冀州の黄巾討伐の大本営がそこにあった。曹操の目論見通りに中華に散らばった英傑達が集まってきている。
異民族の強敵であった壇石槐が侵攻してきた時に、辺境の守護神として名を馳せている呂匡の麾下として戦い、その後はそれぞれの任地で賊の討伐で名を挙げている孫堅と馬謄。漢の名門袁家の出身である袁紹と袁術。そして黄巾の乱討伐に各方面の将に任命された皇甫嵩と慮植、朱儁。曹操は皇甫嵩に従って戦ってきたが、それでわかったのは皇甫嵩の戦の上手さであった。涼州三明と呼ばれる皇甫規の姪だというので、下手ではないだろうと思っていたが、戦だけなら曹操をも超える采配を振るった。
だからこそ見たくなった。皇甫嵩を育てたと呼ばれる『双槍将』呂匡の戦ぶりを。
彼は年齢を知らないそうである。物心ついた時には槍を持って異民族と戦っていたらしく、自分の産まれた年も、親も知らないと言われている。だが、戦は恐ろしく強いと聞いた。何せ曹操が産まれる何十年も前から戦場を駆け続けている人生なのだから。曹操は幼い頃に祖父である曹謄からよく呂匡の話を聞いた。祖父曰く、呂匡がいるからこそ中央は平和なのだと。
それを実感したのは呂匡が投獄された直後からだった。異民族が再度辺境で暴れまわりはじめたのだ。異民族討伐で功を挙げた涼州三明は没し、守護神と呼ばれた呂匡は中央の考えによって投獄された。最初は確認するように侵攻していた異民族だったが、深紅の呂旗が戦場にないことを確認すると鬱憤を晴らすかのように幽州を荒らし回った。一時期は冀州にまで侵攻してきたのだ。
その事件で曹操は祖父の言っていたことを確信に変えた。
その証明のように討伐軍が組まれた時に、呂匡が使っていた旗を偽装工作として使った時には異民族は逃げ散って、侵攻が収まったのである。
曹操は呂匡に会ってみたいと思った。その機会が今回の黄巾討伐だった。皇甫嵩の進言によって呂匡の投獄が解かれたのだ。そして呂匡は黄巾討伐の軍議に皇甫嵩に連れられてやってきた。最初見た時に感じたのは畏怖だった。呂匡から発せられる戦人特有の覇気に気圧されたのだ。次に感じたのは憤りだった。呂匡は何進の指示に従って何進の隣に座ったのである。
ありえない。
曹操から見て何進は愚物である。人徳はあるのかもしれないが、人の上に立つ才能はない。だが、大将軍という肩書きだけで呂匡という怪物を隣に座らせ、呂匡もそれに従ったことに憤りを感じたのかもしれない。
曹操が呂匡に感じていたのは尊敬だった。自分が産まれる前から戦い続け、中央からの重職につけるような言葉を跳ね除けて戦場に拘り続けた戦人。その自分を貫き通す姿に憧れを感じたのだ。
呂匡ほどの人でも年をとれば権力に屈するのか。
何進の隣に座った呂匡を見て、曹操はどこか失望していた。
だが、その失望も呂匡と何進のやりとりを聞いて消し飛んだ。皇帝のために戦えという指示を呂匡は鼻で笑い飛ばし。皇帝には戦友を殺された恨みしかない、と言い切ったのだ。
そうだ! それこそがこの私が憧れた男だ!
