深夜。ボクは。目が覚めた。
興奮冷めやらぬせいだったのか。それとも、また別の理由だったのかは全く判らない。
時計を見た。
3時30分。
せっかくだ。あの興奮が体の中に残っているうちに、走ろう。
そう、思った。
トレセン学園の夜は、昼間とは打って変わってシンと静まり返っている。ただ、風のそよぐ音がさらさらと聞こえる。
ボクは、その、静まり返っているトレセン学園の芝の練習コースを走り始めていた。気持ちいい夜の空気。気持ちのいい夜空。気持ちの良い、芝。
そして。
ガシャンと、発バ機のゲートが閉まる音が、耳に入ってきた。
音のする方に首を向けてみれば、そこには、私達ウマ娘が使う発バ機の、何倍も大きなそれが置かれていた。
ふと、気づけば、景色も変わっていた。
『有馬記念』
そう書かれたゴールゲート。そして、発バ機をよく見てみると、多数あるゲートの2個だけが、しっかりとその扉を閉じていた。
目を凝らせば、3枠4番と、大外枠にゴールドシップが過去にボクに見せてくれた、あの『馬』がいた。
「よう。やっぱり来たか。テイオー」
「ゴルシ?あれ、なんでいるの?」
「なんでってそりゃあ。アイツの大一番だからな」
「あいつ?」
ボクはそう疑問をゴールドシップに投げてみた。すると、ゴールドシップは、ゲートの方を指さして、こう言った。
「ああ。大外に収まっている馬さ。あいつ、物心ついたときから私に付いてきててなー? ああ、そうそう。凱旋門の時、お前にピーマンを差し入れろ、負けちまう!って煩かったんだぜ?」
「…そうなの?」
「おう。ああ、そういえばアイツの名前なんだけどよ。不思議な事にトウカイテイオーっつうんだ」
「え?ボクとおんなじ?」
「そーそー。なんだか別世界のお前らしいんだよ。ったく、変な奴に付きまとわれたもんだぜ」
信じられない。そう思って馬と、ゴールドシップの顔を交互に見る。だけど、なんでだろうか。この時のボクには、この言葉が嘘には思えなかった。
「ただ、それも今日で終わりだ。あいつと約束してたんだ。この場に、連れて来るってね」
「この場?」
「ああ。なぁ、テイオー、聞いたことないか?午前三時にターフに出ると、四つ足の何かと出会うって」
「無いなぁ」
「そっか。でも、確かにそう言う『うわさ』があるんだ。この学園には。話の内容はな?テイオー」
ゴールドシップはそう言いながら、笑顔を湛えたまま身振り手振りでボクに説明をしてくれた。
「午前三時にターフに出ると、四つ足の何かと出会える。っつー内容なのよ」
「へぇ?」
「で、私に憑いていたあいつはな、こういってきたんだ。『トウカイテイオーに会わせてくれ』って」
「…ボク?」
「ああ、最初はゴルシちゃんもそう思ったよ。でも、そうじゃないんだと思ったわけよ」
ゴールドシップはそう言うと、馬に視線を移していた。
「私と同じ姿の、そんな馬と走らせてくれ。って言ってる気がしてな。そこでびびっと来たわけよ。じゃあ、もしかして、午前三時にターフに来れば、こいつの望む四つ足の何かと出会えるんじゃねーかってな。ま、賭けだったけど、どうやら目論見は成功したようさ」
■
夢を見ていた。いつもの、あの白髪の馬娘に付きまとう夢。いやはや、なんというか、すごい夢を魅せられていたものだと思う。
何だったんだろうか。あの夢の大レースは、私ですら聞いたことのある名前しかいない、あの大レース。しかもそれに、こっちの世界のトウカイテイオーは見事勝ってみせた。
いやぁ、すんごいものを見てしまったものだ。そう思った時だ。ゴールドシップから、こう声を掛けられた。
