憑依したらクレイマンだった件 (転スラネタバレ注意) 作:謎のコーラX
「ヴェルドラですか?」
満月が夜空を妖しく照らす、
アニスは、会場へと繋がる『門』が現れる予定の待機部屋で、ウルティマとアイリーンを伴って佇んでいた。
ふと思い至った疑問を、アニスは隣のアイリーンへと投げかける。
「あぁ。今、暴風竜ヴェルドラってどれくらい封印されているのかなって思ってさ」
「そうですね。かれこれ
「ふむ……」
アイリーンの答えを聞き、アニスは静かに思考の海へと潜る。
(二百年……。ということは、あと百年もすればヴェルドラが解放される。もとい、あのリムルさんがこの世界にやってくると見て間違いないな)
前世の知識である『転生したらスライムだった件』のタイムラインを脳内で整理する。
(あの人とは絶対に良好な関係を築きたい。だけど、そのために自分の平穏な人生を不意にするのは真っ平ご免だ。……それにしても、魔王の身分って思った以上に足枷だよな。義務は多いし、他の魔王との腹探り合いもあるし。だったら――
たとえば、原作通りに彼が。いや、それは追々考えるとしよう。
「……よし、カリュブディスを処理した後の行動方針は決まったな」
アニスが自身の今後について結論を出した、まさにその瞬間だった。
空間がぐにゃりと歪み、何もない場所に荘厳な意匠の施された扉が忽然と姿を現した。
ギィィ……と重々しい音を立てて扉が開く。
中から現れたのは、息を呑むほどに美しい二人の美女だった。一人は新緑の、もう一人は蒼穹の髪をなびかせている。
見た目こそ人間に酷似しているが、その身から放たれる気配は明らかに異常だった。
【お伝えします。共に極めて高位の悪魔。個体名:ウルティマには劣るものの、同じ『原初の悪魔』の系譜であると断定します】
(知ってたさ。何せこっちは原作既読組だからね)
脳内の「声」の解説に内心で答えつつ、アニスの背後に控えていたウルティマが、悪戯っぽく口角を上げた。
「やっほー、二人とも元気ー? どうせ相変わらずルージュにこき使われているんでしょうけどぉ」
ウルティマ――『原初の紫《ヴィオレ》』の容赦ない煽り。
案内人の二人の額にぴきりと青筋が浮かび、指先が微かに震える。しかし、彼女たちはそれを完全に無視することを決めたようで、深くお辞儀をしてアニスを門へと促した。
「クレイマン様、どうぞ門をお通りください」
淡々と、冷徹に告げる緑髪のレインと青髪のミザリー。
ウルティマはつまらなそうに頬を膨らませたが、アイリーンの冷たい視線を感じてか、それ以上の余計な挑発は控えたようだ。
「ん、じゃあ行こうか。アイリーン、ウルティマ」
アニスは自身の紳士服の襟元を軽く整えると、二人を従えて、光に満ちた門の向こう側へと足を踏み入れた。
○
門を抜けた先。そこは、世界の命運を握る覇者たちが集う円卓の部屋だった。
十ある椅子のうち、既に九つの席が埋まっている。
「少し早いが、俺の催した
円卓の最奥。赤髪を傲然と揺らし、最強の魔王としての圧倒的なオーラを放つギィ・クリムゾンが、不敵な笑みを浮かべて口を開いた。
「別にいいわよー。あたしはあのクレイマンがどんな風に変わったのか、ちょっと興味があっただけだし。つまんなかったらすぐ帰るわね」
そう言って、自分には大きすぎる椅子の上でバタバタと足を揺らしているのは、最古の魔王にして妖精女王《ピクシー》のラミリスだ。
「安心するのだラミリス! ワタシが見た感じ、お前も絶対に気に入ると思うぞ!」
ミリムが自信満々に胸を張ると、ラミリスはジト目を向けた。
「本当にぃ? もし期待外れだったら、あんたにピーマン山盛り食べさせるからね?」
「ぴ、ピーマンだと……っ!? あ、安心するのだ、絶対に面白いから……!」
天敵の野菜の名前を出され、最強の竜魔人が目に見えて冷や汗を流している。
「ふわぁ……とりあえず来たけどさぁ、まぁギィの見立てなら間違いないんじゃない? あとはよろしくぅ……」
眠り眼の魔王ディーノは、やる気のない声を漏らすなり、円卓に突っ伏して規則正しい寝息を立て始めた。
「ふむ。あのミリムがそこまでお眼鏡に叶うとはな。その男、少々興味が湧いてきたぞ」
魔王の中で一際目を引く巨体――
「ふん。どのように変わろうとも、所詮はクレイマン。中身が変わったところで小物に違いあるまいよ」
金髪を華やかに整えた、まるでハリウッドスターのような外見の男――
その椅子の背後には、妙に底知れない雰囲気を纏った、オッドアイで銀髪の従者の少女が静かに佇み、門のほうを凝視していた。
「……俺としては、ただそいつが今後、御しやすいか否かを知れればそれでいい」
プラチナブロンドの美青年、新参ながらも実力派の魔王レオン・クロムウェルは、静かに目を閉じたまま微動だにしない。
