――二月十四日 十八時十五分。初うまぴょいまであと……
(……もう、ごまかせない、か)
「はっ……はあっ……ふ、ふふっ、決まってるじゃない」
トレーナー室に、荒い吐息が鳴る。
部屋の主である俺の耳を掠める
トレーナー室の床に寝そべる俺の身体に跨る彼女は、震える手で肩を押さえてくる。
押さえる力は強くはない。
身体だって、振り払おうと思えば振り払えるだろう。
だが彼女を見た俺は、彼女を振り払うなんて気持ちを微塵も思えなかった。
紅い瞳が、赤い頬が、俺を捕らえて放さない。
「その本当、ってのは、アタシを、見て思うことだって」
腰に感じる重みと柔らかさは、むっと熱を帯びていた。
ズボン越しに押しつけられるものと、腰回りをがっちりとホールドする太股はガーターベルトが食い込んで、視覚的も、感触的にも肉感的だった。
いつの間にかオレンジから移り変わっていた瞑色の空から、窓に差し込む薄闇の光の中でも、真っ白に輝くような太股に食い込むガーターベルトの根元……プリーツスカートの奥の感触と、想像が至って、ごくりと喉が鳴ってしまう。
「トレーナー、アタシを……っ」
(俺が、思う気持ち。俺が、どう思ってるって……)
彼女の喉が、切実に震えた。
乞う声に応え、俺は手を伸ばす。
真摯な視線に沿わせて伸ばした先、彼女の頬は、しっとりと湿気を帯びていた。
「あっ、んっ……」
(……お前と同じだよ。俺の前であんな素直なお前を見せられて)
手を伸ばした先、柔らかな頬に触れた瞬間、彼女の身体はびくんと震えた。
彼女の誇りである、青い空を写したような青を基調としたレース勝負服が、ささやかに揺れる。
彼女のトレードマークの豊かなツインテールも、真っ白なシャツを大きく盛り上げ、彼女の胸元でたわわに実る乳房も合わせて揺らめいた。
「っ……んんっ……」
(好きにならないわけがない。大切に、したくならない、はずがない)
述べた手に彼女の頬が寄り添う。
指の形に埋まる肌は、透き通るように美しい。
するりとなぞる頤のラインに、ゆっくりと指を沿わせると、彼女はうっすらと唇を開いた。
ぷんっと匂い立つシトラスの香りは、彼女の誇りである「勝負服」に染みこんだ彼女自身の体臭と混じり合って、一層に強く匂い立つ。
伸ばした手に頬を擦り寄らせる彼女が紅く真っ直ぐな瞳に見下ろしてくる。
「もっと……見て」
ぐっと腰が押しつけられる。
ズボン越し、熱い塊が彼女の奥から感じられたように思えた。
見下ろしていた彼女の小さな顔が、だんだんと近づいてくる。
彼女の香りが強まって包まれていく。
青い空を思わせるような、青地の勝負服に、金の肩章はじっとりと汗で湿っていた。
ターフをたなびく赤茶の髪が俺と彼女だけで視界を織りなすようにカーテンのようにしなだれる。
「アタシを……もっと見て。そして……アンタの、本当を、聞かせてよ」
勝負服の胸元を大きく盛り上げる、彼女の女性らしい柔らかさが、俺の胸元で柔らかく形を変えるほどに重なった瞬間。
一層にツンと甘い匂いが……潤んだ瞳が近づいてくる。
「……スカーレット」
「っ」
呟いた呼び名と共に、彼女……ダイワスカーレットの瞳が見開かれる。
ダイワスカーレットの重量感のある髪を梳くように、彼女の後頭部を撫でて、手に取る顎の先、親指で彼女の下唇をつついてやる。
ぷるん、と瑞々しい感触と見開かれた彼女の瞳に映る自身を認めて、俺は心を決する。
言う言葉は、決まっていた。
だが……詰まった言葉は、詰まることそれ自体が、最後の理性の在り方だった。
だからこそ、詰まった言葉のその先こそが、情熱の行くべき先だと俺は理解していた。
俺を押し倒す、このウマ娘と歩んできたこれまでと。
今日この瞬間にいたるまでの時間が、その一歩を踏み出すべきだと後押しをしていた。
(俺の本当。もっと君が喜ぶ姿が見たい、この気持ち……俺が思う、俺の……俺は、お前の)
抱きしめるように腕を回す。
その腕に収まるウマ娘に告げるべき言葉、それを紡ぐまでのこれまでを俺は閃光のように思い出していた。
――バレンタインはオトナ味
――初うまぴょいまであと1時間
****
――二月一四日。十七時十九分。初うまぴょいまであと五九分
「あの、これ、お願いします! じゃ、じゃあっ!」
