目の前には、硫黄の香りが漂う温泉が湛えられている。すぐに入りたい気持ちを抑えまして、だが、慌てない。まずは脚を洗って頂いてからである。
そして以前の様に、後ろ歩きで湯船に入る。おあぉおあああ…やっぱりいいぞーこれは。と、思った瞬間、すかさずに私の横にバケツが置かれていた。もっしゃもっしゃとピーマンを喰らう。付け合わせはこれまた青臭いゴーヤーである。
さて、私が文字で温泉いきたいのー! と駄々を捏ねてからわずか一週間後。私は福島のいわきで温泉に浸かることが出来ている。いやぁ、迅速な行動に感謝感激だ。
ちなみに、私の面倒を主に見てくれているのは、鍛錬の牧場で私をずーっと見てくれていたあの人間である。いや、もしかして、私のために出張ってくれたということか。本当に感謝しかない。
…まぁ、邪推すればだ。文字が書ける馬からの要求って考えると妥当か?もし、文字を書く馬の相手が、人間の時の私だったら『おい今すぐ車手配して相手方に連絡しろ!不機嫌にさせるな!ああ!?馬をだよ!』ってテンパリそう。まぁ、実際、ONSEN GOって書いてから、対話していた職員がすっとんでいったので、あながち間違いではない予感がする。しかもピーマンまで用意されているし。
というか、温泉は入れるのは嬉しいんですが、見守りが10人以上おるってのもやりすぎてはないだろうか?うん、ちょっと気が落ち着かないよね。ま、温泉は入れてピーマン食べれるからいいけどもな!
あー、ただ、この湯舟だとぶっちゃけ狭いんだよなぁ。結局、馬の幅ぐらいしかないから脚を伸ばせんのよね。あれだ、鍛錬の時のプールみたいな。深さはあそこまでなくてもいいんだけど、でかい湯舟が非常に欲しい。…んー、伝えれば多分マジで作る方向で動き出しちゃいそうなのが怖いんで、今は心のうちに秘めておこう。何せ、温泉に入ってピーマン食えるだけでも幸せなのだ。
…あ、そう言えばだぞ。私普通に生のピーマン食ってるけれどもさ。もしかしてこれ、料理とかも実は頼めるのでは?いや、頼めるか?あ、頼めるなコレ!
自らのひらめきに、反射的にザバアっと音を立てて湯舟を飛び出た。が、ふと思い出す。
『宇都宮以外では文字を書くなよ?』
そういえばそうであった。ううむ。ピーマン料理は牧場に戻ってからにしよう。そうしよう。ああ、人間様方、驚かせまして申し訳ない。大人しく体を湯舟に戻して、改めて温泉に浸かる。
アー、いい湯だ。実にいい湯だ。ピーマンも旨いし、ゴーヤも旨い。それに、あとは、風呂上りにビールも待っている。さすがにキンキンに冷えてはいないけどね。
思わず欠伸が出てしまった。いやー、普段こんな風呂なんて入れませんからね。ええ、本当に有難い事ですわ。
と、のんびりしていると、一頭のお客さん…じゃねえ、一頭の馬が温泉に入ってきていた。まぁ、当然である。私の貸し切りでは無いからね。
入ってきたお馬さんの馬体を見てみれば、栗毛でなかなか馬体の良いお馬さんである。しかも明らかに私よりも若い。
『なにこれ』
彼はそう言って、温泉に入る事を戸惑っているようであった。うん、まぁ、そうだろうねぇ。よし、少々助け舟を出しておこう。
『気持ちいい』
私が彼にそうニュアンスを伝えると、彼は恐る恐る温泉へと体を沈めていった。
『あったかい。いい』
そうだろうそうだろう。温泉とはかくも素晴らしいものなのだ。あ、ピーマンとゴーヤ、食べないかい?
