失恋直後のトレーナーに追い込みをかけるウマ娘概念 作:金木桂
トレーナーさんからの電話を切って、スマホを仕舞うとすぐに私の中で後悔が渦巻きました。
私、何をしているんでしょう。本当にセイちゃんはなんで今、差せなかったんでしょうか。
今考えても、あの場面まで言ったらもうその……告白しても大丈夫だったと思います。セイちゃん的にはオーケーで。トレーナーさんからすればビックリするかもしれないですけど、体調不良で頭が回らなそうな今だったら案外上手くいっていたかもしれないですし。なのに私、切っちゃった。何も言わずに、理詰めで詰め寄った挙句に逃げちゃった。あはは……中々辛いですね、臆病な自分の心と向き合うのは。
今日はトレーナーさんが休みなので、トレーニングは休み……なんてことはありません。元から私は自主トレーニングをしていましたし、トレーニングをトレーナーさんに見てもらう方が少ないです。だからトレーナーさんが倒れようが、私の日常には実は密接には関わってこない……んですけども。
「うーん。困りましたね……セイちゃんとあろうものが調子が出ませんねー」
自分で2000mのラップタイムを計って、いつものタイムより3秒以上遅い数字を見て溜息が落ちました。原因は明白。これじゃトレーニングとしても効率が悪すぎますね。全くトレーナーさんには調子を崩されますよー、とか言えればいいんですけど今回はさしものセイちゃんと言えどトレーナーさんに責任転居することは出来ません。
はぁ……。
このまま何時もみたいなトレーニングをしていてもあまり良くないかもですね。じゃあここは私らしく、いっそのこと休憩しますか。
トレーニングに励む他の子たちを尻目に私は芝から出て、背伸びをしながら良さげな木陰を探す。
お、丁度良い感じのがあるじゃないですか。ふふ、さすが昼寝マイスターの私。思わず自分の才能に慄いてしまいました。
ゴロンと転がり空を見る。雲のせいで薄く白み掛かった空は私の髪色とも同じで、嫌いじゃありません。
普段ならこうしていれば直ぐに眠気が到来するはずなのですが、今は色々と頭が巡っているのでしょう。その状態のまま私は空を眺めた。
ゴロゴロ。ゴロゴロゴロと。
頭を左右に転がして、後頭部が芝で擦れる。
……いやはや。どうも本気で調子が出ませんねこれはー。
よっと、なんて軽い声を無意識に漏らしながら体を起こして、今度は座ったまま木に寄りかかります。そう、これは気分転換なのですから。そのままセイちゃんはウマ娘たちのトレーニング風景でも眺めてみましょうか。
今トレーニングしてるアレは……多分中等部の一年生ですね。まだまだフォームは完成されてないし、何より筋肉の付き方が全然です。トレーナーじゃない私にだって理解できるレベル。だからこそ一生懸命にトレーニングをして、そんなウマ娘にトレーナーが横から檄を飛ばしています。正しくこれが専属契約って感じですかねーセイちゃんとは全く異なるスタイルです。
私は自分なりに考えてやる方が好きで、縛られるのが嫌だったから、きっと目の前のトレーナーさんとは合わないでしょう。最初に私とトレーナー契約を交わした人のように。
それなのに、自分とトレーナーさんをあの二人に重ねてしまうのは何故でしょうか。
「良いなー……」
気づけばポツリと零れ落ちていった言葉。私の本音……なんでしょうか?
それとも羨ましいと感じた? 私が?
あの熱血指導をするトレーナーとそれに食らいつくウマ娘の関係に?
……確かに、トレーナーさんのことはその、好きだと思っています。でもそれと、ウマ娘として走ることとは切り離して考えようとしていました。だから私は今までと同じようなスタンスで、自分の気持ちが分かっても変えませんでした。
簡単な話。
それもきっと、限界なんでしょう。
事実、昨日も滅多に顔を出さない普段のトレーニングに行って、挙句の果てにはあの電話では告白をしようとしちゃいましたし。まあ逃げたんですけどね。えへへ……いや笑えないって。
とにかく、もうレースと私情をごちゃ混ぜにするくらいにはトレーナーさんのことを優先してしまうようになっています。うん、これは早急に解決すべき事由ですねー。そうですよねトレーナーさん。自分の担当するウマ娘が精神の不調から掛かって負けたら嫌ですもんね?