長い睫毛に、艶々とした黒髪が椿の良い香りとともに揺れていた。
オレンジ色に空を染め上げる夕陽でいっぱいになったトレーナー室すぐ前の廊下で、一人のウマ娘が口早に告げて、丁寧に包まれたものをこちらに手渡してきていた。
麗しいウマ娘が、頬を紅くしながら赤いリボンに、黒い包みを渡してくる。
中身は……今日という日を考えれば中身はすぐに類推できた。
「……はぁ……どうも……」
もっと気の良いことを言えれば良いのかも知れないが、今日で既に三十回目となったやりとりに、さすがに良い言葉は浮かばない。
緊張で強張った表情のウマ娘が手渡したそれを、俺はどこか気の抜けた口調で受け取った。
渡すやいなや、ウマ娘は栗色の髪をたなびかせながら、風のように去って行った。
その背を見送ってからトレーナー室に戻る。
「……ずいぶん可愛いウマ娘だったわね。嬉しい?」
「いや別に?」
部屋で迎えたくれたウマ娘に、心底の疑問を口にした。
虚を突かれたように目を丸くした彼女は、すこし頬を掻きながら、俺の手元へ視線を落とす。
「……そう。それ、えっと、もしかして」
「うん、ファンのウマ娘から、君へのバレンタインチョコだ」
彼女は、俺が専属でトレーナーを務める、ウマ娘……ダイワスカーレット。
どこか着ぶくれた赤のジャージに身を包んだ彼女は、トレードマークのツインテールに、ティアラを今日もキラキラと輝かせていた。
そんなダイワスカーレットは俺の言葉にやれやれとばかり、ため息をついて、トレーナー室の机へと掛け直すと、へにゃりと机上に突っ伏していた。
「……はぁ、なんでこんなタイミングで怪我しちゃったのかしら」
「俺としては、そんなにその眼帯を気にする必要は無いと思うんだよな」
こちらをじとっとした目で見る瞳は、一つ。
三日前から彼女の左目を覆うこの眼帯こそが彼女がこの部屋にいる理由でもあった。
(フェブラリーステークスのための調整中に怪我……ってのはなんというか、俺の不注意以外のなにものでもないのに、スカーレットは決して責めないんだから、俺が何も言えないよな)
思い出すのは先日のフェブラリーステークスへの調整中。
二月の珍しい長雨にあって、室内でもダート練習ができるようとトレーニングルームに敷き詰めたウッドチップが跳ね、目を怪我させてしまった。
幸い、軽傷で済んで、眼帯自体も念のためつける程度であったし、その眼帯も今日明日外れる、という程度に回復はしているそうだ。
念のため今日までトレーニングについては休みを言い渡し、勉強やイメージトレーニングに務めるようにいったのだが、彼女は眼帯姿の自分をあまり好まなかったようだ。
「ウオッカとかは格好いいって言っていたじゃないか」
「アイツの価値観でいわないでよ。アタシはこんな顔でチョコを受け取りたくないの。知ってると思うけれど、アタシ、皆の前では優等生なんだから、みっともないのなんてイヤだわ」
(俺も……結構格好いいと思うんだけれど)
勝ち気で美麗なウマ娘であるダイワスカーレットの眼帯は、決して不格好には見えずむしろ彼女の気性を引き出すように俺には思えたが、ダイワスカーレットのプライドとして、眼帯をつけたままでファンからのチョコを貰うというのはナシらしい。
(まぁ、見栄っ張りでもあるしな……そりゃそうか)
授業が終わるなり、『制服の上にジャージを着てきたの!』と着ぶくれたジャージ姿で飛び込んできたダイワスカーレットが、『アタシは居ないって言って頂戴!』と言われて匿って三時間。
「……なるほど、ま、ファンは大事にってことで」
「……ありがと。助かったわ」
ひっきりなしに個別でやってくるウマ娘に、また俺は代わりに受け取ったチョコを彼女にまたひとつ手渡す。
渡しつつ、ちらりと積み上がったチョコの包装紙に視線を流して、微笑ましさに目を細めた。
(……緋色の女王、か)
チョコから再び、ダイワスカーレットへ目線を写すと、上機嫌に彼女はチョコの包み紙を広げていた。
寮で同室のライバルであるウオッカとの激戦を経て、見事有馬記念を制したダイワスカーレットは、今や『緋色の女王』として世間に認知され、衆目を集めている一級のウマ娘だった。
(三年間なんて、早かったような短かったような、って期間だったな)
