失恋直後のトレーナーに追い込みをかけるウマ娘概念 作:金木桂
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トレーナーの仕事は多岐に渡る。ある日はトレーナーとして雑誌の取材を受けたり、またある日は製作会社と担当ウマ娘のぬいぐるみやキーホルダーといったファングッズを作るための打ち合わせに赴いたりと、ウマ娘とは直接関係しないところでも忙しい。そういうことを溢すと業界外の人からは驚かれることも多かったりする。仕事の中身を加味すれば、トレーナーと言うよりかは、マネージャーという呼称の方が世間的に理解されやすいだろう。まあウマ娘を勝たせるだけじゃトレーナーは務まらないということである。
今日はそんな中でも、まだトレーナーとしての側面が大きな仕事の予定があった。それはトレセン学園トレーナーが全員集まって行う年2回の定例会議だ。
トゥインクル・シリーズは順当に興行として成功を収めている一方、トレセン学園では今でも様々な課題がある。それらを議題として上げて、実際に現場で働くトレーナーが意見を述べ合うのだ。因みにこの会議の現場サイドのプレゼンターは持ち回り制で、当番はこのプレゼン資料の作成にも追われるためにトレーナーからは貧乏クジとも呼ばれている。
普段は各々の仕事で動いているため、決して集まることはないトレセンのトレーナーの顔が並ぶ光景は壮観だ。俺みたいなまだまだ新人扱いされるトレーナーから新進気鋭のチームトレーナー、複数の担当ウマ娘にG1レースを勝たせている覇権トレーナーまで全員が出席している。だが仲良くおしゃべりでもしようという空気感は皆無。担当するウマ娘同士がライバルである以上、トレーナー同士は軽いノリで話せる相手ではないのだ。
本日の議題は『トレセン学園のトレーナーが少なすぎる』という問題についてだった。それは仕方のないことでもある反面、この数年間中央のトレセン学園を悩ませる問題でもあった。
この中央のトレセン学園は日本を代表するウマ娘を育成する機関である。初代理事長から今の秋川やよい理事長までその理念を根本に置いて運営を続けており、中途半端なトレーナーは要らないという姿勢はずっと変わっていない。そんな理事長の要望により中央のトレーナー資格の難易度は難関国家資格と同等と見做されるほどの難易度になっている。
しかし情報社会が深化するにつれてトゥインクル・シリーズに憧れるウマ娘が増え、トレセン学園の門を叩く新入生はこの少子化の社会にもかかわらず年々増加の一途を辿っている。反面、資格難易度に変化は無いせいでそのウマ娘を指導するトレーナーの数は増えていないのが実情だった。
思えば、俺がトレーナーとして目指そうと思った時も彼女に止められたような気がする。マフラーをふわりと揺らしながら、俺の挑戦をやんわりと否定して辞めさせようとした、と思う。俺は気づかなかったけど、もしかしたらその時点で俺は酷い勘違いをしていたのかもしれない。
10年の時間の中、彼女が他人の挑戦を否定するような言動をしたことは一度もそれまで聞いたことがなかった。優しい女の子だからだ。
あの時、俺は高卒で専門に行った挙句、中央のトレーナー資格試験に失敗したらその後がまた大変だからそれを心配されて止められたのだと思った。でも今考えたらもっと単純に。俺は彼女から信用されていなかっただけなのかもしれない。お前は失敗すると、そう思われていたのかもしれない。そう思うと告白を蹴られて当然だなと自嘲したくなる気分になった。
なんて俺は今まで自分に都合の良い物の捉え方をしていたんだ、吐き気がしてくる。
「湯布院トレーナー。聞いていますか? 貴方がどう考えているか、もし案があれば聞かせてください」
隣に座るトレーナーから肩を叩かれてハッとした。周囲の視線が俺に突き刺さっている。
慌てて俺は頭を動かす。
「……大変失礼しました。分かりました」
あらかじめ考えておいたことを話しながら、俺の内心はどんどんと曇っていく。
