失恋直後のトレーナーに追い込みをかけるウマ娘概念 作:金木桂
放課後は付きっ切りでダイワスカーレットのトレーニングを見るのが日常である。
「あのートレーナーさん。今日は私も参加しますけど、良いですよねー?」
しかし、珍しいことに。いつもは自主的にトレーニングを積んでいるセイウンスカイがこのトレーニングに参入してきた。理由は分からない……いや、もしかしたらセイウンスカイなりに危機感を覚えているのかもしれない。何せ去年はG1未勝利で終わって、今年もまだ調子が上がらない。これは全く持って俺の責任でもある。
「勿論良いですよ。でも心配しますからトイレ行くふりをしていなくならないでくださいね」
「あはは、トレーナーさん。そんなことしませんよー」
したんだよな。最初の頃とか普通にサボられたし、来たかと思えば途中でふけたし。それでもレースでは速いことから、セイウンスカイは自由にやらせる方が強いとその時に悟った。
セイウンスカイと会話していると、少ししてダイワスカーレットもやってきた。
「と、トレーナー来たわよ! ……えっと、先輩もいるんですね」
「んん? おやおや、もしやセイちゃんってお邪魔な感じですかね?」
いつものセイウンスカイ節が炸裂する。トレーナーが一緒とはいえ、普段あまりセイウンスカイと接することが無いダイワスカーレットは戸惑うように両手を振った。
「そ、そんなことないですから先輩! 寧ろ邪魔なのはトレーナーというか!」
「あの、流石にそれは僕も落ち込みますよ?」
「ち、違うから! 邪魔だけどアタシにはアンタが必要だから良いの!! この意味、トレーナーなら分かるわよね!?」
「全然分かりませんよスカーレットさん……」
慌てすぎて支離滅裂なことを言い始めるダイワスカーレットに俺は内心頭を抱える。
「あの、セイウンスカイさん。可愛いからといって後輩を虐めるものではありませんよ」
「心外ですなー。私はただスカーレットちゃんがトレーナーさんと親し気だから、つい妬いちゃっただけですからね」
「失礼しました。セイウンスカイさんに嫉妬されるなんて思いもしませんでした」
「それは酷いですねトレーナーさん。よよよ……セイちゃんでも傷付くことはあるんですよ?」
「それは重ね重ね失礼を言ってすみません」
「それよりトレーナーさん。そこで固まってバグっちゃったスカーレットちゃんをどうにかした方がいいんじゃないですかー?」
そう言われて俺はダイワスカーレットの方に視線を向ける。
セイウンスカイの言葉通り、ダイワスカーレットはポカンと口を開けたまま放心していた。え、何で?
取り敢えず俺はダイワスカーレットの意識を元に戻すことにした。
「スカーレットさん。あのースカーレットさん? もしもし、聞こえていますか?」
「トレーナーさんが頭を叩けば直るんじゃないですか?」
「そんなブラウン管テレビみたいな扱いをするのはどうかと……」
それにこのご時世、非常に体罰とかセクハラに厳しい。軽く叩くだけでも、もしかしたら周囲から問題視されるかもしれない。……でもそんなことを言ったらもっと論外なことやってる人にさっきまで相談に乗ってもらってたんだよな。それと比較してしまうとマシに思えるが、それでも俺は担当のウマ娘に対してそんな不貞を働きたくない。
暫くセイウンスカイと顔を合わせて待ってみると、ダイワスカーレットが再起動した。
「え、ええとトレーナー。アンタ……アタシのことを?」
「スカーレットさんのことが?」
「……な、何でもない。何でもないわよ! それより早いところトレーニングを始めてよね!」
ダイワスカーレットは明らかに挙動不審気味に動揺すると、それを誤魔化すように靴紐を結び始めた。
「あれれ。セイちゃんちょっとスカーレットちゃんが変だった理由、分かったかも」
「せ、セイウンスカイ先輩!? 絶対言わないでくださいよね!?」
「うーん。まあ、とてもとても可愛い後輩の為ですから? 先輩としてトレーナーさんには言わないであげましょう」
どうやらセイウンスカイはダイワスカーレットの乱調の理由が分かったらしいが俺に言う気はないとのこと。まあそう大したものでもないだろうと思う。ダイワスカーレットも聞いてほしくなさそうなので聞かないことにした。
