圧倒的な強さを誇った彼女に憧れる、ひとりのウマ娘のお話
サクラバクシンオーの引退。学級委員長は『速すぎた』。
圧倒的なスピード、それは彼女が持つ強力な武器であり、その名前に恥じない『爆進』だった。誰もがそのスピードに憧れた。
挫折を味わおうとも何度も立ち上がった。それは彼女の『驀進』であり、閃光のように眩しい煌めきとなって歴史に残るだろう。
だが、彼女は『早すぎた』。
GⅠ2勝。スプリンターズステークスを2連覇。高い距離適正の壁に阻まれながらも、マイル距離へも果敢に挑戦した。勝ち星こそ逃したが、彼女は最強スプリンターとして語り継がれる。
しかし短距離GⅠはそのスプリンターズステークスのみだった。もっと生まれが遅ければ、もっと短距離GⅠが存在していれば、彼女の輝きは更に強まったことだろう。
URAでは彼女の功績から────
カフェテリアのテレビにはバクシンオー先輩が大きく映し出されていた。
アタシは、いつまでもその背中に追いつけなかった。
最後に戦ったスプリンターズステークス。先輩はレコードでの勝利。アタシは、4馬身と離された2着だった。
アレがラストランになるなんて、アタシは知らなかった。
短距離最強、最速のレコード。それはアタシの求める最高のヒーロー像だ。
ヒーローは最速かつ最強でなければいけない。なぜなら、悪者が出てきたときにすぐ駆けつけなければいけないからだ。遅れるなんてあってはならない。みんなの涙が増えるだけだ。
バクシンオー先輩は最速で最強だった。だから、アタシはそれを超えなければいけない。
でもバクシンオー先輩は引退してしまう。一緒にパトロールしてくれた先輩が、最速で最強の先輩がいなくなってしまう。超えなければいけない壁がどこかへと消え去ってしまう。
アタシは最速で最強じゃない。
最速で最強じゃないなら、悪者に負けてしまう。ヒーローが負けてしまったら、一体誰が学校と街を守ればいいのか。
これからキャロットマンの再放送が始まる。いちばんアツい、いちばん好きな話だ。
その話は、何度も繰り返し見た。バクシンオー先輩とも一緒に見た。ヒーローが、ヒーローとしての在り方を問われる、そんな話だ。
でも、もう見る気がしなかった。
キャロットマンは作り話だ。アタシは作り話のヒーローになりたいわけじゃない。本物のヒーローになりたいんだ。
本物のヒーローは、サクラバクシンオーだ。
誰にも優しく接して、みんなから慕われて。先輩が居るだけで、世界がぱぁっと明るくなる。校門で行われるあいさつ運動では、誰よりも大きな声であいさつをする。宿題だってすぐに終わらせる。好き嫌いをせずによく食べて、いつでも元気モリモリだ。
だから、先輩は最速で最強なんだ。
本物のヒーローが居なくなってしまう。それだけで走り出す理由は充分だ。アタシはどこまでも、どこまでも本物のヒーローの背中を追った。
「先輩………、先輩………!」
練習コースにも居ない。本当にもう走らないのだろうか。もう一度だけ、もう一度だけ先輩と走りたい。本物のヒーローに追いつきたい。本物のヒーローに、もっと強さを教わりたい。
「せんぱァァァァい!!バクシンオーせんぱァァァァい!!!」
一緒に走った河原では、ただ寂しくアタシの声がこだまする。
ここで、何度も夕陽に向かって走った。いつか先輩みたいに本物のヒーローになりたいと思った。どれだけ走っても夕陽には追いつけない。それでも努力することが学級委員長なのだと、先輩は言っていた。
でも、先輩が居なくなってしまったら、アタシはどこに向かって走ればいいのだろう。
フラフラになりながらも、河原を走る。きっと、きっとどこかに本物のヒーローはいるはずだと信じて走る。
「バクシンオォォーーせんぱァァァァい!!」
そう叫んだときに、視界が傾いた。
街の景色はぐるぐるとまわり、身体中が何かにぶつかって痛い。
土手の下に転がり落ちてしまった。
涙が溢れてくる。
どんなに辛くてもヒーローは泣いちゃいけない。笑顔で現れて、みんなの涙を笑顔に変えるんだ。血の一滴、汗の一滴その全てをみんなのために使うのがヒーローなんだ。
でもアタシはよわっちいし、体も小さい。現に今泣いてしまった。きっとアタシはヒーローにはなれない。誰かを笑顔にすることなんてできないんだ。
「ば……バクシンオーせんぱぁ…い………。」
涙は言うことを聞かずに、とめどなく溢れてくる。泣きたいわけじゃない。それなのに、涙は止まらない。
「バクシィィィィーーーーン!!!!」
その時、叫び声が聞こえた。
どこかで誰かが泣いてたら
ヒーローはすぐやってくる。
助けを求めて、アタシはヒーローの名前を呼んだ。
「バクシンオー先輩!!」
「ややっ!?ビコーさん!?」
驚いたように尻尾が跳ねる。本物だ。本物のバクシンオー先輩だ。
「バクシンオー先輩……。」
「ビコーさん!!何してるんですか!!キャロットマンがッ!!キャロットマンが始まってしまいますよッ!!!」
「先輩……先輩………。」
「転んでしまったのですね!!すぐ行きますとも!!!」
「ちょわーッ!?!?」
先輩は土手を転がり落ちてきた。それでも先輩は笑顔で手を差し伸べる。差し出された手を見ると擦りむけて血が出ていた。
手を取ると、力強く引き上げられ、
「急ぎますよッ!!しっかり捕まってくださいねッ!!!」
先輩の肩にしっかりとしがみつく。これが、ヒーローが見ている景色なんだ。
「バクシィィィィーーーーン!!!!」
