失恋直後のトレーナーに追い込みをかけるウマ娘概念 作:金木桂
夕日が瞬いて、公園の街灯の光源が弾けた。
その瞬間俺は今、夢を見ていると自覚する。
なるほど、明晰夢ということらしい。
今この公園に立つ俺が現実ではないと、改めて認識する。思えば五感も程々に鈍い。都会の妙に生っぽい風の匂いがない。音もビット落ちしたみたいに欠けていて、どこか解像度が低い。光景も少し、遠方が霞んで見える。蜃気楼が二重三重に重なって、視界の遠方がぼやけている。肌を照らす橙色の夕日も温度が無い。
一度瞬きをして、気づいた。
公園にいたのは俺だけじゃない。もう二人、人間がいる。
それは俺と、見覚えのある女性だった。
俺はどこか緊張した、普段より硬い表情をしていた。顔面を触れば岩のような感触すら帰ってきそうなほどに神経を張り詰めさせながら。
一方で彼女の顔から読み取れることは少ない。俺の見慣れたその顔は、特記すべき感情を表に出しているようには見えない。
……いや。おい。
違う。
見せないでくれ。
俺にその記憶を見せるな。
瞼を閉じようとすると目の前の視界が暗転し、刹那、瞼が透過した。レイヤーを一枚削除したみたいに、公園の景色が顕現する。
俺の身体は動かなくなっていた。
金縛りにも近い。指一本、関節を曲げることすら叶わない。
頼む。
もういいだろ。
終わったことだ。
済んだことなんだ。
なんで忘れたい事実を鮮明に堀り返そうとするんだ。ふざけんじゃねえよ。
『あの……さ。ちょっと真面目な話をしても、いいか?』
俺は耳を塞ぎたかった。
出来の悪いホラーゲームをプレイしている気分だった。
心臓を素手で触られているような、そんな不快感が全身を走る。
振られる夢を見るとか、なんてついてないんだ。
間違いなく二日酔いのせいだろう。酒なんか雑に飲むのじゃない。
『ふーん。話ってなんだろう』
相槌を打つ彼女に俺はため息を吐きたくなった。
彼女は本当に、素っ気ない様相だった。それか素っ気なく見えるだけか。分からないが、確かなのはこの態度から告白がOKされるような気がしないということだ。恋は盲目、なんて安い単語がまさか自分に適応されるとかな。
目の前の俺が視線をちらちらと各方面へと散らし始める。
これは……覚悟した方がいいかもしれない。自分の無様な様を目にする、その心構えを。
心臓が嫌にドキドキする。血流が加速する。
こんな無様な自分の光景、罰ゲームでしかない。なぜ俺はこんな拷問を受けているのだろう。
死にたい。
間違いなくオーケーがもらえると思っていた自分が嫌だから、この場で死んでしまいたい。
醜悪な羞恥心からそんな感情が湧き出て、しかし同時に諦観も芽生えさせていた。
だって夢だ。これは夢だ。止める方法なんてない。受け入れて、嫌な気持ちになって、起きたら酒でも飲んで忘れよう。何もかもを忘れるくらい安酒を飲んで記憶を殺してしまおう。それが今俺にできる唯一の対抗策だ。
そう心に決めて腹を括った俺だったが。
幸運なことに、俺の意識はここで途切れることになった。
─── ─── ───
起きると午後3時だった。正確を期すなら3時を回って35分。
既に体調不良による欠勤の連絡を入れ終えていた俺は、特にやる事もなくベッドで寝返りを打った。
……体調が良い。さっきよりも断然快調だ。
偶にあるやつだ。
朝は辛いのに、二度寝して昼また起きてみれば体調が好転してて「あれ。案外休むまでもなかったのか?」と過去の自分に疑問を投げかけたくなるパターン。俺にとっては今日がそれらしい。
とはいえ、熱は完全には治まっていない。測れば37.3度。微熱だ。
腕を回してみる。微熱ながら淀みはなく身体は動く。
ふとこれから出勤しようかと安易な思考が過るが、すぐに俺は理性的に否定した。原因は自己管理の至らなさとはいえ、熱は熱。病気は病気だ。ダイワスカーレットには世話を掛けてしまったがこれ以上迷惑を掛けるわけにはいけない。
若干熱の籠った思考のまま俺は洗い物をしようとして、すでに片付けられていることに気づく。
……ダイワスカーレットだ。
作ってくれたお粥を俺が食べた後、態々洗ったのか。別にそのままにしてくれと言ったんだけど、流石優等生というべきなのか。中途半端は嫌いなんだろうな。
ベッドから這い上がった俺は手持ち無沙汰になると、自分でも驚くくらい呆然と立ち尽くす。
何故だろうか。まるでしたいことが浮かばない。
思えば、ここまで空っぽな休みなんて久しぶりだ。しかも突発的なものとなると初めてかもしれない。
