ボク、ピーマンが好きなんだよね   作:灯火011

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 ――音が消えた。


 ここはなんて静かで、素晴らしい景色なんだ。

 この景色は。今、この景色だけは。絶対に誰にも譲らない。


1992.10.4 ロンシャン 2400(重)

 その日、日本のウマ娘達は、画面を食い入るようにのぞき込んでいた。

 

 それは、皇帝シンボリルドルフ、女帝エアグルーヴなどのウマ娘達も、何も変わらない。

 

 その目の先に映るもの、それは、日本の夢を抱えて海外へと旅立った2人のウマ娘。

 

 一人は、リオナタール。獅子の名を冠する、帝王を超えしウマ娘。帝王超えの天皇賞の盾の誇りを心に秘め、凱旋門に挑むウマ娘である。前走のフォワ賞は、帝王を抑えてのトップ通過。期待が寄せられているウマ娘だ。

 

 もう一人。その名はトウカイテイオー。無敗の三冠を成し遂げた、皇帝を継ぐ帝王。その純白の勝負服に光るのは、シンボリルドルフの勝負服についている勲章そのものだ。日本の誇りを背負い、凱旋門に挑むウマ娘だ。

 

 リオナタールは自信満々に、トウカイテイオーは静かにお披露目を行っている。もう、互いに視線を交わすことは無い。

 

『私が一番だ』

 

 それが、心にあるただ一つの決意。この2人だけではない。この場に居る、すべてウマ娘の願い。

 

 だがそんな中で一人、テイオーに話しかけるウマ娘がいた。

 

「やぁ、テイオー。調子、出たようだね」

「…やぁ、スボティカ。ふふ、この前、ピーマンパーティーに来てくれてありがとね」

「いきなり苦い青い奴を食べさせられるとは思わなかったけど」

「あはは。でも、最後には『あ、おいしいー』とか言ってたじゃん」

「うん。あれ、不思議な食べ物だね。パプリカと違う。でも、美味しい。なんだろうね。君達2人みたいだ」

「私達2人?」

「君と、獅子。私達欧州のウマ娘とは、似て非なるもの。同じウマ娘なのに、その瞳の―」

 

 スボティカはテイオーの目を、しっかりと見つめた。

 

「その瞳の奥に燃える、青い、青い。どこまでも青い、その熱く、どこまでも熱い、炎を持つ極東のウマ娘。…ねぇ、知っているかしら?ピーマンの花言葉は、『海の恵み』なんですって」

「へぇ。そうなんだ」

「――あなたには、私、負けないから」

 

 スボティカはそう言って、踵を返した。

 

 その背を見ながら、テイオーは左手を腰に当て、左足に体重をかけて、右手をだらりと下す。そしてテイオーは静かに、その背に言葉を投げた。

 

「――それはこっちのセリフだよ。

 

 ボクは、絶対無敵のトウカイテイオー様だよ?

 

 ここ一番で、このボクが負ける訳ないじゃん」

 

 

 

『19番、レオダーバン。非常に調子がよさそうです。この凱旋門賞の前哨戦であるフォワ賞では見事な勝利を収めてくれました』

『ええ。期待の本命ですね。しかし気になる事は、本日の芝が重であることです。レオダーバンの今までの勝利は良馬場が多いですから、しっかりと実力を出せるかが心配です』

『確かに。本日は朝から続く雨で足元が非常に悪くなっております。これがどう影響するのでしょうか。良い走りを期待しましょう』

 

『20番は我らが三冠馬トウカイテイオー。本日もテイオーステップを見せてくれています。前走のフォワ賞は残念でしたが、どうやら調子はかなり良さそうです』

『調教師や鞍上も、フォワ賞の時よりずっと仕上がっていると太鼓判を押しています。それに加えて、トウカイテイオーはダートも走れるパワーを持っていますから、この重い馬場は有利に働くことでしょう』

『フェブラリーハンデキャップでのダートでの脚、札幌記念の洋芝での脚は見事なものでした。ぜひ、この凱旋門賞では好走を期待したいものです』

 

『しかし、日本馬は見事に人気が少ないですね。全20頭中、レオダーバンですら9番人気です。トウカイテイオーに至っては15番人気となっております』

『今まで日本の調教馬は出場数も少ないですし、入着馬も出ていません。当然の事かと思います。しかし、なんとかこの2頭には風穴を開けてほしいと、そう、願っています』

『ええ、本当にそう思います。―さて、第71回凱旋門賞。レース開始まであとわずかと迫ってまいりました。日本の夢を背負った2頭は、見事その夢を叶えてくれるのか。否が応でも期待が膨らみます』

