チーム一同の揃った部室で、トレーナーさんは軽い調子で口を開いた。
「スペ。お前来週デビュー戦な」
「……へ?」
サラリと言ってのけるトレーナーさん。まだ何が起こっているのかよく理解していない様子のスペちゃん。
「……ええええぇえッ!?」
「日本一のウマ娘になるとなりゃあ、クラシックレースへの出走は必須だ。アレには年齢制限があるから、一度チャンスを逃すとそこでオシマイなんだよ。第一戦の皐月賞は4月だ。デビューは早い方がいい」
「は、はひっ!」
はるばる北海道からやってきて、数日と経たずにデビューか。なかなかのスケジュールだ。
「……アタシ、皐月賞が許せねぇぜ。なんで皐月なのに4月にやるんだよ?それなら卯月賞だろ、どー考えても」
「ああ、分かるよ。4月がかわいそうだよね」
「だよなぁ!?」
「ま、まあまあ、歴史あるレースですし……」
「やっぱり皐月賞だよゴルシちゃん。デジたんが言うんだから間違いない」
「チクショウ裏切り者め!」
デジたんの言葉に間違いはない。彼女が「豚は空を飛ぶ」と言ったら、飛ぶのだ。
「ところでトレーナー。アタシたちのデビューはいつなのよ?」
スカーレットが疑問を呈す。確かに、僕もそれは気になる。
「ああ、お前らのデビューも追って説明する。ま、近いうちにデビューさせてやる。そうなったら今まで以上にビシバシトレーニングだ!」
「ええ!分かってるわ!上等よ!」
「っしゃあ!俺の勇姿を日本中に見せつけてやるぜ!」
「ウマ娘ちゃんの勝負服、ウマ娘ちゃんの美しいおみ足、ウマ娘ちゃんの頬を伝う汗、ウマ娘ちゃんの決死の表情……!はぁ、じゅるりら……」
僕の脳内では、デジたんのセリフにある「ウマ娘ちゃん」の部分が「デジたん」に置換されている。はぁ、じゅるりら。
ところで、彼女はウマ娘の決死の表情がお望みのようだ。ただ、残念ながら僕はそんな顔を作れそうにない。おそらくデジたんとのレース中にゾーンでキマってハイになると、間違いなく僕の顔は快楽と歓喜、激しい渇望によって歪められる。
ふと、トレーナーさんの視線がこちらに向けられていることに気づいた。
「で、だな……。お前ら、どうしよっか」
「なんですかそれ。まるで僕らに何か問題があるような言い方を……」
「あぁ違う違う……まあ問題があることには変わりないが、とにかく。ウチのチームでは、今んとこお前らだけがダートへの出走希望者なんだ。どうローテを組むべきか……。悩ましい。フッ、担当ウマ娘のことをひたすらに考えなきゃいけないってのは……。幸せな悩みだぜ、ったく」
不意に、トレーナーさんはノスタルジックな表情を浮かべ、視線をどこへともなく流した。
「オイ、スカしてんじゃねーよ、イイ歳のオッサンが。飴咥えながらんなことやっても似合わねーぜ」
キツイ言葉とは裏腹に、どことなく安心した表情のゴルシちゃん。
「はっ、おまっ、こりゃお前らの……ったく」
なんとも言えぬグレーがかった雰囲気が立ち込める。悪い意味でなく、むしろ昔を懐かしむような。トレーナーさんの過去について知っているのは、この場においてはおそらくゴルシちゃんだけだ。だからだろうか、あのゴルシちゃんがものすごくイケメンに見える。あのゴルシちゃんが。
「スゥーー……ハァーッ。スゥー、ハァーッ!」
「えっ……と、大丈夫ですか?デジタルさん?あの、どうしていきなり深呼吸をされて……?」
「アッ、ご心配なくッ!ただ単に尊みを摂取してるだけですので……。ゴルシさんの醸すアダルティなエモの波動を……!スゥーー……」
「じゃ僕はそれを吸えばイイわけだ。うん。デジたんの体内で吸収、そして濾過され生まれた上質なデジタニウムを……」
そしてデジタニウムは僕の体内で莫大なエネルギーを生み出す。うむ、これこそが再生可能エネルギーの完成系だ。
「あ、え、っと、えぇ……?」
「あー、混乱するのも分かりますよ先輩。でもこれがスピカっす。慣れてください」
「アタシたちも最初は引いたけど、二人ともレースの腕は確かなのよね。それに、話してみると悪いヤツじゃないし」
