「はぁー…だりぃなチクショーッ!」
ゴルシちゃんが耐えきれないといった様子で叫ぶ。体育館の天井は高いので、声が彼女の心の内をそのまま写しとるごとく反響して何度も聞こえてくる。
「脱走したばかりかアルコールを提供する店にまで行った僕らが一週間栗東寮の掃除をするだけで済んだのは…不幸中の幸いとでも言えばいいのかな…」
「けどだるいもんはだるいぜ。学園の体育館はバカデカい上に何棟もあるからよ…下手なトレーニングよりもかったりぃ」
先日、寮の部屋まであと一歩のところで寮長ことフジキセキさんに見つかり説教を食らった僕らだが、処罰として一週間の掃除を言い渡された。
なぜ見つかったか聞いたところ「寮の門は毎晩私が見張っているからね。脱走しようなんて考えない方がいいよポニーちゃん」とのことだったので、次は屋上から行こうと思う。
…今回は初犯だったから許されたのかもしれないが、次回からはもっと厳しい処罰を食らうだろうか。
いや、この学園、というかこの世界自体が…僕の周囲の環境がたまたまそうだっただけかもしれないが、基本的に皆草食動物のようにのほほんとした気質なので大丈夫だろう。多分きっとめいびー。
「…今は廊下を掃除してるわけだけど、ウマ娘がこの場所を歩いて、いろいろなやり取りがあったんだと思うともう滾りまくりだよね…。デジたんもここを通ってるわけだからなぁ…んふふふ…」
「脳内お花畑のオロールさんよ。それならアタシの分の掃除も頼んでもいいか?」
「そんな…ゴルシちゃん、君がいなきゃ僕はもう生きていけない…。こんな体にしたのは君の方なのにどうしてそんなこと言うんだよ…」
「…なら…ほーら、アタシが今使ってたモップだ。どうだ?やる気になったろ?」
「正直言うと、この後いろいろやることもあるからゴルシちゃんにはしっかり掃除してほしいかな」
「おう、知ってた」
軽口を叩き合いながらも僕らは手を止めない。そうしないと掃除が終わらないのだ。
…僕は先程、ウマ娘がここを歩いたと思うと云々などと言ったが、こうも長く掃除をしていると、むしろなんだか焦らされている気分になっていろいろと溜まってきた。
「ねえゴルシちゃん。ちょっと頭のソレ外して、時々流し目で僕を見てくれない?」
「は?なに言ってんだお前」
クール美人に変身してくれと言ってる。
「お願いだよ。それでエクスタシーに達すれば一瞬で掃除が終わるから」
僕の言葉に、彼女は行動で返した。頭のアレを取った後、髪に手をやり…それで…こう…ファサッと…髪を、下ろして…。
「あァりがとうございまァーーすッッ!!」
あわや年齢制限がかけられるくらいの絶景を拝ませてもらったものだから、僕の疲労は全回復したどころか、体力の上限を突破しているような気がする。
すぐさまモップを握り、廊下を走り抜ける。
「…なんかもうどうでもいいわ、おもろいし」
既に10mほど離れたゴルシちゃんの呟きが僕の耳に届くことはなかった。
◆
「ふぅ…終わった…!」
思ったより時間がかかってしまった。
ゴルシちゃんの協力があったにもかかわらず、既に時刻は夕方。夏の昼の暑さは夕風に吹き飛ばされ、寮の建物を見上げる僕の頬を夕陽が照らし、滴る汗を光らせる。
「んー…!疲れたーっ…」
筋肉をほぐすように体を伸ばす。
そのまま近くの木によりかかろうとしたとき、視界の隅に長い影が映った。
「やあポニーちゃん。ここにいるってことは、もう仕事は終わったんだね。お疲れ様」
