はじめに。
こっちサイドの面々は久々に登場するので「誰だっけ?」「なんだっけ?」となった時のおさらい用にミニ用語集を用意しました。
いくつか本編では出ていない情報もありますが、基本的に知らなくても本筋の理解に問題はないと思いますので、読むのが面倒だったりいらねえ場合は本編開始位置までスクロール推奨です。
[A&J大陸総合商社]
最も成功したチンピラたち。社外秘の『副社長案件』に従い、代表兼警備部長のミゲルと新入社員であるマナナを送り込むことで、めでたく旧市街に根を張ることに成功する。
旧王家現当主ヒルデガルドと協議しエルダ商会を吸収合併した。
ミゲル
A&J大陸総合商社代表兼警備部長。
[エルダ商会]
元は特別行動隊の隠れ蓑として設立されたダミーカンパニーだったが、魔女の差配で失脚者や知能犯罪者の流刑先となった。誰もが忌避する各種業務を積極的に請け負う懲罰人事の受け皿。特別行動隊隊員の管理も業務に含まれる等、1歩間違えれば即死する案件がごろごろ転がっている死亡率が高い危険な職場。なので
[エルダ商会メンバー]
各々のセクションごとに数名から数十名の部下や手下を抱える中間管理職たち。
アダーモ
エルダ商会前会長。嫌われ者ではあったが、ギリで許容できる範囲内でばっちりヘイトコントロールをしていたバランス感覚に長けた悪党。
マリアンナ
魔女直轄の監視係。アンジー曰くクソ女。基本的に全方位から嫌われていたが、それが仕事だと開き直るタイプ。幼少期から魔女に仕える直轄の中でも最古参の古株。特別行動隊隊員マリアンジェラの妹。一応姉の担当官ということになってはいたが事実上の免除枠。ノエミの黒鷹無双フリーフォールにより死亡。
ボナ
ミロ
マネーロンダリング部門担当。若手営業マンのような、きっと現代日本ならツーブロックだったに違いない活発そうな青年。闇々詐欺で逮捕され処刑されるところを魔女に拾われた特赦組。特別行動隊隊員ギャロの担当官。ちゃんと話のできる普通の悪党。
レーモ
流通部門担当。巨額の横領がバレて飛ばされて来たふとっちょおじさん。逮捕ではなく『急な人事異動』に持ち込めるコネと手腕の持ち主。こういう『厄介な奴』の処分先としてもエルダ商会は重宝されている。特別行動隊隊員ノエミの担当官。コミュ力が高いので関係は良好。甘いものが好きな悪党。
アンジー
衛生管理、廃品回収部門担当。清掃チームのリーダー。後天的な機能障害により声が出せない。脱走兵としての懲罰と魔女の差配によりエルダ商会へ。
自身を清楚に見えるようセルフプロデュースし、喋れない事実と合わせることで甘い汁をすすろうとする悪党。
実は最近喋れるようになったが、周囲にはその事実を隠している。特別行動隊隊員グリゼルダの担当官。数多くの秘密を抱えている初代
[清掃チーム]
ワリとポンポン死人が出る旧市街において死体の放置は疫病蔓延の原因となり得るので、その回収および無害化(焼却、埋葬)を衛生管理の名目で一手に押し付けられている厄所。各セクションからはみ出した者たちの終着点。広大な旧市街全域をカバーする必要があるので、全セクションの中で最も人数が多い。
実はチーム内に『死後24時間が経過した死体の位置がわかる』血の色の持ち主がいて(アンジーに続くNO2)、届け出が確認できなければ、通報なしでも24時間後には現着する怖いやつら。戦闘力はさほどないので無理はしない現場ワーカーたち。
ちなみにNO3は『飲料水を死臭を完璧に流す水に変換する』血の色の持ち主。
[特別行動隊]
魔女の私設部隊。表向きには存在しない殺し屋集団。常識を遥かに超えた実力を持ちながらも通常の軍隊では『損害の方が大きい』と判断された破綻者や異常者、あるいは表には出せない実験成果の寄せ集め。魔女のおもちゃ箱。
[レストラン、エルダーエルダ]
魔女の気まぐれで始まった、特別行動隊の中でも人前に出せる『表班』によって運営されていたレストラン。プロ級の腕の持ち主が2人いたので意外にもうまく行ったまさかの成功例。マナナはホール担当、ノエミは厨房担当だった。
主に魔女が関与する真っ黒な裏取引の会合場所として使われた高級店。
[特別行動隊のメンバー]
既にその殆どは死亡しており、生存者はごく僅か。
マリアンジェラ
マリアンナの姉。性格以外に欠点のない本物の才人。頭がキレる上、前隊長ネーブルと組み手をして3回に1回は勝つ物理暴力の強さに加え、当然のように魔術の腕も一級品。こいつ1人いれば大体の事が引っくり返される外れ値。共食い工作で『魔術結社闇の薔薇』を担当していたが、どうやら向こうでも相応に高い地位を持っていたらしい、裏切りと陰謀でむせ返る向上心の塊。
魔女の爆弾とアマリリスが『足した』ノエミの超黒鷹逆バンジーというトリプルコラボレーションにより死亡。
逆説的に、ここまでしなければ仕留めることができなかった大敵。
マナナ
アマリリス曰く、サーファーギャルが起業して社長になった感のあるギリ10代っぽい気の強そうな女の子。
精神的には(隊内では)実にまともなので担当官はなし。むしろ他担当官からフォローを頼まれることが多い。
定期の報告書には『最高傑作』や『完成品』といった言葉が並んでいるが、これは特別行動隊に対する疑惑や脅威論を抑制する為の誇張であり、実際にはその直情的な性格と良くも悪くも情に厚いところが合わさり制御不能になることが稀にある危険分子。なので魔女にはさくっと切り捨てられた。
識別名、概念式集光レンズ2型。兵科は狙撃兵。なのにインファイトもできる特異個体。
明るく真っ直ぐな性格ではあるものの、何気にノンデリ発言が多いA&Jの新入社員。
ノエミ
アマリリス曰く、目の下の深いクマが不健康かつ病的な印象を与える、なんかメンタルに問題を抱えていそうな高校生ぐらいの女の子。
マナナに依存している元特別行動隊隊員。多重身体(鷹)を繰る偵察兵。鷹の名前はタッカー君。
アマリリスに『足された』ことにより鷹の数が増え出力が増大した。初見の相手には黒鷹無双落下死フェスティバルができる。
やることが多すぎてロクに睡眠時間が確保できていない為、目の下のクマは相変わらずそのまま。
メンタルはヘラりがちだが、実は特別行動隊内ではトップクラスに頭が良いA&Jの新入社員。
グリゼルダ
アマリリス曰く、くすんだ金髪のくせっ毛ショートヘアが素敵な、ノエミよりもさらに若く見えるぱっちりお目々のガチな美少女。
数で押す飽和系と姿を消す隠密系の複合型多重身体を得意とする前線要員。基本的に、正面からの殴り合いで勝つのはほぼ不可能な存在。
マナナとノエミの友人である副隊長バンビに関する一件で、マナナとの間に大きな確執がある。
アマリリスの護衛となることで共に娼館勢力へと身を寄せ、オーナーであるターナから特権的暴力装置の証たる『白服』を与えられた。
「ガラをかわす、ですか?」
馴染みのない言葉だが、聞き覚えはあった。
たしか……元々は『身
「どこかへ逃げる……
「そうだ。できるだけ早く――明日の朝には発つ」
エルダ商会別館3階、その奥まった場所にあるそこそこ豪華な会長室。
前会長アダーモの死亡により主が不在となったこの部屋は今、新たな会長となったミゲルがそのまま使用している。
斬首という凄惨な最期を迎えた前会長の部屋など普通は嫌がりそうなものだが、新会長はそんなのちっとも気にしないらしく「死んだ奴にびびるのは死んでからにするのがハッピーに生きるコツだ」そうだ。
そんなハッピーボスに「2人で来い」と呼び出された彼女とノエミは、1度だけ目を見合わせてから……少しだけ寂しさを滲ませつつ口々にいった。
「ミゲルさま、なにやらかしたんすか? 随分と雑に足がつきましたね」
「まだ来たばっかなのにもう飛ぶとか、まさにお星様なアウトローだね」
「いや俺じゃねえよ。ノエミ、お前だ」
デスクに両足を乗せたまま、両手で大袈裟にノエミを指した。
「え? 私が飛ぶの?」
「そうだ。つっても、まあ精々1、2週間ってとこだろうが」
「じゃあ、わたしもですか?」
反射的に彼女は聞くが、
「いや、マナナはいい。ノエミだけだ」
とすると。
彼女は隣でなにやら考え込んでいる、レストラン『エルダーエルダ』のデザート部門担当者に尋ねる。
「……ノエミ、なにかヘマした?」
「ううん。残りはぜんぶ捨て値で流したし、日付は1月前で名義は
ベタではあるが堅い手だ。なら原因はこれではない。
「いやお前ら、
これは基本的に無給だった特別行動隊内で『装備の補給と拡充』の名目で日常的に行われていた小遣い稼――裏技だ。
しかし魔女が消えA&J傘下となった今、もう同じやり方は通用しないと考えた彼女は、そっとこの裏技をフェードアウトさせることにした。
「むしろ逆っすよ。正常化に向けた店じまいの在庫処分です。ある筈のない物を自然に返しただけというか。……ミロあたりから聞いてませんか?」
当然ながら独断ではない。既に事務方とは相談済みだ。とっくにボスまで話は通っていると思っていたのだが……。
「あー、言われてみりゃなんか報告にあったなそういや。つかお前ら、書面に残せない活動が多すぎんだよ。
まあワリとガチな掃き溜めっすからねえと彼女は曖昧に笑っておいた。
その奥底に今も眠る、見ただけで目が腐りそうな厄ネタの後始末になんて絶対にかかわりたくない。だから触らない。言及しない。
同じ気持ちのノエミが、すすっと話を進める。
「ミゲルさまのこと、レーモんが褒めてたよ。新しいボスはクソの塊をケーキの形に整えて人前にお出しする天才だって。あと色をつけるのも上手いとか」
「ふざけろ。誰がう〇こ細工職人だ? ンなモンになった覚えはねえよ。明日の朝には俺も一緒に発つ。残りはあいつらの仕事だ」
「え? ミゲルさまも行くんすか? 今ボスに抜けられるとまずいんじゃ」
「ヒルダの所の
「えー、部外者とか入れたら、ゼッタイ面倒なことになるよ」
ノエミの嫌そうな声に、ボスはヘラヘラ笑いながらその頭を指差した。
「とりあえず、まだ
なるほどたしかに。
彼女はひどく納得した。
魔女がやったことの後始末を、魔女の縁者――王家筋に手伝わせるのは道理である。
「つーワケで、今ここで俺ができることは全部やった。これ以上は経営陣を動かせる
当人はこういっているが、真っ黒な業務をどうにかグレーゾーンにまで持って行くその手腕は普通に凄かった。まあベースがやくざなのでさくっとダース単位で行方不明者こそ出たが、とにかくスピード感が桁違いだった。おかげでエルダ商会は、ギリで堅気の商いをやっていると言えなくもないレベルにはなっていた。
しかもボスのコネをフル活用した旧王家からの後が怖いが抜群に強力なサポート(さっきの話の他にも幾つかある)や、A&Jからの補充人員(主に事務屋)がポツポツと到着し始め、商会メンバーの中で「これまじで勝ち馬なんじゃね? いけんじゃね?」的な空気が生まれ始めていた。
だからこそわからない。
なぜ今ノエミが『ガラをかわす』必要があるのか。
彼女は対象外なことから、行動隊の元メンバーという理由ではなさそうだが……。
「ね、ミゲルさま。私が飛ぶのってもしかして、そこにいるお姉さんが関係あったりする?」
とうとうノエミがそれに触れた。
会長室に入った時から、ずっとボスの後方に控えていた女。
紹介があるだろうと思っていたら「ガラをかわす必要がある」と話が始まり、そのままここまでスルーだった20代くらいの女。
ぬめっとした黒髪。極度の撫で肩に細い手足。
おそらく戦闘員ではない。
しかし堅気でもない。
どこかしっとりしていて、薄暗い。
陽の下が似合わない、影の住人だ。
「ああ、紹介が遅れたな。彼女はヘレシーちゃん。
彼女とノエミは無難に爽やかに初対面の挨拶をこなした。
現場を回るスカウト担当。現地の情報を正確に把握する諜報員。これは是非とも仲良くしておきたい。
「なんでも今は旧市街で『仕事中』だったらしくてな。新生エルダ商会のニュースを聞いて駆けつけてくれたってワケだ」
「……まあ、おかげさまで仕事のアテもなくなってヒマだったしね」
その思ったよりも低い声には、どこか棘があった。こちらにではない。その眼はボスへと向いている。
「……ねえ若。今度からは事前連絡の徹底を心掛けましょうね。殺しちゃダメな人員の共有は最初にしておきましょうね。私の仕込みが全部ムダになってしまう前に、情報の共有はちゃんとしておきましょうね」
まるで、お前のせいで仕事が消えた、といわんばかりだ。
「もしかしてミゲルさま、スカウト対象を殺っちまったんすか?」
「他人事みたいにいうなよ。お前らも共犯だぜ」
どうやら知らぬ間に、未来の仲間を殺っちまっていたらしい。
「えー、だれ誰? マナナわかる?」
「いや全然。ここ最近は流れ作業ばっかだったし」
ただA&Jがしょうもない雑魚をスカウトするとも思えない。
ならば直近ではなく、少し前あたりが怪しいか。
「うん、ムリっぽいからヒントちょーだい! はいミゲルさまから!」
「そうだな……まあいわれてみれば納得って感じだったな。いくら『高い下駄』を履かせて貰っていたとはいえ、3対1でやり合えてたってのがそもそも尋常じゃねえ」
3対1? 3人掛かりでやった奴とかいたかな? いたような?
