着物。
KIMONO、それはジャパンのトラディッショナルな衣服。字面からも分かるように、元々は着る物全般を指す言葉であったが、幕末以降日常生活で一般的に洋服が着られるようになってからは、いわゆる和服を表す語としての意味合いが強くなった。
「あっ、あぁ……!」
着物。
現代では、日常的に着る服というよりも、むしろお祭りや祝い事などの際に着る、いわば非日常的な服としての意味合いが強い。特別な日のために仕立てられることの多い着物には、往々にして並々ならぬ想いが宿っているものである。
「あ、あ、ああぁ……!」
着物。
それは着る者の優美さを引き立たせ、ひとつひとつの所作さえも魅惑的な雰囲気を醸す。
「……ありがとう、ありがとうっ……!」
ことデジたんにおいては、元々ある無限の可愛さに着物の魔力が重なるため、無限×無限……何を言っているのかよく分からないだろうが、少なくとも僕の口から自然と飛び出したのが彼女への感謝、彼女を生み出してくれた世界への感謝であったことは確かである。
「綺麗だよ、デジたん……!」
デジたんが自らのファッションを推しカラーに染めているのを、僕は度々見たことがある。何かしらのウマ娘イベントに赴く際、彼女は極限まで自分の存在を薄め、代わりに推しへの愛を爆発させる。すごいのは、まったく違和感を感じさせないこと。
ファッションには、人によって似合うもの、似合わないものがある。それは当然のこと。しかしデジたんはオールラウンダー。推しのためならば、似合う服を着るのではなく、服に似合う自分になる。しかし、決して服に着られるのではなく、彼女自身が千変万化する。
つまり僕が言いたいのは、彼女はどんな服でも着こなしてしまうということだ。
今だってそう。
厳かに佇む大自然の風流の意匠が取り入れられた、慎ましさの中に美しさを見出せる薄紅色の着物と、彼女が浮かべるどこか儚げで神秘的な表情が、巨大なシナジーを生み出している。
曖昧に揺らぐ口元と、慈母神のように優しい目つき。どこか悟りを開いたようにも見えるその表情。僕は琴線に触れられたどころか、心臓を握られたような感覚に陥った。
「……デジたん?」
そういえば、今朝からずっと彼女はこんな調子だ。いつも朝からエネルギッシュで、全力で推し活に臨むのがアグネスデジタルというウマ娘のはずなのだが。
「……人が、多いですね。これも初詣の醍醐味といったところでしょうか。ふふっ」
「デジたん?」
いや誰?
いわゆるヲタクという人種とは180度真逆の、どちらかというと清楚系鎌倉武士さんに近い雰囲気を纏っている。あのデジたんが。
「ああ、ごめんなさい、オロールちゃん。昨夜貴女に言われたとおり、あまり畏まった態度をとらないよう心がけてはいるのだけれど」
「デジたん……?」
確かに敬語は取れた。しかし、なんというか、果てしのない高貴さを彼女から感じる。最近スピカに加入したメジロのお嬢と同じくらい、いやそれ以上に。
そういえば、強い精神的ショックは、時として人格の分裂を招いてしまうことがあるそうだ。もしかすると、新たな扉を開いてしまったばかりに、彼女は一夜にして新たな人格「清楚デジたん」を獲得してしまったのかもしれない。
「ああ、それにしても、なんて……なんて美しいんだ!」
何にせよ、彼女の神秘性が僕を魅了してやまない。僕の体はだんだんと引き寄せられていき、気づけば鼻先が触れ合いそうになっていた。
「ふふっ、もう、オロールちゃんたら。人前だから今はダメ……ね?」
妖しく微笑む彼女。しかし、僕はここで退くわけにはいかない。
「デジたん。今の君はとても綺麗だ。けどホントにそれでいいのかい?僕の大好きなデジたん。本当の君は、もう戻ってこないのかい?」
「本当の、あたし……?……はっ!そうだ!あたしは永遠のウマ娘ヲタク!あたしが推さねば誰が推すッ!ウマ娘ちゃんの輝きの目撃者となるべくトレセン学園に入学したこの身果てるまでッ!推して推して推しまくるッ!デジたん、復活ッ!」
落差がひどい。しかしこれでこそデジたんだ。
「お帰りデジたん。いやまあ君が旅立った原因はほとんど僕なんだけども」
「あたし、変な夢を見た……。夢の中で暗闇を歩いていると、光が見えて……。そこから綺麗な声が聞こえてきて『何処に行くの』って聞いてきた……。あたしは『ウマ娘ちゃん天国へ』って言った……。だって、ウマ娘ちゃんは可愛いし、見てるだけで癒されるから……。そしたら、その声は『貴女が決めなさい』って……。『アグネスデジタル。行き先を決めるのは、貴女だ』って……。『オロールちゃんのところへ行く』って答えたら、目が覚めた……。とてもさびしい夢だったよ」