先日少しお世話になった寮長ことフジキセキさんが、西日を背に立っていた。
「…フジキセキさん。こんにちは」
「うん、こんにちは…と、今はこんにちはというよりこんばんはかな?…いや、太陽が出ている間はやっぱりこんにちはかな。今日はよく夕日が見えることだしね」
「確かに、綺麗に見えますね…」
言って、沈みゆく太陽を見る。
一仕事した後だからか、一層輝いて見える。
「…ところで、何か僕に用事でも…ふぇっ!?」
再びフジキセキさんの方に向き直ったとき、彼女はいつの間にか僕のいる木陰に踏み入るばかりでなく、目と鼻の先まで近づいていた。その優しい目に思わず魅入ってしま…ちょっと待ってこのイケメン顔が良すぎるウワァ女の子にされちゃうぅ!いやまあ、体は女の子なんだけども。
「なかなかキュートな声を出すね。それに綺麗な目だ。こんなに可愛らしいのに、こないだはあんなイケナイことをしちゃって…。美しい花にはトゲがあるってことかな。ふふふ」
彼女は僕の手を取り、ゆっくり僕の胸元へと運んだ。
するとなにやら違和感を感じる。
「これ、なん…ッ!バラの花っ!?」
一体いつ仕込まれたのか、僕の服の襟に一輪の赤いバラが咲いていた。
「アハハッ!うん、いいリアクションをありがとう。私も悪戯をしたから、キミの悪戯もこれでチャラだね」
笑いながら、彼女は言う。
…こういうところだよなぁ、彼女が後輩に好かれる理由は。
まあ確かに、僕がやった悪戯…トレーナーの財布と尊厳を空っぽにしたアレと、今のフジキセキさんの華麗なマジックはきっちり釣り合いがとれている。
「ゴールドシップと一緒だったというから、てっきり彼女に唆されたのかと思っていたら、むしろキミが彼女を連れ回す側だったとは!本当に面白い子だね」
「えと、どうも…?」
褒められているのか?いや、違う気がする。
というか、皆して僕をゴルシちゃん以上にヤバい奴として扱うのはなぜなのか。本当のゴルシちゃんを知らないのだろうか。
本当のゴルシちゃん…僕の知っているゴルシちゃんは破天荒な奇人で、でも寝顔が可愛くてかっこよくて、高身長で美人で、誰にでも分け隔てなく接したりさりげない気遣いができて…可愛くて…ふふ…。
「…ぃ、ぉーい、ポニーちゃん?ボーッとしてるね、大丈夫?私に見惚れちゃったかな?」
「んあっ!?大丈夫、大丈夫ですっ!」
ちょっとトリップしたが、もう慣れているのですぐ戻ってこれる。顔が近いが、耐えられないことはない。
今まで僕は何度もウマ娘と出会い、会話してきた。そしてその度に僕の精神は成長している。かつては推しと目を合わせるだけで限界化したり、不意打ちでトマトジュースを噴き出したりもした。
だが今、この僕の精神的な防御力はほぼ完璧に近い。デジたんといえど、この防御を崩すことは難しいだろう。
と、そのとき、玄関のドアがガチャリと開いた。
「あ、オロールちゃ…ッ!…ハァッ…!」
登場からわずか3秒ほどでぱたりと倒れたウマ娘、ドアから出てきたのはデジたんである。
確かに僕とフジキセキさんは距離は抱き合っているように見えるほど近い…手を握られていたくらいだし。例えば僕とデジたんの立場が逆だったとしたら同じ様になるだろう。
「…あー、とりあえず…運ぼう」
「そう…ですね」
◆
「ふおぉ…!抱けーっ!だ…あれ?ここは…?」
「おはようデジたん。結構早いお目覚めだね」
とんでもないことを言いながら目覚めたデジたんは、僕の腕の中でキョロキョロと辺りを見回す。
