初うまぴょいまであと1時間-シーズン1-   作:初瀬川みそら

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世界一甘いお・ね・だ・りースーパークリークの場合-

 金曜日の夜八時を過ぎ。

 街の喧騒に飲まれることもなく真っ直ぐに帰路につく。

 真っ暗な空には星も見えず、帰路の景色は見るものどこか色褪せていた。

 

「……はぁぁぁぁぁあぁ」

 

 自宅のマンションにたどり着いた瞬間、トレーナーは全身から力が抜けるようなため息をついた。

 自室に向かうエレベーターを待ちながら、傍ら、一週間分の洗濯物がみっちりつまったスーツケースに寄りかかるものの、肩から羽織ったコートのように疲労感は拭えない。

 

(久しぶりの、土日休みだ)

 

 どろんと自身の瞳が濁っているのを自覚しながら、最上階から嫌にゆっくりと降りてくるエレベーターの階数表示を、眺めた。

 

(来週からトレーニングに集中できる……つか、まずは洗濯物回さないと先週分も残ってるよな……ドラム式にしとけばよかった……あれ、来週のメニューどこやってたか……)

 

 頭の中では月曜日からのトレーニングメニューを思い出そうとして、しかしうまく形にならなかった。

 家の中で何をすべきかのタスクが差し込まれ、月曜日からの予定を考えることすらままならないほどに、トレーナーは疲れていた。

 

(……スーパークリークを育て上げたトレーナーなんだ、しっかりしろ)

 

 ようやくエントランス階に到着したエレベーターへ、自分を鼓舞しつつ身体を流し込むように乗り込んで、トレーナーは自室のある階のボタンを押した。

 エレベーターが動き出した途端、トレーナーはその場にしゃがみ込んでいた。

 

(しかし、天才トレーナー……か。こういう疲れは、慣れてかないといけないんだろうな……はーしんどい、この場で寝てもいい……けど、部屋まであとちょっとだ)

 

 エレベーターの中という一種の個室にあって、緊張の糸を完全に解いていたトレーナー。

 心の中に自分が専属トレーナーを務めるウマ娘……スーパークリークの笑顔を思い出しながら、その場で眠ってしまいたい自暴自棄な衝動に抗っていた。

 エレベーターから出ると、都市部の中層マンションでもビル風が地上よりは強く吹いていて、十二月初旬の風は疲れた身体にはしくしくと染みこんでくる。

 

(二週間……ちょこちょこ電話はしてたけれど、クリークとろくに話せてないな)

 

 疲れた身体と重いスーツケースを引きずりながら、廊下の一番端にある自室へ向かってトレーナーは歩く。

 歩きつつ、見慣れた廊下という安堵の景色の中に、ぼんやりとスーパークリークを思う。

 長く腰元まで届く、ゆるりと大きな三つ編みを編む栗色の髪。

 青いリボンが映える大きくて真っ直ぐな鹿毛のウマ耳。

 いつも穏やかな笑みをたたえる白百合の様な面立ち。

 女性らしい丸みのある肩や、豊満な胸、緩やかに曲線を描くまさしく円孤のマエストロが如き肉感的なウマ娘は、包容力が溢れ出るその容姿で当代のウマ娘軒並みを戦々恐々とさせる、『魔王』だった。

 というのも、天皇賞春秋連覇に、念願のジャパンカップも勝利を納め、オグリキャップやタマモクロス、イナリワンなどの有力ウマ娘を押しのける圧倒的強さが、着実に実績を積み重ねていた。

 実績とともに泰然自若とした振る舞いがいつしか強者の余裕としての彼女を演出し、穏やかな性格の彼女への親愛を込めて、世の中からは魔王と呼ばれるようになっていたのだ。

 そう、今や世の中は魔王としてのスーパークリーク、そしてその彼女をトレーニングしたトレーナーに耳目が集中していた。

 

(クリークに電話しよう……帰ったら……洗濯機回して……ご飯……ああ、コンビニで買ってくれば良かった。冷蔵庫……ビールぐらいしか入ってない……ベッド……シーツ替えたのいつだっけか……)

 

