大レースのゴールを駆け抜けた直後、鼻から息を大きく吸って息を整えていたわけであるが、そのさなかで私の上の人間は何度もガッツポーズを繰り返していた。嬉しそうで何よりである。そして、クールダウンをしながらコースを一周し、観客が大勢いる観客席の目の前を通り過ぎようとしたとき、信じられないほどの大歓声が舞い上がった。馬の私から見ても、実に壮観である。
そして私の上の人間が、指を一本天に掲げて見せると、更に歓声が大きくなった。
ほー、『俺が一番だ!』ということか。いやぁ、やはり大レース。勝ってよかったと心底ほっとした。正直、一番人気というプレッシャーを私は感じてはいないと思っていたが、こうも安心するということは、なんだかんだプレッシャーを感じていたという事なのだろう。
そうしているうちにあれよあれよと様々な場所に連れていかれて、目まぐるしく景色が変わる。体重計らしい場所に乗っけられ、オーナーらしきおじさんは笑顔で私を叩いてくるし、世話をする人間も笑顔で私を撫でてくれていた。更には、その後、やたらとおめかしされたのちに、競馬場の芝の上で写真まで撮られる始末であった。
カメラをしっかり見つめて、ポーズを決めたつもりであるが大丈夫だったのだろうか?数度シャッターを切られた記憶があるものの、頷かれたのでおそらくは大丈夫だったはず…である。その際にオーナーらしきおじさんが近くにいたわけで、まぁ、つまりこのおじさん、私のオーナーということで間違いないっぽいということは判ったわけだ。あくまで、ぽいという話であるが。
そして、その夜。レース場の厩舎でピーマンを食っていると、彼がまたしても私の下を訪れたため、しかりとスキンシップを図った。とはいえ顔を出して、撫でられているだけであったが。そうやって、私史上、最高の激動の一日が終わったのである。
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開けて翌日。車に乗せられて牧場に戻った私の下に、変わったものが届けられた。
それは、鉢植えである。
私の厩舎の外に置かれたそれは、私の記憶が間違っていなければ明らかにピーマンの苗が生えられている鉢植えであった。それに加えて、ピーマンのあの青い果実がバケツに入れられて3杯用意されていたのである。
もちろんピーマンは美味しく頂くわけである。しゃりしゃりとした食感が非常に心地よく、青臭い中に感じる確かな旨味。最高である。
なお、バケツの隣にはこれまた野菜たっぷりのバケツが置いてあるので、そちらも頂くわけであるが、なんと、そこにはニガウリが入っていた。…うーむ、ピーマンと同じように苦いモノであるから入れたのであろうが、少しピーマンとはベクトルが違う苦味なのだがなぁ…と思いながら、ピーマンとニガウリを交互に食らう。ふむ、これはこれで意外とイケる。ニガウリの苦みで痺れた舌でピーマンを食らうと、より一層ピーマンの旨味を感じることが出来るのだ。
それはそうとしてこの苗だ。もしかして、これ、大レースで勝った褒美なのであろうか?であれば、非常に嬉しい。何せこれからはピーマンの露地栽培の季節である。食うだけでなく、見てピーマンを楽しめるとは最高じゃないか。
そうなのだ、意外とピーマンの花は小さく、可愛らしいものであるし、しかも結構形がはっきりしているので見ていても楽しいものである。さらに、受粉後にピーマンが膨れていく様や、熟していく様をみるということもまた楽しみだ。
更に、これはあまり人に勧められないが、苗があるという事は、ピーマンをもぐ前に食べる、『もぐ前食い』が出来るのだ。
なんだそれ、という事を思う人もいるだろう。しかし、そう思う前に、ぜひピーマンを育てている人が居ればやってほしいものである。
もぐ前に、木になったままのピーマンにかぶりつくという行為を、だ。
これが不思議なもので、『もぎたて』よりも『もぐ前』で食べたほうが旨いのだ。
そう、つまりだ、この苗がある限り、一番旨いピーマンをいつでも食えるという事である。ただし、ちゃんと肥料をやり、育てれば、という事であるが。
馬である私にはそこらへんは難しい。ぜひ、人間には頑張ってほしいものである。
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今日も今日とて坂登り。フォームを変えながら坂をすっ飛ばしていると、彼が珍しく手綱を引き絞った。何事かと思って足を止めてみれば、これまた見たことのないおじさんがこちらに手を振ってきていた。私の上の彼が手を振り返していたので、どうやら彼の知り合いらしい。
2~3言葉を交わしたのちに、なんと、彼が私の上から降り、そのおじさんが私の上に乗ったのだ。
非常に珍しい事である。というか、いままでこんなことは無かった。私の上に乗った事があるのは、いつも世話をしてくれている人間と、彼ぐらいなものである。ま、とはいえ彼の知り合いなのであろう。問題はきっとない。
すると、私の上のおじさんは早速と手綱を捌いた。つまり、行くぞ、ということであろう。まぁ、拒否する理由も特段無いわけである。判りましたよーと鼻息を荒くしてから足を前に進める。
とはいえ、いつもの彼のようにはいくまい。慣れるまでほどよく8割ぐらいの力で、などと思っていたら、更に手綱を扱かれてしまった。つまり、もっといけ、もっといけ!という事である。…ふむ、そうまで言うのであれば行ってやろうじゃないか。おじさんや、しっかり掴まっていてくれよ!