『…なにこれ?青臭い?』
まぁまぁ、温泉に浸かって食うとこれ旨いんだぜ?そうニュアンスを伝えると、彼はピーマンを恐る恐る口に運んでいた。
『苦っ!?苦…苦…?』
さぁさぁ、どうだい、初のピーマンのお味は。
『苦…旨?青臭い…?もう一個いい?』
おや、なかなか礼儀正しいお馬さんだ事。同志ですら勝手に2個目を食べたと言うのに。
『どうぞ』
『ありがとう』
そう言って彼は、2個、3個とピーマンを食い勧める。うん、新たなピーマン野郎の出来上がりである。いいぞいいぞ。宇都宮ではロマンリバー以外にピーマン食う馬がいないので実に寂しかったのだ。うん、やはり。牧場から出てみる物である。
に、しても彼の名前は何というのであろうか?うーん、面子とかには書いてないしなぁ。まぁ、あとでちょっくら脱走して名前を見るとしましょうか。もしかしたら、私の知っている馬かもしれないからね。
まぁひとまずは温泉を楽しみましょう、そうしましょう。
■
「お疲れ様です。いやー、トウカイテイオーは見事に寛いでいますね」
「あはは、いやぁ。えーとですね。…最近宇都宮で調子が悪かったから、オーナーの許可の下連れてきてみたのですが、予想外に寛いでしまっていて。なんといいますか」
「そりゃあ凄い。というか、よく受け入れしてくれましたね。テイオーはもう種牡馬でしょう?」
「ええ、ですが、あれだけ功績を遺してくれたからか、JRAも無下にはできないようで」
「あー、なるほど、確かに」
「そういえばそちらは?あの馬、まだ若馬に見えるのですが」
「あ、ええ。怪我などはしていないのですけれどね。どうも勝ちきれないので、一度休養をさせてみようかと。で、その中でトウカイテイオーが温泉好きだったという話を耳に挟みまして。肖ってみようと思ったのですが…。まさか同じ日に温泉に入れるとは思ってもみませんでしたよ」
「おお、それはよかった。で、あの馬の名前は?」
「オフサイドトラップという馬です。世代注目馬にも挙げられているんですけどね、なかなかうまくいきませんで」
「なるほど。まぁ、この温泉がいい機会になることを祈っておりますよ」
「お言葉、ありがとうございます…って、トウカイテイオーがトラップに何か食べさせていませんか?」
「あー…あれはテイオーのピーマンですね」
「ピーマン?」
「ええ。あ、ご存じありませんか?」
「はい、トウカイテイオーはピーマンが好物なのですか?」
「ええ。しかも、自分が気に入った馬にピーマンを分け与えるんですよ。それに、分け与えられた馬は悉くが成功しています。同年代のレオダーバン、ナイスネイチャは元より、ミホノブルボン、ビワハヤヒデ、メジロマックイーンもテイオーにピーマンを分け与えられた馬達なんですよね」
「それはそれは、いい話が聞けました。俄然やる気が出ると言うものです」
■
トレセン学園の共同風呂。そこには、2人のウマ娘が肩まで湯船に浸かって、疲れを癒していた。
「いやぁ、やっぱりお風呂はいいねぇ…」
「ですわねー…。レースの疲れがすべて洗い流されるようですわ」
のほほんとしているのは、今日のレースの有マ記念で見事センターを収めたメジロマックイーンと、明日、ドリームトロフィーを走るトウカイテイオーその人だ。
「それにしてもマックイーン、キミ、すごかったよ。最後ビワハヤヒデの必勝パターンかと思ったのにさ」
「当たり前です。伊達であの場に立つ者など誰一人としておりません。それに、ビワハヤヒデさんは、完璧な戦略と完璧な練習で実力を発揮するタイプ。対して私は、脚が不調、それゆえに練習も不十分と言えたでしょう。完璧には程遠い仕上がりであの場に立ちました。立つことが、出来たのです。それは即ち―」
そこまでいったマックイーンは、テイオーを見て、自信満々にやりと笑った。
「完璧から程遠いからこそ、このメジロマックイーンは完璧以上の仕上がりを、皆様に見せられたのです」
そんな笑顔に見惚れたのか、テイオーは息を飲んだ。そして、へにゃりとテイオーは笑うと、しみじみとこう呟いた。
「…やっぱりかっこいいね、マックイーンは」
「何を言っているのですか。貴女こそカッコいい、素晴らしいウマ娘ですよ」
2人はそう言って笑い合っていた。と、ふと、そんな2人を、物陰から見守るウマ娘が2人。
「…尊っ!圧倒的に尊いっ!貴女もそう思いませんか!?」
「うん。そう思います。思いますが…あの、なぜ私も隠れる羽目に?」