 一歩が重い。

 思った以上の疲労を感じながら、それでもスーパークリークへ連絡を取るために、帰ってからの動きをトレーナーは思い浮かべる。

 スーパークリークには、ジャパンカップ以降は主に休養を言い渡してある。生来の脚の怪我の状況が思わしくない状態であったためだ。

 その分、トレーナーが十二月の有マ記念に向け集中したトレーニングに差し障りがないように、この二週間に取材や講演の申し出を詰め込んで、ずっと全国を駆けずり回っていた。

 怪我の不遇を乗り越えさせ、見事魔王を育て上げた天才トレーナー……そんな世間の評判を受けた彼は、しかし、心ぼろぼろに疲労していた。

 

(……ああそうだ、クリークに、トレーニング見せたい、なんて、どうやって言おうかな……)

 

 講演の中では、新米のトレーナーも参加していて、スーパークリークのトレーニングを間近で見たいとの熱望もあった。

 怪我を克服し、ここまでの栄光を掴んだスーパークリークから学びたいという新米トレーナー達の情熱は、理解できない話ではなかった。

 

(……いいよ、って言ってくれるかな。でも、それは……なんか、いやなんだよな)

 

 ダービーウマ娘という一つのアイドルとなったスーパークリークに、この話をすべき事であることは、トレーナーにも分かっていた。

 彼女のファンが増えることは、ファンを大事にする彼女にとっても喜ばしいことだろう。

 だが理性と経験が導き出す彼らの情熱への理解に、感情が待ったをかけていた。

 世間の天才トレーナーという強者がすべき行動と、トレーナーの個人的な感情が拒むもの、それぞれは相反していた。

 身体だけでなく心へ掛かる負担に、トレーナーは一層に疲れを覚えていたのだ。

 なんてことはない自室への廊下を歩みきるのもなんとかで、トレーナーはようやく、自宅へとたどり着いた。

 ほの暗い廊下で身体のくせとして鍵を開け、扉を引いた瞬間。

 

「……えっ」

 

 景色が一気に温かな色に染まっていった。

 景色のはじまりは、温かなカレーの匂いだ。

 

「……あっ、おかえりなさいっ!! トレーナーさん!!」

 

 続いて部屋の奥から、耳をくすぐる、甘くてふわふわした声がした。

 「おかえり」という言葉と共に、ぱたぱたとスリッパの足音が駆け寄ってくれた。

 白い縦セーターに包まれた、むっちりと柔らかなものがリズミカルに揺れて、近づく度、独り暮らしのわびしい部屋の空気が、すんっと柔和な洗剤の匂いで爽やかに変わっていく。

 青いプリーツスカートから新雪のような真っ白な太股が覗き、お尻ではいつもよりくんっと高く上がった栗色の尾毛がゆるゆると揺れていた。

 

「クリーク……来てたのか」

「ふふっ、お疲れ様でしたぁ。お風呂の準備もできてますよ」

「あ……ああ」

 

 自室に来ていたスーパークリークは、トレーナーの手からスーツケースを手際よく取って、ニコニコと嬉しそうに笑みを浮かべてきていた。

 靴を脱げばささっとシューキーパーを差し込んで、そのまま靴下へと手を伸ばしてトレーナーの足から脱ぎ去って行く。

 

「えっ、ええっ」

「一緒に洗っちゃいますから、はい、脱ぎ脱ぎしましょうねー」

 

 そういってスーパークリークは続いて、トレーナーのベスト、スラックスを脱がせ……そしてシャツとパンツだけにされてようやく、トレーナーの意識がはっきりとした。

 

「ちょ、ちょっと、この先は自分でやるっ!」

「あらあら、そうですか? じゃぁ、この二つはしまっておきますねっ」

 

 穏やかな笑みのまま、スーパークリークはクローゼットの方へぱたぱたとかけていき、消臭スプレーなどの音のあと、すぐに駆け戻ってきた。

 

「ゆっくりお風呂に入ってきていいですからね。溜まってたお洗濯も、お部屋のお掃除も、ベッドのシーツ替えも全部やってありますからっ」

「そ、そんなことまで……」

「うふふっ、トレーナーさんが帰ってくると思ったら、待ちきれなくて……頂いていた合鍵をはじめて使っちゃいました」

 

 お風呂場へ向かうトレーナーは恐縮しながら言うが、スーパークリークは嬉しそうにポケットからキラキラとしたこの部屋の合鍵を見せてきていた。

 二週間の間、レースや重要書類などがトレーナーに来た場合に、渡せないと困るため(実際のところそういう名目で (・・・・・・・・・・・・・))、この前渡したものだった。