「この面子が揃うと、誰かが必ず気絶するジンクスでもあるのかな…なんてね、ふふっ」
「あ…フジキセキさ…あひゅっ」
おっと、デジたんが再び眠りに落ちそうだ。僕の腕の中で。
「デジたん?気をしっかり持って」
「…ハッ!?な、なんでしゅかこの状況っ!?あっ、あのっ!?」
「んー…可愛いなぁデジたんは…」
あわあわ、という擬音が似合う。
しきりに当惑の声を上げる様子は、見ていて大変ほっこりする。
「あの、なんであたしっ、…お姫様抱っこ的なサムスィングをされて…?」
「君が倒れたから、寮の中に運ぼうと思ったのさ。そのときに私が、デジタルくんは小さいから一人でも簡単に抱えられそうだ、と言った途端、オロールくんが素早く君を抱き抱えそして今に至る…ってとこだね」
「というわけで大人しく僕に抱かれているといい、デジたん!さっき自分でも言ってたし!」
抱けーっ…て、なかなかいいことを言う。
ちっちゃくて可愛くて、推しに弱いし押しにも弱いデジたん。文字通り抱っこしてあげただけで顔中を真っ赤にする様のなんと愛らしいことか。
「さっ、さっきのはそういう意味じゃありませんから!…あの、オロールちゃん?手が震えてますけど大丈夫ですか?」
「…ウン」
なにもおかしいことはない。僕は文字通り彼女を抱いているだけで、決して婉曲的な意味は何一つ含んでいない。しかしいざ口に出すと、やってもいない罪の意識に苛まれて手が震えてきたのである。
「…あの、顔も赤いですよ?ホントに大丈夫ですか?」
別にそういうことを想像して恥ずかしくなったわけじゃあない。断じてない。
「大丈夫かい?熱があるわけじゃ…」
「いえまったく!僕は問題ありません!」
「…なんだか読めてきましたよ。顔が真っ赤なオロールちゃん。先程フジキセキさんと互いに手を取り合って抱きしめ合いそうな勢いだったというのに、頬を少し赤らめるだけだったオロールちゃん。…認めがたいですが、あたしにこんなことをしたはいいけど自爆したといったところでしょう?」
「んんん゛ッ…!」
図星…いや違う。違いますとも。
僕とデジたんの正しい関係性とは、僕が彼女を推しまくって赤面させることだ。
「ああ、なるほど。つまりポニーちゃん、こちらの可愛い本命殿をいざ抱いてみると、その可愛さに参ってしまった…。とすると、お互いに相手のことが大好きってわけだね?」
『ッ!?違いますっ!!』
重なる声。
「あ、いや。違うってのは…僕は別にそんな理由で…いや、確かにすっごく可愛いですけど…!とにかく、違いますからっ!?」
「あたしは可愛くないですっ!?それに…しゅ、好きあ…そんなやましい感情はこれっぽっちも抱いておりませんとも!あたしたちはウマ娘オタクとしての同志ですからしてっ!ただそれだけですハイッ!」
そうとも。僕らは同志であり、同じ道を進む者。
デジたんは全てのウマ娘を推すいわゆる箱推し勢であり、僕はそんな彼女を最推しとする。
確かに友人という間柄ではあるが、こと推し活に関しては箱推しである彼女の「特別」に僕がなることなど、あってはいけない。今の彼女…あらゆるウマ娘を観察できる彼女こそが最も輝いているから。
そもそも、ソッチ系の感情を持つことがあってはいけない。…僕はその辺についてのちょっとした事情の持ち主であるからして、なおさら気を付けねば。
「…私は別に、そういう意味の話をしたとは一言も言ってないよ?」
……。
なるほど?
