ボク、ピーマンが好きなんだよね   作:灯火011

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ただしパプリカはピーマンではない。


生に齧りつく馬

 しゃりしゃりといい音を奏でるピーマン。最近では週に一度、きっつい訓練の日にはバケツ一杯のピーマンを用意してくれているので、体は少し怠いが気分は非常に上々である。

 

 坂を駆けあがる訓練も最初はひと往復だったものが、今では4回も往復し、併せ馬の頻度も上がり、そして最近では周回コースでの訓練も増えてきて、いよいよレース本番に向けての色々が動き出して来たな、などと、ヒトの言葉が理解できないこの目と耳でも判るようになってきている。

 

 最近ではスタートのゲートの訓練もそこに入り込んできたものだから、やることなす事新鮮で飽きがこないというものだ。しかし、あれはなかなか慣れたものではない。そもそも馬は人間よりも耳が良い。ゲートが開くガシャン、という音は、私にとって今までで聞いたことのないような爆音なのだ。

 最初の1週間は全くその音に順応することが出来なかった。遠くで聞いている分には良いが、いざ中に入ってサラウンドで入ってくるこの音はどうにもなれる気がしなかった。

 

 2週間目でようやくその音にも慣れてきたが、今度はタイミングが全く判らなかった。行くか、と思えば開くタイミングが遅く、まだか、と思えば開いている。手綱から伝わる感触もあるにはあるが、目の前のドアが開きかけている時から信号をだされても、いまいち信用しきれない節があるのだ。ここは人間の感性のせいであろう。

 

 しかし、ここを超えなければ競走馬としての生命は無い。なにせゲート訓練、ゲート試験などという言葉が競走馬にはあるぐらいだ。他の、コースを走ることやタイムや他の馬との駆け引きには絶対の自信はあるが、このゲート訓練でこけてしまっては捕らぬ狸の皮算用、ないし絵に描いた餅であろう。

 

 競走馬ルートから外れて処分落ちなど最低である。生に齧りつく勢いで、私はゲート訓練に励んだ。

 

 問題は判り切っている。ゲートの音とタイミングだけなのだ。別にゲートインは苦手なわけじゃあないし、中で待つことも全く苦ではない。しかし、その私が苦しむ「だけ」が出来るからこそ競走馬は競走馬足りえている。

 そう、騎手は騎手でプロであるが、サラブレッドはすべての動作が高水準であるからこそ、サラブレッドの中で選び抜かれた競走馬、プロたりえるのだ。

 

 しかし、私に馬の本能は薄いと言えよう。期待は持てない。

 

 理性は他の馬より馬一倍あるが、実際はそれがゲート訓練の邪魔をしている。

 

 であれば、より人間らしい解決方法を見出そうじゃないか。私はただの馬よりも考えられるのだ。

 

 しっかりとタイミングを数えろ。他の馬の息を感じろ。乗ってる人間の呼吸を感じろ。あとは周りの人間をよく見ろ、せっかく視野が広いんだ。そう、あの人間が手を上げてから…1,2,そう、ここだ。

 

 そうやっていろいろと試行錯誤をして1か月。ようやっと、私は納得のいくスタートを切ることが出来たのである。

 

 

 スタート訓練がうまくいけばこちらの物である。一か月も停滞してしまったが、私は更に走りに磨きをかけて訓練場を走り回っている。やる気は馬一倍あるわけであるし、スタミナの管理も他の馬に比べれば得意、足が痛けりゃ梃でも動かぬ。そうやって日々過ごしているわけだ。

 途中で放牧にも出され、他の馬と共に牧草を食べていたわけであるが、どうも体がうずいてしまって、結局他の馬がのんびりする中で私だけが牧場を走り回っているような様であった。

 

 もちろん、人間は首を傾げるばかりである。

 

 途中でピーマンを持ってこられたものの、どうも走りたくてしようがないわけで、ピーマンを一個貰うたびに放牧地を一周、一個貰って一周、という遊びを無駄に行っていた。他の馬からは。

 

『あいつまーたやっとるわ』

『あの青いの嫌いやねんワシ』

『あの坊主、はえーなぁ』

 

 などとニュアンスが聞こえてきたので、

 

『君らもコレ食うか?』

 

 とピーマンを勧めたら、全力で拒否されてしまった。まぁ、確かに世界一好きな食べ物はピーマンです、と答えるような人が居たらあいつ頭おかしいと思う。それは人間でも馬でも同じことであったらしい。

 