「私もさすがに慣れましたわ。確かに性癖が終わっていますが、なかなか多彩な才能を秘めている方々ですのよ」
「オイ、マックイーン。仮にもメジロのお嬢様が性癖終わってるとか言うなよ」
「他に形容しようがないと判断したまでですの。しょうがありませんわ」
当惑するスペちゃんを尻目にスピカワールドを展開し続ける僕たち。そして一層深まるマックイーンお嬢様じゃなくてお嬢じゃね疑惑。
「ふふっ……なんだか賑やかで面白いチームですね」
「お、おぉ……スズカ、お前もしかして割とすぐ馴染むタイプか?」
サイレンススズカは“コッチ側”だ。
というかスペちゃんもそうだろう。スピカにまともなヤツはいない。
というかトレセン学園の面々は全体的にキャラが濃いので、まともなヤツを探す方が難しいだろう。ニシノフラワーなど、数少ない良心だ。
……待てよ、この中だとゴルシちゃんがなんやかんやいって一番まともでは?彼女はいわば、狂人のフリをする常識人のフリをする狂人なわけだし。
「……なーんかアタシのこと変な目で見てね?」
「うん?あぁ、気のせいだよゴルシちゃん」
◆
僕はデジたん一筋である、という事実は、無論本人にも伝わっているし、ネットの海にもデジタルタトゥーとして刻まれている。しかし一応言っておくと、僕はウマ娘という種族自体が人並み以上に好きなことに変わりはない。
「ほあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁ……!ア゛ァー!爆発しそうッ!しゅごいっ!尊みッ!」
「うん。確かにあれは破壊力高いよ」
よって、デジたんの燃費には到底及ばないが、僕もウマ娘の発する尊みを糧とすることができる。
デビューが近づくにつれ、スピカの気風も多少引き締まった。トレーニングメニューもハードになった。だからこそ、疲れを持ち越さないための息抜きは非常に重要である。そして僕の疲れを完全に消滅させる方法がひとつ。すなわち、今日はデジたんとのデートだ。
「ッハー、ハァー、ハァー!ヤバいよぉ……!顔面偏差値が高すぎるよぉ……!イケメソすぎて目が焼けるッ!三叉神経焼き尽くされちゃう〜ッ!」
デートといっても、別にレジャースポットを訪れたりするわけではない。僕はデジたんの側に居られればそれでいいし、彼女もウマ娘を追っかけていればそれでいい。そんな僕にとっての休日とは、例えば限定グッズが販売される日などはトレセンで鍛えた脚をフル稼働させてグッズの入手に奔走するが、そうでない日はまったりとデジたんのウマ娘ウォッチングに付き合うことが主だ。
そして今、ふと通りがかった商店街にて、僕らは見てしまった。トレセン学園生徒会所属ウマ娘、ナリタブライアン。彼女の姉であるバナナ先輩ことビワハヤヒデ、二人の尊いシーンを!
店外に置かれた箱入りのバナナに目を惹かれ歩調を緩めるバナナ先輩の手を、少し呆れた顔で引っ張るブライアンさん。こういったウマ娘の日常の一片を切り取った風景は、僕がこの世界に生きていなければ拝めなかっただろう。いやはやありがたい。
「ハァ〜……しゃ、
「ッ。ごめんデジたん。今、デジたんのガワがマンホールに変わった場面を想像して、一瞬その姿のデジたんにも愛を注げるか逡巡した僕がいたんだ。許してほしい。君への愛は永遠なのに迷うなんて」
「え、要はそれ、あたしがマンホールになっても変わらず愛せるってこと?……すごく、ヘンタイだね。ニッチもいいとこだよ」
「まあ、それは自覚してるよ。……多分だけど、そこに『デジたん』という概念さえあれば、僕は愛せる。虚無をも」
「虚無」
虚無ですとも。
愛に生きる僕は、デジたんを生み出したこの世界に感謝したことが何度もある。しかしふと考えたのが、もしかすると世界が始まる前からデジたんは可愛かったのでは、ということだ。
「ハッ、というか今御二方が一瞬こちらを向いたような……ダメダメダメ!デジたんはマンホールなのだから!ウマ娘ちゃんとは基本不干渉!」
