ピーマンの肉詰めの上に
溶ける系のチーズを思いっきりぶちまけて
魚焼きグリルとかオーブンで焼くと
美味しいですよね。
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もっしゃもっしゃとピーマンを食らう。朝にピーマンがある生活がこれほど張りのあるものだとは思わなかった。
ピーマン、野菜、牧草、三角食いは実に食が進む。いやはや、やはり本物のピーマンは最高である。
ちなみに同志にもピーマンが渡されているが。
『…あんまり違いがわからないけど両方おいしい』
などというニュアンスが伝わってきた。その味覚が非常に羨ましいと思う。
さて、食に張りが出て来たところで、今日も今日とて直線コースである。同志と併せ馬がてら、脚に力を入れて、地面に蹄を食いこませて、スパートを意識しながらすっとばしているわけであるが、ここ一週間ほどで少しずつであるが、体の調子が戻っていることを実感している。
というか、そもそも体調が悪かったことに、私自身が気づいていなかった。
なまじ私という存在が中にいるからであろうか。『少しだるいなぁ』とは思っていたが、それがどう影響するか、なんて考えていなかったのである。
結局その『少しだるい』状態で走った結果、併せ馬では同志には置いていかれるし、レースでは4着という結果だったのだろうと思う。
それが証拠に、現在はだるさも取れたわけだが、そのおかげか併せ馬で同志にしっかりと付いていけている。というか、私も同志を抜いて、同志も私を抜くというまさに抜きつ抜かれつの状態だ。こちらに来てからすぐの時のように、置いていかれるという事は無くなったのである。
ということで、目下目標は『普通』であるこの体の調子を、絶好調にしなくてはなるまいと決意したわけだ。
ひとまず運動はいつも通りである。加えて、瞑想とストレッチの時間を少し長く取るようにして、体の調子を整える方向で厩舎での過ごし方を変えることとした。効果はまだ出ていないが、同志の事がそんなに気にならなくなったあたり、良い傾向である。そうだ。今までの通り、自分の事に集中していけばいいのである。
思えば、今までは同志に気を遣いすぎたのだ。逆に言えば、それほど自分の事に集中できていなかったのだ。
さぁて、同志よ。今日までは私は、間違いなく君の同伴者程度の存在であった。だが、明日からは、しっかりとライバルとして隣を走ろう。
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あくる日。芝コースのコーンを避けながら走っていると、どうやら外国の取材陣らしき人々が、こちらに近寄ってきていた。私の上の彼もそれに気づいたようで、手綱を引かれ、脚を止める。
すると、どうやらなかなかのお偉いさんも来ているようで、スーツを着ている体格の良い人々、おそらくはボディガードであろうか?が、周りを固めていた。
取材陣は少し遠目からそれを見ている様な感じである。はて、なんとも不思議な空間である。と、一人、私の目の前に外国人のお兄さんが出て来たので、顔をそちらに近づけてやる。
一瞬、外国人のお兄さんは驚いたようであるが、私の頭を撫でると、なぜかピーマンを差し出して来た。
なぜに?
そう思いながら、私はピーマンをしっかりと頂いた。まぁ、もらえる物なら貰っておこう、の精神である。外国人のお兄さんはものすごい驚いたリアクションをとっていたが、私の上に乗っている彼の言葉で、何かに納得したように頷いていた。一体、何を話したのであろうか。少々気になるところである。
ただ、そのお兄さんはそれで私の下から去ってしまった。なんというか、嵐のようであったなぁとその背を見送ったわけであるが、取材陣はそういうわけでもなく、私の写真や、彼や私を世話している人間などにインタビューをしてみたりと取材を行っているようであった。もちろん、人気取りのサービスは忘れてはいけない。カメラ目線は外さないのである。
できればこの国でも人気者にはなりたいと思うのだ。馬として長生きすると考えるのであれば、日本だけで、という選択肢は勿体ないであろう。
将来、海外でも人気があるお馬さん、などというものになってみたいという、小さな欲である。できれば海外でお披露目会などもやっていただきたい。
まぁ、普通のお馬さんであれば、海外などは移動がしんどいであろうが、私は中身は人間である。移動自体は苦ではない。それにレースを引退した後なら、海外旅行みたいなもんだし、今回は少々失敗してしまったが、現地の食い物も食えるのだ。ま、野菜限定とはなるが、それでも日本に居るよりは大いに余生を楽しめるであろう。
さてさて、妄想はここら辺までにして、そろそろ練習を再開しないかいと、手綱を噛んで彼に伝える。
すると、見事に彼は一言取材陣に伝えると、手綱を扱いてくれた。
―行くぞ―
という事である。もちろんですともと鼻息を荒くして、コースの砂を蹴る。
遠くで取材陣たちの歓声が聞こえるような気もするが、無視である。
そうなのである。鍛錬こそレースの勝利の鍵。さあ、いざゆかん!