「……そろそろかしらね」
「あぁ、どんな面下げて来るのかね、あいつは」
フレイとカリオンが互いに視線を交わした、その瞬間。
円卓の中心に新たな空間の扉が現れ、そこから三つの人影が厳かに歩み出てきた。
「「「「……は?」」」」
その場にいた魔王たちの思考が、完全に停止した。
クレイマンの服装や雰囲気が以前と全く違うことも、従える二人の従者が覚醒魔王級のデタラメな気配を放っていることも驚きだったが、何よりも彼らの度肝を抜いたのは――。
アニスが、両手で山盛りの『菓子の盛り合わせ皿』を恭しく掲げ、満面のビジネススマイルで現れたという、あまりにも珍妙な光景に対してだった。
静まり返る極寒の空気の中、アニスはその幼い少年の外見に相応しい、実に愛らしい声を響かせる。
「皆さん、初めまして! クレイマン改め、アニス・クレイマンです。別に代替わりをしたわけではないのですが、せっかくのお話し合いの席ですし、つまめるものがあった方が良いと思いまして。お菓子を用意しましたので、どうぞお気軽に召し上がってください!」
そう言って、アニスが笑顔で円卓に皿を置こうとした時。
激しい椅子を引く音と共に、ロイが行く手を阻むように立ち塞がった。その顔は怒りで真っ赤に染まっている。
「貴様……この神聖なる場をなめているのか!?」
「え? おもてなしとしては普通のことでしょう? いいからこれ置きたいので、ちょっと退いてくれます?」
「ほざけ、この小物がァ!!」
ロイは激昂し、アニスの手にある菓子皿を乱暴に払い落とそうと腕を振るった。
――だが、その腕が菓子皿に触れることはなかった。
いつの間にかロイの懐に滑り込んでいたアイリーンが、その太い手首をガシッと片手で掴み取る。
「ぐっ、な……っ!?」
「小物が。アニス様のささやかなお心遣いを邪魔するんじゃない」
アイリーンは冷徹極まりない声で吐き捨てると、手首を掴んだまま、ロイの巨体を元の席へと向かって軽々と投げ飛ばした。
凄まじい風切り音と共に吹き飛んだロイは、自身の椅子に叩きつけられ、激しく呻く。
「ぐっ、お、おのれ貴様らぁ……っ!!」
ロイは即座に立ち上がり、アイリーンを殺気立って睨みつける。
一触即発、一爆発寸前の緊迫した空気が走る中――それを打ち破ったのは、我慢の限界を迎えた誰かの爆笑だった。
「ぷっ……あはははは! お腹痛い、あはははは!!」
円卓の上でゴロゴロと転げ回っているのは、ラミリスだ。彼女はひぃひぃと呼吸を整えながら、ミリムに満面の笑みを向けた。
「ミリム! あんたの言った通り、こいつめちゃくちゃ面白いやつじゃない!!」
「そうだろうそうだろう! あ、おいアニス! ワタシはその美味そうな菓子を所望するのだ!」
「アタシも! アタシにも頂戴!」
「はいはい、お二人とも落ち着いてくださいね」
アニスは苦笑しながら円卓の真ん中に菓子皿を置くと、そこからトングを使い、ラミリスとミリムのためにマカロンとクッキーをひょいっと放り投げた。
放たれたお菓子は、寸分の狂いもなく二人の口の中へと吸い込まれる。
「んむっ! ……うっっっま!!! 何これ、めっちゃ美味いじゃないのさ!!」
サクサクとした最高の食感と、脳を突き抜けるような上品な甘み。
ラミリスは衝撃のあまり脳に電流が走ったような顔をした後、嬉々として席から飛び立ち、菓子の山へとダイブした。
「ご満足いただけたようで何よりです。他の皆さんはどうされますか?」
「ふむ、ならば余も一つ貰おうか」
ダグリュールがのっそりと立ち上がる。ズン、ズン、と部屋全体が震えるような足取りで円卓へ歩み寄ると、大柄な手でブロックチョコを一つ摘み、口に放り込んだ。
甘くとろける極上の舌触りに、気難しい巨人の魔王の顔が、ふわりと和らぐ。
「なるほど……これは美味い。見事な職人技だな」
「恐悦至極に存じます」
アニスはまるで一流ホテルのパティシエのように優雅に一礼し、さらに他の魔王たちにも勧めていく。
「ふわぁ……んー? なんか良い匂いがする……」
「おいおい、ディーノまで起きやがった。じゃあ俺も一つ貰うか」
「あら、私も頂こうかしら」
ディーノ、カリオン、フレイたちが次々と菓子に手を伸ばす中、レオンとロイだけは頑なに動こうとしない。レオンはそもそも興味がなさそうだが、ロイに至っては、隠そうともしない敵対心のオーラをアニスにぶち撒け続けている。
「ふふふ。ここは何時から、魔王が菓子を配り歩くお茶会会場になったんだ?」
楽しげな、しかし背筋が凍りつくような低い声。
アニスはここで初めて、最奥に座るギィへと視線を向けた。
【お伝えします。ギィ・クリムゾンの実力はカリオ――】