 

「書類もたくさん溜まっていましたけれど、急ぎのものはなさそうでしたから……ご飯を食べてからゆっくり確認しましょうね」

「……うん」

「それじゃ、スーツケースのお洋服も、全部洗っておきますねっ」

 

 風呂場から顔を突き出すようにして応えたトレーナーから、シャツとパンツを受け取ったスーパークリークはニコニコと洗濯機のあるスペースへ駆けていく。

 スーパークリークが来てくれたことで、白い室内灯に照らされた自室は、出て行くよりも整然としていた。

 キッチンから漂うカレーの煮立つ泡の音と、水蒸気を吹き出しているのだろう炊飯器の音が、部屋を温かなものにしてくれていた。

 

(……お風呂……入ろ……)

 

 念のため内鍵をかけ、かけ湯をしてから湯船に浸かる。

 

「ふっ……ああああああああああ……」

「……ふふっ、お洋服もいっぱい頑張った匂いがします、いいこ、いいこ、ですね……っ」

 

 浴室から漏れ聞こえる、魂が抜けるようなトレーナーの大きな感嘆の声を聞きながら、スーパークリークはつんと汗に匂う衣服を分けつつ、ぎゅっと頬頭を上げて独りごちていた。

 トロ火で穏やかに沸騰するカレー鍋の隣で、水蒸気を上げていた炊飯器が炊き上がりを告げる電子音をならした。

 ……それは、灰色の金曜日が、一気に色めき立っていくホイッスルだったのかもしれない。

 

 ――世界一甘いお・ね・だ・り

 ――初うまぴょいまであと1時間

 

 

 ****

 

 ――初うまぴょいまであと五九分

 

「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした。うふふっ、いっぱい食べましたねぇ」

「めちゃくちゃ美味しかった……久々にお腹いっぱいだ」

「明日はもっと美味しくなりますから、一緒に食べましょうね」

「そりゃ楽しみだ」

 

 しっかり洗濯されたスウェットに着替え、スーパークリークお手製の極上カレーを二杯平らげたトレーナーは後ろ手について、お腹をさすった。

 

(カレーは翌日が旨いって言うし……明日かぁ……)

 

 ささっと卓上の食器を片付けるスーパークリークがさりげなく言った言葉に、満腹に油断していたトレーナーは言って気づく。

 

「……ん? 明日? 一緒に?」

「はいー。明日の朝食べるのも良いですねぇ」

 

 さも当然のように明日の朝に食べるという選択肢を提示するスーパークリークに、トレーナーが思わず時計をみれば、寮の門限はとっくに超えていた。

 

「ちょ、ちょっと待て、寮の門限とか、手続きとか」

「今日は寮長に外泊届を出してあります。実家に帰りたいのでーって」

「……それは大丈夫なのか?」

「……ふふっ、今の私は魔王ですから、悪い子なんです」

 

 キッチンから顔を出して、ぺろっと舌を見せるスーパークリークが妖しく微笑むのに、トレーナーは苦笑を返しながら、念のため寮長には裏を取ろうとスマホを取り出す。

 だが取り出した瞬間、その寮長からメッセージでの連絡があった。

 

(『キュートな『彼女』のエスコート、よろしくね』……フジキセキにはバッチリバレてる……)

 

 彼女、という処にわざわざデコレートしてきた寮長のメッセージを見て、頬に少し冷たい汗を覚えつつ、トレーナーは満腹と何ともいえない緊張に「はぁ」と息をついた。

 

(……ゆっくりクリークと話せるからいいか)

「トレーナーさん、アイスも買ってきましたから、一緒に食べましょうねぇ」

「うん、ありがとう」

 

 風呂とカレーで満たされた身体の感覚に、濁っていた瞳が徐々にクリアになっていく。

 トレーナーはスーパークリークが手際よく食器を片づける水の音に耳を浸していた。

 

 

 ****

 

 ――初うまぴょいまであと四八分

 

 ひんやりとした器に、アイスが盛られた。

 ただし、器は一つ。

 器とスプーンを手に持つのはスーパークリークだった。

 トレーナーとスーパークリークは菊花賞を勝利した帰りに見つけた、肉厚のカップルソファに並んで座っていた。

 

「ふふっ、それじゃぁ、あーーーん」

「……え、えっと……あーーーん」

 