こうやってのんびりするのもいいですけど、獲物を前に座ってるのも私らしくありませんねー。うん、ここは立ち上がって行動を起こすのですセイちゃん。
「あれ、えっとセイウンスカイ先輩……?」
「と、そういう貴方はスカーレットちゃんじゃないですかー。いやはや、こんなところで会うのも珍しいですね」
ターフから離れて一先ず自室にでも戻ろうかと道を歩き始めると、丁度スカーレットちゃんが真正面から歩いてきました。
ふむふむ。そういえばスカーレットちゃんはトレーナーさんと今朝会っていたみたいですね。一応探りでも入れてみますか。ナイスアイディア、セイちゃん!
「そうですね。私はこの時間帯、いつもトレーナーに見てもらってますから」
「はあ。ちなみに具体的にはトレーナーさんとは普段どんな会話をされるんですか?」
「はい? 突然どうしたんですか?」
「ほら、トレーナーさんって私とはあんまり会話しないじゃないですかー。今日だって休むっていうのにセイちゃんには一報も無かったんですよ? 全く酷いですよねー」
「それは……否定できないですけど。でもトレーナーも本当に体調悪かったですし、しょうがないんじゃ」
「私が電話した時には割と元気そうだったんですけどね」
スカーレットの声量が小さくなったので、少なくともスカーレットちゃんが会った時はトレーナーの体調は本当に良くなかったみたいですね。でも寝たら治ったと……まあ二日酔いならそんなもんなんですかね。
「え。トレーナーと電話したんですか?」
「まあはい。なんか元気そうでしたよ」
「そう。良かった……って二日酔いなんだからアタシは別にどうでも良いんですけどね? ただ一応アタシのトレーナーだし? これで拗らせて風邪引いたら困るし?」
「ふ~~~~~ん。そうなんですかぁ」
「な、何ですかセイウンスカイ先輩……?」
勝手に自爆をしたスカーレットちゃんに胡乱げな視線を送ります。
正直、スカーレットちゃんもトレーナーさんのことをそういう目で見ている気はしていました。でも確証はあんまりなかったのです。ただ懐いているだけと言う可能性もありましたから。まあその可能性は今もあります。ですが、スカーレットちゃんを見るといつもそれとは別の懸念も浮かびます。
まあ、ぶっちゃけ。セイちゃんと同じようなおっきい感情をトレーナーさんに持ってるんじゃないかなーと、そんな疑懼の念を抱いてしまうんですよね。昨日だって朝のトレーニング前にそれっぽい態度を取ってましたし、最近セイちゃんアンテナもピンピンと警告を放っています。スカーレットちゃんは危ないと。
そんな行間を込めて頷いて見せたらスカーレットちゃんはどうやら怖がってしまったようで、後退ってしまいました。ありゃ。
「別に何でもないですよ? ただスカーレットちゃんってトレーナーさんのことをどう思ってるのかなーなんて。実は心配で心配でこれからトレーナーさんの家にでも行って看病をしようとしてたんじゃないかなーって」
「えっと……」
スカーレットちゃんは言葉を濁しました。何ででしょう。ちょっと聞いてるだけなのに。
疑問形で聞いてはいますけど私の中では既に確信を得てます。その証拠に、スカーレットちゃんの右手には購買で買っただろうビニール袋が握られていて、そこには缶のしじみ汁が薄っすらと透けて見えています。知らないですけど二日酔いに良いんですかね、しじみ汁。
ともかく、ここは攻めるところでしょう。スカーレットちゃんは今朝トレーナーさんを部屋に連れ込んだらしいですし、ここで着いていけばあの堅牢なトレーナーさんの家を知ることができます。従ってプライベートに割って入ることが可能になるんです。逃がす手はないでしょう。
「スカーレットちゃん、別にセイちゃんは怖がらせようとしてるわけじゃないんですよ。でもトレーナーさんの家に行くなら私も行っていいですか?」
「先輩がですか?」
「はい。構いませんか?」
ずいと乗り出して聞きます。
そうすればスカーレットちゃんは少し気圧されたみたいに表情を強張らせながらも、首を縦に振るしかありませんでした。
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「あの……はい。それで二人ともいらっしゃったと。しかしご心配には及びませんよスカーレットさん、セイウンスカイさん」
「まーまー。ここは貴方の愛バに任せてくださいよ。トレーナーさんの体調が悪化して困るのは私たちも同じですから」
スカーレットちゃんに着いて行って、トレセン学園内にあるトレーナーさんの家に押し掛けるとトレーナーさんは困ったように曖昧に笑いました。