なんだかそこまで出かかっているのだが……後1歩が出てこない。
「ああーもーホントにわかんない。教えてヘレシーちゃん!」
なぜか得意気な顔のボスを放置し、ダイレクトに答えを聞くノエミ。
「……当初、今回のターゲットは3人いたわ。病床にあるかつての大英雄アイルトン・フレデリクセンがわざわざ独自の流派までつくって仕込んだという、最新の直弟子たちよ」
あ、ちゃんと教えてくれるんだ。
陰気な見た目に反して意外とフレンドリーである。
「あー、そういえば生かしたままで放置してたね、あの元ヒーローおじさん」
「知っているの?」
ヘレシーちゃんの声が1段高くなる。
「定期的に生存の確認をする仕事があったよ。なんで放置してたかは知らない」
上空からの偵察を可能とするノエミだけが知っている情報は多い。
どれを公開してどれを伏せるかは、全て魔女が決めていた。
「放置どころか、アイルトンの支持者たちの背後には魔女がいたわ。目的については私の方でも掴み切れなかった。きっとロクでもないことだったとは思うけれど」
「違いねえ」「だよねー」「そっすね」
満場一致で頷いた。
稀代の大量殺人犯を匿う理由なんて、まあ100パーセント終わり切ったクソの塊だろう。
「当然、アイルトンの弟子たちもそう考えたわ。最も師に心酔していたファウストは、守る為にアイルトンの側に残った。最もシビアに現実を見ていたエレファントは、とにかく金が要ると旧市街で1番の富豪の下で荒稼ぎを始めた。最も短気で拘りの強かったアルミロは、魔女の下に付くなんて真っ平ゴメンだと師の下から飛び出した」
……うん? アルミロ?
「――あ! アルミロってたしかあの時の! チンピラのまとめ役、マルカントニオの下半身に尽くしてたヤツ!」
ノエミの覚え方は最低だったが、おかげで彼女も思い出せた。
カチ込みをかけた際に1人だけ席を外していたマルカントニオ傘下のチンピラ。
そのせいで、アマリリスさまの『アレ』の影響を受け(いまだに意味不明だが)一時不死身となった2本のナタを繰る男。
彼女とノエミが「こいつに武器を渡してはダメだ」と瞬時に判断し、身体を張ってそれを阻止することに全力を注いだ敵。
そうして素手になってもなお、
あの魔女の巫女が、一瞬も迷わず自身を1度殺すという鬼札を切った相手。
「……あいつ、思ってたよりずっと出来る奴だったんすね」
「アイルトンがアルミロに与えたのは、
「わーなにそれすごそう」
「1対多数を想定した『単身で100を捌く』がコンセプトの、最適化された
一歩間違えれば真っ二つだったのか。
「ヘレシーちゃん、どうしてそんなに詳しいの?」
「本人から聞いたわ。もう無駄な豆知識になっちゃたけど」
「どんまい! じゃあ次はまだ生きてる残りの2人を狙わない? ケンポー使いの前線要員とかめっちゃ欲しいから手伝うよ?」
「そうも行かないの。残りの2人は頑なすぎて話にならない。どれだけ魅力的な提案をしても、決して乗ってくることはないでしょうね」
そこでミゲルがデスクから両足を下ろし立ち上がった。
「ま、そういうワケだ。残念ながらこれはもう終わった話だ。縁がなかった。切り替えていこう。どうせするならまだ終わってないこれからの話だ。そうだろ、ヘレシー」
ええそうね、と溜息まじりに同意したヘレシーちゃんは、ゆっくりとノエミの側まで歩み寄りその隣に腰かけた。これからするのはお前の話だぞ、というアピールだろうか。
「え? なになに? もしかして内緒話?」
「いいえ。単なる噂話よ」
「その出だし、絶対単なるウワサ話じゃないやつっすよね?」
ヘレシーちゃんは答えず、ただ薄気味悪く笑って「まだ一部の情報通しか知らない最新作よ」と語り始めた。
――あの英雄ハウザーと当主付きの使用人が『かの存在の祝福』を受けたらしい。あと護国の盾修友会元代表のごきぶりジジイも、命がけで戦った功績として同じものを下賜されたとか。
「うわ、凄いピンポイントな事実じゃん」
人の口に戸は立てられない、とはいうが、これは度を越えている。正確すぎる。おそらくは意図的に情報が流されている。
……だとすると。
彼女が確認するより早く本人が聞いた。
「まだ私のことはバレてない感じ?」
そう。アマリリスさまになにかを『もらった』というなら、まさにノエミもそれに当てはまるのだ。
「残念だけどバレてるわ。魔女派の残党が自分たちの正当性を主張する根拠として『天空を与えられし者ノエミ』の存在を吹聴して回ってたの。だからその上役である我々もかの存在の庇護を受けているのだ! とかいってたわね」
ノエミとタッカー君の存在を知っている者が、マリアンヌが『落下死』するところ(9.1 ロージアの朝参照)を目撃していたとしたら……まあ辿り着ける話ではある。成人を持ち上げるなどという馬鹿げたレベルの出力アップは他に説明のしようがない。
「……そいつらどこにいるか教えて。ちょっとお話してくるから」
「もうどこにもいないわ。魔女の巫女ターナの名で『かの御方の名を騙る輩がいれば即座にしらせろ』というお触れが出ているの。試しにそいつらのことをタレ込んでみたら、2時間後には全員変死体になって同じ数の娼館のタダ券が私にプレゼントされたわ」
いってヘレシーちゃんが5枚の立派なチケットを掲げる。
「おま、それマジモンのプレミアムチケットじゃねーか! 1枚いくらすると思ってんだよ? ポンと渡していいもんじゃねーぞ!」
ボスのきしょいまでの喰いつきを見たヘレシーちゃんがさっとチケットをしまう。
どうやら、密告――情報提供者には破格の報酬が支払われているようだった。
「実働隊として来たのは娼館の戦力――前からいる長細い方の『白服』と数名の黒服だった。けどおかしなことに、何人か知らない顔が混じっていたの。若、なにか知ってる?」
わざわざ『前からいる長細い方の白服』というからには、当然『新しい方の白服』もいるわけで。
……彼女は意図して考えないようにした。
「そういやヒルダがいってたな。降った元魔女派の連中を『ゴミ掃除』に使うとか」
「あ、それ知ってる! 一言も『助ける』とはいってないやつだ。ご苦労だったな、最後のゴミはお前らだ!」
エグい。
ただまあ、ありふれた話ではある。
現にノエミは秒で気づいた。
これがわからないのは。
「まともな奴らはとっくに逃げてる。まだ残ってるのは『自分なら許される』と意味不明の自信に満ちてるアホだけだ。そりゃ生き残れねえわな」
「……なんか正統が1番やくざしてますねえ」
「なんだマナナ知らねーのか? 最強のやくざがそこの王様になるんだぜ」
ハハハ、と散文的に笑ってから話を戻した。
「じゃあ私って、知らない内に有名人になっちゃってたの?」
「残念ながらね。吹いて回ってた連中がいきなり全員変死したのが、皮肉にも一定の説得力を担保してしまったわ」
「――それ半分くらいヘレシーちゃんのせいじゃん!」
がたっと立ち上がるノエミ。その手にプレミアムチケットを握らせるヘレシーちゃん。すかさず1本指を立ててから『こいこいカムカム』なジェスチャーをするノエミ。手は2本あるよ? 片方が空いてるよ? 追加で投入されたプレミアムチケットを握り締めいそいそと座るノエミ。2人の友情は守られた。
……どっちにしろ、残党連中が喋った時点で時間の問題ではあった。
なら高価なチケットをゲットできた分だけお得だったのではないだろうか。
それにそもそも。
「それって、べつに悪いことばかりじゃないっすよね? 元特別行動隊のメンバーであるノエミに対する報復や攻撃への強力な牽制になりますし、エルダ商会――を呑み込んだA&Jにとっても、アマリリスさまが味方してる証明というか、ある種の『箔』になりませんか?」
「まあ実際その通りではある。だから口を封じたり内容を捻じ曲げるのは止めておいた。――ただ、ここに新たなキャストがやって来た。招かれざる客ってヤツだ」
いつもニヤついているボスにしては珍しく、本気の嫌悪が垣間見えた。
それを受けてか、ヘレシーちゃんもまた真面目な顔になった。
「魔女の死が虚報ではなく事実だと周知され始めた頃から、旧市街で妙な連中が目撃されるようになったの」
「
ノエミの軽口を無視してヘレシーちゃんが続ける。
「ファルネウスよ。正しくはその下請けだけど、間違いなく連中の枝葉ね」
ファルネウス。
トップであるブーゲンビリアが魔女とバチバチに敵対している大貴族。
魔女の巫女ターナに続く、特別行動隊の仮想敵。
基本、ファルネウスの直衛で構成された護衛チームを殲滅可能な戦力が行動隊の保持すべき最低基準値となっていた、照準ど真ん中の敵。
ただ、度重なる内偵とその分析結果から、
「連中は様子見に徹すると思ってたんすけどねえ」
「ま、実際にそうなってみれば、ノリと勢いで思わぬことが起きちまうもんだ。……特にあのすぐカッとなる、手前ェがこの世の
「わあ、ミゲルさま、
正直彼女も驚いている。