「既にマンホールだったのか。でも大丈夫、僕は君のことが好きだよ」
「……アレェ?アレレ?はれぇっ!?御二方がこちらに歩いてきているような気が……!?」
……CPの間に挟まるのは重罪である。ただ、推しと推しの間に挟まれることには夢があるし、僕自身が欲深いヲタクという立場であるが故、その夢を一概に否定することもできない。また、能動的にそういった行為を行うことは万死に値するが、もしそれが受動的だった場合。まあ、推しが実際に同じ次元、同じ土地で生きているような状況下でしか起こり得ない事態だが。それは仕方がないのではなかろうか。プラス、デジたんは日頃から推しのために献身をしているし。
何が言いたいって、チミ、ちょっとくらい推しに挟まれてこいよと。別にちょっとくらい許されるぞと。そういう話だ。
「こんにちは。君たちはトレセン学園のウマ娘……だろう?アグネスデジタル、それにオロールフリゲート」
「はい。バ……ビワハヤヒデさんですね?ブライアンさんも。姉妹でお出かけですか?」
「ああ、そんなところだ。さて、よろしく頼むよ。君たち二人、特にデジタル君には前年から世話になっている、と生徒会から聞いた。日頃から生徒のために尽くしてくれている、と。今日はたまたま君たちを見かけたのだが、この妹が見て見ぬふりを決め込んでいたものでね。代わって礼をさせていただく」
「はひゅっ……!しょっ、しししょんなぁ……ァヮヮヮヮバッッ!!めめめ滅相もございませんンン……!」
デジたんはすっかり舞い上がっている、というよりも壊れかけている。その様子を見ていたブライアンさんは、おもむろに髪を掻きつつ口を開く。
「気は済んだか、姉貴。私は先に行っ……」
「あ、ハヤヒデさん。よかったらですけど、一緒に街をぶらつきませんか?人数が多いと楽しいし、それに、僕もデジたんもお二人のファンなんです」
「ふむ。いい考えだな。私たちはもう用事を済ませたから、この後どう暇を潰そうかと考えていたところだ」
「本気か、姉貴……?」
僕の一存でこの状況に銘打たせてもらうと、つまるところこれはダブルデートと呼んで差し支えない。人が多いほうが楽しい、というのは、ゴルシちゃんから見て学んだ、場をカオスにするテクニックだ。中央トレセンの輩は全員キャラが濃いので、掻き集めるだけでカオスが増しおもしれーことになる。
「えっあっえっ、あっ、オロールちゃん……?」
慌てふためくデジたんの耳元でそっと囁く。
「……二人っきりの時間も好きだけど、たまにはこういう日もいいでしょ?いわば新たな刺激的体験だよ。もちろん、君の最推しを僕以外にさせる気はないけど」
「ひゅっ、はふぅ……」
◆
さあ始まりました、第n回「推しの赤面フェイスを拝もう大会」!場所はトレセン近くの商店街にあるカフェからお送りしております。
最初のチャレンジャー、ビワハヤヒデ!そして彼女の推しは実の妹、ナリタブライアン!
「それで、その時のブライアンが……ふふっ、今思い出しても可愛いものだ」
「なっ、あぅっ、姉貴ィッ!?」
「はっ?えっ?あたし、今、何を……どこに……?ココ、天国、デスカ……?」
ブライアンさんの名誉のため、あまり詳しいエピソードは今後想起しないように心がけよう。ただ、彼女がそれらを暴露された際に見せた赤面顔は、申し訳ないがしっかりと目に焼き付けさせていただく。デジたんだってそうするはずだ。
「デジたんも、実は去年のファン感謝祭で、かくかくしかじかと……」
「わちょぉっ!?オロールちゃんっ!?」
「ほう……。良き友人なのだな」
バナナ先輩にも分かっていただきたい、デジたんの可愛さ。
……まあ、何をしているかというと、僕とデジたんがいつもしていること、すなわち推し語りである。
なお、当の推しは真横にいる。そして彼女たちはあまり誉められ慣れていない、というか。つまり、僕とバナナ先輩が行なっているのは、推し語りと同時に推しの反応を楽しみ愛でる行為!