「デジたん……。君ってば、これから初詣ってときに、呑気して夢なんか見ないでよ!」
まあ、いいか。戻ってきたし。
その時、ふと懐かしい匂いを僕の鼻が捉えた。
「ッ!この匂い……!もしや、母さん……?」
「えっちょ待っ、え?匂い?」
デジたんと茶番をしていたら、いつの間にか僕の母さんが近くに来ていたようだ。
「あ、いた。向こうで手を振ってる」
「ええっと……。ああ、あのお美しい方が……?」
デジたんに同意。我が母ながら、非常に見目麗しい。着物もよく似合っていて、成熟した大人の魅力を醸し出している。やっぱりウマ娘って最高だな。
「明けましておめでとう。着物、よく似合ってるわね」
「明けましておめでとう、母さん。で、早速なんだけど紹介したい人が……」
「あら、本当に可愛い。話は聞いてるわよ、デジたんちゃん」
「デジたん……ちゃん……?たん、ちゃん……なんかしっくり来ないよ、母さん」
「確かにそうね。だとすると、デジちゃん……?いや、デジタルちゃん……うん、これがいいかも。デジタルちゃんって呼んでもいいかしら?」
「へっ?あ、はい……?って!?いやいやいやッ!?待ってくださいッ!?あッ!?あ、あのっ、オロールちゃんにはいつもお世話になっております、アグネスデジタルと申します、ハイッ、どうぞお好きに呼んでいただければッ!オロールちゃんのお母様ッ!」
「随分真面目な子ね。お義母さんって呼んでいいのよ?」
「お、いいねそれ。やっぱり母さんは天才だよ」
「まさかの双方親公認ッ!?」
「あら、ウマ娘の原動力って心なのよ。恋する心があれば誰にも負けないわ」
「こッ!?コココッ、コッコ……!?」
デジたんは鶏になってしまったが、実際母さんの言う通りだと思う。愛するデジたんのためならば僕は自分の限界を超えられる。真面目な話、ウマ娘の生物的特性なのかもしれない。オカルトチックな部分も多い種族だから十分ありえる話だ。
「お父さん、今日も仕事なのよ。家族揃って新年を迎えたかったけど残念」
「そっか。じゃその分母さんに甘えることにする。いや、待てよ……僕は欲張りだから、デジたん。君も母さんに甘えムーブしてほしい。甘々デジたん概念の供給が欲しい」
「あら素敵。二人とも私の大切な娘よ、好きなだけ甘えなさい?」
「オロールちゃんの奇行は、もしや、血……?」
「え、なんて?よく聞こえなかったよデジたん」
「あ゛っ、いや、なんでもございません……」
「ふぅん……?」
「な、なんでもないったら!」
もちろん僕が聞き逃すはずはない。少しからかってみただけだ。しかし、母さんは変人ではあるが僕ほどではない。したがって僕のデジたんへの想いは、時空を超えて受け継がれた僕だけのアイデンティティだ。
「それで、デジタルちゃんのご両親はどちらに……?」
「ああ、今御手洗いに……と、丁度戻ってきたみたい。ほら、あそこ」
人混みの向こうから、仲睦まじそうな夫婦がこちらに微笑んでいる。しかし、僕の母さんも着物が映えるが、お義母さんの方もたいへん素晴らしい。成熟した魅力というのは、やはり心にじわりと染みてくる”味”がある。ふと思ったのだが、この世界の少年少女は、幼少期からあれほどの美人を、テレビや街中などの様々な場所で見かけるわけだ。性癖歪むぞ絶対。
「明けましておめでとうございます。いやあ、ウチの娘がいつもお世話になっております……」
お義父さんは、礼節のある佇まいながらも朗らかな笑みを浮かべ、僕の母さんに挨拶した。
「おめでとうございます。ええ、お世話になっているのはこちらの方ですよ」
「……どうも、二人はお互いに並々ならぬ感情を抱いているようですから。デジタルは、昔からああいう
突如、うまく言葉にできないが、何かシリアスな雰囲気に場が包まれたので、僕は思わず口元を真一文字に結んだ。
「オロールは、昔から変わった娘で。何か、うまくは言えないけれど、この世界に馴染めていないような……そんな娘だったんです、昔は。友達も作らず、ただ走ることにだけは熱中していて、本人は楽しそうでしたけど。やっぱり親として心配で。けど、デジタルちゃんと出会ってからは、何もかもが変わったみたい。電話口で声を聞くだけでしたけど、はっきり分かったんです。娘は今とても幸せなんだ、って。そこが初めから自分の居場所だと決まっていたみたいに」