またもや失態を演じてしまった。しかもこんな同僚や先輩トレーナーが全員揃う場での失態だ。もう嫌になってくる。俺は、どうしても未練がましい男であるらしい。
以降は俺の発言が求められることもなくスムーズに進行し、会議が終わるとその場で俺はスピカのチームトレーナーから呼び出された。俺は心中で首を傾げつつも沖野トレーナーの後に続く。
チームスピカを率いる沖野トレーナーと俺は職場上では先輩後輩の関係性かもしれないが、それを無視すれば非常に薄い繋がりだ。なんなら一度も話したことすらなかった。沖野トレーナーは一時期は所属一人の零細チームトレーナーだったのが今や最強チームの一角を率いる名将で、はたや俺はただの一般トレーナーだ。
沖野トレーナーにカフェテリアまで連れて来られると、いくつもある空席の一つに腰を据えた。俺もそれに追従する。
「さて、湯布院。セイウンスカイのトレーナー」
「はい。沖野さん、何か御用でしょうか?」
「お前さんとは一度話がしたいと思ってたんだ。一昨年は菊花賞で世話になったからな」
そう言われて思い出す。
スピカには確かセイウンスカイと同じく菊花賞や有マ記念、天皇賞秋を走ったスペシャルウィークが所属していた。あまり気にしたことはなかったけど、沖野トレーナーがあのレース場にいたのはそれでか。
「とんでもないです。手強い相手ばかりでした」
「そりゃそうだ。G1を走るのは強いウマ娘だけだからな」
「それで本題は何でしょうか」
「ったく、せっかちだなぁお前さん。まあなんつーか、後輩のメンタルケアだよ。お前、この頃どうしたんだ?」
メンタルケアという単語を聞いて肩がピクリと震えそうになるが、次ぐ言葉を聞いて疑問符が脳裏に浮かんだ。
「あの。お言葉ですが、最近というのは」
「正直お前のことは一昨年の皐月賞から注目していた。一年目の新人が皐月賞を取らせたなんてレアだからな。で、菊花賞で例を見ない戦術を使われてスペが負けて、お前のことはライバルと認識した。とんでもないやつが出てきたって思ったよ。なのにそのライバルが最近シケったんだ、普通気になるだろ。去年セイウンスカイはG1を0勝、まあその一部は俺が育てたスペが攫ったわけだから文句を言うのは違うかもしれねえけど。もっと勝つと思ってたんだぞ俺は」
「そうでしたか……ありがとうございます」
そんなに俺はこのトレーナーに買ってもらっていたのか。意外というか、光栄だ。
「だがな、あの会議のふわふわした態度はなんだ? お前はそんなんじゃなかっただろ? 何があったんだ?」
「……正直、トレーナー同士ではそういう話はしないものだと思っていました」
「何言ってんだ。確かに普段はライバルだが、後輩の面倒を見るのはどんな職場だろうと先輩の仕事だろうが」
沖野トレーナーの言葉に正直に返すと、沖野トレーナーは怪訝そうな目をした。
中央のトレセン学園におけるトレーナーという存在は一つの孤島に等しい。チームトレーナーという大きな島があって、その周囲に一般トレーナーである小さな島が連なっている。
「立場上言うのが難しいことってんなら聞かないけどな、そうじゃないなら俺みたいなあんまり関わりのない他人に話せば案外スッキリするかもしれないぜ?」
そんなことを考えていると沖野トレーナーと目があった。どうやら、冗談や揶揄い半分ではなく、本気で沖野トレーナーは俺の悩みを聞こうとしてくれているらしい。実績ばかりで人柄は全く知らなかったが、非常に良い人だ。
「実は───」
─── ─── ───
沖野トレーナーに失恋を打ち明けた後、お互いに多忙な身ということもありその場で解散となった。特に沖野トレーナーは非常に忙しいらしく、これから学園を出て企業との打ち合わせがあるらしい。そんな貴重な時間を割いて俺の面倒を見てくれたのは偏に人格だろう。俺も今後、見習わなけらばならない。
沖野トレーナーは俺の言葉を聞くと「なるほどな。そりゃ男にとって一大事だ」と納得げに頷いていた。ただここまでプライベートな事情が原因と思っていなかったらしく、時間が迫ったのもあって改めて話をしようと一旦この話を置いて互いの仕事に戻ったのだ。