 ニッコニコの笑顔で、彼女が差し出すバニラアイスの乗ったスプーンを、トレーナーはいささか頬が熱くなるのを感じながら、震える唇を開いて受け入れる。

 

(ひ、久しぶりだとやっぱり恥ずかしいな……)

 

 赤子のように口を開くと、すっとスーパークリークが舌の上にアイスを乗せてくれる。

 つめたく、甘い。

 風呂とカレーにあったまった身体へじわりと染みこむ食感と甘さは、じわじわとトレーナーを解きほぐしていく。

 

「うふふっ、おいしいですか?」

 

 解きほぐすのは、身体だけでなく、トレーナーのここのところの心の苦労にも及んでいた。

 

(おいしい……おいしいな……すっごくうまいなぁ……二週間ぶりだからかな)

 

 振り返れば、講演の合間で、一人で掻き込むように食べる食事や、移動しながら口に含むゼリー飲料は味気なかった。

 次の講演のための資料に目を通しながら食べた弁当の味は覚えていなかったし、最後の方は質問の回答をメール返信するのに、お茶ぐらいしか飲まなかった。

 それでもそういうことを張り詰めて頑張ってやりきった。

 結果として迎えたこのアイスは、トレーナーにとって、もはやただのバニラアイスではなかった。

 労苦に対して纏った緊張で編み上げた心の外套を溶かす、とっておきの糖蜜。

 そして、その糖蜜が外套を崩したことでようやく、溜まっていたものがトレーナーの目からこぼれ落ちはじめた。

 

「……えっ、と、トレーナーさん?」

「……あ、あれ?」

 

 慌てるスーパークリークの前で、トレーナーの瞳からはぽろぽろ涙が流れる。

 勝手に流れ出した涙を、トレーナーは必死に拭うが溢れ出して止まらない

 

「えっ、あっ、うっ、うああ゛っ」

「大丈夫……大丈夫ですよ、トレーナーさん」

 

 ぼろぼろと零れる涙に引っ張られて、嗚咽が漏れ出そうになるのを抑えるトレーナーを、ぎゅっと柔らかく温かいものが大きく包み込んだ。

 スーパークリークの柔らかな白セーターの胸元に、トレーナーの顔が埋もれるように抱きしめられていた。

 

「……クリーク……クリーク……」

「はい、ここに、ここにいますよ、トレーナーさんっ」

 

 とくん、とくん、とくんとスーパークリークの心音がトレーナーの耳朶に温かく伝わってくる。

 涙で濡れる胸元に、むっと濃密なスーパークリークの匂いが漂った。

 彼女の存在感にぐずぐずに揺れてしまっていた心までもが抱きしめられていく。

 

(……あったかい……俺、こんな、クリークに……そっか……本当は)

 

 そうした心の抱擁に、普段なら素直に言えない、心からの欲求が口から溢れる。

 

「もっと……もっとぎゅっとして」

「っ……!! はいっ、はいっ!」

 

 応えたスーパークリークは、豊満な胸の谷間にすっぽりとトレーナーの頭を掻き抱いてくれた。

 トレーナーもぎゅっと抱きしめ返し、彼女の体温が、自分の身体に融け行くようにすら感じた。

 けれど、心からの欲求は、本当は、それでも足りない。

 

(俺は、トレーナーとしてスーパークリークを、でも……本当はこうして甘えて……彼女に、もっと)

「クリーク……あったかい」

「はい。私もあったかいです。いいこ、いいこ……」

 

 腕の中で抱きしめながら、スーパークリークはトレーナーの後頭部をゆっくりとさすってきた。

 

「その……もっと、して、ほしい」

「はい、いいこいいこ」

「ううん……それだけじゃ、なくて」

 

 頭に昇った血を穏やかに身体へ戻す様な手つきに、むずむずとした欲求が言葉になっていく。

 

「うん。ゆっくりで大丈夫ですよ。言えますか?」

「うん……膝枕、して」

「もちろんっ……!」

 

 トレーナーが彼女の胸元から見上げたスーパークリークは、嬉しそうに赤らんだ顔で微笑んだ。

 そっとトレーナーを身から離すと、ソファの上で少しだけ身をずらした。

 むっちりとした白い太股を揃え、膝頭をトレーナーに向けると、大手を広げてみせた。

 