分かってはいたが、僕は両親にとても心配をかけていた。二人には申し訳ないのだが、僕が真に生きることを始めたのは、間違いなくデジたんと出会った瞬間からなのだ。あの瞬間から、僕の世界には色がついた。
しかし、僕の母は間違いなく彼女だけだ。
母さんが僕の幸せを願ってくれているのは、何となく分かってはいたけれど。改めて言葉にされると、何か、胸に熱い雫を垂らされて、じんわりと、体の隅々まで広がっていくような心地がする。
自分でも制御できない、人によっては「気持ち悪い」と感じさえするような想いを抱いていることは理解している。しかし今、僕は母さんの心で満たされた。不安な気持ちが全て塗りつぶされた。
「ああ、ごめんなさいね、こんな話しちゃって。せっかくのお正月だから、子どもたちは楽しんできなさい。ほら、参拝でも行ってみたら?」
「……うん、そうするよ、母さん。デジたんも、一緒に行こ」
「あ、うん……」
デジたんの一歩先を歩きながら、僕は振り返らずに拝殿の方へと歩みを進めた。
「オロールちゃん、まずは手水場。身を清めなきゃ。ヲタは罪深い生き物だから、念入りに清めなきゃ……!」
「あぁ、うん、そうだね」
デジたんに言われ、手水場に向かう。
柄杓を取る前に、心を清らかにしておくのがよいのだったか。今の僕には少し難しいかもしれない。そんなことを考えながら、ひとまず柄杓を取る。
両手を清め、次に口を清めようと左手に水を汲む。冷んやりとした水が心地よくて、ふと口だけでなく目の下を拭ってしまった。ああ、作法的によろしくないな、と心の中で独りごちる。
だが、心は落ち着いた。僕は同じタイミングで柄杓を置いたデジたんに向き直ってみる。
「どうしたの?じっと見て……」
「いや。神秘的だなーって思ってさ」
「神秘って……神社でそんなこと人に言ったら怒られるんじゃない?」
「デジたんはもうとっくの間に神様だから。参道の真ん中通っても許される」
「ふふっ、もう、オロールちゃんったら……」
手水場を後にした僕らは、拝殿に向かった。もちろん、道の端を歩いて。だが、これだと参拝者は畏れ多くて参道自体を歩けなくなってしまうのではないだろうか。
「二礼二拍手一礼、だったっけ?」
「そそ。神様へのお祈りごとは慎ましやかにね」
デジたんと賽銭箱に五円玉を入れる。硬貨の音が重なって、なんとなく彼女と微笑み合う。
鈴の音は僕らを祓い清めてくれるらしいが、僕は鈴を鳴らすデジたんの美しい手が頭から離れなかった。
ああ、神様が僕をこの世界に生まれ変わらせてくれたのなら、僕は有り余るほどの感謝を伝えたい。デジたんと出会わせてくれてありがとう。
そんな僕の願いはひとつだけだ。
神様お願いしますこれ以上は何も望みませんのでデジたんと一生共に過ごしたいデジたんが幸せに暮らせるようにしてほしいデジたんがずっと可愛いままでいてほしいデジたんが皆に愛される存在であってほしいけどやっぱりデジたんの全てがほしいデジたんを愛したいというか着物クッソ可愛いんだけど何あれヤバいって全人類悩殺されちゃうホント好き好き愛してるっていうか普段からそれはもうめちゃ可愛いんだけどああそうだ僕なんかの願望よりもデジたんの願いを叶えてあげてほしいデジたんの幸せは僕の幸せだからまあでも強いて言えばデジたんと色んなシチュエーションで恋をしたい例えば○ックスしないと出られない部屋とかに閉じ込められてみたりしたいってこんなこと初詣で願う内容じゃないなうんとりあえずデジたんがいてくれればそれでいいデジたんが存在してくれるだけでいい。
一礼。
後ろが詰まらないよう、スッと拝殿を立ち去る。
「あたし、オロールちゃんのこと考えちゃった。願い事もそんな感じだったり……」
「他人に話すと叶いにくいんじゃなかったっけ?」
「オロールちゃんは他人って気がしないから」
あーもう何この子、好き。
「……そういえば、神社ってやたらと身を清める機会が多いけど。僕の愛って清い?純愛かなぁ?」
「定義上はギリギリ、純愛……?って、あたしが言うのなんか恥ずかしい……」
定義が曖昧な言葉だが、僕のデジたんへのアプローチは全てが愛で構成されている。まあ確かに、デジたんに対し何らかの私的な欲求を抱くことがないわけではない。
けどデジたんが純愛って言ってんだから純愛なんだよ。デジたん•イズ•ファースト。
要は彼女を愛している。
ただそれだけだ。