「…………」
「…………」
無言で交わされるアイコンタクト。互いに双眸を見据え、シンパシーをフルタイムで感じ続ける。間違いない。彼女はシスコンだ。
「ハッ、そうだッ!ここはいっそあたしのターンに持ち込んでしまえば……大丈夫よデジたん、推し語りなんて口が腐るほどやってきたでしょう?……今、やらねば。今語らねば、あたしの羞恥心がオーバーフローしてしまう……!」
「おや、本気かいデジたん?いいよ、好きなだけ僕とのエピソードを暴露してくれ。ただし僕はダメージを受けない、一切ね」
「ぐぬぬ……!そ、それじゃあ!えー、あー……アレ、エピソードが、無い?」
気付くのが遅かったねデジたん。そう、デジたんの知る僕のエピソードには、大概デジたん自身が関わっている。つまり、語った時点でデジたんも負傷する。そして、ことデジたんに関しては無敵の僕にダメージは決して入らない。
「……なら、私が話してやる。実は、姉貴はバナナを5秒で食う。というか稀に丸呑みする」
なんというか、実にイメージ通りのエピソードだ。
だが、当の彼女にとっては恥ずかしいものだったらしい。
「んなっ……!?だ、第一、私は別にバナナが大好物なわけではない!味、サイズ、栄養摂取効率、それらを論理的に考慮した結果、最も私に適した食料がバナナだっただけだ!」
さすがのバナナ先輩も、慌てるあまり、いまいち弁明になっていない言葉を並べ立てる。
「なあ姉貴、じゃあなぜアンタはバナナを食べて太り気味に……?」
「それ以上は本当に良くないぞブライアンッ!?わ、私だって間違えることくらいある!というか体重の話を持ち出すのはあまりよろしくないなぁッ!?お姉ちゃん悲しいッ!」
「姉貴は姉貴だ。だから二度とお姉ちゃんなどと口にするな」
「モ゜ッ」
案の定デジたんは逝った。
「ブライアン……昔はあんなに小さくて可愛かったのに」
「人は変わる。そして、私はいずれ姉貴を追い越してやるさ。……なあ?アンタだって楽しみだろう?」
「……!フッ、いずれターフの上で相見えよう」
不意に撃たれたエモの波動を、デジたんはまともに食らってしまった。椅子に座ったままビクビクしている。実に器用だ。
「おっと、もうこんな時間か。そろそろ店を出ておこうか。楽しい時間を過ごさせてもらった。二人とも、感謝する。君たちのおかげで、妹の珍しい顔が見れた」
「こちらこそ。お二人の話が聞けて良かったです」
「……ほぁっ!?ア、あのっ!ホント感謝してもしきれないというかッ!推しの過去エピとか、ありがたしゅぎる……ッ!」
そうか、デジたんもありがたみを感じるか。つまりうぃんうぃんというヤツだ。多分。
「……そういえば、お前らはもうすぐデビューだと言っていたな」
「はい。一応、今シーズンから」
「……しっかり走れよ」
「はい、ありがとうござ」
「フォォォァァあありがとうございまァスッ!!はぁあ推しからの激励ッ!嬉しいがすぎる……!あぁ、デジたんのトモが燃えているッ!」
うるさ可愛いなぁ。けど、デジたんの覚悟は伝わってきた。レース場で走り抜く覚悟が。それを感じただけで、僕の心は弾みだしている。
店外で姉妹と別れたのち、僕らは改めて二人きりとなった。
「……もうすぐデビューなのに、やってることは案外いつもと変わらないね」
「いいことじゃんか。平常心は大事だ。それよりも僕は今、君のご両親に頼み込んで養子縁組してもらおうかとすら考えてる」
「ホワィッ?」
「ほら、君も見たろ。姉妹の愛の形だよ。まあ、僕の愛にとっては法律上の関係性なんてどうでもいいんだけど」
「やはりヘンタイだったか……」
分かりきったことを。
「……ところでさ。僕は嬉しいよ。デジたん」
「えっと、どうして?」
「君がブライアンさんに激励されたとき、本当に嬉しそうだった。声量たっぷりのヲタクシャウトを見せてくれたね。なんたって、推しに励まされたんだから」
「そ、そうだけど……どうしてそれが嬉しいに繋がるの?あたしの思考レベルだとオロールちゃんが嫉妬するところまでしか読めないというか……」
「嫉妬?ふふふふふ……!違うよ、デジたん。僕は嬉しい。いいかい、例えば僕が君にエールを送ったとしよう。すると、君は僕にしか聞こえない声で密かに感謝してくれる。僕にだけしか分からないように」
僕は聖人君子でないから、人並み以上の独占欲が満たされたときに、思わず小躍りしてしまいそうなほど心が沸き立つのだ。
「やはり高次元のヘンタイだったか……」
「褒め言葉だね」
デジたんの魅力を世界中に知ってほしい。ただし、僕だけのデジたんでいてほしい。この二つは同時に成り立つ感情だ。
現に、人の行き交う夕暮れ時の商店街で、僕とデジたんは二人きりなのだから。
モンジューの許可をとってきたサイゲ、控えめに言って頭おかしい(褒め言葉)
ちなみに、このお話ではアニメ準拠でブロワイエさんに来ていただこうかと思っております。やっぱウマ娘界の範馬刃牙はイイよなァ……。