 

 

 さて、馬具をしっかりとつけられてパドックに連れていかれた私である。今回の私の番号は『20』。前回のフォア賞と違って、ロンシャン競馬場のパドックには大きめのスクリーンが用意され、私を含めた馬達の映像が流れていた。

 

 流石に大きいレースであるなと実感している。さて、私たちの映像以外に、どんなことが書いてあるのだろうかとよく見てみれば、オッズこそは書いていなかったものの、番号と名前らしきものが見て取れた。

 

 さてさて、ということで、パドックを周りながらいつものようにチェックである。レース名は…『Prix de l'Arc de Triomphe』ああ、やはり、間違いない。凱旋門賞である。

 

 なんというか、実に感慨深い。テレビの向こう側で見ていた憧れのレースに、まさか見る側ではなくて、走る側で出ることとなるとは思いもしなかった。ふむ、まぁ、こうなれば全力で走るしかあるまいよ。

 

 とはいってもレース前のルーティーンは変わらない。脚をしっかりと伸ばして動的なストレッチを行いながら、周囲を確認する。同志は少し首を振っているな。落ち着きがない。

 

 『3』のゼッケンを付けたお馬さんは、私とバナナとピーマンを交換したあのお馬さんだ。ふむ。はたから見ると落ち着いていて非常によく見える。

 

 『16』のお馬さんは初めて見るが、ただ、なかなかに目を引くのは足元の筋肉である。すごいレースをしそうである。

 

 『5』のお馬さんもまた初めて見るが、その目はぎらぎらしていて、大人しい馬達が多いこのパドックでは、ひときわ目立つ存在だ。

 

 さてさて、あとは私の番号である『20』なのであるが…と。なるほど、今回は20頭で走るレースであるらしい。うーむ、また大外か。なんであろうか。私は実に、大外に縁がある。

 

 まぁ、ともかくは、と私の番号を確認した瞬間に、思わず脚を止めて、固まってしまった。今回のレースは凱旋門賞である。つまり、大レースも大レース。そこには、『アルファベット』で書かれた私の名前もあったのだ。

 

―――20 Tokai Teio――――

 

 なるほど。長らく謎であった私の正体を知ることが出来た。ああ、そうか。

 

 トウカイテイオーか。同志は…19 Leo Durban…レオダーバン…。ああ、そうか。なるほど。

 

 私の記憶が正しければ、私も、同志も、史実であれば怪我をしているこの時期に、怪我をせずにこの大舞台である凱旋門賞で走れているのだな。

 

 トウカイテイオーか…奇跡の名馬か。はは、なんというか、私がそれと言われても、なかなか自信がないな。というか、図らずも、私はなんとか綱渡りを成功させていたらしい。

 

 トウカイテイオーは確かに名馬である。

 

 だがその弱点もはっきりしている。それは怪我の多さである。全力で走ったが故に、怪我をすることが多い名馬であるのだ。幸いにして、私が入ったことによって、8割で走り、つまり怪我を抑えられたということなのであろう。

 

 というか、それはそれとして、私の様に人が入っていない同志はなぜ怪我をしていないのであろうか。これは少々謎である。まぁ、様々な可能性があるのであろうが、ともかくとしてここは怪我をしていないトウカイテイオーが凱旋門賞を走っている世界であるという事である。

 

 となるとである。…凱旋門賞とはいえ、全力で走っていいのであろうか。トウカイテイオーの脚では、怪我をしてしまうのではないか?