あ、ただ、プール訓練があんまりないのが気になるところではある。流石に走っている時に息は止められないので、プール鍛錬が出来ていない分、心肺機能が少し衰えているような気もするのだ。
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もしゃもしゃ。そうピーマンを食っている時に事件は起こった。
『Prix de l'Arc de Triomphe 1992』
と、銘打たれたポスターを、人間達がわざわざ私の厩舎の前に張り出したのである。
ご存じ、『凱旋門賞』のポスターである。なるほど、なるほど。
というか、我ながら思うのだが、なぜアルファベットと数字は読めるのに、漢字やひらがな、カタカナは判らないのであろうか。不思議である。
まぁ、それは考えても判らないので、それはさておきだ。
1992年、凱旋門賞のポスターである。確か、1990年代、日本競馬からはエルコンドルパサーが99年に凱旋門賞に出ているだけのはずなのだ。
うーむ、まぁ、新しいポスターだとすれば、今年は1992年ということであろう。ええと…92年、92年というと…。
ああ、ライスシャワーとミホノブルボンあたりが活躍した年、であるはずだ。のだが、それ以上の知識があるかと言えば、とくには無い。
ただ、ライスシャワーが凱旋門に出たとは聞かないし、ミホノブルボンは三冠に挑戦して菊花賞でライスシャワーに負け、そのまま怪我で引退したはずである。
…いやはや、怪我とはまた怖いものだ。あれだけ強かったお馬さんでも、怪我で引退だもんなぁ。実に怪我だけはしたくないと願うわけだ。
まぁ、話が逸れたが、今現在が92年だとして、海外遠征したお馬さんというのは聞いたことがない。しかも、ロンシャンを走った2頭の日本のお馬さんである。
おそらく、私が人間として生きた時に、そんなお馬さんが2頭も居れば、そうとう話題になっていて、私の記憶にも残っていると思うのだが…。やはり、私が入ったことで、何かしらのお馬さんの運命を変えてしまったのであろうか。
うーん、とはいえ、そもそも私の名前が判らないのでどうにもなるまい。無敗の三冠で、ダートも走れて、海外遠征もした馬。更に1992年という条件まで入ってしまっては、特定などどだい無理である。
ま、なにはともあれ、次のレースをしっかりと走るように鍛錬を続けるのみ、なのだが。
いやまてよ、何か前にもこんなことがあったような。確かあれは天皇賞春の前である。レース前に、同じようにポスターを見せられたのだ。
と、なれば。もしかして、次の私のレースは…まさかまさかの。
うむ…まぁ、間違いないのであろう。だって、わざわざ無名なレースのために、三冠馬と天皇賞馬を海外に出すか?という話である。そんな話は聞いたことがない。それならば国内で走らせた方が間違いは無いはずである。賞金も高いし、わざわざ金をかけて、手間暇かかる海外に馬を、スタッフごと連れて行くなど、まずやらないと思うのだ。
ただ、そんな国内でのレースをすべて蹴って、国外に飛んで、しかもしっかりと鍛錬を積ませているとなれば…それなりの大レースに出るという事までは察することが出来る。
そして、目の前には Prix de l'Arc de Triomphe のポスター。
…うむ。これは、凱旋門賞のつもりで鍛錬を行った方がいいのかもしれない。明日からは一層、気合をいれて頑張ろうと決意した。
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「ついに明日ですね。そちらの調子は、どうですか?」
「うん、僕の体調は万全、とはいかないね。やはり年かな」
「何をおっしゃるんですか。まだまだお若いですよ」
「ありがとう。で、テイオーの様子は?」
「万全も万全ですね。張りも今までで最高だと自負できますよ」