身体を持て余して、少し迷ったのちに一先ず椅子に座る。
ケトルで沸かしたコーヒーで頭を整理していると、視界の端でスマホの通知ランプがチカチカと点滅しているのが目に入ってきた。そのまま放っておくのも目障りだったので手に取る。
通知の中身はメッセージで、セイウンスカイからだった。
【体調悪いって聞きましたけど大丈夫ですか? 今ならお得価格でセイちゃんが看護しますよ?】
ジョークを交えつつもこんなメッセージを送ってくるくらいには心配を掛けさせてしまってるらしい。後で返しておこう。
と、一旦保留にしてスマホを置こうとした瞬間再び通知音が鳴った。画面を見る。
【あのー既読つきましたよ? 見てるなら返してくださいよ】
「暇なのか……?」
既読を確認できるということは、即ち俺がメッセージ開いた段階で俺とのチャット画面を開いていたということだ。タイミングに関しては偶然にしても、本当にセイウンスカイは俺を憂いてくれてるようだ。申し訳ない。
午後3時ならもう学校の授業も終わってるはず。一々メッセージを送るのも面倒だ。電話を掛けて憂いを晴らしておこう。
発信画面になったのを確認して、1コール目でセイウンスカイは出た。
『はいもしもしー。こちら飲み過ぎて体調悪くして休んだトレーナーさんの下で指導を受けてる可哀そうなセイちゃんです』
「その件については申し訳ございません、セイウンスカイさん」
『ジョークですよ。セイちゃんジョーク』
いや知ってる。知っててどう反応したらいいか分からないから取り合えず謝ったんだ。セイウンスカイの冗談はいまいち、どうボールを投げ返せばいいか分からないところがある。
『もーやだなー。私のトレーナーさんならもっとユーモアたっぷりの言葉で返してくれないと』
「僕はそういうのが苦手ですので……」
『つれないですねー相変わらず』
「そういうことならセイウンスカイさんがユーモアを教えてください。私は生憎そういった能力に乏しいので」
『へ、へえ~。セイちゃんは構わないですよ。いつにします?』
思った以上にセイウンスカイは乗り気のようだ。まあここで断るのも不自然だろう。
「はい。それなら平日は厳しいと思うので、日曜日とかいかがでしょう」
『日曜……』
「勿論プライベートな部分ですので、断ってもらっても構いませんが」
『いえいえ。良いでしょう、このセイちゃんがお堅いトレーナーさんの言葉遣いを解す方法を教授してあげます』
電話口で顔が見られてないのを良い事に俺は目を伏せる。
……日曜日だから流石に断られると思ったんだけど。まあ合コンに行くよりは気は楽か。ただセイウンスカイと話すだけだろうし。
『ともかく、そこまで言えるなら大丈夫そうですね』
「はい。明日からはちゃんと来ますので」
『ちゃんとよろしくお願いしますよ~。スカーレットちゃんも心配してたんですから~セイちゃんはともかくあんな良い子を心配させちゃ駄目ですよ? 外面完璧に見えてトレーナーさんはダメダメですね~』
否定する言葉を持たない俺はこくりと頷いた。
何も反論できない。ダイワスカーレットに心配を掛けたことも、外面に関しても。
中でも外面だけは自分でも中々のものだと思っているのだが……もしかしたらセイウンスカイにはバレてるのかもな。長い付き合いだ。自然と気づいててもおかしくない。
「そうですね……。ダイワスカーレットさんには部屋まで運んでもらった挙句、料理まで作っていただいて……感謝の気持ちしかありません」
『は?』
「え?」
正直な思いを告げると電話口から尋常じゃなく剣吞な声が返ってきて俺は戸惑った。
俺が言葉を返さなかったせいか、不自然な空白が生まれる。数秒してからセイウンスカイの声が返ってきた。
『こほん。トレーナーさん、そのお話を詳しく』
「……ダイワスカーレットさんの朝トレ中に倒れてしまったので、見かねた彼女が世話を焼いてくれたんです。流れで部屋でお粥まで作っていただきました」
『そ、そうなんですか~。へ~』
セイウンスカイの声はどこか白々しい。譫言みたいに相槌が軽かった。
『いやはや、このセイちゃんもおみそれしましたよ。まさかスカーレットちゃんとそういう関係だったなんてトレーナーさんもやりますね~』
「あの、何を勘違いされてるんですか?」
『セイちゃんはスカーレットちゃんに部屋で看病してもらうくらい互いに良好な関係ってことしか考えてませんよ。それとももっと甘い何かでも想像しちゃいましたか? やだなートレーナーさん』
