フゥン…なるほど、なるほどねぇ。そういうこともありますわな、そりゃあ。
スゥー…
人の運とは不可思議なモノですね。
どうも時間の流れというのは早いように感じる。僕ももう年かな、なんて。
あれ、待てよ?冷静に考えてみろ、しっかりと記憶に残っている前世の分も含めると、僕の実質的な精神年齢は今…。
…いや、この話はやめよう。
時間の感覚というものは、何か新鮮な経験があるときはそれが強く印象に残るので時間が長く感じ、そうでなければ逆。年をとると新しい経験はどんどん少なくなるから時間が早く感じる。という説を聞いたことがある。
つまり、見たもの全てが記憶に残る僕の場合も、それと同じ理屈で時間が早く感じる…ということにしておこう!うん!
そんなわけで、いつの間にか迎えた感謝祭の朝。
「とうとう来たんだ!この日がッ!デジたんがステージ上の真ん中でライブするこの日がッ…!」
「…まだそうと決まったわけじゃねえだろ?ターフの上で戦うライバルはたくさんいるんだぜ?」
「いや、デジたんなら大丈夫だよ。…デジたんがレースするところを直接見たわけじゃないけど、でも必ず入着する。僕はそう信じてるよ」
デジたんは可愛い。しかしそれ以前に、彼女は名馬アグネスデジタルの魂を受け継ぐウマ娘なのだ。走りには妥協しない旨のことを前に話していたから、今日、彼女は本気で勝ちを獲りに来る。僕のような
「ま、そんならスピカで表彰台を独占しちまえよ。歴史にちょっとした名を刻めるぜ、第一回未デビューウマ娘カップの栄えある王者たちはチームスピカ、ってよ!…部員増えっかもな」
「…僕、けっこう頑張んないとダメじゃん。でも、ウオッカやスカーレットとは別のレースで良かったよ。あの二人、同年代の中ではかなり体が出来上がってる方だから、相手取るのは厳しいし」
参加希望者がかなり多い上、芝ウマ娘もダートウマ娘もエントリーしたので、確か四つほどレースが開催される予定だったはず。ウオッカやスカーレットが走るレース、それに僕とデジたんが走るレースはいずれも芝1600、18人立て。全て終了後にライブが行われるのだが、ステージに立てるのはそれぞれで五位以内に入着したもののみ。センターに立つのは各レースの勝者。
…一体、誰になることやら。
「あー、そういやお前ライブ踊れんのかよ?よく考えたらウチのトレーナー、ダンスの練習なんかやってねえじゃねえか」
「…あ、そういえばそうだね。でも大丈夫だよ」
レース後のライブ。
アニメじゃスピカメンバーは全員ズタズタのボロボロだったな。まあこれは主にトレーナーさんがその練習を全くもってしていなかったのが悪いのだが。
しかし僕は問題ない。振り付けは一度見ればすぐ覚えられるので、問題なく踊れる。デジたんに関して言えば、彼女はライブを最前列で何度も観ているし、時には夜更かししてまでライブ映像を観るくらいだから踊れるだろう。
…あ、ウオッカとスカーレット。
…大丈夫だろうか?
「…ねぇゴルシちゃん、ウオッカとスカーレットは踊れるかな?僕はあの二人の走りなら入着は確実だと思う。だからこそ、踊れるかどうかは死活問題だよ」
「まあ…ノリでいけんじゃねーの?今からどうにかしようったって、どうにもできねえだろうし」
「うん、そうなんだよねぇ。今からじゃ…」
僕らの出番は午前中なのだ。午後は基本的に先輩方の出し物なんかがあるので。
…しまったな。完全にそのことを考えていなかった。
「ダンスが出来なかったら…。まあ、僕ら未デビューだし、初々しさがあっていい、みたいなウケ方するかもね。だけど、あの二人はそんなウケ方を望んでないだろうからなぁ…」
「だからそーいうときゃノリよ、ノリ。冗談抜きでこれしかねぇぜ」
「やっぱりそうか。うーん、二人はもともと天賦の才を持ってるわけだし。振り付けだけ軽くレクチャーして、あとは頑張ってもらうしかないか…」
結局のところ、これは全てトレーナーさんが悪い。
…トレーナーさんの金で焼肉には行ったし、次は寿司かな。彼にはせいぜい震えて眠ってもらおう。
◆
今日はやることが多い。ウオッカとスカーレットにダンスの件で話しておきたいし、第一次デジたん推しまくり計画の最終段階の準備もある。
とまあそんな感じで、考え事をしながらドアを開く。
「あ、オロール。やっときたわね。…さっきチラッと見たのだけど、けっこうな人が来てるみたいよ」