仕事を切りの良いところまで片付けると外からチャイムの音が鳴った。学生の昼休みなのだろう。だがトレーナーは明確な休憩時間の区切りが存在しておらず、自分の裁量で昼食休憩を取って良いことになっている。
そこで多くのトレーナーは学生の昼休みと自分の昼食休憩のタイミングを合わせることはしない。食堂を使おうにも混んでて並ぶだけで疲れるし、特に男性の場合女の子の人混みに紛れるのはとても神経を使うからだ。満員電車で冤罪にならないように両手を上げるといったような努力を昼食休憩にまでしなくてはならないのは少し、いや、かなり遠慮したいところだ。
「あ、いたわねトレーナー!」
トレーナールームで引き続き新たな仕事に取り掛かろうとすると、ダイワスカーレットがやってきた。今は昼休みだから来ても不思議じゃないが……。
「どうしたんですかスカーレットさん?」
「べ、別に大した理由はないわ! セイウンスカイ先輩がアンタのことを何時もと違っておかしいって言ってたから様子を見に来ただけよ」
そっぽを向きながら大声を張るスカーレットを見ていると苦笑いが滲み出た。
どこか分析するような目つきだったけど、なるほど。セイウンスカイには俺の不調が見抜かれていたらしい。いや当然か。俺はセイウンスカイの前で敬語を使わずに話したことは一度も無い。それが突然あんなことを言われたら、2年来の付き合いから何かあると思われても仕方ない。
「ありがとうございます……ですが心配は無いですよ。僕は至って健康ですので、スカーレットさんのお手を煩わせるような事情なんてありません」
「……それ、本当? あの先輩がアタシにメール送るなんて相当なんだけど」
「そんなに僕のことが信用できませんか?」
自分で言ってみて悲しくなった。
ダイワスカーレットはまだメイクデビューして3ヶ月とこれからのウマ娘だ。直近だとG2の弥生賞を2着、勝利できなかったのは残念だけど状態としては全然悪くない。本人の意向通り次はG1に出走するのが良いだろう。
そんなウチの期待のホープから疑われると、俺の心も若干軋みそうになる。
俺は頼りないのだろうか。そう自問自答をしてみると、意外なほどすぐに結論が出る。そりゃ頼りないだろう、と。自戒するように頭の中の俺が小さく頷いた。
去年、俺はG1でセイウンスカイを勝たせてやることができなかった。G2では勝ったけど、そんなのはセイウンスカイの才能と努力からすれば俺がいなくても容易に成し遂げられたことだろう。重要なのは、去年のセイウンスカイの成績に俺の影は微塵も無かったということだ。別に富や名声や欲しいわけじゃ無い。ただ、俺はセイウンスカイの力になってやれなかった。本当にただ横にいただけだ。沖野トレーナーに言われたばかりだからか、そんな念が脳裏を渦巻いて囚われている。
契約を結んだことは後悔していない。それでも、俺はセイウンスカイにはもっとより良い未来があったんじゃと思わずにはいられない。
そんなことを考えてる時点で全然ダメなんだろうと思う。本当に俺は駄目だ。たかが一度失敗したくらいで、失恋を喫したくらいで。俺は未熟で、未熟で、とにかく未熟だ。
6年間相手にしてきた好きな人からも信頼されていなかったのだから。それ以外に信頼されていなくても不思議じゃない。
なんて女々しい思考だ。
これが本当に二人のウマ娘を導くトレーナーとして正しい姿なのだろうか。
「何を考えているのかアタシには分からないけど、アンタのことは十分信頼しているわよ……」
思わぬ言葉に俺は目線を上げた。
ダイワスカーレットは仄かに照れた頬を隠すようにそっぽを向いて、かと思うと俺の顔を掴んだ。
「それは多分セイウンスカイ先輩も同じだと思う。……だからちゃんとしてよね、アタシの一番はアンタなんだから」
「一番ですか……」