(あぁ、そういう親切な解説は今いいから。どうせまともに測れるようなエネルギー量じゃないしね)
脳内の解説を遮る。転スラ知識があるからこそ、目の前の男の異常さが肌で理解できた。
アニスは一瞬だけ苦い顔をしたが、即座にそれを引っ込め、完璧な笑みを貼り付けた。
(前世の社畜時代に培った『理不尽な取引先用の作り笑顔』、異世界でも大活躍だな、本当に)
「ほう……。やはり全てにおいて、以前のクレイマンとは別格だな。どれ、俺にもその菓子を寄越せ」
「へー、ルージュってお菓子食べるんだぁ」
いつの間にか、ウルティマがギィの椅子の真後ろに音もなく出現し、その耳元で囁いた。
だが、ギィは驚く素振りすら見せず、視線だけを横に向ける。
「ギィと呼べ、ヴィオレ。どうやらお前も、随分と面白い主を得たようだな。正直、お前のひねくれた性格で誰かに仕えるなど不可能だと思っていたぞ」
「ギィもボクのことウルティマって呼んでよ。ま、ボク自身も召喚されたときは、誰かの部下になるなんて思ってなかったけどねー。それもこれも……全部リーンのおかげかな」
ウルティマが頬をほんのり染め、年相応の純粋な少女のような笑顔を浮かべる。
その表情を見たギィの目が、驚きに僅かに見開かれた。
「ウルティマ……お前、本当に良い奴らに恵まれたようだな。その様子なら、あの二人にも勝てるんじゃないか?」
ギィの言う「あの二人」とは、原初の白《ブラン》と原初の黄《ジョーヌ》のことだ。
精神世界でいつも三つ巴の喧嘩を繰り広げていたライバルたちだが、今のウルティマの満ち足りた気配を見るに、二人がかりでも圧倒しうるほどの力を秘めていると、ギィは見抜いたのだ。
「うーん、正直リーンと一緒にいられるならどっちでもいいかなー。まぁあの頃の喧嘩も悪くはなかったけど、今のノワールには絶対に会いたくないしね」
「ククク、お前の好きにすればいい。……さて、クレイマン。いや、アニスだったか。困るなぁ、俺に断りもなく勝手に代替わりされては」
一瞬だった。
視界がブレたと思った次の瞬間には、ギィはアニスの目の前に立っていた。
凄まじい身長差があるため、ギィは腰を深く曲げ、アニスの鼻先が触れそうなほどの至近距離まで顔を近づけてくる。
「近いですよ、ギィ。それに最初に言った通り、代替わりなんてしていません。私はクレイマンであり、アニスでもある。何も変わっていませんよ」
心臓が跳ね上がるのを必死に抑え、アニスは平静を装ってギィの瞳を見返した。
「ふ、ふはははは!!」
ギィはそれが大層気に入ったと言わんばかりに豪快に笑い、円卓からクッキーを一つ摘んで口に放り込んだ。サクサクと噛み砕いて飲み込むと、艶やかな唇を妖しく舌で一周なぞり、次の瞬間には元の席へと座り直していた。
「いいだろう。だが、お前がどれほど変わったのか、言葉だけでは実力が分からん。弱者に魔王の席は必要ないからな。どうだ? 小手調べに、ここにいる魔王の誰かと戦ってみないか?」
「えぇ……? なんでそうなるんですか。そんな野蛮なルール、ワルプルギスには無かったはずですが」
「俺が今決めた。さぁ、誰にする?」
アニスは盛大にため息を吐いた。
(面倒くさいなぁ……。よし、一番御しやすそうなカリオンさんを指名して、適当にいなして終わらせるか)
そう考えて口を開きかけたアニスだったが、それを遮るように、苛立ちを隠さない声が響いた。
「なら、余が相手になってやろう」
ロイが椅子を蹴立てて立ち上がり、アニスの前へと歩み出てくる。
ギィはそれを待っていたとばかりに指をパチンと鳴らした。
刹那、部屋全体を覆うように強力な多重結界が展開され、それと同時に結界内の空間が物理法則を無視して数倍の広さへと拡張される。戦うには十分すぎる舞台の完成だ。
「あはは……完全にハメやがったな、あの赤髪」
アニスがギィをジト目で睨みつけるが、ギィは至極楽しそうにワイングラスを揺らすだけだ。
「不運だったな、アニス。今の余は満月ゆえに全力を出すことができる。今のうちに、見苦しく命乞いの準備でもしておくことだ!」
「……はぁ。ま、いいか。ウルティマ、アイリーン、手出しは無用だからね」
この手の傲慢な手合いは、一度徹底的に心を折って分からせた方が、今後の話が早い。
戦う決意を固めたアニスは、念のため背後の二人に釘を刺しておく。
「はい。アニス様、どうかお気をつけて」
「はーい、がんばえー」
アイリーンは心配そうにアニスが座る席の側で見守り、ウルティマはギィの隣で面白そうに観戦体制に入った。
「死ねぃ!!」
ロイはもう我慢の限界だったのだろう。アニスが完全に余所見をしているその隙を突き、魔法の鎧をも容易く粉砕する必殺の一撃を振り下ろした。
ガキィィィン!!!