 なお、それから放牧の時はかならずといっていいほどピーマンが用意されている。有難い事だが、しかし、ピーマンは高い野菜のはずだ。なにせあの青い野菜が4つで200円とかする時期もあるぐらいである。

 馬の私が本気でピーマンを食えば軽く30個から40個は行ってしまう。いや、これは人間の時からなので、馬の私がという言い方は可笑しいか。

 

 まぁ、幸いピーマンをこれだけ入荷しても懐が痛まないところに連れてきてもらったというのは幸運であろう。しっかりと競走馬として結果を残し、ピーマンの恩返しをしようと心に決めた。

 

 ただ、一度だけパプリカを持ってきたことがあったが、あれはピーマンではない。パプリカは青臭さこそあれど、甘いのだ。どちらかというとニンジンに近い。

 

 ピーマンは食えなくてもパプリカは食える。そういう人もいるぐらいだ。

 

 なお、その時は一つだけ食ってバケツごと鼻で突き返してしまった。他の馬にやってくれという意思を込めて。人間には首を傾げられたが、私が好きなのはピーマンである。ピーマンであるうちは緑でも赤でも構わないが、パプリカでは決してない。そこは間違わないで頂きたいモノだ。

 

 

 さて、訓練を続けていたらいよいよ、本番の準備とばかりに私に対して試験が行われた。ゲート試験はもとより、何やらコースを走らされて、更に何やらタイムも測られていたらしい。

 馬のこの頭でも、幸い数字はなんとか理解できた。乗ってる人間からの指示もあってそこそこ流したが、50秒きっかり。果たしてこれが合格かどうかは判らなかったが、首を叩かれて頷かれたので、おそらく合格であったのだろう。

 

 なお、その夜はこれまたバケツ2杯分のピーマンが用意されていた。判ってる。

 

 そしてしっかりと寝て起きた翌日。すっきりとした頭で水を飲み、用意されていた牧草とピーマンを食っていると、いつもの人間ともう一人の人間が私の厩舎を見に来ていた。来客など珍しいと思って顔を出してみれば、何やら撫でられてピーマンを差し出される始末。もちろんピーマンは美味しく頂いたが、果たして誰であったのだろうか。…いや、とぼけるのはやめよう。この試験が終わった時期に、肩を叩かれて、声を掛けられれば嫌でも察するというものだ。おそらく、あの人間…彼が私の騎手ということであろうか。恐らく、間違いではないだろう。

 

 これからの運命共同体。私と共に、金を背負う責任重大な彼。

 

 ま、とはいえ私は人間が中に入っている事は周知ではないものの、かなり有利に働くはずだ。ただ、私は中身が人間とは言っても凡の人である。スタミナの温存や走りの切り替え、コース取りはある程度出来るが、スタートのタイミングや位置取りといった状況把握、最終のスパートの合図は彼に任せることになるのだ。楽をさせるつもりは全くない。私ももちろん驕るつもりは無い。どんなレースでも、勝ちに行く。しかしながら実力の8割以上は出さない。長く現役を続ける譲れない一つの決まりだ。

 

 確かにケガをして復活というセンセーショナルな馬もいた。しかし、記憶には残るがオーナーや牧場はやきもきすることであろう。しっかりと、コツコツと勝つ。長生きをして、しっかりと余生を過ごす。それが最終の目標だ。

 

 手段と目標を忘れずに、しかし勝ちに行く。

 

 彼にもしっかりと、その道に付き合ってもらうこととしよう。ひとまずは今日は足腰のために坂を5往復から走りましょう、明日はプールでしっかりとスタミナと筋肉をつけて参りましょう。食うもの食ってしっかり寝て体力と体も作りましょう。もちろん柔軟も忘れない。何一つ、絶対に驕らない。

 

 なお、彼はその後も何度かこちらに来て、調教も私に行っていた。背中に乗られた感じとしては、悪くないものであった。

 

 

 ここのところ寒くなってきた。冬本番だなぁ、などと思いつつ、日々日々鍛錬を続けていたら、早いもので、本番の日になった。

 数日前からバスに乗せられて、気づけば競馬場に入っていた。幸い私は競馬には暗いので、どこだかは判らないので変な気負いもない。たしか中央というニュアンスは感じ取れていたので、主要都市のどこかであることはなんとなく判る気がする。ま、実際は移動中に見えたものに見覚えが無いので、「まぁここ日本ね、日本のどっかだわー」とあきらめがついたわけであるが。

 