 

 判らない。しかし、全力で走れば怪我のリスクが大きい。しかしここは凱旋門である。全力を出すにはここしかあるまい。

 

 ―――堂々巡りである。

 

 そうやって怪我と凱旋門の天秤をかけるうちに、ついに止まれの合図が出てしまった。

 

 彼が来る。

 

 ああ、私がトウカイテイオーなら。彼は、君は。あの人なのであろう。

 

 首を3回叩いて…その3回にどんな意味があるのか。この体の主の親を、ルドルフを、私に重ねているのだろうか。

 

 私の背に乗って、首を2回叩く。いつものルーチンワーク。

 

―行こうか―

 

―おうよ―

 

 鼻息を荒げて、私は歩み出す。しかし、未だ、私の気持ちは堂々巡りのままである。 

 

 

『さぁ、各馬続々とゲートイン。9番には一番人気、16番のゼッケンをつけたユーザーフレンドリー、14番には四番人気、3番のゼッケンをつけたスボティカが入ります。実力も人気もある馬達です。19番には先日フォワ賞を勝利したレオダーバン。おなじみ大外には我らが三冠馬、トウカイテイオーが入ります。日本馬は大外からのスタートであります。

 最後の一頭が今ゲートイン完了。職員が退避しまして…今、第71回凱旋門賞、スタートしました。少々ばらけたスタートです。ユーザーフレンドリーがぐーんと伸びまして先頭、レオダーバン、トウカイテイオーはすっと下げて後方からの競馬です。さぁ、2400メートル先のゴールで夢を掴むのは天皇賞でテイオーを超えたレオダーバンか、それとも、親の夢を背負い、そして負け続けても夢を魅せ、走り続けているトウカイテイオーか!それとも、一番人気のユーザーフレンドリーが見事勝利をおさめるのか!長い直線を各馬まとまって進みます!第71回凱旋門賞はまだまだ始まったばかりだ!』

 

 

 スタートは間違いなく息が合って飛び出すことが出来た。ここから2400メートルの旅路である。

 足元は非常に悪いが、砂も走れる私にとっては楽なものである。『16番』が勢いよく先頭に立ち、我々を引っ張って行ってくれている。今はこれでいい。

 

 位置取りは後方から2番目といった具合である。同志レオダーバンは私の2個前でレースを進め、あの『3番』のバナナのお馬さんも中段での待機と言った具合である。

 

 しかし、このスタート直後のコースであるが、非常に横幅が広くて走りやすく、ポジショニングもやりやすい。たしか前のレースの時には柵があったはずなのだが、凱旋門賞の場合は外されるようだ。

 

 私は彼の手綱にしたがい、後ろに控える。馬の集団は団子のまま直線を抜けてコーナーへ。馬の尻を見ながら走るレースと言うのもなかなか久しぶりだ。これだけのお馬さんと走るのは天皇賞春以来である。

 さて、このコースはかなり特徴的である。特に日本と違うのは、このコースは周回コースではないということ。これに気を付けなければならない。3コーナー周って加速、なんて日本の競馬の様な悠長なことは出来ないのである。

 

 イメージは馬の蹄鉄だ。長い直線から始まり、長いカーブを一つクリアし、長い直線をもう一度走り、そしてゴールを迎える。

 

 ということで、この長い長いコーナーを抜けたら、あとは直線を残すのみなのだ。ただ、焦ってはいけない。直線も1キロ近くはあるのだ。コーナーを抜けてよーいドン、という単純なコースでは決してないのだ。

 

 勝利のためには、彼の手綱を信じて、それにしっかり追従せねばなるまい。

 

 スタート直後から視界の右側をふさいでいた木々が消え、一気に視界が開けた。ゴールがある対面のコースが見える。ふむ。まだまだ長いように感じる。だが、2分も経てばあそこに自慢の脚を叩き込んでいるのだ。

 

 長いカーブを、彼の手綱に従いながら外を走りつつ、思う。残念ながら私は最近なかなか勝ち切れてはいない。天皇賞は2着の負け。前年の有馬も最終直線でやられている。無敗の三冠馬の名前が泣くのではないかなどと最近は思い始めている。

 

 しかし、それでもと私の中で囁くのは『お前はもう十分有名になったのだから、無理して勝たずとも生き残れるぞ』という私の理性。

 

 そうだ。そもそも最初、私が大きいレースを全力で走ったのは、『寿命で死ぬ』ことを目標にしていたからなのだ。現実的な話、活躍して、知名度をあげなければ、馬なんて生き物は生き残れる道理はないのである。ただ、私は幸いに、幸運にして、三冠を獲ることが出来た。それが達成されたであろう今。有馬記念も、天皇賞も、『全力で走る意味』は、何一つ無かったと言えよう。

 2着、3着でも賞金はオーナーに入るわけであるし、従順なお馬さんで馬券に絡むという人気のある馬だと、我ながら判っている。自覚はしているのだ。それに、取材陣が来るほど、この凱旋門に出れるほど、つまりここまで有名になったのであれば、『私は怪我をしないように走ればいい』。余生は安泰であろう。