あまりそういった感情を表には出さないタイプだと思っていた。
「しょうがねえだろ。損得を度外視して、ゴミみてえな屁理屈並べたてて、自分たちだけが気持ちよくなって、大体最後には全部ぶっ壊すアホ共のどこを好きになれってんだよ?」
中々に芯を捉えた物言いだ。
たしかに彼女も、連中が周囲への被害を抑える努力をしているのなんて見たことがない。
必要なところをピンポイントで100年間草木1本生えないレベルで破壊し尽くす『制御された超暴力』を是としていた魔女の
「いいかお前ら、これはA&J全体の方針だ。
「了解っす。まあ元々
そこで、プレミアムチケットのにおいチェックをしていたノエミが、ぱっと顔を上げた。
「あ、そっか。そのガチな敵からすると、私って狙い目なんだ。英雄や当主付き、護国の盾の元代表とかは立場がばっちりあって手出しが難しいけど、書類上は存在しない元特別行動隊の隊員なら、拉致ってバラしてアマリリスさまの秘密を探り放題なんだ」
……胸の悪くなるような話だが、事実でもある。
「一応いっておくが、お前ら2人はA&Jに所属した時点でちゃんと書類上にも存在が明記されてる。身元の保証は、おばちゃん名義でもう手続きが済んでる。だが、
隊の生き残りは――グリゼルダは意図的に無視した――もはや自分とノエミの2人のみ。
仮にミゲルやアンジーを巻き込んでも4人。戦力になりそうなのはそれくらい。
……なにをどうこねくり回してもムリだ。あの規模と練度の相手からは守り切れない。
なるほどたしかに、
ただ最大の問題は、どうやってノエミを説得するか。
……おそらくムリだと思った彼女は、ダメもとでボスにいってみる。
「やっぱりわたしも一緒について行くのは」
「最低でも1人は残る必要がある。まともにケンカができる奴――もしなにかあった時に『ナメた真似してんじゃねえぞ』ってぶん殴って場を収めることができる、エルダ商会かA&Jに正規で所属してる、ちゃんと周りからびびられてるけど決して嫌われちゃいない奴が最低でも1人は残る必要がある。マナナ、お前以外にそんな奴が? いるなら紹介してくれ。まじで喉から手が出るほど欲しい人材すぎる」
彼女は言葉に詰まる。
なのになぜか、問題のノエミは軽やかに口を開く。
「ね、ミゲルさま。さっきちょろっといってたけど、予定じゃ明日の朝には出発して、ミゲルさまのパパ――最高経営責任者? の所に行くんだよね?」
「ああ。実は結構近い所に
ここまで明かすということは、A&Jは本気で彼女とノエミを取り込むつもりのようだ。
「今回はでかいヤマだからな。親父とお袋が直々にお出迎えしてくれるそうだ。なんでもちゃんと面を合わせて話したいんだとよ」
「……私も行くって、向こうは知ってるの?」
「もちろん了承済みだ。1度会っておきたいらしい」
元特別行動隊のメンバーに会いたいとか……どうにもキナくさいと思ってしまうのは、果たして彼女の考えすぎだろうか。
「往復にかかる時間、プラス向こうで1、2日滞在するとして……まあ精々1、2週間ってところの小旅行だな。軽くガラをかわすにはちょうどいいだろ」
彼女はちゃんと理を詰めていう。
「1、2週間『ガラをかわした』くらいじゃファルネウスは諦めないでしょ。あんまり意味ないのでは?」
ここだけのトップシークレットだが、とボスは前置きしてから……溜めて溜めてもったいぶって引きつけて、いやもういいからさっさといえよ! と誰もが思った頃にようやく告げた。
「近々、ヒルダがファルネウスに
まいった。ちゃんと向こうも理を用意してる。
こうなったらもう率直に、
「じゃ明日は何時に集合? 場所はここだよね?」
「そうだな、足はこっちで用意してあるから――」
……あれ?
彼女は思わず一瞬、停止してしまった。
絶対に「マナナと別行動なんて嫌!」とゴネると思っていたノエミは今、何日分の着替えを持って行けばいいかをボスに相談している。
「え? ノエミ、行くの?」
「うん。ていうか前からミゲルさまに『1度A&Jの本社に行ってみたい』ってリクエストしてたんだよね。思ったよりも早く叶ったっていうか」
「え? なんでそんな」
「……確認したいことがあるし、それにホラ、ビッグボスへの挨拶は早い方がいいじゃん絶対」
彼女は自分が恥ずかしくなった。
まるで当然のように、ノエミが『なに1つ成長していない』と勝手に決めつけていた。
思えば、彼女が『作戦行動中の行方不明からの10日間経過による死亡判定』を受けてから再会まで1月以上の時間があった。
あれだけべったりだった自分が
普段の振る舞いが変わりなかったので、ついつい以前のままだと思い込んでいた。相変わらず自分がいないとダメなままだと、ひとり気持ちよく錯覚していた。これは本気で恥ずかしい。
「大丈夫。これは
こそっとノエミが彼女だけに耳打ちする。
その顔に、やくざのゴッドファーザーと対峙する不安や緊張はない。きっとノエミしか知らない『とっておきの情報』でもあるのだろう。
元々ノエミは彼女なんかよりずっと頭が良かった。
そこへさらに積極性や行動力がプラスされたのなら、これは間違いなく喜ぶべき進歩だ。
「……うん。そっか。じゃあビッグボスへの挨拶は任せた」
「期待してて。良い話を持って帰ってくるから」
なのにどうしてか、胸が苦しくなった。
声が沈むのを必死に隠した。
不意に気が付いてしまった。
進歩するのは、前へ進むのは良いことだ。
このまま勝ち馬であるA&Jに乗っかり、前へ前へ。次へ次へ。後ろなんて振り返らずに、済んだことなど気にせずに、そのまま前進し続ければきっと全部うまく行く。そんな予感がある。
そう。
本当ならここにいた筈のもう1人。
あの夜グリゼルダに殺された、性格が悪くて性根の腐った友達のことさえなあなあにすれば、きっと彼女とノエミはそれなり以上にうまくやって行ける。
だから当然そうする。そうするべきだし、もう既にそうした。
今やアマリリスさまは旧市街において決して無視できない存在となりつつある。グリゼルダはその下についた。もう手出しはできない。してはならない。ここで彼女がアマリリスさまの護衛を殺っちまうとくっそ厄介なことになるのは目に見えている。
ただ、それでも。
……あの性根の曲がったくずは、彼女の友達だった。
いや、たかが死んだくらいでその事実は変わらない。
今も友達のままだ。少なくとも彼女はそう思ってる。
だからまだ、残ってる。
消えてはいない。
※※※
次の朝、予定通りにノエミとボスは出発した。
残った彼女は1人寂しく――するヒマなんてどこにもなく、それからは毎日毎日飽きもせず、常に向こうからやることが押し寄せてきた。
「え?
「ハア? イヤだよ旧離宮とか行きたくないって。そんなの、テオかレーモ辺りのおじさん連中と行けばいいじゃん。……え? 逃げた? まじで? 良い年したおっさんがなにやってんの?」
「いや
「まじで? 旧王家とファルネウスが和解!? いやまあそこまでわかるとしても、なんでアンジーが派遣されんの? ここで実働要員が減るとか本気で困るんだけど」
「うわ、向こうからのヘルプって、本当に近衛が来るの? よしならボスのいってた通り、あのでっかいクソの塊――『ハ号災厄対策』をどうにか押し付――」
気がつけば、あっという間に1週間以上が経過していた。
正直、なにをしていたか記憶が曖昧になるレベルでクソ忙しかったが、これといって命の危機はなかった。
ただ1度だけ予期せぬトラブル――旧離宮で偶然にもグリゼルダに出くわしたが、自分でも意外なほど冷静にスルーできた。
……できてしまった。
それがどうにも、バンビに対する決定的な裏切りのように思えてしまい、彼女にしては珍しくズルズルと尾を引いて、
「――マナナ、聞いているのか? 寝るならこれが終わってからにしろ」
「……もう寝てるよ」
実際、半分だけ寝てた。そうして無防備になった頭が、またつまらないことをぐるぐると考えていた。
「よし起きているな。気が乗らないのはわかるが、お前しか適任者がいない。これが済んだら1日休みをやる。これが最後のひと踏ん張りだ」
いかにも踏ん張りが利きそうな体をしたふとっちょおじさん――元ノエミの担当官にして現会長代理(誰もやりたがらないのでくじ引きで決めた)のレーモが、ゆっくりと諭すようにいった。
エルダ商会別館3階、その奥まった場所にあるそこそこ豪華な一室。ここ最近、すっかりお馴染みとなった会長室。
徹夜明けに叩きつけられた緊急招集に胸ぐらを掴まれ、不眠不休のまま引きずり出された彼女だったが……「やっぱ無視して帰って寝てればよかった」と激しく後悔していた。
「そもそも意味わかんないって。わたしがファルネウスの直衛と一緒に仕事? ムリでしょ、どう考えても」
特別行動隊とファルネウスの直衛。
互いが互いを正しく『敵』と認識しているし、事実その通りだ。そこに一切の誤りはない。
殺せ、ならまだわかる。
だが、肩を並べて仕事?