「ほらぁ、おいでっ」

(……ごめん、クリーク。でも、今日だけ……俺、少しだけ素直になって、いいかな)

 

 トレーナーは、少しだけ涙の残滓が残った眦をぬぐった。

 そしてもはや、重力に引き寄せられるようにクリークの太股に自分の頭を寄せていった。

 

 ****

 

 ――初うまぴょいまであと三十分

 

 ソファの上で体勢を変え、トレーナーは、スーパークリークの膝枕に寝転んだ。

 スーパークリークの太股は肉感的で、柔らかくもしっかりと頭を支えてくれた。

 温かい肌の感触と降り注ぐスーパークリークのいい匂いが合わさって、トレーナーのまぶたも思考もトロンとしてきていた。

 

「うふふっ、今日のトレーナーさんは甘えん坊さんですね」

 

 スーパークリークの言葉もどこか甘く響く。

 スーパークリークの方を向き、魅惑的な太股の感触に浸るトレーナーの頭を彼女はゆっくりと撫でていた。

 

「二週間も離ればなれで寂しかったのに……うふふっ、こんなにいっぱい満たされちゃいました」

 

 自分の髪をなぞるように撫でてくれるスーパークリークの手に目を細めつつ、トレーナーはぎゅっと彼女の腰に抱きつくように腕を回した。

 

「……ごめん、クリーク」

「いいんです。もっといーっぱい甘えてください……本当に、大変だったみたいですね」

 

 彼女のお腹に額を当て、彼女の太股に頬を擦りつける。

 トレーナーとウマ娘という境界線も、大の大人という外套も脱ぎ捨てて、大河のような彼女の包容力に包まれていく。

 

「二週間も離れて、ごめん、クリーク」

「いっぱい頑張ったってことじゃないですか。立派になって……嬉しいです」

 

 スーパークリークの柔和で少しむず甘い匂いを感じながら、トレーナーは、ぽつり、ぽつりと言葉を漏らしていく。

 それはどこか懺悔のようで、普段の『立場の建前』のない、ありのままの心だった。

 

「うん……俺、頑張ったんだ。クリークに、もっと走って欲しくて」

「……はい」

「クリークが俺をここまで連れてきてくれて、それに応えたくて」

「トレーナーさんは、とっても頑張っています。これまでだって、ずーっと」

「でもやっぱり慣れてなくってさ、俺。俺、もっとクリークの隣で、トレーナーしてたい」

「……っ! うふふっ、そうですか。トレーナーさんは、本当にトレーナーさんなんですね」

「もっと頑張るから、俺、クリークに、トレーナーとして、クリークの隣で、応えたいんだ」

「トレーナーさん……」

 

 頭を撫でてくれたスーパークリークの手が、頭を抱き込むように上から包み込んでくれた。

 身をかがめたことで、スーパークリークのたわわな胸が、太股との間でトレーナーの頭を挟み込む。

 

(ああ……そうだ……新米トレーナーになんて、見向きもして欲しくない。クリークに応えるのは俺だ、俺にクリークも応えて欲しい)

 

 彼女の柔らかな匂いとぬくもりでいっぱいの、彼女の柔らかさがつまった抱擁に、トレーナーもまたよりぎゅっとスーパークリークのお腹にすがりついた。

 

「クリーク、俺のそばから離れないで欲しいんだ。俺、もっと頑張って、クリークをもっといろんなところに連れて行くから」

「大丈夫です、大丈夫です。大丈夫ですよ、トレーナーさん。私、トレーナーさんから、離れたりしません。私も、トレーナーさんとずっと一緒にいたいです」

 

 スーパークリークとトレーナーは、互いの呼び名を呼び合いながら、ひたすらに離れないと伝え続けた。

 スーパークリークはむっと温かい抱擁の中で、恋人のように言葉をかけた。

 スーパークリークの極上の柔らかさの中で、トレーナーは彼女の名前を睦言のように甘く呼び続けた。

 恋よりもずっと切実な思いで、二人は二週間ぶりの感触の中、しばらく語り合った。

 

 

 ****

 

 ――初うまぴょいまであと十五分

 

(……クリークに、もっと、甘えたい。他の誰にも、渡したくなんてない)

 

