない、と思っていたのだが……」

 

 それまで滑らかに語っていたデュルケム君が、なんだかもにょもにょし始める。

 

「どうした? 同志デュルケム?」

「大丈夫ですか? 同志デュルケム?」

「それ止めろ。ここでまでそう呼ばれたくない」

 

 あ、やっぱり向こうじゃ普段はそう呼ばれてるんだ。

 

「まあとにかく、死の淵にあった『導師カラマゾフ』は何故か復活を果たした。けど、どうにも中途半端というか、ちゃんと治りきってないというか、不完全な印象なんだ」

「ふーん。治るにしても、個人差があるのかしら?」

「ワタシはすっきり全快でしたけどねえ」

 

 それは、これ以上ここで議論してもわからない話だ。

 とりあえず今は、なぜか再起不能だったやべえやつらが次々と快復しているという事実だけを共有して、今日のところはお開き……となりそうだったところで。

 

「あ、そうだネーブルさん。もう関係ないかもだけど一応ね」

 

 と前置きしたリーゼが、

 

「実は今日になってペニーの死体が見つかってさ。なんでも昨日の晩に、幹部たちが一斉に蜂起して殺されちゃったんだって」

「……そうだったのですか? エレファントは1人で『白の塔』にいましたけど」

「そのエレファントだけがハブられてたみたい。むしろペニーと一緒に始末されそうになったけど全部返り討ちにして、裏切った他の幹部たちを皆殺しにしたっぽいね。現場の死体は全部『首が捻れてた』そうだし」

 

 たしかにそれは、エレファントの仕事のように思える。

 

「そんな状況だったなら、ぐずぐずせずにさっさと逃げればよかったものを」

「だから逃げる前に回収しに来たんじゃない? 1番のお気に入りを」

「こんなデカくて目の細い女を? あり得ませんよ」

「ま、もう本当のところは誰にもわかんないけどね」

 

 そこで、そろそろ2人とも『それぞれの潜入先』に戻る時間が迫ってきたらしく、今度こそお開きとなった。

 

「それで? これからネーブルさんはどう動くの?」

「そのアマリリスさまに、助けて頂いた恩を返したいと思っています」

「あら意外。もっとこうローゼガルドさまを引きずるかと」

ローゼガルドさま(あの方)に仕えていたのも恩返しでしたからね。あの方の尽力がなければ、ユートピアの遺児たちはもっと悲惨なことになっていました」

 

 それこそ、命を差し出してもお釣りが来るレベルの大恩だった。

 

「あ、そっか。1度壊れるまで働いたから、もうそっちの義理は果たしたんだ」

「ええ。直々に『おやすみ』の言葉も頂戴しましたし」

 

 それに、と彼女は続ける。

 

「どう考えても、次に『くる』のはアマリリスさまじゃないですか。折角最高の勝ち馬との縁ができたんです。恩も返せて勝つ方にもつける。そんなの、やるに決まってるじゃないですか」

「わわっ。急に野心見せてきたよ。……上手くいったら私も入れてね」

「なんだか危ういな。普通に身を滅ぼしそうだ。……上手く取り入った暁には、この僕も力を貸そうじゃないか」

 

 流れるように勝ち馬に乗る。

 まさにこのコミュニティのスローガンを体現するような2人の言動に、思わず彼女もにっこりである。

 

 

 

※※※

 

 

 

 そうして彼女は2人と別れ、これからの具体的な活動内容について考える。

 

 なにをするにしても、まずは拠点が必要だ。

 幸いにも、かっぱらった利権書のほとんどは建物関連のものだったので、拠点となる物件の候補はいくつもあった。

 

 ……よし。

 1つを拠点と決めたなら、残りの利権書は全てあの2人に渡し『共用資金としてプールしておいて』のパターンでいこう。

 うま味と現物の暴力で、2人の中の彼女の価値をぎゅんぎゅん上げておこう。

 

 ……などと考えを巡らせていた彼女が、ばっと弾かれたように振り返る。

 

 反応。

 感アリ。

 といっても、ペニーの残党ではない。

 

 これはそんな、しょうもないものではない。

 これは、かつての彼女の部下固有の、作戦行動中でも一瞬で判別できるようにした特別製。

 

「……ふふっ」

 

 思わず笑いがもれる。

 自然と駆け足になる。

 

 間違いなくこれは、目覚めてから1番嬉しい出来事だった。

 

 走る。

 走る。

 

 そう。

 

 この業界では、死んだ筈のやつが生きてるなんて、よくある話なのだ。

 

 

 