…フジキセキさんの表情はどちらかというと苦笑気味。ひょっとしなくても、彼女はカマをかけたわけでなく純粋に僕らが友人として互いに好き合っているか聞いてみただけなのだろう。
「っすぅー…。デジたんっ!!」
「ハイッ!!!」
「僕らは同志!それ以外の何者でもない!」
「ハイッ!!」
改めて、僕らは同志である。
それ以上でもそれ以下でもない。
「…未だにお姫様抱っこ状態でそれを言うのかい。そしてしっかり首に手をかけているのがまた面白いね…あははっ」
……。
「…よいしょっと…手、離すよ」
「あ、ハイ…」
◆
「…分かんないなぁ」
ベッドに寝転がっている僕。
開いた窓から夜空を仰ぎながら、静かな自室に声を一つ落とす。
今日のデジたんやフジキセキさんとの会話でふと思ったのが…僕はどっちなのだろうか、ということ。
前世は男の子、しかし今はウマ娘。
学園にくる以前はそれを考えることがなかったし、実際今だってそこら辺は曖昧だ。
デジたんに出会って、その曖昧な気持ちは強まった。
…だからといってなにをするでもないが。
曖昧なままでも別にいい。そう僕は思っている。僕にとってその曖昧は支障にならない。
…デジたんや皆だって、きっとこのことを知ったとして、今までの関係が変わることはないだろう。そういう人達だから。
…ただ、デジたんと僕は同志であると再確認するほんの少し前、そんなことを考えてちょっぴり不安になった自分自身に対して、僕はなんとも言えない気持ちになった。
そのとき、窓枠が勢いよく動いたので、僕の顔は月光に照らされる。
「お?もうおねむかよオロール」
「…ゴルシちゃん」
相変わらず彼女は月を背負うとよく映える。
すごく美人なのに、中身はアレなんだよなあ…。
「ゴルシちゃんは綺麗だよねー…。中身は、なんていうか…高校で一緒にバカをやる男友達を百倍濃くした感じだけど…」
「おいおい、こんな超絶美人様をとっつかまえといて男友達?何言っ…どした?そんな顔してよ」
「…いきなりすぎるんだけど、さ。…ゴルシちゃんは、僕のことをどう思ってる?」
「…。そうだな、おもしれーし、ノリははちゃめちゃに良い…んだが、いかんせん趣味嗜好が恐ろしくて、ずっと一緒だと疲れるぜ。ま、そういうとこも嫌いじゃねえけどよ」
急に変なことを聞いてしまった。ゴルシちゃんは笑って答えてくれたが。
「今、男友達ー…とか言っちゃったけど、それは?」
「今までのウマ娘生で男友達なんざいたことのないだろうお前がそれを言うのおもしれぇな。…お前がそう思ってんならそれでいーぜ?結局ゴルシちゃんは変わらずゴルシちゃんだからな」
…そうだよな。
誰がどう僕のことを思おうと、結局僕は僕だ。
ならばその自分に、もう少しだけ素直になってみるのもいいだろう。…まあ、今までも大分素直だったとは思うが。
具体的にはデジたんにいろいろとゲフンゲフン。
「そうそう、その顔。あのピンクのことを四六時中考えてそうな顔こそお前って感じだぜ」
「…ゴルシちゃんが同室でよかったって、今思ったよ」
「…そういえばさっきアタシはちょいと絶望したんだけどよ。えーっと…あったあった、コレ見てくれ」
彼女はスマホの画面を僕に見せてきた。
「…何これ?自由の女神と…ウマ娘?誰?」
「元アタシのルームメイトだ。…成績も良いしレースも強いしで、真面目な優等生って感じのやつなんだが、ときどき破天荒なことをしやがるヤツでな…。この写真は『世界各地を回って見聞を深めることにしたので、トレセンに帰るのは何年後かになる』といった文と共に送られてきた」
「おぉ…アグレッシブ…ん?つまり僕らはこれからかなりの間同室ってこと?」
「おう、そうなる」
…喜んでくれよゴルシちゃん。なんでそんな未来を憂うような顔をするんだ。
「僕がルームメイトじゃなきゃできなかったことだってあるじゃんゴルシちゃん。例えば君が今使った敷地外への脱走経路とか」
実はもう既に完成している。寮の窓の位置などを調べて、完全な死角を通れるよう木と木の間に通路を作ったりしたのだ。今日までゴルシちゃんと協力して作り上げ、夕暮れ時にやっと終わった。
だから、最も見つかってはいけない相手であるフジキセキさんが来たときに内心焦ったのは秘密である。
「さっきも言ったが、ずっと一緒だと疲れるんだよ。寝顔を描かれたアタシの気持ちを考えてくれよ?」
「さっきも言ったけど、君は綺麗なんだ。だからしょうがない」
ほら、美しいものって後世に残すべきだし。
「ホント重症だよな、お前」
「君が綺麗なのが悪い」
布団を被ってからも、僕らはしばらくだらだらとこんな話を続けたのであった。
いい感じの雰囲気な気がしなくもないですが、要は自分の欲により忠実になった変態が生まれただけですのでご安心を。
ご安心を。