「じゃあトレーナーさん。そういうことなので、この件についてはナイショでお願いします」
「大丈夫ですよ。男性には話しづらいこともありますからね。僕としてもお二人が仲良くされていて何よりです」
「仲良く、ね~」
セイウンスカイは意味ありげに呟いた。二人は学年は違い、更にセイウンスカイはあまりトレーニングに参加しない。よってセイウンスカイとダイワスカーレットが顔を合わせる機会はそう多くないだろうから、その発言の意図も何となく分かるというものである。
「そんなことよりトレーナーさん、トレーナーさん」
「何でしょうか?」
「今のとは別件で、何かスカーレットちゃんとありましたか? セイちゃんのスタンドが何かあると囁いているんです」
セイウンスカイの鋭い眼差しが俺の目を貫いた。
何かと言われても……まああったと言えばあった。
「は、はあ。確かにありましたよ。何と言いますか、少しだけ助けていただきました」
「助けて……ですか?」
「トレーナーとしての自信と言いますか。大の大人が情けないんですけど、それを見失いかけたところをスカーレットさんに励まされまして。少し自分に自信を持つことが出来たんです」
「トレーナーさんでも自信がないことがあるんですねー。因みにどのような事情だったんです?」
「それは……すみません」
セイウンスカイから問われて、誤魔化すことも出来ずに俺は謝罪した。セイウンスカイはそれを予想していたみたいに「いえいえ」と返す。
訝しげに思っていると、セイウンスカイは顔を近づけてくる。俺の耳とセイウンスカイの口が触れそうなほどに。
「ただ、そういうのはスカーレットちゃんよりも私の方が適任だと思いますよー……セイちゃんの方がトレーナーさんとの歴長いですから」
声帯が掠れるほどの小声で、セイウンスカイは唇を戦慄かせる。
言いたいことはそれだけだったようで、瞬時に身を翻すとセイウンスカイはターフの方へと戻って行った。
─── ─── ───
その晩、沖野トレーナーからメールが届いた。今日の夜の予定が空いたから、もし暇なら酒でも飲みに行こうぜと誘われたのだ。
それを断る理由は俺には無い。寧ろ有難いとも思う。沖野トレーナーのような人生のベテランにこうして悩みを聞いてもらえる機会なんて中々ない。
待ち合わせは現地集合で、知らない店だった。
「……この店かよ」
来てみれば何と言うか。俺みたいな飲み屋にあまり行かない人間からすればあまり見慣れない、乱雑に言えばモダンで洒落たバーだ。この中で既に沖野トレーナーが待っているらしい。
永遠に二の足を踏んでいるわけにもいかないので、観念して俺はその店のドアを開く。
予想通り、内装も典型的なバーだ。暗めのライトアップで照らされた店内に、洗練された空気感を纏う椅子や机の数々、飾られたボトルに印字された文字には圧迫感すら覚える。
「おー、こっちだこっち」
そのカウンターで沖野トレーナーは普段より少し陽気そうに片手を振っていた。机に並べられたグラスから見るに、もう一人で飲み始めているらしい。
「沖野さん、こんばんは。随分と慣れていますね」
「そりゃ行きつけの店だしな。そういうお前は随分と肩を縮こませてるな。こういうとこは初めてか?」
「はい。正直、もっとラフな居酒屋だと思っていたので戸惑っています」
「そりゃ悪かったな。一応、俺なりに気を遣った結果だから許してくれ。あんま五月蠅い場所でするような話でもないだろ?」
そう言って沖野トレーナーはニヒルに笑った。いつもそうだが、バーカウンターでグラスを傾ける沖野トレーナーは何時も以上にカッコよく見える。これで何人の異性を口説いてきたのかと普通なら勘繰りそうになるのだが、この人は本当に自分のウマ娘のことばっか考えてるんだよな。そういうギャップと言うか、一意専心な部分も憧憬に値する。
「それもそうですね……ご配慮いただきありがとうございます」
「そう硬くなんなって。酒に合わねえだろ?」
「分かりました。それじゃ失礼しまして」
沖野トレーナーの言葉も道理だ。俺は頷くとジャケットを脱いだ。
「そんで、どんな酒が好みだ?」
「そうですね……。僕はあまり酒を飲まないので詳しくはありませんが……少々強めで飲みやすい酒とかあれば」
「そうだな。じゃあマスター、スクリュードライバーを一つ。それから俺にはテキーラをくれ」