「そりゃあそうでしょう!あんな、あんな素晴らしい空間に他のウマ娘が挟まっちゃあいけなんです!そうは思いませんか!?」
「…でも、ここトレセンのお風呂ですよ?」
「関係ありません!ああ!ああ!?あああ!?!?!?そう言えば貴女も滅茶苦茶かわいいウマ娘!あああぁあああこれは失礼おぉおおお!?」
「落ち着いて!?」
わちゃわちゃと、物陰で騒ぐ2人を尻目に、浴場にまた一人のウマ娘がやってきていた。
「…なんだあいつら。こそこそと隠れて…おーいテイオー!そろそろ上がれー!明日のドリームの最終打ち合わせをやるってよー!」
「ん!?あ、インディ!判ったー!すぐ行くよー!…じゃ、また後で。マックイーン」
「はい。わたくしはもう少しゆっくりしていきますね」
■
暮の中山、それを走り終えた騎手の2人は、中山競馬場の調整ルームで湯船に浸かっていた。
「いやぁ、お疲れ様。本当に。メジロマックイーン、強かったよ」
「ありがとうございます。貴方にそういって頂けるとは思いませんでした」
2人はそう言いながらも、雑談を続けていた。
「あはは、いやーしかし、完全に勝った!と思ったんだけどね。いやはや、メジロマックイーンの底力と、君の騎乗の上手さには脱帽ものだよ。流石天才」
「おだてないでください。貴方こそ、名実ともにレジェンドじゃあないですか」
そう言って、2人はお互いに噴き出していた。
「しかし、メジロマックイーンはよくあのポーズが出来たね。仕込んでいたのかい?」
「いえ、全く。ただ、ゴール板を駆け抜けた後、メジロマックイーンがこちらを見て、首を上に上げたんですよ」
「ほほう?」
「それで貴方とテイオーを思い出したんです。そう言えばと」
「なるほどねぇ。でも、見事なポーズだったよ。葦毛と相まって、白馬の王子様みたいだったよ?」
「やめてくださいよ、恥ずかしい」
「はははは!」
ひとしきり笑った2人は、また静かに言葉を交わし始める。
「あ、そう言えば話は変わるんだけどさ、君、ロマンリバーの屋根を張るらしいね」
「ええ。よくご存じですね?デビューは再来年あたりなんですが」
「ちょっと縁があってね。そっか、良いなぁ」
「そんなに良い馬なんですか?確かにオグリキャップの前例がありますが、元々は地方馬でしょう」
「あれ、あの話、知らないのかい?」
「え?」
「ああ、うん。知らないんだね。じゃあ教えておこうか」
「ロマンリバーはトウカイテイオーの技術を覚えちゃってる馬なんだ」
「…は!?」
「驚くのも無理はないか。いや、まぁ、僕も人伝で聞いたんだけどさ…」
そう言って、男たちの話は続く。どうやら、2人共に、まだまだ屋根は張り続けることになるらしい。これが今後の競馬業界をどう変えたのか。それはまた、別のお話である。
■
そんな温泉のやり取りから時は巡り、数年後。
場面は、東京レース場に移る。
『さあ、東京第11レース。11月1日日曜日!やってまいりました!
1枠1番。注目は『2番人気』サイレンススズカ!あの毎日王冠で見せた逃げ足は発揮されるのでしょうか!
そして本日の主役はやはりこのウマ娘にほかならないでしょう!
クラシックはナリタブライアンに破れ、しかし、しかしと諦めずに地を這い続けた数年間!
そしてついに花は開いた!!トウカイテイオーの凱旋門制覇から数年。再び閉じてしまったあの門を見事、その逃げ足で叩き壊した現役最強ウマ娘!
一時は脚の怪我に苦しめられ、引退を考えたほどと言います!
それでも、諦めずに挑み続け、ピークが過ぎたとまで言われ!しかし!その全てを振り切り、栄光を掴み取ったその姿は、まさに、まさに『奇跡の名ウマ娘』と言えるでしょう!
帰国後、凱旋に選んだレースは、まさかまさか!トウカイテイオーが制覇出来なかった、この「天皇賞(秋)!」。一帖の盾を求めて走るのであります!
文句なしの一番人気ウマ娘!5枠6番!その名も―――――!!!』
―――私、ピーマンが好きなのよ。特に苦い、青臭い奴がね。
あら、奇遇ね。私もよ。―あなたがどんなに強くったって、先頭の景色は譲らないんだから。
『さあ、名実ともに最強の逃げウマ娘対決です!各ウマ娘ゲートインが完了しまして…今、天皇賞秋!スタートしました!2000メートル先で栄光を手にするのは、どのウマ娘なのか!』
正々堂々、真剣勝負。お前よりも、あなたよりも、―――私が速いんだから。