 

 非常に合理的だ。そうだ。合理的なのだ。しかも今日のレース場は足元が非常に悪い。雨で湿っている。脚の蹄に草が絡みつく。誰がどう見ても、『重い馬場』であろう。

 

 本気の全力で走って、どうなるというのだ。凱旋門を獲ってどうなるというのだ。もし全力を出して、大怪我などしてしまっては、日本にすら帰れないんだぞと理性が語り掛ける。

 

 そう、何度も理性が語り掛けてくる。私もそう思うさ。

 

 コーナーを抜ける手前で、彼から手綱を扱かれた。

 

―行け―

 

 ということである。脚に力を入れて、『本気』で走る。――そう。8割程度の、理性で抑え、しかしながら本気という矛盾をはらんだ走り方だ。

 

 G1以外は、そして皐月とダービーはこれでも勝てた。だが、やはり、超一流の馬が闘争本能をむき出しでやって来る『天皇賞』や『有馬記念』は勝てなかった。

 

 だが、それでも私も並大抵の馬ではない。この凱旋門賞という大舞台でも、コーナーを抜ける手前で、前方から4番手にまでポジションを上げる事が出来た。いよいよここから追い込みなのだ。だが。

 

 

 私の『本気』ではここまでであろう。

 

 

 見てみろ。19のゼッケンが輝かしい同志レオダーバンは、もう既にはるか先頭を走っている。このままいけば初の日本の凱旋門優勝馬は彼であろう。

 

 見てみろ。3のゼッケンのバナナのお馬さんは、それを凌ぐ勢いで後方から追いすがっている。同志を追い抜くとしたら彼であろう。

 

 見てみろ。16のゼッケンのお馬さんも、レオダーバンに抜かれても、バナナのお馬さんに追いつかれそうになっていても、驚異的な粘りを見せている。ああ、彼だって優勝候補だ。

 

 

『――――怪我をするから全力で走るんじゃないぞ』

 理性が語り掛けて来る。ああ、そうだな。それが一番だ。

 

『4着でも入着だ。快挙だぞ。よくばるんじゃあないぞ。怪我をしちゃあ何も、無意味だ』

 理性が語り掛けて来る。ああ、そうだな。判っているさ。

 

 

 だが、それと同時に私の本能と、私の意思がこうも言っている。

 

 

 『――――只、大外を突き抜けるのみ』

 

 

 ああそうだ。いつでも仕掛けられるぞ。

 

 ああ、ああ!そうだ。いつでも仕掛けられるのだ。

 

―まだか―

 

 そう決意を秘め、初めて、手綱を噛み、彼に意思を伝えた。

 

 

『最終直線に入りまして残り600! コーナーで躍り出た! トップはレオダーバン! レオダーバンが先頭! まだ伸びる! このまま行ってしまうのか! 二番手は交わされた一番人気ユーザーフレンドリー! 三番手は追い込んできたスボティカ!

 

 四番手には我らが三冠馬トウカイテイオーも来ているが!しかしこの位置ではもう厳しいか!?トウカイテイオーはもう伸びてこないのか!

 

 

 手綱が更に捌かれた。

 

 しかし、まだ鞭は入らない。そうだ、そうであろうよ。まだ600メートルの標識だ。射程には程遠い。

 

 溜めろ。溜めろ。溜めろ。気持ちを溜めろ。フラストレーションを溜めろ。全てを溜めろ。今までの全てを出し切れるように、溜め込め。

 

 500メートル。

 

 同志レオダーバンが更に突き抜ける。しかし、未だ粘る『16』、そして『3』がそれにかぶさる様に私との距離を離していく。

 

 400メートル。

 

 その距離、既に4馬身ほど。離れたなあ。そう呑気に構える。そうだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()。私の脚ならば、全力で地面を蹴れば一瞬であろう。

 

 300メートル。

 

  鞭が3発。

 

 ――行け!行くぞ!行くぞ!!相棒!―

 

 彼も興奮しているようである。ああ、わかる。判るとも。 

 

 ならば行こう。そうだ。そうだ。ここまで来たら理性などかなぐり捨てろ。

 

 手綱を更に深く噛み、腰を落とした。

 

 脚に力を叩き込め!彼を振り落とす勢いで加速しろ!