手慣れた仕草で注文をすると、マスターは言葉少なげに承諾してカクテルを作り始めた。沖野トレーナーはそんな様子を一瞥して、カウンターに残った酒を飲み干した。
「この店は良く来るんだ。つっても最近じゃ二ヶ月に一度とか、そんくらいだけどな。どうしても時間は取れねえし、取れても疲れた身体引きずって一人で行くのもなんだから遠ざかってんだ。だからま、相談に乗る対価ってわけじゃないが俺の酒にも付き合ってくれや」
「え、ええ。分かりました。僕で良ければお付き合いしましょう」
「悪いな。俺の息抜きついでみたいで」
「気にしないでください。僕も嫌いじゃないので」
そんな会話をしている間にも注文したものがマスターから渡される。確かスクリュードライバーと言ったか。黄色の液体からは柑橘系の香りをほんのりと発している。
「これがスクリュードライバーですか」
「ああ。オレンジジュースをウォッカで割ったやつだ。飲みやすいが、度数は高いから気を付けろよ」
ウォッカとなると確かに度数が高そうだ。詳しくは無いが、ビールよりよっぽど入ってるだろう。
しげしげと見ていると、沖野トレーナーは自分のショットグラスを持ち上げた。
「それじゃ改めて。乾杯」
「乾杯です」
グラス同士をカチンと鳴らして、グラスの縁に口を付けて傾ける。
飲みやすい。でも確かに、アルコールが食道を通る感覚もそれなりで、気を付けないと自覚のないままべろんべろんに出来上がってしまうことだろう。気を付けないと。
沖野トレーナーは静かにテキーラを飲んでいる。その横顔を見てると大層モテていそうなものだが。
「沖野さんは仕事以外で異性と接することってありますか?」
俺の言葉に沖野トレーナーは困ったように髪の毛を触る。
「仕事以外でか。無くはないが、あんまりな。今は自分のチームのことしか考えられない。ようやくチームが盛り上がってきたのにそれ以外のことなんざ考えられないだろ、トレーナーとして」
「流石ですね。僕はそこまでストイックには出来ません」
皮肉無しにそう思う。俺なんかプライベートの失恋を仕事に持ち込んでしまう程の未熟者だ。
しかし、沖野トレーナーは俺の発言に自嘲気味にクスリと息を零した。
「不器用なだけだ。トレーナーの仕事にのめり込むことはトレセン学園やウマ娘にとっては美点になるだろうが、一個人としては健全じゃない」
「一個人……ですか」
「ウマ娘のことはそりゃ大切だ。日本の宝とも思う。だが同時に家族も友人も、自分のプライベートな将来だってそれと比類出来ないくらいに大切な存在だろうに、それをおざなりにしちゃ問題外さ。お前の方が正しい。俺はその領域に半歩踏み出しちまった」
仕事より大切なもの……か。沖野トレーナーはこうは言うが、それを自覚している時点でその自分にとって大切なものを忘れた訳じゃないのだろう。なら、何も問題は無い。どこかで後から取り戻せるものだ。完全に切り捨ててないのならきっと取り戻せるはずである。
一方で、俺のこの思いは取り戻せない。今じゃもう何もない。自覚すればするほどこの空虚な感覚が身体を飲み込む。
「まあいい。さっきは業務中だからあんま聞いてやれなかったが、今度はより詳しく聞かせてくれよ。慰めるなんて柄じゃねえし、終わった以上俺がどうこうアドバイスできることでもねえけど。美味い酒の肴くらいにはしてやれる」
「……それは最高ですね」
「だろ?」
頷き合うと、酒を傾ける。何の価値も無いただの勘違いした男の失恋話ではあるが、それが一時の余興になるのならこの灰みたいに降り積もった感情も無駄ではなかったのだろう。なんともまあ、救われる話だ。
二杯目、三杯目と沖野トレーナーのおすすめの酒を飲みながら気分良く具体的な話を終えると、顔を赤らめながらに沖野トレーナーは唸った。
「はぁぁ……お前さんの話を聞く限りじゃどう考えても、俺からしても脈は有りそうなもんだけどな」
「沖野さんもそう思いますか?」
「当たり前だ。マフラー、しかも手編みのなんざ幾ら誕生日だの記念日だのと理由を託けても、ただの友人に渡すような代物じゃねえだろ。てかその今付けてるマフラー、もしかして」
「はい。その彼女からもらったものです」
