この日、私はスポーティストラップサンダル、薄茶色のロングスカート、「FUGITIVE」とプリントされた象牙色のTシャツの上に市松模様の羽織…と言う装いで外出しました。
羽織の…市松模様の色はベージュと茶色です。緑と黒ではありません。
持ち物はトートバッグ。中身は財布、折畳み傘、スマートフォンと数学の本が何冊か。あとロングスカートのポケットには十円玉が6枚。
申し遅れました。私は扶桑。
先に申しました装いと所持品で外出した私は、この日初めてそのカフェに入りました。
N駅に繋がる複合商業施設内にあるカフェです。
後で知ったのですが、この施設にはこのカフェが2店舗あるそうです。
私が入ったのは3階にある店舗でした。(もう一軒は10階にあります。)
なにしろこのお店に入ったのは初めてでしたので、コーヒー一つ注文するのにもずいぶん戸惑ってしまいました。
それでテキトーに(適当に、ではありません)ベンティというもので注文したのですが…これが少し失敗でした。
テキトーに(しつこいようですが、適当に、ではありません)量の多いものを、と思ってベンティで注文したのですが…私には量が多すぎました。
紙コップで頂いたのですけれども、素手で持つにはコーヒーが熱すぎました。断熱材としてか、カップには段ボールでできた筒がついていたのですが、それでも私には熱く感じました。
(そういえば、このカフェでは「グランデ」を買うように勧めていた書籍があったような気がします。)
店内を見回すと、陶器のカップでコーヒーを楽しんでいる方もおられました。
何故私は通ぶってテキトーな注文の仕方をしてしまったのか、何故お店の人に「今日初めて来たんですが」と言わなかったのか…そんな後ろ向きな思いを振り払いつつ、私は窓際のカウンター席に座りました。
注文には失敗しましたが、このお店に入ったこと自体は失敗ではありませんでした。
文句なしにお洒落で落ち着いた雰囲気の中、私は少々熱いコーヒーを少しずつ飲みながら、スマートフォンでドラフツ(チェッカー)をしていました。
私の左隣には若い女性が座っていたのですが…。
「男の人っていつもそうですね!私たちのこと、何だと思ってるんですか!」
その女性の声は、店内に響き渡る、と言う程の大きさではありませんでしたが、私の注意を引くには十分な大きさでした。
その女性は同じくカウンター席に座った若い男性と向き合っていました。
女性はその方とお話をされていたようでした。
「じゃあ俺にはタダ働きをしろって言うのか?そいつは虫が良すぎるな。」
「でっ、でも…!」
「金を出せるわけでもない、他に出来ることもない。なら女が男に出来ることをするしかないだろ。」
「うう…ッ!」
女性には何かお困りごとがあって、男性に助けを求めているようでした。そして男性は見返りとして女性の肉体を要求しているようでした。
それがわかったところで私に出来ることは何もなかったのですが、私はお二人の様子をじっと見てしまいました。
女性の弱みに付け込んで肉体を要求するような男性に好感を持てないということもあるのですが、その時、私が気になったのは…。
「なあ、あんた、俺たちに何か用かい?盗み聞きってのは、あまり感心しないな。」
私は男性と目を合わせてしまいました。
そこで私は、この日二回目の失敗をしてしまったのです。
「すみません。先ほど聞こえました『男の人っていつもそうですね』というお言葉が、少し気になってしまったのです。」
私の台詞は、男性からは関心を、女性からは反感を買ったようでした。
私たちは窓際のカウンター席から、お店の中央にある丸テーブルの席に移動しました。
そこで私はお二人から、先ほどの台詞について問詰められることになってしまったのです。
男性は武田さんと名乗られ、女性は葉月さんと紹介されました。
お二人から紹介を受けた後、私は引き続き先ほどの台詞について問い質されました。
「…で、どういうことなんだい?あんたの台詞にはどうも違和感を感じるんだが。」
「ええと…念のため、確認しておきたいのですが…。」
「何だい。」