『よし、じゃああんたとの約束を守りに行くぜ?確か、トウカイテイオーと逢いたいんだよな?』
ああ、確かにそんなことを言った気もする。だが、君は会わせてくれたじゃないか。馬娘のトウカイテイオーに。とそう思った瞬間、夢の景色が変わった。
―――気づけば、私は星空が瞬く中山競馬場の、ゲートに収まっていた。
おおん?いったいどういうことであろう?と周りを見回してみる。だが、あの白髪の馬娘であるゴールドシップもいなければ、観客席も誰も居ない。私の背にも誰も居ない。はて、ゴールドシップめ、何かやりやがったな?と、そう思った瞬間である。
私以外に、ゲートに収まっている馬が居ることに気が付いた。おおっ?と驚いて少しゲートに体を当ててしまった。
すると、あちらも私に気づいたようで、目線をこちらに投げかけていた。
『…』
あちらは無言。だが、直感で私はこう感じていた。
本物か。
ああ、そうか。お前が、本物か。奇跡の名馬、帝王。私がいくら凱旋門を潜ろうとも。いくら私がBCクラシックでトップを獲ろうとも。
決して、決して届かない理想のサラブレッド。
『トウカイテイオー』
―さあ、やり合おうか―
私の勘違いかもしれないが、そうニュアンスを感じた。ならば、全力で挑むしかあるまい。
彼の枠番は3枠4番。あの、伝説の有馬記念の枠番だ。対して私は大外。私の指定席と言って良い場所である。
ファンファーレが鳴った。聞きなれた、あのファンファーレだ。
しかし、こう見ると本来のトウカイテイオーは私より一回り小さいようだ。
ま、確かに私は食って、筋トレをしているので、まあ順当と言えば順当であろうか…というか、もしかして普通のサラブレッドよりも筋肉質だから長距離が苦手と言う可能性も?
ううーんと頭を傾げていると、そのトウカイテイオーから視線を感じた。
―そんなもの関係、ないだろう?お前と私、どちらが速いか、勝負といこう―
…そうだな。行くぞ、トウカイテイオー。挑ませてもらう。
ああ、全身全霊で挑ませてもらおう。
今まで。
そうだ。今まで積み重ねて来たもの。それを、今、今、全て解き放ってみせよう。
いくぞ、トウカイテイオーよ。我が理想のサラブレッドよ。
見極めてくれ。
凱旋門を、BCクラシックを、有馬記念を。
俺が鍛え上げた脚で、先頭で駆け抜けることが出来た、お前の紛い物を。
お前に匹敵できるのか!私がお前に匹敵できるのか!
いや!弱気になってどうするというのだ!行くぞ、トウカイテイオー!
私は、きっと、そう、きっと!お前に、トウカイテイオーに手が届く、スペシャルなサラブレッドなのだから!
■
2頭の競い合い。それは、恐ろしく静かなスタートで火蓋が切られた。
ゲートが開く。そして、先頭に出たのは大柄なトウカイテイオー。その後ろに付くように、小柄なトウカイテイオーがターフを駆け抜けていく。
コーナリングは完璧。寸分違わず彼らは同じコースを駆け抜けていく。向こう正面も順位は入れ替わらない。レースは静かに、静かに進む。
迎えた最終コーナーで、レースは動く。後ろについていたトウカイテイオーが、スパートを掛け始めた。
足元が爆ぜ、前を行くトウカイテイオーにならばんと加速を始めていた。
そして回って迎えた最終直線。先頭はトウカイテイオー。
だが、もう一頭も負けじとその背に食らいつく。気づけば内と外。2頭は一心不乱に前を目指していた。
片や大きく脚を振り上げ、片やスライドを大きく地面を蹴り上げる。
その最終直線。はたから見ているテイオーやゴールドシップからは、戯れにもみえ、死闘にもみえていた。
残り200メートル。自慢の柔軟さを生かし、脚を大きく振り上げながら、トウカイテイオーが前に出る。