「何と言うか、お前も変に未練がましいな……。普通は見るのも苦しく感じたりすると思うんだが」
「苦しいのはそうですけど……ただそう易々と簡単に忘れられる感情でもないので」
「人のことは言えないけどお前も中々に不器用だな。コンビでも組むか?」
「良いですね。僕がチーム作ったら二つのチームをくっ付けて超星連合チームみたいなの作りましょう」
「おいおい、だっせえ名前だなぁ。冗談だ冗談、俺は今のスピカで手一杯だよ」
景気良く笑う沖野トレーナーに釣られて笑みが零れる。
思えば、ここまで襟を開いて話すのは何年ぶりだろうか。沖野トレーナーの人柄にも影響されて、考えていたことをうんと吐き出した気がする。
「まあアレだろ。そんな物まで貰うほど好意を持たれていたのに、何が原因で振られたかは分からねえ。だが最初からその気が無かったにせよ、途中で失望されたにせよ、本当の想いは直接本人から聞くしかない」
「流石にそこまでは……」
「なら吹っ切れ」
「そんな簡単に言われましても」
何杯目か分からないショットグラスを沖野トレーナーは口に流し込むと、カウンターにゆっくりと置いた。
「方法なんか単純だ。二つある。自分を他のことを考えられないほど多忙に追い込むか、別の恋でも見つけるか。ただ俺としては前者はあまりオススメ出来ないな。問題を先送りするだけだ。根本的な問題の解決が為されない以上、一度失恋を思い出せば再び今ほどではなくとも鬱屈した気持ちになるだろうな」
多忙か。ウマ娘の契約を増やせば忙しくなることは出来るだろうが、沖野トレーナーの言う通り俺の心は恐らく晴れない。それは目を閉じる行為に等しい。それに、セイウンスカイやダイワスカーレットの育成に集中したい現在、俺がそんなことをする余裕なんて無い。
「なるほど……。つまり沖野さんは次の恋を見つけろと言いたいんですね」
「まあ、有り体に言えばな。とはいえそう簡単に見つけれるものではないだろうから、もしこの手段を取ろうと思ったら自ら積極的に動く必要があるんじゃないか?」
「積極的にと言うと、合コンだとか街コンだとか、そういう催しに参加するみたいなことでしょうか」
「そうなるだろうな。トレーナーにも女子はいるが、あいつらも大概ウマ娘に掛かり切りだ。外で探した方が良いだろうな」
沖野トレーナーの提案に納得する反面、自分に対する猜疑心も芽生えた。
「でも僕はそれで前みたいな心境に戻れるでしょうか? 自分で言うのもなんですが僕の六年間はそう軽いものではないです。そんな出会い目的のイベントで会った女の子と付き合って、この心は解決するんでしょうか?」
「いや知らねえよ。お前の事情は知ったがお前の気持ちなんざ俺には想像くらいしかできねえ。それもどのくらい正確か分からねえし。だが一つ俺にも分かるのは、乗り越えなきゃいつまでもこのままってことだ」
「それは……その通りですね」
反駁しようとしたが、口から出たのは肯定の返事。
意識的だろうと無意識だろうと認めざるを得なかった。この感情を完全に消し去るには乗り越えるしかないと。その為には新しい環境を自ら構築しなくてはならないと。
「……ありがとうございます。何だか本当に相談に乗ってもらってしまって」
「よせよせ。大したことは言ってねえ。他人が勝手に考えて無責任に言ってるだけだ、そう真面目に受け取んな」
「それでも何だか先と言いますか、自分のやるべきことが見えてきた気がして。非常に助かりました」
俺は頭を下げると沖野トレーナーは「そんな大層なもんじゃないんだけどな」と頭をポリポリと掻いた。
例え沖野トレーナーがそう思っていようと、俺がその言葉に真実味を感じたのは揺るぎもない事実だ。だから礼を言っているし、かなり尊敬の念も深まった。これからのトレセン学園は更にこの人が引っ張っていくのだろう、そんな確信にもよく似た直感が脳裏を巡る。
「そうです、沖野さん」
「なんだ湯布院。まだ言い足りない事でもあったか?」
俺は先程言おうとして流されたことを思い出して、口にする。
「沖野さんは自分や周囲をおざなりにしたとか言ってましたけど俺はそうは思いません。それが分かっているなら、いつでも原点に戻れると僕は思います」
「……んなことを言うのは10年早ぇのよ。バ鹿野郎」
沖野トレーナーはそう言って酒を煽った。
飲みニケーション。