「葉月さんには何かお困りごとがあって、武田さんに助けを求めておられる…ということでよろしいでしょうか。」
「まあ、そんなところさ。」
「それで、武田さんは見返りとして葉月さんとのセックスを求めておられる…のですよね?」
「……まあ、それも合ってるな。」
武田さんは、一瞬戸惑ったような様子を見せました。
「…一応俺も自分で、ゲスなこと言ってるなとは思ってるんだ。でもあんたは、俺のゲスさよりも葉月の言ったことの方が気になるって言うのか。」
「はい。」
「そういやあんた、艦娘だな。戦艦の…扶桑だろ?」
「はい。」
「実は好みの艦娘なんだ。」
「そうですか、ありがとうございます。」
「しかし、あんたも女の体を持つ身なら、むしろこいつの側に立ちそうなもんだがな。女の体を持ってはいても、人間の女とは感じ方も考え方も違うってことか?」
「それはわかりません。」
「そ、そうか…。」
「葉月さんの側に立つことはできませんが、武田さんの側に立っているわけでもないのです。」
「へぇ?どういうことだい?」
「葉月さんには、セックスの相手としての価値はありません。」
「!?」
「な…!」
武田さんは一瞬固まりました。
葉月さんは…私の台詞を侮辱と受け取ったのでしょう。予想通り私に詰め寄ってきました。
「どういう意味ですかっ!あ、あなた、何の権利があってそんな…!」
「では伺います。葉月さんは、このまま武田さんと事に及んだとして、武田さんとの行為を楽しむことができますか?」
「!そ、それは…。」
「楽しんでいるフリをすることはできますか?」
「………。」
「…こういう意味です。きつい言い方をしたことはお詫びします。申し訳ありません。ですが葉月さんという人間自体に価値がないと言ったわけではないことは、ご理解ください。」
これで葉月さんは一旦矛を収めてくれました。
続いて私は武田さんに問いかけました。
「それで、武田さん。あなたは今の葉月さんと事に及んだとして、葉月さんとの一時を有意義なものにすることができますか。」
「え?そりゃあ…。」
「無理でしょう。」
「な!なんだよ!その決めつけは!なんでそう言い切れるんだ!」
「もちろんこれはただの推測に過ぎません。ですが…。」
「武田さんは葉月さんの弱みに付け込み、取引に持ち込み、恩を売りつけて、葉月さんと事に及ぼうとしています。それはお認めになりますね?」
「…それは…認めるが…。」
「正直申し上げまして、とても小賢しいです。これほど小賢しい道具立てで女性と事に及ぼうとしている点に、武田さんの男性としての、牡としての限界が透けて見えます。こんな限界を抱えている方が、葉月さんを悦ばせて有意義な一時を過ごせるかと問われたら…控えめに言っても、疑問符を付けざるを得ません。」
「何だよ限界って!俺だって…!」
「実際に事に及んでしまえば、葉月さんを悦ばせることなど造作もないとお考えですか。」
「…!」
「それは都合のいい幻想というものです。まずは
「改めて伺います。武田さんには葉月さんとの一時を有意義なものにする方策が、何かおありですか。」
「方策…って…。」
「私なら…そうですね…葉月さんからの見返りについては『貸し』ということにしておいて、まずは葉月さんから依頼された仕事を済ませてしまいます。そして仕事が済んだ後、葉月さんのお困りごとが解消したお祝い、ということで誘いをかけてみます。」
「………。」
「葉月さんがすぐに応じてくだされば、それで良し。まだ躊躇いを見せるようなら『貸しをどう返してもらうかを話し合う』という名目で何度か逢瀬を重ねて信頼・信用を得て、最終的に…と言ったところでしょうか。」
「これもだいぶ小賢しいですが…私なら、こうします。…武田さんならどうされますか?」
「………。」
「武田さんがこのまま葉月さんと事に及んでも、それはお一人でなさっているのと何も変わりがありません。下心あってのこととは言え、葉月さんのために骨を折って、得られるものがお一人でされる時間だけというのは…男性として、牡として、生物としてどうなのでしょうか。私が武田さんに申し上げたいことは、こんなところです。」
