しゃりしゃりと気持ちの良い音が口に含んでいるピーマンから聞こえてくる。何か既視感のある光景ではあるが、そんなことはどうでもいい。レースに勝てばこのようにピーマンを満足いくまで頂ける。最高である。
しっかりと口の中のピーマンを嚥下し、水を一口含んで飲み干すわけであるが、これがビールだったらと何度思った事であろうか。ピーマンを千切りにし、軽く塩と胡椒で炒めたものを一緒に頂くだけで何杯でも酒が飲めるというものだ。今となっては叶わぬ願いではある。天ぷらも良い。さくっとした中にシャリシャリとした食感が残り、あの風味も損なわない。めんつゆで食べてもいいし、かといって塩が合わないわけでもない。
まぁ、とはいえ世話をしていただいた上に好物のピーマンを頂いているのだ。ぜいたくは言うまい。
そう言えばレース前に行った座禅、あの精神統一の甲斐あってか、レースは出遅れもなく、そして自分のペースをしっかりと守って勝利することが出来た。体の面だけでなく、精神の面で自分を鍛えることの大切さに気付けて、勝利できたという事も含めて実に良いレースだった。ということで、ここ数日は練習終わりに飯を食べてからただ寝るのではなく、座禅で精神を統一させてから休むようにしている。ま、全ては生き残るためである。
ただ、座禅を始めてから人間からは首を傾げられる回数が増えたわけで、痛し痒しといったところであろう。
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ここの所、レースもなく落ち着いた日々を過ごしている。ただ、寒さはより深みを増してきていることから、より冬本番になっているのだなと肌で感じている。ただ、季節は廻れども、ピーマンは相変わらず美味であり、鍛錬もいつものように行われている。
人間は忙しなく私の世話を焼く。なんてったって私は三連勝中の競走馬。おそらくは注目株であるし、そして私自身も、我ながらノリにノっているわけで、この流れはなるべく手放したくない。
つまりは人間と私、双方の利害の一致を見ているわけで、私の上に乗る彼と坂を駆けのぼり、併せ馬を行い、周回コースを周りに回って絆を日々日々深めている。最近では潜水時間は私の数えが間違っていなければ3分を超えてきた。一度、人間に途中で止められたこともあるが、無視して続けていたら止められることも無くなった。全く、別に潜水なんていうことは珍しい事ではないだろう?プールは泳いで潜ってなんぼである。
坂の訓練では相も変わらずの6往復を日々繰り返している。一度だけ7往復の鍛錬を行ってみたが、完全に体力が尽きた。今のところ、私の限界という奴である。
ただ、まだまだ可能性は諦めていない。いずれは7往復の壁を越えて、目指せ10往復というスタミナと、足腰の筋肉を付けたいところだ。特に私の足腰は柔らかすぎるので、その保護のためにもしなやかな、分厚い筋肉を肩や足首につけていきたい。
そのためにも、練習前の動的ストレッチと静的ストレッチもまた改良を続けている。まずはジャンプをするように足首を動かしながら可動域を広げて、反動で肩までぐいっと筋肉を伸ばし、そして少しづつ歩幅を広げていき、肩回りの筋肉もほぐしてから各種の練習へ向かう。最初こそ、私の行動を無視して人間が無理に引っ張っていこうとしたが、頑として動かない私をみて諦めたらしい。
そして練習の後。厩舎に戻ってからは静的なストレッチ。足首に体重を乗せるようにして、イメージは猫の伸びであるが馬なので出来る範囲でぐーっと体と肩と足首を伸ばしている。人間ですらストレッチはケガの予防という大切なしぐさであるので、より強度の高い運動を行なえてしまう馬にとっても大切なしぐさであろうと信じている。
ま、もちろん人間には首を傾げられている。確かに普通の馬はこんなこと…しないか?いや、するかもしれない。いや、やっぱりしないか。同期の馬達や先輩方はいきなり練習に入るし、厩舎ではのんびりとしているだけだ。そりゃあ妙な馬だなぁと首を傾げられても仕方ないか。
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そういえばふと思ったのだが、私の名前はなんていうのだろう?競走馬だから、絶対に名前があるはずだ。はたして私が人間として生きた世界と同じ世界かは判らないが、知っている馬へ転生しているのであれば少しうれしいと思うのが本音である。