 

 この芝を抉るつもりで、突き抜けるのだ!

 

 

『レオダーバンにスボティカが迫ってくる!残り200メートル!さぁレオダーバンが日本の夢を叶えるのか!?それともスボティカが先に凱旋門を潜るのか!?ユーザーフレンドリーもまだまだ粘っている!

 

 いよいよ200を切った!届くか日本の夢!レオダーバンがんばれ!

 

 …いや!?大外から、一頭ものすごい勢いで伸びてっ………!?

 

 ――来た!!

 

 ―――来た!!!

 

 ――――来た!!!!

 

 我らがトウカイテイオーが、飛ぶように大外から伸びて来た!

 

 

 ぐんぐんと彼らとの距離が近づいてくる。私が恥も外聞も、理性も投げ捨てて、全力で走れば私の脚は、こうなのだ。もうコーナーは無い。全力の全力、今、まさに10割の力を込めて芝を蹴る。ただ、同時に、今まで感じたことのない、脚の骨の軋みを感じている。

 

 ああ、そうだ。

 

 なぁ、トウカイテイオーよ。私の体の本来の持ち主よ。お前はすごい奴だ。何度も怪我をして、何度も復活をして。だが、お前に私は、いや、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()たとえ何者であっても、ここまで走り抜けた俺の脚は、俺だけのものなのだから。

 

 そうだろう、トウカイテイオー。

 

 お前は奇跡の名馬だ。誰もが認めている、俺も認めている。だがな。だがな!

 

 今、ここにいる俺は、トウカイテイオーは!俺は、俺なのだ!

 

 

 鍛えた脚は、俺が鍛えた脚は、たとえそれが本来、とてつもなく脆い脚だとしても、それがどうした!俺が鍛え上げたのだ!

 

 確信をもって言い切ろう!俺の脚は、こんなところで怪我をしてしまうような()()()()ではない!

 

 何よりもだ!ただの馬に、サラブレッドに負けるような脚に仕上げてなどいない!

 

 

 ――さぁ、どこかで見ているか帝王よ!俺が、凱旋門を獲ってやる!お前の親が、お前自身も挑めなかった、そんな凱旋門をだ!

 

 

 さぁ、騎手よ!―――いや、無粋なことは言うまい!

 

 ―――()()()()()よ!手綱を捌いてくれ!さぁ鞭を入れてくれ!

 

 そうだ!俺の思い違いで無いのであれば!

 

 お前も! 俺の背で! 夢を掴んでみせろ!

 

 ―――そう思うと同時に、鞭がもう一発、強く俺の背に入った。

 

 そうだ。そうだ!それでいい!お前に従って、きっちりすべてを残りの直線で絞り出してみせよう!更に脚に力を入れた。骨がきしむ。関節が悲鳴を上げる。理性がどこかで悲鳴を上げる。

 

 ―――同時に、これでもかという勢いで手綱が扱かれる。

 

 伝わって来る、『勝ちたい』という気持ち。ああ、それならば、答えよう! キミの気持ちに応えてみせよう! 理性などねじ伏せてやる。本能を呼び覚ましてやる!

 

 なぜならば!俺はトウカイテイオー!

 

 誰もが、誰しもが憧れ、そして俺ですら焦がれた、奇跡の名馬なのだ!

 

 積み重ねてきたものを、今ここですべて解き放つ!力の何割か、なんて言っている暇はない。今、残りの力は全てこの瞬間に出し切るのだ!

 

 嗚呼そうだ!!俺が今まで鍛え抜いた、全ては!

 

 坂路を、プールを!芝を!ダートを!

 

 今まで走ったコースの、その全ては!

 

 そう、今まで経験したレースの全ては!

 

 この芝の!

 

 このパリの!

 

 このロンシャンの!

 

 

 この最終直線、ラスト、1ハロンのために―――――――――!

 

■ 

 

『大外トウカイテイオー!その馬体が3馬身が2馬身!1馬身とスボティカに迫る!

 迫って迫って交わした!交わした!

 トウカイテイオー交わした!いや、スボティカ粘る!並び返した!残り僅か!

 レオダーバン!トウカイテイオー!スボティカ!ユーザーフレンドリー!

 4頭横一線!叩き合いだ

 

 どうだ!

 どうだ!!

 どうだ!!!