品行方正な優等生かと思いきや、一番にこだわる、頑固でワガママな彼女との出逢いから三年。
走りに魅せられ、懸命でひたむきな彼女に魅せられて、彼女と共に『ダイワスカーレット』という原石を磨いて、あっという間に駆け上がっていった彼女との日々が、今日こうして多くのチョコへと繋がっているのが、俺は誇らしい。
(スカーレットの走りで、こんなにも多くの人が魅せられているんだものな……ははっ、やったぜ)
たくさんのファンに支えられ、応援されるようなウマ娘を育て上げられたことは、トレーナー冥利に尽きる。
そして、そんなチョコに嬉しそうにしているダイワスカーレットを見られたことが、さらに俺の心を昂揚させていた。
心が沸きたつ感覚に浸る俺の目線と、ダイワスカーレットの目線が合う。
しまった、と思うよりも前に、ダイワスカーレットは自身の表情を些か険しい……といっても、どこかからかうようなものだったが……
「……なによ、そんなにニヤニヤしちゃって」
「……に、ニヤニヤなんてしてねぇよ」
「してたわよ。ふふっ、どうせファンがいっぱいになってアタシが嬉しいのが嬉しい、だとかそんなこと思ってたんでしょ、アンタのことだから」
図星を付かれて俺の喉がゴクリと鳴った。
「へへん、図星? 恥ずかしいんだから、まったく」
「……恥ずかしいことではないだろ」
「思ってたのは認めるのね。ふふっ、アンタってば意外と単純なのよねぇ」
見透かしたように言うダイワスカーレットに、些かの羞恥を覚えつつ、俺はこほん、と一つ咳払いをして自分の席に戻った。
「……ホント、単純。今日で……確信しちゃったじゃない」
(……最近、なんでも言い当てられるんだよなぁ)
背を向けた俺にダイワスカーレットが何かをいっていたようだが、きっとからかう言葉だと思って敢て聞かないことにした。
付き合いが長い分、彼女が考えていることもだいぶ分かってきた。
とはいえ、俺もまた、考えてることが彼女に筒抜けなのだと得心しつつ、俺はトレーナー室への来訪者で中断していた、フェブラリーステークスの次のプランを練り直す作業に戻る。
(さて……気を取り直して……スカーレットの次のレースを、どこにもっていくか……)
スリープ状態にしていたパソコンをアクティブにして、画面一杯に開かれたレース情報を再び吟味していく。
有馬記念を制した今、ダイワスカーレットが次に目指すべき場所を海外としていた。
ライバルであるウオッカが海外への挑戦を表明して半年ほど遅れたが、トリプルティアラと有馬の栄冠をもって、ダイワスカーレットも世界へと踊り出そうとしていたのだ。
フェブラリーステークスもその一環であり、いわゆるG1クラスのレースがダート主体の海外に向けてまずは国内のダート戦に向けて戦おうとしていた。
だが、その戦いは目の怪我により大幅に見直しを迫られている。
(……ダート経験を今から重ねるってのはやっぱりキツかったのかもしれない。ターフでの戦いでなんとか海外でやっていけるようにプランを……)
海外レースへの出場資格に繋がりそうなレースを見直し、そのレース開催までの日程を逆算してトレーニング日程を……と思考を整理していた俺は視線を感じて、顔を上げた。
「……真剣なの、格好いい……」
「ん? なんだスカーレット」
「……ふえっ?! あ、えーっと……な、なんでもないわよ」
チョコレートと一つ唇に載せて指でいじくりながらこちらを見つめていたスカーレットが、びくんと縦に身体を震わせつつ、唇に載せていたチョコをパクリと食べた。
「……あんまり食べ過ぎると太るぞ?」
「うっさいわね。ちゃんとペースは測りながら食べてるわよ」
からかうように言ってやった俺に、唇を尖らせたスカーレット。
その頬がいささか赤くなっていたが、スカーレットは自分で言った言葉の通り、一つだけを食べ終えたチョコレートの箱をしっかりと包み直し、チョコレートの山へと積み上げていく。
「……ありがとう、ございます」
自分の勝利を妨げるような、無茶なことはしない。ペースはきちんと図っているのは、分かっていた。
加えて積み上げる瞬間、丁寧に手を合わせて感謝をしめすような彼女の仕草に、ふっと微笑んでしまった俺を、スカーレットはしかし再びじっと見つめてきていた。
(……なんだろ、なんか、真剣?)
