劇場アニメ「ジョゼと虎と魚たち」 短編二次小説 第四弾

BD/DVD発売、配信開始から一ヶ月、おめでとうございます記念

内容は、「ジョゼが花菜や舞の勧めで、ペディキュアに挑戦するお話」
恒夫は最後にちょっとだけ登場します。

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ジョゼと虎と魚たち~人魚の爪先~

(時系列としては、クリスマスエンディング後から恒夫のメキシコ留学以前の期間)

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 どんなに手を伸ばしても、アタイには届かんかった。

 

 

 屋根に引っかかった赤い風船にも、木にくっついとるセミの抜け殻にも、雨の日に水玉の傘さして歩くのも、神社の階段駆け上がるのも、全部……全部。

 

 

 そのたびに思った。

 思い知らされてきた。

 ──こんな脚でなければ。

 ──こんな体でさえなければ。

 

 

 赤い風船をジャンプして(つか)むことも、セミの抜け殻を取って宝石みたいに眺めることも、自分の手で傘をくるくる回して水たまりの上を遊ぶのも、友達と一緒に階段を駆け足で競争することだって、できたはず──なのに。

 

 

 悲しくて、悔しくて、恨めしくて、あまりにも惨めで。

 

 

 こんな脚でなければ──

 こんな脚がなければ──

 こんな脚があるから──

 こんな脚で生まれてこなければ──

 

 

 アタイは、きっと──、きっと──

 

 

 

 

 

 

 どうなっていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 ジョゼは花菜(かな)(まい)、いつもの三人で大阪梅田の街に繰り出していた。

 たくさんの人が駅を歩道を地下街を大型商業施設を埋め尽くすほど闊歩(かっぽ)し、その人熱(ひといき)れだけで眩暈(めまい)がしてしまいそうなほどである。

 管理人として働いていたころの恒夫(つねお)に連れてきてもらってから、それなりの頻度(ひんど)で足を運んでいる大阪の繁華街だが、いまだにたくさんの人とすれ違うのは抵抗があるし、車椅子の都合上、上から見下ろされることが多いジョゼにとって、大阪駅周辺の人口密集率は、人間(ひと)の洪水じみた感慨をいだいてならないほどである。

 それでも、ジョゼは自分の意思で、ここに来た。

 

「う~ん……」

 

 自分の意思で来たにもかかわらず、ジョゼは、いまだに悩む。

 

「う~~ん……」

 

 悩みまくる。

「こんなことに大事な金をつぎ込む必要があるのだろうか」というケチくさい──もとい貧乏性(びんぼうしょう)が、悪魔のしっぽのごとく鋭く(とが)り、ジョゼの背中をチクチクチクチク突き刺してきて(わずら)わしい。

 さらに、深刻な悩みも胃のあたりで爪を立ててくれて、無性に腹立たしいやら、あるいは情けないやら。

 ジョゼの様子を見かねた花菜が声をかけた。

 

「そんなに悩まんでもええんとちゃう? 私はええと思うよ、ジョゼがおしゃれするの?」

「せ、せやけど」

「花菜さんの言う通りですよ。というか、もうお店の予約はしっちゃってるんですよね?」

「せ……せやけど」

 

 花菜と舞の付き添いで、新しい服や靴を試着購入し、最後に立ち寄る店の寸前で、ジョゼは踏めもしない足踏みをする。

 まるで美容室のように清潔感あふれるお店。ショーウィンドウから覗き見える店内は、主に女性客が大半を占めている。

 瀟洒(しょうしゃ)な看板のすみには、こう記されている。

 

 ────「ネイルサロン」

 

 花菜と舞の服の裾を掴み、それ以上電動車椅子を前に進めることができないジョゼ。

 管理人(つねお)と出逢い、おしゃれにも気を遣い、髪形を変えたり、衣服も新調したりと、彼女なりに努力を重ねた。

 花菜や舞という同性の友人ができたことで、ほかにも様々なおしゃれが存在することを知った。

 そんなジョゼが、ネイルサロンに興味をいだいたことは、もはや自然の流れとも言えただろう。

 しかし、ジョゼは最後の最後で、悩む。

 悩んで、悩んで、悩み続ける。

 

「だ、だって。ア、アタイの脚、こんなやし……」

 

 ジョゼが気後れする最大の理由。

 (おか)に上げられた魚のごとく、まったく力のない、足。

 こんな細っこい、華奢(きゃしゃ)を通り越した、人の形をしているだけの(ほそ)い両脚。

 常にロングスカートで覆い隠し、サンダルなどの露出のある靴は絶対に履けないような脚になど、わざわざ金をかけて整える価値があるものだろうか。

 無論、マニキュアやペディキュア──手や足の“爪”を自分で手入れすることの大切さは理解している。花菜と舞が自前でやっているように出来ればと、そう思わなくもないジョゼであったが、

 

「アタイの、あ、脚、全然、……」

 