ヒーローの背中は暖かい。4馬身離されたときはとても小さく見えた背中が、いつもより大きくなって目の前にあった。
あっという間にカフェテリアに着いた。やっぱり先輩は最速で最強のヒーローだ。
そんなヒーローがいなくなってしまうなんて、アタシには耐えられない。
「キャロットマンには間に合いましたねッ!!さあ!一緒に応援致しましょう!!その後には保健室へ!!」
「バクシンオー先輩……。」
「どうしましたか?ビコーさん。いつもよりちょびーっとだけ元気が無いような気がするのですが……?」
「先輩……。」
「もしや!脚がとても痛むのですか!?!?それともお腹が痛いとか!?!?」
「あの……。」
「それはいけません!!!!キャロットマンが見られないのは残念ですが今すぐ保健室へ!!!!」
「………。」
「さあ!!!掴まってください!!!早く!!!!!!」
声に出すことが怖い。それでもアタシは言わなければいけない。
ヒーローには愛と勇気と優しさが必要だ。これくらい言えなくて、何がヒーローだ。
「先輩……。引退、しないでください………。」
キャロットマンのテーマ曲が流れ始める。明るく元気いっぱいの歌はいつもアタシに勇気をくれた。
でも、今その勇気は要らなかった。言葉にしたことを後悔している。
先輩は、静かに首を横に振った。
「先輩がいなくなったら!!いなくなったら……、誰が学校と街を守るんだよ!!」
「学級委員長だってそうだ!!誰が学級委員長になるんだよ!!」
「先輩はっ!!先輩はヒーローなんだよ!!作り物じゃない!!本物のヒーローなんだよッ!!!!」
「本物の……アタシのヒーローなんだよぉ………。」
アタシはヒーローにはなれない。
ヒーローは涙のもとにやってくる。この涙はヒーローを呼ぶ涙だ。涙を見て立ち去るのは、本物のヒーローではない。
それでも、先輩の意思は固かった。
「ヒーローはビコーさんですよ。」
「嘘だ!!嘘だ嘘だ嘘だ!!!」
「弱いし……力もない!!誰も守れなんかしない!!!よわっちいヒーローなんか!!誰も求めてないんだ!!!」
「泣き虫のヒーローなんか!!ヒーローなんか!!そんなのヒーローじゃない!!ヒーローは!!いちばん速くていちばん強くなきゃいけないんだ!!!!」
「ビコーさん!!!!」
力強く名前を呼ばれる。顔を上げると──
──力強く頬を叩かれた。
「これは!!私からの最初で最後の愛の鞭です!!」
「貴方には失望しました!!キャロットマンから何も学ばなかったのですか!!!」
「ヒーローが負けないのは!!勝つまで努力するからのこと!!ビコーさんともあろう者が!!今日のキャロットマンの話を忘れたのですか!!!」
今日のキャロットマンの話はこうだ。
野菜嫌いの子ども達に嫌われ、うまく力を出せなくなってしまったキャロットマン。
キャロットマンはみんなの応援がなければ強くなれない。そこを悪者に狙われて、みんなの前で変身が解けてしまう。
傷だらけになっても、みんなから嫌われても、それでも生身で悪者の前に立ち塞がる。
ボロボロになりながらも涙を見せず、笑顔でみんなを守ろうとするキャロットマンの生き様を見て次第に人々は惹かれていき、元の力を取り戻す。
そしてひとしずく、輝くものが落ちてエンディングとなる。
キャロットマンの弱点は、応援がないといけないこと。でも、キャロットマンに弱点は無い。それは、どんなことがあってもアタシが応援しているからだ。キャロットマンの勝利を願っているからだ。
ヒーローは、どんな苦難でも決して諦めない。どれだけ転んでも、どれだけ倒れても、最後には立ち上がる。応援に応えるために、立ち上がるんだ。その熱い思いだけは作り物じゃない。その姿に、生き様に、ハートを強く揺さぶられたから、絶対に、絶対に本物なんだ。
「キャロットマンは!!どれだけ弱くなろうとも!変身が解けようとも!!絶対に諦めません!!なぜなら、『ヒーロー』だからです!!貴方は!!その生き様に惹かれたのではないのですか!!」
「私の背中を追うビコーさんは!!まさしく『ヒーロー』だった!!どんなことがあっても諦めない!!『ヒーロー』だった!!」
「ヒーロー……。」
叩かれた頬がじんじんと痛む。先輩の手を見てみるとポタポタと赤い雫が垂れていた。
きっとその手はとても痛いのだろう。ぎゅっと握り締められて指が白くなっている。
先輩の目にはうっすらと涙が浮かぶ。アタシの頬よりも、先輩の手よりも、ずっとずっと、心が痛いのだろう。
先輩は優しいから、アタシがこうして弱虫になっているのをみるのも辛いのだろう。何よりも、アタシを叩いてしまったという事実に苦しんでいる。
垂れ落ちる血も、心も、泣き喚くアタシのために使ってくれた。先輩はやっぱり、本物のヒーローだ。
テレビではキャロットマンが闘っている。みんなが応援してくれたから、元の力を取り戻せたんだ。
そしてアタシはこんなにも強く応援してくれる人がいる。しかも、本物のヒーローからの応援だ。
「先輩……。」
大きく息を吸い込んだ。
どれだけ弱くとも、どれだけ遅くとも、諦めないことがヒーローだ。先輩も諦めたりしなかった。ならばアタシも、立ち上がらなければいけない。
勇気はもういらない。これはアタシの決意だからだ。
「アタシ、ヒーローになるよ。」
そう言うと、微笑むヒーローの目から輝くものがひとしずくだけ落ちていった。
最初から最後まで二人の言ってることがめちゃくちゃなんだよな