「厳密にいえば違うわ。一緒に仕事をするのではなく、あなたの仕事の対象がファルネウスの直衛なの」
会長代理と向き合う彼女の背後から聞こえた声。
振り返って確認するまでもない。ソファにだらりと寝そべったままのヘレシーちゃんだ。
どうやら彼女はA&Jの情報部課長という役職を持っているらしく「役職持ちが1人もいないのは組織として格好がつかねえだろ」というボスの一存で留守番役に任命されていた。
……誰も口には出さないが、まあバレバレの――そもそも隠すつもりがないのだろうが――監視要員である。
なお本人は「いたずらに現場を乱すつもりはない。私からいうことはなにもないわ」というスタンスを表明し、さらには「1割をこちらに流すのなら、私の目にはゴミが入ってなにも見えなくなる」などといっているが、きっとこれは彼女なりのユーモアだろうと誰も真に受けてはいない。
……ここで容易くしっぽを出すようなマヌケは、魔女の下では生き残れない。
「んー、仕事の対象が? ファルネウスの直衛? 殺せじゃなくて? 今眠すぎてなぞなぞできる頭じゃないんすよ。どばっと全開示、かつストレートにいってくれません?」
「いいわ。なら最初からね」
そうしてヘレシーちゃんと会長代理レーモの語る内容をまとめると。
――ファルネウス内から裏切り者が出た! 許せねぇ! その裏切り一派と配下の『抜刀隊』ごとまとめてやっちまおう! ただし数が多いから、ちょうど都合よくいっぱいあった毒爆弾で一網打尽だ!
「……いや、もうこの時点でつっこみどころしかないっていうか、なんすかその都合よくいっぱいある毒爆弾って」
一網打尽というからには、相応に致死性の高い危険物の筈だ。
「詳細は不明よ。おそらくはファルネウスの保有する『存在してはいけない類の物』でしょうね」
うん、いつも通りに終わってる。彼女がなにかいうより早く「まずは最後まで聞きなさいな」とヘレシーちゃんが続ける。
――けどそんなモン街中でぶっ放しちゃあ被害甚大だよな。だから地下でやろうぜ! ちょうど都合よく広大な地下空間『闇の根』の完璧なマップも入手できたし、こりゃあやるっきゃないね! よっしゃ追い込め追い込め追い立てろ! ついでになんかいっぱい集まってた闇の薔薇の残党も一緒にやっちまおう! そうしよう!
……なんであの超複雑な『闇の根』の完全マップとか入手できてるんだよ?
しかも闇の薔薇の残党まで一緒に始末しようとか、なんか急に話変わったぞおい。
などという当然の疑問は飲み込み、とりあえず彼女は事実だけをいった。
「闇の根ってアレめちゃくちゃ広いんですよ? あんな広範囲に致死性バラ撒く毒物とか、どう考えても自分らの足下で使っちゃダメでしょ」
1歩間違えれば旧市街どころか新市街まで終わるだろそれ。
首都大虐殺でもするつもりか?
頭ファルネウス過ぎるだろまじで。
「だから『除染係』を一緒に派遣するそうよ。もちろん、ファルネウスには内緒でね。あなたは基本的にその『除染係』と一緒に行動してもらうことになる」
「……なんすか? その『除染』って?」
「広範囲に撒かれた毒物を無効化することらしいわ」
全然和解してないじゃん。裏をかいてやろうと小細工しまくってるじゃん。
「あのそれ、ウチら関係ないところでやってもらえないすかね?」
「
「めっちゃミゲルさまがいいそうな台詞っすね。本人不在で無効には?」
「……この『口約束』をこちらから破棄するのは、きっと大きなマイナスを生んでしまう」
内容からして『口約束』の相手は……現当主ヒルデガルド。つまりはトップ同士のホットライン。その価値は誰にだってわかる。下の一存で好き勝手に潰していい話ではない。選択肢はない。
「わかりました、やりますよ。で、具体的には何をすれば?」
「端的にいうと……連中が妙なことをしないよう見張る、かしら」
「連中とは?」
「爆弾の起爆権を持った、ファルネウス直衛の2人」
「見張るべき『妙なこと』とは?」
「除染係に対する実力行使――暴力行為および拘束や拉致といった狼藉全般ね」
「それを確認した場合、わたしの行動に制限は?」
「一切ないわ。全力で狼藉者を排除して」
つまりは『除染係』とやらのボディーガードか。
まあ見張りといえば見張りだが、結局はいつものようにファルネウスとやり合って終わりそうな、
「ん? なんか今の説明だと、その除染係さんとファルネウスの直衛、一緒に行動してません?」
「その通りよ。あなたと除染係とファルネウスの直衛2人で一緒に行動することになるわね」
「……いや、どう考えてもおかしいでしょ」
「避けられない必須条件、だそうよ。興味があるなら本人に聞けと言われた。マナナもそうして」
なんだか焦げ臭くなってきた。
「表向きはどういった名目で同行を?」
「王家からの『お目付け役』ね。約束通り、ちゃんと地下だけでことを済ませるのかを見張るチェック係りよ」
実はその『お目付け役』が、ご自慢の毒爆弾を無効化しにきた最大の敵であると。
「その除染係って何人チームなんすか?」
「1人よ」
……個人の能力で、あの広大な地下空間をカバー可能とか。
「そいつ、何者ですか?」
「現当主ヒルデガルドのお側付き。現存する数少ない
それは彼女でも
7はそれなりに沢山いるが、そこが現状の限界。
今の技術では到達不可能とされている常識の外。
おそらくは魔女が座していたであろう、上段席。
「……そこまで教えてくれるとか、ミゲルさま、ちゃんと信頼築けてるんすね」
「違うわ。途中からは全部わたしが個人的に仕入れた情報よ。向こうは『腕利きを1人寄越せ』と『除染』についてしかいってないから、あまり得意になって喋っちゃダメよ」
凄いな情報部課長。
彼女は素直に感心した。
あと妙にレーモが静かなのはそういうことか。
王家筋の機密っぽい情報はスルーするのが長生きのコツである。
「レーモ、ファルネウス直衛の2人については?」
お前だけ逃げてんじゃねえと、彼女は話を振る。
これに関しては、来たばかりのヘレシーちゃんよりエルダ商会メンバーの方が詳しいだろう。
「男1人と女1人。名前はそれぞれトールにネネ。どちらも初めて聞く名だ。おそらく娘の方――次代の当主サリアデール付きの直衛だろう。つまり、これまでやりあってきた直衛連中の『次の世代』だな」
「最新型ってこと?」
「おそらくは。ファルネウスの傾向からして、基礎スペックの向上に注力していると思われるが……これといった裏付けはない。あまり凝り固まるな。常に柔軟性を維持し続けろ」
単純な事実として。
最新型が最も強い。
……甘く見るのは止めておいた方がよさそうだ。
「他にわかってることは?」
「この部屋を出ると同時に、私はここで聞いた内容を忘れる。なぜか知らぬが、必ずそうなる」
あ、ダメだこいつ保身モードに入りやがった。
彼女は無駄にでかいインテリアは無視することに決めて、頼れる情報部課長殿へと向き直った。
「大体はわかりました。補足や注意点等はありますか?」
「もし状況が制御不能に――どうしようもなくなったら、速やかに撤退して良いわ。これは先方も了承済みだから迷わず退きなさい」
こんなくそやべえ案件にもかかわらず、撤退が許可されているとか。
「なにか明確な不安要素が?」
「闇の薔薇の残党が集まり過ぎているのよ。
知らない名が出てきたが、まあ大体どういう奴かはわかる。
「まずい状況っすか?」
「ええ。とにかく数が多すぎるの。天空派、斉明派、黎明派、死華派、本来なら絶対に交わらない連中が一同に会しているという異常事態よ」
「そんなの、放っておいたら勝手に殺し合いとか始めません?」
「とっくに始めてる。だから当人たちですら、もう制御ができていない」
「導師カラマゾフ、なにサボってんすか。そこはトップが手綱握らなきゃでしょ」
せっかく数がいても統率がなければ烏合の衆でしかない。
「サボってるのではなく、できないのよ。元々導師カラマゾフは超高齢で、頭に――記憶や認知に異常が起きつつあった。刻一刻とできないことが増えつつあった」
その言葉に、彼女の息が詰まる。
思い出す。
前隊長のことを。
自分のことしか考えられない幼稚な馬鹿が、ああも嫌そうな顔さえしなければ……まだもう少しは生きていてくれたかもしれない、生涯の恩人を。
「そんなところに、トドメとばかりに手痛い一撃を受けたことで『尋常ならざる状態』となってしまったそうよ。もうどこがトイレなのかもわからないし、話の流れを完全に無視して延々と過去のことを語り続けるとか」
彼女は気を取り直す。
あの人にはちゃんと地獄で殴ってもらおう。
そう。死んだ奴に詫びるのは死んでからにするのがハッピーに生きるコツだ。
「じゃあもう導師カラマゾフは単なるお飾りなんすね」
「……それが、戦闘能力だけは健在らしいわ。しかもなぜか
「地獄絵図じゃないすか」
「しかも不意に、思い出したように正気に戻る瞬間もあって、誰にとっても予測不能の怪物と化しているらしいわ」
……諜報員にこれを尋ねるのはマナー違反だとは思うが、さすがにこれは聞かざるを得ない。
「ヘレシーちゃん、いくらなんでも詳しすぎません?」
「知人のスパイが潜入しているの。けど2日前から連絡が途絶えた。きっと死んじゃったのだと思う。私たちができるのは、とれたてぴちぴちの情報を美味しく頂いて、彼の残したものをムダにしないことよ」
特別行動隊もヒドかったが、スパイ業界も負けず劣らずのようである。
「……ヘレシー課長。1つ良いだろうか?」
そこで不意に、
「仮に、こちらの思惑通りに『除染』がうまく行ったとして……ならば本来死ぬ筈だった『ファルネウスの裏切り者』と『抜刀隊』と『闇の薔薇の残党たち』がそっくりそのまま生き残ることになるが、それはどうする?」