軍議の席で思わず叫びそうになったのを必死に堪えた。洛陽でそんなことを言えば待っているのは死だ。特に何進は皇帝の外戚として成り上がった人間だ。皇帝の力こそが自分の力だと思っている女だ。だからこそ、何進は甲高い声で衛兵を呼んで呂匡を殺そうとした。しかし、何十年と戦場を駆け続けた男に衛兵風情が勝てるわけがない。呂匡は衛兵から剣を奪うと襲ってくる衛兵を斬り捨てた。その動きは老将の動きではない。戦人の動きだ。
ほとんどの衛兵を斬り捨てると、呂匡は興味を失ったかのように剣を投げ捨てると軍議から出て行こうとした。そこで曹操は問いかけてしまったのだ。どこに行くのかと。その返答もまた呂匡であった。
荊州が俺の戦場と言うのならそこに行く。戦場が俺の居場所だ。
それを聞いた曹操は益々痺れたと言っていい。万の言葉を繋げられた言葉より、呂匡のその一言が心に沁みた。その言葉は人生を戦に捧げた男の言葉だったからだ。
数日後、呂匡は黄巾が暴れ回る荊州に向けて出立した。そして僅か二ヶ月ほどで完全に鎮圧してしまったのだ。太守を殺され、何度かの討伐軍も撃退されていた荊州黄巾党を呂匡は二ヶ月で鎮圧してしまったのだ。この報告は潁川で戦っていた時に、皇甫嵩から聞いた。曹操の憧れは益々強くなった。それと同時に呂匡を配下に加えたいとも思った。
曹操には大望がある。中華に平穏と秩序をもたらすという大望である。だからこそ有能な人材は多く欲しい。呂匡には大きな領地を与えてもいいとさえ考える。
だが、それと同時に呂匡にはそのような推挙は受けて欲しくないと思う自分がいる。
地位や名誉、領地とは無縁で己を貫き通す呂匡。それこそが呂匡なのだ。
そして呂匡の戦ぶりを自分の目で確かめたいと思い、皇甫嵩に進言して黄巾本体を冀州に押し込み、諸将に向けて檄文を巻いた。
その檄文によって諸将が冀州の地に集まった。無論、呂匡にも送ったが、返信はなく、まだ到着していない。
だが、曹操には確信があった。呂匡は必ずここに来るという確信が。
そしてその思いは的中する。
集まっている討伐軍に向かってやってくる総勢一万ほどの軍勢が深紅の呂旗を掲げながらやってきた。
曹操は気づかぬうちに口の端が持ち上がっていた。
黄巾討伐軍大本営。そこには曹操の檄文によって集まった諸将がいた。呂匡が天幕に入ると、視線が一斉に呂匡に注がれる。呂匡はそれを無視して末席に座った。皇甫嵩は上座に座るように言ってきたが、それを拒否した。
俺は大将ではない。
その一言で天幕内が静まり返る。黄巾討伐の総大将である何進は都から動いていない。呂匡は柄にもなくそれを皮肉ったのだ。一軍の将は兵の苦労を知らなければならない。それは呂匡が長く戦い続けた末に辿り着いたことだった。
皇甫嵩を臨時の大将とし、慮植と朱儁が副将を務めることが軍議で決まった。その間呂匡は腕を組んで瞑目しているだけだった。興味がなかった。誰が大将だろうが自分の戦をするだけだと思っていた。
それが気に入らなかったのか金髪の小娘が噛み付いてきた。遅参したのは何故なのかということだった。こういう高圧的な女は中央の人間の特徴だ。真面目に相手をすれば馬鹿を見る。だから簡潔に答えた。
黄巾の兵糧集積地を潰して回った。
ただ、それだけを言った。軍師としてついてきていた荀攸が用意していた竹簡を皇甫嵩に渡した。その潰した集積地の数に皇甫嵩は絶句していた。皇甫嵩から回されて確認した慮植と朱儁もまた絶句した。潰した集積地の数は四十九。それを短期間で成し遂げたのは呂匡軍の中核である直轄軍と、程普、黄忠の働きが大きい。
皇甫嵩によって呂匡が潰した集積地の位置を、地図に書き込まれていく。その集積地は決戦の地に運び込まれるであろう集積地であった。それに気づいた諸将が呂匡のことを畏怖の眼差しで見るが、呂匡は変わらず腕を組んで瞑目したままだった。
だが、先ほどの金髪の小娘が再度噛み付いてきた。集結すべしとの書簡が届いたのならば、独断専行などせずにここに集まるのが当然だ、と。呂匡はそこで初めて目を開いて、その小娘を見た。中央で苦労を知らずに育った顔をしている。だから、呂匡は鼻で笑った。
貴様は腹を空かせて戦ったことがあるか?