トレーナーさんの格好は普段見ないようなラフなスエット姿でした。室内だからかマフラーも巻いていません。ちょっと新鮮でカッコいい。
「そうよトレーナー! アンタはアンタが思ってる以上にアタシたちにとって重要なんだから!」
「とまあそういうことですので、トレーナーさんはごゆるりと自分の家のようにくつろいでいてください」
「いえ、ようにではなく、ここは私の家なんですけども……」
同調でアシストをしたスカーレットちゃんに私が更にトレーナーさんを押し込みます。
少し腑に落ちないといった様子を見せながらもトレーナーは台所でティーカップを三つ取り出しました。一人暮らしなのに来客用にしっかりストックしてるところはトレーナーさんらしいけど、そうはさせません。
「トレーナーさんは休んでいてください。良くなったとはいえまだ本調子じゃないんですから」
「ですが客人に何も出さないなんて流石に……!?」
と、トレーナーさんは意固地にお湯を沸かそうとします。
しかしスカーレットちゃんもセイちゃんと同じ気持ちだったのか、トレーナーさんの脇下に両手を添えると持ち上げます。それから横にずらすとトレーナーさんが立っていた場所に自分が立ちました。むぅ、やりますねこの子。
「ほらほらトレーナー、それはアタシがやるわよ」
「あ……ありがとうございます。ただ本当に大丈夫ですからね?」
「いいからソファー座る! 無理は良くないわよ!」
いつもよりも強情にスカーレットちゃんがそう言い放つとトレーナーさんが遅々とした動きでリビングのソファーに腰を落とす。気持ちは分かります。トレーナーさんがこうして体調不良を理由に休むのは初めてです。それでスカーレットちゃんは頼りにされたくて張り切っていると。……やっぱ怪しいですねこの後輩。今は追及しませんけど。
さて、私はどうしましょうか。紅茶を淹れるのはスカーレットちゃんに任せても良さそうですし、う~ん。ここは適度に牽制を入れておきましょう。
覚悟を決めると私はトレーナーさんの膝の上に乗りました。当然スカーレットちゃんが凄い勢いで振り返ってきたけど気にしないフリをします。
「セイウンスカイさん? 何故膝の上に?」
「おやおや奇遇ですね。トレーナーさんが座ったそこ、セイちゃんも座りたかったんですよー。ですが満席だったので仕方なくこうしてトレーナーさんの上に乗ってみました」
「またそうやって……」
呆れたように呟いたトレーナーさんでしたが、何か言葉を飲み込むみたいに瞬きを一度するとそのまま沈黙を保ちました。……意識してくれてる、と思ってもいいんでしょうかねこれは。問い詰めたくてもこの場にはスカーレットちゃんもいるから具体的に話題に出すことも出来ないと。セイちゃんのさっきの電話も無駄ではなかったということですね。楽観論込みなので恐らくですけど。
「セイウンスカイ先輩!? トレーナーとそういうのはちょっとどうかと、その、思うんですけど!」
遂に我慢できなくなったスカーレットちゃんは溜まらず大声で不満を訴えます。ふむふむ。『アタシも膝の上に乗りたいのに先輩だけ羨まけしからん!』という内心が何処となく伝わってきますねこれは。
ただスカーレットちゃんに関してはリターンエースとなる情報があるんですよねぇ。
「えー? でもスカーレットちゃんだって何やらやっていたそうじゃないですか今朝。例えばお姫様だっこして、みたいな」
「なっ!? そ、それはトレーナーが倒れたからで」
「分かってますけど、まあまあいいじゃないですかー。先輩後輩のよしみでここは譲ってくださいって」
と、ニコニコとしながらも心は真顔のセイちゃんでした。ここまで言えばスカーレットちゃんが追及してくることもないでしょう。
「あの、だからセイウンスカイさん? スカーレットさんを揶揄うのはやめてあげて下さい」
不憫に思ったんでしょう。トレーナーさんは諫めるみたいに私の肩に手を置きます。おやおや。ボディータッチなんて、コンプラにトレーナーさんにしては珍しい。まあ最近は少し変なので不思議じゃありませんね。
トレーナーさんにとってはなんてことはない行為なのかもしれません。私のことは恐らく子供みたいに思っていて、感情が揺れることもきっとない。でも私にとっては仄かに、優越感を与える出来事でした。
「トレーナーもよ! なーにセイウンスカイ先輩とイチャイチャしてんの! 全く……チクるわよ、理事長とかに」
「すみません」
ただスカーレットちゃんも中々に嫉妬深いみたいです。自覚してるかは知りませんが、かなり本気の目で言うもんだからトレーナーさんも普通に謝罪しています。うん。