 それ以上は言葉が胸につかえて声にならなかった。

 動かないジョゼの足では、爪先(つまさき)の手入れは至難のわざだ。爪を切るぐらいは慣れたものだが、さらにその上、ペディキュアを“塗る”という行為など、途方もない。今までの人生の中で一度も経験していない、未知の領域の出来事である。

 そこで。花菜や舞の勧めで、「その道のプロに教えを乞う」ことが提案され、ジョゼも当初は乗り気だった。

 しかし、改めて店内を(うかが)う。

 

「やっぱりアタイ、ペディキュアみたいな“シール”にしとく」

「でも、ジョゼさん。あんなに楽しみに」

「ええんよ、舞ちゃん。やっぱ。そっちのほうが安いし、なんぼか簡単やし。ここまで付きおうてもろて、二人にはあれやけど」

「──本当にええの?」

 

 花菜に寂しげな表情で問われ、葛藤するジョゼ。

 自分が場違いな存在に思えてならない──こんな無様(ぶざま)な、憐れなほど細い脚を見ず知らずの他人にさらすなど、内臓が痛めつけられるような恐怖を覚える。ここにいるのもたえられないといわんばかりに、ジョゼは(うつむ)いてしまった。

 

「そんな。気にすることないですよ! このお店、私も通ってますし。何よりオーナーさんも優しい方ですし……ちょっと変わってますけど」

「……舞ちゃん」

 

 明朗に快活に背中を押してくれる舞には、恋敵(こいがたき)として対峙した時から助けられた。

 しかし、ジョゼは車椅子の操作バーを前に倒せない。

 不安げに様子をうかがうしかない舞の託され、花菜がジョゼの前に腰を落とした。

 

「なぁ。ジョゼは知っとる?」

「知っとるって……なにを?」

「もともと“ペディキュア”いうんは『足のお手入れ』全般のことやねんて」

「……足の、お手入れ」

 

 子どものように言葉を繰り返すジョゼに、花菜は微笑んだ。

 

「せや。お手入れは大事なことや。日頃からちゃんと世話しとかんと、いざって時に後悔するかも」

「い、いざって時って」

「もちろん。恒夫くんとあんなことやこんな──んぐ」

「あーあー! こんなとこでそんなん言わんといて!」

 

 顔を真っ赤にしながら友人の口をふさぐジョゼ。

 図書館で子供たちの相手をたくさんしてきた時のように、花菜は友人の心の懊悩(おうのう)を解きほぐしていく。

 

「動かへんいうても、その足はジョゼの大事な(からだ)なんやから。大事にせなあかん」

「……、……せやかて」

「そ・れ・に。──ジョゼは見せたくないん? 綺麗にしたジョゼの脚を。恒夫くんに?」

「ぅぐ」 

 

 弱いところを突かれた。

 指を立てて友の鼻先をつっつく花菜。

 くすりと微笑む友人を直視できず、ジョゼは明後日の方向を向く。

 そのさきで、舞が頬を膨らませて忍び笑いを漏らしてくれるので、いよいよ恥ずかしさが(きわ)まった。

 

「……行く」

 

 深呼吸をふたつ吐くジョゼ。

 

「行ったろうやないか! べ、別に管理人のためちゃう! あくまで自分のためやからな!」

 

 そう放言し、ジョゼは操作バーを握る手に力を込めた。

 彼女の行く道を照らすように、立ち上がった花菜と舞が随行(ずいこう)する。 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 ネイルサロンでマニキュアやペディキュアのレクチャーを受けた帰り、花菜と舞に付き添われながら、たくさんの人が行き交う街の様子──三人で遊び歩く女性を、ジョゼは眺め見た。

 

 もしも。

 もしも仮に。

 もしも自分の足が動けたら。

 もしも自分の脚で歩くことができたのなら。

 

 ──ジョゼは花菜や舞と出会えていただろうか。

 

 三人で普通の友達として出会い、休日を共に過ごし、三人仲良くクレープを買い食いしながら、バッグ片手にウィンドウショッピングなどを、たのしむことができただろうか。

 そんな自分たち三人の姿を、一瞬だけ幻視するジョゼ。

 けれど、と思う。

 

 ──たぶん、それはきっと、ありえない。

 

 花菜と舞、二人と出会えたのは、管理人が、恒夫がいてくれたおかげであり、そんな恒夫と出会えたのは、ジョゼの脚が動かなかったから。

 恒夫が、あのとき坂をくだりおちる車椅子のジョゼを、(おの)()(てい)して、助けてくれたから。 

 

「…………」

 

 新しい家の、身障者向けのバリアフリーマンションの一室。

 ベッドの上で、ジョゼは両膝を抱え上げ、自分の爪先(つまさき)を宝物へするようにそっと撫でる。

 そこには、サロンのオーナーさんの見事な手ほどきによって、鮮やかなピンクに輝く十個の宝石──桜色に輝くジョゼの爪先(ペディキュア)があった。

 たった爪の先ほどの化粧を施されただけなのに、とても上品で(あで)やかな陶器人形に仕上がっていた。血色もこころなしか随分とよくなったように思える。

 手と足の爪を()めつ(すが)めつしつつ、ジョゼは満足の溜息をついた。

 