「あ、あんた…扶桑なんだろ?扶桑で間違いないんだよな…?」
「はい。何かご不審な点がおありですか?」
「いや…なんか俺が知ってる扶桑とは違うというか…違い過ぎるっていうか…。」
「スリガオ海峡に眠る戦艦扶桑は唯一隻ですが、艦娘扶桑は私一人ではありません。扶桑たちの中には私のような扶桑もいる、ということです。」
武田さんに申し上げたいことを一通り申し上げて、お話は本題に移りました。
「葉月さんは『男の人っていつもそうですね。私たちのこと、何だと思ってるんですか。』と仰られましたが、このお言葉が私には気になってしまったのです。」
「だから、何故なんですか?人間ではないと言っても、あなただって女の体を持った存在なんでしょう?好きでもない人から、あんなことを言われたら…っ!あなたにはわからないんですか?」
「うちの鎮守府では、何人かの艦娘が提督とセックスしています。」
「ほら!あなただって…!」
「あなただって…何ですか?」
「あなたも提督の相手をさせられているってことなんでしょう?提督という人がどれだけ偉いか知りませんけど、そんなのって…。」
「私は『うちの鎮守府では、何人かの艦娘が提督とセックスしています』と言っただけですが。」
「え?」
「私自身は、提督のお相手をしたことはありません。」
「えっ。」
「うちでは、艦娘は提督の相手を
「うちの提督は、艦娘から…女性から強く求められると、撥ねつけることができない人なのです。艦娘の上に立つ立場の人としては如何かとも思いますが…少なくとも葉月さんが想像されているような、自分の欲望のままに艦娘を、女性を弄ぶような人ではありません。」
「葉月さんは『男の人っていつもそうですね』と仰られましたが…私が気になったのは、まずこの点なのです。」
私が気になった点は、まだありました。
私は続けて、その点について話を始めました。
「うちの鎮守府には、鎮守府の仲間となら気軽にセックスする艦娘が何人かいます。この
「艦娘が仲間とって…女同士でってことですか?」
…悪意や悪気が無いのはわかっていましたが…葉月さんとはどうも気が合わないように感じました。
「…艦娘は人間の男性とも女性とも、艦娘とも子を生すことができますから。人間の女性に艦娘の子を産んでもらうことはできませんが。」
その後、葉月さんは続けて私に問いました。
「で、でも気軽にって…誰とでもって…!艦娘って、みんなそんなに乱れてるんですか?」
「みんな?私はうちの鎮守府にいる何人かの艦娘について話しただけですが…。」
「…ッ!」
葉月さんの顔が少し赤くなったのが、私にもわかりました。
何とか動揺を抑えた風に、葉月さんは続けました。
「で、でもその皆さんは間違ってます!女にとって、こ、こういうことって、もっと大事なことのはずです!まして、誰とでも、なんて…!」
「…誰かに癒されたい時、相手を慰めたい時、誰かを素敵だと思った時、好きと伝えたい時、愛おしくて堪らなくなった時…この
「えっ。」
「相手に文句の一つも言いたくなった時、怒りを感じた時…この
「怒りを感じた時…って…。」
「うちには『Faites l’amour pas la guerre.』という不文律があるのです。」
「…フランス語、ですか?意味は…。」
「元々の意味は『戦争ではなく、恋をしよう』ですが、うちでは『揉めるぐらいならセックスをしよう』という風に解釈されています。」
「…それで、何が言いたいんですか…?」
「うちの鎮守府では、こうして仲間同士の和を成し、不和を除いているのです。うちの鎮守府では、セックスは気軽で、身近で…そういう営みなのです。」
「うちの鎮守府には誰とでもセックスする艦娘が一人いると言いました。葉月さんから見てこの艦娘は女の体を持つ者として、女性として間違っていますか?」
「当たり前です!こ、こういうことは…やっぱり…!」
「やっぱり、セックスは好きな人と、生涯を共にする人とだけするべきこと、ですか?」
「…そうです!」
「申し上げにくいのですが…。」
「何ですか!」
