とある天気のいい昼過ぎ、僕とデジたんは数枚の紙に見入っていた。
「すご…もはやストーカーレベルだよねコレ」
「…言い方はアレですが、確かにその通りですね」
トレーナーに渡された他ウマ娘の資料。そこにはありとあらゆる情報が事細かに記されていた。
距離適性に脚質に走破タイム、足のサイズや体重なんてのも記載されていた。
レースの結果を調べれば分かるデータはともかく、身体的データはどうやって知ったのかとトレーナーに聞いたところ、返ってきた答えは「目測」。
「目測でここまで細かなデータがとれるって…相当イッちゃってるよ、あのトレーナーさんは」
「ですね…あたしもウマ娘ちゃんの身体データを測れるのは3m圏内が限界です…」
「だよね…僕もミリ単位で出せるのはその位かな…」
スピカのトレーナーは何かと変わっている印象を受けるが実際その通りで、かなりのヘンタイだ。…良い意味でも、悪い意味でも。
「…この資料の子、もしやこっちの別資料の子と仲が良いんでしょうか…」
「…え?」
突然、デジたんが資料を見ながらそんなことを言い出した。
何か気付く事でもあったのだろうか。
「…あくまでもあたしの予想に過ぎないですけど、この子のレース展開はどうも消極的な印象を受けるんです。だから、気が弱い子なんじゃないかと思いまして。…で、タイム自体は別資料の子にかなり勝っているんですが、その子との併走時には必ず負けているんですよ」
「…あぁ、友達に遠慮してる…ってこと?」
「ええ、おそらく…勝てる相手に負ける理由は、この子の性格的にそう考えるのが自然だと思います…」
…なるほど。それは、僕らウマ娘をアスリートとして捉える場合、あまり良くない傾向だろう。
しかし推しとして捉える場合、こういう気の弱い子がだんだん本気で相手とぶつかり合えるようになる…みたいな類いの尊みが生まれるだろう。ぼくそういうのすき。
「…というか、よくそんなことに気付くよね」
「ええ、まあ。資料をずっと見てるうちにふと思っただけのことですが…」
……。
あ、そうか。
先日からトレーナーが僕に資料を少ししか渡さない理由はそれか。
単なる記憶として脳の片隅に留めておくのではなく、今デジたんがやったように論理的に考えてさらなる情報を得ることこそ、資料の正しい使い方だ。それを僕に理解させようとしていたのか、あの人は。
よく考えずともそれは当たり前のことである。しかし僕の場合、暗記だけで様々なシチュエーションになまじ対応できてしまうおかげで、考える頭を使うことをあまりしていなかった。…最近は本能に忠実に行動してるから尚更。
「…デジたんのおかげで重要なことに気づけた。やっぱり僕にはデジたんが必要だ」
「…ハイ、そうですか。そうですか…。なんかもうあたし慣れましたよ!これが推される側のキモチってやつですねッ!なんかもう分かってきましたよ!」
「えっ…と、それはつまり、とうとう自分が女神と呼ばれてもおかしくないほどに可愛くて可愛くて可愛いのを自覚したってこと?」
「いっ、いえ…あたしは可愛くなんかないですッ!絶対!あたしをお、おっ…推してるオロールちゃんは特別なだけであってッ!」
「特別ッ?僕が?…デジたんの特別ってこと?」
「エ゛ヴッ…!い、いや、ちっ…ち、が…!…文脈を読んでくださいッ!」
よし、声の高さ、テンポ、トーン、全て完璧に聞き取れた。僕の脳内切り抜き職人に「オロールちゃんは特別」の部分だけ切り抜いてもらってリピート再生しよう。
「ところで、僕はデジたんのことを『特別』だと思ってるよ?」
「あひゅっ…」
うん、今日も大変可愛いようで何より。
◆
データから新たな発見を得るためには、注意深く観察することももちろん大事だが、知識というのも重要になってくる。知識によって作られる新たな視点から物事を見れば、気付きを得られるだろう。