ということでおじさんとの坂登り一本目はフォームを変えない本気ですっ飛ばした。首を叩かれて、頷かれたものの、まだまだ手綱を扱かれる。
うーん、この上となると、全力のフォームしかないのであるが…まぁ、行けと言うのならばお見せいたしましょう。振り落とされないでくれよ、おじさん。
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何か負けた気がする。結局おじさんは私の背に乗り続けて、坂登りの訓練を終えてしまった。下手をすると、彼よりも手綱さばきは巧いかもしれないなと感じる場面が多々あった。ま、とはいえ彼と過ごした時間の方が長いわけで、信頼という手綱で私と彼は繋がっているので何も問題はないと信じている。
なお、その後は厩舎に戻り、相も変わらずピーマンを貪っているわけだ。ちなみに大レースの後、3日間はバケツ3杯のピーマンが用意されていた。なるほど、こうきたかと思えるご褒美である。いくら馬の私でも、バケツ9杯のピーマンは一日では食い切れない。それはきっと出す人間側も判っていたのだろう。だからこそ、私が食えるピーマンの量を見て、しっかりご褒美をくれていたのだ。実に最高なご褒美である。
いやしかし、となれば今後また大レースで勝利をおさめ続ければピーマン食い放題ということではないか。いや、今でも実質毎日バケツ1杯は食い放題なのだが、それ以上には用意されていないので、もうちょっとピーマンほしいなーと思っても食うことは出来ない。だが、それが3杯ともなれば実に満足できる量である。よし、気合が入った。頑張ろうではないか。
ただ、初心忘るべからず。怪我をせず、現役を長く続けて、しっかりと生き続けることは忘れはしない。
そして、明日は確かプールでの鍛錬である。ということで、しっかりと心肺機能を鍛えようと思う。何事もコツコツコツコツ、一歩一歩しっかりと踏みしめることが、目標へと向かう最短ルートなのだ。目標を叶える回り道など絶対にありはしないのだ。
決心をしたところで、ピーマンが無くなった。牧草も食い切った。ピーマン以外の野菜も綺麗に食い切った。ということで、瞑想をしてからぐっすり寝ようと思う。
実際、彼を信じて手綱を任せるという私の精神力も、それを実行できるための私の体力もスピードも日々の鍛錬の賜物であるからして、やはり何事も継続が大切であると痛感しているわけである。
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牧場の桜が葉桜になり始め、季節がまた一つ進み始めている。春が終わり、夏へ向けての準備が進んでいるのだ。
私自身も同様、夏に向けて体が変わり始めている。
そう。毛が生え変わる時期で、全身が痒いのである。もう痒いのである。ピーマンを食い忘れ…はしないが、本当に痒いのである。厩舎で壁や床に体を擦り付けるぐらいには体が痒いのである。
ただ、擦り付けても結局、背中とか首の後ろとかは毛が残るわけで、そこは人間にブラッシングをしていただかないとどうにもこうにも成らない。ただ痒いだけなのだ。
ということで、本日はブラシ…というか鉄で出来たのこぎりのようなギザギザしたもので体をかいて頂いている。一見すると鉄なので痛そうに見えるものの、忘れないで頂きたい。私は馬の皮膚の持ち主である。
ヒトに比べて分厚い皮膚には、この鉄の器具がものすごく気持ちよく感じるのだ。しかも、人間が動かす器具をじっくり見ていると、見事にごっそりと私の毛が抜けるのだ。それはもう、プチプチを一気に潰したぐらいの爽快感ぐらい。人間的な感覚で言うと、高級な全身マッサージを受けている時ぐらいの気持ちよさである。首が勝手に伸びてしまい、口が勝手に動いてしまうぐらいには気持ちが良い。
最高最高。
というか、馬になってからであるが、自分の手で痒い所がかける人間って素晴らしいと実感している。馬ではどう頑張っても無理なので、今、私の目の前で背中を掻いている人間が本当に羨ましいものである。
さて、では気分もすっきりしたところで軽く走りたいわけであるが、今日はいつもと違う場所に手綱を引かれて到着した。そして触診やら採血やら、レントゲンやら諸々の検査を受けた。そう、馬の健康診断的なものに連れていかれたのだ。まぁ、採血については少々チクりとしたが、それ以外は特に何もなく検査は終わり、そのままの足で施設を後にしたため、特に健康に問題はないということであろう。