 トレーナーの思考は、一層にぼうっと蕩けていた。

 スーパークリークの膝の上で、背と太股の裏に腕を回され、赤子のように抱き留められた格好だった。

 トレーナーは抱かれつつ、彼女の左胸に耳を当てて心音に浸っていた。

 たっぷりと至高の柔らかさの中で包まれて、なおトレーナーは、スーパークリークへの執着のようなものが、拭えずにいた。

 

「……うふふっ、こんなに甘えん坊さん、私すっっごく幸せです」

 

 とくん、とくん、とくん、とくんと、スーパークリークの心音は先ほどよりも速く強く打っているのが感じられた。

 確かに、彼女の喜びは興奮になっていることを感じながら、トレーナーはそっとスーパークリークの頬へと手を伸ばす。

 

「ねぇ、クリーク」

「んー? どうかしましたか?」

(……もう、抑えきれないよ、クリーク)

 

 差し伸べられたトレーナーの手にすりすりと頬を寄せながら返すスーパークリークに、トレーナーは溢れ出た執着をそのまま口にしてしまった。

 

「……欲しいんだ。もっと。クリークが。その……もっと、深く」

 

 真っ直ぐに見つめるトレーナー。

 一瞬、首をかしげそうになってしかし、スーパークリークは目を見開いた。

 ごくりとトレーナーの呼吸が生唾を飲み込む。

 飲み込んだ生唾が、喉を通り抜けてややあってから、スーパークリークがこれまでで一番、目を蕩かせてにっこりと笑んだ。

 

「ふふっ……そっか……そっかぁっ……ふふふっ」

 

 今、トレーナーにだけ向けられた、大輪の輝き。

 独占できる唯一の人へと、スーパークリークは抱き寄ってトレーナーに、少し湿った声で耳打った。

 

「それじゃぁ……トレーナーさん。お・ね・だ・りしてくださいっ。私は、トレーナーさんになら、なんだってしてあげますからっ」

「……してほしいこと……」

 

 トレーナーの頭を、さまざまなものが過っては一気に湧き上がり、収束し、蕩け、瞬き、決断を妨げていく。

 だが本当にしたいこと、という一点においてトレーナーは今や、スーパークリークを前に、恥じらうことはなにもない。

 もっと深いことを求めていることを、すでに話してしまっているのだから。

 

「……いちゃいちゃ、したい」

「うふふっ、はいっ、わかりました。そうしたらぁ……トレーナーさん、私に跨れますか?」

「跨るって……太股に?」

「大丈夫、ソファもあるので重くありません」

 

 いわれるがまま、彼女の太股に跨るようにトレーナーは足を広げた。

 ソファに沈むスーパークリークの身体に抱きつくように、互いの真正面に抱き合う格好となったトレーナーは、彼女の肩に手を置いて彼女と向き合った。

 それは、まるで幼子が母にあやされるために、ぬくもりを求めてする格好だ。

 

「これで、トレーナーさんのお顔がたくさん見えますね」

「……本当だ」

 

 二人は額を突き合わせ微笑み合った。

 くりくりと額をこすり合わせるようにしたスーパークリークがいたずらっぽく上目でトレーナーを見つめると、トレーナーもまたスーパークリークの額にこすり合わせるように自分の額を合わせる。

 

「ふふっ、……トレーナーさんだぁ……うふふっ」

 

 言葉にしないで伝わった互いの行為に、スーパークリークは鼻の頭をそっとトレーナーのそこに押しつけ、トレーナーもまたくりっと押し当てた。

 彼女の鼻の先まで柔らかく、高い鼻梁は触れあう度滑らかな感触がしていた。

 

「うふふふっ、じゃぁ……今度はぁ」

 

 嬉しそうなスーパークリークが、一瞬、目をじんわりと、艶めいて濡らした後。

 スーパークリークは唇の柔らかさを、トレーナーの唇へと重ね合わせていた。

 トレーナーがこれまでのようにスーパークリークに返せば、甘く丸い味わいが唇に伝わってきていた。

 

「……もっと」

「……いいですよぉ」

 

 おねだりをするのに、とどまる思考はもはや無くなっていた。

 トレーナーが求める言葉にスーパークリークも応えてくれた。

 唇の端から、端までを啄む二人は、啄み合いながら視線を交わした。

 

「……もっと」

「……うん」

 

 上唇と下唇の柔らかさに違いがあることを、二人の唇は間もなく覚えた。

 

「もっと」

「はぁい」

 

 唇から溢れる吐息と唾液に、味と熱があることを、二人は知ってより求めるように没頭していった。

 