「すみません。僕の早とちりだったようです」
良好な関係と言われたらまず間違いない。ダイワスカーレットは俺のことを信用してくれているし、俺も彼女の可能性は強く確信している。近い将来、トゥインクル・シリーズで飛躍すると。
『どうせトレーナーさん、スカーレットちゃんの勢いに呑まれて部屋まで連れてかれたんですよね?』
「良くお分かりになりましたね」
『まースカーレットちゃんと違ってセイちゃんはトレーナーさんと蜜月なので、全部まるっとお見通しってことですよ。トレーナーさんとの年月が違うんです』
と、セイウンスカイは威張るように言い放つ。さながら俺のことで競ってるみたいな言い草だ。
まあ大体は異存はない。
ただ一つ訂正するならば。
「セイウンスカイさん。蜜月というのは不適ですよ。僕はセイウンスカイさんの唯一無二のパートナーですが、その言葉は本来伴侶に使う言葉です。日本語は正しく使ってください」
『セイちゃんは蜜月だと思ってるんですけどね~、トレーナーさんはほんっとお堅いですね』
「トレーナーがしっかりしないと、信頼してこの学園に預けてくださった皆様の保護者から怒られてしまいますので当然です」
『トレーナーさんも大変ですねー。ちょっとは肩の力抜いたほうがいいんじゃないですか。なんなら今度、放課後一緒にセイちゃんとお昼寝でもどうです? 日当たりが気持ちいいスポット知ってますよ?』
「残念ながら時間が取れないので遠慮させていただきます」
『つれませんね~。そんな付き合いが悪いと女の人に振られますよ?』
その言葉を聞いた刹那、俺の喉に拳くらいのサイズを岩が詰まったみたいに息が止まる。
わかってる。錯覚だ。別に本当に息が苦しくて酸欠になってるわけじゃない。ただ喉を中から四方八方に刺激する違和感が生まれて、気持ち悪いだけだ。
そのトリガーとなった言葉はたった四文字。
振られる。
その単語は、悪夢に魘されそうになった直後の俺からすれば少々刺激が強いものだ。
「………………そう、ですかね」
『トレーナーさん?』
勘ぐるようなセイウンスカイの声。
いつもに増して歯切れの悪い俺に、訝しんでいるのだろう。それでも俺にできることは誤魔化すことだけだ。
「すみません。まだ完全には体調が戻ってないみたいで頭が鈍いんです」
『そうでしたか〜。それは仕方がないですね、はい』
「ええ」
『なら今度の合コンも休まれてはいかがですか?』
今度は体調や夢見に関係なく口が止まる。
セイウンスカイが何故それを知ってるんだろうか。
「……スカーレットさんから聞きましたか?」
『あの子はそんな人の事情をペラペラ喋る性格じゃないですよ〜。ましてやトレーナーさん相手なら一入です。まあ、トレーナーさんも知らない情報網がセイちゃんにはあるってことでここは一つ』
俺の推測をセイウンスカイは間を置かず否定する。
『セイちゃん的にはやっぱり身近にたくさん可愛い女の子がいて、外の女の子と遊ばれるってのはちょっとやかな〜なんて』
「はぁ……そう思われますか」
『そりゃあもう。スカーレットちゃんなんてトレーナーさんから聞いたあとにイライラしたのか筋トレ用のトラックタイヤを引き千切ってましたもん』
「後輩だからって適当な嘘を吹かすのは悪い癖ですよセイウンスカイさん」
『バレましたか』
「そのくらい分かりますよ。セイウンスカイさんとは長いですから」
本人のいない所で後輩イビりをするセイウンスカイに苦言を呈しつつ、少し二人の気持ちも考えてみる。
確かに、自分のトレーナーが婚活をしてたらあまり良い気持ちはしないのかもしれない……完全な理解は出来ないが。恐らくは仲の良い近所のお兄さんが見知らぬ女性と親しくしてる感覚に近いのだろう。その様子を見たらまあ、疎外感というか、一抹の寂寥を覚えるのには頷ける。
だが外の女の子と言うことは、要するにセイウンスカイは知ってる人物が相手ならその感情も薄まるらしい。つまりトレセン学園関係者の女性ということだ。
例えばトレーナー、或いは一般科目の教師や事務員の人。そういった見知っている人物が相手なら素直に応援ができるということなのだろう。
ただ残念ながらその対象となる殆どの人とあまり接点が無い。それはそうだ。俺は職場では常日頃からビジネスライクな関係を意識していて、自分で言うのもおかしな話だが自らプライベートな領域に立ち入ることはしない。よって同性のトレーナーでも仲の良い相手はいない。女性となれば尚更に。
それに、職場内恋愛に失敗すればトレセン学園に居づらくなる。それは俺としても御免被る。