 どこの競馬場なのだろうか?東京なのか?いや、それだとちょっと街並みが寂しいか?うーん…。

 

 まぁ、いいか。とりあえずは今日をしっかりと走って、結果を出せばいいのだ。ケガをしない、しかし一着で、そして長生きする。この目標を達成するために、まずは今日を完ぺきにこなして、他の馬との実力差をしっかりと体感してこなくちゃならない。

 

 本番のパドックはなかなか気合が入るもので、なんとなく私に向けられている視線を感じることも出来た。ちなみに私の番号は「2」。電光掲示板をちらりと見てみれば、「2」は「2.6」となっていた。なるほど、結構私は人気馬であるらしい。結構プレッシャーかもしれない。そして…えーと、距離は…1800って書いてあるアレか。ほー…1800か。結構長いかもしれない。とはいっても、今まで走っていたコースの長さが判らないので、結局は出たとこ勝負と言ったところであろうか。

 

 そして、私に乗るのはやはりあの彼である。止まれ、の合図で足を止めてみれば、あの彼が私の背中に乗る。首を叩かれて、よろしくなと言われたような気がしたので、こちらこそと鼻息を荒げる。

 そして再び手綱を引かれて、今度は地下の道へと歩みを進めたわけだが、やはり他の馬も今回が初めてのレースなのであろうか、全く落ち着きがない。

 

『あー暗いのやだなー』

『おっほほほほ、やっぱり乗られるの慣れねー』

『引っ張んじゃねーよ』

 

 だのいろいろニュアンスを感じ取れる。が、残念ながら私は中身は人間である。落ち着いて落ち着いて歩みを進めていると、手綱を少しだけ引っ張られた。ふと気づけば、前の馬との差が結構開いていて、後ろが詰まっていた。やはり緊張はするものだなと、鼻息を一つ出して足を少し大きめに前に出した。手綱が緩んだので、このぐらいでいいという事であろう。

 

 そして地下の道を抜ければ、そこに広がったのはどこまでも続くような芝。冬だからか、色が茶色なのは仕方がない。そして天気は少々悪いが、これはちょっと感動ものだ。練習場よりも広く、そして手入れの行き届いたそれは、脚を踏み入れるのを躊躇するほどである。

 

 思わず私はそこで立ち止まってしまった。そして鼻で大きく一度だけ息を吸う。

 

 息を吐くと同時に、ゆっくりと足を前に進めた。他の馬は少し駆け足で私の横を抜けていくが、私はそんなことはしない。足元をしっかりと確かめつつ、足首の柔軟を確保するために足にしっかりと荷重をかけてストレッチ、そして伸ばしつつ少しジャンプするようなイメージで全身の筋肉をほぐしていく。イメージとしてはラジオ体操のジャンプである。少々背中に乗っている人には悪いが、我慢してほしい。ケガを防止するための個人的な動的ストレッチ、ルーティンワークなので、これはやりたいのだ。ま、手綱を引かれたりしていないので、特に問題はないのであろう。

 

 が、1分ぐらいたった時であろうか、少し手綱を扱かれた。確かこれは「行け」というサインであったはずである。

 …あー、あれか、ウォーミングアップ的な奴をしろってか。確かに動的なストレッチはしたが、体を温めてはいない。じゃあ、軽く流す感じやねと、口の中の棒を噛み、手綱に私から信号を送りつつ少し流すように駆けだすと、手綱が緩んだ。これでいいらしい。軽くコースを一周してくれば、観客席からは結構大きな声援が飛んできた。少し慣れない大きい音であるが、何か自然と心地よく感じていた。

 

 なにせ、馬の私の第一歩である。応援してくれるのであれば、何事にも替えがたいものだ。

 

 お礼はしたいが、する方法もない。であれば、しっかりと一着をとろうじゃあないか。そう思いつつ、私は少しだけ走る速度を上げた。

 

 

 ファンファーレ。レースの始まりを告げる音が流れ、いよいよゲートインである。先に1,3,5,7といった奇数の番号の馬が入り、その後に私が入る。ゲートの中から周りを見てみれば、やはりどうも落ち着きがない。

 

『狭い』

『寂しい』

『まだかー!』

 

 などと色々ニュアンスを感じる。新馬という事もあるし、何より馬そのものがゲートと言う狭い場所が苦手なのであろうか。私としてはエレベーターの中ぐらいな気持ちである。苦でもないが楽しくもない感じである。足踏みをしている馬もいるし、なんとか首筋を撫でられたりして落ち着いている馬もいる。なかなか実にカオスという奴だ。