その表情は怒るのでも笑うのでもない……どちらかと言えば、何かを決意したような、真っ直ぐな目線だった。
「……ねぇ、トレーナー。一つ、聞いてもいい?」
「うん? なんだ?」
「あの……ちょっと、待って。ちゃんと、座るから」
スカーレットはチョコの山から離れ、トレーナー室に無造作に置かれていたパイプ椅子の一つを手に取ると、事務机を挟むように俺と向かい合う位置に置いた。
椅子に座りつつ、眼帯をそっと外したスカーレットが、真っ直ぐに二つの瞳で見つめてくる。
腫れは既に引いていて、端正なダイワスカーレットの面立ちが、俺の前に向き合う。
――キンコーン、コーン、カーンコーン
座った瞬間、下校を告げるチャイムが鳴り響く。
俺を捕らえる二つの瞳は紅く燃えるように輝いて、今日もキリッとつり上がっていた。
****
――――十七時三十分。初うまぴょいまであと四八分。
「……アンタってさ、何が望みなの?」
「俺の望み?」
「……うん、改まって聞いたことなかったから」
ダイワスカーレットが改まって聞いてきた言葉に、俺は少し考えて、心に浮かんだ言葉をそのまま答えた。
「そりゃ、一番のウマ娘を育て上げられる、トレーナーになることだよ」
素直な気持ちを口にしたはずの俺は、しかし、どこか言葉がスカーレットをすり抜けたように感じていた。
俺をじっとみつめる純粋なスカーレットの瞳は、俺を真剣に見つめたまま、表情が変わらない。
「でもそれは、アタシのための夢でしょ」
「……スカーレットのための夢?」
スカーレットが返してきた言葉を、そのまま疑問でかえしてしまう俺に、スカーレットは言葉をじっくりと選ぶように瞳を閉じ、胸元に手を当てて目を開く。
「だって……アンタって、アタシのこと、大好きじゃない」
「なっ?! だ、大好きって」
「……違うの?」
こてん、と首をかしげるスカーレットが重ねて問う言葉に返すことができなかった。
夕暮れ、差し込む茜色の光にも負けない紅い瞳が上目に見てくるのを前に、トレーナーとして、だとか、大人らしい言葉をいうべきだという理性は明確だったのに答えられない。
できたのは、言い淀んでスカーレットからの目線から逃れるように視線を逸らすことぐらいだ。
「……違わないでしょ? 今日、バレンタインのチョコを渡しにきてくれる皆と対応するアンタを見て、わかっちゃったのよね、アタシ」
「……そ、そりゃ……好きか嫌いかっていったら、当たり前に好き、だろうよ」
「……ふうん、当たり前、ね。……ふふっ」
確信するようにいうスカーレットになんとか返せるのは、曖昧な答え。
はっきりしない言いっぷりをしたことに、スカーレットの反感を買いそうだ、とバツが悪い気持ちでちらりと、スカーレットを見直すと、その表情は、まるで李のように、うっすらと桃色に昂揚していた。
(怒って、ない? というか……なんか、うれし、そう?)
くすくすと楽しげに、ニヤニヤとするスカーレットへ俺は、彼女がチョコレートを受け取って嬉しそうにしていた時と似た、昂揚を感じていた。
そうして、気がつく。
……ちょっとまて、俺が昂揚、している?