中央競馬で、私の知っている馬と言えば…ナリタブライアンか?それともディープインパクト?コントレイルも捨てがたいし、サクラバクシンオーもまたカッコよい。キタサンブラックであってもいいと思うし、ナリタタイシン、ビワハヤヒデ、ウイニングチケットあたりでも大満足すぎるわけだ。サッカーボーイでもまたいいしなぁ…。オルフェーヴルやゴールドシップ、メジロマックイーンといった馬であってもまた暴れ甲斐があるなぁと思うものの、彼らの毛色は独特だ。まぁ、私の眼前に映る足元の毛は黒っぽいので、その線は薄いのであろう。
加えて私は今のところ無敗と来ているので、もしかしてシンボリルドルフとかであろうか?いや、それはそれで伝説すぎて恐れ多すぎるであろう。オグリキャップやトウカイテイオーも同様の意味で却下したい。彼らほどのドラマを作れる自信は、私にはないのだ。
うーん、しかし私に人間の文字が読めればいいのだが、これが一切読めない。言葉も全くわからない。唯一数字はなんとか読めるので、距離はこんなもんかーとか私の番号はここかーとかは把握できるものの、他は一切判らないわけだ。
ただ、自分の名前の最後に棒が入っていることぐらいは判るので、『テイエムオペラオー』的な感じで名前を伸ばす馬であることは理解している。
もしかして私はエルコンドルパサーあたりだったりするのだろうか?馬体が確か黒かったはずだし。
まぁ妄想する分にはタダである。とは言いながら、私が知る馬は極端で、一部一般のニュースで取り上げられた馬だったり、ちょっと暇な日曜日に流し見していた日曜競馬で見ただけなので、レパートリーは実に少ない。これで競馬に詳しければ、もしかすると自分が何なのか、判ったと思うのだが。
ただ、今がどのぐらいの年代かは判っている。
というのも以前、私がピーマンを食べている所を、『ハンディカム』的なもので撮られていたのだ。しかも、テープを交換していた。更に、誰も携帯電話を持っていない。更に、パドックなどではもっぱら私を『使い捨てカメラ』や『フィルムカメラ』といった代物で撮っていたのだ。私の記憶の中には、スマートフォンと言うものがあるのだが、あれが2010年代に一気に普及したものである。その前のPHSで1990年中後半である。ということは今私が、馬として生きているこの時代は1990年前半、ないし80年代後半あたりということであろうことまで、なんとなく絞れてはいるのだ。
となるとやはりエルコンドルパサーあたりか?うーん…もっと競馬に詳しければなぁと切に思ってしまう。
ただ、判らないなら判らないで、デメリットこそないし、どちらかというとメリットが多いわけだ。
下手に知っている馬に転生したとなると、勝たなければいけないなどと気負ってしまうわけで、ストレスの元である。逆に私が何者かが判らなければ判らないなりに自由に生きていける、というか生きているわけだ。
これがもしシンボリルドルフだお前は、なんて言われた日にはこんなピーマンなんか食う精神状態ではなかったであろう。どう負けないかを考えて、日々精魂をすり減らしてレースに挑んでいたと思う。
だから、ピーマン食って気ままに寝れている私は、改めて幸運なんだなと思うわけだ。
もちろんレースには勝ちたい、が怪我のリスクは怖い。これでもしディープインパクトだお前は、と言われれば、怪我する覚悟で走るだろう。あのレジェンドになるためには胃を痛めなければなれる気がしない。
ま、いろいろ考えられるのも、余裕がある証拠であろう。私が何者であっても、私は私である。我思う、故に我在りとも言うわけであるし。
名前などはたかだか、生き物を見分けるための記号でしかないのだから。ピーマンが旨い、それだけで十分である。
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レースもなく安泰だなーと油断をしつつ、練習やらフォームの改良やらに手を抜かずに真摯に打ち込んでいた。すると時間は簡単に過ぎて季節は巡るもので、牧場のあちらこちらにタンポポの花が咲き始める季節となっていた。
そんな暖かくなってきた頃、私は車に揺られて、実に見慣れた景色を車窓から見ることとなる。赤い鉄骨で、無骨に立つ日本の戦後復興のシンボル。
そう、東京タワーだ。
それを横目に見ながらレース場へと車は進んでいく。埋め立てが続く海沿いを尻目にたどり着いた場所。そこは巨大なメインスタンドが鎮座する競馬場であった。
東京の競馬場。であろうか。ただ、道中で一瞬ディズニーランドらしき建物が見えたので、もしかしたら千葉に入っているのかもしれない。千葉の競馬場…?ええと、確か中央競馬の競馬場で関東圏にあるものは、府中競馬場と中山競馬場しかないはずであったから、となればここは中山競馬場であろう。