 

 が、それもつかの間。最後の馬が収まり、人間がはけた。いよいよスタートの瞬間である。

 

 ただ、私は焦らない。少し遅れてもいいと思っている。何せ最初で気が焦ってしまっているのだ。それに、他の馬はイライラしている。わざわざ荒れるスタートに合わせなくても良いだろうと言う考えだが、実際そこは私の上の人間が決めるので任せようと思うわけだ。

 

 旗が振られ、そしてゲートが開く。手綱が扱かれ、自然と足が前に出た。

 

 うーん、実に巧い。凡の私でもこうも上手い事スタートさせられるのだから、正直なかなかの腕の持ち主だと私は思うわけだ。ま、それはそれとして私の位置は後方といっていい場所である。

 併せ馬の訓練の甲斐あって、馬のケツを見ながら走ることも別に苦ではなくなっていた。気持ちとしては制限速度60キロの道路を30キロで走っている車の後ろを延々と走っている感じである。少し苦ではあるが、まぁ、心に余裕を持てばそうでもないといった具合である。

 順番で言えば後ろから3番手ぐらいであろうか。ただ、スタートの際に3番の馬がこちらに少しよろけてきたのもあって、すっと後ろに下がった形である。とはいえ、手綱も引かれていたので、作戦のうちといったところであろうか。

 

 最初のカーブに差し掛かるも、位置はさほど変わらず、ただ、集団を避けているので一番距離の短い内側を攻めて走る。というかここ、左に回っているのね。

 コーナー2つ目も同じ位置で抜けて、逆側のストレートへ。バックストレート…あれ?確かストレッチというのであったっけ?まぁいい、直線を走りつつ、様子を伺うわけだが。

 

『長いなー!』

『まだ全力で走れないのー!?』

『みんな邪魔ー!』

 

 だのニュアンスを感じる。結構好き勝手な感じである。ともあれば、隙というものを見つけやすいわけで、ふと、前を見れば少しだけ馬群に隙間が出来ていた。

 

 これはチャンスとばかりに少しだけ加速し、その隙間に体をねじ込む。手綱は絞られつつも、少し緩んでいる感じであるから、じわりじわりと行けという事であろう。そうやって位置取りをしていると、3つ目のコーナーに差し掛かっていた。順番はいつの間にか前から6番目あたり。1着を狙える位置といってもいいであろう。

 

 よく見ればさらに馬群に隙間が見える。その間に頭をねじ込み、3着の馬達に横並ぶ。

 

 4つ目のカーブに差し掛かった時、ついに手綱が緩められた。と、同時に4つ足に少し力を込めて、フォームを変えないままで加速を開始。先頭を走っていた馬のケツを横目に、体を並べる。

 

 そして、ホームストレッチに入った頃には、見える馬群は視野の後ろである。実に巧い手綱捌きである。走っていて気持ちが良い!そのタイミングで更に手綱が捌かれる。

 

―行け―

 

 気持ちも伝わってくる一発の捌き。答えるように私はギアを上げて、フォームを変える。今までは足を上げないようにしていたものを、肩の上ぐらいまで蹄を蹴り上げ、その反動のまま地面を蹴る。しかし体は水面を撫でるようにしなやかに。大きいストライドで気持ちよく加速して、そして駆け抜けたときには、私の前にも、背後にも馬は居なかったのである。

 

 

『抜けて3馬身のリード!2番手…』

「はー…やっぱりあいつ強いっすね」

「言っただろう、化け物だって。しかも鞍上との折り合いも完璧ときてる」

「無敗のクラシック三冠でも取りますかね?」

「不可能じゃないだろうな。あとはお前の調教次第だよ」

「うへ、プレッシャーですわ。とりあえずピーマン用意しときますかね…」

「ああ、それがいい。あいつにゃ一番の褒美だろう」

 

 

「あ、ルドルフさん。新バ戦、見てくれました?」

「ああ、見たぞ。見事な追い込み、一騎当千の強さだった」

「へへ、ありがとうございます」

「だが、これから迎えるクラシック戦線は厳しい。驕らずにな」

「もちろんですよ。皐月に優駿に菊花。目指すのはルドルフさんの記録ですから!」

「期待しているよ。さて、では、まずはメイクデビューの勝利のお祝いと行こう」

「え、良いんですか?」

「もちろんだとも、私の奢りで、好きなものを食べに行こう」

「じゃあピーマンが良いです!」

「はは…君は全くブレないな」


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