残り100メートル。トウカイテイオーが自慢のパワーで土を蹴り上げながら、負けじと交わす。
内か外か。内か外か。
「勝者」の名は―。
■
やっぱりカッコいいなトウカイテイオー!と自らの寝言でふと、目が覚めた。
うん、なんだかすごい夢をみていたような気がする。いやはや。まさか本物と走る夢を見るとは思わなんだ。
目の前にあるのは、バケツ一杯に入ったピーマン。きれいな水。清潔にされている厩舎。寝藁。
いつもと変わらない風景だ。さて、では日課の歯磨きでも、と立ち上がった瞬間である。
―カツン―
と、ふと、足元に何か硬いものがあったようで、立った時に脚にでも当たったのか、何かが音を立てて厩舎の壁めがけてすっ飛んでいった。
はて。一体なんだろうか、蹄鉄でも外れたのか?と思い、その飛んでいったものを追いかけてみれば。
『Tokai teio』
そう、銘が入った蹄鉄であった。んん?と思って私の四つ足を確認してみたが、落鉄はどうやらないようである。
思わず首を捻っていた。落鉄はないのに、蹄鉄は落ちている。銘はどうやら私の蹄鉄だ。
はてさて、これは何であろうか?疑問に思って、私の蹄を蹄鉄にあてがった。
私の蹄鉄より一回り、小さい。…ほほう?まるで、私の体より一回り小さいトウカイテイオーの蹄鉄のようじゃあないか。
うん。せっかくだ、頂いておこうじゃないか。本物の蹄鉄だ。ああ、そうだな。人間に伝えて額縁にでも入れてもらう事にしよう。
と、ふと、その蹄鉄の横に、青い私の大好物が置いてあることにも気づいた。…はて、バケツから零れ落ちたものだろうか?ソレにしては滅茶苦茶新鮮っぽいのだが。
はて?と首を傾げて、そのピーマンを口に運んだ。何せピーマンだ。捨て置くには勿体なさすぎる。
―おおう。これはかなり苦くて、青臭いピーマンだ。まるで、さっきまで木になっていたようだ。だが、これが良い。
私は、ピーマンが好きだからね。
■
「ゴルシ。すごかったね。あの2頭の競い合い」
「ああ。すごかった。このゴルシちゃんですら、言葉を忘れてたぜ」
「…ねぇ。もう、ゴルシの近くにはあの馬っていうのはいないの?」
「ああ。もう居ねぇ。2頭はゴール板を駆け抜けて、どっかに行っちまった」
「そっか。って、なんか落ちてる」
「お、本当だ。…ってこれ、あいつらの蹄鉄じゃねーか」
ゴールドシップは、地面に落ちていたそれを拾い上げた。
数は2つ。大きめの蹄鉄と、小さめの蹄鉄。しかし、その両方には『Tokai Teio』の刻印がしっかりと刻まれていた。
「ね、ゴルシ。ちょっとさ。明るくなってからでいいから三女神に祈りに行かない?」
「お、いいぜ?あー、せっかくだ。あいつらの好物でも持って行くとすっか。多分、私達と同じニンジンだろ」
「ん、ボクはね。多分違うと思うんだ」
後日、三女神の前に集合したゴールドシップとトウカイテイオー。その2人の手には、トレセン学園特製ニンジンと、自らが育てているピーマンから今朝もぎ取った、新鮮な実が握られていた。
「テイオーはピーマンか。なるほどなぁ、もしかしたら、あいつらも好きだったのかもな」
そして、2礼。2拍手。そして一礼を三女神の前で行い、トウカイテイオーはポツリと呟いた。
「トウカイテイオー。キミの好みなんて、ずっと前から知ってるよ」
ボク、ピーマンが好きなんだよね!
さて、ピーマンを発端としたトウカイテイオーの物語は、ここで大団円を迎えます。
様々なレース結果はありますが、ラストレースの結末は、読者様の胸の中に。
そして、最後に一言。
ピーマン イズ ワンダフル!
長い物語を読んでいただきまして、誠に、誠に感謝致します!