そして、ここトレセン学園において、知識は図書館にある。
日本トップクラスのウマ娘育成校だけあって、レース関連書籍の量は半端じゃない。
そんなわけで僕は今、本棚の隙間を縫って良さそうな本を探している最中である。
「にしても、いろいろ本があるなぁ…」
レースに必要な知識を求めて来たが、それ以外にも娯楽本だとか、様々な種類の本が取り揃えてあるので思わず目移りしてしまう。
僕の場合、手に取って数十秒パラパラッとやればそれでいい。既に何冊かやったので、今僕は脳内で読書をしている。
「うーむ…近代化に取り残されたジャワ原人…なかなか深い内容だな…」
脳内再生に意識を割きながら、なんとなく見つけた良さげなレース関連本を手に取ろうとする。
そんなことをやっていたものだから、僕はすぐ横にいたもう一人のウマ娘に気が付かなかった。
本に伸ばした手が、彼女の手と重なり合う。
「…………」
「……あ、えっと…」
彼女の手から顔に目を移すと、そこには不機嫌さを隠そうともしない表情を浮かべた顔があった。しかし、僕はこの顔を知っている。「前」に見たことがある。
「………あ゛?ンだよ」
エアシャカール。
なるほど、実物は思ったよりもコワイお顔だ。裏路地で出会ったら二秒で財布を渡すレベルだ。まあ、彼女のことは知っているので怖がったりはしないが。
「…もしかして、この本を借りられるんですか?」
「………」
無言の圧力。「見りゃわかるだろ」という意思が言外に伝わってくる。…何だろう、僕は別にマゾでもMでも被虐趣味でもないが、彼女のようなカッコいいウマ娘に、こう…無言で責めるような目で見られるとちょっと興ふゲフン。
「あ、えっと…すぐに済ませますので…15秒ほどで済ませるので、一瞬だけその本を見させてください!」
「………は?」
この場合、これが一番手っ取り早い。僕が本を読むのにかかる時間はあってないような長さなので、シャカールさんもすぐに借りることができる。
「…すいません。お待たせしました、どうぞ」
「………はっ?」
シャカールさんに本を手渡したが、彼女はなんだかポカンとした様子でそれを受け取った。
「じゃ、僕はこれで…」
「………はっ!?オイッ!ちょっと待て!」
僕が立ち去ろうとすると、彼女に肩を強く掴まれた。
「は、ハイ…?どうしました…?」
「…あー…その、なんだ、今お前…。…今やったのは、あれか?速読術ってやつか?」
「…ちょっと違いますけど、似たような感じ…ですかね?」
速読術とは本に記された事柄を高速で順に追って理解していくものであるが、対して僕のやっていることは、本のページを全て記憶してからゆっくりと脳内で読解する、というものだ。
「なんで疑問系なんだよ?…まあいい、いくつか聞きたいことがあるんだが、この後ヒマか?」
「ハイ、時間はありますよ」
「そうか。…オレはエアシャカール。お前は?」
「オロールフリゲートです」
「よし、じゃあオロール。さっきお前は何をやった?ロジカルに説明してくれ」
「…僕の特技は記憶でして。本のページを全て覚えただけです」
「…そうか。そりゃ…なるほど、すげぇな」
まあ、自分で言うのもなんだが、確かにこの記憶能力はすごいし便利だ。僕の強みのひとつと言える。しかし便利がゆえに頼りきってしまっているので、弱みであるとも言える。
「…それ…その記憶力は生まれつきなのか?それとも技術として習得したものか?」
「生まれつきです。なんなら生まれた当時の記憶もありますよ」
「…マジかよ。…ところで、一応聞いておくが…前にどこかで会ったことはないよな?」
「…?はい、ないと思いますけど…」
僕が出会ったウマ娘の顔を忘れるわけはない。しかし一体どうしてそれを聞くのだろう。