「え? 地下にいる奴ら全員が死んでから『除染』するんじゃないの?」
てっきり彼女はそう思っていたが、
「それはないだろう。王家――この地の管理者としては、大虐殺の原因となり得る毒の散布自体を阻止したい筈。マナナ、先にお前が言った通りだ。こんな危険物を自分たちの足下でブチまけるなど、どう考えてもダメだろう。リスクしかない」
いわれてみればその通り、というか彼女自身がいったことだった。
……いつの間にやら『使う』ことが前提の、頭ファルネウスになってしまっていた。
「当然、私も同じことを聞いた。結果として残る裏切り者と無法者の群れをどう片付けるのかと」
「向こうは、なんていったんすか?」
ヘレシーちゃんは薄気味悪く笑って、
「なにも問題ない、心配は無用。だそうよ」
3秒ほど続きを待つも、なにもいわない。
「え? それで納得して引き下がったんすか?」
「せっかく向こうが『これ以上はいい』って言ってくれてるのよ? どうして
※※※
同日夜。
指定された時刻よりも早く合流地点へ着いた彼女だったが、そこにはもうすでに旧王家の紋付き馬車が到着し待ち構えていた。
初老の御者に名乗れば「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」と車内に案内され、
「こんばんわ、マナナさん。一週間ほど前に1度、旧離宮でお会いして以来ですね」
折り目正しくきっちりと席に着いていた、女中服の一部がぱつぱつな金髪女性がふわりと微笑んだ。
……話には聞いていたが、どうやら本当にこの人が
彼女はなんてことない顔して答える。
「ええ、お久しぶりですプルメリアさん。あの時はお世話になりました」
一週間ほど前、旧離宮内で目当ての人物に出会えず右往左往していたエルダ商会一行に声をかけてくれたのがこのプルメリアさんだ。あの時は「親切でふわふわした乳のでけえ姉ちゃんだな」としか思わなかった。警戒心は微塵も仕事をしなかった。この女性からは敵意や悪意のにおいが一切しなかったからだ。
「よかった~、覚えててくれたんですね。忘れられていたらどうしようかと」
「忘れるワケないですよ。
王宮勤めの
「え、ええとそれは……た、たぶんみんな怯えていたんですよきっと! あのローゼガルド様の側にいたのに、それでもなぜか生き残ってみせた意味不――タフなマナナさんたちに、こう、腰が引けてたんですよ! どいつもこいつもびっくびくでしゃばいですよね!」
……なんかこの人微妙にフォローへたくそだな。
とか。
どうやら
などといった余計なことはいわず、ただ「ありがとうございます」とだけ返しておいた。
「あの、べつに私相手に畏まる必要はないですよ。私自身はべつに偉くもなんともないですから。
きっとこの『ミーティング』も予定の内なのだろう。慌てることなく一定のペースで馬車は進む。
そうしてしばらくの間、プルメリアさんの話に相槌を打ったり返事したりしていると、いつの間にか「マナナちゃん」と呼ばれるようになっていた。思いのほかぐいぐい来る人だ。分類としてはノエミに近いタイプなのかもしれない。
彼女は程々に付き合いつつも、必要な確認を済ませる。
「――ええ、ですので表向きは、ちょっと緊張感のあるお目付け役といったテイでいて下さい。実は全部台無しにしようとしてるのは内緒で」
「けど実際に向こうが『起爆』したのに何も起きなきゃ、きっと面倒なことになりますよ? 最悪こっちが疑われるかも」
まあ実際に犯人なので、大正解ではあるのだが。
「だからそうならないよう、一緒に驚いて下さい。こう『あれれ? おっかしーなー? なんでー?』みたいな感じで」
「……それむしろ、煽ってると取られて殺し合いになりますよ、たぶん」
連中はアホではあるがバカではない。こちらに疑惑が向くのは避けられないだろう。
最悪のケースとして、もし向こうに『目のいい奴』がいた場合、普通に見破られる可能性すらある。
「もしそうなったら逃げましょう。証拠なんてないですから、あとでなんとでも言えますので逃げた者勝ちです」
とくに気負うでもなく、にこやかなままいい切るプルメリアさん。
ファルネウスを敵に回すことに一切の躊躇いがない。微塵も恐れがない。やはりどうにも腑に落ちない。基本、下の言動は上に
「……あの、プルメリアさん。ずっと不思議だったんすけど、なんで今回の話、通ったんですか? 今の御当主様なら正面切ってファルネウスに『NO』といえますよね? 足下で毒撒くとかふざけんな! って怒って、それで終わらせることが可能っすよね?」
当主直轄の近衛もいれば、なんなら正規軍もいる。毒を撒こうとする反乱分子を制圧できる大義名分と戦力は十分にある。
なのにわざわざ、こんな回りくどいことをする理由がさっぱりわからない。
「それが、ファルネウスだけじゃないんですよ。このお話は『3者の』合意で成り立っていまして。その最後のお1人がとても厄介な御方らしく、下手に放流して好き勝手されるより『面と向かって結んだ約定』で縛った方が被害は少なく済むそうです。現に今こうして動いているのは私たちだけで『その御方』は座して待っています。縛り付け大成功です。私、こういったヒルデガルド様の悪知恵って、ローゼガルド様の影響を受け過ぎてて正直どうかなあって思っちゃうんですよねえ」
聞かなきゃよかった。
彼女は激しく後悔した。
そんな第3の存在など全く知らないどころか聞いたことすらない。
魔女を喰らった現当主とファルネウスの頭。その2人に並べる時点で『その御方』とやらはドブの塊であることが確定している。自分は今、そんな奴の存在を知ってしまった。
「ふーんそうなんすねー。プルメリアさんも大変なんすねえ」
だからさらっと流すことにした。
こういう時は、大げさに騒ぎ立てない方がいい。
魔女の下で生き残る為の必須技能――熟練の域に達したスルースキルを彼女が惜しみなく披露していると、音もなく馬車が停止した。
どうやら目的地に到着したらしい。実にいいタイミングである。
よし仕事仕事! みたいな顔して彼女はささっと馬車を降りた。
星明かりすらない、真っ暗な闇夜の只中。
一切の光源がない天然の暗幕は、しかし
一面に広がる、まばらに草木が生い茂るなだらかな丘陵地帯。
ここは旧市街の東端を越えたさらに先の先、東の外れ。
ここからさらに東へと進み山を1つ越えれば
まずはファルネウスの狙撃兵に挨拶しようと、ここは嫌だなと思うポイントを『絵』を見る感覚で5つまとめてチェックしていく。はいクリア。ほいクリア。はい次。はいはい次次。
4秒でチェックは完了。結果はオールクリア。伏兵の影はなし。今夜の
「……あの、プルメリアさん。1コ聞きたいんすけど」
「はい。なんでしょう?」
たしかに不審者の影はなかったが、とびきり不審――というかおかしな箇所はあった。
彼女のすぐ目の前だ。
「なんすか、このバカでかいのは?」
「見ての通り『入り口』ですよ。おっきいですよねえ」
大きい、などといったレベルではない。
ここまで彼女が乗って来た、ごつい王家の紋付き馬車が10台は並んで進めるようなバカげたサイズの洞穴が大口を開け、その先は緩やかに下りながらも地下深くへと続いている。
「いや『闇の根』って基本隠れ家的なアジトですよね? さすがにこのくそでかウェルカムな入り口はおかしくないすか?」
「ウチの工作隊が頑張ってくれました。例の『闇の根パーフェクトマップ』には破棄された大正門跡地の場所も記されていたんです。それを、どかんと壊して繋げて掘り返したのがこちらですね。ちゃんと奥まで繋がっている上に、向こうの活動域からも距離があるのでまだバレてない優れものです」
「……工作隊、まじで凄いっすね。けど、なんでわざわざこんな『バカでかい出入り口』を? 絶対大変だったでしょ、こんなの」
「やっぱり膨大な数を誘引するとなると、これくらいの大きさは欲しいですからねえ。本当はもっと大きい予定だったんですけど、耐久度と安全性の問題で――」
――やべえ。また余計なことを聞いてしまった。
これもまた、絶対に触れない方がいいやつだった。
遅まきながらも彼女は悟る。
膨大な数? 誘引?
一体なにを、ここへ誘い込むというのか。
ここより先のさらに奥深くにたむろする、ファルネウスの裏切り者や抜刀隊や闇の薔薇の残党どもの元に、一体なにを送り込もうというのか。
……ちなみに、とくにこれといって関係のない、一般教養レベルの初歩的な地理の話なのだが――ここから東にちょいと一山越えると
――うん。わたしはなにも気づかなかった。知らない知らない。忘れよう。
国家レベルの、廃棄物のリサイクルも兼ねた、臓物飛び交う血みどろ大掃除。
そんなものになんて絶対に深入りしたくない。彼女は素早くも大胆に、魔女の下で生き残る為の必須技能――熟練の域に達したスルースキルを滑り込ませた。
「あ、
「ううん、進んで声をかける心構えは立派ですけど……実際に殴っちゃダメですよ?」
「こっちからはしませんって」
「約束ですよ? さっきもいいましたけど、向こうがちゃんとする分には乱暴はなしです。こちらから協定を反故にするような不義理は御当主様の顔に泥を塗っちゃいますからね」
絶対に向こうはちゃんとはしないだろうと、誰もが強く確信を抱いたからこそ彼女に声がかかったのだと思うが……わざわざ今ここでいう必要はない。
「了解です。さ、行きましょう」
完璧に流れを変えることに成功した彼女が意気揚々と歩き出せば、向こうの馬車からも2人の男女が降りて来た。
男の方はわかり易い。でかくてゴツくて強そうな、おそらくはフィジカル担当の前線要員。
女の方は随分と若い。きっとノエミよりもさらに年下だと思われる……彼女の『同型』だった。
――こいつ、正気か?