俺の一番は、もういない。この世界にはいるけど、もう俺の手の届かない存在になってしまった。その証左に身につけたマフラーを意識する度に首を絞められるような気分になる。世界はこんなにも息苦しいものだったのかと、俺は初めて感じた。
「やっぱ変よ、アンタ」
「随分と率直に言いますね……スカーレットさんらしいですけど」
「ねえトレーナー。アタシには事情を話せない?」
「意地が悪いですよスカーレットさん」
「こうでも言わないとアンタって本心出さなそうじゃない。いっつもアタシにも先輩にも、敬語で自分を殻で包んだような言葉ばっかりで……そうよ。アタシだけがアンタを考えているみたいで寂しいのよ! なんか悪い!?」
ダイワスカーレットのその大声はきっと廊下まで響いただろう。だがそんなものはどうでも良い、考慮にすら値しないとばかりにダイワスカーレットは俺の顔を凝視している。一欠片の感情の機微すら見逃さない、そんな意思の表れだった。
「いえ、そんなことは」
「アンタはないかもしれない。でもアタシは違う! ねえどうなのトレーナー! 話してよ!」
ダイワスカーレットの眼差しに俺は答えを窮する。
言ってしまいたい。それは本当の気持ちで、だけど彼女は沖野トレーナーとは違う。沖野トレーナーは俺の先輩に当たる人で、迷惑を掛けても笑って許してくれそうなほど懐が広い人でもある。頼っても俺としては問題ないし、その分はいつか恩返ししたいとも思っている。対してダイワスカーレットは俺の担当ウマ娘で、次にはG1レースを控えている。余計な心配をさせたくはない。これはダイワスカーレットのためだけではなく、俺がそういうトレーナーでありたいと思っているからこそ他人からすればどうにもならない私情を話すべきではない。
だが、しかし、それでも俺は。
こんなにも表情を強張らせて、瞳を目元が濡れそうになったダイワスカーレットを俺は見たことがなかった。
「……僕は、いえ、そうですね。俺は今は答えたくない」
「そうなんだ……俺?」
俺の一人称に疑問符を浮かべるダイワスカーレットを無視して、続ける。
「だけど今度、教える。約束する。トレーナーとウマ娘じゃなく、俺とスカーレット、一個人としての約束だ」
「……ほんと? 約束だからね?」
「ああ」
これで良かったのだろうかと脳裏で過って、でもダイワスカーレットの安堵したような溜息に間違っていなかったのだろうと脳内の見解を無理矢理上書きする。
今はともかく、いつまでもクヨクヨと悩み悶えている訳にもいかないのだ。優先すべきは俺の矜持か、それともスカーレットの不安か。どう考えても後者だろう。
「そういう訳なので申し訳ないんですけど……」
「そう……分かったわトレーナー」
「はい。僕もスカーレットさんのことは好きですから、約束は違えませんよ」
「はあああ!? す、好き!?」
再度大声で叫ぶダイワスカーレットに、これじゃ勘違いされてもおかしくないなと思い至ってすぐさま訂正を入れる。
「変な風に聞こえたなら申し訳ないです。ただ僕はスカーレットさんの走りも、それからウマ娘としての姿勢もセイウンスカイさんと同じくらい好きですよ」
「……あー。そういう」
少し残念そうというか、期待外れといったような白けた声でダイワスカーレットは目を細めた。しかし気を取り直すように顔をブンブンと振ると、こちらを指差した。
「あ、アタシもアンタのことが好きなのを忘れないでよね!」
「え……?」
それだけ言うとダイワスカーレットは意地を張りつつ誤魔化すように「へ、変なことを考えないでよね! 私もあくまでトレーナーとしてなんだから!」と言い残して早足で部屋を出て行ってしまった。この1年間ダイワスカーレットのことは見てきたけど、ああやって普段勢いのある子に直接好意を伝えられるとトレーナーとしても込み上げてくるものがある。トレーナーという職業を選んでよかった、心底そう思った。
ダイワスカーレットのおかげで多少心持ちが軽くなった。礼を言ってもきっと困らせてしまうだけだろう。この礼は今度、何か美味しいものでもプレゼントしようと思った。
掛かりスカーレット