「さっき、お前…よくオレのカッコを見てもビビらねェでいられたな……それと、最初に言うべきだったが、オレに敬語は必要ねェ。丁寧な言葉を並べたてなくともロジカルに説明することはできるからな」
「…なら、普通に話すね」
…眉ピアスのついた無愛想な顔、半袖の下に見え隠れするタトゥー…おそらくシールだろうが、とにかく、彼女の見た目は確かに大分攻めた仕上がりになっている。
だが、僕は彼女がそのような格好をしている理由を知っている。合理的、理論派である彼女は、勝利を追求するために自分の見た目すらも利用して他人を牽制している、というだけのこと。
性格は案外優しく、お人好しである彼女のことを怖がる必要などない。
「…ビビらなかった理由はあるけど、ロジカルじゃないんだ、それ」
「…理由、だと?」
「例えば、僕には前世の記憶があって、シャカールさんのことも前世で既に知っていた…って言ったら信じられる?」
「……はぁ?」
呆けた顔をされる。突拍子のない話だから無理もないが。
「もっと言えば、先程僕の特技は記憶だと言ったけど、そのメカニズムを言葉で表現するならば、魂に刻まれる…という言い方が一番しっくりくる。前世の記憶も魂に刻まれてるってこと。信じるか信じないかは貴女次第です…なんてね」
「…そりゃ、信じ難い話だな…。ウソくせぇ。だが、タキオンのやつもウマソウルがどうとかロマンチストみてェなことを言ってたな…」
「…タキオンさんのことを知ってるなら、マンハッタンカフェさんのことも知っているのでは?」
「あ?まあ知ってるが…そういやソイツもよく分からん所を見ながらよく分からんことを言うヤツだったな。…思い出したら寒気がしてきた。あんなロジカルじゃねえもん…いや、だが…」
数字の信奉者であり、非科学的なことを信じない彼女は魂だとか幽霊だとかを信じない。
…ちなみに「ロジカルじゃねぇ」という理由でホラー作品が苦手なのだとか。ヤンキーみたいな見た目でそれは…ちょっと尊いが過ぎると思う。
「ウマ娘自体、まだまだ謎の多い種族だし、魂やら幽霊やら、そういうオカルト的な秘密が隠されていてもおかしくはない、と僕は思うよ」
「魂…ねェ。レースに勝つためにウマ娘の謎を解き明かそう、とでも考えた場合、数学だけじゃなく哲学にも片足突っ込まないとダメなのかよ…?いや、そんなハズはねぇ…」
「…それに僕、幽霊には会ったことあ」
「その話をそれ以上するな。いいか、幽霊なんてモノは存在しねェ。断じてだ。そんな非論理的存在がこの世にいてたまるかってんだよ」
「まあ確かに本来はあの世にいるべきも」
「やっ、やめろッ!!絶対にいねェ!そんなものは!ロジカルじゃねえ!」
…は?可愛いんだが?
僕は別にサドでもSでも加虐趣味でもないが、こういう気の強そうな見た目の子が声を震わせて怖がっている様子には正直興奮を覚えゲフンゲフン。
と、そのとき、僕の耳に染みつくように覚えている、彼女の足音が聞こえてきた。
「尊みの波動を検知しましたよッ!オロールちゃんッ!あたしのウマソウルが今新たなエモゥションッを求めて燃え滾ってますッ!さ、一体どんなネタがあったか教えていただ……!」
本棚の向こうから静かにドリフトをかましながら登場した我らがデジたん。図書室だからね。…ちなみに今のセリフも結構小声なのだが、聞いているとまるでそんな気がしないから不思議である。魂で叫んでるからだろうか。
「…誰だテメェ?」
「ヒュッ…オラついた風な態度のイケメソウマ娘様…!なんとクゥールな御顔ッ…!…あ、スミマセンあたくしアグネスデジタルとは申しますもののまったく覚えていただく必要はございませんしあたしは今すぐ消えるのでどうぞごゆっくり…ィ!?」
本棚と同化しようとしたデジたんを掴まえる。せっかく来たのに話をしないなんてもったいないからね。
