翔が手術を受ける2日前、彼は夜明け前にもう一度だけ小人の少女アリエッティに会うことが出来た。
2人はしっかりとお互いの顔を見つめ合い、そして短い会話を交わした。
翔は引っ越していくアリエッティのためのプレゼントとして、ポケットから角砂糖を取り出し、彼女に差し出した。
一度は受け取りを拒否した彼女は、今度はにっこりと微笑みながら受け取ってくれた。
アリエッティはお返しにと、髪飾りとして使っていた洗濯ばさみを翔に渡した。
そして翔の指をしっかりと握り、涙を流しながらお礼を言った後、いよいよ新しい土地へと旅立って行った。
翔は夜明けの光を全身に浴びながら、アリエッティの去っていった方向をじっと見つめていた。
(アリエッティ、僕に生きる勇気をくれて本当にありがとう。君を引越しさせてしまって本当にごめん。でも幸せになってね。)
彼は希望に満ちたような表情を浮かべながら、新しい日々に心をおどらせていた。
彼のかたわらには猫のニーヤが立っていた。
ニーヤは立ち止まっている翔の脇を歩いていき、高台の端っこまで来て立ち止まった。
そしてやはりアリエッティの去っていった方角をじっと見つめていた。
「君もこれがアリエッティとの別れだということを分かっているの?」
翔は後ろ姿を見せているニーヤに向かって問いかけた。
ニーヤははっとしたように振り返り、細い目で翔の顔を見た。
その表情からは「まあな。」と言っているようだった。
「寂しい?アリエッティがいなくなって。」
「…。」
ニーヤは寂しさをじっと我慢しているかのようだった。
それを見て、翔は少しだけクスッと笑った。
一方のアリエッティは翔にさようならを告げた後、竹垣を降りて一目散に走っていった。
その途中、彼女はふと立ち止まって振り返り、高台の方を見た。
そこにはじっとこちらを見つめている翔とニーヤがいた。
そんな一人と一匹を見て、アリエッティは別れが名残惜しくなった。
でも後戻りをしようとはしなかった。
その代わり彼女は両手を高く上げ、大きく左右に振った。
(ありがとう、翔。そしてニーヤ。いつまでも元気でね。)
彼女は心の中で精一杯叫んだ。
手を振りながら、アリエッティの目には再び涙がこみ上げてきそうになった。
でも彼女はじっと我慢をした。
そして少年と猫の姿をしっかりと目に焼き付けた後、再び走り出した。
今度はもう振り返ることはしなかった。
アリエッティが引っ越すために乗ることになっているヤカンの所では両親が心配しながら待っていた。
「どうしたのよ、急にしばらく姿が見えなくなって。」
「お母さん、心配をかけました。」
「でも何だかすがすがしい顔をしているじゃないか。何かいいことでもあったのか?」
「別に、何もないです。それよりお父さん、もう出発するんでしょ?」
「ああそうだ。それじゃスピラー、頼んだぞ。」
「あいよ。」
スピラーはそう言うと、持っていたナイフでヤカンと岸を結んでいたロープを切った。
ヤカンは左右に揺れながら川を下りだした。
川の近くに立っている木々からはツクツクボウシをはじめとするセミ達の鳴き声が絶えず聞こえていた。
川岸に生えている草にはいくつか花が咲いているものがあった。
そこには黄色や黒い色をしたチョウが飛び交い、蜜を吸っていた。
空では何羽かのツバメ達がチュンチュンと鳴き声をあげながら上空を通過していった。
いよいよアリエッティの新しい日々が始まろうとしていた。