(舞ちゃんが常連になるんもわかるわ)

 

 それほど丁寧で見事な職人技だった。

 オーナーさんも、足の不自由な方の接客になれていたのがよかった。

 ひとくちにペディキュアと言っても、いろいろなものがあった。イエベ肌やブルベ肌など、素人では判然としない事柄も、プロの目では一発で的確に見抜いてくれた。

 肌色をはっきりさせる赤色(レッド)からはじまり、高貴な色合いの薄紫(ラベンダー)灰色(グレー)、ほかにもゴールドやオレンジ、ベージュやブラウン、グリーン、ネイビー、シルバー、ターコイズ、パールなど、本当に色とりどりのオススメをラインナップされて、純粋に楽しかった。まるで絵画のようなデザインばかりで、目にも楽しかった。ジョゼの世界が、またひとつ広がったような気がした。

 ただ。初心者のジョゼには、王道を地で行きながら、あらゆるファッションに適したピンク系を選ぶのがせいぜいだった。なにより、花菜と舞が見たててくれた新しい靴──パウダーピンクのサンダルとの相性も考えて、バッチリな色合いだったのが、この桜色であったのだ。これで、恒夫との高所克服のためのトレーニング──彼が“光の海“”へ旅立つまでのデートもバッチリこなせると、二人が太鼓判(たいこばん)を押してくれたのが、実に面映(おもは)ゆい。

 

 花菜と舞、オーナーさんやネイリストさんとのやりとりを思いだして、表情をほころばせるジョゼ。

 中でも一番の思い出は、海の波を模した水色に、黄金の砂浜と純白の貝殻、そして、“海”を泳ぐ小さなオレンジの魚をあしらった芸術品的なものまであって、ずいぶんと興味をそそられた。爪の先にあれほど緻密(ちみつ)な描きこみを行うことの難しさは、絵を描くジョゼには痛いほど理解できる。尊敬に値した。

 あれを恒夫に見せたらきっと飛び上がるほど喜びそうに思えたが、それはまた、別の機会にとっておこう。

 ふと。同居人である黒猫が、彼女の輝く爪先(つまさき)に近寄ってきた。

 

「なぁ、管理人なんていう思う、諭吉(ゆきち)?」

 

 にぁ、と短めに告げる黒猫は、ジョゼの持ち上げた足裏に鼻先をこすりつける。

 足の感覚のないジョゼには、そのくすぐったさは伝わらない──が、なんとなく諭吉も気に入ってくれているのだなと了解する。

 

「せやな。きっと()()れしてしまうやろな」

 

 あるいはまったく気づかれない可能性もあるが、さすがにあの朴念仁(ぼくねんじん)でも、これくらいの変化は見抜いてほしい。見抜けなかったら夕飯を抜いてやろうかと本気で考えるジョゼ。

 小さな喉を撫でてやると機嫌よさそうにぐるぐるさせる黒猫が、ジョゼの手から離れた。

 諭吉の向かう方向を見て、ジョゼはそこに飾られた写真──遺影に、満面の笑みを送る。

 

「ありがとう、ばあちゃん。管理人に会わせてくれて」

 

 恒夫を引き留め、夕食に誘い、『クミ子の注文を聞くこと』という仕事(バイト)を与えたおかげで、ジョゼは恒夫と共に過ごせた。

 ジョゼの静かな感謝に対し、祖母のうなずく声が聞こえた気がした。

 

「ありがとう、おとうちゃん、おかあちゃん──アタイを産んでくれて」

 

 ジョゼは動かない両脚を腕の中に抱きながら、自分の身体を、自分の両脚を、心の底から、(いと)おしく思う。

 

 

 

 こんな身体(からだ)だけど。

 こんな身体(からだ)だからこそ。

 ジョゼには出会えた人たちがいる。

 

 

 

 と、そのとき。

 部屋のチャイムが鳴り響く。諭吉は慣れた調子で玄関のほうへ彼を迎えに行く。──ちょくちょく高級な猫用オヤツを差し入れるからかもしれないが。

 

「──ジョゼー?」

 

 この部屋の合鍵を持つ唯一の(ひと)が来訪を知らせてきた。

 はやる気持ちを抑え、ジョゼは内心を海の底に秘めるように、落ち着き払った調子で応えた。

 

「は、はよ入り!」

「はいはい……って、あれ。サンダル? ジョゼの?」

 

 彼は鍵のかかっていた扉を開け、車椅子をとめた玄関──そこに並んだ新しい一足の靴に気づきながら、部屋にあがる。

 人魚(ジョゼ)は、ペディキュアとマニキュアが塗られた手足を布団の中に隠しつつ、青年(つねお)が来るのを心待つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 


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