「『男の人っていつもそうですね』と言い放ったあなたは、一体どんな人を好きになるのですか。どんな人と生涯を共にするのですか。」
「………!!」
答えられないのではないかとも思いましたが、実際葉月さんからの答はありませんでした。
私は話を締めることにしました。
「私には山城という伴侶がいます。」
「私の体が山城の欲望を受け容れるとき、私は女の体を得ていることに幸せを感じます。」
「私の欲望を山城の体が受け容れてくれるとき、私は人間の姿を得ていることに喜びを感じます。」
「ですが、葉月さん。人間のあなたは『男の人っていつもそうですね、私たちのことなんだと思ってるんですか』と言い放ちました。」
「この言葉からは女性を道具としてしか見ない男性の姿と、男性に道具として使われるだけの女性の姿が浮かび上がっています。」
「人間と人間が、体を重ねる幸せも喜びも、この言葉からは見えてきません。」
「私たちにとってセックスは、気軽で、身近で…艦娘と艦娘を、艦娘と人間を繋ぐとても大切な営みです。」
「ですが葉月さん、あなたはセックスを気軽でもなく、身近でもなく…男性と女性を、使うものと使われるものに切り離してしまう、重大で深刻な行為と思っているように見えます。」
「私はセックスという営みを通して『にんげんって、いいな』と思っているのですけれど。」
「人間のあなたはセックスという行為に屈辱や苦痛、嫌悪を感じているように見えます。」
「時々私は…というより、扶桑は陰気・陰鬱な艦娘だと言われることがあるのですが。」
「あなたがセックスに嫌悪を感じているのかと思うと、あなたにそう感じさせる人がいるのかと思うと、そう感じさせる雰囲気が世の中にあるのかと思うと…私は反論のしようもないくらいに陰気・陰鬱な艦娘になってしまいそうなのです。」
「『男の人っていつもそうですね』というお言葉が、少し気になってしまったのは…こういうわけです。」
葉月さんからも武田さんからも、続く言葉はありませんでした。
少しの沈黙の後、武田さんが口を開きました。
「…何か…俺の気まぐれで時間を取らせちまっただけみたいだな。」
「………。」
「………。」
「まあ、何だ…見返りについては『貸し』ってことにしとこう。どう返してもらうかってことは、また、追々…な。」
武田さんは葉月さんにそう言った後、私の方を見ました。
「…べ、別にあんたのアイディアに乗ったわけじゃあないぜ?気が変わった…そう、気が変わっただけだからな。」
「そうですか。」
「…チッ!なんて嫌な扶桑だ!扶桑が好みだってのは変わらないが、あんたには二度と会いたくないな!」
「それなら『フラグを立てる』ようなことは仰らないでください。」
私はスマートフォンの電卓で少し計算しました…。
「この後5年以内に、私が『武田さんのような方』と出会う確率は1/2と出ました。私…というか、扶桑という艦娘のツキの無さを考慮すると、5年以内、確率1/2で出会ってしまう『武田さんのような方』が正に『武田さん』であることは、充分にあり得てしまいます。」
「…何かずいぶん具体的だな。」
「私が建造されて七年、大体2555日になります。それで私が『武田さんのような方』に出会ってしまう確率を1/2555と仮定して、指数分布から私が『武田さんのような方』にもう一度出会ってしまう確率が1/2になる試行回数…日数を計算すると…。」
「ああ!もういい!…俺もこの後、あんたが5年以内に確率50%で出会っちまう俺みたいな奴ってのが、俺自身じゃないことを祈ってるよ!…じゃあな!」
それだけ言うと、武田さんは葉月さんを伴って店を出られました。
その後お二人がどうなったのかは知りませんし、知ろうとも思いません。
ともあれ、こうして嵐は過ぎ去りました。
嵐に遭ったのは不運ではありましたが、不幸中の幸いもありました。
会話の中で、私はお二人に声を荒げさせてしまったのですが、私はこのお店を出入禁止にされたりはしませんでした。
…あと、ベンティのカップには、飲み干すには熱すぎるコーヒーが、まだ1/3ほど残っていました。