金属同士が激突したような硬質な音が響き渡る。
ロイの拳を受け止めたのは、アニスの背中から突如として生え出た、強固な異形の人形腕だった。アニスは目線すら向けずに、それを受け流している。
「な、何だと……っ!?」
「ふんっ!」
ロイは驚愕しながらも、怒涛の連続パンチを叩き込む。しかし、その全てがアニスの操る人形腕によって完璧に弾き返され、触れることすら叶わない。
数分間、一方的な猛攻を涼しい顔で防ぎきった後、アニスは退屈そうにロイへと視線を向けた。
「じゃあ、そろそろこっちの番でいいかな?」
「ぐっ……舐めるな、貴様ぁ!!」
ロイは大きく後ろへ跳び退くと、自身の最大火力を発動させる。
彼の全身から噴き出した鮮血が超高密度の魔粒子へと変質し、無数の凶悪な光線となって収束していく。
「死ね!
空間を切り裂くような光線が、濁流となってアニスへと殺到する。
まともに喰らえば肉体など消し飛ぶ一撃――のはずだった。
アニスはただ、右手をすっと前に突き出しただけ。その指先から放たれた数発の小さな光弾が、ロイの放った渾身の濁流を、正面から全て完璧に相殺して消滅させた。
「な、ななな……何だとぉっ!?」
絶望に目を見開くロイ。アニスはその驚愕を完全に無視し、拳銃を構えるように人差し指をロイへと向けた。その指先に、この地を流れる龍脈のエネルギーと、自身の膨大な魔素が混ざり合った、禍々しくも美しい高密度の光が凝縮されていく。
(よし、実験は成功だね。じゃあ――)
「今度はお前が受けてみるといい。――
放たれたのは、小さな東洋の龍の形を模した、超高速の光弾だった。
ロイは咄嗟に、自身の血を魔粒子へと変換した最強の防壁を展開する。だが、アニスの放った光弾は何の減速もなくその壁を紙切れのように消し飛ばし、そのままロイの右肩を容赦なく抉り抜いた。
「あ、ありえん……っ!? 仮にも魔王である余の肉体が、こうも容易く……っ!」
「ほらほら、どうしたの? 頑張ってよ」
アニスは無慈悲に、連続で指先から『龍脈破壊弾』を撃ち出す。
ドスッ、ドスッ、と肉と魔素を抉られる鈍い音が響き、ロイは血を撒き散らしながら、完全にプライドを打ち砕かれた顔で後退していく。
「ま、待て! 待つのだ、余は――」
制止の声も虚しく、次の一発が、ロイの心臓――完全な急所の位置へと向かって放たれた。
完全に死を覚悟し、ロイが目を瞑ったその時。
チッ、と不機嫌そうな鋭い舌打ちが部屋に響いた。
と同時に、激しい衝撃音と共に、一人の少女がアニスの放った光弾を素手で強引に弾き飛ばした。
「……無様を晒すな、ロイ。貴様は仮にも、余の影として魔王を名乗っているのだぞ」
空間に満ちる、ロイの比ではない圧倒的な王の威圧感。
アニスの攻撃を弾き飛ばし、ロイの前に立ったその少女は、いつの間にか地味な侍従の服から、漆黒の絢爛なゴシックドレスへと着替えていた。
その二色の瞳《オッドアイ》が、冷徹にアニスを射抜く。
アニスは、その圧倒的な存在感を前にしても、ただ不敵に口角を上げてみせた。
「おや、ようやくお出ましですね。……邪魔が入ったということは、私の勝ちでいいのかな? ――真なる吸血鬼の魔王、ルミナス・ヴァレンタインさん?」
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