呂匡の問いに金髪の小娘の顔が引きつる。呂匡はそれを気にせずに続ける。
腹を空かせた兵は弱い。俺は兵糧が届かなく、腹を空かせた状態で戦わされた状況が幾度もある。そういう時には必ず仲間が死んだ。その中には俺より強い兵士もいた。兵士に必要なのは護国の信念とか名声じゃない。一握りの兵糧だ。だから今回も兵糧の集積地を潰した。そうすれば敵が弱くなって、自分の仲間が生き残る可能性が増えるからだ。
呂匡はそこまで言い切ると、再度瞑目する。もう言うことはないといわんばかりの態度だった。
その後は皇甫嵩が空気を立て直し、軍議が再開された。だが、呂匡は目を開くことはない。そして配置が決められた。呂匡軍の配置は右翼。呂匡はそれだけを聞くとさっさと立ち上がって軍議の場から出て行く。呼び止める声も聞こえるが、呂匡はそれを無視した。
戦場が決まれば後は戦うだけである。
北郷一刀は未来からきた人間である。三国志。これは一刀が生まれた日本でもメジャーな物語だ。小説や漫画、ゲームにもなっている。一刀は男女が逆転しているとは言え、その世界に来てしまった。劉備達に拾われ、天の御遣いと呼ばれる存在にされてしまった。今は黄巾の乱の最終決戦。この冀州の地に英雄豪傑達が集まっていた。ここに来るまでの戦いで英雄的颯爽というものしかない物語上の戦場とは違う、生の怖さと残酷さのある戦いを経験したせいか、彼の『会いたい』という思いは警戒心にその何割かを占められていた。
(曹操、孫堅、孫策、袁紹。やっぱり大勢力を築く人間は英雄的な威があるものなんだな……)
一刀はここに来るまでに遠目ではあるが、英傑達の姿を見てきた。単純に英雄豪傑という人種が美男美女であるこの世界に感謝する訳ではないが、そのお陰で彼はかなり歴史に名を残す者とそれ以外を反則めいた方法とは言え、識別できるようになっていた。
そして一刀は三国志で一番会ってみたい武将に会いにきた。
呂匡。字は不明。異民族と長い間戦い続け、朝廷からの招聘も拒否し続けた戦人。一度は牢獄に叩き込まれるが、黄巾の乱で釈放されて活躍。三国志の一番の英雄である曹操が尊敬していたと記述が残されるほどの人だ。
三国志は大きくわけて三部に別れている。
一部は黄巾の乱から始まる群雄割拠。
二部は力を持った曹操とそれに反抗する劉備と孫呉
三部は遺された軍師達の知略合戦
そのうちの一部で呂匡は消える。だが、それでも三国志の英雄達に大きな影響を残したのが呂匡だ。
もし呂匡が生きていれば。
そんなIFを書いた小説や漫画も多く出ている。一刀もそんな呂匡を見てみたかった。中国の歴史書に『呂匡以外に戦人という言葉を使うな』とまで書かれている男だ。
こっちの世界では有名な武将が女性になっていることも多いので、諸葛亮達に確認したが、こちらの世界でも人生を戦に捧げている男の老将であるらしい。
(戦場で両手に槍を持っていたら確定なんだけど、ここは味方の陣地だしなぁ。後は養子だった呂布か? おそらくは綸子と方天画戟を持った男か女がいたらわかるんだけど)
一刀は思わず呂匡軍を覗き込む。そこには思い思いに羽を伸ばす将兵の姿があった。
(生涯戦場って人だから、軍も常に引き締まっているのかと思ったけど、そうでもないのかな)
一刀も三国志を題材にしたゲームをやっていたが、どのゲームでも呂匡はバカみたいに強かった。某無双のゲームでは難易度イージーでステータスMAXにしたキャラでも殺されるってどんな化け物だと思ったものである。しかも配下として呂布、程普、黄忠も出てくる。三人共呂匡に鍛えられたからバカみたいに強い。誰か一人の相手をしている間に総大将が倒されてゲームオーバーがなんどもあった。難易度ハードの呂匡を倒す動画なんか再生数がすごいことになった。その動画も自キャラを呂匡にするというものだったが。
「何者だ」
突然声をかけられたことに、一刀は心臓が止まるかのように感じた。しかもその声は威圧感がこもっており、下手な返答をしたら殺されると本能的に理解した。
一刀が振り向くとそこにいたのは一人の老将。だが、老いている印象はなく、背筋は伸びて眼光も鋭い。背丈もあるようだが、どれくらいかまではわからなかった。
「何者だ」
老将は再度問いかけてきた。手が腰の剣に伸びている。このまま黙っていたら殺される。一刀は慌てて口を開いた。
「ぎ、義勇軍を率いる北郷一刀といいます!」
「……義勇軍?」
「は、はい! 公孫瓚将軍のところで陣借りしています!」
一刀は緊張で喉がカラカラになっていた。老将は少し考えていた素振りを見せたが、剣からは手を離した。
「それで? その義勇軍の者が俺の陣に何のようだ」
老将の言葉に、一刀は目の前の老将が呂匡だということに気づく。
「その……中華に名高き『双槍将』の軍を見てみたいと思い参りました!」
諸葛亮に助言されていた通りに答える一刀。受け取り方によっては阿諛追従と受け取られても仕方ない言い方だった。
呂匡は一瞬だけ不愉快そうな顔を浮かべ、吐き捨てる。
「俺の軍など長く戦い続ければ嫌でも身につく。若いうちに身につけるなら軍略をやれ。それで軍の体裁は保てる」
呂匡はそれだけ言い捨てると、さっさと陣営の中に入っていく。それを一刀は腰を抜かしながら見送るのであった。
本編主人公登場(しかし一瞬)