「そうか。それは良かった。しかし、ピーマンでここまで変わるとはねぇ」
「まぁ、こいつはものすごく頭がいいですからね。まるで人間のように考え、気持ちの上下も人間のようです」
「人間のよう、か」
「はい。ああ、あと、このポスター、わかります?」
「ん?ああ、凱旋門のポスターがどうかしたのかい?」
「以前、こいつ、天皇賞春のポスターを見たときに、明らかに反応してたんですよ」
「うん?」
「で、見える場所にこの、『凱旋門賞』のポスターを張ったところ、明らかに目の色が変わりましてね」
「…もしかして、ポスターを理解している、と?」
「可能性の話ですが。ですが、だからこそ、1か月弱でここまでの馬体に持ってこれました。ピーマンだけではないんですよ。こいつは」
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あくる日。私はまた車に揺られて、レース場へと足を運んでいた。
無粋なことは言うまい。今回は間違いようもない。レース場には、既に『Prix de l'Arc de Triomphe』と、銘打たれた看板が鎮座している。
手短に検査を受けて、そのまま厩舎で休む。
と、見た顔が隣の厩舎に入っていた。
『お久しぶり』
そうニュアンスを伝えてきたのは、以前、バナナをくれたお馬さんである。
『どうも』
そうニュアンスを伝えつつ、何かの縁だと、ピーマンを一つ、差し出した。
『…まずいやつ?』
『いや、おいしいやつ』
そうニュアンスをやり取りして、ピーマンをバナナのお馬さんへと受け渡す。
やはり、『ペッ』とはせずに、しゃりしゃりとピーマンを食ってくれる。
『…苦い?旨い…?たしかに前のと違う』
もう一個、馬の前に差し出した。
『苦い、旨い。不思議。気に入った。これあげる』
そうニュアンスを伝えてきて、渡されたのは、またしてもバナナであった。うむ。甘い食べ物というのも、実に美味しいものである。
さて、お隣のお馬さんは厩舎に引っ込んでしまった。私も厩舎に引っ込み、ピーマンはそこそこに、瞑想をしっかりと行う。
今回ばかりは私も気合を入れよう。そして、本気…いや、全力で走れるように精神を統一しよう。
ああ、しかし、凱旋門賞を走るのか。柄にもなく緊張してしまう。冗談で『全力を出すなら凱旋門かなー』なんて言うもんじゃなかった。
ピーマンは食えなくなるし、前回のレース、おそらくはフォワ賞であろう、も負けてしまうし。散々だ。
ああ、だが、明日には凱旋門が来るのである。よっぽどでなければ、全力を、出そう。
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『やぁ、テイオー。電話で失礼するよ。明日、ついに、だな』
「はい!いよいよ、です」
『流石にテイオーでも緊張しているようだな』
「あはは…そりゃあ、もちろんです。あ、ピーマン、美味しく頂けています」
『そうか。我々が日本に帰った後でも、メジロ家がしっかりと届けていてくれているようだね』
「はい!それからというもの絶好調で!マックイーンには感謝です!ルドルフさんの教えてくれたメニューもすごくおいしいですよ!」
『それは私としても嬉しいよ。それと、今回応援に行けずに、申し訳ない』
「いえ!全然!ルドルフさんもWDTで忙しいでしょうし。それに―」
テイオーは、自らの胸に輝く「勲章」を握る。
それは、以前、ルドルフのものを模して作られたものである。
ルドルフの許可を得て、自らの勝負服につけているそれを、強く。
「――心は、預からせて頂いています」
『…ああ、ああ。そうだ、そうだったな。期待して………いや、勝利を、頼む』
「もちろんです。気持ちを全部、ラスト1ハロンにぶつけてきます!」
―次回
1992.10.4
第71回凱旋門賞。
2400メートル先の勝者は、誰だ