向こうの目に映った瞬間に『
攻撃的な挑発とも取れるが、手の内を晒す時点でマイナスがでかすぎる。そこまでしてやる意味がわからない。
おかげでこいつが彼女の『同型』だとわかったので、ある意味自己紹介ともいえるが……。
「よっ! おつかれ!」
「おう! お疲れさん」
大男の方が軽快に挨拶してきたので、同じ軽さで返す。
「……なにそれ? 馴れ馴れしい」
同型のアホ女は刺々しい。
「彼女、なにか不幸でも?」
「気にしないでくれ。ちょっと根が暗いだけだ」
「そっか。じゃ気にしない。わたしはマナナ。A&J大陸総合商社のヒラ社員。こっちはプルメリアさんで、現当主の――」
軽く自己紹介をしつつも、彼女は2人のファルネウス直衛を観察する。
両名共に、皮のような独自のツヤがある特殊素材を用いた、上下が一体となったツナギを着用している。彼女はあれを知っている。今は首の後ろに垂れ下がっているぴっちりしたフードを被り、上から専用のフルフェイスマスクを装着し、4箇所の留め具とブーツの密閉口を固定して内部の圧縮率を高めればハイ完成。……フルセットの防毒装備である。
つまりこいつらはやる気満々。
ちゃんと自分たちだけは完全装備で固めた上で毒を撒き散らすつもりだ。
たぶん想定通りに『起爆』すれば、無防備なこちらは毒にまかれて死ぬことになる。
……安心安定のカスっぷりではあるが、それにしても殺意が高すぎる。
「もしかして、わたしのこと知ってる?」
「当然だろう。顔も名前も隠していない『表班』のデータは全部頭に入ってる。再就職おめでとう、マナナ・サンチャゴ」
狙い撃ちか。どうやら予習はばっちりのようだ。
しかしこうして彼女の視界内でノコノコと棒立ちしている時点で
「ありがと。そっちもクビになったら来いよ。収入が倍になる」
「なら2人分、席を空けといてくれ。俺はトール。こっちはネネだ。短い間だろうがよろしくな!」
「ええ。こちらこそよろしくお願いしますね」
変わらずにこやかなプルメリアさんを横目に、彼女は少し
「その服、珍しい素材だな。なにか特別なものだったり?」
「ああ。オーダーメイドの高級品だ。格好いいだろ?」
「……そうだな。よく似合ってる」
やっぱりか。
こいつら、こっちが『防毒装備』を知らないと
たしかに、なにも知らなければ高級な作業着に見えないこともない。
さらにいうなら、最先端の軍事技術で超高価な希少品だ。基本使い捨ての魔女の犬には知る
彼女は笑う。
こっちが知らないワケがないだろうが。
むしろ知らないのはお前らの方だ。
単純な事実にして最高レベルの機密情報。数え切れない程のブラフに紛れて、もはや誰も知りようがない本当のそれ。
魔女の犬が最初に教わるのは、防毒装備の扱い方なのだ。
「よし。自己紹介も済んだことだし、ぼちぼち開始ポイントへ行くか」
「うん、さっさと行こ。私早く帰りたいし」
いって先導を始める
なんでも『起爆』には有効範囲があるらしく、闇の根全域をカバーするには少し中まで入る必要があるとか。
最初に聞いた時はなんとも思わなかったが、こうして現場に来るとよくわかる。
……露骨に奥へと誘われている。
明らかに、逃げられないキルゾーンまで引き込もうとしている。
まあ実際には無意味なのだが、それでもこちらを害そうとする連中にはシンプルに腹が立つ。
正直なところ、防毒装備を見た時点で、こいつらがどういうつもりかはわかった。
だから彼女としては、もうぐだぐだいわずにここでさくっと殺っちまってもいいのだが……。
――マナナちゃんには言っちゃいますけどね、私の力は基本的に『受け』の力なんです。フォローとかカウンターとかそういう感じのやつで、まずは向こうのアクションが先になければ成立しないんです。
彼女はもう特別行動隊ではない。A&Jの社員だ。ならばクライアントの意向は無視できない。
王家としては、くそったれな毒爆弾をここで確実に潰しておきたい。
だから
しかしプルメリアさんの力は『カウンター型』らしいので、向こうに先手を譲る必要がある。先んじてやっちまえば、毒爆弾だけが残り『不発弾』となってしまう。迂闊に手は出せない。
……面倒だなあと、彼女は思う。
敵を始末するだけならシンプルなのに、上が絡むと一気に複雑になる。
と、そこで。
はるか前方から小さく響く足音が。
バカでかい地下通路は不規則に曲がりくねっており前方の見通しは悪い。ただ音だけはクリアに聞こえる為、超スピードで何者かが接近して来るのだけはわかった。
直衛の2人も気付いたようで、巨漢のトールが1歩前に出る。ネネがその後ろに隠れるように下がり、その場で迎え撃つかたちを取った。最も近い曲がり角からおよそ10メートルの位置。十分に見てから対処可能な距離。
今ここで『中』から出てくるのは100パーセント敵なので、まあベターな判断ではある。
……とは思いつつも、彼女はイラっとした。
なんだそれは? ナメてんのか?
湧き上がる怒りと同時に訪れる
かたちを成したのは、魔女の口癖だった「時計の針を進める」――つまりは自分主導で事態を動かす為の一手。
やるか?
自問は一瞬。
――よし、やろう。このどさくさに紛れて、
今彼女の目の前には2つの背中がある。
べつに味方でもない、元特別行動隊隊員に背を向けたまま前方に注力する愚鈍な背中。
こっちのことは殺る気のくせに、なぜか自分たちだけは絶対に安全だと思い込んでるアホどもの、殺し易く無防備な狙い所。
鼻の曲がるような、傲慢と甘えの入り混じった隙。
みすみす逃すほど、ボケてはいない。
彼女は手を振り、じゃこんと
手順としてはこうだ。
まだ見ぬ敵との即興コンビネーションでいい感じにぶん殴り、脆そうな
よし、行ける。
やはり打って出る方が性に合ってる。
彼女は程よくリラックスしたまま、開始のタイミングをはかる。
足音が近づく。
グリップを確かめ、軽く腰を落とす。
さらに足音が近づき……そこでどうしてか、不意に消えた。
無音の1秒。2秒――と同時に、ぬるりと滑るように飛び出した人影を見た彼女は出遅れた。完全に予想外だった。足と頭が半秒ずれた。なぜお前がここにいる?
音もなく、くすんだ金髪が飛び散る。根暗女の仕業だ。
セオリー通りに、まずは影分身をつっ込ませ、自身はその死角から裏を取ろうと這うようにして壁を走っているそいつの姿。
ようやく足と頭と喉が横並びになった彼女の口から、そいつの名が飛び出す。
「――グリゼルダ!」
自分でも驚くほどの大きな声に、全ての視線が集まる。
ただグリゼルダの視線だけは彼女を素通りし、そのさらに奥へ。
「――プルメリア!」
あ、こいつ、わたしのことスルーしやがった。
グリゼルダの足は止まらず根暗女の頭上を走り抜け、そのままプルメリアさんへと縋りつくように体当たりした。……いや、プルメリアさんの身体が殆ど揺れていない。相変わらずの、異常なまでの急制動。
「えっ? グリゼルダちゃん!? 凄い所で会いますね、さすがに私もびっくりで」
「――アマリリスさまがさらわれてはぐれて! たぶん上のもっと奥に! 道がいっぱいでわからなくて助けて!!」
それは、彼女の知らない誰かだった。
慌てふためいて煮詰まって、どうしようもないから助けてと叫ぶ、グリゼルダっぽい顔をした初対面の人だった。
「ええっ! さらわれたって、誰にですか?」
「や、ヤミのバラ! カン! って鳴って移動して、ボクたちだけが取り残されて――」
いまいち要領を得ないグリゼルダの説明の向こうで、素早く動く直衛の2人。
それは、グリゼルダに対する追撃でも、彼女に向けた攻撃でもない。
首の後ろに垂れ下がるぴっちりしたフードを被り、
これでこいつらは、毒の満ちた空間にいても大丈夫だ。
一瞬の空白。
他に理解のしようがないので、そう理解する。
ここでこいつらが、他のなによりも優先して、いきなり防毒装備を装着する理由なんて1つしかない。
ここが、毒で満ちるから。
つまりこいつらは今、
派手な音や光は一切なかったが、実際に使う分にはそんなのない方がいいに決まってる。
こいつらは――ファルネウスの利益を第一に考える直衛たちは、アマリリスさまが
彼女が問い詰めるより速く、向こうから答えをくれる。
「ここに届くまで、まだ数秒はある。もしかしたら間に合うかもしれない。頑張ってみるといい」
デカブツが来た道を指す。
「ウフっ! 走れ走れっ! どうせムダだろうけど!!」
根暗女が声を弾ませる。
全て無意味な雑音なので遮断。
問題なのは、重要なのは、こうも突然なんの前触れもなくやられて、プルメリアさんは対応できるのか? できたのか?
わからないので『ダメだった』と想定して、始める。
敵のいうことを真に受けるマヌケは死ぬ。
だからもう毒は満ちている前提で息を止める。
次いでグリゼルダを見る。視界に収めて
弾かれたように彼女を見たグリゼルダに、連続して送る5つのハンドサイン。
敵2人。広範囲。毒散布。もうやった。わたしは右。
グリゼルダの返事を待つことなく彼女は駆け出す。
当然、敵に向けてだ。
ここで引き返せば背を撃たれる。
あんな露骨な誘導にかかるアホがいてたまるか。ふざけやがって。
これ以上の『余計なこと』の阻止。防毒装備の強奪。ナメた真似をしてくれた返礼。
なにをするにしても、まずは敵をやってから。
すう、と。
根暗女が彼女を見る。どこか異様な古代の拷問官が装着していたようなデザインのフルフェイスマスクが彼女を見る。目のガラス部分、その奥がこちらを捉える。だよな。知ってる。マスクごしだろうがガラスごしだろうが『
きっと次の瞬間には、さっきグリゼルダの影分身を
だが、しかし。
きっと、この敵は知らない。
出会い頭に『とりあえず
敵から受ける
同型との戦闘において、それらは勝敗に直結する。
その事実が、この敵の頭にはない。
確実に、同型との戦闘経験がない。
あのクソの極みともいえる
だからこいつは知らない。
言葉にすれば単純なそれ。
誰もが1度は覚えのあるそれ。
視線は、
同型同士の
小さなゴミが入るだけで激痛が走る目に、果たしてその反動はどれほどの痛みを与えるか。
音もなくぶつかり、砕け、その答え合わせが始まる。
彼女は素早く目を閉じ、開き、もう1度同じ角度と強度で
瞬き半分の時間でこれをやれば、自身の眼球に対する反動は打ち消せる。
これを発見するまでに当時のチームメイトの半数が脱落した。高い授業料だったが、おかげでこの裏技は今もなお大活躍中だ。
敵が仰け反る。
本当に痛い時は声など出せない。そんな余裕などありはしない。
だがあの敵は彼女と同型だ。しかもおそらくは最新型。
ならば、ここからさらに『先』がある。
だから、ここから先はグリゼルダにやらせる。
最初の1歩を踏み出す時間は稼いだ。
後はお前がどうにかしろ。
彼女は視線を切り、もう1人のデカブツへと向く。足は止めない。むしろ加速する。
同時に右手の武器を投擲。
構えたデカブツはなにもしない。
回転しつつもフルフェイスマスクに直撃。目のガラス部分が割れ外気が中に入る。
しかしデカブツは動かない。回避も防御もしなかった。これが単なる牽制であることを正しく理解していた。手の内を見せない。体勢も崩さない。ただこちらの動きを観察し続ける。10秒後の毒による死より、2秒後の彼女による死に対応することを選んだ。むかつくほどに正しい。優先順位にブレがない。
こいつ、できる。
彼女はデカブツを
出し惜しみは止めた。
次の1歩で手が届く。
打撃と発火の同時攻撃。
なにをしようがどちらかは届く。
新たな武器を手に取り、振りかぶり、殴りかかる。
と同時に、燃え、
視界が上へと流れた。
踏みしめた地の感触が妙だった。やけに硬かった。
足下が盛り上がり、彼女は体勢を崩したまま背中から落下する。
彼女が地面だと思い踏みしめたのは……大きな盾だった。
少し離れた場所へ『形成』できるタイプ。見た目によらず器用な奴。
体重が乗った瞬間に全力で大盾を持ち上げ、ずるっと滑るように彼女の身体が流れた。
そしてそのまま1歩踏み込み、大上段から振り下ろす。
バカみたいにでかい大盾の大質量が、そのとんでもない総重量が、そのまま彼女を押し潰す処刑具となる。
背中から落ちつつある彼女には踏ん張る足場がない。回避は不可能。防御は無意味。
ならば攻撃を。
ただじっと。
彼女は見た。
すっ転んで背中から地に落ちるまでの刹那に、フルフェイスマスクの割れた目のガラス部分のさらに奥、その隙間から覗くデカブツの目を、瞳を、虹彩を。
燃えろ。
至近距離からの直射。
対象となった眼球を始点とした、爆発じみた火勢が渦を巻く。頭蓋内を掻き回すように荒れ狂う炎が噴出しフルフェイスマスクが内側から弾け飛ぶ。未知の衝撃に制御を失った身体がぐにゃりと傾ぐ。
マリアンジェラが、イグナシオ一派が、なにがなんでも彼女との近接戦闘を回避しようとした理由がこれだ。
視界内にいる限り、常に焼死の可能性が付き纏う。
彼女を相手に真正面から戦うこと自体が、既に敗因なのだ。
背中から落下した彼女は最速で横へと転がる。その肩を掠るようにどん! と大盾が地を叩いた。
……どうにかぎりぎりで圧死は回避できた。
危なかった。
想像の10倍はできる奴だった。
だがなんとかなった。
よし、次!