厩舎に戻った後、健康診断のご褒美とばかりに、ピーマンをバケツで2杯出されたのでもぐもぐと口を動かしているわけであるが、いやしかし、日々変わらぬ日常というのは平和だなぁと、しみじみと感じることが出来ている。練習して飯くって寝て。そして相変わらずピーマンは旨いと来たもんだ。調理したピーマンも食いたいとは思う。めんつゆも合うわけだし、かつおぶしも良い。肉との相性もいいし、カレーに入れてもナイスなアクセントであるし。が、それはそれ、これはこれだ。
そういえば私は前回の大レースで5連勝を記録したわけである。ここまでくると、負けたくないなぁという欲も出て来る。以前はそんなことを考えることはなかったのだが、どうやら暖かくなってきたからか、私自身の気持ちも大きくなっているようだ。
とはいえ怪我をしても仕方がない。調子に乗らず、しかし全力で、を心がけていこうと思う。
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「お、あいつの反応はどうだ?」
「鉢植えに興味津々でしたよ。成功です」
「そうか、良かったな」
「ええ」
「冴えない顔だな。もしかして、苗を食われたか?」
「いえ、苗は食いはしなかったんですけどね、ちょっと餌でひと悶着ありまして」
「餌?ピーマンか?」
「いえ、ピーマンは問題なく食ってました」
「じゃあ、野菜のほうか」
「ええ。ピーマンが好きだから、ニガウリも行けると思って入れたんですが」
「ああ、確かにピーマンもニガウリも苦いからな、で?」
「ニガウリを食った瞬間動きが止まりましてね。そのまま後ずさりしちまって…」
「野菜を食わなくなっちまった?」
「ええ」
「そりゃお前問題じゃないか」
「あ、いえ、その後ピーマンを食わせたらなぜかニガウリ入り野菜とピーマンを交互に食い始めまして。残さず食っちまったんですよ」
「…なんだそれ」
「俺もそう思いましたよ。ニガウリ、苦手なんだか、好きなんだかよくわからんのです」
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「お疲れ様です。どうでした?あいつは」
「お疲れ。いやぁ。すごく良い馬だったよ。滑るように走るね」
「あなたにそういって頂けると安心します」
「正直、あの馬の屋根を張れるなんて、うらやましい限りだと思うよ。手放さず、しがみつくんだぞ?」
「もちろんですよ。離す気はさらさらありません」
「うん、その意気だ。で、次はダービーか。頑張れよ」
「はい。…つかぬ事をお聞きしますが、実際どうです?貴方が乗ったあの馬と比べて」
「うーん、そうだね。今のところはまだまだ、彼の方が上かな」
「そうですか。うーん、すごい馬だったんですね、彼は」
「うん。ま、ただ、悲観することは無いよ。正直、底の見えなさではこの馬の方が上だと思うからね」
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「やぁ、君は今日も今日とて美味しそうにピーマンを食べているな」
「あ、ルドルフさん。えへへ、ルドルフさんも1つどうですか?」
「ふむ…そうだな、今日はせっかくだから1つ頂こう。…ほう、これは旨いな」
「でしょう!?ピーマンをめんつゆで煮て、鰹節をかけただけなんですけど、ごはんが何杯でもいけちゃいますよ!」
「確かにこれならピーマンが美味しいと言う事も頷ける。その、実は私はピーマンが苦手でね」
「あー、なんとなく感じてました。やっぱり苦味ですか?」
「ああ。ウマ娘としての味覚なのかな。どうしても苦味が苦手でね。いつかは克服せねばとは思っていたんだ。でも、これは旨いと感じるよ」
「え!本当ですか!えっと、それじゃあこれからもこういう、美味しいピーマン料理をちょっとづつ持ってきますよ!苦手なもの、克服しちゃいましょう!」
「はは、ありがとう。よろしく頼むよ。では、私は会議があるのでこれで失礼するよ」
「はい!お気をつけて!」
「あぁ、そうだ、忘れていた。皐月、見事だった。ダービーも獲れよ」
「ありがとうございます!もちろんです!」