(いつもの、ことだろ、スカーレットが嬉しそうにしてるなんて俺の前では、いつだって、スカーレットはなんだかんだ……楽しげで、嬉しそうにしてる、けど、それは、トレーナー、だからで)
自分の感情の変化への当惑を、心中で言い聞かせるようになんとか吐き捨てる。
俺は唐突なスカーレットの言葉に混乱していた理性をようやく整えて、大人らしい言葉を返す。
「当たり前は、当たり前だよ。俺は、スカーレットの専属トレーナーなんだから」
「……ふふん、そう、そういうことにして、いいの?」
「……なんだよ、それ」
にやっとするスカーレットが上目に見てくる目線が、熱い。
(……ああ、この目線)
唇の端からほんの少し覗く八重歯に、目が奪われる。
(いつも、お前、俺の前ではそうやって強気に笑うんだよ)
どくんと、強く打つ鼓動に自覚的になる。
(……俺の前では、いつも)
「……アタシを好きなのは、専属トレーナーだからって、いうことに、していいの? ってことよ」
笑みの形だったスカーレットの瞳が、徐々に潤んだものに変わっていく。
呟いた言葉の意味を咀嚼する耳が、じわじわと熱く灼かれていくように思えるのは、彼女が俺を捕らえる紅い瞳の煌めきの所為だろう。
(……気がつかせるなよ。お前のそんな気持ち、俺が、気がついたら、もう)
その瞳から逃れるように目線をそらして、俺は乾いた喉へ生唾をごくりと飲み込んでから、問いを深める言葉を返す。
「……専属トレーナーだからってことにしたら、どうなんだ」
「嘘つかないで、っていうわよ。アタシに嘘つくなんて、ありえないもの」
「嘘じゃない、っていったのなら、どうなんだ」
「じゃあ本当はってなんなの、って聞いてあげるわ」
「……本当って、なんだよ」
スカーレットを見ないままで呟いた言葉に、しかし、スカーレットの答えが返ってこない。
答えの代わり、ガタッとパイプ椅子を立つ音が聞こえて、咄嗟に見た俺の前でスカーレットがジャージのジッパーに、手をかけていた。
「……決まってるじゃない」
こちらの目線を認めてから、ぞくりとするような細い視線をくれるスカーレットから、目を離せないままに、スカーレットは、ジャージのジッパーを一気に降ろして、高らかにジャージを投げ払った。
ぶわっと脱ぎ払われたジャージの下、鮮烈な青の勝負服が垣間見えた瞬間。
ダイワスカーレットの身体が、俺の方へと飛びかかるように跳躍した。
「なっ!?」
驚きに反応が遅れた俺に向かって、スカーレットが飛びかかる。
ウマ娘の見事な跳躍が、事務机を飛び越えて……飛び越えつつ脱ぎ捨てたジャージのズボンが、紅い軌道を描いて宙を舞うのを……俺は受けとめる。
飛びかかった勢いを殺しきれないまま、背後の向きを窓ではなく室内の方に身体を向ける。
ぐらりと崩れる体勢に、倒れ込まないようにとなんとか掴んだカーテンに沿って俺の身体は思っていたよりは軟着陸でトレーナー室の床に寝そべるように押しつけられた。
「……っ、お、おい、スカーレッ」
彼女の軽い体重を受けとめた割に、自分の背中への衝撃も少なく受けとめられた幸いの中で、俺は突然の行動に出たスカーレットに抗議するように口を開こうとして、言葉が途切れた。
放つ言葉よりも、なによりも熱い唇の感触。
俺の身体にそって柔らかく形を変える、スカーレットの抱擁。
呼気を満たす彼女の香りに包まれて、俺は掴んでいたカーテンを離した。
彼女の抱擁に負かされたように、俺は彼女の重みに、身を任せていた。
****
――十八時十五分。初うまぴょいまであと三分。
「はっ……はあっ……ふ、ふふっ、決まってるじゃない」
……止めていた息をなんとか吐きだすために、アタシはトレーナーの身体に手をつき、身体を起こしながら笑って見せた。
トレーナー室の床に寝そべるアンタに跨って、強がって魅せたけれど、きっと手の震えで悟られてる。
仕方ないじゃない。
アタシだっていっぱいいっぱいなのよ。
去年も、おととしも、バレンタインらしいことできなくて。
アンタのために、せめて勝負服のアタシをみせつけてやったら喜ぶかなって、バレンタインで眼帯がみっともないから匿って欲しいなんて下手な理由で飛び込んで。
それだっていうのに、アンタったら、アタシの言葉を真に受けちゃうし。
ジャージの下に制服着てるとか、そんなのさすがに無理筋って気がつかない?