TIPS:山岳の民の戦士たち

一昔前に英雄、アイルトン・フレデリクセンの活躍により山岳部が平定された後、軍組織に組み込まれた。
しかし彼らは今も「我らは山岳の民の戦士である」と主張し続けているので皆そう呼ぶ。
べつに所属が軍であるだけで、山岳の民であり戦士であることは事実なので、嘘は1つもいってない。
きっとそう名乗るのを禁止すれば自滅覚悟の一斉蜂起が起きるので、各所からはするっとスルーされている。



TIPS:没落した武闘派貴族のお嬢さん

王侯貴族が大陸に『再上陸』した際に、あえて辺境に居座ることを選んだ『錬金術師』を標榜する秘密主義の偏執狂たち。その系譜。
脳を宇宙の縮図と捉え、自身を『可動式錬金釜』と位置づける、そりゃまあ辺境に行くしかないよねと納得するしかない連中の末姫。殴り合いもできる喧嘩錬金術師。
彼らは常に身内で殺し合いをしているので、原則的に誰も触ろうとしない。おかげでガラパゴス的な技術のブレイクスルーが起きているのだが、結局はずっと内輪で殺し合ってるし、野心とかなさそうだし、まあ実験場(大陸)だしこっちも忙しいしべつにスルーでいっか! となっている。
おそらく彼女は争いに敗北し、売っ払われたのだろう。

本編で使用したのは、空間錬成5重奏。
構成要素はそれぞれ、闇鬼(概念を借用したコストカット)、水銀(毒素)、野良犬(すぐ息切れする追体験)。それにプラス即興で自身の血を潤滑油に、折れた歯(固定の強度補強)、切れた舌(話せない、無音)までも織り交ぜた、あの場で彼女の出せる全身全霊だった。

元特別行動隊隊長ネーブル、エレファント両名と交戦し死亡。



TIPS:特定因子の活性化による身体の異常

出生時には既に症状が顕在化しているケースと、第二次性徴開始時に症状が顕在化するケースの2パターンが存在する。エレファントは生まれつきだった。

ニニィが『夜の母(ナイト・マム)因子』と呼び、理論上は発生している筈だと網を張っている2つ目の探し物。貴種(ノーブル)基準のスペックがなければ身体が耐え切れず、未発見者は漏れなく死亡しているとニニィは考えているが、実際にはごく低確率で生存者がいる。
性別を問わず発現するが、やはり女性の方が馴染みが良く各種スペックは高い。

まだ誰も認識していない、夜の母(ナイト・マム)の出来損ないたち。



TIPS:エレファント

軍を脱走し流れ着いた旧市街。ところ変われどなにも変わらぬ『化物退治』と称する集団リンチ。殺される寸前だった怪物(少年)の前に立ち塞がったのは、やせ細った半死の中年男だった。失せろおっさん邪魔すんな。少年が最後の矜持を吐き出した時にはもう既に、そこは死体置き場となっていた。それは、病んでもなお隔絶の域にある武の神だった。
「男のツラなんぞどうでもいいわ」と吐き捨てるそのみすぼらしい武神の名は、アイルトン・フレデリクセン。少年の人生で初めての先生であり師匠であり、仰ぐべきただ1人の英雄である。

もはや起き上がることすらできなくなった師の延命に、彼は稼ぎの大半をつぎ込んでいる。
いつか必ず、奇跡は起きると信じて。

本名は捨てた男。女の好みは色々とデカい女。元特別行動隊隊長ネーブルと交戦し死亡。
上網走改伝流兵法(かみあみばしりかいでんりゅうひょうほう)傍流弐ノ壱象挫(ぞうひしぎ) 初伝。



TIPS:上網走改伝流兵法(かみあみばしりかいでんりゅうひょうほう)傍流弐ノ壱象挫(ぞうひしぎ)

彼の特性を最大限活かすべく、苦痛を与え恐怖を煽り心を折るを主目的とした、組み技、固技、寝技に加え、固有の武器である縄を用いた捕縛術をミックスした近接格闘術。
正統や宗派に強い嫌悪感を抱いているアイルトンは、しばしこういった悪ふざけのような『独自傍流』を勝手に作成しバラまくという、くだらない嫌がらせを行った。
しかし本物の強者たる英雄が多少なりとも頭を使って考案されたそれらは、傍流の一派として過不足なく成立し得る完成度を誇るのだから始末に負えない。
ちなみに『象挫(ぞうひしぎ)』とは、最終的にそれくらいはできるようになれ、という冗談まじりの無茶振りである。

てめえくそじじい頭までイっちまったんか? できるワケねえだろが。
そう悪態を吐いた、まだ何者でもなかった若く醜い化物は。
その目標を己が名としたことで、初めて人になれた気がした。


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