「セイウンスカイさん。恥ずかしい話ですが僕も良い年齢ですので、真剣に探す必要があるんです。好いてるならともかく、他意もなく職場内の他の方々にそう言ったデートのお誘いするのはモラル的にも有り得ない話です」
『じゃあスカーレットちゃんはどうでしょう? 悔しいですけどプロポーションは大人顔負けですよ?』
「外内共に早熟とはいえ、女子中学生に粉を掛けるほどロクでなしの大人になったつもりはありませんよセイウンスカイさん」
『これは失礼しました。トレーナーさんはそういう人でしたね』
セイウンスカイは俺をそこそこには厳格な人間と見ているに違いない。実際、自分の観念と相反する思想に迎合するのは俺にとって易いことではない。融通は間違いなく利かない方だ。
なるほど。
だからこそ、俺の恋愛事情に気になっているのかもしれない。思えば高校時代、クラスメイトの女子たちが寡黙で真面目な教師の恋愛事情を想像しては盛り上がっていたのを思い出す。それと近いのだろうか。
『でもトレーナーさんなら恋人の一人でもいてもおかしくなさそうですよね。そこのところ実際どうなんでしょ〜セイちゃん気になっちゃいました』
「随分と踏み込んできますね。僕の事情なんてつまらないでしょうに、そんなこと聞いてどうするおつもりですか?」
『さあどうしましょう? 何でセイちゃんが興味津々なのか、トレーナーさんは気になりますか?』
勿体ぶるような口ぶりに頭を掻く。本気でセイウンスカイが何を考えてるか分からない。
「気になりますけど、分からないですから聞きません。それにセイウンスカイのことは信用してますから変なことを考えてないのは分かります」
『ありがとうございます。でも私、結構分かりやすいと思ったんですけどね〜トレーナーさん本当は分かってるんじゃないですか? 当ててみてくださいよ、ね、トレーナーさん』
何故かセイウンスカイの声はいつもの飄々とした雰囲気を保ちつつも、どこか糸を張ったような半音低い声音だった。
ただ申し訳ないが本気で分からない。
セイウンスカイの体調や考えている作戦ならある程度予想がつくが、プライベートに立ち入ったことはない。この学園の外にセイウンスカイと出かけた回数だって片手の指で数えれるほどだ。
一応答えを求められている以上、考えるだけは考えてみよう。
セイウンスカイはこの言葉の前に俺の恋人の有無について尋ねてきた。一般論的に、意識している異性に対する言葉だ。だが俺とセイウンスカイの年齢差や立場からして、まあ無いだろうと思う。俺自身もこの学園に来てからはできうる限り異性と認識されないよう粛々とウマ娘たちとは接してきたし、逆に異性として意識しないようにウマ娘たちの身体を観察してきた。
しかしそれ以外の考えが浮かばないのも確かだ。
セイウンスカイは俺の思考を見守るみたいにずっと口を噤んでいる。
……率直に、言ってみるのもいいだろう。
「セイウンスカイさん、僕には貴方が僕のことを意識しているように聞こえました。異性として……いえ。ともかくどうでしょうかセイウンスカイさん」
『……う~~ん。まあ。そうですね~』
何故か悩むように呻く。セイウンスカイからすれば心外な回答だろうし、こんな反応されるほど微妙なラインを突いたつもりなんてなかった。
「的は射ていませんでしたか」
『そ、そ~ですね。セイちゃんはあんまりその、そういう言葉を言われたことはないと言いますか』
「そうでしたか。失礼ながらセイウンスカイさんは愛嬌もあって容姿も優れてらっしゃるので意外です」
『え……ん、コホンッ。もしかしてトレーナーさんったらセイちゃんのことをそんな目で見てたんですか~? まったく堅い顔して仕方ないトレーナーさんですね』
「は、はあ……」
『それじゃそろそろ失礼しますね! トレーナーさん、セイちゃんのことも良いですけどご自分の体調もお大事にしてくださいね』
そう言うとどこか早口でセイウンスカイは電話を切った。
結局のところ、セイウンスカイは何を考えていたのか。まさか図星を突かれて逃げたとかないだろう。いやそれは俺が社会的な立場からそう思っているだけで、その可能性を全くのゼロと捉えることは出来ない。だがそれはトレーナーとして、或いは一人の大人として諭すべき事項だ。可愛いと思うことはあれど、それとこれは全くの別物。
……もう止めておこう。こんな思考に意味は無い。
再び無音となった空間にため息を落とすと、俺はベッドに寝転がった。
ただただ多忙です……