もう、ホントに、とぼけてんのかよくわかんない。
それなのに、アタシ以外のウマ娘の前で、あんたったら全然態度違うし。
そんなの見せつけられたら……アタシだってアタシのこと好き過ぎるの、バレバレだって分かるわよ。
今だって、アタシの身体、いっぱいいっぱいで、力、うまく入れられないんだから振り払おうと思えば振り払えるのに。
アタシを跨らせたまま、アタシをじっと見つめてる。
「その本当、ってのは、アタシを、見て思うことだって」
……でも、きっと、アタシだってアンタにはバレバレなんだってのは、わかってる。
アンタを前にしたら、何時もみたいに優等生には振る舞えない。
頑固でワガママで、一番にこだわる、気性難のウマ娘。
そんな取り繕えないアタシを、それでもずっとたくさん考えて、支えてくれるアンタのことを大切に思う気持ち、アンタだって気がついてたでしょ。
「トレーナー、アタシを……っ」
アンタに跨る、身体が熱い。
何を、どうして欲しいのか。
訴えようとした喉が、切なく声を蕩かせてしまう。
それでも、言いたい言葉を、アンタは察して手を伸ばしてくれるんだもの。
やっぱり、アンタには、バレバレ、よね。
「あっ、んっ……」
熱いアンタの手が、染みこむみたいで気持ちいい。
ママに触れられる時みたいに、少し恥ずかしいのに、気持ちいい、あんたの手。
アタシの身体を眺めるあんたの目が、嬉しそうに細まっていく。
ふふふっ、やっぱり、アンタって、アタシのこと、好き過ぎるじゃない。
アタシの勝負服姿、そんなに嬉しそうにみるの、アンタぐらいなんだから。
「っ……んんっ……」
アンタの手に、頬を寄り沿わせてあげる。
「もっと……見てよ」
アンタの身体に、沿わせるように上体をゆっくり倒して、アンタだけを見つめてあげる。
「アタシを……もっと見て。そして……アンタの、本当を、聞かせてよ」
アタシを好きなアンタの、本当の気持ちを。
分かっていても、聞きたいワガママなアタシを、アンタは好きになったんだから。
「……スカーレット」
「っ」
あんたの手が、アタシの髪を梳くように、頭の後ろを撫でてくれる。
アタシの頬に寄り添った手が、するりと頬をなぞって、顎の先を取った。
節の大きな人差し指と中指がアタシの顎先をとって、親指がアタシの下唇をつついてくる。
希うようなアンタの親指に、アタシの唇は、乞われるままに開いていく。
「……スカーレットの、一番になりたい。俺、誰よりもスカーレットのそばで、ずっと」
「……んふふっ、ホントに、アンタ、アタシのこと、好き過ぎじゃない、バカ」
「……スカーレットだって、そうだろ」
「当たり前じゃない。いつだって、アタシは一番なのよ。アンタを好きな気持ちだって……」
……一番、なんて、言わなくても分かってるわよね。
そうだ、っていいたげなアンタの熱で、アタシは、アンタは、アタシ達は、ゆっくりとチョコのように融けていく。
――そうよ、こんな、一番幸せな時間が、今年のバレンタインってこと。
――少しイケない、オトナの味。
――忘れたりなんてしたら、許さないんだから。
――十八時十八分。初うまぴょいまであと零分。
あまりにかかり気味。
本編にて初うまぴょいまであと1時間シーズン1は完結となります。
ご愛顧いただきありがとうございました。
ハーメルン初投稿でいろいろ読みにくいところがあったかとは存じますが
少しでもお愉しみ頂けていれば幸いと存じます。
またシーズン1の中で数々の誤字報告をいただきました皆様、本当にありがとうございました
なお本作「初うまぴょいまであと1時間シーズン1」は11月7日プリティーステークス20Rにて冊子化予定となります。文庫本版250ページ超。再編集および追加加筆を行った上に書き下ろしを加えた大増量版となります。
実本にてお手元においていただける方がいらっしゃいましたら、横浜産貿ホール マリネリアにてお待ちしております。