 

 ああ…嗚呼…!一頭、完全に抜けた…!

 

 ―テイオーだ!

 

 ―――テイオーだ!

 

 ――――――トウカイテイオーだ!

 

 トウカイテイオーが更に加速したぞ!?まだ実力を隠していたのか!?この重馬場で凄まじい末脚を見せている!

 

 いや、だが、スボティカもまだ伸びる…!?

 

 ああ!!残り僅かっ…!!いけっ!いけっ!いってくれっ…………トウカイテイオー!

 

 

 脚を動かす。

 

 全てを込めて足を蹴りだす。

 

 一歩一歩進むうち、気づけば、音が消えた。

 

 目の前に映るのは、青い芝と青い空。

 

 今まで前にいたリオナタールもあのウマ娘達もいない。

 

 ああ、なんて。

 

 なんて。

 

 

 ――音が消えた。

 

 

 ここはなんて静かで、素晴らしい景色なんだ。

 

 この景色は。今、この景色だけは。絶対に誰にも譲らない。

 

 

 そう思った時だ。前方に、今この瞬間に見えることがないウマ娘が走っていた事に、トウカイテイオーは気づく。

 

 長い、美しい髪を靡かせ、そして自信満々の笑みを浮かべる幻を見たのである。

 

 ――ああ、そうか。トウカイテイオーは納得した。

 

 夢破れた今でも、想いだけは。その想いだけはここに常に『いる』のだ。

 

 『あの時、怪我をしなければ』

 

 『走れてさえいれば』

 

 『絶対に、私が世界で一番、速いんだ!』

 

 その想いは。あの小さな女の子の夢は、今でもターフを走り続けている。

 

 彼女は、いや、『彼女達』の心は未だロンシャンに『居る』。

 

 

 それならば。それならば!

 

 あの女の子の夢も、みんなの想いも、全部、全部まとめて―――! 

 

 

 最後の一歩を、強く、踏みしめた。

 

 

 嗚呼、嗚呼!ねぇ、ルドルフさん、見てるよね?

 

 そう、思いを込めて、指を一本高く掲げた。

 

 ―――届いたよ。 

 

 

行けっ!行けっ!行けっ!

 

 伸びろ!伸びてくれ…ああ!

 

 伸びて、

 

 

 伸びて!

 

 

 伸びて!

 

 

 トウカイテイオーが今!先頭で!凱旋門をくぐり抜けた!!!

 

 やりましたやりました!やってくれました!やってくれました!やってくれました!!!

 

 あの、あの絶対の皇帝と呼ばれたシンボリルドルフですらも見れなかった()()()()を! その()()()()()()()が掴んでみせた!

 

 あぁっ…右手を挙げた!右手を挙げた!右手を挙げた!

 

 そして天を指差している!勝利したのは私だと!天を指差した!

 

 叫んでいる!勝鬨だ!勝鬨だ!夢をついに掴んだ!あの夢の続きが今、今!叶ったー!

 

 見たか!見てくれたか!世界の人々(ホースマン)よ!!

 

 これが!これこそが!日本が誇るトウカイテイオーだ!

 

 最後に見せたあの末脚はまさに『究極無敵のテイオーステップ』だー!!!』

 

 

 

「…すまない、エアグルーヴ、ブライアン。少し、少しだけ一人にさせてくれないか」

 

 そういって、生徒会室の人払いをしたシンボリルドルフ。

 

 目線を少し下げれば、机の上には映像が流れるスマートフォンが置いてある。

 

 彼女の目に映るのは、どこかあの時の自分と被る、天に一本指を掲げたウマ娘。

 

 ピーマンが好きで、人一倍練習が好きで、そして、無敗の三冠を獲り、夢を携えて飛び立っていった、まさに有言実行の猛者となった理想のウマ娘。

 

 皇帝、シンボリルドルフは深く息を吸った。

 

 自らの両の手を胸の位置にまで上げ、手のひらを見た。

 

 …暫く、その姿のままで固まっていたルドルフであるが、不意にその両の手を固く握りしめ。

 

「―――――――――――――――――っ!」

 

 声にならない叫びと共に、両の拳を、天へと勢いよく掲げた。




―さて。では、ピーマンを食らうとしよう。

 私は、ピーマンが大好きなのである。
 ボク、ピーマンが好きなんだよね。

 たらふく食わせたまえよ。

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