すぐさま彼女は立ち上がり、残る敵を炭屑にしようと視線をやったが……そちらはちょうど仕上げに差し掛かるところだった。
基本ジャストサイズの防毒マスクであれをされると鼻が折れる。そして普段は後頭部が当たる面に両目を塞がれ視界はゼロとなる。
寝転がった体勢のまま暴れる敵を押さえ込みつつ、マスクを回した1人が頭部を固定。もう1人が肩から下をホールド。そして最後の1人が壁を走り高さを確保した後に跳躍、そのまま全体重を乗せた足の裏を細く脆い首へと落とした。
ばき。
同時に上下でそれぞれ逆向きに全身を使い巻き込むようにスピン。
ごき。
最後の足掻きに備えて拘束を緩めないグリゼルダを横目に、彼女はデカブツの背負っていたバックパックを漁る。
……やはりあった。
予備の防毒マスクだ。
とりあえずこれをプルメリアさんに――と思い振り向くと、
「あ、大丈夫ですよマナナちゃん。私は平気です」
プルメリアさんが、どこか困ったような顔をしていた。
とはいえ、毒に苦しんでいるわけでもない。
どうやら、最も楽なパターンだったようだ。
「除染、間に合ったんすね」
彼女の言葉にプルメリアさんは、ますます困ったような顔になった。
「それがですねえ……。実は私、なんにもしてないんです」
「いや、けど現に毒は散布されてませんけど」
連中の『起爆』がブラフだったとは思えない。
「……たしかにあの時、なにかがボンって『弾けそう』にはなったんです。けど私がなにかする前に、このコたちがこう、どこからともなくしゅばばばっと」
プルメリアさんの妙な手振りの先にいたのは……黒い猫。
1匹や2匹ではない。
いつの間にやら、がらんとしたバカでかい地下通路のそこかしこに黒猫たちがたむろしていた。
……なにが起きたのかはわからないが、誰の仕業なのかはわかる。
こいつらを使えるのはただ1人。
「アマリリスさま」
グリゼルダが思い出したようにいった。
「――そうだプルメリア! こんなことしてる場合じゃなくて、さっきもいったけど今アマリリスさまがここのどこかに!」
敵の無力化を確認したグリゼルダはその残骸を放り投げ、プルメリアさんに詰め寄る。
「お、落ち着いて、落ち着いてくださいグリゼルダちゃん。ほらこの
「た、たしかに!」
なんだかふわっとした理屈未満だったが、今のグリゼルダには効果があったようだ。
「いいですかグリゼルダちゃん。今私たちがいるのはここです」
懐から地図を取り出したプルメリアさんが現在地を指す。
「アマリリス様がどこへ連れ去られたかはわかりませんが、どこへ行くにせよ必ずこの……なんでしょうこれ? ええと、とにかくこのでっかい謎空間を1度は通る筈です。だからまずはここに行って、適当な御仁を締め上げるなりして足取りを追うのがいいかと」
「す、凄いプルメリア! ありがと! すぐ行こう!」
今にも駆け出さんばかりのグリゼルダとは対照的に、プルメリアさんは静かにいった。
「だから落ち着いてくださいグリゼルダちゃん。私、ケンカとか本当にダメなんで、同行しても足手まといになっちゃうと思います。ですので」
あやべ。
この流れはまずいと彼女は察知したが、走って逃げるわけにもいかない。
「マナナちゃん。アマリリス様を助けるのを手伝ってくれませんか?」
正直、個人的にはどうでもいい。
彼女はアマリリスさまという存在に、これといって特に思い入れはない。
もう頼まれた仕事は終わったし、ヘレシーちゃんのいうところの余計な残業なんてしたくない。
だが『A&Jの社員であるマナナ』がバカ正直にそんなことをいってしまえば……A&Jと王家筋との間に、かなりデカ目な不和の種を蒔くことになるのでは?
実際にはこれ、選択肢なんてないんじゃ?
「……了解っす。微力を尽くしマス。わたしのこの働きは、ちゃんと御当主さまやA&Jに伝えておいてくださいね」
「それはもう。褒め倒しておきますとも」
改めてプルメリアさんの地図を確認し、目的地である超大規模謎空間への道順を覚える。上上下下左右左右――なんだこのハズレルートばっかのクソ迷宮は?
「グリゼルダちゃん、手が空いてるなら手伝ってください。そうです、この上に乗せるんです。ってああ! 放り投げちゃダメですよ!」
「だってプルメリアこれ――」
騒がしい声に視線を上げると、どうやら荷運び用のソリの上に直衛の死体を乗せているようだった。
「どっから出したんすか、そのソリ」
「雪の荷運び、という古い魔術ですよ。ま、ただソリを出すだけなんですけどね」
「武器の形成とは違うんすか?」
「それの元ネタって感じでしょうか。廃れちゃうのも納得の、微妙な術です」
いってる隣でグリゼルダが、いかにも恐る恐るといった及び腰で
なんだあいつ?
なんで今さら死体ごときにびびってるの?
つうか自分でやっといてなんだその反応?
たしかに、伸びてぐにゃりと捻れ、さらには折れた骨が飛び出した首は気色悪いとは思うが、べつにこんなのこれまで沢山見て――
……は?
一瞬、反応ができなかった。
だがよく見れば、その顔色は死人のそれではなかった。
え? いや、けど、首があんな状態で正しく血流が巡るなんてことがある?
わからない。わからないが、向こうはただ見ているだけで
ならばこちらが先手を、
「あ、大丈夫ですよマナナちゃん。今そのコ、悪さはできませんから」
いってプルメリアさんが
が、その重量ゆえにじりじりとしか進まない。
プルメリアさんの目が逸れたのを確認したグリゼルダが、雑にぽいっと
「……ぷ、プルメリアさんこれ、生きてるんすか?」
自分でいってて笑いそうになる。
あそこまで頚部が捻れ壊れて生きてる奴がいるかよ。
「死んではいませんね。ただ痛みはそのままです。最初はとってもキツいですから、心まで健康に戻れるかは五分といったところですね」
当然のように返ってくる返事。
プルメリアさんにとって、
なんだ? なにが起きている?
軽く捻られるだけでも痛いのに、ああも曲がってへし折れ飛び出たら、そりゃもう超がつくレベルの激痛だろう。それこそ死ぬほどの。
彼女を見る
この日初めて、彼女は怖いと思った。
プルメリアさんを手伝うついでに
しかし死体ではあり得ない、たしかな体温があった。
定期的に引きつる筋肉が、今も絶え間なく苦痛に襲われていると教えてくれた。
「……これ、プルメリアさんがやってるんすか?」
「やっぱりファルネウスの直衛が死んじゃうと、色々と問題になっちゃいますからね。あ、
「はい」「うん」
彼女とグリゼルダは同時に即答した。
なまじ死に触れた経験が多い分、嫌でも理解してしまう。身近に感じてしまう。
これは、怖い。
アマリリスさまのどこか浮世離れした絵空事とは違う、地続きの肉感が胃を圧迫するようなおぞましさ。
死による苦痛からの開放が強制的に延期
間違っても慈悲などではない、もっと痛ましいなにか。
これに触れてはいけない。
魔女の下で生き残る為の
その行使のタイミングに抜かりはない。
「あ、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。この2人は初めてだからきついだけで、ロイ君あたりはこの程度の損傷ならまだノリノリで動きますし、ヴィーちゃんは飛び出した目玉を投げて目潰しとか普通にしますし、アメジストさんなら上半身と下半身でそれぞれ別のことを――」
……やっぱこの人、フォローがへたくそすぎる。
ただの本当にあった怖い話だろそれ。
まさかこの世に、特別行動隊より酷い職場があるとは思わなかった。
もし知り合いが当主の側付きになろうとしていたら、絶対に止めておけとアドバイスしてやろう。
そう彼女は心に決めた。
※※※
「じゃあ私の方でも応援を呼んではみますが……正直、あまり期待はできませんよ。最速でも後始末に駆けつける感じになっちゃうと思います」
報告がいって人員を集めて再び
「なにが起きるかわからないから、それでもお願い」
「はい。承りました。グリゼルダちゃんもマナナちゃんも、十分に気をつけてくださいね」
そうして2人の直衛が乗せられたソリを
上下に分かれた通路を上に。次に行き着いたのは左右の分岐で「あれ? 次も上じゃ?」と思い調べれば、分岐前の岩肌むき出しの天井がぱかっと開いて、さらに上への梯子があった。
――わかるか! こんなの!