「「……っ」」

 

 四度目の『もっと』は、言葉の代わりにキスを返すと、スーパークリークもまたそれに応えてもはや言葉はいらなくなった。

 

(でも……まだ、足りない。誰にも渡したくない気持ちが、止まらない)

 

 互いの頭を掻き抱きながら、交わす唇の熱に溺れる中で、そっとスーパークリークの唇が、トレーナーの耳朶を打つ。

 

「……甘えん坊 (トレーナー)さん。もっと、してほしいことは……おねだり、できますか?」

 

 体中が燃え立つような、スーパークリークの魅惑のささやき。

 彼女の息が荒く、トレーナーの耳を打つ。

 身体の中心にこもる『熱』は、もうとっくに抱き合うスーパークリークに伝わっているだろうと踏んで、トレーナーもまた、スーパークリークの耳を甘く噛む。

 噛む吐息に、トレーナーとウマ娘の境界線を自ら溶かす、とっておきのおねだりを含ませて。

 

「「……」」

 

 聞いたスーパークリークも、言ったトレーナーも、ぎゅっと抱き合ったまま、言葉の余韻に浸っていた。

 互いの鼓動はどくん、どくんと高鳴りを続けた。

 興奮で張り裂けそうな沈黙。

 やがでそっと二人の抱擁の間に、些かの空間ができる。

 互いの掻き抱いていた手を、互いの指で繋ぎなおすための空間。

 指と指の間で繋ぐことで、こそばゆい手指の感触が、甘く互いの心に染みこんでいく。

 

「……いーっぱい、甘えて、いいですからねっ」

 

 微笑む彼女に、五度目のおねだりの言葉は、もう必要ない。

 トレーナーは繋いだ手ごとスーパークリークのぬくもりの中に、自分を溶かし込んでいくのだった。

 

 

 ――初うまぴょいまであと零分

 

 

 ****

 

 翌朝。

 

「……そろそろ、起きてくださいね、トレーナーさん?」

「っはっ!」

 

 微睡みと倦怠感の中で目覚めたトレーナーは、はっと声のする方向へと飛び起きながら顔を向けた。

 流れる視界の中で見た壁掛けの時計を確認する。

 朝日すっかり昇って差し込む土曜日はすでに九時を回っていた。

 

「す、すいません、これから支度を……って、あ、あれ?」

「ふふっ、まだお寝坊さんですか?」

 

 講演の迎えの車に遅れたかと飛び起きたトレーナーの視線の先には、ぶかぶかのYシャツを羽織って二つ分のコーヒーカップをもったスーパークリークがいた。

 

「はい、お目覚めのコーヒーです。一緒に飲みましょう?」

「う、うん……そのシャツは……」

「あ、トレーナーさんのをお借りしています……その、いい匂いがするのでっ」

 

 照れたように笑うスーパークリークからカップを受け取り、昨晩と同じようにカップソファに並んで座った二人は、共にコーヒーカップを傾けた。

 スーパークリークの身体にはYシャツ一枚、トレーナーは腰にタオルケットを巻いていたが、衣服はない。

 ソファの前にはテレビもあったが、トレーナーはなんとなくつける気にはならなかった。

 

「……テレビ、つけないんですか?」

「……クリークと一緒にいるから」

「私の所為、だったりします?」

「そうじゃなくて。クリークと一緒にいる時間を、過ごしたいなって」

「……うふふっ、すっかり甘えん坊さんです」

 

 スーパークリークは頭をトレーナーの肩に寄せ、ウマ耳をぴったりとトレーナーの肌にくっつけた。

 コーヒーカップを握る手の甲までくるトレーナーのYシャツを、スーパークリークはくんくんと鼻でつついて、ふわりと微笑んだ。

 ぎゅっとトレーナーの腕を抱いてくるスーパークリークのYシャツの胸元が、たゆんと揺れて擦り寄った。

 ちゅん、ちゅんと外で雀の鳴く声が響く朝の部屋は、まだカーテンで締め切られている。

 二人だけの時間、二人だけの朝。

 

((ああ……幸せだなぁ……))

 

 お互いを感じながらゆったりとコーヒーをすする。

それは甘い空気で香りたつ格別の味がした。

 

 ――世界一甘いお・ね・だ・り fin




コーヒーはきらしてんだ。
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