「いやいや~トレーナーさん。セイちゃんのみならずスカーレットちゃんからもアプローチを掛けられるなんてモテモテですね~妬けちゃいますよ」
「なっ……!? 何を言ってるんですかセイウンスカイ先輩!?」
すかさず口を挟むと、私の椅子となっているトレーナーさんは小さく吐息を漏らしました。それが軽く髪の毛を揺らしてこそばゆい。自分でやっといてなんですが……とっても恥ずかしくなってきました。
「分かりました、分かりましたから。セイウンスカイさんはいい加減降りてください」
「え~」
子供みたいに不満を露にしてみましたが、トレーナーさんはそれを無視してセイちゃんを優しく持ち上げると軽く前に押しました。自然と立ってしまいます。トレーナーさんめ。
仕方ないので隣の椅子に座る。
少しすればスカーレットちゃんがやかんで沸かしたお湯でティーバッグを煎じて、紅茶を淹れると三つテーブルを並べます。
「ありがとうございますスカーレットさん」
「ふ、ふん。これくらい当然よ」
とか言いつつも若干嬉しそうに声を弾ませるスカーレットちゃん。何だか可愛いのでまたちょっかいを掛けたいんですが、それをやれば今度こそトレーナーさんからの心象が落ちてしまうでしょう。我慢は大事です。
「あの~スカーレットちゃん。しじみ汁買ってきたんですよね、トレーナーさんにあげてみては」
「あ、そうでした。トレーナー、これ」
一応私も先輩ですので、これくらいのアシストはしても良いでしょう。大局には影響ないでしょうし。
そう思ってスカーレットちゃんがソファーに置きっぱなしだったビニール袋の存在を指摘してあがると、スカーレットちゃんはやっと思い出して手を伸ばします。そして中身をごそごそと探って取り出しました。
「しじみ汁ですか……?」
「そうよ。これでぱぱっと体調を直してよね。もう」
「あ、ありがとうございます。幾らでしたか?」
「そんなの気にしなくていいから。アンタは体調を万全にするだけを考えてなさい」
「すみません、気を遣わせてしまって……本当にありがとうございます」
トレーナーさんは一瞬、困ったような顔を隠しながらも控えめな笑顔で受け取りました。あらら、どうやら感謝より遠慮が勝ってしまったようですね。スカーレットちゃんはまだトレーナーさんのことを理解していないからしょうがないんでしょうけど、トレーナーさんの自己評価は基本的にあまり高いものではありません。ましてや自分の失敗で私たちに迷惑を掛けてしまったという自覚がある以上、きっと喜び10割で受け取れるものではありません。ふふふ、スカーレットちゃんはまだまだですね。こういう時には普段通りの方がトレーナーさん的にも良いのですよ。セイちゃん調べによればこれは確定情報です。
スカーレットちゃんはトレーナーに缶を渡すと、少し躊躇しながら口を開きました。
「そ、それでなんだけどトレーナー、実は今使ってる靴が少ししっくりこなくて。今度一緒に見に行ってくれないかしら? その、トレーナーのアドバイスが欲しいのよ」
「は、はあ」
────なんですかこの後輩。
セイちゃんは呆れ果てましたよ。まさかセイちゃんを前にしてトレーナーさんをデートに誘うなんて。そもそも靴なんてトレーナーさんにアドバイスをもらうようなことじゃないでしょうに。トレーナーさんは飽くまでウマ娘の育成やマネジメントのプロであって、実際にターフを走る私たちや、或いは商品を売ろうとするセールスマンみたいに備品に通じているわけではありません。靴に関しても恐らく、一般論的な良し悪しくらいしか分からないでしょう。それなのにアドバイスとは。セイちゃんは訝しんだ。
しかしトレーナーさんは断らないでしょうね。凄いもどかしいです。こうしてこの場にいるのに止められないなんて。
「ならどうでしょうか。丁度セイウンスカイさんもいますし、本来セイウンスカイさんと会う予定だった今週の日曜日などは。スカーレットさんのご予定は如何でしょうか」
「もちろ……偶然空いてるわよ!」
「なら良かったです」
は?
……は?は?は?
「セイウンスカイさんも構わないでしょうか? 正直、私などより二冠ウマ娘の意見の方が参考になると思いますし」
「う~~ん、分かりました。セイちゃんも可愛い後輩のために一肌脱いであげることにしましょう」
「勝手に決めてしまったのにありがとうございます」
正直一切合切納得は行ってません。せっかくの二人っきりが……。
それでも安心したような笑みを浮かべたトレーナーさんに私は何も言えなくなりました。チョロすぎませんか私……?
いろんな要因で執筆に時間がかかりました。
それも一カ月も……。