などと内心でつっ込みながら、さらに進むことしばらく。
ガチで怖かったプルメリアショックが抜けてくると、徐々に
――なんでわたしは、バンビを殺した奴と仲良く肩を並べてるんだろ。
2人で行動を始めてから、どちらも一言も喋ってはいない。
彼女が口を開けば、きっと恨み言が飛び出てしまうので、意図して閉じていた。
「……あの」
先に口を開いたのはグリゼルダ。走る足は緩めず、同じペースのまま続ける。
「来てくれて、ありがとう」
彼女は危うくキレそうになった。
ふざけんな。お前の為じゃねえよ。仕事の都合で嫌々だよ。
……そんな本音をいってもしょうがないので、代わりにずっと気になっていたことを訊く。
「お前、さっき根暗女をやる時、なんで『2体』しか出さなかった? 広さは十分にある。いつもみたいに5、6体でやれば、もっと簡単だった筈だ。違うか?」
グリゼルダは答えない。足音だけが響く。
1度開いた口はもう止まらない。
「さっきお前の『分体』を見た時、前の隊長――ネーブルさんを思い出した。結合が甘くなってゆるゆるで、けど力技でどうにか維持してる。わたしは目が良いからわかるんだよ、なんかそういう細かいのが」
次の分かれ道が来たので右へ。
「ネーブルさんの『分体』がそんな風に気持ち悪く見えたのは、あの人の最後の出撃の時だった。もうあの時点でネーブルさんは限界だった。脳は壊れてた」
そこでようやくグリゼルダが答えた。
「ボクがもう限界――壊れてるっていいたいの?」
「そんな
そう。
アマリリスさまに『貰った』ノエミは、意味不明なまでにパワーアップした。
正直なところノエミも多重身体を扱う以上、いつか必ず限界が訪れる筈だった。
しかしそんな限界なんて、一瞬でどこかへぶっ飛んだ。
ならグリゼルダも同じように『貰え』ば、きっと全て解決する筈なのだ。
なのに。
「お前たぶん、アマリリスさまに隠してるだろ。もう自分が限界だって。もうすぐ頭がダメになって死ぬって、必死こいて隠してるんだろ? なにやってんの? バカじゃないの?」
口調が荒れるのを止められない。
いや、そういったブレーキ自体が蒸発しつつあるのを彼女は自覚できない。
「マ、マナナには関係ないだろ。放っといて」
「は? 寝てんのかお前? ボソボソ意味わかんねーこと言ってんじゃねえよハッキリ言えよ」
一瞬の間。
グリゼルダが強い口調でいう。
「――あのねマナナ。ボクは乞食じゃないんだよ」
は?
なにそれ?
乞食じゃないから貰えない?
だからやせ我慢して死ぬ?
は?
はあ!?
「ふざけんなよグリゼルダ。お前バンビを殺してまで生き延びようとしたんだろうが。それをなに意味不明の屁理屈で自殺しようとしてんだよナメてんのか手前ェ……!」
「は? マナナ、なにカン違いしてるの? なんでボクの生き死に、おまえの許可がいるんだよ? バンビが死んだのはあいつの方が弱かったからだよ? バンビの方が強かったら死んでいたのはボクだったよ? おまえあいつのこと美化しすぎだよ。そういうのは仲間内でやってよ、鬱陶しい」
決してグリゼルダは弁が立たない、いわれっぱなしの奴ではない。
どこか頭の片隅でそれを理解していたから、こうして直接対峙することを避けていた筈だったが……。
結局は、こうなってしまった。
「そっか。わかった。お前、そのまま無意味に自殺するっていうなら、ここで死ねよ。それなら少なくとも、わたしの気分はスッキリする。ゼロより1の方がまだマシだろ。弱い方が死ぬんだろ?」
「面倒くさいよマナナ。おまえをやるとノエミもついてくる。ボク、あの綺麗な鷹は嫌いじゃないんだ」
「なに? 勝てるつもり? 壊れかけの分際で?」
「タネの割れた手品師風情が、凄い自信だね? 恥ずかしい」
「大好きな手品で死ねるんだ。喜べよ」
「違うね。マジシャンでもクラウンでもない。どっちかっていうと『火吹き男』だ。吹くのは火だけにしときなよ、恥ずかしい」
彼女は隣を走る的を
※※※
-146.1021
「……なんでだ。おかしいだろ! ボクを拒絶できる確固たる意志を持ち続け! 今なお気高いままのキミたちが! 最も誇り高い決断をしたキミたちが! なぜそうなる!? こんなの、
ゴミ捨て場。
そう呼ぶに相応しい場所だった。
連日行われている『戦勝パレード』などという乱痴気騒ぎによって生み出され続けている膨大な量のゴミを、とりあえず放り込んでおけとばかりに積み上げた廃棄場。
街区の隅にあるのは民を第一に考えるそのお人柄の表れ、などと持て
焼かれ崩され汚物にまみれ、今や在りし日の威容は見る影もないゴミ捨て場。
そこに投棄された、かつての家主たち。貴き一族の残骸。
五体満足な者など1人もいない。悪意に満ちた拷問が人としての機能を面白半分に破壊した。ロクに治療もされていないのか、膿んだ傷と血のにおいが鼻につく。ここにいる全員、そう長くはもたない。客観的な事実が彼女の頭を少しだけ冷やした。
「なぜ貴女が泣くのです」
中でも特に重傷だと思われる女――頭髪は刈り取られているが体型からそう判断した――が1歩前へ這い出た。
「……泣いてるんじゃない。怒ってるんだ」
「いずれにせよ、早くここを離れた方がよろしいかと。誰かに見られると、貴女までこうなってしまいます」
「それはさっき聞いた。そもそもキミは誰だ? ここの当主か?」
「当主である夫は喉を潰されたので、その代理として、妻であるわたくしが」
視線を辿ると、横たわり首に巻いたボロ布から血を滴らせる痩せた男がいた。
「……ボクが名乗ったのだから、そっちも名乗れよ」
「わたくしは……名乗る価値もない、愚物にございます。馬鹿な女の夢見がちな妄想に皆を付き合わせ、このような、結果に」
女は鼻を削がれていた。
さらには足腰を砕かれ、這って進むことしかできない。
「まるで、蛇でございましょう? 愚か者にはお似合いの――」
「御託はいい。名乗れ」
彼女の強い口調に、女は――己を蛇と自嘲するそいつは、ようやく観念したかのように答えた。
「アイシャ・カラマゾフ。栄えある一族を終わらせた、忌まわしき蛇にございます」
「いいやアイシャ。終わらないさ。キミたちがここでこんな風に終わるのは嫌だ。我慢ならない。だから決めた。ボクが力を貸してやる!」
「え? いえ、いりませぬ」
「は? なんでそうなる? ここは感謝の涙と共にボクと握手だろ?」
「いえ、我等が祖先に追放されて恨みがあると申す御方に、力を貸すといわれましても……」
「いやまあ、たしかにそうだけどさあ。ここはイチかバチかの賭けに出るトコだろ」
「そういうのは、もう十分でございます」
「ええー、失敗から学ぶのはいいことだけどさあ。ちょっと保守的すぎない?」
「ではまず、具体的な話をお聞かせ願えますか?」
「そうだなあ。各種治療はもちろん、その自認『蛇』っていうのも面白いかもね。多重身体っていうなんか意味不明の古代技術があって――」
風に吹かれて、1枚のボロ布が宙を舞った。
それはかつてここに掲げられていた旗。
南方の雄、大貴族カラマゾフ家の家紋。
黒薔薇をモチーフとした、亡家の紋章。
TIPS:特別行動隊の裏技
様々な物を闇市へと売り捌いていたが、中でも最大の利益を叩き出していたのは、レストラン『エルダーエルダ』でデザートや甘味類の作成を一手に引き受けていたノエミの流す砂糖だった。各種まぜ物でかさ増ししまくって、もはや砂糖と定義するのもおこがましい『なにか』に成り下がっていたが……それでも甘いという事実はどんなやべえ薬よりも人々の心をキャッチした。
TIPS:力を抑えたり調節することが一切できなくなった導師カラマゾフ
こそこそしてんじゃねーぞ! → 常に堂々と全力全開だ!
術者であるヨランダの価値観に基づいた不可避の強制。
通常ならまだ対処のしようもあったが、今のカラマゾフと組み合わさることで崩軍の呪いへと(勝手に)進化した。
TIPS:
その眼球の仕組みは、未強化を示す『ゼロ』とほぼ同じだと既に判明している。
よって、暗視が可能となる
以上の事実から、現代のネグロニアにおいて
武術大会では勝ち目がない頑丈な
戦術教官が飛ばす鉄板のジョークである。
TIPS:
マナナの予想した、死亡による候補生の数の減少が凄まじいというのは表向きの理由。
実際は、トライアルを突破した狙撃型が軍規違反により処分対象となった際、徹底抗戦の構えを見せ激しく抵抗し甚大な被害が出てしまったから。
基本的に逃げながら一方的に敵を撃つ狙撃型を仕留めるには同型を当てるしかなく、その対処法を身につけているトライアル突破世代を止めることはほぼ不可能だった。
なのでマナナ以降の世代は『ちゃんと知っている』狙撃型を当てればワリと簡単に対処できるよう調整された。
TIPS:同型に対するマナナの切り札。
誰にも明かしていないし明かすこともない、古びた隠し札。
彼女のつくり出す望遠鏡を使うと、
はるか遠くを見たいという、遮るものなんてどこにもない、原初の願いの結実。
知識と経験が豊富な相手であるほど、これは必殺の一手となる。
高出力大容量マルチロックオンなゾーイとの撃ち合いにおいて、力での押し合いは即敗北に繋がるので、実はこれが生命線となっていた。
TIPS:ファルネウス直衛の行動方針
血縁の身内でもある彼や彼女たちは、基本的に『
特別行動隊は全て排除するべし。彼奴等はファルネウスにとって明確な『害』である。
サリアデール、ブーゲンビリア両名が本島へと退避した後の彼らは、その原則通りに行動した。元特別行動隊隊員を殺すな、という約束はどもにもなかったので、とくに問題はなかった。王家の小間使いが巻き込まれてしまうことについては、本当に残念に思い、心よりお悔やみ申し上げるつもりだった。
マナナの生存を把握していた(べつに隠してもいなかった)彼らは、起爆の際の目付け役に自らマナナを指名した。これ以上ない公平な人選、と嘯いてみせた上、さらに本来よりも起爆の有効範囲を狭く小さく申告することで『不幸な事故』が起きる手筈は整えられた。
つまるところ、マナナさえ動かせば、連中が起爆するタイミングは任意にコントロールすることができたのだ。
旧王家サイドからすれば、何の脈絡もなく不意にポチっと爆破されるのが最も嫌だった。
TIPS:プルメリアによる除染
ホウセンカという毒に内包された『死』を無効化することにより、結果的にそうなる。
概念の操作に類する異次元の御技だが、彼女の性質上、他者を傷つけることだけは絶対にできない。
また力の行使には自身が『当事者』であることが必須条件。
なので直にファルネウスの実行役と行動することで、本件を強引に『彼女自身の話』とした。
基本的に『受け』の力なので1度ホウセンカを爆破させる必要があり、こんな危険な役目に付き合わせてしまうマナナには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
だからできる限りサービスしようと、聞かれたことには可能な限り答えたのだが……なんか思ってたよりもノーリアクションで食いつきも悪く、内心しょんぼりしていた。
本件――地下除染案件に関して、プルメリアに課せられた守秘義務は一切ない。
どうせすぐに、それどころではなくなるからだ。
TIPS:王室付き紋章官による本件の総括
後の調査により、最初の旧離宮での邂逅時に『鳳仙花』の無毒化は完了していたと断定。
つまるところ本件は、皆誰もがありもしないものを巡り右往左往するという『意図された喜劇』であり、特記対象乙(別紙注釈参照)による