「シャカールさん。この究極に可愛い子のことは是非デジたんって呼んであげて。…デジたん。トレーナーさんからも言われたよね?他の子ともっと話をしろって。絶好の機会じゃないか、逃げようなんてことするのはもったいないよ?」
「ゔぼぉぁぁぁぁ無理無理無理ィッ!こう…御尊顔を拝したときにキュンキュンするタイプのウマ娘様への耐性がついてないんですよッ…!」
「あ、あー…?アグネスデジタル、とか言ったか?オレはエアシャカール…って、大丈夫かよ?なんかスゲェ顔赤いし…震えてるぞ?」
「デジたんはいっつもこんな感じだから大丈夫だよ。可愛いでしょ?」
「は?かわ…?」
可愛い。絶対に。
「…なんか、対人関係に問題でもあンのか?…まあ、興味深い話も聞けたし、そんくらいの悩みなら別に聞いてやってもいいけどよ…?」
「ア゛ッ…いっ、イエッ、そんな…シャ、シャカールさんのお耳を汚すような話なわけでしてッ、ハイッ…全然聞いていただく必要は……」
「デジたんは、俗に言うウマ娘オタクってやつで…まあ僕もなんだけど、それは置いといて…とにかく、こうやってウマ娘に会うと舞い上がっちゃうことがしばしばあるんだ。どうだろう…ロジカルなアドバイスが思い付いたりしない?」
「…オレにはそーいう趣味はねェからよ、イマイチ分からねぇが…。自分の好きなもんをとことんやれてるってのは、一種の長所だ。だから焦らず自然に慣らしてきゃあいいんじゃねぇか?」
「ふひょぉぉおぉぉぉッ!何というイケメンゼリフッ!外見とは裏腹のマリアナ海溝ばりの優しさッ…はぁーしゅきぃ…!」
あ、トリップしかけてる。
「…めちゃくちゃウルセェなお前」
シャカールさんはイケメンである。デジたんが限界化するのもよーく分かる。僕も、「メス堕ちしたときに抱かれたいウマ娘ランキングTOP5」…メス堕ちの予定はないが、とにかくソレにシャカールさんが入るくらいには彼女のことを推している。
「ハァ、なんかヤベェヤツと知り合いになっちまった……。んじゃオレはもう行く……」
「あ、待ってシャカールさん。最後にもう一つ頼みたいことがあるんだけど……」
…ウマ娘の中でも指折りのイケメン顔面を持つ彼女にしか頼めないことがあるのだ。
「デジたんに顔近づけて『オレだけを見ろ』って囁いてくれません?」
「……は?」
「……何が良いですか、お嬢さん…何でもOKですぜ…」
言いながら、親指と人差し指で作った輪で、袖の下を指し示す。
「……できるンなら、そうだな……ちょっとしたスパイを頼まれてくれると嬉しい。詳しいことはまた今度話す」
スパイ、というと、やはり他のウマ娘のデータを集めろということだろうか。それならば僕に向いている仕事だ。データの収集と記憶なら任せてほしい。
「……承りました」
目と目を交わし、約束を取り付ける。ちなみに肝心のデジたん本人は今、どこかの小宇宙を旅している。
「…おいデジタル。ちょっとコッチ向け」
「…フヘッ、ヤンキー受けもなかなか…ウヒヒ…んはっ!?ハイッ!?なんでしょ……」
「他のモンは見るな。…オレだけを見ろ」
「カヒュッッ!!」
よし、オチた。
僕はオーバーヒートして倒れこむデジたんの体を両手で支えた。
「…いいのか?これで?」
「ありがとう。助かったよ。これでデジたんをお持ち帰りできる」
「お、おう…?じゃあな……」
立ち去るシャカールさんを横目で見ながら、僕は腕の中のデジたんを抱え直し、立ち上がる。
「…ッ。腕の中に…女神が…!」
何気にもう結構な回数彼女をお姫様抱っこしているのだが、何度やってもクセになる。
…もうすぐトレーニングが始まるし、このまま部室に向かってしまおう。
「な、なあ…もういいんじゃねえか?こんなロジカルじゃねぇもん見てもしょうがないって…なあ?」
ってホラー映画見ながら布団にくるまってるシャカールさんの幻覚を見ました。