確か中山競馬場と言えば、クラシック三冠とよばれるうちの一つ、皐月賞が行われる場所のはずである。ただ私は、中山で皐月賞ということは知っているものの、皐月賞がいつごろ行われて、走る馬が何基準で選ばれているか、という事は知らない程度のミーハーである。
とはいえ、既にレース経験も3回、今回は4回目、という中で中山競馬場という場所に連れてこられたわけで、否応もなく気合が入ってしまう。
そして少し休憩したのちに、練習用のコースらしき場所に連れていかれ、併せ馬の様な追いかけ追い越しを行ってまた厩舎へと逆戻り、そして飯を食わされるという忙しない一日を過ごし、翌日。
私はまたパドックで、電光掲示板を眺めながら、人間に手綱を握られながらゆっくりと歩いていた。
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今回の私の番号は『4』である。その横の数字は『1.2』。前回のレースよりも数字が小さい。かなり期待を持たれているようだ。嬉しい限りである。
ちなみに距離は2000メートル。スタミナ、スピード共にまず心配はないと自負できる距離である。あとはスタートと彼との息の合いようであるが、そこも心配することはないであろう。彼の事は信頼しているし、今までばっちりと手綱を捌いてくれているので、これからも彼に背中を預けようと思っている。
そして今回の馬達の頭数は10。前回よりも1頭増えているので、少しずつ規模が大きくなっている感じがして、気分も高揚してくるというものだ。
止まれの合図で足を止めれば、いつもの彼が首を一発叩き、私の背に乗る。私も同じように鼻息で答えていざ出陣、といった格好だ。
馬道を抜けてコースへと出てみれば、これがまた見事な芝である。色こそやはり茶色であるものの、京都よりも巨大に見えたコース一面に張られた芝。その見事さに、やはり、見惚れてしまう。とはいえ、いつものルーティーンはやらなければなるまい。
足元をしっかりと確かめつつ、足首の柔軟を確保するために足にしっかりと荷重をかけてストレッチ、そして伸ばしつつ少しジャンプするようなイメージで全身の筋肉をほぐしていく。そしてほぐれたタイミングで歩幅を大きく取り、ウォーミングアップを行って、ゲートへと向かう。
ここらへんの動きは、慣れてしまえばなんて言うことは無い動きなので、もう彼の指示無くして出来るようになっている。彼も彼で私に信頼を置いてくれているためか、このストレッチ、ウォーミングアップの間は手綱を捌くことは一切しない。
ただ、ウォーミングアップが終わってゲートイン前に必ず首を2回叩いてくれる。
―今日も勝つぞ―
そう言ってくれているようなその感触を、私はひしひしと感じながらゲートインを待つのであった。
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「あいつ、楽勝でしたね」
「ああ、しかも4コーナーまで見事な位置取りで、そこから突き放す強い競馬だった」
「手綱を一発扱いただけの鞍上のやりたいことを、きっちりと読み取ってますよね、あいつ」
「ああ、調教中からずっとだ。全く、手伝って初めてお前が苦労する理由、判ったよ」
「でしょう?手がかからなすぎるし、言う事はやるし、無駄なことはしないし、間違ってたら頑として動かないし。どっちが調教されてんだか判ったもんじゃないっすよ」
「全くだ。俺ですら手を焼くよ、あいつは。ただ、間違いなくダービーの器だろうな」
「…俺もそう思います」
「頑張れよ。俺も手伝うが、メインで世話するのはお前なんだからな」
「判ってますよ。行けるとこまで行ってやりますよ!」
「その意気だ」
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「やあ、今日もピーマンをおいしそうに食べているな」
「あ、こんにちは!ルドルフさん。ふふ、これ、北海道のハウスピーマンらしいんですけど、露地栽培に負けず劣らず、すっごく美味しいですよ!ルドルフさんも一つどうですか?」
「いや、私は遠慮しておくよ。これから会議があるものでね」
「そうですかー、残念です。あ、そういえば、サマードリームカップ出場決定、おめでとうございます!必ず見に行きますね!」
「ありがとう。そうだ。君も、若葉ステークスの勝利おめでとう。どうだった?初の関東圏のレース場の感触は」
「そうですね。京都と中京に比べるとすごく大きく感じました。あ、でも、芝がすごく手入れされていて、走りやすかったですよ!」
「そうか、走りやすかったか」
「はい!きっと、皐月賞も勝って見せますよ!」
「中々の手応えを掴んだようだな。
「はい!」