「スカーレット。…確かに大量の人が来てる。まだ見ぬ天才が眠っているかも、なんて期待をしてる人も多いだろうし、テレビに映らない、つまり今日ここでしか観られないイベントだからってのも少なからずあるだろうね」
今はレースの始まる少し前。こちらから出向くまでもなく、ウオッカとスカーレットの方から僕に話しかけてきた。
「そういえば、二人とも。デジたんを見なかった?」
僕が開けたドアの先は更衣室。G1レースではないため勝負服を着るわけじゃないが、制服で走るわけでもない。そのため、デジたんも含め皆こうして体操着に着替えている…はずなのだが。
「あー、そういやさっき、お前が来る前のことなんだけどよ。俺が着替えてるときにちょうどアイツとぶつかってさ。んで、大丈夫かーって聞く前にビュンとトイレに向かっちまった」
「トイレに?珍しいな、デジたんがこの時間にトイレなんて。今まで午前中にトイレに行くのは7時39分から54分の間だけだったのに…」
「…あー、なんかアイツ思いっきり自分の鼻押さえててよ。俺は鼻血でも出たのかと思って聞こうとしたんだけど、動きが速すぎて聞けなかったぜ。まあでも、そんな勢いよくぶつかってねぇし、そもそもぶつかった箇所はアイツの顔と俺の胸あたりだったから鼻血は出ねぇと思うけど…」
「あー、なるほどね。うん。理解した」
デジたん…。いや、分かるよその気持ち。僕だって至近距離でソレを拝んだら似たようなことになる自信がある。つっぺじゃ防ぎきれないよね。
「まぁ、とりあえずそれは一旦置いといて。君ら二人にちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「何よ?アタシとウオッカに?」
「うん。単刀直入に言うと、君らライブで踊れる?」
「おど…え?」
あっと、言葉で聞かずとも顔が物語っている。やはり二人はライブの練習など全くもってやっていない。
「ウチのトレーナーさん、僕らにライブのダンスについては何も教えてくれなかったでしょ?でも今回、もし掲示板に入った場合、ステージの上に立って踊る必要がある」
「…俺は、うん!なんとかなるぜ!最高にクールなのをぶちかましてやる!」
「ま、まあアタシも?そのくらいわけはないわよ。教官から基礎くらいは教わってるし、なんとか…」
「ならないと思うよ。…それで、歌詞や振り付けくらいなら僕でも教えられるから、二人にはなんとかして今覚えてもらう。…大丈夫?」
「…そりゃ、まったく初めてってわけじゃないから。多分」
そうして突如始まるダンスレッスン。イン更衣室。
「今回ライブでやるのは『GIRLS' LEGEND U』知ってるでしょ?」
「まあ、さすがにな」
『GIRLS' LEGEND U』とは。
ウマ娘ファンならほぼ全員知っている曲。アプリを開いた際に流れるあの曲、始まりの曲である。
アプリをやっていた頃にはウマ娘がこの曲をライブで踊っている映像を見たことがなかったので、初めてダンスを見た時にはちょっと感動したものだ。
「まあ振り付け自体はさほど難しいもんじゃない。ただ、これはたいていのライブ楽曲に当てはまることなんだけど、振り付けが数種類あるんだ。センターウマ娘、つまり一着のウマ娘用。そのサイド、三位以内とかに入着したウマ娘用。あとはバックダンサー用…みたいな」
「なら、教えるのは一つだけで十分だぜオロール」
「ええ、アタシたちにはそれで十分」
文字通り、不敵な笑みを浮かべる二人。彼女たちの言わんとすることがなんとなく分かる。
「なるほど、ね…。でも、君ら同じレースだよね。だから必ずどっちかが負…」
「ぜってー勝つ!」
…ウオッカ。
「うっさい!勝つのはアタシよ」
と、こちらはスカーレット。
まあ、こうなる気は薄らしていた。
「そうよ!負けた方は恥をかく!それで十分じゃない?アタシがウオッカに負けるはずないんだから!」
「言ってろスカーレット!ライブでボーッと立ち尽くしても俺は助けてやらねーぞ!?」
…彼女たちは、自分の勝ちを微塵も疑っていない。今までずっと共に修練してきた因縁のライバルにさえも必ず勝つつもりでいる。
こういうところは見習うべきだろうか。
僕は正直、今回のレースでデジたんに必ず勝とうなどとは思っていないし、なんなら勝てない方がいい、なんて考えを抱いてしまったりもする。自分の一位よりもデジたんの一位の方がずっと嬉しいような気がする。しかし、彼女には全力で立ち向かうことこそが礼儀だとも思っている。そもそも、中途半端な僕には自分の勝利を信じる資格がないのでは、とまで思ってしまう。
だから僕はデジたんに、芝レースへのエントリーを勧めた。僕はどちらかというとダートの方が得意だったから。
「おい、さっさと教えてくれオロール。俺はコイツより先に覚えてとっととパドック行ってくるからよ」
「ハァ?アンタがアタシに何一つ敵わないことを証明してあげるわよ。覚えの良さも!…そして走りもね!」
…にしても、さすが人の目に触れる初めてのレースなだけあって、二人はいつになくヒートアップしている。尊みが。
まあどっちみち時間もあまりないし、ここは二人の望み通りにしよう。
はてさて、結果はどうなることやら。
◆
いよいよレース開始直前…といっても、ウオッカとスカーレットが出走する方のレースだが。僕らが走るのはこの次なので、今は観客席から二人の対決を見届けることができる。デジたんも観戦するだろうから探してみると、群衆をかき分けるまでもなく、最前列で尻尾を振っている彼女が見つかった。
「…デジたん」
「あ、オロールちゃん!ほら早く早く早く!もう始まっちゃいますよ!フヒヒ…レース後に発生するであろうウオスカ尊すぎ案件を見逃す手はありませんからねぇッ!」
双眼鏡まで用意して、備えはバッチリ、といった様子のデジたん。
「…あの、双眼鏡を覗いている間はバレないとか思ってるようですから言いますけど。全然そんなことないですからね?」
「イヤー、アハハー。ウン、分かってるヨ」
別に今のデジたんの発言とは何の関連性もないが、僕は彼女の腰に伸ばしていた手を引っ込める。くそ、せっかくのオキシトシン分泌チャンスが。
こんなことをやっていると、会場が急に静まり出した。
「あ、…皆ゲートインしたみたい」
ふむ、今回スカーレットは二枠三番、ウオッカは同じく四番のようだ。トレセン学園のコースはシンプルな環状コースであることに加え、本日最初のレースだから芝がキレイだ。内側であればあるほど有利にレースを運べる。
『各ウマ娘、ゲートインが完了しました』
この場の空気が一気に固まったような静けさが訪れる。観客席はスカーレットの言うようにたくさんの人で溢れかえっていたが、それでも、僕の耳は確かにゲートの中にいるウマ娘たちの息遣いを捉えたように思う。
緊迫した空気が場を包み込む。
誰もが今か今かとゲートが開くのを待ち構え、そしてついにその時はやってくる。
『さあ、ゲートが開きました!各ウマ娘、一斉に好スタートを切りますっ!』
その瞬間、世界が変わる。走り出した彼女たちの魂の叫び、とでも言おうか。公式戦ではないにしろ、皆本気だ。そこに込められたウマ娘たちのレースへの想いによって、会場は刹那の間に熱気で覆い尽くされる。
レースが始まった途端、前に飛び出たのはやはりスカーレット。
『早速先頭に立ったのはッ!むむッ、あれは三番ダイワスカーレット!…ふむふむ。彼女はクラス内ではよく皆に頼りにされているそうで、まさに私と同じ!ザ•優等生というわけですッ!そして、レースに集中している今の彼女の目は、ただ勝利のみを映しています!』
なんだ今の実況。軽く選手紹介が入ってたぞ。
もしかして、未デビューウマ娘の宣伝のため、生徒会が計らってくれたのだろうか。
スカーレットに続けて、後続のウマ娘たちも実況による紹介が行われた。…というか、実況者はもしかしなくてもサクラバクシンオーでは?ちょくちょく「ちょわッ!?」とか言ってるし。
『中団グループの先頭に立つのはッ!四番ウオッカ!学園内ではよくスキットルに麦茶を入れて飲む姿が目撃されています!』
この紹介は誰が考えているんだ?バクシンオーさんのアドリブか?…いや、そんなことはないだろう。とにかく、ウオッカには聞こえていないようだが、会場の一部では何やら僕にとって親近感の湧く鳴き声が上がっている。具体的には「かわえぇーーェ‼︎」とか。本人に言ったら面白いことになるぞ。
『ちょわッ!?四番ウオッカが一気に先行集団を抜き去りましたッ!そのまま一位との差を縮めていきますッ!素晴らしいバクシンッぷりですね!』
今回のレースはマイル戦だ。一度開いた差を埋めるために使える距離は短い。ウオッカが半分を過ぎたあたりで仕掛けたのもこれが理由か。
…いや、それ以上に、彼女はスカーレットしか見ていないのだ。同年代のウマ娘の中でも肉体が早くに仕上がってきているあの二人は、既にワンランク上にいる、とでも言うべきか。肉体の差は徐々に縮まるだろうが、しかしそれ以前にあの二人は天才だ。だから今、二人が競い合おうとすると、結果的に周りを置き去りにする。
『いよいよ勝負は最終直線にッ!先頭は依然三番ダイワスカーレット、しかしィッ!そこに四番ウオッカが追いすがるッ!双方全く譲る気はありませんッ!』
「ヒョー〜ッ!こ、こ、これはッ!予想以上にエモいですよッ!?宿命のライバル対決ってヤツじゃないですかコレェッ!?ファッ…興奮しすぎて…息が…ッ!」
おそらくはこの会場にいる誰もが、二人の対決が決着する瞬間を目の当たりにしたいと思ったことだろう。まさにデッドヒート、残り1ハロンの所まで差し掛かったが、勝負の行方は誰にも分からない。
「二人とも〜!頑張れーっ!負けたら色々と恥ずかしいことになるよー?」
「ッステージの上で立ち尽くしたり転がったりするお二人もなかなか良…ああダメよデジたん、そんなことを考えるなんてぇ!?…お二人とも、頑張ってくださぁぁいッ!!」
僕の言葉が届いたかは知らないが、彼女たちの足は緩まる様子を見せず、むしろ今までにないほどのスピードでゴールまで向かっている。
『並んだ、並びましたッ!?先頭二人、双方全く譲る気はありませんッ!このままゴールに……ッ!!』
そして、二人並んだままゴール板を駆け抜けた。
『…え、えーと!一着…一着は…?ちょわっ!?失礼いたしましたっ、三着は七番、四着は五番…あっ!写真判定ですか!なるほど!お任せくださいっ!この私が会場の皆様にキッチリお伝えしますのでッ!…皆さんっ!ただいま写真判定を行っております!少々お待ちくださいッ!』
「…うわ、すご。デジたん、どっちのが速かったか見えた?」
「いえ、何も分かりませんでした。…それにしてもすごかったですねぇ!お二人の気迫!観客席まで伝わってきましたよ…!エモい、とにかくエモい…!抑えきれないっ、このクソデカ感情ッ!尊…ッ」
すぐ横で美少女が涙を流している場合、僕はどうすればいいだろうか。無論、涙を拭うために抱きしめるのみである。感極まったあまり零れた涙だとしても、そこは関係ない。要は抱けばいい。
「ホヮッッ!?あ、危ない、油断も隙もないですね…!何するつもりですかっ、こんなに人目があるんですよ!?」
「…っ。やるねぇ、デジたん。…やっぱり君に勝つのは難しいみたいだ」
人混みの中だったのでいけると思ったが、彼女は小さな体躯を活かしてするりと器用に僕の腕を躱してみせた。
「オロール、恐ろしい子…!にしても、今日はいつにも増して積極的ですね」
「……あはは、ほら。レース前にデジタニウムを補給しておこうと思って」
「ハグじゃなきゃ摂取できないんですかソレは…?」
デジタニウムは肌に直接デジたんが触れることで摂取可能な必須栄養素だ。一部の生き物はこれが欠如すると数日以内に死ぬことで有名である。
『っと!今結果が出ました!一着は…ど、同着!三番ダイワスカーレット、四番ウオッカ!』
…まさか同着とは。
にわかに会場がざわつきだす。そりゃそうだ、同着なんて滅多にないことだから。
「あの二人、伝説でしょ。栄えある第一回未デビューウマ娘を制したのはなんと因縁の二人。漫画や小説みたいな話だね」
「…言葉が、見つかりませんね」
…これ、ライブはどうなるんだろ?二人ともうまく踊りきることができるか、それとも恥ずかしい思いをするかってところかな?
「…っと、僕らの出番もそろそろか」
「ええ、あと十何分かでパドックに行かなければなりません。さあ、行きましょう」
そう言って、彼女は僕の方に手を差し出す。
「…!へぇー、デジたん。そういうとこだよ、そういうところが好きなんだよ僕は」
「…っほら、人混みの中だと迷いやすいですし!」
「いやぁ、僕は何と言われようと都合の良い解釈をするよ。そういうことだと思っておく!」
僕がデジたんの手を握ると、彼女は握り返す。
…周囲の声が耳に入ってくる。僕らの方に向く視線のいくつかから漏れた声は実に面白いものだ。具体的には「尊い…」とか「かわゆす…天使かよ」とか。
ほら見ろ、やっぱり皆デジたんのことが好きだ。
やはりデジたんの魅力には誰も抗えない。
いろんな意味で、彼女には敵わないよな。
「あの、人混みは抜けましたし、そろそろ…?」
…もう少しだけ、手は握ったままで。
ようやく走る素振り見せたぞコイツら(他人事)